最近、なかなか大編成のモーツァルトやベートーヴェンを聴けなくなりました。作曲家が存命していた当時の楽器編成の演奏やら、原典版の楽譜による演奏やらが、主流になっています。それが正しいクラシックのあり方だというような風潮もあります。
昔はもう少しおおらかにクラシック音楽が聴かれていたと思います。指揮者は自分で楽譜を改変していました。演奏に効果が上がるように、付け加えたり、長い繰り返しは削除したり、結構、楽譜をいじっていました。ストコフスキーのように、完全に自分の音楽にしてしまった指揮者もいます。作曲者自身も自分の曲を何度も使ったり、割と自由にやっていたと思います。ところが、原典こそ最高、全てで、改変は許さん!みたいな雰囲気がこのところ(かなり前からですが)続いています。それって皆さんどう思いますか?楽譜通りに演奏しないのは作曲者に対する冒涜ですかね?楽譜というのは骨組みであって、そこに肉を付けるのは演奏者だと思いますが?

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A 回答 (5件)

ちょっと乗り遅れてしまった感がありますが、一席に加えさせていただいてもよろしいでしょうか。


いや~、やはり「同じことを思っていらっしゃる方がいた!」と非常にうれしく思いました!
ホントにそうですよね!なんでそこまで「ピリオド奏法」だの「ノン・ヴィブラート」にこだわんなきゃならないんでしょうか?
あまりにもこれらの演奏がもてはやされているのが気になります。じゃあ、かつての偉大な巨匠たちの演奏法や解釈は間違っていたのでしょうか?クナパッーツブッシュ、クレンペラー、チュリビダッケのような「遅~い演奏がたまらん!」というファンもいらっしゃいますし、ベートーヴェンの交響曲のありえないテンポ設定を、現在のような解釈で演奏することは受け入れられないことなのでしょうか?

確かに歴史的考証として、当時の演奏法を忠実に再現するという試みは、一理論でありえると思います。
ですが、それがすべての作曲家の作品に当てはまったり、演奏スタイルとして優先されるものではないと思います。
「ノン・ヴィブラートから聴こえるピュア・サウンド」なんてキャッチコピーを見かけますが、その演奏によるサウンドでなければ今まで美しく、繊細な響きは実現されていなかったのでしょうか。決してそうではないですよね。
EDISON1207さんと同じく、私もこれらの演奏には「もの足りなさ」を感じてしまいます。(テクニックはすごいと思いますが)

いろいろ聴いてみた感じとしては、これらの演奏が許容されるのは、モーツァルトまでではないかと私は思います。
ベートーヴェン以降のロマン派や近代作品にはふさわしくないように感じますね。
また、演奏団体の編成についても、「ピリオド奏法」や「ノン・ヴィブラート」が適当なのは、室内アンサンブルや50人以下の室内管弦楽団であって、100人規模のオーケストラでこれらの演奏を行っても意味がないように思えます。

「オーケストラで演奏する」ということは、奏でられる音に「厚み」や「響き」を持たせるためだと私は思います。
ベートーヴェンやブラームスの交響曲にこれらが欠けていて、どうなるのでしょうか。「ドイツ的響き」とはまさに音に「厚み」や「響き」を感じることですよね。
主音と内声、高音や低音の層が幾重にも重なって、弦楽と管楽のハーモニーが繰り広げられる。これこそがオーケストラを聴く醍醐味じゃないですか!
もちろん、録音などでは「音響」に手を加えることも可能です。あたかも「ムジーク・フェエラザイン」で演奏しているような着色をすることも出来てしまう訳ですが、それを見極めることはリスナーである我々の一つの鍛練だと思いますし、着色されているかどうかの判断も何となく
できますしね。

また作曲家の作品は「素材」であって、それをどう表現するかは指揮者や演奏家の手腕の見せ所だと思うんです。だから、演奏者が「曲の素晴らしさ」や「良い演奏」のために、楽譜の数か所を変更するなんてことは許容しても良いのではないでしょうか?
それが良いか悪いかは「聴き手」や後世の人たちの判断にまかせてしまっていいと思うんです。
実際にある部分を演奏するにあたって、楽譜通りには演奏出来なかったり、「ここはこうだと思うんだけど」どう演奏すれば良いのか具体的に楽譜に書かれていないことだってあるわけで、それはもう演奏家が独自で解釈するしかないわけですから。
それにモーツァルト、メンデルスゾーン、ワーグナー、マーラー、シェーンベルグだって他の作曲家の曲を勝手に編曲してますしね。
でも実際にベートーヴェンやチャイコフスキーの曲を、大幅にいじくってやろうなどどいう無謀な考えの人間が出るとは思えませんが。
(協奏曲のカデンツァは別として)

