思考は現実化する
ザ・シークレット
7つの習慣
成功の9ステップ
ユダヤ人大富豪の教え
etc...

この質問を読まれている方は、自己啓発に興味がおありかと思います。
また、上記の有名な自己啓発系の本を全部読んでいるかもしれませんし、読まれていないものもあるかもしれません。

私がこれらの本を読んでどうしてもわからないことがあったので、質問させて頂きたいのです。理解力のなさを申し訳なく思います。

自己啓発の本には、大体下のようなことが書かれているかと思います。
『成りたい自分をイメージすれば、その通りの自分になれる』

思ったとおりのことが現実となりうるのであれば、メルヘンと思考の違いはどこにあるのでしょうか?

私は今「今すぐに空を飛びたい!!」という思考をしても空を飛べません、今やってみました。

この場合思考は現実化していませんが、ライト兄弟は飛行機を作って見事空を飛ぶことができました。

現実化する思考と現実化しない思考、この違いは一体何なのでしょうか?

あるいは区別がつかないから信念を持ってできるまで努力をすべきということですか?

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A 回答 (8件)

>現実化する思考と現実化しない思考、この違いは一体何なのでしょうか?



 対象を把握する、その仕方の違いだと思います――言ってみれば、記号と象徴。

 例えば「空」をイメージしてみる。青く澄んだその色や、真っ赤に染まるその色ひとつをとっても、色で空を把握することは叶わない。見上げたときの広がりと、見下ろしたときの薄っぺらな空を、あるときは地表の伸張として把握できても、それはひと時のことであって、やがて空は空へと変わり、暁は今日へと姿を変える。
 空に対するこのような把握の仕方は、決して完全には知り得ない「何か」を、表現可能な最上の妥当性で掴み取ろうとする所作だと思える。
 例えばそれを、象徴的把握と呼んでみることにする。

 それに対し、空を置き換え可能な代替物として把握する仕方がある。空を構成する成分であり、それは粒子であり、流体であるような、空に対する賛辞からすればその表現は決して妥当とは言えないものではあっても、それは類似物に見立てて把握することで、空の「何か」を掴み取ろうとする所作だと思える。
 これを、記号的把握と呼んでみることにする。

 「飛ぶ」という行為を考えたとき、それが現実化するだろう仕方は、いったいどちらの把握をする場合だろうか。それは、おそらく後者ではないだろうか。なぜなら、前者で「空」を把握する者は、すでに飛んでいるからなのだろう。ルイス・セプルベダの『カモメに飛ぶことを教えた猫』を読むとき、読者はきっと、この時制の異なりにいちばん胸を打たれるのではないだろうか。
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この回答へのお礼

とても興味深く参考になるご回答ありがとうございました。

>前者で「空」を把握する者は、すでに飛んでいるからなのだろう。

正直よくわかりませんが、このところをもう少し深く考えてみたいと思います。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/05/23 09:49

僕も詳しくはないですが、かつ,あまり好きでもないのですが、


本気かどうか、の違いだと思います。

空を飛びたい、と思ったとき、自分は間違いなく空を飛べるんだ、と思いました? 髪の毛一本ほども疑いはありませんでしたか?
たとえ今はだめでも、死ぬまでには自分は飛べるようになるんだ、とか思いました? 

希望じゃなくて、たぶん本気でそうなれる、と思え、ということかなーと思います。自己啓発系の本の言っていることは。
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この回答へのお礼

シンプルなご回答、ありがとうございます。

>本気かどうか、の違いだと思います。

確かに、心の中では、そんなはずはないと思っていたりしますもんね。

そして、根本から変わるというのは難しくも簡単でもあるような気がします。

ありがとうございました。

お礼日時:2009/05/23 09:05

こんばんは、tamanegi3さん。




うーん? 用法のちがいみたいなもんじゃないかな?

たとえば…

森の中

ずんずんずんずんと

森の中の道を

奥へ奥へとすすんでいく

すると T字路にさしかかる

そこには 立て看板がひとつ(案内板)


求めよ、さらば与えられん。
尋ねよ、さらば見出さん。
門を叩け、さらば開かれん


と 書いてある

この案内板を目にしたあと

この先 あなたなら どうする?


