宗教活動以外で得た収益に対しては課税されるのですよね?

例えば、神社敷地内にある結婚式場やレストランでの売り上げは?
民業圧迫にもなっていると思うのですが。。私が知らないだけで、そこはちゃんと申告されているのでしょうか?

私は清貧を貫く宗教家を見た事がありません。

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A 回答 (3件)

>宗教活動以外で得た収益に対しては課税されるのですよね?



法律を、適正に解釈すればという前提だと、その通りです。

>神社敷地内にある結婚式場やレストランでの売り上げは?

結婚式は、解釈の範囲が非常に広いですから、判断が分かれますね。
民間結婚式会場に呼ばれる神主・神父・僧侶への祝儀は「宗教活動ですから非課税」です。
(結婚式場の従業員が担当している偽者神主・神父・僧侶が多い)
では、神社・教会・お寺の境内で行なった場合はどうなのか?
葬儀・法事でも同様ですが「非課税の場合が多い」ようです。
結婚式・七五三・葬儀・法事は、宗教行事ですよね。
食事も、これらに付随する活動に過ぎません。

>私が知らないだけで、そこはちゃんと申告されているのでしょうか?

宗教法人次第!ですね。
日本では「宗教法人に対する査察制度」がありません。
新宿信濃町に広大な敷地を持つ政治活動を行なっている宗教団体も、非課税です。
この教団は(現在の宗教関係法律では)「信者団体であって、宗教団体では無い」ですよね。

まぁ、祇園・宮川町でも「多くの住職」を見かけます。
先日の「みやこ踊り」かも川踊り」でも、多くの宗教関係者の姿を見ました。
祇園の御茶屋さんでご一緒した住職の財布には、100万円の新札が入ってましたね。

国税査察部も、宗教関係には影響が及びません。
一種の治外法権ですから・・・。
もし、査察が入ると「宗教弾圧だ!」と学会を始めとして与党も激しく抗議するでしようね。

>私は清貧を貫く宗教家を見た事がありません。

私の同じ自治会のお寺は、清貧ですよ。
「1円の寄付要請も無い」です。
同じ自治会の別の寺院は、一戸当り50万円の寄付命令が届いていて、住職が集金に走っています。
「無理だ」と答えると「分割でも良い」と説教?しています。
寄付要請の無い寺は、方丈新築・本堂修理・鐘楼修理・トイレ改修など、全て「住職の家族・親族」で行なっています。
近所の方々と一緒に「寄進しましようか」と言っても、受取りません。

まぁ昔から言う「坊主まる儲け」が常識になっている事は、間違いありません。
公明党が、都議選を衆議院選挙よりも重要視する理由も、この辺にありそうですね。
創価学会の管理監督庁は、東京都ですから・・・。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>食事も、これらに付随する活動に過ぎません。

 そうですか。。お神酒なら分かりますが、ハンバーグまで宗教活動に入ってしまうのですね。。

>公明党が、都議選を衆議院選挙よりも重要視する理由

 なるほど。都議選、都議選と異様に騒ぐ理由はそれですか。。監督する側、される側に同じ思想が入っているって怖いですね。

以前、2005年の都議選生放送で太田幹事長代行(当時)が、全国の創価学会員に対し、心からの御礼を述べていました。
あれは驚きました。

お礼日時:2009/05/24 17:56

宗教というのがうさんくさいのは、目に見える効果や商品がないからです。


で、ご質問の件ですが、私の認識では、宗教法人は課税の対象外だと思っていました。たぶんそうです。固定資産税とかも法人の所有になっていれば無税なんではないでしょうか。
神前結婚式は、費用がかかるのか聞いたことがありません。たぶん寄付というような名目で収益を得ているのではないでしょうか。それもおそらく無税でしようね。違うかな。
また神社敷地内などにあるレストランなどは、別会社の経営で、宗教法人(神社)に土地賃貸の家賃みたいなものを収めているのではないかと想像します。
私の知っている新興宗教(と言えるほど過激なイメージばないですが)の宗教法人があるのですが、前会長が認知症にかかり、現在はその妻が会長を務めています。先々代、先代のご夫婦が頑張ったせいで、会員が増えたのですが、いまはその頃から来られていた老人たちばかりで、で、まぁ、お年寄りは亡くなって行きますから、会員は減る一方で、存続が危ぶまれています。彼らが心配しているのは、宗教の継承よりも、自宅の問題で、もし宗教法人の条件に満たなくなった時、土地建物は宗教法人のものですので、立ち退かなければならなくなるということのようです。非常に深刻なようです。別に親しくはないですよ。
無駄なことを書いてしまいましたが、カルトから新興宗教、何んとか宗とか、どこからみても宗教は形式だけが残り、本来の宗教の意義を失っていると思います。上等の袈裟を下げ、御釈迦さんが泣いて悲しまれるようなこと。たとえば高価なレストランやホテル、料亭の常連さんにお坊さんが多いということも、よく耳にします。宗教法人でなければ、あれらの金は本来税金として納めるべきお金で、つまり私たちが国に納めたお金で彼らが飲み食いしている、と穿った考え方をしてしまうのは私だけでしょうか。
宗教法人関係の方が読んでおられれば、お願いしたいのですが、もし私の認識が、真実と大きく異なるのであれば、質問者様への回答という形で反論してください。私が言いっぱなしでは不平等ですから。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>たとえば高価なレストランやホテル、料亭の常連さんにお坊さんが多い

