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養神館合気道の故・塩田剛三氏について質問なのですが、
どうして塩田氏は合気会から独立してしまったのですか?

また、開祖・植芝盛平氏に対して批判的な意見を述べていたそうですが、
具体的に何で(著書やビデオなど)述べていたのかわかりますか?
著書・合気道人生では批判的な意見は全く述べられておらず、
むしろ植芝氏の神業を絶賛していたのですが…

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A 回答 (4件)

>塩田氏が開祖と不仲になったために独立したのかと思っていたのですが、


>独立は二代目になってからだったのですね。

いいえ、独立は昭和30年ですから開祖逝去前です。(開祖逝去は昭和44年) 言葉足らずのところがあり申し訳ありませんでした。戦後、合気会本部の中心的指導は藤平先生でしたが、吉祥丸氏は度々そうした発言をしていたようです。一部指導することはやっていたそうですが、もともとは会社勤めをしていて合気道とは距離を置いていたそうです。「定時に会社に行き、定時に帰ってくる生活が理想」と述べていた方です。しかし、やはり時には植芝家として発言することもありました。そして二代目を継承した時に態度が一変してしまった。それは表向きの顔とはまた異なっています。

また塩田先生が開祖と不仲になったというのも少し違うと思います。独立後に合気会で催しがあった際に塩田先生は出席されていますが、遠慮して端のほうにいたところ、開祖から「こっちにいらっしゃい」と言われ、集合写真も開祖のすぐ近くに座っています。開祖は塩田先生の力量を認めていたのだと思いますし、塩田先生があちこちで植芝道場の宣伝をしていたことも知っていたと思います。塩田先生も道場の中心に植芝先生の写真を掲げていました。

塩田先生より早く、既に昭和6年に戦前の弟子の望月稔先生が静岡に道場を開いていますが、この時は植芝先生自ら道場開きに出席されています。ですから必ずしも弟子が道場を開くことに反対というわけではなかったようです。(望月先生は植芝先生より大東流の巻物を贈られ、養子縁組の話ももちかけられた)

合気道史について詳しくお知りになりたいのなら、「合気ニュース」のバックナンバーを読まれることをおすすめします。合気ニュースは合気道と大東流の専門の季刊誌で、合気道史研究家のスタンレー・プラニン氏が編集していました。合気道、大東流各派の名だたる先生方のインタヴューから構成された雑誌でしたが、単に発言をそのまま載せるだけでなく、事情通のプラニン氏の編集、解説が生きていて、非常に分かりやすい誌面になっています。現在、合気ニュースは、季刊誌「道(どう)」という名称に変わり合気道以外の武道、武術の記事も含まれた内容になっていますが、今でも合気ニュースのバックナンバーは大書店に置いてあるところがありますし、またネットでの購入、国会図書館での閲覧も可能です。

私がNO.3において述べたことも合気ニュースに掲載されてきた記事内容と矛盾していないと思います。特にNO.3の冒頭部分は、合気ニュースのインタヴューにおいて塩田先生が発言したものです。合気道諸先生方のインタヴューは「植芝盛平と合気道」(合気ニュース)に収められていますが、旧版では詳しいところが割愛されています。「決定版 植芝盛平と合気道」(I、IIとも)のほうが核心部分に触れた内容になっています。

特に、合気ニュースにおいて藤平光一先生のインタヴューを載せることは最大のタブーであったようです。合気会の主たる先生方の取材インタヴューの掲載があらかた終わった後に記事にされていました。

ご参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

塩田氏の独立の経緯だけでなく、望月氏や藤平氏のことまで
詳しく説明してくれてありがとうございます。

塩田氏を始め、藤平氏、望月氏など、名だたる高弟たちはほとんどが独立してしまっているので
どうしてそうなってしまったのか疑問だったのでとても参考になりました。

>また塩田先生が開祖と不仲になったというのも少し違うと思います。独立後に合気会で催しがあった際に塩田先生は出席されていますが、遠慮して端のほうにいたところ、開祖から「こっちにいらっしゃい」と言われ、集合写真も開祖のすぐ近くに座っています。開祖は塩田先生の力量を認めていたのだと思いますし、塩田先生があちこちで植芝道場の宣伝をしていたことも知っていたと思います。塩田先生も道場の中心に植芝先生の写真を掲げていました。
そういえば養神館には開祖の写真が飾られていますね。
独立した後に書かれた著書でも開祖を褒め称えていますし、
不仲というわけではなかったのですね。

望月氏が養子縁組の話まで持ちかけられていたというのは知りませんでした。
元々望月氏は講道館出身ですし(もっとも、高弟は全員講道館出身ですが…)、
独立して当然なのかなと思っていたのですが、
道場開きにも開祖は出席されて、しかも養子縁組まで持ちかけられていたのですね。

>合気ニュースにおいて藤平光一先生のインタヴューを載せることは最大のタブーであったようです。合気会の主たる先生方の取材インタヴューの掲載があらかた終わった後に記事にされていました。
藤平氏が二代目だけでなく、開祖からも冷遇されていたのは知っていましたが、
インタビューすらタブーだったとは知りませんでした。
藤平氏の説明する合気道はとてもわかりやすく、
呼吸法や鍛錬の間違いまで実体験を交えて惜しみなく説明してくれていたので
とても参考になりましたし、尊敬していただけに残念でなりません。

何度も詳しく説明してくれてありがとうございます。
とても参考になりました。
合気ニュースは購読しようかどうか迷っていたのですが、
これを機に買って読んでみようと思います。

お礼日時:2009/05/20 09:54

養神館設立の経緯については、「決定版 植芝盛平と合気道 I 」(合気ニュース)の塩田先生のインタヴュー部分や、「合気道修行」(竹内書店新社)に詳しく書いてあります。



合気会側の著した合気道史には書いてありませんが、敢えて書くことにします。終戦後、植芝盛平先生は戦犯G号に引っかかり(原文ママ、G級戦犯のこと)、合気会の財団法人は取り消されました。これは植芝先生が京都の武徳会の顧問を務めていたからです。合気会本部は進駐軍のダンスホールになり、塩田先生の言葉を借りれば、植芝道場は一度潰れました。(「決定版 植芝盛平と合気道 I 」より)