この、「ら-れん」が曲者のような気がする。(まったくの無根拠だけど…)

可能と推量の用法ととるか

ふむ、

「み-ら-れん」
http://www.weblio.jp/content/%E3%81%BF%E3%82%89% …

禁止の用法ととるか


T・P・Oの使用用法のちがいが、結果にあらわれてくるんじゃないのかな?
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心に強く思い描いたことは、ある程度現実化してきます。



それは心そのものが現実と強く結びついているものだからだと思います。

さて、「空を飛びたい」という思考ですが、具体的に強く結びついていないから実現しないのだと思います。

仮に空を飛べても、それが今までの現実とリンクしていない。
単純に空想だと、心が既に思っているからだと思います。

現実的思考は日常的生活のために不可欠で、空を飛びたいという思考は、現実逃避の面が強いのではないかと。

実際に必要で、それが自らの人生にとって必要不可欠のことなら強い思考によって結びつく面もあると思います。

しかし思考は危険な要素も持ち、あまりに無意味なことは天や世の中が許してはくれません。
それは必要ないことだからです。
本人にとっても周りの人にとっても。

自他共に有用な能力なら、使用可能になる場合もあるかもしれません。
広い視野が必要で、その時にはその人は大人になっているはずです。
ある程度の分別はついていると。

現代の日本は頭の良い人が多く、複雑化しています。
切実な思考なら、叶うときもあると思います。

さて、空を飛びたいという願いですが、飛べますよ。強く思えば。
人間は不思議な生き物ですから。
しかし現実、幸せには直結しないと思います。

超能力は迷惑な側面も多いですが、勘と言うか、意外に超能力を知らず知らず持っている人は案外と多いです。
真面目に何かに打ち込めば、眠っていた力が出てくる場合があります。
が、問題は幸せに役立つかどうか。
そちらのほうが重要です。
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この回答へのお礼

スピリチュアル的な回答、ありがとうございました。

>単純に空想だと、心が既に思っているから

確かにそうですね。表面上「空を飛べる!」と思ってはいても、心の中では「無理!」と同時に思っている自分がいたりするようです。

そして、この場合心で思えば現実化は可能ということになりますが、貴方がおっしゃるよう、幸せかどうかを考えるべきですね。

お礼日時:2009/05/23 09:00

[現実化する思考と現実化しない思考、この違いは一体何なのでしょうか?



違いは観察力の欠如ですね。
鳥が空を飛ぶことは目が見えるものであれば誰しも理解します。では何故飛べるのだろうと考えたことがありますかと問えば、ほとんどの人は考えたこともないでしょう。これが、現実化する思考と現実化しない思考の違いですね。
同じく、風でりんごが落ちることなど誰でもわかることですね。でも何故落ちて、飛んでいかないのだろうと考える人はいないですね。
何故飛べるのだろう。何故りんごは落ちるのだろうと考えることができないと、それから先には進めないのですね。
飛ぶためには羽がいると気づけば、飛行機になるし、りんごは重力で落ちていると気がつけば重力に反した力を与えるロケットでりんごを飛ばすことはできるとなるわけですね。
メルヘンというのは私は鳥になりたい、犬になりたい、りんごになりたいと思う心ですね。考えるのは自由ですが鳥でも、犬でも、りんごでもない自分がいることは変えようが無いのですね。
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この回答へのお礼

わかりやすい文章と回答をありがとうございました。

>違いは観察力の欠如

なるほど、観察することによって、何ができて何ができないかの違いを判断することが可能ですね。

そして、一元論的に「観察とは何か?」をということを考えた場合によくわからなくなってしまいました。

そこらへんを含めて「観察する力」なのかもしれません。

ご回答、ありがとうございます^^

お礼日時:2009/05/23 08:52

こんにちは。



偶然ですが、以前私も同じ質問をしようと思っていました。
何とか自分で考えて答えを出したので、その私の解釈を書いてみます。

「思考(具体的に考えたこと)は(※具体的に行動できるので)現実化(努力が結実)する」ということだと思います。
ポイントは(※具体的に行動ができるので)の部分。要は、抽象的な「思考」をいかに具体的に目標を見つけて定めて行動できるかです。

(1)まず思考する(現状を理解する認識する)
 ↓
(2)考えると具体的な目標・目的・方法が見つかる(方向性や方法、どうすれば可能か)
 ↓
(3)目標・目的・方法を見つけたらより具体的に行動ができる
 ↓
(4)行動するということは何もしないより現実化されるということ
 ↓
(5)行動・継続・習慣化することでより現実化されるということ
 ↓
(6)結果、現実化する(結実)


例えば、「空を飛びたい」という例。この時点で思考は抽象的。目標・目的・方法が定まっていない。漠然としていますね。そこで、

飛行士などの目標を見つける((1)(2):思考)
 ↓
飛行士になるための勉強を始める((3)(4):具体的な目標が見つかれば、具体的な行動ができる)
 ↓
目標に向けてひたすら勉強する((5):強く願う=継続、数回落ちたぐらいでは諦めない)
 ↓
すると努力の結果に合格する、飛行士になって空を飛べる((6):実現化する)

この様に考えると、質問者さまの「空を飛びたい!今すぐ!!」という願いであれば、現時点で飛べるかどうすれば可能かというのは
「今すぐ空港に行ってチケットを買って飛行機に乗れば実現化する」のではないかと思います。


>現実化する思考と現実化しない思考、この違いは一体何なのでしょうか?
継続力だと思います。

>あるいは区別がつかないから信念を持ってできるまで努力をすべきということですか?
努力は行動ですから最も大切なことだと思います。

しかし、自分でもまだ他に納得できる説明はないものかと考え中なので、私も他のご回答に注目させていただきますね。
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この回答へのお礼

