あなたはどちらに重きを置くタイプですか。

愛するとはあなたにとってどんなことでしょうか。
愛されるとはあなたにとってどんなことでしょうか。

かなり抽象的ですので、ご自由にお答えくださって結構です。
よろしくお願いします。

A 回答 (15件中1~10件)

こんにちは。



自分から愛そうとしないと、他人からは愛されない。
でも愛されて育たないと、人に愛はわけられない。

だからどっちも大事なこと。

答えも抽象的でごめんなさい。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

こんばんは。

>自分から愛そうとしないと、他人からは愛されない。
>でも愛されて育たないと、人に愛はわけられない。

私の書きたいことが、ほぼ述べられていたので驚きました。
愛されて育った人には、人を愛することは苦もなくできるんですよね。
しかし、残念ながら屈折する人もいます。
そんな人は愛されることだけを望むのかなぁと思ったりもします。

>答えも抽象的でごめんなさい。
いえ、分かりやすかったです。

ご回答を頂きありがとうございました。

お礼日時:2009/05/19 23:55

私はすでに愛している。


後は愛されるだけだ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

実のところは、すでに愛されているのかもしれません。
それに気づいていないだけなのかもしれませんよ。

ご回答を頂きありがとうございました。

お礼日時:2009/05/22 11:54

こんにちは。



両方ともとても大事なことですね。
今の私なら迷わず愛される方に重点を置いてしまいます。
最近、家族同然に生活していた犬を亡くしました。
3日間の入院生活を送ったのですが、その時、夫の両親が毎日
朝と夕方2回もお見舞いに来てくれました。
自分の親ならまだしも、夫の両親と言えばはっきり言って嫁姑で
世間ではあーだこーだと揉めているところが多いですよね?
なんて私は幸せなんだろうか。と素直に思い感謝しました。
愛されていると実感した3日間でもあったことは確かでした。

こんな回答で良かったでしょうか・・・
    • good
    • 0
この回答へのお礼

こんにちは。

お飼いになっていたワンコちゃんが入院されたのですね。
そして、ご主人のご両親が日に二回もお見舞いに来てくれた。
読み違えがあったらお許しください。

朝夕となると、なかなかできることではないですね。

ペットというのは、愛情に応えてくれます。
時として拒否しても、懐いてきます。
見返りを求めない無償の愛に近いのかもしれませんね。

>こんな回答で良かったでしょうか・・・
はい、充分です。

ご回答を頂きありがとうございました。

お礼日時:2009/05/22 11:52

私の愛し方は、相手を苦しめてしまうことがあるようです。


相手に求めすぎてしまう。
自分を全部、受け止めて欲しいと思ってしまう。
私が人を愛することによって、愛する人が苦しむのなら、私は誰も愛したくない。
それでも淋しい心を持て余して、愛が欲しいと思うこともあって。
だから、今は、愛するより愛されたいです。
自分勝手だとは思うけど。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

>私の愛し方は、相手を苦しめてしまうことがあるようです。
>相手に求めすぎてしまう。

「愛は惜しみなくあたう」
誰の言葉だったでしょうか、ど忘れしました。
トルストイでした。今調べました。

>私が人を愛することによって、愛する人が苦しむのなら、私は誰も愛したくない。
落ち着いた心で愛してみることも必要なのかもしれませんね。
感情である愛を、子に注ぐ愛情の領域にまで高めたら心に平安が訪れそうな気もします。

>だから、今は、愛するより愛されたいです。
分かる気がします。

ご回答を頂きありがとうございました。

お礼日時:2009/05/22 11:43

こんばんは。


愛されていると安心するので、愛される方。多分。
やっぱり女なんです。(悲)

誰かが、女は愛する方より愛される方が幸せだと言っていました。
そうなのかな?
愛するって、大きくないとできませんよね。
男の人は大変だなと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

こんにちは。

愛されていると安心するというのは、男女を問わないのかもしれません。
それは、色んな要素を抱えている、個としての存在を認めてもらっているという安心感にも通じるのでしょう。

>誰かが、女は愛する方より愛される方が幸せだと言っていました。
>そうなのかな?
そうなのだと思います。

清も濁も併せて愛してもらうということは、自由を感じます。
逆に言えば、清濁併せて愛するというのは忍耐と持続力を必要としそうですね。
愛されることに甘んじないで、成長・成熟を続けることも大事なのかもしれませんね。

ご回答を頂きありがとうございました。

お礼日時:2009/05/22 11:32

そもそも愛って何でしょう。



好きな言葉に、
「神が上と同じで有るように、神を崇拝して敬うと同じように、上の人や昔に人を敬いを以って恩と為し、下の人を愛し、以って恵みとなす。」
と言うのが有ります。

思いやる心が愛であり、敬う心が愛である。

啓愛を以って恩恵となすです。
どちらが欠けても成立しない事柄だと思います。

そう言った意味では、
人がこの世に生まれ出たことで、既に地球と言う自然に愛されています。
母親に愛されています。
人は愛されることから始まるのでしょう。
それを感じ、愛することが出来るようになれば、更なる大きな愛を受ける事が出来るのではないでしょうか。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

>思いやる心が愛であり、敬う心が愛である。
こうありたいものですね。
感情の1つである愛が、その範疇を抜け出て言葉が変容しつつあるのかもしれません。
あるいは、愛というと男女間のものが最高位に掲げられる傾向がまた、間違いの元なのかもしれません。

