見てくださった方ありがとうございます。
前回http://okwave.jp/qa4848359.htmlで質問をした者ですm(_ _)m
非常にくだらない質問なのですがお付き合いいただければ嬉しいです。

よくここのサイトでも他のサイトでも戦国最強の武将は誰だ?などと討論しているのを見ます。その中に本多忠勝の名をよく見ます。

本多忠勝のことは歴史の本などで知っています。生涯五十数度の合戦に臨み無傷であった伝説や信長や秀吉が絶賛したことや一言坂での殿など名将であったに違いありません。
しかし、最強と呼べるほどの逸話や武勇伝はあるのでしょうか?例えば「何々と言う名の猛将の首を取った」などです。
個人的には可児才蔵などの首獲りや、寡兵で大軍を撃退した武将の方が凄みを感じるのですが・・・。
また、稀に前田慶次が最強というのもよく見ますので良かったら理由を教えてもらえませんか?

戦国時代で最強の武将を選ぶってのも馬鹿げてるというのも分かってますし、ゲームや小説の影響も入っているのも理解しています。

また、僕は本多忠勝や前田慶次が嫌いなわけでなく(どちらかと言うと好きです)単純に最強を唱える理由が知りたいだけですのでご理解ご協力お願いします。

長々とつまらない文章をお見せして気分を害する方おられたらすみません。

どなたかご回答お願いします!

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A 回答 (4件)

結果的に天下を取った徳川家の家臣が後世で高評価を得るのはしかたのないことです。

戦国時代に記された現存書物は極めて少なく、戦国時代の事を記した書物というのは言い伝えで江戸時代に書かれたものがほとんど。もしくは戦国時代に書かれて江戸時代に修正改正され再販されたものです。徳川の世なら贔屓目で書かれ都合に悪いことは抹消されるのは当然です。
例えば家康の辛い幼少時代などいい例です。あれは家康が今川を裏切った事実を正当化するために江戸時代に歴史事実を修正され『三河物語』として世に出たものです。本当は今川に人質として冷遇されてた事実は無く今川義元に息子のように大事に保護されてました。
前田慶次はやはり漫画や小説が原因でしょうね。慶次はたしかに最強説は多いですが近年まで存在さえ創作ではないかと怪しまれていました。
正直なところ逸話と創作が混合した現代では当時の真実など判りません。
逸話でいうなら武田家家臣の馬場信春や山県昌景も凄いですよ。
馬場は人生で70回を越える戦闘に参加し、長篠で戦死するまで40数年間かすり傷一つ負わなかったため不死身の鬼美濃と呼ばれていた。修羅場数でいえば本多忠勝以上ですよね。
山県は赤備え隊として有名ですが、赤備えが最強部隊の代名詞となったのは彼が発端です。山県死後、井伊直政や真田信繁らも山県にあやかり赤備えを採用しているのを見ても、その強さがいかにリスペクトされていたかがわかる。三方ヶ原の戦いでは旗本を打ち崩して家康を討死寸前まで追い込み、家康は死を感じて脱糞してしばらく山県の残像に悩まされたといいます。家康を最も震え上がらせた武将だといわれてます。
話が脱線しましたが、本題の本多忠勝の話もしましょう。忠勝は[とんぼ切り]という6メートルもある長槍(扱いが難しくかなり重いと推測)を自在に振り回す力を持ち、戦場を駆け回った。小牧長久手の戦いではわずか5千の兵を率いて3万5千の秀吉軍を翻弄したという話もあります。また徳川の不動のクルーザーとしてほとんどの戦に参戦し家康を守っている。家康が度重なる危機に命を落とすことがなかったのは、先鋒の井伊直政とシンガリの本多忠勝の活躍が大きかったと言われています。
前田慶次に関しては事実が怪しい逸話が多いのであえて書きません。
結局、真実と人物を知り、最強を選べるのその時を生きた人だけなので当時を知らない現代人が判断するのは難しいと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!

