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芥川龍之介の芋粥と今昔物語の比較を教えてください。

A 回答 (1件)

下記のページを参照してみてはいかがでしょう。


http://www.hum.u-tokai.ac.jp/nichibun/computer20 …
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Q芥川龍之介「地獄変」の娘と密会した人物

芥川龍之介「地獄変」の十三章で大殿様に仕える絵師の娘は、ある夜屋敷で何者かと密会します。
襲われたのか、言い寄られたのか、男か女かも不明で、話者が問いかけても娘は返事をしません。
この人物は大殿様だったのでしょうか?
それとも絵師良秀でしょうか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

『地獄変』には、多義的な解釈を誘うべく、いくつかの仕掛けがほどこされています。というのも、語り手である「堀川の大殿様…に二十年来御奉公」してきた「私」(老侍)は、いわゆる〈信頼できない語り手〉で、好んであいまいな、多義的解釈を可能にする言説を採用しているからです。

良秀の娘が「袿の袖を噛んで、しく/\泣いて居りました」というのも、直前では
「娘の方は父親の身が案じられるせゐでゞもございますか」
といいながら、そのすぐあとに
「大殿様が良秀の娘に懸想けさうなすつたなどと申す噂が、愈々拡がるやうになつた」
と語り、その上で
「元よりさやうな事がある筈はございません」
と打ち消してみせる。さらに
「色を御好みになつたと申しますのは、恐らく牽強附会の説」
「跡方もない嘘」
と重ねることによって、逆に読者の脳裏に疑いを生じさせる。このような語りを持つことによって、『地獄変』という短い作品が、謎と奥行きを備えていきます。

十二から十三にかけては、良秀の娘のエピソードが語られていきます。この「慌しく遠のいて行くもう一人の足音」は誰なのか。

これに関しては、質問者さんもご指摘のように三通りの推測が可能でしょう。
(1)大殿である
(2)良秀である
(3)それ以外の男性である

この十二の最初、事件が起こる前に、まず語り手は
「又一方ではあの娘が、何故かだん/\気鬱になつて、私どもにさへ涙を堪へてゐる容子が、眼に立つて参りました。」
とわたしたちの推理をある方向に誘っていきます。それに続くのがこの文章です。

「初はやれ父思ひのせゐだの、やれ恋煩ひをしてゐるからだの、いろ/\臆測を致したものがございますが、中頃から、なにあれは大殿様が御意に従はせようとしていらつしやるのだと云ふ評判が立ち始めて」

ここまでなら、それに続く事件の中心人物は「大殿」である、と考えてまちがいない、と言えるでしょう。ところが語り手は、その評判をも

「夫れからは誰も忘れた様に、ぱつたりあの娘の噂をしなくなつて了ひました。」

と打ち消してしまうのです。噂をしなくなったのは、それが根も葉もないことだったから、という可能性も生まれてしまいます。反面、それが事実となって、うかつに噂もできなくなってしまった、と考えられなくもない。蓋然性としては(1)が高いかと思いますが、決定的ではありません。

つぎに「良秀」説、これは近親相姦を意味するのですが、この読解では八で良秀が夢を見ながらうなされる場面が「伏線」となっていきます。

「なに、己に来いと云ふのだな。――どこへ――どこへ来いと? 奈落へ来い。炎熱地獄へ来い。――誰だ。さう云ふ貴様は。――貴様は誰だ――誰だと思つたら…(略)…誰だと思つたら――うん、貴様だな。己も貴様だらうと思つてゐた。なに、迎へに来たと? だから来い。奈落へ来い。奈落には――奈落には己の娘が待つてゐる。」

来い、来いと招いている「貴様」は、奈落にはおまえの娘が待っているから来い、と言っているようです。この「貴様」も地獄の「異類異形」なのか、それともこの世にいる人物(たとえば「大殿」)であるのか、いくつかの可能性があるかと思いますが、いずれにせよ、良秀の娘は「炎熱地獄」にいる。娘は炎熱地獄に落とされる罪を負っている、と良秀は考えているのです。「炎熱地獄」というのは五戒を破った者が落とされる地獄ですが、「五戒」の中には「不邪淫」も含まれる。

こう考えていくと、「足音」の主は「良秀」であるという解釈も成り立つのです。

さらに、娘には密かな恋人がいた、という可能性もあります。彼を逃がすために「唇をかみながら」という演技をした、という。そうして恋人の存在が「大殿」の知るところとなったために、やがて車の中に入れられることになった、という見方もできるのです。