共感してくださる方がいて、とても嬉しい限りです。

>「思考(具体的に考えたこと)は(※具体的に行動できるので)現実化(努力が結実)する」

なるほど、思考自体が抽象的である限りは行動も起こせませんし、実現もできませんね。

つまり行動が起こせるということが現実であるという証拠なのかもしれません。

とても参考になりました、ありがとうございます。

お礼日時:2009/05/23 08:43

 思い込みと確認・検証された事実、メルヘンと思考の違いはここらにあるかもしれません。


 ごく当たり前に使っている携帯・TV・車その他多くのものが、そう遠くない昔には魔法でした。思い描けるが実現方法の分からない技術=魔法ということです。
 この辺を短絡思考してしまうと、魔法の修行に励んだりすることになり、自分の懐を肥やす魔法に取りつかれた人たちの良い肥やしとなるわけです。
 さて、「この質問を読まれている方は、自己啓発に興味がおありかと…」ということでしたが、タイトルにはそのような記入が無かったので開いてしまいました。結果として「宗教被害発生途上現場」に出会うことになったわけで、興味深いことです。
 「願えば実現」、なんと魅力的な言葉でしょう。何しろ何の努力もいらないのですから。しかし、これが事実ならば願いの数だけ世界が出来て、「願い別パラレルワールド」のオンパレード、星の数などと言っても追いつかないほどの宇宙の多さで、その重力により収縮し今頃はビックバン以前の事象の地平を超えた不可知領域(ある意味、メルヘン・ファンタジーが罷り通れる世界?)となっているでしょう。
 あなたの希望する『成りたい自分』がどのような自分なのか不明ですが、この世に生を受けたわけ(≒存在意義)を問うているのであれば、メルヘンと現実を区別したうえで、自らの存在意義を求める努力をしてください。
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この回答へのお礼

するどい指摘をして頂いて感謝致します。

宗教被害発生途上であることは私も感じています。

確かに、自らの存在意義を求めるべきですね。

ご回答、ありがとうございました。

お礼日時:2009/05/23 08:35

そもそもメルヘンと具体的な思考とは、意味が違います。


メルヘンは自己中心的に、その他の要素を考慮せずに、自分の志向だけを考えるものです。
たとえば、女性が「いつか白馬に乗った王子様が迎えに来てくれる」とメルヘンをもつとします。実際に白馬に乗った王子様が迎えに来てくれるかもしれないと言う点では、可能性は(限りなく低いものの)ゼロではありません。ただし、現実には以下の問題点があります。
・王子様ってほんとうに皇太子とか王太子とかのこと?
・白馬に乗って迎えに来たら、道交法はどうなる?
・迎えに来る前に出会うのはどうする?
などです。

ですので、現実的には、
・私を守ってくれるから王子様なの(それはナイト:騎士じゃないか?)
・白馬じゃないけど、白いバイクが鉄馬だからいいの。
・もちろん、出会ったのはもっと前、プロポーズにバイクで来てくれたいいの。
などと、現実的な思考(もろもろの要素を考慮して)で、現実的な結婚をするのです。

まあ、欺瞞といえば欺瞞なのですが、ライト兄弟だって、鳥のように空を飛びたいと考え、飛行機を発明しましたが、飛行機は鳥と同一に飛べるわけではありません。

「思考を現実化する」ためには、いくつもの具体的な要素を現実的に考える必要があるのです。これがメルヘン(夢想)との一番の違いです。

『成りたい自分をイメージすれば、その通りの自分になれる』は、ある意味その通りです。
しかし、理想的な「なりたい自分」をメルヘンチックに考えるのは良いのですが、成れる要素を考えると現実的な道は限られてきます。
たとえば「社長になる・経営者になる」と理想的な自分を置いたとしましょう。学生であれば、大企業に入ってトップに上り詰めるという思考を元に、就職活動なりその後の社会人生活を営み、目標を達成することもできるでしょう。
しかし同じ「社長になる・経営者になる」と社会人になってから考えると、今自分の所属している会社のトップは狙えるかもしれませんが、別の企業のトップを狙うのは難しいでしょう。
また学生も含めて、起業すれば(今なら0円で起業できます)とりあえず社長・経営者という肩書きに嘘はなくなります。ただ、それが自分の望んでいる姿かどうかは別です。

具体的な思考を行うと、「方法論」や「そこに至る具体的な道筋」というのは選択肢がいくつもあることが分かるでしょうし、具体的な行動も必要です。しかしメルヘンではそのあたりをまったく考慮せず、ただ夢を見るかのごとく、「こうなったらいいなーー」と考え、具体的な行動を起さない(というか取っ掛かりがなくて起せない)という点が違います。

