使徒言行録8章 27節~30節
「エチオピアの女王カンダケの高官で、女王の全財産の管理をしていたエチオピア人の宦官が、エルサレムに礼拝に来て<中略>
預言者イザヤの書を朗読しているのが聞こえたので<後略>」
という箇所について質問させてください。

お聞きしたいのは次の2点です。
1)何故エチオピア人の、しかも宦官がエルサレムに礼拝に来たのでしょうか?ユダヤ人が、あるいは、キリスト教が世界宗教になった後に聖地となったエルサレムなら分かりますが。。。選民意識バリバリのイスラエルの首都に何でエチオピア人が?
2)『朗読していた』とありますが、何語で朗読していたのでしょう?
ラテン語?ギリシャ語?ヘブル語?

分かる点又はご存知の部分のみの回答でも結構ですので、お時間のある方で新約聖書にお詳しい方の回答をお願いします。

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A 回答 (8件)

お答えします。

聖書に詳しいつもりです。
まず1)について、
なぜエチオピア人がエルサレムに来ていたのか、そしてイザヤ書を朗読していたのか?
僕はこう思うんですね。ソロモン時代にさかのぼってみましょう。列王記下5章1-5節にはソロモンが広大な領土に影響を及ぼしていて事が書いてあります。それとあの有名なシェバの女王の話。シェバは今でいうイエメンだと思いますが、ソロモンは有名だったんですね。エジプトはもちろんのこと。それならばエジプトの南にあるエチオピア(アラビアとも海で接する)がソロモンの事を知っててもおかしくない。それでバビロン捕囚ののち、旧約聖書が完成して、アレクサンドロス時代にアレキサンドリアで七十人訳聖書が完成して、それがプトレマイオス朝時代にエチオピアにわたっても考えられるわけですよ。
だからエチオピアの宦官がエルサレムに来たと思います。

2)でですが、これは難しい。もちろんヘブライ語か古典ギリシャ語でしかないんですが、どちらか?無難にいえばギリシャ語でしょう。セプトゥアギンタ(七十人訳)ですね。ヘレニズム世界(エジプトも含めて)ではギリシャ語が共通語でしたから。
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イザヤ


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B6% …

イザヤ書
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B6% …


45章15節 

まことにあなたは御自分を隠される神


いい機会だからイザヤ書を読んでみます。


哀歌は読んでいました
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こんにちは、No2です。



他の方々のご回答を拝見して、「あ、すっかり、ディアスポラの事だとか、イスラエル以外の地域にユダヤ人が住んでいることを説明し忘れていたな~!」と思いました。 その点に関しては全く同感です。

そして、気が付いたのですが質問者さんからしてみると、ユダヤ人だったとして、ユダヤ教徒だったとして、「何故来たの?」という事が疑問かも知れません。

その当時は、巡礼みたいな物が義務づけられていました。

申命記14章22~26節
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
22)あなたは毎年、畑に種をまいて獲るすべての産物の十分の一を必ず取り分けなければならない。
23)そしてあなたの神、主の前、すなわち主がその名を置くために選ばれる場所で、穀物と、ぶどう酒と、油との十分の一と、牛、羊のういごを食べ、こうして常にあなたの神、主を恐れることを学ばなければならない。
24)ただし、その道があまりに遠く、あなたの神、主がその名を置くために選ばれる場所が、非常に遠く離れていて、あなたの神、主があなたを恵まれるとき、それを携えて行くことができないならば、
25)あなたはその物を金に換え、その金を包んで手に取り、あなたの神、主が選ばれる場所に行き、
26)その金をすべてあなたの好む物に換えなければならない。すなわち牛、羊、ぶどう酒、濃い酒など、すべてあなたの欲する物に換え、その所であなたの神、主の前でそれを食べ、家族と共に楽しまなければならない。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

神殿に毎年行き、そこで祭司によって捧げられた動物を食べる。これが義務付けられていたのです。 遠くにすんでいる人はお金を持っていけば、神殿で動物に替えてもらえたので、それを食べれました。

ところで、イエスは、何故かモーセが決めたこの掟を嫌って、神殿の両替所で暴れましたが、、、。(マタイ21章12節)

キリスト教では巡礼を義務づけられていないので、「何故そんなに遠くから?」と思えるかもしれませんが、その当時では当たり前の事をしに来ただけです。
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 No.4を補います。