植芝先生はGHQの追及を逃れるために茨城県岩間町に隠棲します。この間、植芝先生は弟子の赤沢善三郎先生に習わせた鹿島新当流を基に合気剣を完成させます。弟子たちは少しずつ岩間に集まり、塩田先生も家族を連れてしばらく滞在し合気道修行に打ち込みました。

昭和26年、塩田先生は岩間の合気神社で九段を印可されます。(一部のネットの情報では36年とされているが、26年が正しい)

しかし、塩田先生は生活のために合気道を離れ会社勤めを余儀なくされました。これは合気会の植芝吉祥丸氏も同じです。吉祥丸氏は後に合気会二代目道主を継ぎますが、開祖逝去まで証券会社に勤務していました。

その後、塩田先生は日本鋼管で合気道指導を依頼され、更には83箇所もの警察署での巡回指導を開始します。合気道の何たるかを知らない者達を納得させるために指導の際に演武を必ず行ったが受けを取ってくれる弟子もおらず、自由に攻撃してくる当地の柔道家、空手家たちを実際に倒して見せるしかなかったそうです。

昭和29年、ライフ・エクステンション(長寿会)が主催した「日本総合古武道大会」での演武が最優秀賞を受賞したことで政財界から注目され、昭和30年、支援を受け養神館を設立します。

「反逆児のように言われるが、警察、防衛庁を開拓して回ったのは自分だ」「常に植芝道場の宣伝をした」そうです。知名度が低く、戦後活動も停滞していた合気会本部に代わって、塩田先生は合気道普及のために体を張って邁進していました。

独立の要因としては無論先生本人の意思はあったと思いますが、当時弟子の中では最高段位の九段を印可されたこと、戦前、塩田先生の実父は植芝道場の有力な支援者であったため特別待遇を受けていたこと、戦前、戦後の植芝先生の技が変わってしまったこと、自身の指導理念が生まれたこと、そして合気会は植芝家が継ぐものという考えがあったからだと思います。

塩田先生の合気道が戦後の合気会で受け入れられたか、逆に疑問です。指導はやはり植芝先生、植芝家が中心です。戦前とは違い植芝先生の動きはより柔らかい円の動きになりましたが、大変失礼ながら植芝先生の年齢的なものもあったと思います。塩田先生は「戦前と戦後の植芝先生の動きは全然違う。私は先生が一番すごかった50代の時の弟子だ。」と述べています。

また指導法についても以下のように発言しています。
「植芝先生の教え方は現在の指導方法とずいぶん違っていました。その日稽古する技を、まず先生がやってみせるのですが、ただ手本の動きを見せてくれるだけで、言葉による説明はまったくないのです。なにをどうやれというふうには、けっして教えてくれません。」「これでは本当に素質のある人しか、先生の武道の本質を身につけることができません。植芝道場においては、できる人はできるのですが、できない人はまったくできないという状態でした。」

「昔の武道はそれでよかったのです。しかし、今は時代も変わって、多くの人たちにもっとわかりやすい形で合気道を学んでいただかなくてはなりません。」「集団を相手に教える以上、誰もがきちんと正しい理合を覚えられるような指導をしなくてはならないと感じたのです。」(「合気道修行」より)

これは批判とは少し違うと思います。また塩田先生は合理的な集団指導をする柔道出身であったことや、他に戦時中、戦地で合気道を指導した経験も影響していたと思います。そして、こういった考えを持った塩田先生が合気会本部で自由に指導することができたのか、自身の指導理念を実現できたのかというと、できなかったと思います。

合気会本部も藤平光一先生がハワイ、アメリカでの指導を開始し、合気道は逆輸入の形で認知されていきます。「合気道を通じて心を教えたいと願い稽古に励んだ。ところがあの時代は、食べるだけで精いっぱいで、気だの、心だのと言ったところでなかなか耳を貸してくれない。」

「当時の日本人は、私がいくら気について語っても、決して言うことを聞こうとしてくれなかった。それは国民の意識がすっかり海外へと向かってしまっていたからである。国産品は見向きもされず外国製品であれば、どんなものでもありがたがる時代だった。」「ならば、私がアメリカに行き、そこで合気道の心や気を広めてしまったらどうなるだろう?アメリカで認められたものならと、日本人ももう一度目を向けてくれるようになるに違いない。」(「中村天風と植芝盛平 気の確立」東洋経済新報社) 当時は藤平先生の海外からの送金で本部道場の修復をやっと行っていた状態でした。

塩田先生、藤平先生の活躍で国内外の合気道人口は増えたと言っていいと思います。また合気会内の指導体系を作り上げ、技を公開したのも藤平先生が最初でした。ハワイでの技の公開に対して、植芝先生が教え過ぎだと立腹した程です。批判の矢面に立ったのは藤平先生です。(「中村天風と植芝盛平 気の確立」)

精神的な教えについても、植芝先生は難解な宗教的、神道的なことを述べるばかりで一般の者たちにはなかなか理解できなかったそうですが、代わって自身が修行した禅や禊を基にわかりやすく述べたり「気」について解説したのも藤平先生でした。実は合気会内では今でも藤平先生の精神的な教えが生きています。吉祥丸氏は繰り返しますがサラリーマン生活を主として送っていて後継者の意識も希薄でした。

二代目道主は藤平先生にという声がある中で、藤平先生自らニ代目に吉祥丸氏を推挙し実現させました。しかし吉祥丸氏は変わってしまったといいます。

吉祥丸氏は塩田先生、藤平先生を批判していました。塩田先生の独立については「話が違う」と言って憤ったと伝えられ、藤平先生は冷遇され結果的に組織から出る形になりました。しかし独立は、両先生の能力、独創性が傑出していたため仕方がないことだったのかもしれません。