 私は長く高級飲食店に勤めた経験がありますが、お坊さんを始め、宗教関係者は本当に多かったし、呑み方も堅気じゃないんですよね。
しかもスケベ。
あくまで、私が見た限りでは、ですけどね。

宗教法人への課税論議が立ち上がっては消えていきますが、私が生きているうちに実現するのでしょうかね。。

お礼日時:2009/05/23 16:02

宗教法人税の非課税対象はあくまでも一般的宗教活動に対するもののみです


一般的に言うお布施やお賽銭、葬儀や結婚式のお礼金などです
宗教法人の収益事業でよくあるのは、駐車場などの不動産賃貸収入や精進料理の提供業務などで、これらは当然法人税申告が必要です
質問にあるような結婚式場を併設しているような神社の場合、結婚式自体にたいする謝礼金は非課税ですが、披露宴などに関する収入や引き出物のバックマージンなどは課税対象として申告することとなります
場合によっては別個に会社を設立することもあります
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

私は株式会社を経営しておりますが、今は交際費も認められないし、税理士と口論が絶えません。

収入を非課税部門に付け替えるなんて簡単な作業ですよね?
国税が宗教に入ったというのも聞いた事ないのですが、チェックは利いているのでしょうかね?

お礼日時:2009/05/23 15:58

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Q非文明的な生活を送る宗教(組織?)の名前

非文明的な生活を送る宗教(組織?)の名前

「文明的なものをいっさい使わない人達がいる」「その人たちの目は死んでいるように思えた」「心に傷を負った人が行き着く場所」「退廃的?」「カナダ?」

ずっと昔に上記のような文章を見たような記憶があります(あるいは別の表現かもしれませんが、意味するニュアンスは似てると思います)。その宗教(もしかしたら、ただの組織かもしれません)の名前を知りたいのです。一応、WIKIPEDIAで宗教一覧から探したのですが(ざっとですが)、それらしい生活を送る宗教はありませんでした。Googleにて「宗教 非文明的 生活 名前」のようになんとなく頭にある言葉を並べても、まるで見当違いの情報がでてきてしまって、あとはどう調べればよいのかわかりません。そこで、質問させていただきました。

本当にうろ覚えなのですが、よろしくお願いします。宗教名がわかれば、あとは本部支部の所在地は恐らく自力で調べることができるかと思います。

そういった人たちとの会話は、きっと自分にとって良い経験になるのではないか、と思いました。

Aベストアンサー

「文明的なものをいっさい使わない」「宗教的」北米、という記述から、アーミッシュだと思いました。
Wikipediaのページを貼っておきます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5

文明的な機器を否定して自給自足の生活を送る素朴な宗派です。
教義を厳格に守るためか俗世とほとんど接触がなく、非常に禁欲的な印象を受けます。
宗教はキリスト教だと思います。

死んだような目、というのもすさまじい表現ですね(^^;

Q神社の敷地を商用目的で借りることはできるでしょうか

地元の、とある神社の敷地内がぽっかりと空いており、休憩所のようなものも全くないので、休憩所を作らせてもらう提案をすることを考えています。
その場で食べるお菓子や、お茶を振るまおうと思っています。

