新興宗教に入っている人達ですが、なぜ新興宗教に入るのでしょうか?自分の御先祖様の宗教は大事にしないのですか?理解できないです(宗教の自由だから、以外でお願いします)

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宗教」に関するQ&A: 宗教カテの必要性

A 回答 (5件)

 たぶんね、ご先祖様の宗教はだめだからとか言われているのかも。


言葉巧みに勧誘しますから。
 新興宗教って家族をという観点より、個人を狙っているような気がします。「あなただけに」という甘い誘い文句でも有るのでしょうかね。

 だいたい、冊子とか勝手に放り込まれたりしているのを読んだりもするけど、正しいことの間に、なんで?という事が上手に入り込んでいますよ。気がつけば宗教の考え方に置き換わってしまっています。

 弱っている。誰かに助けを求めたいなど、心の隙間に入ってくるのですから。
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この回答へのお礼

弱っている時など心の隙間を狙ってきますよね。入信した人は、あなたの御先祖様の宗教はダメと説き伏せられてしまったのかもしれないですね。アドバイスありがとうございました。

お礼日時:2009/05/23 19:57

 現状に不満を感じている場合、新しい価値観を提示してくれるのが魅力的に感じることはあるでしょう。

「自分たちだけが『正しい教え』を知っている」と思えるのも自尊心を満足させてくれるでしょうね。
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この回答へのお礼

自尊心を満足させてくれるんですね。アドバイスありがとうございました。

お礼日時:2009/05/23 20:04

 多くの場合、肥大した個を救う(もしくは救われた気にさせる)分かりやすい答が用意されているからです。


 伝統的な宗教の場合、割合に差はあれ祖霊信仰的要素を含み、自分が属する共同体への帰属感を保持させるという機能を持っているのです。しかし、共同体との関係をうまく築けない、もしくは関係を拒否した『私』の宙ぶらりんな状態にそれなりの意味づけをしてくれるなにかを求めたとき、後づけ的に意味づけするものとして新興宗教がその役割を果たしている訳です。
 しかし、問題の根幹は世界と個の関係の歪みにあるため、新興宗教に惹かれやすい人は結果として次から次へと新興宗教をハシゴするという傾向が見られるようです。

 余談。1980年代後半以降に生まれWebに親和的な人々に、究極的な思考停止を与えてくれる絶対的で一義的ななにかを強く求める心性が顕著に見受けられ、彼らの一部(ごくごく一部ではありますけれど)がイスラム原理主義に傾くというのもむべなるかな、というところもあります。…是とはしてませんよ、全然。
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この回答へのお礼

救われた気にさせるような、分かりやすい答えが用意されているのですね。参考になりました。アドバイスありがとうございました。

お礼日時:2009/05/23 20:02

とりわけ日本の場合は、日本人の多くが、自分は宗教を持っていない(と考えている)からというのが大きいでしょう。



日本人は、自分が「無宗教」と考えている人が多いです。元日には神社へ初詣に行ったかと思えば、クリスマスを祝うことも普通に行われる。結婚式は教会や神前婚で、葬式は仏教式。そんなものだから、本来宗教行事であるものがただのイベントになってしまい、結果、自分にとって大切にする「神」がわからなくなってしまいます。

しかし「神頼み」という言葉もあるように、そういった人でも、迷い、どうしようもない状態に陥った時、"カミサマ"に頼りたくなることがあります(ない人もいるでしょうが)。
でも仏教も神道も、キリスト教も、何となくは知っているけど、別に信仰しているわけではない。そんな時、新興宗教が付け入る隙ができます。
宗教を信じている人というのは、良くも悪くも信じている宗教に対して"自信"を持っています。自分が精神的に弱っている時、あるいは今の世の中に疑問を感じている時、そんな人から神の救いを説かれたら…そのままそれを信じてしまう、ということも充分にあり得るでしょう。
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この回答へのお礼

確かに、日本人の宗教はイベント的になっているところがあるので、それが新興宗教の入る隙になっていそうですね。参考になりました。御回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/05/23 20:00

もともとの先祖からの宗教に対するう信仰心がないからだと


で、入る理由としては 群れたいからじゃないですか
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この回答へのお礼

集団で群れる事で安心しているのかもしれないですね。御回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/05/23 19:53

