大豆を使った酒ってありますか?

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A 回答 (1件)

大豆焼酎 大いなる豆



呑舞(どんまい)

黒大豆焼酎「讃州黒(さんしゅうくろ)」

黒豆酒楼蘭(ローラン)

その他、第3のビールは大豆ペプチドを使っているそうです。
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2009/05/18 09:18

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大豆 黒豆」に関するQ&A: 枝豆と茶豆の違い

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Q豆のお酒

 いろいろな食品がお酒になっていますが大豆などの豆でできたお酒というのはあるのでしょうか?
 黒大豆酒というのはあるみたいなのですがそれ以外は聞いたことがないような気がします。焼酎なんかで出来そうな気がするんですけどね。

Aベストアンサー

黒大豆酒と同じように
自家製なら何でもありのようで、
検索すると
リカーを使用したコーヒー豆酒がよくヒットします。

Qインディアンとインディオの違い

インディアンとインディオの違いがわかりません。どちらもアメリカの先住民であることはわかるのですが。

Aベストアンサー

簡単に説明しますと・・・

インド人を英語で言うと、インディアン。
(イギリスが占領した領土に住んでいた人々)

インド人をスペイン語・ポルトガル語で言うと、インディオ。
(スペイン・ポルトガルが占領した領土に住んでいた人々)

コロンブスがインドを目指して、アメリカ大陸に到着したときに、インドと間違えた事からそう呼ばれました。

ただのそれだけの事です。

Q「いずれか」と「いづれか」どっちが正しい!?

教えて下さいっ!
”どちらか”と言う意味の「いずれか」のかな表記として
「いずれか」と「いづれか」のどちらが正しいのでしょう???

私は「いずれか」だと思うんですが、辞書に「いずれか・いづ--。」と書いてあり、???になってしまいました。
どちらでもいいってことでしょうか?

Aベストアンサー

「いずれか」が正しいです.
「いづれ」は「いずれ」の歴史的かな遣いですので,昔は「いづれ」が使われていましたが,現代では「いずれ」で統一することになっていますので,「いずれ」が正しいです.

QNIKEでおなじみの【JUST DO IT】とは・・・

NIKEのキャッチフレーズ?でよく聞く、

【JUST DO IT】

とは、和訳すると、どんな意味なのでしょうか?

どうぞ宜しくお願い致します☆

Aベストアンサー

アメリカに36年住んでいる者です。 私なりに書かせてくださいね。

このJust do it!はやらなくてはいけない人に向かって「グツグツいわないでやれ」と言う意味で使われ、フィーリングとしては「やれば俺は黙るから」「愚痴は聞きたくないね」「言い訳は通用しないよ」等が含まれて使われることが多いですね。

それに似て「何を躊躇しているんだよ、早くやれよ」と言うフィーリングでも使いますね。 ちょっと高いところから飛び降りない臆病者なんかに言える表現ですね。

また、準備をあれこれして「そしてやるだけさ」とか「行動に移すだけ」と言う意味合いにも使います。

さてNikeですが、私の知っているコマーシャルは野球場で4人の観衆の表情を見るだけのものと「いわくつきの物」があります。

画面が変わるたびに画面の中央にある小さな年も距離計みたいに変わります。 やるけのことさ、をこのように何年もやってきた、と言いたいのではないかなと思います。

余談が次の「いわくつき」のものです。 1990年になる前に(もうないキーをストップするものはいない」と言う時代ですね。 そのときに、アフリカの土着民に靴を見せているシーンなんですが、(マーケティングとしては、靴を履いていないから売れない、ではなく、靴を履いていないから売れる!!!と言う観念を引っ掛けていたんだと思いますが) その画面で土着民の一人が彼らの言語で何かを言います。 その字幕として、Just do itが使われたんですね。 いくつかのシーンをもちろん撮ったわけですがこのシーン自体が一番よかったのでしょう。 しかし、後になって、その土着民がしゃべってのはJust do itを彼らの言葉で言ったのではなく、これは大きすぎるよ、と言ったと言うのが事実らしかった、と言うことでその時分はかなり話題となりました。 (ネットで検索すればまだその頃のことが残っているんじゃないかな)

これでいかがでしょうか。 分かりにくい点がありましたら、補足質問してください。 

アメリカに36年住んでいる者です。 私なりに書かせてくださいね。

このJust do it!はやらなくてはいけない人に向かって「グツグツいわないでやれ」と言う意味で使われ、フィーリングとしては「やれば俺は黙るから」「愚痴は聞きたくないね」「言い訳は通用しないよ」等が含まれて使われることが多いですね。

それに似て「何を躊躇しているんだよ、早くやれよ」と言うフィーリングでも使いますね。 ちょっと高いところから飛び降りない臆病者なんかに言える表現ですね。

また、準備をあれこれして「そし...続きを読む

Q「輩(やから)」ってどういう意味ですか?