また「ノン・ヴィブラート」による演奏は、余計な音響を加えないというスタイルですよね。例えるならば、松坂牛のステーキをどんどん薄切りにしていって、バラ肉のような薄さになって、「さあ、これが本来の素材の味ですよ」と言われているような気がしませんか?
確かにそれ自体「充分おいしい」にしても、やはり厚切りのお肉を食べたいですよね!
今後、古典作品の演奏スタイルが「原典主義」へさらに傾いて行くのかどうかわかりませんが、それを受け入れるかどうかの最終的な判断は、我々「聴き手」に委ねられているのかもしれません。個人的には今までの解釈での演奏スタイルが主流を占めてもらえるとうれしいのですけど。
以上が私の考えです。
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この回答へのお礼

有難う御座います。アーノンクールがもはや古楽器の分野の特別な演奏家ではなく、普通にモダン楽器のオーケストラに影響を与えています。ラトルのベートーヴェンがそうですし、アバドがBPOと録音した全集は以前、VPOと演奏した全集とは違うものになっています。それは、円熟して解釈が変わったというのではなく、楽譜が違う、古楽器の演奏を取り入れている、といった大幅に変わったものでした。今、昔風の演奏をしているのは、バレンボイムでしょうか?やはり、クラシック音楽にも流行があるのだなあと、つくづく思ってしまいます。

お礼日時:2009/05/17 19:09

原典こそ最高、全てで、改変は許さん!・・・という考えも確かにある事はあるでしょうが、それとは視点を変えてみて個人的にふと感じた事を。



かつてのドイツ一辺倒だった日本人のクラシック観も、ようやく徐々に視野を広げ(とはいっても、このカテゴリなんかを見る限りではまだまだな気はしますが)、近年の日本では近現代以降の音楽も親しまれるようになりましたよね。
大編成が本領と言えば、やはり近現代以降の音楽。色彩感豊かなオーケストレーションを駆使した音楽はやはり近現代には叶わないので、それとの差別化として「それ以前のクラシカルな音楽はなるべく当時の編成の再現で」という流れが生まれたのではないかと思いますね。つまり、「わざわざ昔の曲で近現代の音を出そうとしなくても、大編成の重厚なサウンドを生かした管弦楽の名曲は今となっては他にたくさんあるから」という事ではないでしょうか。
以上、考えられる要因の1つとして・・。
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この回答へのお礼

そうですね。確かにドイツ一辺倒ではないですね。クラシック音楽も昔は、ドイツ、ロシア、フランス辺りが多かったですね。今は、多種多様な国になっています。やはり、流行というのがクラシックの世界にもあるのですね。CDになって、少量多品種の生産が可能になって、LP時代以上に曲のジャンルが増え、マイナーなものも聴けるようになりました。有難いことです。古典派の音楽は小編成にして録音し、活路を見出しているのでしょうか?

お礼日時:2009/05/16 16:07

>おおらかにクラシック音楽が聴かれていた


おおらかというのが原曲に対して安易に自分の好みを付け加えたり改変したりするのを許す風潮、と言う意味にお考えなら私は「おおらか」には麻薬が隠されていて自壊作用を引き起こしかねないと思うので全面的な賛成を致しませんし、それが許されていたとも思えません。

>原典こそ最高、全てで、改変は許さん!みたいな
ご質問者さんのその表現は妥当ではなくて極端な言い方ではないでしょうか。「原典版の楽譜による演奏」に限定して述べれば、あえてご質問者の言葉を言い換えるなら「原典はその作者の全てを表す。彼が到達した芸術はそのまま尊重しなければ彼の芸術ではなくなり、収拾がつかなくなる。後世の人を混乱させる企ては控えるべきである」となるでしょうか。

私は音楽演奏愛好家ですが、原曲が面白くないと感じる時はその場限りですが自分でアレンジして楽譜を作ります。しかしその楽譜が他の人に渡る可能性を考えて、アレンジである事とアレンジャーとしての署名をしなければならないと思っています。然し一方高名な作曲家の作品を改変した例で、なるほどと思えるものに出会った事はありません。ところでこんな素人のちょっとした演奏ではなく、名のあるプロがCDに演奏を残す時、楽譜をもし全面改訂するなら改訂した旨を記載出来ますが、部分的な変更の場合は楽譜として伝えるのでない以上取り立てて変更を加えた者の名も改変した部分の小節番号などもCDには記載しません。だからこそもしそれがあるならば危険だと思います。カデンツやバロックの通奏低音など歴史的にも工夫が許されて来ていて作曲家もそれを承知しているのものなら兎も角、多くの演奏家が「感じた」結果として出来上がるかもしれない多数の「面白くないので改変した」を許すのは考えものではないでしょうか。それは極論だと思われるかもしれませんが、そのうちのあるものは許しあるものは駄目だというならその線引きはとても難しくなります。そんな私の立場から見るとストコフスキ-はある種の奇形と思います。