最後に啓発本のからくりを説明すると、
1.成りたかった自分の動機を語る
2.動機をモチベーションに高め、持続させる方法論を語る。
3.思考を具体化し、行動に移す方法論を語る。
4.行動を持続させ、または危機のときに回避する方法論を語る。
5.目的を達成した後、振り返って反省点を述べる。
6.具体的なテクニックなどを伝授する。
これらが、ちりばめられて書いてあるのが普通です。
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この回答へのお礼

とてもわかりやすく詳しい解説ありがとうございました^^

>具体的な行動を起さない(というか取っ掛かりがなくて起せない)という点が違います。

確かに思考をしたところで行動に移せないということは、可能性すらないということになりますね。すなわち現実化不可。

そして啓発本のからくりの点も参考になりました。
ありがとうございます。

お礼日時:2009/05/23 08:31

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Q論理思考&感情行動 な女性の私 の欠点改善方法を教えてさい!

こんにちは。
私の最悪の欠点箇所をどうしても改善したく、どうか教えて下さい。

私は、女性の中でも割合理論的『思考』、と男性から言われます。
ただ、感情的『行動』です。。。
この感情的『行動の【怒】部門』のコントロール方法や、良いアドバイスを教えて下さい!!

私のイメージする、論理的/感情的 は下記です。
【論理的】
長所:筋道を立てて物事を考える。
短所:特殊を持ち出してそれを普遍性にしてしまう。

【感情的】
長所:感情に素直だから信頼関係が生まれると、打算や計算が奥には潜んでいない
短所:喜怒哀楽の表現の強さをコントロールできず露骨に表わす。
-----------------------------------------------------------
※文章読みにくくてすみません。句読点が苦手です。
宜しくお願いします。
ありがとうございます。

Aベストアンサー

見切り発進で書いていきますので纏まらない回答になってしまうでしょう、
また、上から目線の書き方になってしまいますが、予めご了承下さい。

誠に勝手ながら「この先輩は既婚50代で役職は無く、勤続年数が長い先輩です」
この先輩を先輩Aとさせて下さい。

この手の話の場合、大概色々なものが綯い交ぜになっていることが多いです。
とにかく、分けて考える術を身につけることです。
・先輩Aがuk_cyprus様を嫌いなこと。
・uk_cyprus様が先輩Aを嫌いなこと。
・>『あなたが、上司の横暴な態度に意見したから、
 >結局、上の耳にも入りそれで飛ばされて転勤になったんじゃない』
 と言われたこととそれが事実であったかどうか。
 たとえ事実であったとしてもuk_cyprus様には責任がありません。
 また、落ち度もありません。
 ただ、こんなことが異動の理由にはならないでしょう。
 >私が上司に意見したのは良かったことだったかどうか
 これは良かったと思います。
・>また凹んでしまいました。
 仕事のことと先輩Aのこと
これらは分けて考えましょう。

>『私だけに辛く当っているなら、意見していない。皆に横暴だからおかしいと思って意見しました』
たとえuk_cyprus様に対してだけであっても諫言はするべきでしたでしょう。
>『皆が言われているんだから、別に言う必要がないじゃない』
完全に論理破綻していますが、
そもそもこの先輩Aは論理的に示すことを目的にしてはいないでしょうし、そんな資質もないでしょう。
先輩Aは単にuk_cyprus様に文句を言いたいだけでしょうから・・・。
こういう人に対しては本来「相手にしない」という選択をするのですが、
>ここで、『その人はただの馬鹿だよと思えばいい』と行かず、
と、あるのですから無理なのでしょうね。そうなると向き合うしかありません。
>『その時、あなたも居たじゃない』を言いたいだけに、入って来たとしか思えない。
その通りでしょう。今は仕様が無いですね。対策を講じるしかありません。
>言い返す言葉は無かったのですが
沈黙は金(Silence is golden)

ただ、職場の人とうまくいかないのは相当ストレスだと思いますし、
uk_cyprus様自身のためにも、その先輩Aと仲良く
とはいかないまでも普通に接することができるといいですね。
とは言うものの突っ掛かって来ているのは先輩Aの方ですよね。

*************************************************************************************************

>相手が分るように論理的に話しているが、
>論理的思考しない相手が理解出来ないことに感情的口調になると言われました。
これは論理的思考ができるuk_cyprus様の方が、
相手が理解できる様に話し方を工夫する必要があります。
(相手が意識的に理解できない振りをしているケースは除く)
感情的になってしまいますと、それまでの折角の論理が説得力を失います。
Seiron04様も仰られていますように、
理解力の低い人間に理解させる楽しみが持てる様になると良いですね。

*************************************************************************************************

私は何か感情を逆撫でする様なことを言われたときは、
「ん!?、これは何を意図しているのだろう?」と考えてみます。
考えた結果、悪意であるという結論に至ったとしても、
ある程度時間が流れているので、
反射的に取り返しのつかないことを言ってしまうことはありません。
また、悪意であるという結論に至った場合は
「何故、悪意は向けられたのか?」と考えてその原因を探ります。
大抵は相手が誤解しているケースが多いので、誤解を解く作業に入ります。