事前に友人やwebから情報収集をした限りでは、宗教法人である神社が貸すこと自体はNGではなく、

 ・通常よりも大きく安価に貸すことはNG

とのことでした。

こういった件に詳しい方がいらっしゃいましたら、私の認識であっているか、ご意見を頂けますと幸いです。

どうぞ宜しくお願いいたします。

Aベストアンサー

宗教法人の場合は、収益事業と公益事業があり公益事業に関しては非課税

収益事業の一つの分野に『不動産貸付業』があるから、この話はそこに該当する可能性があり
そうなれば課税の対象になるので、その面倒を嫌う場合もあるし
氏子衆の中に利害関係があるような人がいればそれも問題になるかもしれない

結局、直接聞いて貰わなければ話は始まらないということ

Q宗教の本質

宗教の本質

哲学について考えるとき必ず付いてまわる宗教とは何か「宗教の本質」について考えた結果、以下の結論に至りました。

1.宗教の発生時期
  宗教は人類の誕生とともに自然発生的に生まれました。
  どのような原始社会においても宗教は発生しています。
  宗教の生まれていない地域、社会は皆無といってよい。

2.宗教の種類と数
  宗教は全世界に溢れています。
  その数は分類のしかたにより数千とも数万とも数百万ともいわれています。
  また宗教は人の数だけ存在するという人も多数います。

3.宗教を構成するもの
  宗教は神、天国、地獄の3つの概念により構成されます。
  この3つの概念を備えない宗教は存在しません。

4.宗教の宇宙観
  全ての宗教は有限宇宙観に支配されるものです。
  すなわち宇宙はある一時期をもって開始し、その広がりは有限であると。

5.宗教を動かすもの
  宗教は心地良いものです。
  修行と名のつく様々な宗教的所業も結局心地良さの追求です。
  酒を飲むと心地よくなるのと同様の現象です。
  もちろん酔いが醒めると辛いものが待ち受けておりますが、宗教も同様であることに説明の必要はありません。

6.宗教の目的
  宗教はもともとは人間社会の統治の道具として生まれました。
  これは古代エジプト王国などをみればよく分かることです。
  大勢の奴隷を効率よく統治管理するための道具として有効利用されたのです。
  この状況は根っこの部分においては現在でも全く変わっていないと言ってよいでしょう。
  国が宗教を擁護するのもこのためです。

7.宗教の未来
  統治の道具としての宗教の力は既に失われています。
  これは近代科学、近代文明が発達した結果としての自然の成り行きなのです。
  それと同時に宗教を支配した神、天国、地獄の3概念もそのイメージが次第に弱まってきました。
  つまり宗教の役目は失われつつあり、既に宗教の時代は終わったといってよいでしょう。

8.宗教の次にくるもの
  それは真理の探究であり、思想と哲学の時代です。

御意見ください
 

宗教の本質

哲学について考えるとき必ず付いてまわる宗教とは何か「宗教の本質」について考えた結果、以下の結論に至りました。

1.宗教の発生時期
  宗教は人類の誕生とともに自然発生的に生まれました。
  どのような原始社会においても宗教は発生しています。
  宗教の生まれていない地域、社会は皆無といってよい。

2.宗教の種類と数
  宗教は全世界に溢れています。
  その数は分類のしかたにより数千とも数万とも数百万ともいわれています。
  また宗教は人の数だけ存在するという人も多...続きを読む