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Q非文明的な生活を送る宗教(組織?)の名前

非文明的な生活を送る宗教(組織?)の名前

「文明的なものをいっさい使わない人達がいる」「その人たちの目は死んでいるように思えた」「心に傷を負った人が行き着く場所」「退廃的?」「カナダ?」

ずっと昔に上記のような文章を見たような記憶があります(あるいは別の表現かもしれませんが、意味するニュアンスは似てると思います)。その宗教(もしかしたら、ただの組織かもしれません)の名前を知りたいのです。一応、WIKIPEDIAで宗教一覧から探したのですが(ざっとですが)、それらしい生活を送る宗教はありませんでした。Googleにて「宗教 非文明的 生活 名前」のようになんとなく頭にある言葉を並べても、まるで見当違いの情報がでてきてしまって、あとはどう調べればよいのかわかりません。そこで、質問させていただきました。

本当にうろ覚えなのですが、よろしくお願いします。宗教名がわかれば、あとは本部支部の所在地は恐らく自力で調べることができるかと思います。

そういった人たちとの会話は、きっと自分にとって良い経験になるのではないか、と思いました。

Aベストアンサー

「文明的なものをいっさい使わない」「宗教的」北米、という記述から、アーミッシュだと思いました。
Wikipediaのページを貼っておきます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5

文明的な機器を否定して自給自足の生活を送る素朴な宗派です。
教義を厳格に守るためか俗世とほとんど接触がなく、非常に禁欲的な印象を受けます。
宗教はキリスト教だと思います。

死んだような目、というのもすさまじい表現ですね(^^;

Q創価学会員って暇な人達の集まりなんですか?無宗教の人達の生活邪魔して喜んで人殺しまでする様な集団オ

創価学会員って暇な人達の集まりなんですか?無宗教の人達の生活邪魔して喜んで
人殺しまでする様な集団オーム教よりも極悪党の集まりです。

Aベストアンサー

創価学会をカルト集団と指定している

創価学会インターナショナルフランスのH.Pを調べてみました。

セクト(カルト)に関する議会報告書「フランスにおけるセクト(カルト)教書「フランスにおけるセクト(カルト)教団」に以下の基準に該当する団体をリストアップしています。

⚫︎精神の不安定化
⚫︎法外な金銭的要求
⚫︎生まれ育った環境との断絶の教唆
⚫︎児童徴用
⚫︎多少を問わず反社会的な教説
⚫︎公共秩序の錯乱
⚫︎多くの裁判沙汰
⚫︎通常の経済的流通回路からの逸脱傾向
⚫︎行政当局への浸透の企て

セクトのリストに載った172(母体組織として)の団体の殆どが
「精神の不安定化」があるとされてますが、創価学会はこれに
「通常の経済的流通回路からの逸脱傾向」も加わります。
セクトとしてリストアップされた172の団体のうち、具体的な活動内容を示されている団体は少ないのですが、創価学会はしばしば登場します。

日本国内での、震撼とさせる殺人事件の多くに創価学会員が加わっていることは既に周知の事実ですが、人々の苦悩を救う宗教とはかけ離れています。
「創価学会員による殺人事件」で検索すれば、アレも、コレも
学会員が加わっています。
中には、学会員同士の殺人事件まで、、。

古来から「触らぬ神に祟りなし」とも言われています。

創価学会員には近づかないのが身のためです。

創価学会をカルト集団と指定している

創価学会インターナショナルフランスのH.Pを調べてみました。

セクト(カルト)に関する議会報告書「フランスにおけるセクト(カルト)教書「フランスにおけるセクト(カルト)教団」に以下の基準に該当する団体をリストアップしています。

⚫︎精神の不安定化
⚫︎法外な金銭的要求
⚫︎生まれ育った環境との断絶の教唆
⚫︎児童徴用
⚫︎多少を問わず反社会的な教説
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⚫︎多くの裁判沙汰
⚫︎通常の経済的流通回路からの逸脱傾向
⚫︎行政当局への浸透の企...続きを読む

Q宗教の本質

宗教の本質

哲学について考えるとき必ず付いてまわる宗教とは何か「宗教の本質」について考えた結果、以下の結論に至りました。

1.宗教の発生時期
  宗教は人類の誕生とともに自然発生的に生まれました。
  どのような原始社会においても宗教は発生しています。
  宗教の生まれていない地域、社会は皆無といってよい。