 フェデリコ・バルバロによる見解です。
 ▲ (バルバロ訳聖書・訳注) ~~~~~~~~~~~~~~~~
 ○ エチオピアは現在のエジプトのスーダン(ヌビア)である。(* エジプト領も入るという意味でしょうか?)
 ○ ヘブライ人はここに多数住んでいた。この人(* 宦官)はヘブライ人かあるいはユダヤ教改宗者である。
 ○ カンダケはメロエの国の女王のたちの共通名称である。
 ○ 《宦官》は 身体上の去勢者であると同時に 一つの地位の名でもあった。
 ○ 読んでいた聖書について そのあとにある箇所(8:32以下)は イザヤ書(53:7-8)の七十人訳による引用である。
 ○ しかし 七十人訳ギリシャ語聖書は 意味不明瞭なヘブライ語テキストからの訳である。(* この点 つまびらかにせず)。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
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 カンダケを検索すると メロエという王国に行き当たります。


 その後 たとえば 次の記事を見つけました。
 ▲ (ヰキぺ:エジプト第25王朝) ~~~~~~~~~~~~~~
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%B8% …
 ○ (紀元前747年 - 紀元前656年)・・・複数の王朝が並立していたエジプトに侵入してこれを統一したヌビア人達の王朝を指し、クシュ朝と呼ばれることもある。
 ○ マネトの記録によれば第25王朝は3人のエチオピア王から成っていたとされている。ただし、古代の著作で用いられるエチオピアと言う地名が指す地理的範囲は、エジプト人がクシュと呼んだヌビア南部(上ヌビア)とほぼ同じか、或いはその地域を含む南方の漠然とした領域であった。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ▲ (ヰキぺ:メロエ語) ~~~~~~~~~~~~~~~~~
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%AD% …

 メロエ語とは、およそ紀元前1000年から紀元前750年の間にヌビア(現在のスーダン)で成立したクシュ人の王国で話されていた言語。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ 言語じたいについて 詳しく分かっていないようですが 文字の解読には成功していて その語例が 示されています。その中に
 ○ kndk : カンダケ(女王の名)
 ☆ があると記しています。時代がどうかは 定かではありません。

 少しでも参考になればと思います。
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そんな貴重な石版(?石板?石盤?)が自国にあるなら、わざわざ遠くまで行く必要無いんじゃありません?この時代の神殿はソロモンの建てた物じゃないし。



そうですよね。イスラエル人じゃない人が絶てた神殿ですよね。
考えてみればそう。
で、さらに考えてみれば、キリスト教の十字って、多神教の建物をそのまま使ったから、キリスト教の建物は、異教徒の多神教の建物のシンボルの十字がとっぺんについているわけです。

多神教のシンボルを首に下げる一神教の信者。
どうしてなのかはキリスト教徒さんに聞いてください。
異教徒の多神を信仰しているのか、一神を信仰しているのか どっちなんだ はっきりしろって。

まあ梵我一如ってことだとは思いますが。


で、エチオピア人の子孫の中にソロモンの血をひくものもいるってわけです。
エチオピアの王朝がソロモンの血をひくとされた。
んで、カトリックの聖職者の独身制に影響を与えたのかもしれませんが、宦官って男性器を切除されたので、性欲が無いわけですよね。

神の祝福のしるしは、子供を授かることなので、宦官は神の祝福が無いことになるが、それならカトリックの聖職者も神からの祝福が来ないことになり、どうして信仰しながら神からの祝福を自らの意志で退け続けるのかも、カトリックの聖職者に聞いてください。
この謎は私にも解けません。


で、アークがエチオピアに運ばれるとき、一人じゃ背負っていける重さではなかったので、担いで同伴する聖職者や12支族がいたわけです。

その人達はエチオピアに住居を移したらしいです。
世襲制ですので、その子孫が故郷のエルサレムの神殿に巡礼しても、おかしくないと思います。



>ではその当時コプト語の聖書があったとお考えなのですね?

今のように聖書が手軽に本屋で買える時代ではなかった。
発見された死海文書。
ヘブル語がほとんどですが、アラム語バージョン、ギリシャ語バージョン、コプト語バージョンもある。
なぜかと言うと、古くからディアスポラしてユデア以外に住むユダヤ人の数は相当なものだったから。
ギリシャ方面だけでも、本国の8倍ものユダヤ人が住んでいて、彼らはもうヘブル語がわからない。
そのディアスピラした異文化で育ち異文化バリバリの異邦人のようなユダヤ人向けに宣教するために、別の言語のバージョンで翻訳されスクロールに書かれたと考えられます。


コプト語ってエジプトの母語。
モーセも恐らくエジプト人でしょうから、コプト語話してたんじゃないかと。
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こんにちは、



>1)何故エチオピア人の、

エチオピアって創世記でも登場するし、聖書ではちょくちょく登場する国ですよ。 

創世記10章1、6~7節
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
1)ノアの子セム、ハム、ヤペテの系図は次のとおりである。洪水の後、彼らに子が生れた。
6)ハムの子孫はクシ、ミツライム、プテ、カナンであった。
7)クシの子孫はセバ、ハビラ、サブタ、ラアマ、サブテカであり、ラアマの子孫はシバとデダンであった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