Aベストアンサー

続けて失礼いたします。
>>私の提示したものに一々否定したり、不十分であると述べたりするばかりで何ひとつ自身の答えを示そうとはしません。
 認知科学のパスカル・ボイヤー氏は宗教をひとくくりにして説明してしまうことはよくやれられるがこれ間違いだと述べておられますが、私も同意見です。よく、「宗教は未知のモノに説明を与える」とか「宗教は安心を与える」「社会に秩序を与える」、または「妄想に過ぎない」と説明を加える方が居られます。しかし、それは「宗教」という言葉のあらわすものが持っている守備範囲を表すもので、どれもその核心を突いているわけではありません。
「未知の物に説明を与える」ということに関して言えば、宗教は説明以上に謎を呼びます。スーダンのザンデ人のあるお宅の屋根が崩れました。すると、ザンデ人たちはすぐに妖術師の仕業であると疑い、説明をつけ始めた。この時ザンデ人の宗教を研究していたエバンス・プリチャードは、屋根の所にはシロアリが食っているのだから屋根が落ちた原因は妖術師ではなくシロアリの仕業だと指摘します。しかし、ザンデ人はシロアリが原因であるや建物の老朽化などのことは百も承知であったが、シロアリに関心を寄せませんでした。彼らの関心事は「なぜ今その人が屋根の下にいる時に、屋根が落ちたか?」という理由でした。これが適切な「謎」であれば「宗教は未知の物に説明を与える」ということもいえるでしょうが、そうではありません。宗教自体が新たな謎を呼んでいるのです。一休禅師の歌の中にも「釈迦といういたずら者が世に出でて世の諸人を迷わせるかな」なんて歌を詠んでおられますが、このような点からも宗教はただ説明を与えるだけではないことが伺えます。
「宗教は安心を与える」というのは前述の通りそれだけではありませんし、「宗教は秩序を与える」というのも秩序を壊すのも宗教であったりします。また、「宗教は妄想である」というのも、私達は妄想と隣りあわせで生活しているわけで、「もし」や「シュミレーション」や「遠く離れた恋人の思い」であったり、その妄想から力を得ることもありますが、そういうことには言及されないことが多い。どの説明でも不十分なのです。
それを前提において考えますと、私としては一番それらしいかなと思っているのは、認知科学的な方面からの研究によれば宗教の本質は「人間の認知機能の表象」であると考えられています。分かりやすく言えば「人間は宗教的なものを感じるように出来ている」ということです。前々回の回答の中でも記したように、人間の行為者の過剰検出であったり、それを安定した形で定着させる機能だあったり、前回の中に記した推論機能であったり、数多くの人間の認知機能の表象として宗教と言うものがあるという説明です。
しかし、私はこの回答では宗教の本質というより「人間の本質」の問題であるように思います。では宗教の本質とは?「いろいろ」です。刹那的にみれば、一つの宗教から、多くの宗派が生まれたように見えます。ここから一つの宗教から多くの宗教が生まれたのだから「宗教の本質を答えることが出来る」と考えるのが自然なように見えます。しかし、文化人類学や進化心理学においては「多から少」、質問の中にも
>>その数は分類のしかたにより数千とも数万とも数百万ともいわれています。
>>また宗教は人の数だけ存在するという人も多数います。
とあるように、宗教は歴史的な多様化ではなく、数限りない宗教の絶え間ない自然淘汰による凝縮の結果と考えられています。私もこのように考えます。
 つまり、「人間の認知機能」という共通ですが、その対象が違うのです。砂漠における砂の認識と、湿原における砂の認識は違っているわけですから、同じ砂を信仰対象としたとしても、共通点はあってもその本質は違っています。だからこそ日本には宗教全般を表わす「宗教」という言葉が存在しなかったのはそのためです。日本の分類は「仏道」「神道」「儒学」「キリシタン」という括りまでです。なぜなら、それぞれの「本質」が違うことを意識せずとも知っていたからでしょう。つまり、宗教の本質は「いろいろ」ということです。

 しかし、この答えでは満足いかないでしょう?そうでしょう。書いている私が満足してません。説明としては不充分なのです。けれども、だからこそ学ぶのです。「宗教」について語られたものは、宗教学、神学はもとより、歴史学・文化人類学・認知科学・進化心理学等々多岐にわたります。今の時代、調べれば知ることが出来るのに、それをしないのは怠惰以外の何者でもないと私は学び続けています。
あなたのような熱い方とお話が出来て嬉しく思います。ありがとうございました。
 ただ、お答えにはなっていませんね。申し訳ありません。
合掌 南無阿弥陀仏

続けて失礼いたします。
>>私の提示したものに一々否定したり、不十分であると述べたりするばかりで何ひとつ自身の答えを示そうとはしません。
 認知科学のパスカル・ボイヤー氏は宗教をひとくくりにして説明してしまうことはよくやれられるがこれ間違いだと述べておられますが、私も同意見です。よく、「宗教は未知のモノに説明を与える」とか「宗教は安心を与える」「社会に秩序を与える」、または「妄想に過ぎない」と説明を加える方が居られます。しかし、それは「宗教」という言葉のあらわすものが持って...続きを読む

Q消費税の仕組み:非課税事業者の仕入れに課税/非課税があるのはなぜ?