テレビやラジオで関西の芸人さんが「ヤカラや」って言ってるのを聞いたことがあるのですが

意味が分かる方、教えてください。

関西方面の言葉(大阪弁)なのでしょうか?

Aベストアンサー

大阪出身のものです.
疑問に思われたということは,一般に使われている「・・・する人たち」というような意味ではなく,いきなり一つの名詞のようにして「やから」が出てきたのではないですか?
もしそうなら,それは「やくざや不良など,理不尽な言い分を押し付ける人」という意味に使われているものです.特にやくざ限定というわけではなく,街のおっさんでも,変な因縁をつけてきたら,やからです.
また,「やかられる」(=因縁をつけられる,からまれる)などという言葉もあります.

Q肘の内側は何?

腕の関節の外側のことは”肘(ひじ)”ですが、内側の名称は何なのでしょう?同様に膝の反対側は何て言うのか知っている人教えて下さ~い。

Aベストアンサー

もともと日本語に肘の裏、膝の裏を表す言葉は無いようです。
医学用語ではそれぞれ "popliteal fossa" "cubital fossa" の訳として肘窩(ちゅうか)・膝窩(しっか)が使われますが、おそらく造語であると思います。

Qくわばらくわばらの由来

怖い時によく「くわばらくわばら」と言います。
この言葉の由来は、私の記憶では、雷のときに、遠くの桑畑(桑原)に落ち、近くに落ちるなよという願いでつぶやいた、なのですが、友人の説では、桑畑は雷が落ちにくいといわれており、ゆえにくわばらと唱えると言います。
 激しい議論の末、決着がつきませんでした。どちらが正しいのでしょうか?または違う説があるのでしょうか?教えてください。
 よく他人に不幸が訪れそうなときに、わが身に降りかかりませんようにとの意味で「くわばらくわばら」というのもまさに私の「遠くの桑原」説が正しいと思うのですが、いかがでしょうか?ちなみに私は桑畑のたくさんある地方の生まれです。

Aベストアンサー

もう一つ面白い説がありました。


 今から約450年前の1556年(弘治2年)のことです。あわて者でいたずら好きの雷の子が
いました。
 ある時、雷の子はあやまって欣勝寺の古井戸に落ちてしまいました。なんとかして外へ出ようと
しましたが、出ることができなかったので、雷の子は大声で「助けてくれー!」と叫びました。
 しかし、和尚さんはいたずらばかりする雷の子をこらしめようと、古井戸にふたをしました。す
ると、雷の子は和尚さんに「助けておくれ。桑原へは二度と雷を落とさない。」と言ったので、和
尚さんは雷の子を助けてあげました。
 雷の子は帰って親に、一部始終を話しました。
 雷の親は、和尚さんにたいへん感謝し、他の雷たちにも「これから欣勝寺や桑原には絶対に落と
してはならないぞ。」と戒めました。
 それからというもの、欣勝寺や桑原には雷が落ちたことがないといいます。
 以来、「くわばらくわばら」と唱えると雷は落ちないと、言い伝えられています。     

この中に出てくる桑原というのはそのお寺のある地名ですが

 当地の地名である“桑原”から由来
しているのではなく、「仏教用語」の
「クワンバラン」(インド、サンスク
リット語で、いやな事や、恐ろしい事
を避けるときに唱えるおまじない)が
いつの日か「くわばらくわばら‥」と
なり、「くわばらの欣勝寺」と呼ばれ
るようになったとのことです。   

と、補足されています。
一般的には先ほど回答した「菅原公」の説ですが。

参考URL:http://www.hyogokenshin.co.jp/discover/Sanda/Sanda2/

もう一つ面白い説がありました。


 今から約450年前の1556年(弘治2年)のことです。あわて者でいたずら好きの雷の子が
いました。
 ある時、雷の子はあやまって欣勝寺の古井戸に落ちてしまいました。なんとかして外へ出ようと
しましたが、出ることができなかったので、雷の子は大声で「助けてくれー!」と叫びました。
 しかし、和尚さんはいたずらばかりする雷の子をこらしめようと、古井戸にふたをしました。す
ると、雷の子は和尚さんに「助けておくれ。桑原へは二度と雷を落とさない。...続きを読む

Q日本列島からハワイ島までの距離っていったい約何キロメートルなんですか?教えてくださいお願いします。

日本列島からハワイ島までの距離っていったい約何キロメートルなんですか?
教えてくださいお願いします。

Aベストアンサー

日本からハワイまで6,430キロ、米本土(カリフォルニア)から3,990キロです。添付URL参照。

参考URL:http://www.gohawaii.com/hokeoj/school/report.html

Q確定申告書の「続柄」欄について

 私ghq7xyは来年の春、確定申告(還付)をする予定でいます。
 さて、確定申告書の本人氏名を書く欄の下には、「世帯主の氏名」と「世帯主との続柄」を書く欄がありますね。私の家の世帯主は私の父ですが、父から見て私は長男です。
 そこで、こういう場合、「世帯主との続柄」欄には、私を基準として「父」と書くべきなのか、それとも世帯主である父の立場を基準として見た「長男」と書くべきなのか、どちらでしょうか?
 確定申告はまだ先のことですが、気になりました。国税庁のHPで確定申告書の見本をプリントしてみたので、気になった次第です。宜しくお願いします。