2.宗教の種類と数
  宗教は全世界に溢れています。
  その数は分類のしかたにより数千とも数万とも数百万ともいわれています。
  また宗教は人の数だけ存在するという人も多数います。

3.宗教を構成するもの
  宗教は神、天国、地獄の3つの概念により構成されます。
  この3つの概念を備えない宗教は存在しません。

4.宗教の宇宙観
  全ての宗教は有限宇宙観に支配されるものです。
  すなわち宇宙はある一時期をもって開始し、その広がりは有限であると。

5.宗教を動かすもの
  宗教は心地良いものです。
  修行と名のつく様々な宗教的所業も結局心地良さの追求です。
  酒を飲むと心地よくなるのと同様の現象です。
  もちろん酔いが醒めると辛いものが待ち受けておりますが、宗教も同様であることに説明の必要はありません。

6.宗教の目的
  宗教はもともとは人間社会の統治の道具として生まれました。
  これは古代エジプト王国などをみればよく分かることです。
  大勢の奴隷を効率よく統治管理するための道具として有効利用されたのです。
  この状況は根っこの部分においては現在でも全く変わっていないと言ってよいでしょう。
  国が宗教を擁護するのもこのためです。

7.宗教の未来
  統治の道具としての宗教の力は既に失われています。
  これは近代科学、近代文明が発達した結果としての自然の成り行きなのです。
  それと同時に宗教を支配した神、天国、地獄の3概念もそのイメージが次第に弱まってきました。
  つまり宗教の役目は失われつつあり、既に宗教の時代は終わったといってよいでしょう。

8.宗教の次にくるもの
  それは真理の探究であり、思想と哲学の時代です。

御意見ください
 

宗教の本質

哲学について考えるとき必ず付いてまわる宗教とは何か「宗教の本質」について考えた結果、以下の結論に至りました。

1.宗教の発生時期
  宗教は人類の誕生とともに自然発生的に生まれました。
  どのような原始社会においても宗教は発生しています。
  宗教の生まれていない地域、社会は皆無といってよい。

2.宗教の種類と数
  宗教は全世界に溢れています。
  その数は分類のしかたにより数千とも数万とも数百万ともいわれています。
  また宗教は人の数だけ存在するという人も多...続きを読む

Aベストアンサー

続けて失礼いたします。
>>私の提示したものに一々否定したり、不十分であると述べたりするばかりで何ひとつ自身の答えを示そうとはしません。
 認知科学のパスカル・ボイヤー氏は宗教をひとくくりにして説明してしまうことはよくやれられるがこれ間違いだと述べておられますが、私も同意見です。よく、「宗教は未知のモノに説明を与える」とか「宗教は安心を与える」「社会に秩序を与える」、または「妄想に過ぎない」と説明を加える方が居られます。しかし、それは「宗教」という言葉のあらわすものが持っている守備範囲を表すもので、どれもその核心を突いているわけではありません。
「未知の物に説明を与える」ということに関して言えば、宗教は説明以上に謎を呼びます。スーダンのザンデ人のあるお宅の屋根が崩れました。すると、ザンデ人たちはすぐに妖術師の仕業であると疑い、説明をつけ始めた。この時ザンデ人の宗教を研究していたエバンス・プリチャードは、屋根の所にはシロアリが食っているのだから屋根が落ちた原因は妖術師ではなくシロアリの仕業だと指摘します。しかし、ザンデ人はシロアリが原因であるや建物の老朽化などのことは百も承知であったが、シロアリに関心を寄せませんでした。彼らの関心事は「なぜ今その人が屋根の下にいる時に、屋根が落ちたか?」という理由でした。これが適切な「謎」であれば「宗教は未知の物に説明を与える」ということもいえるでしょうが、そうではありません。宗教自体が新たな謎を呼んでいるのです。一休禅師の歌の中にも「釈迦といういたずら者が世に出でて世の諸人を迷わせるかな」なんて歌を詠んでおられますが、このような点からも宗教はただ説明を与えるだけではないことが伺えます。
「宗教は安心を与える」というのは前述の通りそれだけではありませんし、「宗教は秩序を与える」というのも秩序を壊すのも宗教であったりします。また、「宗教は妄想である」というのも、私達は妄想と隣りあわせで生活しているわけで、「もし」や「シュミレーション」や「遠く離れた恋人の思い」であったり、その妄想から力を得ることもありますが、そういうことには言及されないことが多い。どの説明でも不十分なのです。
それを前提において考えますと、私としては一番それらしいかなと思っているのは、認知科学的な方面からの研究によれば宗教の本質は「人間の認知機能の表象」であると考えられています。分かりやすく言えば「人間は宗教的なものを感じるように出来ている」ということです。前々回の回答の中でも記したように、人間の行為者の過剰検出であったり、それを安定した形で定着させる機能だあったり、前回の中に記した推論機能であったり、数多くの人間の認知機能の表象として宗教と言うものがあるという説明です。
しかし、私はこの回答では宗教の本質というより「人間の本質」の問題であるように思います。では宗教の本質とは?「いろいろ」です。刹那的にみれば、一つの宗教から、多くの宗派が生まれたように見えます。ここから一つの宗教から多くの宗教が生まれたのだから「宗教の本質を答えることが出来る」と考えるのが自然なように見えます。しかし、文化人類学や進化心理学においては「多から少」、質問の中にも
>>その数は分類のしかたにより数千とも数万とも数百万ともいわれています。
>>また宗教は人の数だけ存在するという人も多数います。
とあるように、宗教は歴史的な多様化ではなく、数限りない宗教の絶え間ない自然淘汰による凝縮の結果と考えられています。私もこのように考えます。
 つまり、「人間の認知機能」という共通ですが、その対象が違うのです。砂漠における砂の認識と、湿原における砂の認識は違っているわけですから、同じ砂を信仰対象としたとしても、共通点はあってもその本質は違っています。だからこそ日本には宗教全般を表わす「宗教」という言葉が存在しなかったのはそのためです。日本の分類は「仏道」「神道」「儒学」「キリシタン」という括りまでです。なぜなら、それぞれの「本質」が違うことを意識せずとも知っていたからでしょう。つまり、宗教の本質は「いろいろ」ということです。

