勝ち組・負け組みという考えや言葉は誰が考えて宣伝したのでしょうか。

日本の法律や政府の政策にそのような言葉や宣伝は無いので、国会や政府ではないでしょう。

国会や政府以外の誰かがそのような考えや言葉を宣伝手段として使い始め、それに迎合して、そのような考えやそういう言葉を使っている人もいます。

日本では個人でも企業でも法律に反しなければ、どのような生き方や経営をする自由も法律としては尊重する国であるが、社会の伝統的な慣習や多数派の価値観に反する生き方や経営をすると、多様性を尊重しない人々から、社会に適応していないかのように批判されたり存在価値を否定されることもあります。

一般的に勝ち組とは、個人なら有名な学校に進学し、有名な企業や官公庁や自治体に就職し、安定した地位や高い収入を得ること、企業なら競争を勝ち抜いて売り上げや利益を拡大させることを指し、その反対を総称して負け組みと評することが多いと思います。

ある特定の価値観に当てはまらなければ負け組みなどと評することは、ずいぶん人を馬鹿にした考え方や言い方だと思うんですが、そういう表現をしている人たち(新聞やテレビでもあたりまえのように使っている)は、ある特定の価値観に当てはまらない生き方をしている人や経営をしている企業を負け組みなどと評することに疑問を感じないのでしょうか。

秋葉原通り魔事件の犯人が、自分は負け組みだ、自分の人生は負けの連続だと思い込んで、自分を卑下し続けて、それも一つの原因(もちろんそれだけが原因で無く本人の性格や考え方も原因だけど)になって、あの事件を起こしたのなら、勝ち組・負け組みなどの考えや表現を宣伝することは、社会に悪影響を及ぼしてると思う(今後も秋葉原通り魔事件の犯人と同じように影響を受ける人はいる)のですが、そういう考えや表現の宣伝を繰り返している人たちは、そういうことを問題だと思わないのでしょうか。

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A 回答 (3件)

社会現象として、格差の拡大などを小泉政権での改革などがもたらした、ということはそうなのですが、「言葉」としての発達は、いくつかの段階を踏んでいるのではないかと思います。



まず、04年に酒井順子氏が発表した『負け犬の遠吠え』というエッセイ。この書籍がベストセラーとなり、また、流行語大賞になったことで、「こういう女は負け犬(負け組)」などという言い方がされるようになりました。
(ただし、酒井氏は差別的な意味で語ったわけではないのですが、言葉が一人歩きして、酒井氏の主張と別の形になった部分があります)

それから、翌05年ごろから「格差社会」論に関する書籍、指摘が多く出回るようになりました。
有名なところとしては、三浦展氏の『下流社会』などのベストセラーがそれに当たるでしょうか。この三浦氏の『下流社会』では、ただ格差が拡大している、というだけでなく、「こういう奴は下流だ」とか、そういう先の『負け犬の遠吠え』の一人歩きした決めつけ論的な文章が多く並んでいます。また、逆にそれをもって「その反対が上流だ」というような形で話が進むことも増えました。
(なお、この三浦氏の著書は、三浦氏が独自に行ったアンケート調査の結果を基にしている、というのですが、三浦氏の偏見が先に立って、それに都合の良い部分ばかりを注目している。さらに、調査方法そのものも、少しでも統計学などを学んだ人間にはデタラメと批判されるようなずさんな内容と言えます)

>ある特定の価値観に当てはまらない生き方をしている人や経営をしている企業を負け組みなどと評することに疑問を感じないのでしょうか。

結局、それを報じる側が「自分の価値観が絶対的なものだ」と思っているか、仮におかしいと思っていても「儲かるから」という考えで煽っているか、の2種類になるのだと思います。