最後に塩田先生の言葉をもう一度記しておきます。
「私が修行中に考えていたことはただひとつ、いつか植芝先生をブン投げてやる、ということでした。不遜な考えだと皆さんにお叱りを受けるかもしれません。しかし、私が先生に恨みなどなかったことはもちろんですし、何度も言うようですが、今でも先生を尊敬しています。」

「しかし、先生が偉大だからこそ、あえてその高い山に全身全霊をかけて挑み、乗り越える価値があると思うのです。」

「武道における師弟関係は、ただ弟子が師匠を敬うだけではいけないと思います。実際に師匠と闘うかどうかという問題ではないにしろ、師匠を乗り越えること、つまり師匠に勝てるように修行を積むことが弟子の務めだと言っていいでしょう。逆にそういう気持ちがないと武道は極められないのです。」(「合気道修行」)
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この回答へのお礼

塩田氏が開祖と不仲になったために独立したのかと思っていたのですが、
独立は二代目になってからだったのですね。

また、九段の印可を受けたのは26年と、かなり早かったのですね。

塩田氏だけでなく、藤平氏のことまで説明してくれてありがとうございます。
とても参考になりました。

お礼日時:2009/05/19 11:15

合気会は一般への公開に伴い危険技を禁止するようになってきました。


そのため、開祖の技が伝授されないことを危惧して何人かの弟子が開祖の教えを
継承したいと思っていたようです。
その時、開祖から唯一独立の許可がでたのは塩田先生だったようです。
そこで、継承を考えていた人と養神館を立ち上げたと聞いています。
それに、元々開祖は弟子に対して言葉での教えをしたことがないと言われています。
道場に来てめぼしい人を見つけるとひたすら技を掛けるだけだったと、かつての弟子の一人が自伝で紹介していました。
その中で、ある弟子があまりにも何の教えがないので開祖に尋ねたら、
「合気道技は手取り足取り教えてしまうと凝り固まった物になり個性がなくなってしまうので、
自分なりの技を試行錯誤しながら磨く物で私があなた達の発想を阻害したくないからだ。」と言われたそうです。
それを聞いた人は感動し自ら率先して稽古をすようになったと自伝の中に書いてありました。
その証拠に、同じ合気会系道場でも師範によって同じ技が全く異なる事もあります。
その他で聞いて所では、教えるのが面倒だとも言ったとか言わないとか。不確かですので悪しからず。
私見ですが、明治の男子は頑固であまり口に出さないのが美徳とした時代背景もあるのかなと思います。
塩田先生はその中で一人毎日金魚の動きを観察し開祖とは異なった合気道を築き上げ、
認めざるおえないことも事実だったようです。
晩年の開祖は、「塩田以上の人物にはもう会えないだろう。」と言っていたそうです。
批判については恐らく開祖ではなく二代目道主に対してではないかと思われます。
二代目道主は一般に公開するに当たり、様々な改革をしたのでかなりの弟子から批判を受けたようです。
でも、そのお陰で私も合気道を習うことが出来ていることは事実です。
そのため一時的に養神館との交流がなくなったようですが、現在は盛んに交流をしています。
裏話は何かの雑誌か本やTVの特集で見ましたので、どこまで事実かは私も分かりません。
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この回答へのお礼

>批判については恐らく開祖ではなく二代目道主に対してではないかと思われます。
>二代目道主は一般に公開するに当たり、様々な改革をしたのでかなりの弟子から批判を受けたようです。

なるほど。
そういえば藤平氏ら他の高弟達も二代目になってから独立してしまいましたね。
回答ありがとうございます。

お礼日時:2009/05/17 13:33

私は合気道協会ですが、富木先生もやはり植芝先生に対しては賛美しかありませんし、実際直接指導を受けた人に聞いてもそれ以外出てきません。


確かに自分なりの武道精神が出来上がれば、弟子は師匠のコピーじゃないのですから意見も持つでしょうし、様々ないきさつで独立したのでしょうが、だからと言って師を尊敬しないと言う事はないでしょう。

非難したり卑下するのは、精神的に未熟な後世の者だけだと考えた方がいいです。様々ないきさつを誠しやかに述べるのも同じです。
ご本人、或いは近い者が直接記したものを信じるほかないです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2009/05/17 13:17

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Q養神館と合気道SAの特徴

 養神館系の合気道を始めたいと思っているのですが、合気道SAも候補に入っています。よく言われる実戦性、護身術としての有用性といった観点から本家養神館とSAの特徴を教えてください。
 どちらかに属している人の意見を特に希望します。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

自分は合気道SAを習ってるんですが普段の練習は型練習が
中心でそれを元に組手稽古を行っています。
よく、殴るの禁止とか担ぎ技禁止だから実践性が疑わしい
といわれてますが、顔面OKとか柔道的な投げ有りになると合気道である必要がなくなってしまいますからね。
あくまで合気道の延長線での組手稽古ですから。
まあ、妥当な線じゃないかと思ってます。
組手稽古をすることによって技の入り方、変化の仕方
といった練習は実践的だと思いますが、型稽古をサボると
正しい動きが出来なくなって変な癖がついてしまうという
可能性もあるかもしれません。

Q合気道で一番強くなれる道場(流派)は?

こんにちは。
よろしくお願いします。

合気道を本格的にやりたいのですが、いろいろな流派あって悩んでいます。
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できれば埼玉周辺希望です。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

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似て異なるものかと思います。

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合気会が一番メジャーな流派であり、シェアは5割を
越えると思います。
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しかし、これは個々の道場及び指導者によって、かなり
異なります。
合気会系の道場でも、養神館を越える実戦的な稽古を
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それで、判断されたら如何でしょうか・・・。

では。

Q合気道は使い物にならない・・・・?

東京・若松河○駅にある、
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(ちなみに、
私は格闘技の種類にはこだわらず、
結構色々やり(トータルで格闘歴4年くらいです)、
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研究してる最中であり、
その為に合気道を始めたのですが、
『あんな約束稽古ではどうにもならない』と感じたのですが・・・・・・・
皆さんはどうお考えですか?