 しかし、この答えでは満足いかないでしょう?そうでしょう。書いている私が満足してません。説明としては不充分なのです。けれども、だからこそ学ぶのです。「宗教」について語られたものは、宗教学、神学はもとより、歴史学・文化人類学・認知科学・進化心理学等々多岐にわたります。今の時代、調べれば知ることが出来るのに、それをしないのは怠惰以外の何者でもないと私は学び続けています。
あなたのような熱い方とお話が出来て嬉しく思います。ありがとうございました。
 ただ、お答えにはなっていませんね。申し訳ありません。
合掌 南無阿弥陀仏

続けて失礼いたします。
>>私の提示したものに一々否定したり、不十分であると述べたりするばかりで何ひとつ自身の答えを示そうとはしません。
 認知科学のパスカル・ボイヤー氏は宗教をひとくくりにして説明してしまうことはよくやれられるがこれ間違いだと述べておられますが、私も同意見です。よく、「宗教は未知のモノに説明を与える」とか「宗教は安心を与える」「社会に秩序を与える」、または「妄想に過ぎない」と説明を加える方が居られます。しかし、それは「宗教」という言葉のあらわすものが持って...続きを読む

Q伝統宗教と新興宗教の関係。

先日、京都観光の折、醍醐寺に行ってきました。軽いノリで上醍醐も巡ったのですが、清々しい雰囲気ながらかなりの山道でバテバテでした。
下醍醐の伽藍の一つに真新しい御堂があり、仏像の両脇には金張りの胸像が置かれていて、かなり奇異な印象を受けました。(良く見かけるものは年を経た像ですから…。)その時は開基禅師(パトロン?)の像の現代版かな…と思っていたのですが。
寺僧に聞こうと思っていたのですが、上醍醐で疲れた為失念していました…。後でネットで調べた所、「真如苑」と関係があるようで、そこから伝統宗教と新興宗教の関係に興味を持ちました。

新興宗教とは全く新しいもので、伝統宗教とは対立関係にあると思い込んでいたので、新しい視点から宗教を見たように思いました。

タイトルに挙げた事柄について詳しい方がいらっしゃいましたら、教えて頂けないでしょうか。参考にしたら良い本等もありましたら教えていただけたら幸いです。

Aベストアンサー

 真如苑開祖の伊藤真乗は、もともとは真言宗醍醐派の僧籍を有していました。その後、独自解釈による密教教義に基づいて真如苑を立教しますが、そのような関係から現在も醍醐寺とはつながりを持っています。

 また弁天宗も、初代管長の大森智祥がもともとは高野山真言宗の僧籍であったので、高野山大学への寄付などを行っています。

 解脱会開祖の岡野聖憲は、伊勢神宮・橿原神宮・泉涌寺(真言宗泉涌寺派)を三聖地と定めています。

 新宗教でも、伝統教団から分派した系統や、その教義自体が他宗教・他宗派との融和を打ち出している教団は多く見られます。

これら以外にも、同様の例は

Q宗教の種類は今後も増え続けるのか?