*************************************************************************************************

例えば、回答番号4~6でのやり取りで
先ず、koketa58様は誠実に回答されていると思います。
>うつ病・解雇・再就職後の成績不振~と大声で言うです。
これは「怒るのヤ~メぴょん」に至った経緯です。
>おかげで1ヶ月後には社長をやっています。
これは「怒るのヤ~メぴょん」の成果です。
しかしuk_cyprus様は「社長」というワードに引っ掛かった。
ここで誤解が生じています。
koketa58様は「社長だぞ凄いだろ」と思ってはいないでしょう。
ですが本来は「人並みに仕事をし、それなりの生活が出来ています」
と書けばこんな感じにはならなかったでしょう。
そうすれば
>社長でも、無職の方でも、私の答えに影響しないです。
この言葉は出てきませんよね。
何れにしても、uk_cyprus様は「一言多い」という印象を受けます。
PCを使って書き込み、送信するまでに時間があるのに、これですから
面と向かって話していたら・・・。
>何言ってだかさぁ・・・
これはuk_cyprus様のノリに合わせただけだと思います。
しかし「社長云々」の後だったのでuk_cyprus様の方のノリが変わってしまったのだと思います。
それで、
>こう言う風に、相手の心情をご理解頂かない内に~
相手の心情を理解していないのはお互い様ではないでしょうか?
特に文面だけのやり取りですので・・・。
この時点で回答をやめるのが普通ですが・・・。
もし「伝わっていない」と感じたのなら違う表現で回答するでしょうが・・・。
>仰るとおりです。>失礼しました。
ですからね。良い様に取れば気分を害されたことへのお詫びでしょうが・・・。
>質問者さんならきっとオリジナルの「ぴょん」が出来ると思います。
が気になりますね。「オリジナル」は悪い様に取れば「変わってる」ということですので・・・。
>そして私は論破する。
論破できてませんよ。ただ、koketa58様が引いただけです。

このように誤解というのは簡単にできます。
しかし、解くのは難しいです。

※sukebena_s様にも気を遣わせ過ぎです。

*************************************************************************************************

>『原因から学ぶこと』だと。相手は私の何かに反発している。
日本文化は難しいですからね。
特に旧い人は儒教の影響も大きいですし・・・。
>>相手の尊厳を損ねていて相手を立てていないから…”
>ですね。
特にかなり年上の先輩ですからね。
>でもこの方は要らないです、本当に。
そうは言っても居なくなってはくれませんよね?
であるならば、上手くやっていくしかありませんよね?
>不要なものと思わずに居られるように働く理性思考が、欲しいです。
これは、先輩Aが居るメリットを書き上げてみましょう。
あとはこれから創るしかありません。
>仕事はお出来なのですが、
仕事が出来ることを褒めていますか?(褒め方が難しいですが)
尊敬していることが伝わっていますか?
>『私ばっかり言われる、いつも私が悪くなる』が口癖です。
こういうときにフォローはしていますか?
>ですが、後日、私が、別の先輩に仕事の事で質問していると、
蔑ろにされていると感じているのかもしれません。
できるだけ先輩Aに質問した方が良いみたいですね。
人に頼られて悪い気はしません。
コミュニケーションの機会を増やせば使えるカードが増えます。
>このひどい有り様の私が無言でその相手から、立ち去ることは出来ないんです。
取り敢えず、
・相手の言っていることに頷く。
・「それはどういう意味なんですか?」と訊いてみる。
・相手の論理破綻には突っ込まない。
・「ちょっと考えてみます」と言ってその場を切る。
>ですが、職場の先輩は、考える方向が異なります。
根本的に価値観や考え方が違うケースもありますが、
現時点では先輩Aが嫌がらせをしているだけでしょう。

かなり拗れてしまっている感があります。
しかし一方的に先輩Aが悪いとは思えません。
取り敢えずカードを揃えることです。

乱文・長文、読み難かったでしょうが、ご勘弁を。
uk_cyprus様の心安らかんことを願いつつ。

見切り発進で書いていきますので纏まらない回答になってしまうでしょう、
また、上から目線の書き方になってしまいますが、予めご了承下さい。

誠に勝手ながら「この先輩は既婚50代で役職は無く、勤続年数が長い先輩です」
この先輩を先輩Aとさせて下さい。

この手の話の場合、大概色々なものが綯い交ぜになっていることが多いです。
とにかく、分けて考える術を身につけることです。
・先輩Aがuk_cyprus様を嫌いなこと。
・uk_cyprus様が先輩Aを嫌いなこと。
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自己啓発とは、本人の意思で、自分自身の能力向上や精神的な成長を目指すこと。また、そのための訓練。