このクシが、(ヨセフスによれば)エチオピア。
http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/seisho4.htm
デダンが(ヨセフスによれば)西エチオピアです。
http://bible.ort.org/books/pentd2.asp?ACTION=dis …
(こっちは、英語ですいません)

戦争もしていますし、
歴代志下14章12節
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
12)そこで主はアサの前とユダの前でエチオピヤびとを撃ち敗られたので、エチオピヤびとは逃げ去った。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

また、エチオピア人が預言者を救った(?)事も、
エレミヤ記38章10節
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
10)王はエチオピヤびとエベデメレクに命じて言った、「ここから三人のひとを連れて行って、預言者エレミヤを、死なないうちに穴から引き上げなさい」。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~、

というわけで、交流が元々あった国なんです。

<ユダヤ人が、あるいは、キリスト教が世界宗教になった後に聖地となったエルサレムなら分かりますが。。。選民意識バリバリのイスラエルの首都に何でエチオピア人が?>

えっと、あんまり大規模ではなかったにせよ、ユダヤ教も伝道していたようです。

ソロモンが言った言葉。
列王記上8章43節。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
43)あなたは、あなたのすみかである天で聞き、すべて異邦人があなたに呼び求めることをかなえさせてください。そうすれば、地のすべての民は、あなたの民イスラエルのように、あなたの名を知り、あなたを恐れ、またわたしが建てたこの宮があなたの名によって呼ばれることを知るにいたるでしょう。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

また、権力者にユダヤ人がなるとその国でユダヤ教に改宗する数が増えたり、、、
エステル記8章17節
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
17)いずれの州でも、いずれの町でも、すべて王の命令と詔の伝達された所では、ユダヤ人は喜び楽しみ、酒宴を開いてこの日を祝日とした。そしてこの国の民のうち多くの者がユダヤ人となった。これはユダヤ人を恐れる心が彼らのうちに起ったからである。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

他にも、外国に伝道に行った話がたまに出てきます。

>しかも宦官がエルサレムに礼拝に来たのでしょうか?

えっと、ユダヤ教は身体障害者を差別しているように感じますが、、

イザヤ書56章3~5節
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
3)主に連なっている異邦人は言ってはならない、「主は必ずわたしをその民から分かたれる」と。宦官もまた言ってはならない、「見よ、わたしは枯れ木だ」と。
4)主はこう言われる、「わが安息日を守り、わが喜ぶことを選んで、わが契約を堅く守る宦官には、
5)わが家のうちで、わが垣のうちで、むすこにも娘にもまさる記念のしるしと名を与え、絶えることのない、とこしえの名を与える。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

こんな風に宦官に希望を与えてくれるのは、イザヤ書のみ! これが読んでいた理由かも?

何語かまでは知りませんが、、、。
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信者でもないし、新約聖書にも詳しくないのですが、、、



エチオピア関連といえば、思うつくのがアーク。

モーセは神から10の戒律が書かれた石盤を授かり、移動民族でしたから、日本の神輿のように柩に入れて運んでいた。

これが、いつのまにか消えてしまって、行方不明。

実はエチオピアにあるという説がある。

どうしてエチオピアにあるとなったのかというと、カンタゲ(シバの女王)はソロモンとエッチして妊娠して、国に戻ってソロモンの子供を産んだ。

ソロモンはその息子にアークをあげた。
従って今でもエチオピアはアーク信仰がある。
しかも盲目の神官がそのアークを守っているとされる。
ハンコックさんが実際その守り手に会ってインタビューしているらしいです。
目が見えないので、どういうものかは説明できないが、とにかくアークはエチオピアにあるって主張。

おや? 伊勢神宮にあるって伝説は?
移動するアークですから、あっちこっちに神出鬼没するってわけですね。
(んなわけないですね、人間が運ばない限り移動しない)


ってことで、エチオピア人は外典にも出てきて、アダムとイブとは違う系列の民族で、もしかしたら、最初に神が作った人間がエチオピア人系列で、洪水を免れた無原罪の人類なのかもしれないですね。

後に神が作ったのがアダムで、こっち系がイスラエル人系。



というわけで、同じ神を信仰しており、戦乱で奪い合いされた石版は、ソロモンの時代にエチオピアの息子に渡り、それ以降から現在まで、エチオピアにあるって話らしいです。


何語?
何語でしょうね、コプト語あたりじゃないでしょうか。
17世紀頃までは一部のキリスト教共同体内の日常語だったらしいです。
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この回答へのお礼

kiguruiさま、早速の書き込みありがとうございます。
別に信者の方でなくとも結構です。

折角の説ですが、疑問点がございます。
>>石版は、ソロモンの時代にエチオピアの息子に渡り、それ以降から現在まで、エチオピアにあるって話
だとすると、何のためにエルサレムに行く必要があったのでしょうか?
そんな貴重な石版(?石板?石盤?)が自国にあるなら、わざわざ遠くまで行く必要無いんじゃありません?この時代の神殿はソロモンの建てた物じゃないし。

もう一つ素朴な疑問があります
>>コプト語あたりじゃないでしょうか。
ではその当時コプト語の聖書があったとお考えなのですね?