最強かは分からないですが、やはり本多忠勝は名将でありことには変わりないですね!
家康が天下を獲れたのも徳川四天王はじめ多くの名臣のおかげなので評価されるのは当たり前のことなのですね。

ありがとうございました!

お礼日時:2009/05/24 04:07

雑誌「歴史街道」2008年3月号に  本多忠勝の


        2006年11月号に 前田慶次郎の 特集がのっています。
慶次郎については上杉景勝に仕えた活躍は載っていますが、前田利家に仕えた武功は載っていません。
不仲の利家から景勝に奔った経緯から、前田家の記録から慶次郎の武功は消されたようです。    抜け駆けのように軍規に従わなかった事もあったようです。
私も慶次郎ファンで8冊本を持っています。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!

さすが天下の傾奇者とも言われる前田慶次郎ですね。
記録が消されたのに彼の逸話が残るのは彼が非常に魅力的だったからかもしれませんね。

ありがとうございました!

お礼日時:2009/05/24 04:10

本多忠勝が戦国最強かというと・・・


違うと思います。

「最強」の称号というのは評価を下す人の主観と思い込みが、ほとんど。
だいたい各武将が直接タイマン張った訳でなく、同じ状況、同じ勢力、同じ条件で戦ったこともないので「誰が最強」というのは言うだけ虚しいでしょう。
武将を語る上で逸話というのがよく出てきますが、逸話は寓話。いわゆる脚色した話。夢を広げるには良いですが鵜呑みにはしないほうが。
特に徳川家譜代の武将は良い様にしか伝わってませんよ。

かくいう私のお気に入り1番は真田信繁。
寡兵をもって衆を討つ戦術は流石だと悦に浸ってます。
その他には立花宗茂。高橋紹運の息子にして立花道雪の養子。
文武両道で秀吉に「花も実もある武士」と賞賛されたといいます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!

徳川家の武将だからこそ評価が高いってことも含まれているのかもしれませんね。

僕も立花宗茂は大好きですよ!非常に優れた戦術家だと思ってます。

ありがとうございました。

お礼日時:2009/05/24 04:04

お早う御座います。


明らかに、「ゲーム」の影響でしょうネ。
(^^)
「本多忠勝」が「最強の武将」とする根拠みたいなモノは有ると思いますよ。

先ず、五十回を越える合戦に参加しながら「かすり傷」一つ負わなかったと言う逸話は有名です。
つまり、闘いに敗れて命を落としてない。

更に、「徳川家康」と言う、戦国時代の最終的勝利者に忠義を尽くし、ダーティなイメージが薄い点も評価が高い一因だと思います。
(実際の本多忠勝は、晩年は不遇だったそうですが・・・)
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!

たしかに無傷=不敗・無敵ってイメージつきますよね。
そこからゲーム会社は最強ってしたのかもしれませんね(^_^;)
ありがとうございました!

お礼日時:2009/05/24 04:01

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Q井伊直政と本多忠勝について

見てくださった方ありがとうございます。

徳川四天王の井伊直政と本多忠勝には「忠勝は薄手の鎧で傷一つつかないのに直政は厚手の鎧で傷だらけ」と両将を対比したエピソードがありますが、なぜ直政は傷だらけなのに忠勝は傷を負わなかったのでしょうか?

どなたかお詳しい方、ご回答よろしくお願い致します!

Aベストアンサー

本多家
松平家の古参普代
井伊家
新参

新参は目に見える形で、忠義の程度を見せる必要があったから。

事実として、両者が傷があったりなかったりしたとしても、古参の本多家であれば「傷がないのが武勇の証明」になるが、新参の井伊家では、傷がないことは激戦地に飛び込んでいないと言われかねない。特に、四天王のうち最も若輩である井伊直政は、家康の贔屓で実力以上に評価されている、と言われないように、傷をおおっぴらに喧伝する必要があった。

Q戦国時代の武将はどうやって大軍を指揮していたのか?