Aベストアンサー

NO.3です。
すみません。大手とあったので養神館かと思いました。
本当に合気道を実践で使いたいのでしたら、毎日後方受け身連続100回、体の変更一のみ最低一時間合気道から離れるまで継続するべきですね。体の変更一が「あんな…」になっているなら即、辞めるべきです。資格はありません。

師範に足の親指一本のみで倒してもらった方が早そうですね。
私は空手もやっていますが空手より合気道は難しいものです。それを選択しようとした質問者様は凄いと思いました。始める動機も何でもいいんです。ただ稽古に対する心構えだけは許せません。
読むより稽古も実践です。見るよりあなたの身体を使って理解してみてください。空手より身体に多数のあざや血も出ます。基本の稽古でそれくらい練習していますか?初心者が、すりむいたり、関節技であざをつくるのは当然です。

興味があるなら、今の道場に物足りないなら養神館本部へ。
(どこの道場でも稽古は稽古、その考えがおかしいですが納得いかないなら道場巡りしてみては?)
喧嘩で使いたいから技をかけて欲しいと師範に土下座する勇気も喧嘩には必用でしょう。師範でなくても私クラスの誰かが技を一本かけてくれるかもしれませんね。恐らく簡単に倒せるでしょう。それが合気道です。私は九段の師範に遊びで技をかけられて初めて恐ろしい!!と実感しましたよ。

1.体の変更(一)
2.座り技両手持ち呼吸法(四)
3.肩持ち三ヶ条抑え(二)
4.指定技
5.指定技
6.指定技
7.指定技
8.終末動作(一)
9.終末動作(二)
10.指定自由技
11.指定自由技
12.三人取り自由技(木剣、短刀、徒手)
(弐段受験者は二人取り短刀、徒手)


指  定  技
 片手持ち四方投げ(一)(二)
 両手持ち四方投げ(一)(二)
 横面打ち四方投げ(一)(二)
 正面打ち四方投げ
 半身半立ち片手持ち四方投げ(一)(二)
 半身半立ち両手持ち四方投げ
※正面打ち一ケ条抑え(一)(二)
※横面打ち一ケ条抑え(一)(二)
※片手持ち一ケ条抑え(一)(二)
※肘持ち一ケ条抑え(一)(二)
※胸持ち一ケ条抑え(一)(二)
※肩持ち一ケ条抑え(一)(二)
 後技両手持ち一ケ条抑え(一)(二)
 後技片手襟持ち一ケ条抑え(一)(二)
 後技両肘持ち一ケ条抑え(一)(二)
 後技両肩持ち一ケ条抑え(一)(二)
 後技襟持ち一ケ条抑え(一)(二)
※片手持ち二ケ条抑え(一)(二)
※片手綾持ち二ケ条抑え(一)(二)
※肘持ち二ケ条抑え(一)(二)
※肩持ち二ケ条抑え(一)(二)
※胸持ち二ケ条抑え(一)(二)
※正面打ち二ケ条抑え(一)(二)
※横面打ち二ケ条抑え(一)(二)
※正面打ち三ケ条抑え(一)(二)
※横面打ち三ケ条抑え(一)(二)
※片手持ち三ケ条抑え(一)(二)
※両手持ち三ケ条抑え(一)(二)
※肘持ち三ケ条抑え(一)(二)
※肩持ち三ケ条抑え(一)(二)
 後技両手持ち三ケ条抑え(一)(二)
 後技片手襟持ち三ケ条抑え(一)(二)
 後技両肘持ち三ケ条抑え(一)(二)
 後技両肩持ち三ヶ条抑え(一)(二)
※正面打ち四ケ条抑え(一)(二)
※横面打ち四ケ条抑え(一)(二)
※片手持ち四ケ条抑え(一)(二)
※両手持ち四ケ条抑え(一)(二)
※肘持ち四ケ条抑え(一)(二)
※肩持ち四ケ条抑え(一)(二)
※片手持ち側面入身投げ(一)(二)
※肩持ち側面入身投げ(一)(二)
※正面打ち側面入身投げ(一)(二)
※横面打ち側面入身投げ(一)(二)
 後技両手持ち側面入身投げ(一)(二)
 後技両肘持ち側面入身投げ(一)
 後技両肩持ち側面入身投げ(一)(二)
※正面打ち正面入身投げ(一)(二)
※横面打ち正面入身投げ(一)(二)
※片手持ち正面入身投げ(一)(二)
※両手持ち正面入身投げ(一)(二)
※正面打ち肘締め(一)(二)
※横面打ち肘締め(一)(二)
※片手持ち肘締め(一)(二)
※胸持ち肘締め(一)(二)
※肩持ち肘締め(一)(二)
 後技両手持ち肘締め(一)(二)
※正面打ち肘当て呼吸投げ(一)(二)
※横面打ち肘当て呼吸投げ(一)(二)
※正面突き肘当て呼吸投げ(一)(二)
※片手持ち肘当て呼吸投げ(一)(二)
※両手持ち肘当て呼吸投げ(一)(二)
 後技両手持ち肘当て呼吸投げ(一)(二)
※正面打ち小手返し(一)(二)
※横面打ち小手返し(一)(二)
※正面突き小手返し(一)(二)
※片手持ち小手返し(一)(二)
※両手持ち小手返し(一)(二)
 後技両手持ち小手返し(一)(二)
※両手持ち天地投げ(一)(二)
 正面打ち呼吸投げ
 横面打ち呼吸投げ
 片手持ち呼吸投げ
 両手持ち呼吸投げ
 正面突き呼吸投げ
 座り技両手持ち呼吸法(一)(二)(三)(四)
 (※印は座り技も含む)

指 定 自 由 技
正面打ち自由技
横面打ち自由技
片手持ち自由技
両手持ち自由技
正面突き自由技
肩持ち自由技
正面横面打ち自由技
後技両手持ち自由技
後技両肘持ち自由技
後技両肩持ち自由技
短刀取り自由技
剣取り自由技