>楽譜というのは骨組みであって、そこに肉を付けるのは演奏者だと思いますが?
このご意見には全面的に賛成致します。というか、それがなければ音楽は芸術にはなれず、誰も音楽に注意を払わないだろうとさえ思えます。

しかしだからといってそのご意見の前提になった
>楽譜通りに演奏しないのは作曲者に対する冒涜ですかね?
についてはちょっと待ってと言いたいです。
「楽譜どおり」の意味が、音符の改変を指すなら作曲者に対する失礼になります。
また、音符の改変ではなくて表現の工夫という事ならそれは別問題で、演奏者の芸術性の範疇です。

ちょっと場面を変えてみます。
貴方が作曲家だったとして、全く新しい和声の動きを考え付いたとします。 貴方がその和声の動きを表現したい為に、それへ至る長い準備の譜面を書き、それを収束させる後半を作曲したとします。
ところがそれが刺激的過ぎるので今の聴衆の好みではないと考えた演奏者が耳あたりの良い音に改変したとします。そのような演奏者を作曲家である貴方は「おおらかに」容認出来るでしょうか。これは極端な例かも知れませんが、ある改変について誰が良い悪いの正しい判定者であり得るでしょうか。それが定かでないとすれば改変しないまま後世に伝えるのが正しい事ではないかと思うのです。

次に楽譜の改変でなく楽器編成や人数、楽器そのものの変更について;
これは「音楽する場所の変遷」に関わっています。
小さい空間(宮廷の広間など)で演奏されるのが常であった時と巨大空間で演奏されるのが普通の現在では様相が異なります。小さい空間で演奏されるのが暗黙の了解であった時代に作曲されたものを現在の巨大ホールで演奏しながらも当時そのままの楽器と編成で演奏するならそれはおかしな事で、その構成に相応しい空間が必要です。しかし録音盤を家庭で再生する事を前提とするならば、当時の状況を再現する、という姿勢のCDがあってもそれは買う側の「選択肢」の問題です。そんな響きを気に入れば買えば良いし、そうでなければそのような演奏者の録音盤を買わないというだけの事ではないでしょうか。

私はそんな懐古趣味が現在の音楽の主流になっている、という程には感じておりません。作曲された時代の響きの通りに演奏するのが唯一正しいあり方だとも思わず、それは録音盤購入者の好みの問題に過ぎないと思っています。現に音楽の現場では懐古趣味はごく少数派ではないでしょうか。

結局、ご質問者さんのご意見にはある部分で賛成、他の部分で違和感を覚えます。
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この回答へのお礼

明晰な分析をしていただき感謝しております。有難う御座いました。色々な解釈でクラシック音楽が聴けるということは、ある意味幸せなことですが、かつてのベームが演奏していた頃の、モーツァルトが最近聴けなくなってきたなあ?と思ったからです。やはり、クラシック音楽にも新しいタイプと、古いタイプというのがあって、楽譜も最新版を使って演奏したものが、新しいスタイルのクラシックとなるのでしょうか?
演奏家も大変ですね?

お礼日時:2009/05/16 16:01

ほぼ同意します。


原典に忠実な再現というのは博物館に飾っておくには必要なことでしょうけど,
音を楽しむのであれば,無理にこだわりすぎる必要はないと思いますけどね。
私たち聴衆は研究者ではないし,演奏家のほとんどもアーティストではあっても研究者ではないわけですから。

それに,原典に忠実に再現したところで,作曲がなされた当時には存在しなかった音楽を我々はすでに経験してしまっているので,当時の聴衆が得たのと同じ感動を得ることはどうやっても無理なのですから,こだわりすぎるのもどうかなと思います。

自分が演奏する立場ならいろいろ実践することができますが,聴くだけの人なのでどうにもはがゆいですね。
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この回答へのお礼

