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石川晶康先生の実況中継の本で(三巻P238 )・・・

甲午農民戦争が始まって、
日本、清朝ともに、朝鮮に軍隊を派遣する。
そののち、甲午農民戦争は、収まったのだが、
朝鮮半島で、両軍隊が睨んでいる・・・。

そこへ、駐英公使の青木周蔵から、「日英が新条約に
合意することで一致した」と陸奥宗光に電報が届いた。

陸奥宗光は、朝鮮公使の大鳥圭介に「どんな工作をしてでも
戦争に持ち込め」と打電した・・・。


とあるのですが、「日英の新条約」は、どんな条約なのですか?
日本が清朝と戦争して、負けそうになったら、イギリスが参加してくれる条約なのでしょうか??

なぜ、日英の新条約が、日清戦争のきっかけになったのか教えてください。
(>_<)

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A 回答 (5件)

No.4です。

深夜でぼんやりしてたのか、単純な(しかし国語表記上のケアレスミスとして片付けられない)誤記がありました。

>その引用史料とは別のところで(『蹇蹇録』岩波文庫p.73)、青木に訓電した経緯・・・・

陸奥が訓電(電訓)したのは「青木」ではなく「大鳥」ですね。

>[史料40]の『蹇蹇録』の抜粋ですが、この箇所が選ばれているのは、青木の訓電が開戦外交に影響したからではなく、・・・・

大臣の陸奥に対して「【訓】電」は変ですね。「青木からの報」と読んでおいてください。
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不平等条約の改正条約が日清戦争の「きっかけ」というのが全く解せなかったので、買い物ついでにその参考書のP.238-239を立ち読みしてみました。



やはり開戦の「きっかけ」とは書いてませんね。
誤解の理由は次のように考えられます。青木からの電報のところで、この著者が「劇的な話」なんて紛らわしい言葉を使っていること。説明が足らないこと(参考書の説明ですからそれほど詳しく述べるわけにもいきませんが)。史料[40]の選択、区切り方。

その史料は「・・・二日を隔てつるのみ」で確か切れていたと思いますが、その後はこう続きます、「余がこの間の苦心惨憺、経営太(=多)忙なりしは実に名状すべからず。しかれども今この喜ぶべき佳報に接するや、とみに余をして積日の労苦を忘れしめたり」。

日本外交の悲願であった条約改正の調印が成るという報に接して、外務の責任者だった陸奥宗光が感慨を述べている文章で、要路者としてそれ自体「劇的な」報には違いありませんが、陸奥の回想録を読む限り、開戦外交において、条約合意が「劇的」というほどの展開とは位置づけられていません。

その引用史料とは別のところで(『蹇蹇録』岩波文庫p.73)、青木に訓電した経緯――7月上旬に英露の干渉が途切れたときの情勢判断から決断したこと――を書いていますが、英国との条約の件が影響したとはどこにも言及されていません。
また『蹇蹇録』7章の「欧米各国の干渉」において、英国の出方に対しての推測、判断が述べられていますが、そこでの記述でも条約改正の件が影響したとは書かれていません。

その参考書の史料にある通り、陸奥が「決別類似の訓電」をしたのは、青木の佳報に接する前のことでもあります。

清国に既得権益のあるイギリスは現状変更(戦争によって清国における列強の勢力範囲が変わること)を望まず、朝鮮での日清間の対立に干渉(調停しようと)していましたので、朝鮮での事変が、最終段階あったイギリスとの条約改正に影響することを、陸奥は懸念してはいたようです(『蹇蹇録』岩波文庫p.118)。
しかし、条約調印は、英国の今後の動向を読む判断材料(No.1の方が仰るように、大がかりな干渉はないという)になり、戦争遂行の障害の除去を意味し、戦争を促す因子には違いなかったでしょうが、開戦の「きっかけ」という言葉で表現するような要素とは認められません。

付け加えておきますと、その条約の件は、日清戦争とは別に進展していて、この時点でイギリスとは実質的に合意しており、あとは正式交渉に入って調印すればよい段階であったといいます。