たとえば十七に
「私と向ひあつてゐた侍は慌しく身を起して、柄頭を片手に抑へながら、屹と良秀の方を睨みました。」
という箇所があります。 
この侍は、良秀があばれるのを取り押さえるために柄頭に手を掛けたのか。それにしては立ち上がった良秀を押さえようとはしていません。彼自身、まったく知らず、父親である良秀が事態を了承したものとして、驚き、柄頭に手をかけたのではないのか。
語り手はいったい何のためにこの一言を言ったのでしょうか。

このように、「足音の主」についてはさまざまな可能性があり、逆に決定することもできません。というのも、作品の中にいくつかの空白を作者である芥川が設けており、決定的な読解を妨げているからです。
どうして芥川はそんなことをしたのでしょうか。

芥川の『侏儒の言葉』の「鑑賞」という項目では、このようなことが書かれています。

「 芸術の鑑賞は芸術家自身と鑑賞家との協力である。云わば鑑賞家は一つの作品を課題に彼自身の創作を試みるのに過ぎない。この故に如何なる時代にも名声を失わない作品は必ず種々の鑑賞を可能にする特色を具えている。しかし種々の鑑賞を可能にすると云う意味はアナトオル・フランスの云うように、何処か曖昧に出来ている為、どう云う解釈を加えるのもたやすいと云う意味ではあるまい。寧ろ廬山の峯々のように、種々の立ち場から鑑賞され得る多面性を具えているのであろう。」

「種々の立ち場から鑑賞され得る多面性」というと、映画にもなり、ひとつの言い回しともなった『藪の中』が有名ですが、この『地獄変』においても同様の仕掛けがほどこされています。ですから読者は、自分が思う「真相」を見つけるべく、芥川に「協力」して作品を丁寧に読み直し、伏線を見つけていくことが求められているのではないでしょうか。

『地獄変』には、多義的な解釈を誘うべく、いくつかの仕掛けがほどこされています。というのも、語り手である「堀川の大殿様…に二十年来御奉公」してきた「私」(老侍)は、いわゆる〈信頼できない語り手〉で、好んであいまいな、多義的解釈を可能にする言説を採用しているからです。

良秀の娘が「袿の袖を噛んで、しく/\泣いて居りました」というのも、直前では
「娘の方は父親の身が案じられるせゐでゞもございますか」
といいながら、そのすぐあとに
「大殿様が良秀の娘に懸想けさうなすつたなどと申す噂が...続きを読む

Q今昔物語集の「芋粥」の芋はナガイモ?

今昔物語集の「芋粥」ですが、「芋」はナガイモなのでしょうか?さつまいもは江戸以降ですよね?やまからとってきた細長い芋、ですから長芋だと思ったのです。
でも、おかゆにするとは聞いたことがありません。

Aベストアンサー

以下、手元の広辞苑によります;

いもがゆ(芋粥・薯蕷粥)
 1)ヤマノイモを薄く切ったものにアマズラの汁をまぜて炊いた粥。宮中の大饗などに用いた。
 サツマイモを入れて炊いた粥。


・・・とのことですので、eurekamazeltovさんの考えられた通り、「ナガイモ」でよいと思います。

但し、現在スーパーなどで売られる場合、「ナガイモ=栽培もの」で、今回のご質問中の
「ナガイモ」に該当するのは「自然薯」(これも元は「自然生(じねんじょう)」が本来らしいですが)
或いは「ヤマノイモ」と呼ばれている方になるかと思います。
この両者では、結構食感が違います(ナガイモの方が軽くて水っぽい感じ)ので、今の「ナガイモ」で
出来上がりを想像すると、イメージがちょっと違ってしまうかもしれません。
(グローブのような形の「ヤマトイモ」の方が、「ナガイモ」より「ヤマノイモ」に近い;
 ややこしい名前を並べてしまいすみません(汗))

Q芥川龍之介の「芋粥」について教えて下さい。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/55_14824.html
芥川龍之介の「芋粥」を勉強している外国人です。
わからないところがあるので、質問します。