↑全部簡単にこなせなければ黒帯になれません。簡単に倒せるようになるには更に修行が必須。最低ここまでやって判断してくださいね。

合気道は短刀取りという自由技もあります。相手が短刀対持った場合の技です。空手には無い、柔道にもない、特に男性の弱い箇所を上手に使って技をかけるので意外と質問者様には合っているかもしれませんよ。
女性は関節が柔らかいので技の効き目から比較すると男性の方が合気道の技に弱いですし。

※基本の技は合気道に限らず家でもできます。もちろん練習されてまいすよね。だったら昇級も昇段もその上もあなたに限らず目指せます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%88%E6%B0%97%E9%81%93
まずは合気道とは。心構えて道場へ。無にならなければ簡単に見えるこの投げ技もただのお遊び。もの凄い威力を感じたことがまだ無いのでしょう。ぜひ続けて見た目は地味な合気道の威力を身体で感じてください。

NO.3です。
すみません。大手とあったので養神館かと思いました。
本当に合気道を実践で使いたいのでしたら、毎日後方受け身連続100回、体の変更一のみ最低一時間合気道から離れるまで継続するべきですね。体の変更一が「あんな…」になっているなら即、辞めるべきです。資格はありません。

師範に足の親指一本のみで倒してもらった方が早そうですね。
私は空手もやっていますが空手より合気道は難しいものです。それを選択しようとした質問者様は凄いと思いました。始める動機も何でもいいんです。ただ稽...続きを読む

Q合気会VS養神館VS大東流

ごめんなさい、タイトルはハッタです。要は合気と名がつく(私が知っている)武道・武術の流派である合気会、養神館、大東流の特徴を教えていただきたいだけです。
特徴とは実用性、技の技術、普及度、そして仙台市内にある各道場の数を指します。最後だけかなり個人的ですが、お暇なときでかまいませんので、おねがいいたします。全部回答されなくても結構です。

Aベストアンサー

合気会のことはそちらで学ばれている方にお譲りします。養神館は多分、合気会よりも稽古体系が統一されていると思います。道場によって、基本技、基本動作などに大きな違いはありません。とはいえ、塩田先生が亡くなられて早10年。継承された先生方それぞれの認識により、技が少しずつ違ってきているようです。どの先生も塩田先生がやっていた通りだとおっしゃるのですが…。
10年で技術が固まるか?--内弟子ならともかく、一般稽古生では難しいのではないでしょうか。八百長ではなく、本当に崩したり、投げたりできる先輩は20年、30年選手のなかでもごく限られた数人に過ぎません。でも、数人居れば、十分にすごいと私は思いますが…。

Q大東流合気柔術光道について

大東流合気柔術光道について質問です。

他流(大東流の)と比べて光道はどういう内容ですか??


京都に住んでいるのですが、教えてください。

Aベストアンサー

合気にもいろんな定義があり、質問者様の考える合気が
俺の合気の概念と同じかどうかわかりませんが、
もし、たとえば六方会の岡本先生が行われていた、
小さな動きで触れた瞬間倒す合気技(触れ合気、体之合気)を
指すのでしたら、合気系を選ばれるのがいいと思います。

柔術系でもそうした合気技を行う先生もいますが、合気系に比べて
やはり技の数が多くないと思います。

逆に、きっちりと柔術、固め技、大きな投げ技をやりたい場合は
柔術系に行かれるのがいいと思います。

柔術系、合気系には重複する部分も結構ありますが
やはり垣根のようなものがあると感じます。

ある柔術系の師範と話した時にも、はっきりと
合気系の技はできないと言われたことがありました。
その方は柔術のレベルは高い方でしたが、触れ合気、体之合気は
あまり知らないようでした。(まったく知らないわけではありませんでしたが)
というのは大東流の武田惣角は弟子の力量、体格によって教える技を
変えたからです。ですから道場、派によって技が違います。

柔術、合気、武器、全てにわたって通じていたのは、武田惣角に
長年師事した佐川幸義先生だけでした。

もし、質問者様が合気道、少林寺、他の古流などを修行されていて
投げ技、関節技を既に習われているのでしたら
合気系に進まれてもよいかと思います。

また、初心者の方が護身として一から学びたいのでしたら
柔術系をおすすめします。
その上で合気技をやりたいのなら、合気系に移られるのがいいと思います。

合気にもいろんな定義があり、質問者様の考える合気が
俺の合気の概念と同じかどうかわかりませんが、
もし、たとえば六方会の岡本先生が行われていた、
小さな動きで触れた瞬間倒す合気技(触れ合気、体之合気)を
指すのでしたら、合気系を選ばれるのがいいと思います。

柔術系でもそうした合気技を行う先生もいますが、合気系に比べて
やはり技の数が多くないと思います。

逆に、きっちりと柔術、固め技、大きな投げ技をやりたい場合は
柔術系に行かれるのがいいと思います。

柔術系、合気系に...続きを読む

Q合気道(心身統一合氣道会)

 大学で合気道(心身統一合氣道)をしているものです。

 まだ未熟者なのですが合気道の技についてもっと深く理解したいと思い、日ごろの稽古の補完的なものとして、本やホームページを探しています。しかし、合気会に関する本やホームページならたくさんあるのですが心身統一合氣道会に関するものはなかなか見つかりません。知っている方がいらっしゃいましたら教えていただけないでしょうか?