史料の選択についてです。
[史料40]の『蹇蹇録』の抜粋ですが、この箇所が選ばれているのは、青木の訓電が開戦外交に影響したからではなく、短い文章に「条約改正」と「日清戦争」という大項目が重なっていて(陸奥宗光・青木周蔵・日英通商航海条約・蹇蹇録などの重要な固有名詞が伏在してもいます)、試験での設問を拡げやすく、別の見方をすれば狙われやすいから採用しているように私には見えます。日清戦勝を解説するのに有効な抜粋とは思えません。予備知識が不十分な人が読めば誤解しそうな気がします。

あと、その参考書に「予算の無駄遣い云々」が陸奥の判断に影響したようなことが書いてありますが(もちろんそれも要素ですが)、陸奥は、最初に派兵した段階で、武力による最終的処理を考えていたようです。

>日本が清朝と戦争して、負けそうになったら、イギリスが参加してくれる条約なのでしょうか??

ちょっと付け加えておきます。イギリスは揚子江流域や香港等に広範な権益を保有し、自国民のさまざまな活動に関する協定を結んでいましたから、清国の保全を希望しており、戦時中は当然清国寄りでした。もっとも、ロシアの南下にたいする防波堤としての役割を日本に見出し始めてきた頃でもあります。
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>「日英の新条約」は、どんな条約なのですか?


 結ばれた条約は「日英通商航海条約」なのですが、その意義は江戸時代に結ばれた不平等条約の解消です。

 なぜ不平等条約解消に意義が有るかと言うと、不平等条約が押し付けられる国とは、国際条約等を遵守するの意思 or 能力に欠ける国であると言うレッテルが貼られるからです。

 そして、その様な国同士(日本と清国)が戦争した場合に自国に被害が及ばぬよう、周辺の一等国は軍を派遣する大義名分が成立してしまいます。
 (つまり、大国ロシアが戦争により疲弊した日本と清国へ南下する理由を与えてしまう。)

 ですが、当時の覇権国家で超大国たる英国が日本は一人前の国家であると認め、周辺国は中立を維持すべきで有ると主張(日本は国際条約を守れる国なので、周辺の国も戦時国際法を守って中立を堅持すべき)すれば、ロシアとしてもそれを無視しするのは困難です。
 無視すれば、ヨーロッパの方で英・独(ドイツはロシアとフランスに挟まれているのでどちらかが弱って欲しい)が連立しロシアに対抗する可能性が出てきます。
 (実際日英同盟の前には、ドイツが提案した英独同盟が模索された訳ですし)

 まあ、義和団事変を根拠にロシアが満州へ軍を南下させ日英同盟と日露戦争へ向かうのですが…。

 イギリスは中国にある自国の権益をロシアに奪われたくないと言う理由も有りますし、戦争の直前に条約を締結したい日本の弱みに付け込んで、関税などの譲歩を引き出していますし…。
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ざっとですよ。



日本は不平等条約を改正しようと躍起になっていました。

陸奥の狙いはイギリスでした。
立憲君主制と民主主義国家を狙ったのです。

アメリカは自由の国ですが、強力に我がままでした。^^;

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E8%8B%B1% …

陸奥は坂本も一目置く程の切れ者でした。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B8%E5%A5%A5% …

イギリスと不平等条約の改正に成功すると
それを口実に次々と改正します。(治外法権だけの撤廃)

不平等条約を完全に解消するには大陸へ進出する要が大あったのです。
まず、朝鮮を開国させねばなりません。
(武力で開国だ。これが征韓論)

しかし、未だ国力は弱く、予算もままならぬ状態でした。
琉球処分の後、軍事力を増強した日本は開戦を決意します。

>日英の新条約が、日清戦争のきっかけになったのか教えてください。

日本の大きな課題がひとつクリアしたのです。
今後は列強と肩を並べねばなりません。

それには大陸に進出して
強力に「富国強兵政策」を推進せねばなりません。

日本は二等国でした。
後進国は欧州諸国と対等に扱われません。

日露戦争で勝利(講和)して一等国ロシアから領土を割譲し
日本は一等国の仲間入りをしたと言われています。
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おそらくはイギリスと結んだ不平等条約の改正に関してでしょうが、だとすれば大鳥公使への打電が先になりますか。



http://www008.upp.so-net.ne.jp/bungsono/Okazaki/ …

きっかけではなく、イギリスが断固反対していたら、日本は開戦できなかった、という感じでしょうね。
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