①年かさの同僚が、彼れの振はない風采を材料にして、古い洒落を聞かせようとする如く
ここの「古い」は、oldという意味ですか。新鮮ではない、という意味ですか。

②彼等にいぢめられるのは、一人、この赤鼻の五位だけではない、彼等の知らない誰かが――多数の誰かが、彼の顔と声とを借りて、彼等の無情を責めてゐる。
「彼等の知らない誰かが――多数の誰か」は、誰でしょうか。

③痩公卿の車を牽ひいてゐる、痩牛の歩み
「痩公卿」と「痩牛」は、文字通り、痩せる公卿と痩せる牛のことですか。

④唯でさへ猫背なのを、一層寒空の下に背ぐくまつて、もの欲しさうに、左右を眺め眺め、きざみ足に歩く
辞書で「ものほしい」を調べると、「何か欲しい」という意味らしいですが、五位は何を欲しいですか。(「芋粥に飽かむ」ことが五位の唯一の欲望だということはわかりますが、どうして芥川龍之介さんがここで「もの欲しさうに」と書いたのかはわかりません。)

⑤東山の暗い緑の上に、霜に焦げた天鵞絨のやうな肩を、丸々と出してゐるのは、大方、比叡の山であらう。
「山の肩が霜で凍る織物のように、小さな丸い凹凸があって、その高くなっている部分が比叡の山かもしれない」ということですか。

⑥山の陰に消残つて、雪の色も仄に青く煙つてゐる。
「溶けていない雪が山のshadowに残って、青い煙が出っている」ということですか。

⑦狐が、走れなくなるまで、追ひつめた所で、それを馬の下に敷いて、手取りにしたものであらう。
「狐が疲れて止まるまで追い詰めた所で、馬の脚で狐を踏んで、それをつかめる」ということですか。

⑧急に、すべてが陽気になつた。
楽しくなった、ということですか。

⑨前にあるのは、銀の提の一斗ばかりはいるのに、なみなみと海の如くたたへた、恐るべき芋粥である。
ここの「のに」は逆接ですか。あくまで自分の推測ですが、一斗だけ(とはいえ、一斗=18.039リットルの量も恐ろしいと思いますが)の芋粥が海のように見えるのは、五位がもう芋粥を飲みたくないから、と思いますが、間違えば教えて下さい。

よろしくお願いします。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/55_14824.html
芥川龍之介の「芋粥」を勉強している外国人です。
わからないところがあるので、質問します。

①年かさの同僚が、彼れの振はない風采を材料にして、古い洒落を聞かせようとする如く
ここの「古い」は、oldという意味ですか。新鮮ではない、という意味ですか。

②彼等にいぢめられるのは、一人、この赤鼻の五位だけではない、彼等の知らない誰かが――多数の誰かが、彼の顔と声とを借りて、彼等の無情を責めてゐる。
「彼等の知らない誰かが――多数...続きを読む

Aベストアンサー

1、ここでの「古い」は「言い古された」の意味かと。
2、その場にいない、姿のない第3者。⇒この話での一番の肝です。
3、文字通り「やせた公家」=「貧相でみすぼらしい」者が乗る車を「やせた牛」=「公家の車を引くのは、本来ならば、堂々とした体格の牛なので、更にみすぼらしい」と言うことです。
4、「もの欲しさうに」は「左右を眺め眺め」にかかっているので、「物欲しそうな目つきで左右を眺めながら」という意味です。
5、「東山」と「比叡山」の位置関係で、京の町中から手前に見えるのが「東山」の「暗い緑」で、その向こうに「霜に焦げた天鵞絨のやうな肩を、丸々と出してゐる」=「きらきらと艶やかな濃い緑の峰をこんもり丸く見せている」のが「比叡山」であるのです。
6、「溶けていない雪が山のshadowに残って、ほのかに青く煙っている」
7、「狐が(疲れて)走れなくなるまで追い詰めた所で、馬の脚で狐を踏んで、狐を手で取り押さえたのだろう」
8、「楽しくなった」でもいいとは思います。「明るくなった」も可能かと。
9、「銀(しろがね)の提(ひさげ)」に「一斗」ぐらい入る「器に」なみなみと海のようにたたえた、恐るべき芋粥。であって「の」は、「器」が省略されているだけかと… ただし、「五位がもう芋粥を飲みたくないから」そう見えた可能性はあります。

