ふと、気になったことなんですが、
四季の概念ってどこで生まれたものなのでしょうか?

春夏秋冬、spring-summer-fall-winterと
他の言語圏はわかりませんが、なぜどちらも
4つに分かれているのだろうか、と考えてしまいました。

どなたか知っている方、教えていただければと思います。

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A 回答 (4件)

四季があるのは地球の自転軸が公転面と直角の方向から23.4度傾いているからです。

私はこれを昔小学校の時に教わりましたが、地軸が傾いていると四季がある理由はすぐに分かりました。今の方はゆとり教育で、そんなことも教わっていないのでしょうか。可哀想ですね。さて、質問者さんも四季の原因を人に説明が出来るようになったら、それに加えて次の話も付け加えておいて下さい。受けること間違いなしですから。

私はアメリカのテキサスに住んだことがあります。そのときアメリカ人の友人に私は文句を言いました。「日本には春夏秋冬のはっきりした四季がある。それなのに、テキサスには冬と夏きりないではなか」と。そうしたら、その友人が本当に次のことを言いました。「いや、テキサスにも四季はあるよ。ただし一日で全部来るけどな。」

この話が面白かったので、私がヨーロッパの友人にこの話を言ったら、彼はヨーロッパにはもっと面白い話があると言いました。「これはフィンランドの話だ。今年の夏は運が良かった。何故なら夏が日曜日に来たからだ。」

お後が宜しいようで。
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 ざっと調べてみましたが、私見も混じっているので話半分で


読んでください。気候は世界各地で異なりますが、日照時間の
変化は世界共通です。

※南半球では逆になりますが、言語的には南半球は無視できます。

 つまり、もっとも夜の長いのが冬。日が長くなるのが春、
もっとも太陽に恵まれるのが夏、日が短くなっていくのが秋です。

 英語で春は spring ですが、これは 16 世紀くらいに「 泉 」や
「 湧き出る 」のほうの spring から派生して生まれた用法です。
それ以前は lencten ( 長さ= length と同じ語源 )と呼ばれており、
ようするに「 日が長くなる 」という意味だったのです。

 ちなみに中世のヨーロッパは小氷河期の影響で、いまよりずっと
冷涼な気候でした。ですから、我々がいま暖かいと感じている春も
そのころはまだ暖かくはなく、晩冬くらいのイメージだったはず。
その意味で、四季としての春はやはり、日が長くなる季節という
概念で捉えられていたはずです。

 いっぽうで、赤道に近くなると日照時間の変化も小さくなります。
しかも季節の変化も雨季や乾季の影響のほうが強く、春夏秋冬という
分け方が当てはまりません。そのためか、アラビア語には「 秋 」という
単語がないようです( 間違っていたらスイマセン )。

 春という概念は、草木が芽吹くというイメージと重なりますから、
それが4月ごろかどうかは別とすれば、暑い中東でも成立するでしょう。
でも秋という概念は意外に難しいですね。もしかしたら収穫期に重なる
かもしれませんが、秋はむしろ、もっと寂しいイメージですからね。

 そういうわけで四季の概念は、日照時間の変化が大きい中緯度地方より
北では世界共通だと愚考します。ヨーロッパでもアジアでも共通の概念です。
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まいどっ



>>>
言い換えると”四季”と”season”では、
どちらからか派生したものなのか?
もしくは、もともと二つとも別に存在して、
偶々、4つに分けるというのが一致していただけなのか?
とかそういうことなのです。


なるほど。そういうことですか。
まず、四季の話から逸れますが、
同様の例として、数の数え方があります。
世界の多くの国々では、数の数え方として、元来、十進法が採用されています。
(ちなみに、フランス語では、20進法的になっている部分がありますが。)
これらは、(史実はともかく)手の指の数が両手合わせて10本ということと関連しているのは明白です。
人間の指の数は世界共通ですから。


>>>
イメージだと私の疑問は暦とかに近い感じです。
例えば、世界標準的に使われているのはグレゴリオ暦ですが、
中国暦であったり、イラン暦であったり、バリ島ではウク暦であったりと
もともとは土地土地によって違うものが使われていましたよね。