有意義な飲み会であれば、自己啓発に含まれますか?含まれない場合は、理由を論理的に教えていただけないでしょうか。
よろしくお願いします。

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マインドマップ公式サイト
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人をいれると頑固とも言えるかもしれませんが、そうすると必ず頑固等といった、それこそいろいろな見方ができてしまうと思います。良いのか悪いのかという、どうどう巡りが繰り返されると思いますので、まずはむしろ自分だけの中で考えたほうが、いわゆる自分探しが可能になるような気もしますが、でももし本当に人を無視して考えられるなら、それこそ単純に人ではなくなり、自分ではなくなる気もします。難しい。。。というか自分の中にもあらゆる自分がありますね。むしろあらゆる自分という全体観に立つとこれといった自分はない。そういう意味で結局は、この世界といういろいろな縁の中や縁の影響から自分で自分を選ぶ事になるので、自分探しをしている人というのは、これが自分だと納得できる自分を主体的に自分で探しているという事ではないでしょうか。いわゆる自分探しをしたことない人でも、人生を歩んでいくと誰でも自動的に自分の思考を持っていき、大小はあっても信念と化していく(だから年をとればとるほど頑固な人が多くなっていく)ので、結果的に結局は自分の信念を持っていく。
要はどうあれ大小あれ結果的にであれ、結局は自分で自分を決める事になっていると思うので、「自分探し」は「信念探し」かな。

書き込みながら思ったんですが、どうせ信念を持っていくなら、それがビックリするくらい頑固であっても自分が一生涯かけてもいいという信念であれば、それを持つ自分になりたいと思いました。悪は別ですが、一生かけられる信念を持つって簡単な事ではないと思うし、ある意味そういう人って幸せな気もします。

なるほど。確かに結局はこれが自分だと思っても本当かどうかなんて証明できるものでもないから、結局信念とイコールであるともいえるかもしれません。


人をいれると頑固とも言えるかもしれませんが、そうすると必ず頑固等といった、それこそいろいろな見方ができてしまうと思います。良いのか悪いのかという、どうどう巡りが繰り返されると思いますので、まずはむしろ自分だけの中で考えたほうが、いわゆる自分探しが可能になるような気もしますが、でももし本当に人を無視して考えられるなら、それこそ単純...続きを読む

Q理知的なる思考者と感情的思考者の嫌悪感

物事の考え方における、理知的傾向があるひと、感情的傾向がある人、様々であり、思考対象によって個人の中でもうつろうものだと思います。
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私は、特に、この感情的思考のなかの後者(世俗に毒されている、影響されている)という傾向がある(気がする)思考を、ここで読んだり、そこここで見聞すると、非常にいやな感覚を覚えます。「自分出してる?考えてる?奇麗事ばっかりヒステリックに言ってない?ちゃんと人の気持ちを考えてる?」というような疑問を感ずることが多いからです。前者の真心がある感情的思考は、これは純粋で打たれるものがあります。
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Aベストアンサー

感覚とか嫌悪感なら、自分で体験するしかないですよね。

人間には集団心理があるので、あなたの普段取らない思考過程を踏むグループに属してみるといいですよ。自分を無にして他人の価値観に自分をゆだねるのです。これが出来ないと、別の思考過程を踏む人を理解することは出来ません。

もっとも、思考が切れすぎてついていけない人がいると、体験するのは難しいですけどね。

原点 (拠り所) に戻って論理を点検することを「ゼロ点思考」などといったりしますが、これが冷静かつ客観的に出来る人はそう多くありません。

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もうひとつの問題は、論理的であることが常に正しい結論を導くとは限らない点ですね。直感、感情、慣習といったもののなかにも知恵はあります。

>疑問なのは、感情的思考者(特にある状況設定で後者の傾向に思考が傾いている人)が、理知的思考者のいうことを聞くと、どういう感覚を持つのかということです。

焦りとか戦闘意欲ですかね。どっちにしても嫌な感じと怒りでしょう。

説明してるのに説得できない ←→ 正しいことがわかってるが説明できない

憤りはおなじことだと思いますけど。

感覚とか嫌悪感なら、自分で体験するしかないですよね。

人間には集団心理があるので、あなたの普段取らない思考過程を踏むグループに属してみるといいですよ。自分を無にして他人の価値観に自分をゆだねるのです。これが出来ないと、別の思考過程を踏む人を理解することは出来ません。

もっとも、思考が切れすぎてついていけない人がいると、体験するのは難しいですけどね。

原点 (拠り所) に戻って論理を点検することを「ゼロ点思考」などといったりしますが、これが冷静かつ客観的に出来る人はそう多...続きを読む

Qなぜ人は「哲学や思想は人それぞれ」を先入化して「暇人資産家等の思考遊びの場」となりがちなのか?