元々の原点である「今昔物語集」では「利仁」の「豪勢な生活や力」に恐れおののく五位を描いているのですが、芥川はこれを「五位」の「立場から描写」に変え、五位が「芋粥に飽きたいと云ふ慾望を、唯一人大事に守つてゐた、幸福な」自分を自覚することで「相反する思いを、人は抱くものだ」と描いているのだと思います。

http://novelu.com/imogayu/#3a

1、ここでの「古い」は「言い古された」の意味かと。
2、その場にいない、姿のない第3者。⇒この話での一番の肝です。
3、文字通り「やせた公家」=「貧相でみすぼらしい」者が乗る車を「やせた牛」=「公家の車を引くのは、本来ならば、堂々とした体格の牛なので、更にみすぼらしい」と言うことです。
4、「もの欲しさうに」は「左右を眺め眺め」にかかっているので、「物欲しそうな目つきで左右を眺めながら」という意味です。
5、「東山」と「比叡山」の位置関係で、京の町中から手前に見えるのが「東山」...続きを読む

Q太宰治の「思い出」ってどんな話?

夏休み、国語の宿題で
「本の書評を書く」というものが出ました‥。
作文並に書かなければなりません(笑)。
私は太宰治の「思い出」を読みました。

でもいざ書評を書こうと思うと
何を書けばいいのか‥。

やっぱり文章が少し難しくて‥、
7割くらいしか理解してないかもしれません(;△;)
それでは書けないかな?と思って
サイトで「思い出」のだいたいの話を
調べてみたり‥。

「思い出」を呼んだことがある方、
何に着目して書評を書けばいいでしょうか(´`;)

Aベストアンサー

太宰の自伝的な小説のテーマになっている事は、ほぼ「道化と欺瞞」。
つまり他者から良く思われる事も気恥ずかしく嫌な気持ちもあるが、悪く思われる事はもっと嫌、というか恐ろしい。
あるときは良い子ぶろうとウソでかためる、上手くいったときのその快感。しかしそのウソがばれそうになるとたちまち不安にかられる。その心理的葛藤と自己嫌悪。
太宰は中々イケメンで女性によくモテたが、そのルックスに関してもひとつのウソとして捉(とら)えている。つまり自慢と自虐と自己嫌悪。これらが同居している。
まあ大体このような事がほとんどだが、子供の頃から肉親の愛情を受けて育っていないから、ひねくれて育っている。
乳母がいた、女中が複数いた、書生もいたなど、まあ片田舎ではあるが金持ちの名家ではありがちな事。しかしこの金持ちの名家についてもひとつのウソとして捉えるから、自慢と自虐と自己嫌悪が同居する事になる。

まあこういった線で捉えていけばほぼ間違いないであろう。しかし自伝的小説と言っても、近いところもあるが、小説だから全て本当の事ではないよ。

Q太宰治さんの「魚服記」について。

ご閲覧有り難う御座います。

国語の宿題です。
魚服記にてスワは「~~昔のことを思い出していたのである。」という場面があるのですが、スワは、どのような事をきっかけに思い出したのですか?

また、スワが追憶からさめた後に父親がスワのもとへ来て「スワ、なんぼ売れた。」と問う所があるのですが、何故スワは父親の問いに何も答えなかったのでしょうか?
「同情・反発・信頼・恐怖」の中からその時のスワの心情として最も適当なものを選ぶもので、私は反発を選びました。ですが合っているのかが不安です。

本来なら自分の力でやるものですが、何度本文を読み直してもいまいち良く解りません。

最初の問題は解説付きでお答え頂けると嬉しいです。
二問目も答えが違うのなら解説つきでお答え頂けると嬉しいです。

宜しくお願いします。(vv;)

Aベストアンサー

1.スワは、どのような事をきっかけに思い出したのですか?

学生が滝壷に落ちる事故を目撃したこと、ではないかと思います。
滝壺に引き込まれる様子が強く記憶に残っており、その関連で、水の中の大蛇という物語を思い出した。

2.何故スワは父親の問いに何も答えなかったのでしょうか?

「反発」で合っていると思います。
滝がささやく「八郎やあ、三郎やあ、八郎やあ」という声の真偽を確かめようとしていたのに、父親が現れることによって、それを中断されて腹が立ったから。
「このタイミングで、そんなこと聞くな」といった感情。

Q芥川龍之介『芋粥』 どう解釈しますか?