素人ですが、消費税について勉強しております。

消費税は、”多段階課税+仕入れ税額控除(課税仕入れ額の控除)が徴税技術上大変重要ですが、非課税事業者の場合には(仮に非課税売上しかないとします)でも、以下のような差が出ます。

1.土地を売買する不動産業者
土地を仕入れる際には消費税は掛からず、販売する際にも消費税を転嫁しない。よって、消費税には全く関係なく、”消費税の負担はない”

2.利子のみ銀行(実際には今時こんな銀行はないが・・・)
預金者から例えば100万円預り、2000円の利子を払う(これが仕入れ)。預かった100万円を”A社”に融資し、3000円の利子を得る(これが売上)。仕入れの2000円にも売上の3000円にも消費税は掛からず、上記不動産業者同様”消費税には関係なく、消費税の負担はない”

3.医者(開業医)
診療に必要な薬・医療機器を仕入れる際に消費税を払っているが、診療の対価にはその消費税を転嫁できない。結果として医師が仮払消費税を負担している。(課税仕入れであるにもかかわらず、仕入れ税額控除が認められない。)

4.大家(住宅用)
借家に必要な建物・維持に必要な管理料・修繕費・光熱費等(これが仕入れ)に消費税を払っているが、家賃には消費税を転嫁できない。結果として、大家が仮払消費税を負担している。(課税仕入れであるにもかかわらず、仕入れ税額控除が認められない。)

同じ非課税アイテムを扱っている”非課税事業者”でありながら、なぜ上記のような差がでるのでしょうか?

唯一想像できるのは、非課税アイテムとは1)本来消費の概念にそぐわないもの:土地や利子 と2)政策的に非課税にしたもの(本来は課税:診察料や家賃)に分かれるので、前者の場合は、事業者は消費税負担なし、後者は”最終消費者ではなく、事業者”が消費税を負担する、ってことでしょうか?

この”法律的・学問的根拠”って何でしょうか?

素人ですが、消費税について勉強しております。

消費税は、”多段階課税+仕入れ税額控除(課税仕入れ額の控除)が徴税技術上大変重要ですが、非課税事業者の場合には(仮に非課税売上しかないとします)でも、以下のような差が出ます。

1.土地を売買する不動産業者
土地を仕入れる際には消費税は掛からず、販売する際にも消費税を転嫁しない。よって、消費税には全く関係なく、”消費税の負担はない”

2.利子のみ銀行(実際には今時こんな銀行はないが・・・)
預金者から例えば100万円預り、2000円...続きを読む

Aベストアンサー

 法の理念と法技術をごっちゃにしてはいけません。

 税法は,大変技術的な法律です。法の理念(こうあるべきだ)をできるだけ忠実に立法することは大切なことですが,他方で,法律は,わかりやすく,使いやすいものでなければならないのです。

 そうした場合に,立法の技術として,理念とは異なる仕組みを作ることも可能です。それは全く否定されることではありません。

 消費税法の仕組みはそのようなものなのです。

 ですから,解釈でできるだけ理念に近づけることは必要ですが,それは第2段階の問題(条文の解釈に問題が生じたときに,どのような解釈をとるかの問題)です。

 理念に合わないから,実際にある法律がおかしいといっても,立法論としてはともかく,実際の適用を論じるには,あまり意味がありません。

 第1段階では,法律の条文をよく見て,法律の基本的な仕組みを理解することが必要です。

 たとえば,多段階課税と仕入税額控除を原則論だといわれますが,その原則論は,実際に作られた法律には採用されていない,そういうことなのです。それを論難しても,現行の消費税法がある以上は,どうしようもありません。私に不同意だといわれても,今ある法律が,今あるままで変わるわけではないのです。

 今の日本で,売上税を作ってはいけないという理由はありません。売上税を作って,それを消費税的・付加価値税的に運用して,それを消費税と称しても,別に何の悪いこともない,ということです。

 法律なんて,そんなものです。特に行政法といわれる分野はそのようなものです。

 法の理念と法技術をごっちゃにしてはいけません。

 税法は,大変技術的な法律です。法の理念(こうあるべきだ)をできるだけ忠実に立法することは大切なことですが,他方で,法律は,わかりやすく,使いやすいものでなければならないのです。

 そうした場合に,立法の技術として,理念とは異なる仕組みを作ることも可能です。それは全く否定されることではありません。

 消費税法の仕組みはそのようなものなのです。

 ですから,解釈でできるだけ理念に近づけることは必要ですが,それは第2段...続きを読む

Q宗教の種類は今後も増え続けるのか?

宗教は動物にはないものと思います。死人に対してお墓を作ったり花をお供えすることなどは、人間が進化した結果の宗教心です。その宗教心は国や地域でさまざまな既成宗教を生み出しました。ですがその反面科学や知識が進歩することにより、既成宗教の信憑性は低下しています。ですが自分で宗教を選ばない人達は先祖の宗教を引き継いでいる人が多数です。信教の自由ですから先祖の宗教から離れる人もいます。その人達は無宗教になるひともいますが、多数の人は理論的で科学的に近い宗教に惹かれるようです。その為、新興宗教が多数つくられてきています。私としては宗教の多くは必要のないものと思っています。この世にとって必要な宗教と必要でない宗教を分けることはできないでしょうか?ただ増え続ける宗教は馬鹿馬鹿しいだけです。できれば宗教は一つにまとめるべきだと思っています。誰にでも人間としての宗教心はあります。その意味をもう一度見直して、世界で一つだけの宗教をつくれないものでしょうか?