私は太陽暦と太陰暦しか知りませんが、
「月」は英語で「month」と言いますよね。month は、moon と同語源です。
つまり、月の満ち欠けの周期を利用して、1ヶ月を30日と定めています。
そして、月の満ち欠けの周期(30日)を12倍した日数を決めるとと、その日数でもって、だいたい同じような気象現象や植物の様子が周期的に現れるので、12ヶ月=1年 と定めたのでしょう。
これは、指が10本というのと同じで、世界の中で四季のある地域のどこの人が考えても、自然と同じ発想になるはずです。

(そして、長いこと観測している間に、太陰暦の360日周期だと、四季の現象と次第にずれていくことがわかってきて、何年間に1回「うるう月」を挿入して、その年は13ヶ月としたわけです。)

さて、
ここからは、まったくの推測ですが、
12って、2でも3でも4でも6でも割り切れますよね?
そして、まず、1年の中で気温・気候が似ている2箇所を「春」「秋」と決めちゃいます。
次に、「暑いとき」と「寒いとき」をそれぞれ「夏」、「冬」と決めます。
つまり、12÷4=3 で、3ヶ月ずつを1つの気候として定めるのが「美しい定め方」です。
2や3や6で割るよりも合理的な感じがしませんか?

私は、そう思います。
昔の人も、たぶん、そうやって四季というものを決めたんだと思います。

また、「12ヶ月」の概念がなくても、昼の長さが等しい春分と秋分を定めれば、おのずと夏至と冬至の概念ができますから、
それに四季を当てはめることは自然な発想だと思います。
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こんばんは。



>>>四季の概念ってどこで生まれたものなのでしょうか?

「四季の概念が生まれた」というよりは、「四季という現象がある」ということですね。
緯度が中途半端、つまり、北極・南極にも赤道にも近くない場所では、基本的に、日本と同じ四季、すなわち、春・夏・秋・冬という「現象」が発生しています。
(南半球の四季は、北半球の四季と半年違い・・・というか逆。)

(上記で「基本的に」を付けた理由は、緯度が中途半端であっても、砂漠気候などの例外があるからです。)


なぜ四季が発生するかについては、以前私が回答したQ&Aがありますので、
ぜひ、参考にしてみてください。

 ↓これです。
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2003245.html


以上、ご参考になりましたら幸いです。

この回答への補足

sanoriさん

ご回答ありがとうございます。
説明がうまくできていなくてすみません。
私が気になっているのは、

>>「四季という現象がある」

ということではなくて、言い換えると”四季”と”season”では、
どちらからか派生したものなのか?
もしくは、もともと二つとも別に存在して、
偶々、4つに分けるというのが一致していただけなのか?
とかそういうことなのです。
分類でいうと、乾期、雨期というのもそれに近いのかもしれません。

イメージだと私の疑問は暦とかに近い感じです。
例えば、世界標準的に使われているのはグレゴリオ暦ですが、
中国暦であったり、イラン暦であったり、バリ島ではウク暦であったりと
もともとは土地土地によって違うものが使われていましたよね。
季節も3つで分けていたりとか、そういう土着的に使われていた
分け方とか、そもそも一年を季節で4つに分けるという発想が
どこから来たのかなーというのを疑問に思ってしまったのです。

暦では調べれば色々わかるんですが、季節に関しては
どう調べたらよいのかわからなくて困ってしまったのです。

補足日時:2009/05/22 08:01
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Aベストアンサー

こんにちは。

アンデルセンという人は、その生涯そのものが、とてつもなく童話ですごいですね。

彼の生きた一九世紀初頭は、まだあちこちで王政の敷かれていた時代です。そんな時代に、田舎の最下層の階級に生まれ、身体も弱かったアンデルセンは、普通なら平凡な一生を終えた筈でした。
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彼は、十四の時、いきなり家出したのです。自分に歌と演劇の才能があると信じて、芸術家として年金をもらおうと、遠路はるばる、王様に直談判しに行ったんです。

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二十五で自伝的小説を完成。もちろん彼は、最初から受け入れられた訳ではありません。普通、自己宣伝にコレつとめる奴というのは嫌われます。特にアンデルセンは、学も足りないし、生い立ちゆえに様々なコンプレックスを抱えていまして、自己憐憫も強く、愛されないという不満の強い人間でしたから、良識ある上流階級からは好かれませんでした。

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Qなぜ大阪都市圏に人口が集まる…?