宗教は動物にはないものと思います。死人に対してお墓を作ったり花をお供えすることなどは、人間が進化した結果の宗教心です。その宗教心は国や地域でさまざまな既成宗教を生み出しました。ですがその反面科学や知識が進歩することにより、既成宗教の信憑性は低下しています。ですが自分で宗教を選ばない人達は先祖の宗教を引き継いでいる人が多数です。信教の自由ですから先祖の宗教から離れる人もいます。その人達は無宗教になるひともいますが、多数の人は理論的で科学的に近い宗教に惹かれるようです。その為、新興宗教が多数つくられてきています。私としては宗教の多くは必要のないものと思っています。この世にとって必要な宗教と必要でない宗教を分けることはできないでしょうか?ただ増え続ける宗教は馬鹿馬鹿しいだけです。できれば宗教は一つにまとめるべきだと思っています。誰にでも人間としての宗教心はあります。その意味をもう一度見直して、世界で一つだけの宗教をつくれないものでしょうか?

Aベストアンサー

そちらの質問は、“本来哲学が忘れたり、諦めたりしてはならないはずの問題”というふうに、 私はなのですが、 本気で思っています。

ごめんなさい。馬鹿にされてしまうかもしれないですが、その本気さの出どころを正直に書きます。 そのあたりの自己紹介を先に書きます。

わたしは、肉体労働者でほとんど本とか読んでいません。 アカデミックな哲学の世界の歴史とかを知らない人間なのです。
しかし、子供の頃 差別といじめから体を壊し何度も死の床をはいずった体験からか、物事を考えるのにいちいち徹底してその本質まで考える癖はついていました。

だからといってこの人生について解ることは、徹底して考えるほどに自分の未熟さ、青二才ぶり、甘さ、どうしようもなさ、小ささ、木の葉のような状態でしかなかったのですが、  自分の中では、これが60歳になってみて(50歳ごろ全体的にまとまったのですが) 物事は総合的にかんがえると(人生のことがらすべてをなのです。このOKウェブのカテゴリが無限にあるわけではないことから、60歳の思索者のそのへんを想像していただけると幸いです。)人間の能力はけして何もかも出来る可能性なんて持ってはいないけれど、 A地点からB地点までの一歩一歩の旅ならば必ず答えが見えてくるそういう確かな「可能性の大地」という世界、 つまり深く本質的にそして広く総合的に考えれば必ず 次への見とおしならば開けるはずで その頂点であるべき思索開拓の道が本来哲学であるはず、→ すなわち、この相対的は世の中にて、諦めていいような問題は存在しない。 哲学がそこにある限り、常に前進への道はあるはず。 という考えにいたっているというわけなのです。

宗教の問題に限らず、憎しみの連鎖の問題、生物の弱さの問題、医学の進歩の問題、経済の問題、外交のあり方の問題、大きくて不可能に思えてしまう問題も、 けして諦めてはならない。 哲学が諦めたらもちろんすべては絶望しかないのでしょうが、そんなことはありえない。という考えだということです。 

今では、論理以上に「諦めない心」のほうが大事と思えるほどになっています。

ジョンレノンでしたか「宗教の無い世界を夢見てごらん、国境の無い世界を夢見てごらん♪」といった歌詞(くわしくは知らないのですが)の「夢」を音楽と詩で語っていますよね。

夢は 音楽哲学にしろ、言葉や詩の哲学にしろ そこから生まれたさらに進化した音楽や詩や文学にしろ、 裏のその哲学がどこまで煮詰められているかによって 実現へと近づいてゆくという理論もなりたちます。