ルカ伝に、赦されることの少ない者は、愛することも少ない、というものがあります。

仰るように、大いなるものに愛されることから始まり愛することができるし、さらに大きな愛を受け取れるのでしょうね。

ご回答を頂きありがとうございました。

お礼日時:2009/05/22 11:06

愛される事が相手に寄りかかる事だとしたらもう要りません。



愛する事…相手を思いやって相手の為に自分が何をしてあげられるかを
考えること。
どちらかが思いやる事が出来なくなったら「愛」とやらは終わりでしょうね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

>愛される事が相手に寄りかかる事だとしたらもう要りません。
そうですね、どちらかがどちらかに負担をかけたら成り立たないものだと思います。
愛され方にも節度作法といったものが必要なのかもしれません。

愛する相手のために何が出来るか、やはりこれが基本なのでしょうね。
愛は終わっても、愛情は終わらないと考えています。
これまた質問の出し間違いを痛感しています。

ご回答を頂きありがとうございました。

お礼日時:2009/05/22 01:28

一応補足



 愛とは非常にやっかいなもの
 愛とは感情です。物事を愛(感情)で片付けるのは非常に危険です
 母が子を愛する、いわゆる母性本能ですが・・例えば子供が男女2人いて女の子の方を愛していたら?
 愛だけで物事を決めるのでしたら、残された男子は不幸な目にあうでしょう。
 愛は感情です。100%コントロールできないのです
 例えば、愛が暴走したとき不倫がおきます。
 愛が暴走したとき愛し合う2人以外に不幸が訪れます。

 現在は『愛こそすべて」教という宗教が蔓延しています。愛が商品となって人の心を蝕み人格を壊し続けている。
 嘘っぱちの愛が歌で歌われ・・・
 虚像の愛がスクリーンに映され。。。
 肥大した愛の幻想をテレビがあたりかまわず撒き散らしている。
そして人々は商品としての愛を味わいつくした結果、愛以外の物が衰退していく。
 愛という言葉の元全ての道徳が無視されていく・・・

愛とは『愛』単独では存在してはならないもの
古来、道徳でも『愛』というものを教えるものではなかった。愛とは感情であり、教えるものではなかった。
 自分の愛を知りつつ、それを別のものに育ててゆかねばならない。
自分はこれを区別する為『仁』とよんでいます。
 『仁』とは儒教における五倫五常の五常としてとらえてますが
意味は『愛』とにています。
 ただ同時に仁義・誠意等の意味も含まれてます。
 
例えば『不倫での駆け落ち』これを愛の仕業とするなら、残された双方の配偶者、のこされた子供の事を考えると愛とは社会の弊害でしかありません。
 そこに、不倫する二人がお互い愛し合っても、残されるお互いの妻と夫、残される子供たちを考えて踏みとどまるのが『仁』です

 
    • good
    • 0
この回答へのお礼

私は男女間の愛を根底に置かずに質問を立てました。
説明が不十分だったことを反省しております。

他のご質問者様のお礼にも書きましたが、
愛情を念頭に置いていたのです。

親が子に注ぐのは愛情だろうと思います。
師が弟子の注ぐのもまた同じようなものだと思います。

質問の仕方が間違えていたことをお詫びします。

ご回答を頂きありがとうございました。

お礼日時:2009/05/22 01:22

自分にできる事は「愛すること」だけです。



愛される人になるよう努力する事は可能ですが自分の意思で愛されることはできません。

そして、愛される人になるためにする努力のほとんどは「愛すること」に集約されます。

なお、愛されていることに気づくためには感謝すること。普段あたりまえだとおもっていたことに感謝の目をむけるといかに自分は愛の中に生きているのかに気づくことでしょう。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

一徹さを感じました。
愚直と言い換えてもいいのかもしれません。
非常に納得させられるご回答でした。
故にお礼が短くなってしまいました。

ご回答を頂きありがとうございました。

お礼日時:2009/05/22 01:09

こんにちは。



どちらかに重きをおくということはありません。
拘泥もありません。
愛することも愛されることもありのままです。
愛することも愛されることも日常であって非日常。
握った拳を開いたらわりと簡単なこと。
けれど、そう易々と明らかでもない。
愛しても愛されないかもしれないし、
愛さなくても愛されてるかもしれない。
対象は、人だけに留まらずです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

こんばんは。

>愛することも愛されることもありのままです。
誰しも、これが真実なのかもしれません。
愛しましょうと言って、愛せるものでもありませんし、
愛されましょうと言っても、そのように行くものでもありませんしね。

汝の敵を愛しなさい。
これは人間が未だ到達し得ない領域なのでしょう。

仰るように、愛の行き違いというものもあります。
それもまた、1つの愛の形なのかもしれませんが、
決してしっくりはこないでしょうね。

ご回答を頂きありがとうございました。

お礼日時:2009/05/22 01:03
  • むし歯・う蝕のまとめページ

    むし歯(う蝕)とはどんな病気か  むし歯は、口のなかに常在している細菌の感染により歯質が軟らかくなり、崩壊していく病気です。日本では、食生活の変化とともに多くの人が罹患(りかん)するようになっています。  6年に一度行われる歯科疾患実態調査の最近(2005年)の結果では、6歳における乳歯のむし歯および12歳における永久歯のう蝕有病歯率(ゆうびょうしりつ)(処置された、あるいは未処置のむし歯をもっている...続きを読む

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!


人気Q&Aランキング

おすすめ情報