戦国武将は多い時には数万人の大軍を指揮しています(例えば関ヶ原の家康は3万人以上の軍勢を持っていました)。でも無線機のない当時は、大将の命令を瞬時に伝えることができるのは、法螺貝の響く範囲だけです。伝令を走らせても散らばった数万人の軍勢に命令が行き渡るまで1時間以上はかかったのではないでしょうか?一体どうやって大軍を指揮していたのか教えてください。
 近代の軍隊のように、「大隊長が指揮下の中隊長全員に命令を伝え、中隊長が指揮下の小隊長全員に・・・」といったようなリレー式の命令系統を持っていたのでしょうか?

Aベストアンサー

それは"母衣衆"(ほろしゅう)という人らが本陣と前線部隊との間での伝令役として活躍していました。

どこかの博物館で合戦図絵巻か合戦図屏風を見る機会があったらよくみてください。背中の大きな風船のようなものを背負っている武将が描かれている物があるはずです。これがいわゆる"母衣"です。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%8D%E8%A1%A3#/media/File:Kumagai_Naozane,Ichinotani.jpg

これをつけていると矢の攻撃を受けても膨らんだ空気の力が矢の運動エネルギー吸収してしまいます。云わば昔の防弾ベスト。それに大きくみえるので前線ではとても目立つ存在なのですぐわかる。
逆にみれば敵からも目立つ存在なのである意味とても勇敢さを求められ名誉な役周りです。

有名なところでは織田信長の配下にいた"黒母衣衆"と"赤母衣衆"。これは馬廻という信長直属の親衛隊にあたる者からさらに選抜された選り抜き者たちで構成されています。なんせ大将の言葉を直接伝えるのですからね。ちゃんと伝えなければその後のそれぞれの隊の作戦行動に影響を及ぼすことになります。

ほかにも武田信玄の伝令役として活躍して背中にムカデの旗指物を挿した通称"百足衆"というのもよく知られています

それは"母衣衆"(ほろしゅう)という人らが本陣と前線部隊との間での伝令役として活躍していました。

どこかの博物館で合戦図絵巻か合戦図屏風を見る機会があったらよくみてください。背中の大きな風船のようなものを背負っている武将が描かれている物があるはずです。これがいわゆる"母衣"です。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%8D%E8%A1%A3#/media/File:Kumagai_Naozane,Ichinotani.jpg

これをつけていると矢の攻撃を受けても膨らんだ空気の力が矢の運動エネルギー吸収してしまいます。云わば昔の...続きを読む

Q本多忠勝の活躍は本当なのか?

武道をやっている知り合いと最強の武術家は誰だ、といった話をしていたところ、最強は本多忠勝だろう、という結論になりました。
そこで本多忠勝について調べたところ6m以上の豪槍を振るい、一万人の軍勢に単騎で突撃して無傷だったとか、武田軍に敗れた徳川軍の殿を努め、少数の手勢と自分だけで武田軍の追撃を食い止め、その戦いぶりが歌にまで詠まれたとか、いくらなんでも人間を越えているんじゃないか、などと思いました。
あと、ふざけて棒で川原の葦をなぎ払ったら、薙刀で薙いだかのように葦がみんな刈られてしまった、なんて話もあったとか。
本多忠勝が実在の人間で傑出した武人であることは確かなのだろうとは思いますが、彼の活躍として伝承されている逸話は全て本当の話だったのでしょうか。すごすぎて、誇張されているような気もします。果たしてどの程度真実なのか、ご意見をいただけないでしょうか。
個人的にはこういった武人の話は好きなので実話だったらいいなあ、と思っているのですが。

Aベストアンサー

こんにちは。
本田忠勝が非力だなんて思わないですが、この人が出てくるなら、
北畠具教
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E7%95%A0%E5%85%B7%E6%95%99
や、
足利義輝
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E5%88%A9%E7%BE%A9%E8%BC%9D
なども全然劣らないと思うけど・・・?