私が33,4歳のころだったでしょうか、友達が泣きながらそのニュースを知らせてくれた事を憶えています。彼がピストルで撃たれて殺されていなかったら、どのような哲学をわたしたちに語ってくれたのか、生きていたなら彼の60歳の頃のお話を聞いてみたくなります。

へんな自己紹介ですが、ここまでをここでの自己紹介とさせていただいます。

紙数の都合で 回答自体はANO15まで筆を伸ばします。(一応最初の回答という形ですが)

***
 paradox8様の質問文に直接対応した回答は次のANO15(から)となりますが、 まだ紙数がありそうなので、付け加えます。

私は上記のような「哲学人」なのですが、 最近、このサイト内にて、アカデミックな哲学の世界で“哲学の世界”自体が 膨大に分裂していてそのその思索における総合性を失ってるとかつかみがたくなってるとか聞いていますし、

また哲学の歴史自体が、何か個とか個性というあたりでもしかしたら へんな曲がり方をしてきてしまったらしいことも聞いています。  個とい概念はとても大事な人間性についての思索なのですが、絶対個という概念を 文字通り「絶対」に通じ合えないのだからそれが故にお互いを尊重しあうことが大事なのだとかいうふうな簡単な考えでまとまってしまっているらしいことも聞いています。

 アカデミックな哲学が こんな地点から抜け出せないでいるというのが事実であるなら ちょっと信じられない世界です。

学者の卓上の論理というのは もしかしたら、生きる必死さ、真剣さに欠けているのかもしれませんね。 それだから この宗教の問題にも哲学が答えられなくなっているということなのかもしれません。 ここにそのような推理が働いてしまう者です。

でも、本来 人間の哲学の可能性を哲学すれば、深く広く総合的、本質的、厳密に考えれば そんなはずないと思う者の 私はもちろんその一人です。

私自身は、諦めません。  つづけます。

そちらの質問は、“本来哲学が忘れたり、諦めたりしてはならないはずの問題”というふうに、 私はなのですが、 本気で思っています。

ごめんなさい。馬鹿にされてしまうかもしれないですが、その本気さの出どころを正直に書きます。 そのあたりの自己紹介を先に書きます。

わたしは、肉体労働者でほとんど本とか読んでいません。 アカデミックな哲学の世界の歴史とかを知らない人間なのです。
しかし、子供の頃 差別といじめから体を壊し何度も死の床をはいずった体験からか、物事を考えるのにいちいち...続きを読む

Qこの場合、ご先祖様の何%の血が彼に入ってるんでしょうか。

今、2歳半のA君の体には、「パパのママのパパ」の血は何%入ってくるのでしょうか。どう計算したらいいですか。

Aベストアンサー

一世代上がるごとに半分ずつになります。

パパ 50%
パパのママ 50%の半分で25%
パパのママのパパ さらにその半分で12.5%

家系図のような図にして考えると分かりやすいかも

Q総合格闘技団体みたいな、総合宗教団体を作りたい。

最近、宗教の事を身近に感じます。
少し無理が有るかもしれないですが、すべての宗教をまとめる宗教団体を作りたい。
総合格闘技みたいな。
宗教法人、宗教研究会とか、宗教法人、総合宗教団体オールとか、宗教法人、宗教オリンピックとか、宗教法人、宗教交流会とか、宗教法人、宗教すべてオッケーの輪とか、宗教の宗派や、派閥は、あっても良いけど、宗教は宗教だから、みんな一つの輪だから、思想も色々あるが、とりあえず一つの輪になって、宗教活動したい。
それで、思想の違いから意見の対立があるから、
宗教オリンピックを開いて、宗教論争の戦いをやる。宗教の専門家に審判をお願いする。
もちろん、これが元で宗教戦争になったら困るので、言い争っても、テロとか、やらないように、論者に頼んで、また信者にも頼んで、合法的な活動にする。
それで、相手を批判したり、自分が批判されたりして、自他共に、良い所、悪い所を認めあい、自分の宗派や派閥を、良い物にして行く。

これは、どうでしょうか?面白いんではないでしょうか?

柔道的な発想です。
嘉納治五郎も、その昔、柔術が無くなって行くから、柔術を総合し、人道を加えて、柔道を作りました。

それなら、宗教から、宗道べの時代が、やって来てないですかね?