もし、他にも参考になるような情報をお持ちでしたらお寄せください。

お礼日時:2009/05/20 23:22

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こんにちは。

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・ビストロ喜楽亭(池尻)
・LION SHARE(代々木)
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是非行ってみたいので東京都内でよろしくおねがいします^^

Aベストアンサー

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この中で行ったのは・スマトラカレー共栄堂(神保町)、エチオピア(神保町)だけですね。
今までに行ったのは
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キリスト教、特にカトリックにおいては、神へは「崇拝」、三位一体へは「礼拝」、聖人へは「崇敬」、聖母マリアには「超崇敬」を行うとされていますが、実際には、「崇拝」・「礼拝」・「崇敬」・「超崇敬」は、どのような点が異なるのでしょうか?

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うがありません。
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霊」にします。
父なる神に祈る時とキリストに祈る時の違いは
「主よ、哀れみたまえ」
又キリストに祈る時は
「キリスト、哀れみたまえ」
となります。
又聖霊についてはとても難しく、特に我々日本人には
理解しにくい部分があって、私は勝手に亡き両親とか
知人に祈る時、その洗礼名を唱え、
「聖ペトロ、われらのために祈りたまえ」で日本式
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ありますか?

#1の回答者です。
あまりに崇高なご質問。私のような若輩者には答えよ
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今あまり聖書研究出ていないので、突っ込まれるとそ
こまで考えていない私が恥ずかしくなります。

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霊」にします。
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Qカレーのおいしい!お店をおしえてください

カレーが大好きです!ライスでもナンでもそのままでもオーケーです。
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2.高田馬場にある”夢眠”:野菜の使い方がうまいカレー屋です。野菜系のカレーではダントツにおいしい。ベーコンエッグトマトを薦めておきます。
3.東京武蔵小金井にある”プ-さん”:ルーは普通ぽいのですが、上に乗っている野菜を揚げた物がとても美味しい。
4.東京宝町にあるドンピエール:周りでは上品にお見合いなどがされていた。デートにはいいかも。
5...まだまだ言いたいことがいっぱいあります。

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Aベストアンサー

イザヤ書の写本を見てみないとわからないのですが、、、、

といっても私はヘブライ語もアラム語も読めないので、読んだとしても、「こうです」とはいえません。


が、一つ知っていることがあります。

これまた原文というか昔書かれたものを実際みてみないと、確証は無いのですが、日本の神話の創世記と、ユダヤ書の創世記がそっくりのようなんですね。


日本の創世記に関しては、現代語にしてあるものしか読んだことはありませんが、「そして そして そして」で文章が連続して書いてありました。


ヘブル語の特徴もそれ。
英語に直すと 「and and and」だそうです。

しかし、ギリシャ語だか英語だか忘れましたが、翻訳したとき、「and and and」という連続した文章を、別の接続語に置き換えてしまったそうです。

すると意味合いが違ってきて、翻訳者の意思が介在し、ポイントができてしまう。
ポイントをつけたことで、他の部分が弱められ、断絶してしまう。
時間は連続性があるのに、切れてしまうわけです。



神の概念は過去現在未来と連続した存在なのに、、、、
切ってしまっては、、、、


何かの本で、その妙な翻訳のせいで、本来の意味とは違ってきたのではないか という指摘を読んだことがあります。

で、今ちらっと調べてみたら、andに該当するヘブライ語はkaiという語だそうです。
新しく始める文節であっても連続性を出すため kaiでつないでいくらしいです。


原文というか写本を見ないと(見ても読めませんが)、それが本当かどうか確かめられませんが。

Arise, shine; for thy light is come, AND the glory of the LORD is risen upon thee.

なら and arise and shine and the light has come and the glory of the lord is risen upon you.