ちょっと不満な点。
6m以上の豪槍を振るい・・・確かに楽ではないけど、一端振り出してしまうと自重ですごい威力を発揮しますので、コツがあります。
おそらく現在でも伝承されている棒術を学んだ人ならすぐわかるでしょう。
ただ6mもの長さだと普通に木などで作った物では振るだけで簡単に折れてしまいます(私は3m×5cmφの木の棒を振るだけで折りました)ので、鉄などの材料だったのでしょうか。
だとすると力持ちって事はいえますね。

一万人の軍勢に単騎で突撃して無傷・・・
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武田信玄の軍配に刀創をつけたとか。

武田軍の追撃を食い止め、その戦いぶり・・・
もっと悲惨な惨敗を来たした軍勢の殿軍を務めて本人無傷(かすり傷などはあったと思われますが)の人がいます。
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彼は武人とはとても言えません。
撤退戦における殿軍は、自身の武術よりは戦略面が重要なようです。

棒で川原の葦をなぎ払ったら・・・
実際にやってみると判りますが、それ程難しい事じゃないです。
あまり太くない丈夫な棒を早く振れば、綺麗に刈る事ができますよ。

こんにちは。
本田忠勝が非力だなんて思わないですが、この人が出てくるなら、
北畠具教
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E7%95%A0%E5%85%B7%E6%95%99
や、
足利義輝
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E5%88%A9%E7%BE%A9%E8%BC%9D
なども全然劣らないと思うけど・・・?

ちょっと不満な点。
6m以上の豪槍を振るい・・・確かに楽ではないけど、一端振り出してしまうと自重ですごい威力を発揮しますので、コツがあります。
おそらく現在でも伝承されている棒術を学んだ人ならすぐわかる...続きを読む

Q【戦国武将ファンの心理がわからない】 戦国武将って何の計略もなくただ戦ってるだけですよね? たまたま

【戦国武将ファンの心理がわからない】


戦国武将って何の計略もなくただ戦ってるだけですよね?

たまたま進軍したらそこに敵がいたのでその配陣になっただけで相手の出方によって配陣は変わっていたのでたまたまその戦ではその配置になってたまたま勝った負けただけですよね?

相手の進軍がどう出るなんかは読めないので戦国武将の計略は過去の記録でしかない。

だから計略もクソもあったものじゃなくてただ戦った勝者の記録でしかない。

頭の頭脳プレーもない。

これのどこに戦国武将にハマる要素があるのでしょうか?

Aベストアンサー

戦場ではそうかもしれませんが、開戦する前までは情報戦ですからね。
むしろそっちの計略の方が重要。

Q戦国最強本多忠勝…?

見てくださった方ありがとうございます。
前回http://okwave.jp/qa4848359.htmlで質問をした者ですm(_ _)m
非常にくだらない質問なのですがお付き合いいただければ嬉しいです。

よくここのサイトでも他のサイトでも戦国最強の武将は誰だ?などと討論しているのを見ます。その中に本多忠勝の名をよく見ます。

本多忠勝のことは歴史の本などで知っています。生涯五十数度の合戦に臨み無傷であった伝説や信長や秀吉が絶賛したことや一言坂での殿など名将であったに違いありません。
しかし、最強と呼べるほどの逸話や武勇伝はあるのでしょうか?例えば「何々と言う名の猛将の首を取った」などです。
個人的には可児才蔵などの首獲りや、寡兵で大軍を撃退した武将の方が凄みを感じるのですが・・・。
また、稀に前田慶次が最強というのもよく見ますので良かったら理由を教えてもらえませんか?

戦国時代で最強の武将を選ぶってのも馬鹿げてるというのも分かってますし、ゲームや小説の影響も入っているのも理解しています。

また、僕は本多忠勝や前田慶次が嫌いなわけでなく(どちらかと言うと好きです)単純に最強を唱える理由が知りたいだけですのでご理解ご協力お願いします。

長々とつまらない文章をお見せして気分を害する方おられたらすみません。

どなたかご回答お願いします!