なぜ人は「哲学や思想は人それぞれ」を先入化して「暇人資産家等の思考遊びの場」となりがちなのか? どうせ思考するなら「物理(もののことわり)」を土台にして、人それぞれという「任意性」を排除して思考した方が、省エネだと思うのだが・・・

Aベストアンサー

西洋では、いまだに宗教(神)がマジで信じられているように、
個人主義的社会では、原理を自己の内に有さねばならないが、
日本的な集団主義的社会では、生きる規範は「周りに合わす」
であり、ドグマティックな宗教や哲学は不要なのだ。
そこに残るのは、他人に対する自己顕示のための、言葉の上
だけの哲学なのだ。

Q論理的思考力を使って解くクイズがのっている本を探しています。

論理的思考力を使って解くクイズがのっている本を探しています。
単純ななぞなぞやひっかけクイズ、ナンプレではなく論理的思考力を使って解く文章問題が多くのっている本を探しています。
例えば、「あなたの目の前には2つの門があって1つは天国へ進む道、もう一方は地獄へ続く道。門の前には案内人が一人ずつ立っていて一人は嘘をつかない正直者、もう一人は嘘しか言わないウソツキ。天国へ道を知るには案内人になんと言えばいいでしょう」というふうな問題がたくさんのっている本を探しています。
知っている方がいたら是非教えてください。
回答よろしくお願いします。

Aベストアンサー

今年五月に95才で亡くなったマーチン・ガードナーに、すばらしい論理パズル・数学パズルの本があります。
http://www.nikkeibook.com/writer/00014/
上記は正確には再復刻版になります。最初のは別冊サイエンスで出された二冊本『aha!―ひらめき思考』『逆説の思考』ともに1979年。

それはさておき、『ゆかいなパラドックス』は愉快な絵入りの設問と興味深い解説によって、まず「論理のパラドックス」からはじまって、確率・数・図形・統計・時間のパラドックスへと続きます。たっぷり堪能できるでしょう。少なくとも私は何度読んでも飽きませんでした。ラッセルのパラドックスや、平等視の原理によるパスカルの史上おそらく最も劇的な賭け、カントールの無限集合の不思議など、いま思い出しても興奮します。つまり、楽しくパズルの答えを考えながら、いつのまにか現代数学の入口まで導いていってもらっているのでした。

順序としては一応先になる『ひらめき思考』のほうも同じ形式でいっそうパズル的。中学数学でも理解できますが、高校教育課程程度の数学力があれば申し分ないでしょう。特に図形の問題では「エレガント」な答えがたくさん出てきます。

二冊(四冊)とも質問者さんにぴったりではないでしょうか。パズルの本は星の数ほどあると思いますが、最も楽しく最も高度な内容を含む本の一つではないかと思っています。

今年五月に95才で亡くなったマーチン・ガードナーに、すばらしい論理パズル・数学パズルの本があります。
http://www.nikkeibook.com/writer/00014/
上記は正確には再復刻版になります。最初のは別冊サイエンスで出された二冊本『aha!―ひらめき思考』『逆説の思考』ともに1979年。

それはさておき、『ゆかいなパラドックス』は愉快な絵入りの設問と興味深い解説によって、まず「論理のパラドックス」からはじまって、確率・数・図形・統計・時間のパラドックスへと続きます。たっぷり堪能できるでしょう。少なく...続きを読む

Q現実と非現実の違いについて

現実(real)と非現実(unreal)の違いはなんでしょうか??またrealなものとunrealなものは何によっていかなる点で区別されるのでしょうか??

Aベストアンサー

老子の時代、胡蝶の夢という話で同じような問題を扱っています。

脳科学の発展のおかげで私たちが認知している世界の多くは脳が作り出していることが判明してきました(脳だけではなく、臓器などにも記憶因子が存在することも解ってきているらしいのですが)。

脳が作り出しているという点だけに着眼すると、世界は脳が作ったunnrealなものでしかない…という話になりがちですが、脳科学が解明したのはそのようなことではなく、いかに示す脳の機能なのではないでしょうか。

コンピュータに例えてみますと、脳の中にあるオーロラビジョンに世界像を映し出すことによって私たちは世界を認知しているのですが、脳はそのオーロラビジョンに映し出すべき世界像の元となる資料を本来は何も持ち合わせておらず、あくまでも目鼻耳舌皮膚心から情報を得ることによって(情報をインプットすることによって)初めてオーロラビジョン上に世界像をアウトプットできるのではないでしょうか。

すなわち脳が受け持っている機能の基本的な部分は情報のアウトプット機能であると考えます。
当然、目鼻耳舌皮膚心から入ってくる情報を状況に応じて整理し優先順位をつけているという点では脳独自に価値判断された情報のアウトプットなのですが…。

そう考えると、私たちの世界認知の元となる現実というものが存在するらしいということまではいえると思います。

そこで問題になるのは記憶・夢の問題です。

脳は当然経験した情報を記憶という形で脳神経のどこかに保存します。
これによって記憶が最大限の優先順位をもって脳活動を占有する事態が想定されます。

そのような状態は夢を見るという経験を考えてみると容易に理解できます。多くの夢はそのような契機によって現象していると考えてよいでしょう。

さて、夢見ている人がその夢を生きている最中に、これは現実なのか夢(非現実)なのかを見分けることが出来るのかという問題に帰結して行きます。

たまに、夢見ていながらこれは夢であると直観されることがありますが、そうでない場合(夢ではなく現実であると認識して夢を生きている場合)のほうがほとんどではないでしょうか。