少々無理があるかもしれないですが、回答を、よろしく、お願いします。

最近、宗教の事を身近に感じます。
少し無理が有るかもしれないですが、すべての宗教をまとめる宗教団体を作りたい。
総合格闘技みたいな。
宗教法人、宗教研究会とか、宗教法人、総合宗教団体オールとか、宗教法人、宗教オリンピックとか、宗教法人、宗教交流会とか、宗教法人、宗教すべてオッケーの輪とか、宗教の宗派や、派閥は、あっても良いけど、宗教は宗教だから、みんな一つの輪だから、思想も色々あるが、とりあえず一つの輪になって、宗教活動したい。
それで、思想の違いから意見の対立があるから...続きを読む

Aベストアンサー

たぶんこんなことを考えられるのは 『あなたが日本人」だからでしょう。
日本の宗教は「神様喧嘩せず」が信念にあるので、どんな宗派だって好きにさせてます。
例え金儲けの宗教でも。 だから宗教衝突も起きませんし 殺し合いもありません。

海の向こうでは「唯一神信仰」だから 俺以外はみんな邪教者なんで
邪教者は殺したっていいんです。徳が積まれますから、喜んで赤ん坊を石で引いたり
女を犯して 生きたまま男の首を切り取り歓喜の声をあげます。 あちらの人にとっては
この行為はすっごい美徳ですから。うらやましいですね。

こんなやつらを相手取るんですから、銃でも大砲でも絶対に敵わない上、眉一つ動かすだけで周りの仲間が苦しんで苦しんで絶命するような力を持った代表者が仲に立って
力でねじ伏せて手を握らせなきゃ無理でしょう。

温厚ってのは「同じ宗派の人間のみ」の付き合いなんで 異教徒に温厚になれるわけはありません
だって自分の宗教以外を認めるのは冒涜なのですから

Q韓国の新興宗教

友人がハマっているようなのですが、韓国の大巡真理会という新興宗教について詳しい方がいましたら、分かりやすく教えてください。

日本のサイトで検索してもあまり出てこず、教団の日本語サイトも翻訳がおかしくてよくわかりません。

2012年終焉を予言(?)しているらしく、かなり怪しいのですが…

Aベストアンサー

歴史的人物、姜甑山氏を上帝とし、甑山道という教えを宣教する韓国の宗教団体で、京畿道ヨジュ郡に本部があります。大真学園という高校、大学さらに医療法人として病院も経営しています。

>2012年終焉を予言(?)しているらしく、かなり怪しいのですが…

宗教の自由権利がありますので個人的意見は差し控えます。

Q伝統宗教と新興宗教と外来宗教

宗教に抵抗のある人でも、除夜の鐘の音を聞くのも不愉快、初詣にもいかん、お盆もやらんという人は少ないと思います。
多くの人にとって伝統宗教は「宗教」のカテゴリに入っていないのではないかと感じられます。
特異な存在である宗教として意識されるのは新興宗教と、外来の宗教であるキリスト教やイスラム教ではないでしょうか?
伝統宗教とそれ以外は意識の上で何が異なるのでしょうか?
またいかなる伝統宗教も開祖の時代は新興宗教であったはずですし、逆にいえば今現在の新興宗教も何百年も先まで残っていれば
伝統宗教として扱われるようになるでしょう。
また今は日本の土着宗教のようになっている仏教も本来は外国の宗教でした。
新興宗教や外来宗教はいつなにをもって伝統宗教に転ずるのでしょうか?

Aベストアンサー

マイナーがメジャーになるきっかけは、やはり支配者の決定じゃないでしょうか。


古来 人間はモノを創造していた。製作していた。


今のように大型量販店で、できあいのモノを買うのではなく、自ら作っていた。


各地で特産ができて、自分たちには無いものを、自分達独特のものと交換していた。
無いなら作ればいい から 作らずに品物を手に入れる方法として物々交換をしていたわけです。


そういうわけで、創造から今では人間の特性は消費に進化したわけです。


従って今では、創造をするモノになるより、創造されたものを大量消費するモノの方が圧倒的多数。
創造する人はマイナー。


キリスト教を例にとると、人々はいい宗教だからと 自らの自己決定で選んだわけではない。


学校には制服があるじゃないですか。
学校に自ら作った服を着ていかず、既製服を着ていきますよね。
それと同じように、時の支配者が創造したというか、ミックスした宗教を、被支配者階級に「これを着なさい これ以外は学校では着てはいけません」というように、「これを信仰しなさい。これ以外の信仰はしてはいけません」となったわけです。