見てくださった方ありがとうございます。
前回http://okwave.jp/qa4848359.htmlで質問をした者ですm(_ _)m
非常にくだらない質問なのですがお付き合いいただければ嬉しいです。

よくここのサイトでも他のサイトでも戦国最強の武将は誰だ?などと討論しているのを見ます。その中に本多忠勝の名をよく見ます。

本多忠勝のことは歴史の本などで知っています。生涯五十数度の合戦に臨み無傷であった伝説や信長や秀吉が絶賛したことや一言坂での殿など名将であったに違いありません。
しかし、最強と呼べるほ...続きを読む

Aベストアンサー

結果的に天下を取った徳川家の家臣が後世で高評価を得るのはしかたのないことです。戦国時代に記された現存書物は極めて少なく、戦国時代の事を記した書物というのは言い伝えで江戸時代に書かれたものがほとんど。もしくは戦国時代に書かれて江戸時代に修正改正され再販されたものです。徳川の世なら贔屓目で書かれ都合に悪いことは抹消されるのは当然です。
例えば家康の辛い幼少時代などいい例です。あれは家康が今川を裏切った事実を正当化するために江戸時代に歴史事実を修正され『三河物語』として世に出たものです。本当は今川に人質として冷遇されてた事実は無く今川義元に息子のように大事に保護されてました。
前田慶次はやはり漫画や小説が原因でしょうね。慶次はたしかに最強説は多いですが近年まで存在さえ創作ではないかと怪しまれていました。
正直なところ逸話と創作が混合した現代では当時の真実など判りません。
逸話でいうなら武田家家臣の馬場信春や山県昌景も凄いですよ。
馬場は人生で70回を越える戦闘に参加し、長篠で戦死するまで40数年間かすり傷一つ負わなかったため不死身の鬼美濃と呼ばれていた。修羅場数でいえば本多忠勝以上ですよね。
山県は赤備え隊として有名ですが、赤備えが最強部隊の代名詞となったのは彼が発端です。山県死後、井伊直政や真田信繁らも山県にあやかり赤備えを採用しているのを見ても、その強さがいかにリスペクトされていたかがわかる。三方ヶ原の戦いでは旗本を打ち崩して家康を討死寸前まで追い込み、家康は死を感じて脱糞してしばらく山県の残像に悩まされたといいます。家康を最も震え上がらせた武将だといわれてます。
話が脱線しましたが、本題の本多忠勝の話もしましょう。忠勝は[とんぼ切り]という6メートルもある長槍(扱いが難しくかなり重いと推測)を自在に振り回す力を持ち、戦場を駆け回った。小牧長久手の戦いではわずか5千の兵を率いて3万5千の秀吉軍を翻弄したという話もあります。また徳川の不動のクルーザーとしてほとんどの戦に参戦し家康を守っている。家康が度重なる危機に命を落とすことがなかったのは、先鋒の井伊直政とシンガリの本多忠勝の活躍が大きかったと言われています。
前田慶次に関しては事実が怪しい逸話が多いのであえて書きません。
結局、真実と人物を知り、最強を選べるのその時を生きた人だけなので当時を知らない現代人が判断するのは難しいと思います。

結果的に天下を取った徳川家の家臣が後世で高評価を得るのはしかたのないことです。戦国時代に記された現存書物は極めて少なく、戦国時代の事を記した書物というのは言い伝えで江戸時代に書かれたものがほとんど。もしくは戦国時代に書かれて江戸時代に修正改正され再販されたものです。徳川の世なら贔屓目で書かれ都合に悪いことは抹消されるのは当然です。
例えば家康の辛い幼少時代などいい例です。あれは家康が今川を裏切った事実を正当化するために江戸時代に歴史事実を修正され『三河物語』として世に出た...続きを読む