になるような気がします。
その順番通りに連続して起こるという。


for じゃなく andが本来の意味に近い気がします。

イザヤ書の写本を見てみないとわからないのですが、、、、

といっても私はヘブライ語もアラム語も読めないので、読んだとしても、「こうです」とはいえません。


が、一つ知っていることがあります。

これまた原文というか昔書かれたものを実際みてみないと、確証は無いのですが、日本の神話の創世記と、ユダヤ書の創世記がそっくりのようなんですね。


日本の創世記に関しては、現代語にしてあるものしか読んだことはありませんが、「そして そして そして」で文章が連続して書いてありました。
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また、わかればでいいのですが、エチオピアには「80年ほどまえに、シマガツオが大漁に漁獲され、一般の食卓でも食べられるようになった時代に、丁度、エチオピアの要人の来日があり、新聞などを賑わせたことに由来して、日本漁船の船員が「エチオピア」と呼び始めたといった説」があるそうですが、これは上記エチオピアすべてに共通してのことでしょうか?

Aベストアンサー

すべて「シマガツオ科シマガツオ亜科」に属する魚ですが、それぞれの「属」が違います
シマガツオ属シマガツオ種
マンザイウオ属ツルギエチオピア種
チカメエチオピア属チカメエチオピア種
で、最初に書かれたヒレナガマンザイウオは「ヒレジロマンザイウオ属」のヒレジロマンザイウオ種
のことを言うのではないかと思いますが・・・
で、4匹ともそれぞれ特徴が違うようです。が、このシマガツオ亜科を市場では混称して「エチオピア」と呼ばれているとのことです。
そして、その由来として、質問者さんの書かれているような事のほかに、この黒褐色の南方魚のことを
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   「見よ、わたしがイスラエルの家、またユダの家と、
    新しい契約を結ぶ時が来る」と、主は言われる。

   「それは、わたしが彼らの先祖の手を取って、
    エジプトの地から導き出した日に、
    彼らと結んだ契約のようなものではない。
    彼らはわたしの契約に忠実でなかったので、
    わたしも彼らを顧みなかった」と、主は言われる。

   「それらの日の後、わたしが
    イスラエルの家と結ぶ契約はこれである」と、主は言われる。

   「すなわち、わたしの律法を彼らの思いに置き、
    彼らの心にそれを書きつけよう。
    わたしは彼らの神となり、
    彼らはわたしの民となる。
    彼らはそれぞれ自分の同胞に、
    それぞれ自分の兄弟に、
    『主を知れ』と言って教える必要はなくなる。
    小さな者から大きな者に至るまで
    彼らはすべて、わたしを知るようになり、
    わたしは、彼らの不義を赦し、
    もはや彼らの罪を思い出しはしないからである。」
     (エレミア書 31:31-34)

 神は「新しいもの」と言われることによって、最初の契約は古びてしまったと宣言されたのです。年を経て古びたものは、間もなく消えうせます。
  (ヘブル 書8:7-13)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 詳しい内容をおしえてください。単純に捉えていましたが 注意しなければならない意味があるのかも知れません。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 もし、あの最初の契約が欠けたところのないものであったなら、第二の契約の余地はなかったでしょう。
 事実、神はイスラエルの人々を非難して次のように言われています。

   「見よ、わたしがイスラエルの家、またユダの家と、
    新しい契約を結ぶ時が来る」と、主は言われる。

   「それは、わたしが彼らの先...続きを読む

Aベストアンサー

>教会とはなにか、ということにこの問題の鍵があります。

こんな謎めいた言い方をしたのは、教会の研究だけでもいくら時間があっても足りないくらいであり、たかだか数行で教会とはこうだとは言い切れないからです。

ただ、教会の原点はマタイ18:20の、2人または3人集まるところに私(イエス)もいる、ということに尽きると思います。そのエクレシアこそが教会であり、その意味ではおっしゃるとおり家庭が教会であり、そして万人が祭司です。その頭がキリストとなります。

それでは現在の諸教会は間違っているのか、ということになりますが、答えは、その通り間違っている、となります。その根拠は、どの教会も自分達の教会が真の教会と思っているところにあります。自分達の教会こそ、イエスが共におられる教会と思っているからです。
幾千にもあるいは万にも分裂した教会のどれか1つが正当な教会であるはずがなく、その意味でもすべてが間違っています。
それでは教会があること自体が間違っているかというと、それはそうではないと思います。そこに教会の生い立ちを研究する必要性がでてきます。