 よろしくお願いします。

Aベストアンサー

アマゾンなどで藤平光一先生の本を検索するといくつか
出てきますけど、技の解説ではなく、自伝や精神的なものばかりです。

それでよければ、おすすめは
『気の威力』講談社 ←自伝的なもの。修行話。
『中村天風と植芝盛平 氣の確立』東洋経済新報 ←藤平先生の二人の師の話が興味深い。

です。この2冊を読めば藤平先生の合気道の精神的根幹が
よく理解できると思いますよ。2冊とも安い文庫版も出てます。

20年位前だったら、心身統一合気道の技術書も大書店で見かけましたが、
最近はあまり見かけません。もし本部に問い合わせてもわからなければ
古書店やネットで探すしかないと思います。

自分の記憶では藤平先生の写真が表紙のものが一冊(50年位前に出版、
タイトルは『合気道』だったと思います)と
丸山先生がモデルになったものが一冊(こっちは英語版もあったかな?
タイトルは『心身統一合気道』だったような・・・)
合計二冊しか技術書は出ていないはずです。
両方見たことありますけど、書店で見たのは2冊目のほうです。
技術的にも2冊目のほうが新しいだけにわかりやすかったような気がします。

本部に問い合わせてみてください。あと図書館にもあるかも
しれませんね。地理的に可能なら国会図書館は確実ですよ。

ただ、やっぱり本もいいですけど、先生、先輩の教えに耳を傾けるのが
一番わかりやすいですよ。本を実際に見た者として断言します。
(俺は結局買わなかったし・・・)
わからないと迷いながらも続けて、ひたすら反復練習するのが
近道であることも忘れないで下さいね。

アマゾンなどで藤平光一先生の本を検索するといくつか
出てきますけど、技の解説ではなく、自伝や精神的なものばかりです。

それでよければ、おすすめは
『気の威力』講談社 ←自伝的なもの。修行話。
『中村天風と植芝盛平 氣の確立』東洋経済新報 ←藤平先生の二人の師の話が興味深い。

です。この2冊を読めば藤平先生の合気道の精神的根幹が
よく理解できると思いますよ。2冊とも安い文庫版も出てます。

20年位前だったら、心身統一合気道の技術書も大書店で見かけましたが、
最近はあまり見...続きを読む

Q大東流合気柔術の佐川道場について

この春、中学2年生になる息子に大東流合気柔術を習わせようと思っています。

どうせ習わせるなら最高のものをと思い、佐川道場のことを調べているのですが、この道場は現在では弟子をとっていないのでしょうか。

もし、何か情報をお持ちでしたら教えていただけると幸甚です。

Aベストアンサー

まず水を差すような文章を書いてしまったことを深くお詫びいたします。
私も大変懸念していました。

多田先生は合気会の中でも実力者として知られています。演武を何度か拝見する機会もありました。道場の稽古の話もいろいろ聞いています。

津本陽先生は実際に佐川道場に行き、佐川先生の技を見た上で小説を書かれています。そして、生前の佐川先生の技量は確かに突出したものだったと思います。大東流は合気道にはない深遠な技法も多く、素晴らしい流儀であることも認めます。

ですが、これは大東流のみならず古武道全般に言えることですが、ほとんどの道場が型稽古です。右手で手首を持ちなさい、左拳で腹を突いてきなさい、そう指示して攻撃させてそれに対して技をかける、また、攻撃のスタイルも刀社会を想定したもので手首をつかむ技が多い。もちろん現在の合気道の稽古もこの点では同じです。

大東流の武田惣角先生も、朝日新聞記者の取材を受けた時に、その記者にたいして、腕をつかめ、拳で突いて来い、首を絞めろと指示して、自分のやりやすい攻撃に限定させていました。自由に攻撃してきなさいとは言わなかった。(昭和5年「世を避けた今卜伝」)

ですから、惣角先生が巡回指導で浦和警察署の警察官に大東流を教えた時に警察官が言われたとおりの持ち方をせず、途中で手を離してしまって逃げてしまい、惣角先生の技がかからなかったことがありました。この警察官は柔道をやっていました。(「透明な力」より) 

また、惣角先生が東京の植芝道場に顔を出したときに、植芝盛平先生の弟子の湯川勉に稽古つけてくださいと懇願され、逆に惣角先生が瞬時に投げ飛ばされた話もあります。湯川は柔道の実力と怪力で知られていました。この話は植芝先生の高弟、藤平光一先生の著書「中村天風 植芝盛平 気の確立」に収められています。信じられないかもしれませんがあり得る話です。合気は微妙なタイミング、角度がずれるとかかりませんし、柔道は毎回乱取りという実践的な稽古をしています。

惣角先生は数人の土工に取り囲まれ乱闘になった際に、何人か刀で斬って応戦するも背中につるはしをぶち込まれて倒れ瀕死の重傷を負っています。

私は惣角先生の真に評価すべきは一対一の剣だったと思っています。

合気系で本当に「好きにかかってきなさい」と言って、相手に自由に攻撃させ、それを鮮やかに投げ飛ばしていたのは、合気道の植芝盛平先生と塩田剛三先生だけです。また藤平光一先生もハワイでレスラー、柔道家を投げ飛ばしていました。

塩田先生、藤平先生ができたのは、師である植芝先生ができたからです。目の前でやってみせたからです。植芝先生は柔道家、剣道家、空手家、ボクサーを退けていました。

塩田先生も公の場で柔道家、空手家、進駐軍の兵士の「自由な攻撃」を捌いて投げ飛ばしています。

戦前の植芝道場は海軍出身者が多く、気の荒い柔道や相撲の猛者たちがいました。それらの人たちを感服させていたのですから、植芝先生の実力は凄かったと思います。

はっきり言って、こうしたことができた大東流の先生はいませんでした。
今もいないと思います。
武勇伝?らしきものを読んでも、聞いても、みな、ここをつかんでみろ、こう打って来いと言って攻撃させています。(もしくは自由に投げたと言っても素人だったりします)仮に、「自由に突いて来い」とだけ言ったとします。でも狙ってくるのはたいてい顔か腹です。飛んでくるのは左右の拳のどちらかで限定、予測しやすいです。自由に攻撃してきなさいとは決して言わない。

そして、いざ相手がすばやく攻撃してきた時には、実際こちらも単純な動きの技しか出ません。合気道は大東流に比べたら基本動作が多くシンプルな動きかもしれません。ですが、実はそれで必要充分であり、その基本動作の中に極意が内在していると言えます。しかも足を動かす体裁きとともに同じ基本技を何度も反復練習します。繰り返しますが、一つの技の深さが違います。