Q伊予国をルーツとしている戦国武将を知ってるだけ教えて下さい。 戦国時代にも現地に居た武将ではなく、そ

伊予国をルーツとしている戦国武将を知ってるだけ教えて下さい。

戦国時代にも現地に居た武将ではなく、それより以前に圧迫に耐えかねて伊予国外に出た武将限定でお願いします。

Aベストアンサー

藤原純友の子孫を称する有馬氏や大村氏は伊予がルーツかもしれないけど、圧迫されたといっていいかどうか。
宇都宮豊綱は負けて伊予を追い出されたけど、戦国時代の終わりの方ですし。

Q戦国武将・本多忠勝について。

戦国武将・本多忠勝について。

よく戦国武将で最強は誰だ?って話題になったら必ずと言っていいほど名が挙がる本多忠勝ですが、なぜ最強なのか気になり様々なサイトで調べてみました。
彼は人生において57回の戦に参戦し傷を負ったことのないという武勇伝の持ち主らしいですが、知恵袋や様々なサイトを見て「傷を負ったことはないが、旗本先手侍大将なので前線に行く機会が少なかった」や「自ら敵将の首を挙げたとゆう実績が少ない」などの回答を見ました。
しかし、武田軍に「家康に過ぎたる者」、秀吉に「東国一の勇士」と称賛されているあたり彼は個人武勇以外で優れていた才があるのではないでしょうか?
たとえば用兵に優れており、戦場での駆け引きが上手だったとか(そのため生涯無傷でいられたとかだったり)
これが私なりの考えです。皆様は私の考えについてどう思われますか?
まだまだ勉強不足ですので、お詳しい方、指摘やご自身のお考えなど述べてもらえば嬉しく思います。
ご回答よろしくお願いします。

Aベストアンサー

田舎の自然の川の中に、川草が茂っていますよね。あるとき、忠勝の息子の忠政とその仲間の若武者たちが船の櫓で川草を切れるかと競っていたそうです。想像しても分かると思うのですが、水の抵抗がある川の中でたゆっている川草を刃物ではない櫓で切るのはとても難しいものです。
彼らはかわるがわる試すのですが、なかなか切れない。それを見ていた忠勝はいきなりむんずと櫓を掴むと川の中をさーっと一閃、するとまるで鎌で刈ったように川草がきれいに切れたのだそうです。忠勝が五十代のときのエピソードといわれています。

伝によると、忠勝は智勇兼備の武将だったようです。おそらく戦場では常に冷静沈着に指揮をしていたのでしょう。こういう上官は、兵士から絶大な信頼を受けます。精神的なよりどころだったのではないでしょうか。戦場では、指揮官が死なないというのは極めて重要です。なぜなら、恐怖の中でどうしていいか分からなくなるからです。そういった「勇猛馬鹿」ではない名指揮官ぶりが特に信長や秀吉のような「将の将」になるような人物から絶大な支持を受けたのでしょう。
プロ野球の西武ライオンズの黄金時代、正捕手であった伊東選手(当時)の現役成績には全く特筆すべきものはありません。またチャンスに渋い打撃をしたとかそういうこともあまりありませんでした。しかし、当時球界に君臨したライオンズを支えていたのは間違いなく伊東選手でした。伊東選手がケガで出場できないだけでチームは勝てなくなったりしたのです。そういう武将だったのではないでしょうか。

田舎の自然の川の中に、川草が茂っていますよね。あるとき、忠勝の息子の忠政とその仲間の若武者たちが船の櫓で川草を切れるかと競っていたそうです。想像しても分かると思うのですが、水の抵抗がある川の中でたゆっている川草を刃物ではない櫓で切るのはとても難しいものです。
彼らはかわるがわる試すのですが、なかなか切れない。それを見ていた忠勝はいきなりむんずと櫓を掴むと川の中をさーっと一閃、するとまるで鎌で刈ったように川草がきれいに切れたのだそうです。忠勝が五十代のときのエピソードといわれ...続きを読む