Aベストアンサー

「世帯主との続柄」というのは、「世帯主からみたあなたの続柄」なので、
世帯主がお父様であれば、「お父様からみたあなたの続柄」です。
なので、この場合は「子」または「長男」です。

世帯主があなたであれば「本人」です。

#1の方と回答がことなりましたが、下記のHPを参考にしてみてください。

参考URL:http://www004.upp.so-net.ne.jp/hitosen/zokugara2.html

Q人間は考える葦である とは?

ふと頭をよぎったのですが、、
「人間は考える葦である」とはどういう意味なのでしょう? また誰の言葉なのでしょう? 簡単な質問ですみません。 よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 
  「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去しました。
  
  残された膨大なメモを元に、パスカルが計画していた著作に似たものを編集することも考えられたのですが、とても、それは無理なので、断片集として、計画のまとまりや、内容の関連性などから、おおまかに断片メモを整理してまとめて、一冊の本に編集したのが、『パンセー』です。当然、パスカルの死後出版されましたし、内容は、緩やかなつながりで、長短の断片文章が並んでいる構成です。従って、本のなかの文章はパスカルのものですが、本は、パスカルの「著作」とはちょっと云えないでしょう。ほとんどできあがっていて、足りない部分などを、他の文章で補ったりして、計画通りかそれに近い本を作ったのならともかく、当初の計画とは違う、「箴言集」か「随想集」のような本になってしまっていますから。
  
  それはとまれ、「葦」が弱いものの代表として人間の比喩に取り上げられているのは事実ですが、何故「葦」だったのか、という疑問が起こります。例えば、「人間は考える蟻である」とか、「人間は考える蝶である」とか、また「人間は考えるクローヴァーである」とか、幾らでも考えられます。
  
  これは、誰かの説明であったのか、わたしが勝手に考えたのか記憶がはっきりしないのですが(おそらく誰かの説明です)、人間が「葦」であるということの比喩は、ナイルの河畔に生える葦は、強い風が吹くと、弱いために、すぐしなって曲がってします。風に抵抗できない。いや抵抗せずに、しなって敗北するのである。しかし、その他方で、偉大な樫の樹などは、風が吹くと、しなることはせず、抵抗するので風に勝利するが、しかし、繰り返し風が襲って来た時、何時か強い風に倒され、根元から折れてしまうのです。しかし、賢明に自らの分を知る「葦」は、風が吹くとそれに身をまかせてしなり、逆境のなかで、一見屈服したように見えるが、しかし、風がやむと、徐々に身を起こして行き、再びもとのなにごともない姿に戻って微風に揺れているということが、人間への「比喩」の意味だったはずです。
  
  少しの風が吹くとしなり、風の前屈して曲がるが、風が去ると、また元のように立ち上がる。人間とはこのように、自然や運命の暴威に対し無力であるが、それに従順に従い、そして暴威をくぐり抜けて、また元のように、みずからの姿で立ち上がる。自然界のなかでたいへん弱く、簡単に風にしなるが、柔軟性があり、運命にも暴威にも屈しない。そして何よりも、「考えることができる」すなわち「精神を持つ」ことで、ただ、自然の力、暴威として、力を無自覚に揮う風に較べて、遙かに賢明で、優れた存在である。……このような意味の比喩ではなかったかと思います。
  
  この葦の比喩は、パスカルという人がどういう人だったかを知ると、パスカル自身のことのようにも思えて来ます。パスカルは、四十に満たないで亡くなっています。彼は、少年の頃から神童と言われたのですが、病弱で、一生、病気や身体の苦痛とたたかいながら、思索し実験し、研究し、晩年は、修道院に入って信仰生活を送ることを決意して、自分自身でも、そのことについて、悩み考えつつ、世を去りました。パスカルは、自分に襲いかかる不条理な病や、身体の不調などと、「たたかう」というより、それを受けて耐え、病の苦しみのなかで思索や研究を続け、「精神」において、自然が与えた病の暴威などを、乗り越えて生涯を送った人だとも云えるのです。
  
  暖めた流動食でないと、喉を通らないというようなこともしばしばあったということは、解説書などには必ず記されているはずです。弱々しい「葦」のように、襲って来る風に身をまかせつつ、思索した精神、それがパスカルなのでしょう。パスカルは「人間とは、運命に従順であるが、しかし、精神で、運命に抵抗し、不屈の意志で、思索することで、運命や自然の暴威を乗り越える自由の存在なのだ」という意味で、この言葉を記したのではないかとも、思えるのです。
  

 
  「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去し...続きを読む


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