使途時代の集会は、それこそ2人、3人が家庭に集まるものであり、牧師職があるわけでもなく、ただリーダー的な人の家にてキリストの教えを勉強したものと思われています。
やがて、それが拡大するに従って、偽教師の潜入を防いだり、あるいは教えを正しく伝承するために、組織としての結束が必要になってきます。
コンスタンティヌスのキリスト教解放により、さらに強固な組織、カトリック教会が発足し、教えを正しく伝承することに努めますが、政治的な力を持つようになり、シビリアン・コントロールをするようになってから道を踏み外します。また聖書を庶民から隠蔽し、都合の良いように改ざんし始めます。
やがて有名な免罪符をきっかけとして、ルターの宗教改革となります。
宗教改革により、聖書は庶民のものとなります。ルターは、キリスト教伝承の立場から教会そのものは廃止しませんでした。また、イエスが制定したとされた洗礼と聖餐式も廃止しませんでした。
この洗礼と聖餐式を残したがために、今日数え切れないほどの宗派、団体が存在します。
これは、教会が間違っているととるのではなく、教会のありかたを間違って解釈していると考えます。教会とは形式主義を行うところではなく、聖書に基づいて神の言葉を正しく伝えるところです。
キリストの教えを守り、正しく伝えるために、教会という組織があり、規則があることは、教えを正しく伝えるという意味においてあって当然のものと思います。
ただ、そうした教会を必要としない人たちがいることも、いたって当然なことです。
かいつまんでいうと教会の歴史は上記のようになりますが、家庭が教会の基本であることは今でもなんら変わりないと考えています。

教会はキリストの教えを守るために必然的に生まれてきたものであり、あって当然と思います。
しかし、そこに形式主義を取り入れて、洗礼を受けなければならないとか、10%献金をしなければ神に反するなどというのは間違って教会を解釈しています。イエスはそのようなことを一切言ってもいなければ制定もしていません。洗礼も伝統ある深い意味のある儀式であり、献金も組織の運営には必要です。しかし、それを義務としたとき、つまりそれを行っていなければクリスチャンではない、というのであれば、それは間違っていると考えます。

Brageloneさんの質問に立ち返って、家庭が信仰の基本であり教会であることは上記でも記載した通りです。また、国家はその家庭の集合体ですから、国家が主の家というのもその通りだと思います。
しかし、その国家と政治国家とはまったく別です。なぜなら、政治国家はこの世のものですが、信仰国家はこの世のものではありません。

>教会とはなにか、ということにこの問題の鍵があります。

こんな謎めいた言い方をしたのは、教会の研究だけでもいくら時間があっても足りないくらいであり、たかだか数行で教会とはこうだとは言い切れないからです。

ただ、教会の原点はマタイ18:20の、2人または3人集まるところに私(イエス)もいる、ということに尽きると思います。そのエクレシアこそが教会であり、その意味ではおっしゃるとおり家庭が教会であり、そして万人が祭司です。その頭がキリストとなります。

それでは現在の諸教会は間違っ...続きを読む

Qエチオピア人はネグロイド?

エチオピアのマラソン選手の容姿を見ると、ケニアの選手とは明らかに違います。
エチオピア人はネグロイド? コーカソイド?

Aベストアンサー

エチオピア人はネグロイドです。以下のURLを参考にしてみてください。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E4%BA%BA

ネグロイドもいくつかにわかれるようです。

Q『言行一致の勇気ある実践哲学者が、なぜ現代情報化社会に生まれてこないの

『言行一致の勇気ある実践哲学者が、なぜ現代情報化社会に生まれてこないのか?』

 ネット苦手人間なので リニューアル後のタイトル文(上記のような)を書く場所が解かりません^^。

あとで重複箇所が出来てしまう場合は 取り消せるなら上記の部分を消すことにしてともかく書いてみますね。

私はアカデミックな哲学の世界にたいへん無知な人間なのですが 現在 アカデミックな哲学の世界に失望しています。

なぜ、 諸学問を統合して、 人間に役立つ論理の構築をしてくれないのでしょう。

同じ生涯の意識内の世界であるならば、すべて学問はすべて有機的なカタチで結びついているはずです。 それをより生き生きと 私たち人間の生涯に役立つように総合的に考察して そこに その礎(いしずえ)となるような精神的バックボーンを与えてくれ、そこに、現代の問題がいかに大きく複雑でも それを解決する糸口や見通しをつけるべく、すくなくとも その実践のための土台を提供し、 そこにコミュニティなり 社会なり 政治なりに実践をともにしてくれる哲学が、    なぜ、 いままでの哲学を多く総合的に学んでこられた方の中から出てこないのだろうか?

それが、アカデミックな過去の哲学への 私の疑問です。

現代は情報化時代であり、 昔より多くの人間の問題を よりリアルに認識し、考え抜き、迷い、解決の糸口を求めつづける端緒が私たちの生涯の意識の中には、 そこから目をそらさない人であるかぎり、 育ち膨らんでくるということもあるかとは思います。(昔の哲学よりも、現代から生まれつつある哲学を重視しようという考えです)

が、そのための、学問の総合化への意思を、 哲学の質疑に、今のところは見出せないでいます。

建築の図面を描けば、それは建築物を作るときに役立ちます。 その建築が どのように私たちの生涯と関っているのか、より大きく関れるのかを分析すること(哲学すること、総合的に現代の諸学問、科学を活用して考えること)は、さらに役立ちます。  それだけよりよい図面を描けるようになるからです。   が 同時に そこに人間に役立つ諸学問、諸学問の成果とは関係ない、 無数の線を引いてその意味?を問い続けることもおそらく論理的には可能でしょう。  でも 哲学ってそれでいいのですか?

