江戸幕府が出来て東海道を整備することになった際、基点の日本橋からだと2時間位で着いてしまうのに、なぜ品川が最初の宿場に指定されたのでしょうか?
以下のようなことを想像しているのですが・・・
(1)日本橋の向こう側の住民も東海道を利用するので、近目の場所を最初の宿場にした
(2)宿場となると伝馬制の負担もあるので、もともと太田道灌の頃から町が街が形成され経済力の有った?品川が選ばれた

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A 回答 (4件)

宿場の意義は宿泊する事だけではなく、


質問文にもふれている伝馬制や飛脚の中継ポイントとしての意義もあります。。

品川・新宿・板橋・千住・高井戸の宿場は伝馬制や飛脚の出発点・終点として設けられています。
つまり、伝馬制や飛脚にとっての基点は日本橋ではなく、品川・新宿・板橋・千住・高井戸の各宿場になります。
伝馬制や飛脚の基点が江戸から離れていると不便ですから、江戸の最寄の宿場は江戸の近場に造られています。
(というより、品川・新宿・板橋・千住・高井戸までが江戸の範囲になります。)

又、休憩所や食事処としては日本橋から適度な距離ですし、
宿場の遊興所(岡場所)で遊ぶにも適度な距離です。
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この回答へのお礼

遅くなりましたが有難うございました。

お礼日時:2009/06/21 07:41

 品川宿には品川湊と呼ばれる菱垣廻船や樽廻船などの貨物船でにぎわった港が併設されていました。


 (東京湾内の小型廻船と太平洋航路の大型廻船の積み替えが行われた。)

 重要な港湾が有るのですから、宿場に指定されるのも当然だと思います。
「幕府は日本橋と近い品川を何故宿場町に指定」の回答画像3
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この回答へのお礼

遅くなりましたが、絵まで添付頂き有難うございました。

お礼日時:2009/06/21 07:43

昔風の距離の1里は、4キロで、歩くと約1時間。



で、宿駅と宿駅の間は約2キロの考えで出来、1日の行程は、七つ立ちつまり午前4時の出発で、日が暮れない間に泊り宿に着くように午後3時頃にはしてたらしいですね。それでも、途中休憩を入れても10時間近く約10里・40キロ近くを歩く勘定です。
江戸・京の間の126里少々を、約半月掛けて行き来してた勘定です。

宿駅の制定は、最初からのようですよ。品川は、京から来る人向けで、江戸から行く人に考えちゃ居ません。

参考URL:http://350ml.net/labo/tokaido.html
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この回答へのお礼

良く判りました。遅くなりましたが有難うございました。

お礼日時:2009/06/21 07:44

例えば甲州街道だとはじめは高井戸宿しかなかったですが、割とすぐに新宿(まさに新しい宿ですね)が四谷近辺にできましたよね。

それと同様の意味合いじゃないでしょうか。やはり、2時間とはいえ一道中ですし、そういうものがあればいろいろと商売ももうかりますから。
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この回答へのお礼

遅くなりましたが有難うございました。

お礼日時:2009/06/21 07:45

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