Q前田慶次(花の慶次)について歴史の詳しい方・直江兼継ドラマ見てた方へ

花の慶次という漫画がとても好きで、それがきっかけで原作の本も読みましたし、戦国時代の歴史にとても興味ひかれるようになりました。
そこで前から疑問に思っていてふと今思い出したのでちょっと聞いてみようと思ったのですが、花の慶次の最後の方に関ヶ原の合戦後、上杉家から徳川家との和平交渉で上杉家より前田慶次が使者として徳川家に出向き和平成功させたと描かれているのですが、本当に前田慶次が使者として出向いたのかなと疑問に思っています。

歴史物を見ても大抵和平成立した時の会見の場はよく登場したりしますが、そこにいたるまでの過程はあまり登場する事は少なく当時難しかったであろう上杉・武田の和平の過程なんかもそういや知らないなと少々興味そそられるけどまた今度で良いかと今思ったりもするんですが、前田慶次の場合は大変感動的に描かれており涙した場面でしたので・・・

自分の中の直江兼継像を崩されるのが嫌で大河ドラマ見てなかったんですが、ひょっとしたら大河ドラマでそういう場面あったんじゃないかなと思い宜しければ教えてください。
書いてる途中で楽しくなってきて長文駄文になってしまってすみません(^^;)

花の慶次という漫画がとても好きで、それがきっかけで原作の本も読みましたし、戦国時代の歴史にとても興味ひかれるようになりました。
そこで前から疑問に思っていてふと今思い出したのでちょっと聞いてみようと思ったのですが、花の慶次の最後の方に関ヶ原の合戦後、上杉家から徳川家との和平交渉で上杉家より前田慶次が使者として徳川家に出向き和平成功させたと描かれているのですが、本当に前田慶次が使者として出向いたのかなと疑問に思っています。

歴史物を見ても大抵和平成立した時の会見の場はよく...続きを読む

Aベストアンサー

歴史はなんでもありで歴史読み物 小説 漫画 好きなように書いています 残念ながら創作でしょう 慶次の慶の字もありません やや当時としては グレ者らしく 喧嘩には強かったということでしょう 上杉景勝は関ヶ原の原因となった上杉征伐の張本人でしたから、徳川家康の難詰に対抗するため東北地方で伊達や最上ら奥羽諸大名と激戦を繰り広げました。九州では薩摩も家康を恫喝しているでしょう 兵力は温存してありますから脅かしにはなったようです。 西軍敗北後上杉の重臣千坂景親が本多正信がと親しかったこともあり、千坂を中心に謝罪活動に奔走しています。東軍の対上杉守備部隊総大将であった結城秀康の助けも得て景勝の減刑を画策したようですね。家康は当初上杉氏改易・景勝流罪を検討していましたが、結局 秀康・正信の周旋もあり米沢30万石への減封を勝ち取ったということです 

Q戦国無双3:本多忠勝のレア武器入手について

無双秘奥義中に明石全登を撃破、がどうしてもうまくいきません。

無双秘奥義というのは、体力ゲージが赤い状態、且つ影技ケージが満タンでない時に出す無双奥義のことですよね。
影技ケージが満タンでない状態で、且つ体力が赤い状態で、無双奥義を出し(紅蓮の性質も追加されます)、明石を倒したのですが、撃破効果が発動しません。

一発目で倒してしまったらダメ、とかあるでしょうか。。。

因みに2Pでやり、相方は石田三成です。(歴史的におかしいですが笑)

どなたかアドバイスをお願いします。

Aベストアンサー

・体力ゲージが赤い時や、技能「虎乱」により発動する無双奥義。キャラごとに固有の〆技を行う。
・体力ゲージが赤い時に発動する無双秘奥義は、無双ゲージの消費が遅い。そのため、普通の無双奥義より攻撃時間が長い。
・技能「虎乱」で発動する無双秘奥義は、体力ゲージが赤い時には発動しない。
・技能「虎乱」で発動する無双秘奥義は、武器の属性が乗る。

一応、上記が無双秘奥義の説明です。
大体、ステージと難しい以上を選び忘れるパターンが多いのですが、
それでない以上、わかりませんね。

Q最強の戦国武将は?