 痛みや、幸せへの希求の世界が私たちの意識の内奥にこんなにも 痛々しく、せつせつとして流れているのが現代文明社会なのに、  なぜ、経済を 苦しみをできるだけ少なくしてさらに発展させる産業や商品アイデアの基盤を総合的に誰も哲学者は考えてくれないのでしょう?

なぜ、医療がこんなにも矛盾の内に存在を余儀なくされて医療自体すらも苦しんでいる時に哲学は何も答えられないのでしょう?

いくらでも 切々とした問題は山済みですが、本来総合的な力を持った思索の世界が 言行一致した実践ととにもあるというのならば、哲学は、この現代にこそ必要な学問(思索)だと思うのですが、

それとも、 例えば事実とか現象とか言う言葉で それを語るのに難しく考えようとすることにこだわっているのが現代哲学者ということであるというのならば、 もはや、わたしは哲学者たちには期待しないで済むのですが(かなり皮肉となってしまいましたが)

みなさんは、 このへんをどうお考えですか?

実践派なので^^、 ゆったりとしていられず、 『すぐに回答を!』を選ばせていただきます。

宜しくお願いいたします。

『言行一致の勇気ある実践哲学者が、なぜ現代情報化社会に生まれてこないのか?』

 ネット苦手人間なので リニューアル後のタイトル文(上記のような)を書く場所が解かりません^^。

あとで重複箇所が出来てしまう場合は 取り消せるなら上記の部分を消すことにしてともかく書いてみますね。

私はアカデミックな哲学の世界にたいへん無知な人間なのですが 現在 アカデミックな哲学の世界に失望しています。

なぜ、 諸学問を統合して、 人間に役立つ論理の構築をしてくれないのでしょう。

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Aベストアンサー

>社会を変えてゆける企業。
企業は社会を変えています。しかしその方向性は善ではない。鰤ジストンが今の首相を作り出したように、ト与太は、アメリカに、三とおりーは、フランスに別荘地帯を作り上げています。世界有数の「日本企業の富」が国民に行き渡っているかと問えば、答えは簡単に出ます。否です。

もっとわかりやすい例で見ると、航空機部門でしょうか。日本は70年代以降中型航空機を含め製造さえしておりません。現状としては、「わしは、飛行機の扉を作ったことがある」と名乗りを上げた企業が、経験者としてしゃしゃりでてきて、数兆円を受け取っています。こういう幼稚な段階です。

日航関係・航空機開発事業関係をご観察ください。利権の奪い合いです。お金を払うのは誰か?お金をもらうのが誰か?を見てゆく必要があります。

しかし企業側の弁解として、企業は、あくまで私企業であります。法的にも営利目的を持ち、税金を払っています。金を稼ぎすぎたらどうだということは、個人的には、ぜんぜん問題ではない。

ここで、強調するべきこととしては、税金を払いたくないのが、贈与される側であるということなのです。
また、税金の浪費をしているのが誰かということです。

国を破壊したのは誰か?答えは、寄生虫です。誰がビックバンしろと頼んだのか?わたくしでは、ありません。ご注意ください。これはおじじの仲間が関与しています。金融恐慌の只中にあって、W大が、スポーツ経済経営に興味を抱いて、変なアメリカ人を講演者として呼ぶという現象が、なぜ起こるかということを考えるべきなのです。

訂正
誤(光-科学変換)
正(光-化学変換)

>社会を変えてゆける企業。
企業は社会を変えています。しかしその方向性は善ではない。鰤ジストンが今の首相を作り出したように、ト与太は、アメリカに、三とおりーは、フランスに別荘地帯を作り上げています。世界有数の「日本企業の富」が国民に行き渡っているかと問えば、答えは簡単に出ます。否です。

もっとわかりやすい例で見ると、航空機部門でしょうか。日本は70年代以降中型航空機を含め製造さえしておりません。現状としては、「わしは、飛行機の扉を作ったことがある」と名乗りを上げた企業が、...続きを読む

Qエチオピア人は白人なのですか?黒人なのですか?混血人種なのですか?

皆様今晩は。いつもお世話になります。
今回、お尋ねしたいことはエチオピア人の人種についてなのですが、
彼ら、もしくは彼女達は黒人なのでしょうか?それとも白人
なのでしょうか?そして、混血人種なのでしょうか?