Aベストアンサー

そちらの質問は、“本来哲学が忘れたり、諦めたりしてはならないはずの問題”というふうに、 私はなのですが、 本気で思っています。

ごめんなさい。馬鹿にされてしまうかもしれないですが、その本気さの出どころを正直に書きます。 そのあたりの自己紹介を先に書きます。

わたしは、肉体労働者でほとんど本とか読んでいません。 アカデミックな哲学の世界の歴史とかを知らない人間なのです。
しかし、子供の頃 差別といじめから体を壊し何度も死の床をはいずった体験からか、物事を考えるのにいちいち徹底してその本質まで考える癖はついていました。

だからといってこの人生について解ることは、徹底して考えるほどに自分の未熟さ、青二才ぶり、甘さ、どうしようもなさ、小ささ、木の葉のような状態でしかなかったのですが、  自分の中では、これが60歳になってみて(50歳ごろ全体的にまとまったのですが) 物事は総合的にかんがえると(人生のことがらすべてをなのです。このOKウェブのカテゴリが無限にあるわけではないことから、60歳の思索者のそのへんを想像していただけると幸いです。)人間の能力はけして何もかも出来る可能性なんて持ってはいないけれど、 A地点からB地点までの一歩一歩の旅ならば必ず答えが見えてくるそういう確かな「可能性の大地」という世界、 つまり深く本質的にそして広く総合的に考えれば必ず 次への見とおしならば開けるはずで その頂点であるべき思索開拓の道が本来哲学であるはず、→ すなわち、この相対的は世の中にて、諦めていいような問題は存在しない。 哲学がそこにある限り、常に前進への道はあるはず。 という考えにいたっているというわけなのです。

宗教の問題に限らず、憎しみの連鎖の問題、生物の弱さの問題、医学の進歩の問題、経済の問題、外交のあり方の問題、大きくて不可能に思えてしまう問題も、 けして諦めてはならない。 哲学が諦めたらもちろんすべては絶望しかないのでしょうが、そんなことはありえない。という考えだということです。 

今では、論理以上に「諦めない心」のほうが大事と思えるほどになっています。

ジョンレノンでしたか「宗教の無い世界を夢見てごらん、国境の無い世界を夢見てごらん♪」といった歌詞(くわしくは知らないのですが)の「夢」を音楽と詩で語っていますよね。

夢は 音楽哲学にしろ、言葉や詩の哲学にしろ そこから生まれたさらに進化した音楽や詩や文学にしろ、 裏のその哲学がどこまで煮詰められているかによって 実現へと近づいてゆくという理論もなりたちます。

私が33,4歳のころだったでしょうか、友達が泣きながらそのニュースを知らせてくれた事を憶えています。彼がピストルで撃たれて殺されていなかったら、どのような哲学をわたしたちに語ってくれたのか、生きていたなら彼の60歳の頃のお話を聞いてみたくなります。

へんな自己紹介ですが、ここまでをここでの自己紹介とさせていただいます。

紙数の都合で 回答自体はANO15まで筆を伸ばします。(一応最初の回答という形ですが)

***
 paradox8様の質問文に直接対応した回答は次のANO15(から)となりますが、 まだ紙数がありそうなので、付け加えます。

私は上記のような「哲学人」なのですが、 最近、このサイト内にて、アカデミックな哲学の世界で“哲学の世界”自体が 膨大に分裂していてそのその思索における総合性を失ってるとかつかみがたくなってるとか聞いていますし、

また哲学の歴史自体が、何か個とか個性というあたりでもしかしたら へんな曲がり方をしてきてしまったらしいことも聞いています。  個とい概念はとても大事な人間性についての思索なのですが、絶対個という概念を 文字通り「絶対」に通じ合えないのだからそれが故にお互いを尊重しあうことが大事なのだとかいうふうな簡単な考えでまとまってしまっているらしいことも聞いています。