これ↓です。
  http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/55_14824.html

少々、長いので、あらすじ↓
 http://novelu.com/imogayu/

 
 ちなみに、芋粥とは、
>芋粥とは山の芋を中に切込んで、それを甘葛の汁で煮た、粥の事を云ふのである。当時はこれが、無上の佳味として、上は万乗の君の食膳にさへ、上せられた。従つて、吾五位の如き人間の口へは、年に一度、臨時の客の折にしか、はいらない。その時でさへ、飲めるのは僅に喉を沾すに足る程の少量である。そこで芋粥を飽きる程飲んで見たいと云ふ事が、久しい前から、彼の唯一の欲望になつてゐた。

Aベストアンサー

ささやかな夢だったことが、実現したのはよいのですが、
それがこれでもかという規模でくると、夢の実現を生きがいに
してきた身にとって、逆に失望へと繋がる人生の感じ方だと
思っていました。
芥川龍之介の短編は示唆に富んでいて難しいです。
トロッコ等にもそういうものを感じます。

Q羅生門とエゴイズム

 学校で羅生門を読みました。いろいろ調べていると、羅生門は、「人間のエゴイズムを描いている」と書いてありました。
 でも、人間のエゴイズムって何なんでしょうか?
 辞書では「利己主義」と書いてあったのですが、そのまま、「人間の利己主義を描いている」と書くと、意味不明になりました。
 ちなみに、僕なりの羅生門の解釈をしてみると、「大正(羅生門のかかれた時代)の民衆の文化が発達して、平安末期のような生活は少なくなっている。豊かな生活ができるようになったからこそ、自分を失わないためにも、しっかり自分を持つことが大切である。だからこそ、平安末期に老婆の言葉によって行動を起こした下人を描き、大正の今と対比して、民衆に警告している。羅生門は、現在の人々への芥川からの警鐘である。」
 うーん、かっこいい言葉を並べすぎて、自分で赤面してしまいますが、この考えについてどう思われますか?
 意見、または解釈の誤解があると思うので、皆さんの意見を教えてください。

Aベストアンサー

とてもとても主体的に作品を読んでいらっしゃいますね。
文学作品は読者が自由に解釈して楽しむものですから、
この方はなんてしっかりしているんだろう、と大変頼もしい印象を受けました。
さて「解釈」というのは、見たり聞いたりしたものに対する説明で、自分の心をフル稼働して言葉にしたものを、他人に「どうだ」と聞いてもらうこと。
そしてその相手とのやりとりの中で自分の(そして相手の)解釈を深めていくということ。
・・・という考え方を私は持っておりまして、
早速質問コーナーに入らせてください。(笑

■「平安末期」と「大正の今」の何を対比しているか分からない■
 これは非常におもしろいところに気づかれたな~と思いました。
ただここには「文化」や「生活」と言葉を挙げられたのみで、具体的に何を対比しているのかが分かりません。
「平安末期の民衆の生活=質素で貧しい」「大正時代はそれに比べて物が豊か」という物的な面だけでなく、人間の心・精神面においても対比しておられるのでしょうか?

■「自分を失わない」「自分を持つ」において、「自分」とは何を意味するのか分からない■
 死人の毛を抜く老婆を目撃して、一瞬正義感のようなものを覚えた下人が、
(「悪に対する反感」「何の未練もなく、饑死を選んだ事であろう」「悪を憎む心」など)、
老婆の話を聞いた後、「きっと、そうか」「己もそうしなければ、饑死をする体なのだ」と老婆の着物をはぐという正反対とも見える行動の変化がありますね。
ここまで揺れ動いた行動を通してみて、下人の「自分」というのはいったいどういうものなのか、あなたのお考えを詳しく伺ってみたく思います。
「下人の心」を解くところから「人間のエゴイズム」という問いに対する答えが見えてくるかもしれません。

■芥川が民衆に何を警告しているのかが述べられていない■
警告・警鐘というのは「気をつけろよ、危ないぞ」ということですが、
大正時代の人々にとって、何が危険なのだと芥川は考えていたのでしょうか。

もしよろしければ、上の3つの点について、jm4cvpさんのお考え・解釈をお聞かせくださいな。

とてもとても主体的に作品を読んでいらっしゃいますね。
文学作品は読者が自由に解釈して楽しむものですから、
この方はなんてしっかりしているんだろう、と大変頼もしい印象を受けました。
さて「解釈」というのは、見たり聞いたりしたものに対する説明で、自分の心をフル稼働して言葉にしたものを、他人に「どうだ」と聞いてもらうこと。
そしてその相手とのやりとりの中で自分の(そして相手の)解釈を深めていくということ。
・・・という考え方を私は持っておりまして、
早速質問コーナーに入らせてく...続きを読む