考えて見ますと、脳はあらゆる情報をオーロラビジョン上に出力することによって、一旦はその世界像を現実として出力するのではないでしょうか。
その後脳はその画面に映し出された情報をこれまた脳の記憶に照らして価値判断(real or unnreal)していると考えます。

したがって脳の記憶に違わないきわめて現実的なストーリーの夢を見ている場合は、それが夢であるのか現実なのかをその夢のさなかに判断することは困難と思われます。

それと同じように目が覚めてみたこの現実と思われる世界が本質的に夢の中なのかそうでないのかを疑ってみたとき、その明確な目印を見つけることも困難なように思えます。

普通これらの現実への信憑性は、きわめて自明のこととして認識されるのですが…。

一旦言葉により世界を分節し現実・非現実の目印などという設問をたて答えを見出そうとしたとき言葉の魔術の世界に入り込んでしまいます。

夢とはいえ現実という経験を重ねることによってその記憶が蓄積されているので夢の元となる現実の存在は疑う余地がなく、脳は現実のこととして世界像をアウトプットしているのですから、よっぽど荒唐無稽でないかぎりそれが夢であるなどと疑う必要はないというのが私の回答です。

言葉というものは恐ろしいものでいたるところに魔術的な磁場を働かせて存在しているように思われます。

仏教でいう不立文字というのはそんな言葉の世界にとらわれることを戒めているのではないかと思います。

フランスの啓蒙思想家のエッセーにこんなのがありました。
「…私(啓蒙思想家)は、読書をするときは必ず蝋燭に火を点して机の傍らに備えておくことにしている。そして数ページ読み進むごとに蝋燭の炎の上のほうに手のひらをかざすということを自分に課している…。」というものです。
その心は、読書に没頭すると書物の世界があたかも現実のように認識されるが、読書によって展開されるのは決して現実ではなく、今ここに読書している私こそが現実なのであることを自分自身が端的に理解するために、蝋燭の炎のやけどするような熱さを生身に感じさせているのだ…というものでした。

参考になりますでしょうか。

老子の時代、胡蝶の夢という話で同じような問題を扱っています。

脳科学の発展のおかげで私たちが認知している世界の多くは脳が作り出していることが判明してきました(脳だけではなく、臓器などにも記憶因子が存在することも解ってきているらしいのですが)。

脳が作り出しているという点だけに着眼すると、世界は脳が作ったunnrealなものでしかない…という話になりがちですが、脳科学が解明したのはそのようなことではなく、いかに示す脳の機能なのではないでしょうか。

コンピュータに例えてみますと...続きを読む

Q思考の上に成り立つ感情。

火災を恐れる状況というのを考えます。
火災を恐れるのは、命や財産に関わるからという事実の認識によるものではないでしょうか。
一般的に感情と思考は別のものであると考えられがちですが、この場合は感情が思考の上に成り立っていて、考えた結果の感情だと考えられるのでしょうか?

Aベストアンサー

○感情にも先天的なものと後天的なものがあります。
生まれついた時からある肉体的防衛本能という感情は先天的なものと認定されます。一方、成長するにつれ学ぶことによる、つまり思考が感情を作るということもあります。
先天的に火を恐れるか恐れないかは、人により異なりますが、後天的には全員が火災は危ないものと認識します。これはご指摘のように思考によりなせることです。
ただ、生まれつき火を怖がる人もいますし、高所恐怖症、対人恐怖症などなど先天的なものもありますので、そこは分析的には区別する必要があるということですね。

Q新聞を読む事、また読む人について。 新聞をしっかり読むのは大事な事で、良い事ですが。 しかし、学

新聞を読む事、また読む人について。

新聞をしっかり読むのは大事な事で、良い事ですが。

しかし、学生、未婚者が新聞をよく読んでいると「偉いね。」、「優秀だね。」とか褒められている感じですが、
結婚後は、よく新聞を読んでいる人となると、
「新聞ばかり読んで家事を手伝ってくれない。」とか「社交性や話術に欠ける。」
とか謗られている、何かそんな感じですよね?

結局、読書家や勉強家や文武両道マンは、
社交性や協調性には欠けると言うジレンマがある事は、やはり人間のジレンマとして受け入れるべきですか?

Aベストアンサー

情報入手先としては手軽なので、目を通しますが、そのまま鵜呑みにして受け入れることはありません。
そういうことが新聞に書いてあるという読み方をしますね。

でも、新聞に書いてあることで盛り上がることもあるし、あまりに一般的なことを知らないのも話題についていけないので、社交性や協調性というならレジンマというよりバランスじゃないでしょうか。


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