こんにちは。

中学生です。
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なぜ『大阪都市圏』に人口が集まるのでしょうか
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Aベストアンサー

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江戸自体の商業の中心地でした。

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おおいに賑わっていました。

そのような歴史背景から、近代以降も
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若い労働力人口を中心に大阪に集まったというところでしょう。

新しい(といっても、もう30年前ですが)ところでは、新日鉄小倉製鉄所の
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私の通っていた、1学年2クラス40人弱の田舎の小学校が、
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ちなみにうちのひいひいじいさんは、徳島の農家の息子で
大阪に丁稚奉公にでてきたそうです。私もそんな人々の子孫の一人だということです。

そうやって徐々に、また突然増えて行くもんなんですね。

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Aベストアンサー

子供の頃に読んだお話って、ずっと心に残っていたりしますね。


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切なくて、キレイで、純粋なお話だなぁ…と。


こんな純粋な気持ちを忘れずにいられたらいいなぁと思います。
http://www.waseda.jp/L1-jbk/hyo/mermaid.html

Qアンデルセン

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Aベストアンサー

3年後(2005年)アンデルセンの生誕200年となります。

日本では『みにくいあひるの子』『マッチ売りの少女』『人魚姫』『はだかの王様』などが有名ですが、アンデルセンは160編を超える童話を残しました。(岩波書店と小学館から『アンデルセン童話集』として完訳本が出ています)生前、詩、小説、戯曲、旅行記、随筆なども出版しました。

デンマークの一童話作家にとどまらず、世界中の人々に愛読される作品を残した功績から、1953年、国際児童図書評議会(IBBY)により「国際アンデルセン賞」が創設されました。これは、子どもの本の国際的な賞です。選考水準の高さから「小さなノーベル賞」ともいわれています。

(美智子皇后が、今年スイスで開かれたIBBY世界大会で、1998年インドでの世界大会に引き続き、記念講演をされましたね)

国際アンデルセン賞に関するサイトは

     http://www.jbby.org/ibby/activities02.html

です。過去の受賞者には、日本人も3人含まれています。

アンデルセン自身に関するサイトは、下の参考URLに記載したものが、情報量がいちばん多いようでした。彼の略歴も載っていますし、関連サイトへもいろいろJUMPできます。

略歴を見るとおわかりになるとおり、彼は決して恵まれた子ども時代を過ごしてはいません。貧しい家庭に育ち、舞台俳優をめざしますが、声も容姿も俳優には向かないと言われ、いろいろな職業を転々としました。恋も成就することはなく、一生独身を通しています。

貧しさ、肉体的素養、精神的素養、どれをとっても逆境としか言えない中で、戯曲や旅行記、詩の執筆から作家として歩み始めましたが、最初はかなり厳しい評価も受けたようです。日本でよく読まれる彼の童話は、美しくやさしいものがたりが多いのですが、他の作品を読むと、ただ純粋無垢な話ではなく、風刺や皮肉がきいたものもけっこうあります。きれいごとだけではなく、生きる上での深い闇をも知った上で、なおかつ「愛」とか「希望」とか「信じる」ということを大切にする・・・アンデルセンの童話には、そういうものが感じられるとわたしは思います。

おまけ:アンデルセンは、切り絵が得意でした。コペンハーゲンのアンデルセン博物館に多数展示されているそうです。わたしは本で彼の切り絵を見たことがありますが、ユニークで、数学的センスや頭の良さも感じました。

参考URL:http://homepage1.nifty.com/~midori-room/andersen.html

3年後(2005年)アンデルセンの生誕200年となります。

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