有難う御座います。今は、色々な演奏スタイルを楽しめて、いい時代だと思います。ただ、モーツァルトもベートーヴェンも軽い演奏が多くなってきているようで、気になったもので質問してみました。あのベーム/BPOが演奏したようなモーツァルトは、現在ではなかなか聴けませんね。バッハのクラヴィア曲が全てチェンバロで演奏されては、チョット詰まらないと思います。ピアノのふくよかな音でも聴きたいですね。

お礼日時:2009/05/16 15:53

まあ、ある種のブームかなという気はしますね。



私も以前はブリュッヘンとかガーディナーが指揮したオーケストラを好んで聴いて
いた時期がありました。当時の楽器を使って、演奏方法もその時代に合わせると
言うのも時代考証的な面ではいいのかも知れませんが、それが唯一絶対だと言う
のもおかしな話で、作曲家が当時の楽器に不満が無かったのかといえば無かった
とも言えないですし、個人的には軽い演奏よりも、ベートーヴェンなどでは重いほう
が合っている気はしますね。精神性とか、・・・。

現代ではいろいろな演奏スタイルが聴けて、そのぶん豊かになったということです
かね。わたしも当時の響きには飽きて来たので、またゆり戻しがあるかもしれません。
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この回答へのお礼

クラシック音楽というのも、ある程度流行(ブーム)というのがありますね?SPの時代には、家庭で聴く音楽は短い曲が多く、演奏家もSPに合わせて編曲したりしていたようですね。LPになり、ステレオになり、ホルストの「惑星」のようなスペクタクルな曲が持て囃されるようになりました。私も、オーディオを通して、春の祭典などのオーディオ的な曲を聞き始めました。CDになると、マーラーやブルックナーなどの長い曲が多く出てきました。クラシック音楽も移り変わっていくものだと、つくづく思いました。有難う御座います。

お礼日時:2009/05/16 15:44

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もちろん,彼らが作曲した曲もあります。
武満徹さん,廣瀬量平さんなど,たくさんいらっしゃいます。
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http://www.hmv.co.jp/product/detail/595351

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こんにちは!ピアノが好きで趣味で弾いてます。
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個人的に校訂者の手が加えられてない、作曲家の一番忠実な楽譜を原典版と理解しています。何故二つ存在するかが疑問です。是非お教えください。

Aベストアンサー

校訂者の手が加えられていないと言いましたね?それは間違いです。手を加えられていないのは、作曲者の自筆譜です。いくらなんでもそのままでは弾けませんね?だから、「それを見て演奏できる」最低限の形にするために校訂者が必要なのです。その校訂を、余計な解釈を入れずに、最小限に抑えたものを原典版と言います。対して、校訂者の解釈によって演奏や研究に助言を与えたものを解釈版と呼びます。これは自分で解釈をするのが困難な初歩の学習者や、原典版を使っていても、一つの解釈を参考にしたいときなどに使用します。

しかし、作曲者も人間なので、書き間違えや、曖昧な部分(スラーをどこまで伸ばすか、等)がありますし、何回も書き直したりします。また、何をもって最小限にするかも人によって違います。
つまり校訂者によって楽譜が変わるのは、特にバロックや古典派など時代がさかのぼるほど当然のことなのです。

原点版は2つどころか、それ以上、曲によっては、バッハのインヴェンションや、ベートーヴェンのソナタは何十とか、かなり存在すると言われています。有名どころでは、ベーレンライター原典版がありますね(青い表紙の)。時代によって原典の考え方も違うし、また曲について新しい研究や発見がなされれば、楽譜も新しくなるのは当然でしょう。

よって、同じヘンレ原典版でも、重版されるごとに少しずつ変わっています。楽譜の最終ページに書いてあるアルファベットを見てください。

つまり、厳密な意味で「作曲者に忠実」という楽譜は存在しません。原典版とは、「それが忠実であると推測される、と校訂者が勝手に思っている」楽譜のことです。

しかも、ベーレンライター版には運指がついていません。運指は多くの場合、作曲者が書いたわけではないので、校訂者が不要と感じれば、より正確な原典版を作るために省かれます。しかしそれでは演奏しにくい。よって、原典版でも、多くは校訂者によって運指が書かれます。よって、演奏譜には、正確な原典版は存在しないといえます。

一応、お勧めをあげますと、バッハはウィーン原典版、ベートーヴェンはヘンレ、モーツァルトはウィーンでしょう。ベーレンライター版は演奏にはお勧めできません。

校訂者の手が加えられていないと言いましたね?それは間違いです。手を加えられていないのは、作曲者の自筆譜です。いくらなんでもそのままでは弾けませんね?だから、「それを見て演奏できる」最低限の形にするために校訂者が必要なのです。その校訂を、余計な解釈を入れずに、最小限に抑えたものを原典版と言います。対して、校訂者の解釈によって演奏や研究に助言を与えたものを解釈版と呼びます。これは自分で解釈をするのが困難な初歩の学習者や、原典版を使っていても、一つの解釈を参考にしたいときなどに使...続きを読む