これは、「勝ち組」「負け組」論ではないですが、ある程度、年をとった人はいつの時代、どこの地域でも、「今の若者はダメだ」というようなことを言う傾向があります(これは、古代エジプトの遺跡などにも、そのようなものがあった、なんていう話まであります)
つまりジェネレーションギャップによって生じる、自分たちとは異なった若者世代の価値観を、年上の世代は認めないわけです。いくら「多様な価値観を認めましょう」と言っても、人間というのは、自分の価値観が絶対である、という証左ではないでしょうか?
そして、そういう従来的な価値観が正しいのです、というようなお墨付きを与えるような文章というのは非常に耳障りが良く、支持されます。

「勝ち組」「負け組」論での中身を検証してみると、そのような従来的な価値観を肯定するような文言が多くあります。
例えば、「勝ち組」企業は、ごくごく「当たり前」の仕事を手を抜かずに、多くの努力をして地道にやっている。それによって、客の信頼を得て、業績を拡大したのだ。
とか…
当たり前ですが、収益の伸びていない企業がすべてサボっているわけではないですし、その文章としても「負け組がサボっている」とは書いていません。しかし、その部分を省いた内容で書くと多くの努力している人は「自分は正しいのだ」と安心します。また、「負け組は、サボっているからだ」と(ある種の勘違いをし)、自分と差別化できます。そういう安心感を与える道具として需要が出て、喧伝する方としては儲かるのです。
勝ち組企業も負け組企業も一生懸命やっているけど、ちょっとした運の違いで大きく差ができてしまうのだ。というのは、ある意味、正しいのですが、あまり支持されません。
放送局にしろ、出版社にしろ、私企業ですから「儲け」を優先的に考えるのは当然です。仮に問題がある、と思ってもしてしまうのでしょう。
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この回答へのお礼

>酒井順子氏が発表した『負け犬の遠吠え』というエッセイ。この書籍がベストセラーとなり、また、流行語大賞になったことで、「こういう女は負け犬(負け組)」などという言い方がされるようになりました。

>三浦展氏の『下流社会』などのベストセラーがそれに当たるでしょうか。この三浦氏の『下流社会』では、ただ格差が拡大している、というだけでなく、「こういう奴は下流だ」とか、そういう先の『負け犬の遠吠え』の一人歩きした決めつけ論的な文章が多く並んでいます。

日本は言論の自由も思想の自由も憲法で保障している国なので、個人や法人がどのような思想を公表することも自由です。

しかし、新聞、テレビ、出版、広告などが組織として、「勝ち組」「負け組み」などと「賛美」と「侮蔑」の評価をするレッテル貼りをして、人に貴賤の評価をすることを奨励するかまたは黙認すると主張している法人は、私が知っている範囲内では無いと思います。

>放送局にしろ、出版社にしろ、私企業ですから「儲け」を優先的に考えるのは当然です。仮に問題がある、と思ってもしてしまうのでしょう。

日本は法律で営利追求を保障している国なので、営利を追求することは法人の経営の自由なのですが、営利追求の自由が他の何よりも優先されるわけではなく、社会を構成するすべての人々の利益や尊厳を尊重し、共存共栄できる範囲内で容認される自由だと思います。

新聞、テレビ、出版、広告などが組織として、金儲けになるなら、「勝ち組」「負け組み」などと「賛美」と「侮蔑」の評価をするレッテル貼りの対象を、人種や性や民族や宗教や国籍にしたら、民衆からも政府からも激しく非難されるでしょう。レッテル貼りの対象が学歴や職業や勤務先や収入や財産や生活状況や婚姻状況でも同じことなのです。それを認知できないでやっているのでも、認知してやっているのでも、どちらでも、人に貴賤の評価をすることに違いはありません。

秋葉原通り魔事件の犯人が、そのような宣伝にどの程度影響を受けたかわかりませんが、もし何らかの影響を受けたのなら、そのような宣伝は社会の害をもたらしたことになります。今後も影響を受ける人がいるなら、それは社会に害をもたらす宣伝だと思います。

