犠牲の儀は古い時代のギリシャ、中近東、中南米では広く行われていた一方、インド、東南アジア、東アジアでは行われなかったか小規模であったかの印象があります。
当面、知りたいことを列挙します。ご回答の形式は項目別であろうとなかろうと応え易い形式で結構です。

1 大筋として冒頭の印象は正しいか、正しくないか。
2 犠牲は考え方として、神の要求があって応じたのか、人間の側が自ら捧げたのか。そもそも犠牲の儀の趣旨は何なのか。
3 犠牲の儀の有無は何と関連しているのか。狩猟・牧畜民族とその末裔は犠牲の風習をもち易く、農耕民族とその末裔は犠牲の風習をもち難いといった相関はないか。
4 割礼、宦官の風習と犠牲の風習は分布が重ならないか。つまり、割礼、宦官の風習も狩猟・牧畜民族との相関があるのではないか。
5 中南米では農業国であっただろうに何故人身御供の激しい犠牲があったのか。これによって人口を減らそうとの意図はないのが当然としても、耕地不足に悩んでいた事実はないか。また、農耕民であるが故に家畜に高い価値を見出し難く、心中を示すとなると人身御供にならざるを得なかった事実はないか。

ここで解説して下さっても資料の紹介でも結構です。裏づけのない個人の仮説ではなく、広く人間学なり文化人類学なり相応の学識ある方の見解を希望します。
よろしくお願いします。

A 回答 (1件)

>1 大筋として冒頭の印象は正しいか、正しくないか。



 印象という点では正しいのかもしれません。けれどその印象は、それらの土地が欧化された時期の遅さに理由があるとはお考えになりませんでしょうか。
 18世紀末にポリネシアの島々が西欧に知られるようになり、「タブー」という言葉が文化圏に知られるようになりました。
 禁忌と訳されるこの言葉は、社会秩序の維持のために道徳や主に躾といった役割を担ってきましたが、もうひとつ、禁忌を犯した者を神への見せしめに捧げるという審判の役割をも担っていました。ハワイ島までを含む環太平洋の島々では、比較的ポピュラーな習俗です。これが仰る「犠」に当て嵌まるかどうかわかりませんが、人身を供物として差し出す習慣は、かなりの広範囲の土地で伝承されています。

>2 犠牲は考え方として、神の要求があって応じたのか、人間の側が自ら捧げたのか。そもそも犠牲の儀の趣旨は何なのか。

 動機付けはどちらの場合も事例としてあります。儀は、徴(しるし)だと解釈されるケースが多いように思います。いずれにせよ、秩序の維持という現実的な必要性が背景にあると考えます。1.2.について、参考を挙げます。

 ・J. G. Frazer, 'Totemism and exogamy: a treatise on certain early forms of superstition and society.'

>3.4.については、そのような考えは持った事がありませんので、わかりません。

>5 中南米では農業国であっただろうに何故人身御供の激しい犠牲があったのか。これによって人口を減らそうとの意図はないのが当然としても、耕地不足に悩んでいた事実はないか。また、農耕民であるが故に家畜に高い価値を見出し難く、心中を示すとなると人身御供にならざるを得なかった事実はないか。

 インカを指すのでしたら、産業よりもむしろ高い社会と経済の統治システムが供物の必要性を生み出したと考えられています。参考を挙げます。

 ・John V. Murra, 'The Economic Organization of the Inca State.'

この回答への補足

本日は6月22日です。質問文投稿以来、一月が経ちました。
ここで締め切っても早過ぎることはないものと考えます。
関心をもって下さってありがとうございました。

補足日時:2009/06/22 22:09
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この回答へのお礼

ここは「考古学」であることを意識して、文明が濃密には交流する以前の古い時代を想定していました。文明が大々的には交じり合わなければよいので何時頃という線引きはしませんが、ソクラテス以前のギリシャ、古代エジプト、旧約聖書の時代のイスラエル、釈迦以前のインド、孔子以前の中国、縄文時代の日本、それに中南米ではマヤ、アステカ、インカ、こういう文明での犠牲を考えていました。文明が進むと、どの民族も農業の比重が大きくなってしまいますが、こういう古い時代であれば民族の生業と犠牲の風習との関係が傾向として、ある程度は分かっているのかなと思って質問しました。
「考古学」を頼りにし過ぎた質問文だったかもしれません。済みませんでした。

捕虜など何らかの理由で選び出した者に、共同体全員の罪や穢れを神事によって乗り移させ、この者を犠牲とすることによって共同体から悪を追放する、こんな考え方もあったみたいですね。キリスト教徒の考えるイエスの磔刑は考え方が、これに近いのかもしれません。ポリネシアの例も、この系列のものかもしれませんし、ただの見せしめなのかもしれません。文明が進んだ後は共同体にとって重要でないものを選び出し、神事によって浄化した後、生け贄として用いたようです。禁忌を犯した者も対象になったかもしれません。

資料の紹介も有り難うございました。

お礼日時:2009/05/28 19:51

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