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こんばんは。
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私のお勧めは吉井亜彦です。彼は幅広い知識を暖かいハートで包んでいるようです。
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ご質問を見て,私は聞いたことがあるような気がして調べてみました。
でも,2本の指揮棒を持つ理由など詳しいことは何も記憶になく,
聞いたことがあるような気がしているだけかもしれないとも思いながら調べてみると
下記のようなものが出てきました。
内容は私の「聞いたことがあるような気がする」という古い話とは別の最近の話題です。

文が長いので「2本」でページ内を検索してください。
指揮棒が2本というのが2箇所出てきます。
9月9日と9月8日(2000年)の話題です。
http://www.fan.hi-ho.ne.jp/kuniharu/renshu01.html

広上淳一氏プロフィール
http://www.jichi.ac.jp/usr/gakuyu/orchestra/ioke2005/conductor.htm

参考URL:http://www.fan.hi-ho.ne.jp/kuniharu/renshu01.html

>ふと思ったのですが・・・
というのは,どこかでそんな話を聞いたことがあるような記憶があったせいではないでしょうか。
ご質問を見て,私は聞いたことがあるような気がして調べてみました。
でも,2本の指揮棒を持つ理由など詳しいことは何も記憶になく,
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下記のようなものが出てきました。
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クラシック音楽の本を探しています。
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はじめまして。
ご希望のサイズの本ではありませんが、私も通勤電車の中で読んでとても面白かった本があるので、紹介させていただきます。

音楽之友社から出ている池辺晋一郎氏の「音符たち」シリーズです(A5判ソフトカバー)。
これまで、
  「バッハの音符たち」
  「モーツァルトの音符たち」
  「ブラームスの音符たち」
  「シューベルトの音符たち」
  「ベートーヴェンの音符たち」
が出版されています。
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ご存じの通り、チャイコフスキーより前のバレエ音楽は単なる踊りの伴奏としてしかありませんでした。また、バレエは元々オペラの中で息抜き的に挿入されるものでした。モーツァルトやヴェルディのオペラの中にもバレエが挿入されていますが、プッチーニの辺りから排除されるようになってしまいました。ですから、オペラや純音楽に比べると、どうしても芸術的価値が低いものと見なされがちです。(オペレッタとミュージカルの間くらいの価値感か。)
実際としても、チャイコフスキーの三大バレエやストラヴィンスキー、ドリーブ:コッペリア、モーツァルト:レ・プティリアン、アダン:ジゼル、プロコフィエフの一部作品を除いては個人的には殆ど音楽的には価値はないと思っています。ご指摘のように海賊やラ・バヤデール等のバレエ音楽は、バレエのみに関心がある人でないと、あなたのように音楽をも重要視する人たちにはつまらない芸術性の低い作品とみなされるでしょう。あの単なる伴奏的音楽を指揮したいと思いますか?音楽CDもほとんどありませんよね。
 さらにバレエ芸術の価値を下げているのは、ご指摘の通り観客の芸術鑑賞をするという意識の低さ、言い換えればレベルの低さです。特に日本やアメリカでは演奏中に口笛を吹いたり、ダンサーが登場しただけで拍手をしたりします。芸術鑑賞においてはかなり煩わしい、まるで発表会か学芸会のノリです。ワーグナーのオペラ、パルジファルは初演時には全幕拍手の禁止でしたし、今でもウィーンやバイロイトでは第1幕後の拍手は禁止されています。
 一流の指揮者があえてバレエを指揮しようとは思わないし、バレエ団としても一流の指揮者をあえて呼び主役を奪われるのは本望ではありません。ですから、残念ですが共演は難しいのだと思います。

専門外、及び全般的バレエ音楽の芸術的価値の低さがあると思います。
ご存じの通り、チャイコフスキーより前のバレエ音楽は単なる踊りの伴奏としてしかありませんでした。また、バレエは元々オペラの中で息抜き的に挿入されるものでした。モーツァルトやヴェルディのオペラの中にもバレエが挿入されていますが、プッチーニの辺りから排除されるようになってしまいました。ですから、オペラや純音楽に比べると、どうしても芸術的価値が低いものと見なされがちです。(オペレッタとミュージカルの間くらいの価値感か...続きを読む


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