お礼日時:2009/05/21 20:26

なにが勝ち組でなにが負け組かさっぱり分かりません。


現時点で他人より良い思いをしている人が誇らしげに勝ち組と言っているとしたら、一生死ぬまで通してみればいいと思います。

人間の生き方とは、途中途中の経過で舞い上がるのではなく、一生を有意義に生きれるかどうかだと思います。

その時初めて勝敗が決まるものだと思います。
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この回答へのお礼

回答いただきありがとうございます。

>なにが勝ち組でなにが負け組かさっぱり分かりません。

日本の法律では「勝ち組」や「負け組み」の定義をしていません。
政府の政策でも「勝ち組」や「負け組み」という考えや表現は使ってません。

日本(日本だけだ無く民主主義の先進国は全てそうだが)は、社会のルールとしての法律に違反しなければ、どのような考え方も生き方も自由な国で、ある特定の価値観や尺度で人や企業を評価できないはずですが、ある特定の価値観や尺度で人や企業を「勝ち組」や「負け組み」と評価し、「負け組み」と評価した人や企業には存在価値が無いかのような報道は、差別や蔑視を扇動するような報道と感じたので質問しました。

お礼日時:2009/05/24 16:45

原点は公然と格差はあって当たり前というキャッチフレーズで行われた政治にあるのではないでしょうか。


それによって生じた社会現象に対してしっくりと当てはまった表現と考えられます。
その表現、誰が考えたかは知りませんが。
そういった言い方に違和感があるというのも解らなくもないですが
その原点となる政治をした小泉氏が首相候補の筆頭に挙げられるという報道はされていますし、その息子も後を継いで出馬するのではないですか?
同じ選挙区の対抗馬は牙城を切り崩すのに苦戦しているという報道もされております。
その言葉が独り歩きし始めるのは
それが今の日本人の心性を的確に表しているからということもできます。
金儲け主義と規制緩和で確実にモラルハザードを誘発しましたから。
間もなく行われる選挙結果もどうなるんでしょうかね?
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この回答へのお礼

回答いただきありがとうございます。

>原点は公然と格差はあって当たり前というキャッチフレーズで行われた政治にあるのではないでしょうか。
>それによって生じた社会現象に対してしっくりと当てはまった表現と考えられます。

政府の政策や今の社会に修正が求められる問題があることと、政府が特定の価値観や尺度で人間を「勝ち組」「負け組み」などと「賛美」と「侮蔑」の評価をしてレッテル貼りをすることは全く別のこをとです。政府や法律は特定の価値観や尺度で人間を「勝ち組」「負け組み」などと「賛美」と「侮蔑」の評価をするレッテル貼りはしていません。

>その表現、誰が考えたかは知りませんが。

それが質問の趣旨です。

>その言葉が独り歩きし始めるのは
>それが今の日本人の心性を的確に表しているからということもできます。
>金儲け主義と規制緩和で確実にモラルハザードを誘発しましたから。

個人の考えにより新自由主義政策に賛否はありますが、特定の価値観や尺度で人間を「勝ち組」「負け組み」などと「賛美」と「侮蔑」の評価をするレッテル貼りをすることは全く別のことです。

もし新聞、テレビ、出版、広告などが、「勝ち組」「負け組み」などと「賛美」と「侮蔑」の評価をするレッテル貼りの対象を、人種や性や民族や宗教や国籍にしたら、民衆からも政府からも激しく非難されるでしょう。レッテル貼りの対象が学歴や職業や勤務先や収入や財産や生活状況や婚姻状況でも同じことなのですが、そう認知していないので「勝ち組」「負け組み」などと「賛美」と「侮蔑」の評価をするレッテル貼りをしているのか、認知していながら正当なことだと思ってレッテル貼りをしているのか知りませんが、どちらにしても、日本国憲法がめざしている社会のあり方(人に貴賤の評価をすることはめざしてない)とは違うと思います。

お礼日時:2009/05/21 20:02

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