テレビでエチオピア人を見てきた限りだと、肌の色は黒人
のようなのに、顔の骨格は鼻が高くて白人の血が混じってる
ようにも見えます。
もし皆様の中で、エチオピア人の人種について教えて頂ける方が
おりましたら、ご回答を宜しくお願い致します。

Aベストアンサー

私も興味があったので調べてみました。
wikiには以下のように書いてありましたよ。

(国民)
エチオピアにはアラブ系や非アラブ系の黒人など 80 以上の異なった民族集団が存在する。
黒人が人口の大多数を占めている。


(民族)

オロモ人 40%、
アムハラ人 33~35%、
ティグレ人 7%、
ソマリ人 4% など  です。

Q創世記9章18節~28節の読み方は?

90 創世 9:18 箱舟から出たノアの子らはセム、ハム、ヤペテであった。ハムはカナンの父である。
91 創世 9:19 この三人はノアの子らで、全地の民は彼らから出て、広がったのである。
92 創世 9:20 さてノアは農夫となり、ぶどう畑をつくり始めたが、
93 創世 9:21 彼はぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっていた。
94 創世 9:22 カナンの父ハムは父の裸を見て、外にいるふたりの兄弟に告げた。
95 創世 9:23 セムとヤペテとは着物を取って、肩にかけ、うしろ向きに歩み寄って、父の裸をおおい、顔をそむけて父の裸を見なかった。
96 創世 9:24 やがてノアは酔いがさめて、末の子が彼にした事を知ったとき、
97 創世 9:25 彼は言った、/「カナンはのろわれよ。彼はしもべのしもべとなって、/その兄弟たちに仕える」。
98 創世 9:26 また言った、/「セムの神、主はほむべきかな、/カナンはそのしもべとなれ。
99 創世 9:27 神はヤペテを大いならしめ、/セムの天幕に彼を住まわせられるように。カナンはそのしもべとなれ」。
100 創世 9:28 ノアは洪水の後、なお三百五十年生きた。

さて、質問です。
全体として何を述べているのか少しも分かりません。
1  9:24 末の子とは誰ですか。セムかヤペテで、多分ヤペテではありませんか。カナンはノアの孫であって末子ではないと思いますが?はて?
2  9:24末の子が彼(ノア?)に何をした、と言うのですか。何をしたとも述べていないようですが。

よろしくお願いします。

90 創世 9:18 箱舟から出たノアの子らはセム、ハム、ヤペテであった。ハムはカナンの父である。
91 創世 9:19 この三人はノアの子らで、全地の民は彼らから出て、広がったのである。
92 創世 9:20 さてノアは農夫となり、ぶどう畑をつくり始めたが、
93 創世 9:21 彼はぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっていた。
94 創世 9:22 カナンの父ハムは父の裸を見て、外にいるふたりの兄弟に告げた。
95 創世 9:23 セムとヤペテとは着物を取って、肩にかけ、うしろ向きに歩み寄って、父の裸をおおい、顔...続きを読む

Aベストアンサー

>全体として何を述べているのか少しも分かりません。
イスラエルは、後にカナンの地を征服したので、それを正当化するための理由付け。

>1  9:24 末の子とは誰ですか。セムかヤペテで、多分ヤペテではありませんか。カナンはノアの孫であって末子ではないと思いますが?
どう読んでも混乱は免れません。
一応は、ハム。(ヤペテでは全体の意味がまるで通らなくなる。)
別説として、
・ノアとハムでなく、ハムとカナンの話。
・末子を孫息子の書き誤りと考え、カナン。

>2  9:24末の子が彼(ノア?)に何をした、と言うのですか。
書かれていることを字句どおりにとると、ノアの裸体かつ泥酔状態をハムがいいふらしたこと。
(ハムは、ノアの裸を隠す行動に出るべきで、言いふらすのは論外。)
うがった見方をすれば、近親相姦。
※レビ記18-6,7では、裸=肉体関係の意味で使用しているため。
 あなたがたは、誰も、その肉親の者に近づいて、その裸を暴いてはならない。
 わたしは主である。あなたの父の裸も、あなたの母の裸も、これを暴いてはならない。

以上、「アジモフ博士の聖書を科学する」 社会思想社 1983年出版 より。

>全体として何を述べているのか少しも分かりません。
イスラエルは、後にカナンの地を征服したので、それを正当化するための理由付け。

>1  9:24 末の子とは誰ですか。セムかヤペテで、多分ヤペテではありませんか。カナンはノアの孫であって末子ではないと思いますが?
どう読んでも混乱は免れません。
一応は、ハム。(ヤペテでは全体の意味がまるで通らなくなる。)
別説として、
・ノアとハムでなく、ハムとカナンの話。
・末子を孫息子の書き誤りと考え、カナン。

>2  9:24末の子が彼(ノア?...続きを読む


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