 アカデミックな哲学が こんな地点から抜け出せないでいるというのが事実であるなら ちょっと信じられない世界です。

学者の卓上の論理というのは もしかしたら、生きる必死さ、真剣さに欠けているのかもしれませんね。 それだから この宗教の問題にも哲学が答えられなくなっているということなのかもしれません。 ここにそのような推理が働いてしまう者です。

でも、本来 人間の哲学の可能性を哲学すれば、深く広く総合的、本質的、厳密に考えれば そんなはずないと思う者の 私はもちろんその一人です。

私自身は、諦めません。  つづけます。

そちらの質問は、“本来哲学が忘れたり、諦めたりしてはならないはずの問題”というふうに、 私はなのですが、 本気で思っています。

ごめんなさい。馬鹿にされてしまうかもしれないですが、その本気さの出どころを正直に書きます。 そのあたりの自己紹介を先に書きます。

わたしは、肉体労働者でほとんど本とか読んでいません。 アカデミックな哲学の世界の歴史とかを知らない人間なのです。
しかし、子供の頃 差別といじめから体を壊し何度も死の床をはいずった体験からか、物事を考えるのにいちいち...続きを読む

Qなぜ宗教は非課税なのでしょうか?

宗教で納められるお金って信者さん達のお金であり、もちろんそれがなければ運営もできないのでしょうが、なぜ、宗教法人からは税金を取らないのでしょうか。
納められたお金ってどの様にまわっているのでしょう。ちなみに固定資産税などはとられるんですかね?

Aベストアンサー

宗教法人は、営利事業以外は非課税となっていますが、この理由は、営利が目的ではないことと、過去の歴史から見て、人々の心のよりどころである宗教活動に課税するのはどうかという、配慮からのようです。

もちろん、宗教法人であっても、利益を目的とした営利活動には課税されます。

建物などの固定資産については、宗教法人が、専らその本来の用 に供する固定資産等については非課税です。

参考urlと下記のページをご覧ください。
http://www.hi-ho.ne.jp/yokoyama-a/syukyohoujin.htm
  http://board.lycos.co.jp/politics_law/general/board/index.php3?qid=875

参考URL:http://www.kantei.go.jp/jp/zeicho-up/1114/36-4.html

Q総合格闘技団体みたいな、総合宗教団体を作りたい。

最近、宗教の事を身近に感じます。
少し無理が有るかもしれないですが、すべての宗教をまとめる宗教団体を作りたい。
総合格闘技みたいな。
宗教法人、宗教研究会とか、宗教法人、総合宗教団体オールとか、宗教法人、宗教オリンピックとか、宗教法人、宗教交流会とか、宗教法人、宗教すべてオッケーの輪とか、宗教の宗派や、派閥は、あっても良いけど、宗教は宗教だから、みんな一つの輪だから、思想も色々あるが、とりあえず一つの輪になって、宗教活動したい。
それで、思想の違いから意見の対立があるから、
宗教オリンピックを開いて、宗教論争の戦いをやる。宗教の専門家に審判をお願いする。
もちろん、これが元で宗教戦争になったら困るので、言い争っても、テロとか、やらないように、論者に頼んで、また信者にも頼んで、合法的な活動にする。
それで、相手を批判したり、自分が批判されたりして、自他共に、良い所、悪い所を認めあい、自分の宗派や派閥を、良い物にして行く。

これは、どうでしょうか?面白いんではないでしょうか?

柔道的な発想です。
嘉納治五郎も、その昔、柔術が無くなって行くから、柔術を総合し、人道を加えて、柔道を作りました。

それなら、宗教から、宗道べの時代が、やって来てないですかね?

少々無理があるかもしれないですが、回答を、よろしく、お願いします。

最近、宗教の事を身近に感じます。
少し無理が有るかもしれないですが、すべての宗教をまとめる宗教団体を作りたい。
総合格闘技みたいな。
宗教法人、宗教研究会とか、宗教法人、総合宗教団体オールとか、宗教法人、宗教オリンピックとか、宗教法人、宗教交流会とか、宗教法人、宗教すべてオッケーの輪とか、宗教の宗派や、派閥は、あっても良いけど、宗教は宗教だから、みんな一つの輪だから、思想も色々あるが、とりあえず一つの輪になって、宗教活動したい。
それで、思想の違いから意見の対立があるから...続きを読む

Aベストアンサー

たぶんこんなことを考えられるのは 『あなたが日本人」だからでしょう。
日本の宗教は「神様喧嘩せず」が信念にあるので、どんな宗派だって好きにさせてます。
例え金儲けの宗教でも。 だから宗教衝突も起きませんし 殺し合いもありません。