最強の戦国武将は誰だと思いますか?皆さんのご意見を聞かせてください。戦略的にではなく戦術的に強い武将でお願いします。ちなみに私は上杉謙信だと思います。

Aベストアンサー

織田信長ではないかと思います。
「大軍をもって寡兵を破る」というのが彼の真骨頂で、敵の数倍の兵を集めて、弱い敵を討ち漏らさないのは、当たり前のようでなかなか出来ることではありません。
十分なリサーチをし、勝てるような算段をして、万一の準備をしてから戦に臨み、確実に勝ちを拾う。
信長が世に出たきっかけは桶狭間の戦いですが、人間若いうちに成功するとなかなかそのやり方を否定することが出来ません。
彼の場合、これ以降は余程でなければ相手より少ない兵力で戦をすることは無く、やる場合も損害が少ないように上手に逃げます。
信長の大失敗で知られる越前攻めですが、部下を全て見捨てて自分だけ逃げ帰るような事はなかなか出来ることではありません。
途中で名も無き土民に首を獲られれば末代までの恥ですし、リーダーが逃げ出せば軍団は壊滅し、裏切り者が出て岐阜に反転し、自分の妻子すらどうなるか判らない。
私なら落城した金ケ崎城に兵を入れて浅井軍を牽制し、全力で木の芽峠を越えて朝倉を攻撃します。
運がよければ朝倉を壊滅させて浅井と対峙できますし、運悪く命を落としても武士の名誉は守れ、悲運の名将という名が残ります。
それがあんなにも大胆に逃げたのは、将に天才的な名将と言えるかと思います。
途中の朽木も、それを見越したからこそ恩を売るつもりで朽木谷を通したのではないでしょうか。

上杉謙信は結局人間の心理が読めない武将と思います。
この時代の武士はドライなもので、恩とか義理とかは余り考えていません。
実質の無い関東管領を名乗り、見入りの無い信州に介入し、部下の心は離れ、関東の諸将は冷ややかに彼を見つめ、同盟していた北条もメリットが無いとして同盟を破棄します。
戦に出ても勝ちを拾えず、砂上の楼閣のような物を得て引上げる、しかも田植えが済んでごく短期間だけちょろっと戦をして引上げる。
上杉謙信、武田信玄などは所詮はアマチュア武将であり、嘗て清原・桑田を擁したPL学園が阪神タイガースより強いのではないかと幻想を抱かせましたが、実際にはプロとアマとの間には大きな差があるように考えます。
短期の戦ではアマチュアがプロを抑える事は出来ても、決定的に破ることは出来ませんし、やがて破れていく。

上杉は運良く謙信が死んだので幕末まで残りましたが、生きていれば、北陸道を進む柴田軍と信州から進入する信忠軍、伊那から徳川軍などが進軍し、じりじり春日山に迫られ自刃したかと思います。

歴史的にも徳川家には武田の生き残りが多く仕え、彼らにとって武田信玄は神のような武将で、それに5分に渡り合った謙信は神に準じる武将と祭り上げられ、逆に家康が臣従した今川家と織田家は低い評価が付きますので、そこは割り引いて考えてもよいのでは。

最強というからには、やはり兼業武士(アマチュア)ではなく専業の武士(プロ)で競うべきで、信長を除けば、蒲生氏郷、結城秀康、柴田勝家、加藤清正などかと思います。

私の独断と偏見で。

織田信長ではないかと思います。
「大軍をもって寡兵を破る」というのが彼の真骨頂で、敵の数倍の兵を集めて、弱い敵を討ち漏らさないのは、当たり前のようでなかなか出来ることではありません。
十分なリサーチをし、勝てるような算段をして、万一の準備をしてから戦に臨み、確実に勝ちを拾う。
信長が世に出たきっかけは桶狭間の戦いですが、人間若いうちに成功するとなかなかそのやり方を否定することが出来ません。
彼の場合、これ以降は余程でなければ相手より少ない兵力で戦をすることは無く、やる場合...続きを読む


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