加えて、合気道の演武会では高段者がたびたび他人数を相手にした技を見せます。これは見る側にもとても良い稽古になると思います。

むろん現在の合気道にもいろいろ問題があります。反省すべき点もあります。植芝先生、塩田先生レベルの人がいるのか?というと肯くことは出来ません。ただ養神館は戦前の植芝先生、塩田先生の気迫が技とともに伝えられていると思います。そして護身レベルで戦える指導者、修行者がいます。

実際の戦いにおいて一番大事なのは胆力、精神力です。合気系でそうしたものが最も養えるのは養神館だと思います。これはいろいろ見た結果はっきりと断言できます。精神力が無ければ、暴力を前にして、段も賞状も、修行した複雑な技法も吹っ飛んでしまいます。

本当はここまでは言いたくありませんが、知っている実際のところの話をしましょう。

大東流のある先生の道場では、その先生は確かに巧妙な技を教え、弟子も真似するけれど、手首を持たれた時の技ばかりで、しかも毎回違う技を行う。また技が本当にかかっているのか確認作業を一切しない。普通、これは効く?と聞き合いながら技をかけたり、多少抵抗しあったりして上達していくのですが、そこでは、後輩は先輩にすんなり形通りに投げられるだけで、会話もあまりないし、抵抗し合ったり、それでは効かないよというアドバイスも無い。だから、何年もやっている、袴をはいている有段者の技がまったく効かないことがある。

ですから、たまに、空気を読めない?入門したての白帯が思いっきり手首を握ると、有段者が動けず対処できないシーンも見受けられるほどです。

また手首を持たれた時の技ばかりやってるので、もし相手に自由に攻撃されたら、たとえば仮に街中で喧嘩慣れした者に顔を殴られたとしたら全く対処できないでしょう。

そして、なんとその道場は出席回数で段級を決めています。先生の審査がまったく無いんです。有段者の技が乱れていても先生は一切注意しない。技は見せるが注意しません。技は見せるが本当は教えていない。黒帯はそれぞれクセが出てきて我流に走ってしまっている者が多い。先生は白帯には時たま教え、また先輩も入門したての者にやり方を教えるので、合気道などの経験のある白帯のほうがかえって技のフォームが正確だったりします。(合気のレベルは別として) その先生は本やビデオを出して技を公開している有名な方です。

私は修行者から内情を教えてもらいましたし、実際に見学に行ったこともあります。

また、ある大東流の道場では、先生が私服で椅子に座ってばかりでまったく教える気が無かった。その先生の技は非常に素晴らしいと絶賛されていたが実際はどれだけ強いのか、武道、格闘技通の中には懐疑的に見る者もいました。弟子につかませたり、組ませたり、顔を突かせて技をかけていましたが、全て先生の指示通りの限定的な攻撃です。確かに限定的な攻撃には非常に強かった。弟子、初心者相手の限定的な攻撃に対しては「達人」だったと言えるでしょう。特に手首を持たせた状態から投げる合気上げに関しては第一級だったと思います。

柔道家を投げた話も伝わっていますが、しかし道場や講習会でのことであり、相手の柔道家がどれだけ本気を出していたか?先生、弟子を前に本気を出せる雰囲気があったのか?またもしくは大東流の指導を受けている延長で投げられたのか?その柔道家のレベルは?どの柔道家に対しても出来るのか?本当に自由に攻撃してきても出来るのか?よくわからずはなはだ疑問です。確かなのは弟子相手の限定的な攻撃に対処する話ばかりだったということです。

晩年、一部の弟子たちに技を伝えたがその先生の技の全伝ではなかった。本人曰く「せいぜい半分くらい」だそうです。メディアに出ている姿とは違い実際は口の汚い、他流、他派批判の強い人であったので、弟子たちもそれを真似して、現在の道場の雰囲気もはっきり言ってあまりよくありません。弟子たち同士もそれほど仲がよくない。陰でのいがみ合いもあると聞きます。また辞めた弟子にたいしても批判を繰り返しています。「道」がないからです。

先生の没後、ある空手家が入門し現在も修行中ですが、先生の後継者を自負する弟子の先生は非常に高慢な人で「あの空手家も合気にはかなわない」という趣旨の発言をしています。もちろん、その空手家は指示通り手首を持って、形通りに投げられているだけです。もし空手家が自由に攻撃したらその弟子は一撃で倒されるでしょう。この発言だけで、その人の心技のレベルがわかります。実際に戦ったことが無いから空想でものを言うのだと思います。

座取りの合気上げ、座って手首をつかませてそれを投げる技ばかりやらせるので、ここでも、いきなり自由に攻撃されて対処できる道場生はほとんどいません。(いたとするなら他流経験者です) 弟子たちの中に純粋に大東流のみで護身レベルで戦える人がいるのか疑問です。その先生については本が出ています。道場には私の知人が通っていました。

この二つの道場では「技を保存している」レベルです。使えるレベルの人はほとんどいないと思います。使えるようになるには、質量共に工夫しなくてはいけません。しかし、そのことにも気付いていないし、やり方も知らない。先達が凄かったから自分達も凄い、そう思い込んでいます。

もちろん他の大東流道場が全てそうだとは言いません。また技法も本来たいへん素晴らしいものです。もし他流で一度使えるレベルになった人が習えば、自分なりに大東流の技法を融合させて使えるレベルにすることもできると思います。

しかし最初は合気道をやったほうがいいと思います。大東流関係者の中には、合気道をやるとクセが抜けないという人もいますがそうは思いません。技法、理合が違うのだからはじめは仕方がありません。

合気道で培ったものは武だけでなく社会全般にわたって生きると思います。
そう言った意味でもおすすめしたいです。

まず水を差すような文章を書いてしまったことを深くお詫びいたします。
私も大変懸念していました。

多田先生は合気会の中でも実力者として知られています。演武を何度か拝見する機会もありました。道場の稽古の話もいろいろ聞いています。

津本陽先生は実際に佐川道場に行き、佐川先生の技を見た上で小説を書かれています。そして、生前の佐川先生の技量は確かに突出したものだったと思います。大東流は合気道にはない深遠な技法も多く、素晴らしい流儀であることも認めます。

ですが、これは大東流の...続きを読む

Q戸隠流忍術って強いのか

忍術というと何か胡散臭いのでFBIが使うほど強いのか信じれません。UFCでも負けたそうですし…
初見良昭さんはいろいろな格闘技などをされてたそうなので初見さんが勝手に創っただけだと思うのですがどうですか?