Q九州大学大学院入試について教えてください

こんにちは
私は今年大学院受験を考えてる大学4年生です
九州大学大学院工学府機械系専攻修士課程への進学を考えています
私は九大生ではなく外部の学生なので,自分なりにできることのすべてを尽くして、過去問が内部の学生にも非公開なので、過去の試験問題の記録や九州大学の学部講義で使っている教科書などを手に入れて一年間勉強してきました
院試まであと3か月となって、もっと何かやらなくちゃいけないんじゃないかと不安です

もちろん私は、九大にただ行きたいというわけではなく、大学院でやりたいことがあるからなのですが、
今皆さんにお聞きしたいのは院試の対策のことでして、実際九大大学院に在学中の方や卒業された方の院試の勉強のしかたや、勉強に使用した本、科目別の必修項目など、九大院試にかかわることでしたらどんな些細なことでもかまいませんので,よろしくお願いします

Aベストアンサー

こんにちは.
私は現在九州大大学院の機械系修士1年の者です.院試については昨年受けたので色々な知識がありますが,全部は書けないので簡単に説明します.
まず,ご存知かもしれませんが九大の機械系は非常に厳しいのが現状です.希望者の割に定員が増えないからです.昨年は学内の受験者は4分の1が落ちました.学外から受けた人での合格者は1割以下です.しかし,力があれば大丈夫です.1年も勉強していれば大丈夫でしょう.
学内の人間と学外の人間を差別することはないと思います.ほとんどの科目は過去問はあまり当てになりません.ただ,機械工作法と機械設計法という科目は少し内容がマニアックらしく学外者はここで苦戦するようです.だから,この2科目に関しては,できれば友達の九大生に頼んで資料を集めて勉強したほうがいいでしょう.
そのほかには英語と数学が配点が2倍なのでがんばってください.しかし,英語は長文読解のみなのでそんなに難しくないでしょう.
あとどうしても九大!というなら総理工の機械系も併願することをお勧めします.

Q専攻とは

よく大学での専攻は?などと言いますよね。
この専攻って何の事なのでしょうか?

学科の事ですか、ゼミの事ですか、それとも特別の研究室のような所での研究の事ですか。

もし、学科の事だとしたら、細かく学科に分かれておらず、学部だけしかない規模の小さな大学の場合はどうなるのでしょうか。

また、研究室の事だとしたら、研究室に入っていない学生は専攻なしということになるのでしょうか。

Aベストアンサー

普通、「専攻」と言ったら、卒論で自分が扱う分野、卒論がないのなら、それに代わりゼミ研究などで自分が扱っている分野のことです。

たとえば「私は文学部の日本文学科で、紫式部を専攻しています」のように使います。そこまで細かく説明することを要求されているわけではないなら、「文学部で日本文学を専攻してます」って言い方もアリです。

また大学によっては、「○○科」の変わりに「○○専攻コース」などを設けている場合もあります。この場合、○○の部分を自分の専攻であると言ってしまっても差し支えありません。

まあ、そんなに厳密な言葉でもないので、神経質になることはないですよ。自分が主に勉強している(したいと思っている)分野、という程度の意味です。

Q面白い近代文学作品・作家を教えてください

来年度、卒論でひとり作家を選び、その作家の作品について様々な研究をします。
しかし…日本文学を専攻しているのに、近代文学ってつまらないような気がして今までほとんど読んだことがありません!なので、どの作家を選んでいいのか困っています。
おもしろい作品に出逢えたらいいな、と思うので、おすすめがあればぜひ教えてください。

Aベストアンサー

 どの辺りから、近代文学に分類されるのかが分からない程度のものです、はじめまして。
私も日本文学が苦手です。内輪のことをぐだぐだ言っていて、スピード感がないのがまずいやですね。でも、梶井基次郎の「檸檬」はいいです。ものすごく短い作品ですがキレが違います。「闇の絵巻」なども気に入ってます。対象から距離をとっていたくせに、一瞬間合いが縮まる感じが巧いと思います。
 それから、坂口安吾もひねくれた感じで、バサバサ斬ってて気分爽快です。「堕落論」。


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