どうして支配者は、キリスト教を選んだのかというと、被支配者の頭を上げさせないため。
押さえつけて支配者に服従させるため。

という側面と、集団を一つの宗教だけ信仰させることで、統一し纏め上げることが容易になるから。
散らばっている羊より、固まっている羊の方が、扱が容易ですよね。


ぜんまい仕掛けのおもちゃみたいなもの。
創造者、支配者、そして設計者でもあるその者の思い通りに、宗教を使えばできてしまう。

それに気づいたローマ皇帝たちは、だからキリスト教を使用して、領土を拡大することに成功したわけです。



従って、どの宗教が集団のメジャーとなるかは、支配者が利用価値があるとして使用するかどうか次第。


考えてみてください。
「あれは敵だ」と戦争を支持する者の息子は、決して戦場にに行くことはありません。
人々は国のため、神の正義のため という言葉によい知れ、奮起させられるが、決して支配者の息子が戦場の前線で国のため、神のためと戦うことはありません。
つまりその宗教の価値があるとしているのは、それがすごい物だから信仰すべきだとしているのではなく、自分の世界を拡大するために利用価値が大いにあるとしたから。
だから利用価値があるから支配者は利用することとなった。
利用しても成功しなければ、利用しないまでです。



神の正体とは、人間であり民を支配している者。
その者が利用価値があると選択した宗教が、メジャーになるわけです。


人々はその者が創造した商品を大量消費することに楽しみを感じる。
大量消費からブランドとして、価値を付加するわけです。

ブランドの誕生は、支配者が使用するようになってから、ブランドとして名が通り、高い値で取引される。

手作りで、職人が作るわけだが、人々の関心は、それを消費することであって、メーカーのように創造・製作することを楽しみたいからではない。
信仰とは消費と同義語。



仏教だって支配者が選択したからだし、神道だって支配者の都合で各地に伝わっていったわけですし。

人々は被支配者が決めた服を着て(消費して)喜んでいるだけ。



物を作っていた時代から、交換になり、消費がはじまり、大量消費になり、創造に興味はもたず、今はブランドに興味を持つようになったという人間の進化の過程を、宗教に置き換えて考えてみました。

人間の特性を知れば、解ける問題ですね。
そして人間の特性を知った人は、利用し勢力を拡大していった。
気づき利用したことで、自分が中心となる王国を築けた。

マイナーがメジャーになるきっかけは、やはり支配者の決定じゃないでしょうか。


古来 人間はモノを創造していた。製作していた。


今のように大型量販店で、できあいのモノを買うのではなく、自ら作っていた。


各地で特産ができて、自分たちには無いものを、自分達独特のものと交換していた。
無いなら作ればいい から 作らずに品物を手に入れる方法として物々交換をしていたわけです。


そういうわけで、創造から今では人間の特性は消費に進化したわけです。


従って今では、創造を...続きを読む

Qいただいた護符の処分のしかた(新興宗教系です)

 数年前に、友人に誘われて、ある新興宗教の会合に参加しました。「道徳や心のあり方を考え、アドヴァイスを受ける」ということで、メンバー同士の集会かと思いましたが、宗教法人として登録されていることで、新興宗教の一つと考えられます。
 メンバーの方とのお話などは平和的で前向きで、宗教臭さもあまりないので、一旦入会手続きをとり、護符のようなもの(神社のお札のようなもの)をいただきましたが、帰宅して再考し、やはり内容に関係なく新興宗教団体に所属することは私の人生観にあわないので、それきり会合出席をやめました。会合出席しない=退会とみなすシステムなので、追って勧誘などの迷惑はうけていません。
 問題はいただいた護符で、こういうものは自分の宗教に関係なくてもゴミとして捨てたり自分で焼却するのはなんとなくイヤな気がします。その団体を探して郵送で匿名でお返しも考えましたが、集会所も変更になっているようで、組織の名称もよく覚えていません。
 かといって普通の神社で処分していただけるものでしょうか。

Aベストアンサー

基本的に粗末にしなければいいのですから
近くの神社などへ行って
少しの賽銭を払って処分してもらえばいいのです
お正月などに神社へ行くと古いお札やお守りを御炊き上げしてくれますからその時に処分したらいかがでしょうか?


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