Aベストアンサー

忍術を武闘技術と勘違いしていませんか?
たぶん甲賀や伊賀が戦乱の世に戦闘の中で翻弄されたことやテレビドラマの見すぎだと思います。
FBIだって全職員が武闘の達人ではありません。

忍者はスパイ活動の基本であり、基本は如何にバレないか、情報を収集するか、或いは狭い中で如何に最小限の動きで身を守るかです。
忍術の武闘は相手をやっつける事ではなく、生き延びることに尽きます。でなければ手に入れた情報を届けることも出来ないでしょ。相手をやっつける意味などそこにはないのです。
だから相手をやっつけるような試合に出ること自体、忍術を理解していないということです。

それに各地の忍者はそれぞれの特徴がありますから、中には伊賀のように武芸に秀でている者もいるし、風魔のように薬物に秀でている連中もいます。
甲賀や伊賀がやがて武将としての道をたどりますが、戸隠は修験道から山岳地域でのゲリラ戦や情報収集を主としています。それが平安末期、木曽義仲が敗れた後に伊賀に入って武闘技術を会得したのです。しかしその後も基本的には修験道を基本とする情報収集集団なので、正面切って戦うことなどほとんど想定していません。

初見さんは忍術というものが認められていない時代から様々な文献を研究し、明らかにしてきた人ではあります。
そういう意味では戸隠流に留まらず、忍術一般を研究しているといえるでしょう。そしてその基盤として戸隠流を復活させたのかもしれませんが、忍者番組などを監修している間に、本来の戸隠流とは異なるものになっているようです。
さらにイベントとしては忍術や武術を見せる以外に客寄せは難しいですからそちらに力を注いだことは無理からぬことだと思います。
FBIもその辺に注目したのでしょうが、武術だけを考えれば日本には様々な古武道がありますから、現代ではそちらを取り入れるほうがいいとは思います。

さらに軍隊や警察が合気道や柔術を取り入れ、そこから格闘技や逮捕術を作り出したように、FBIも忍術だけで格闘をするわけではありません。しかしかつて合気道や柔術が軍や警察に技を教授した事を大げさに宣伝したように、初見さんもFBIに教授したことを殊更に言っているだけだと思います。

つまり初見さんの戸隠流と称するものは純粋な戸隠流かというと(修験道が薄れている)違う気もしますし、身を守るだけの忍者の武術が、目潰しや太刀が使えるならともかくも、スオーツとしての格闘技に勝てるはずもないのです。

忍術を武闘技術と勘違いしていませんか?
たぶん甲賀や伊賀が戦乱の世に戦闘の中で翻弄されたことやテレビドラマの見すぎだと思います。
FBIだって全職員が武闘の達人ではありません。

忍者はスパイ活動の基本であり、基本は如何にバレないか、情報を収集するか、或いは狭い中で如何に最小限の動きで身を守るかです。
忍術の武闘は相手をやっつける事ではなく、生き延びることに尽きます。でなければ手に入れた情報を届けることも出来ないでしょ。相手をやっつける意味などそこにはないのです。
だから相手を...続きを読む

Q現代剣道が武士の時代の剣術に通用するか?

剣道、剣術、居合にお詳しい方、質問宜しくお願い致します。前々から思ってたことなのですが、剣道の試合などを見ていると先に打ち込んだ方が一本をとる様ですが、その際、相打ち気味になるケースが多いと思われ、一本を取れなかった方も結果として相手に打ちこんでいるので結果的には、武士の時代となると完全にかわすか受けなければこちらも致命傷を負いかねない状態となります。そういった時代の剣術と現在の剣道の技術レベルにかなりな差異がある思われるのですが、いかがなものでしょうか?

Aベストアンサー

1.本来の剣道とは、剣術の奥儀であり、実際の立ち会い・いくさにおいて、「相手に一切ふれさせず一方的に斬り伏せて勝つすべ」またはそのすべを訓練する稽古(剣道・竹刀稽古)を言います。

これが剣術の極意です。
いくさでも水・味噌・ほしいいがつきないかぎり、何か月でも、斬り続けられます。

2.剣道の発祥は神道流=新當流(新当流)=影流=直心影流です。

文字による歴史というのは、そもそも、ウソを付くためのシステムですので、文字による歴史など信じてはいけません、
直伝直伝で伝えられてきた技・身体文化をこそ信じるべきです。

3.現代剣道の形骸化は、北辰一刀流などの悪影響と、大東亜戦争敗戦後のアメリカ合衆国による武術・武道禁止政策によるものです。

戦前の剣道と現代剣道はまったく異なります。
昭和の御代の剣道と平成の御代の剣道もまったく異なるようです。
どうやら戦前の剣道を習い育った昭和の世代の剣道剣士の先生方々が、お教えにならなかったようです。

ですが現代剣道をなさっている方が直心影流をお始めになると、0の状態から三年かかるところまで、半年で到達出来ます。

つまり、形骸化はしていても、剣道はやはり素晴らしいものをのこし、伝えてきているということです。

参考URL:http://www.nicovideo.jp/watch/sm13396172

1.本来の剣道とは、剣術の奥儀であり、実際の立ち会い・いくさにおいて、「相手に一切ふれさせず一方的に斬り伏せて勝つすべ」またはそのすべを訓練する稽古(剣道・竹刀稽古)を言います。

これが剣術の極意です。
いくさでも水・味噌・ほしいいがつきないかぎり、何か月でも、斬り続けられます。

2.剣道の発祥は神道流=新當流(新当流)=影流=直心影流です。

文字による歴史というのは、そもそも、ウソを付くためのシステムですので、文字による歴史など信じてはいけません、
直伝直伝で伝えられてきた技...続きを読む


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