海の向こうでは「唯一神信仰」だから 俺以外はみんな邪教者なんで
邪教者は殺したっていいんです。徳が積まれますから、喜んで赤ん坊を石で引いたり
女を犯して 生きたまま男の首を切り取り歓喜の声をあげます。 あちらの人にとっては
この行為はすっごい美徳ですから。うらやましいですね。

こんなやつらを相手取るんですから、銃でも大砲でも絶対に敵わない上、眉一つ動かすだけで周りの仲間が苦しんで苦しんで絶命するような力を持った代表者が仲に立って
力でねじ伏せて手を握らせなきゃ無理でしょう。

温厚ってのは「同じ宗派の人間のみ」の付き合いなんで 異教徒に温厚になれるわけはありません
だって自分の宗教以外を認めるのは冒涜なのですから

Q自分の家の敷地と隣の家の敷地の境界線上の塀について

家を建てて早1年半ほど経ちました。当時、まだ隣は空き地でした。
そして最近その空き地に家が建ちました。(まだ引っ越してきてはないです。)
当時、隣の空き地との境界線上の塀をどうするか決める時に、「まだ隣は居ないので、塀を好きなように決めれますよ。」と、塀を作ってもらえる会社の人に言われたので作ったのですが、その時私は「代金は、将来、その空き地に引っ越してくる人と折半なんだろうな」と思って(境界線の上の塀なので)今に至っていたのですが、最近夫と塀の話をしていると、夫が「塀の代金は折半じゃないよ。うちが全部払っとる。」「その時まだ誰も空き地に引っ越して来る人決まってないから好きなように塀を作れると言われただけ。お前がちゃんと話聞いてないのが悪い。」と言われました。
そして、私は自分の母にこの事を話すと、「境界線の上なんだから、塀を作ってくれた会社に言ってもだめなら、自分で隣に引っ越して来た人にちゃんと言って半分払ってもらいなさい!」と、どこにそんな根拠があるのか分かりませんが、そう言われました。
明細書を引っ張り出して見てみると、もちろん、半額にはなっていませんでした。なので、旦那が言っていた通りで、私がちゃんと話を聞いていなかったのかな?と後悔しています。もし勝手に勘違いしていなければ、隣に引っ越してくる人がくるまで、塀を作らずにいたと思います。

この場合、あとからでも、新しく引っ越してきた人に、塀の代金、半分請求する事ができるのでしょうか?

請求できない場合、この境界線上の塀は私の家の所有物になるのでしょうか?
そして引っ越してきたお家のお子様とかが、わざとじゃなくても塀を破損等された場合は、修理代とか請求できるのでしょうか?

境界線の上の塀なので、どういう扱いになるのかがわかりません。(代金を折半しているなら、お互いのもの(?)と考えれるのですが・・。)

分かる方がおられれば教えてください。
よろしくお願いします。

家を建てて早1年半ほど経ちました。当時、まだ隣は空き地でした。
そして最近その空き地に家が建ちました。(まだ引っ越してきてはないです。)
当時、隣の空き地との境界線上の塀をどうするか決める時に、「まだ隣は居ないので、塀を好きなように決めれますよ。」と、塀を作ってもらえる会社の人に言われたので作ったのですが、その時私は「代金は、将来、その空き地に引っ越してくる人と折半なんだろうな」と思って(境界線の上の塀なので)今に至っていたのですが、最近夫と塀の話をしていると、夫が「塀の代...続きを読む

Aベストアンサー

境界線上の隣地双方の土地にまたがる境界塀の設置に要する費用は、原則として双方の折半負担(民法225条、226条)とされています。

母はこの法律の事を言われてるのかも知れませんね。

しかしこの法律は双方の合意、又は司法の判決が必要になります。

つまり質問者さん側が先に勝手に塀を作って、引越してきた人に半分費用を持て、は強引な話です。

つまりお隣は、塀は必要ない、あるいは、塀を作るなら自分にも好みがありその塀では気に入らない、というような事が考えられるからです。

むろん引越して来た人が、折半を納得すれば払ってくれるでしょうけど、強制することはできません。

自分の敷地内であればどのような塀を作ろうと、自分の費用でつくる限りは問題ありません。もっとも非常識に高くするなどして、隣の日照、通風を阻害しては問題になるでしょう。

>請求できない場合、この境界線上の塀は私の家の所有物になるのでしょうか?

質問者さんの所有物です。

>そして引っ越してきたお家のお子様とかが、わざとじゃなくても塀を破損等された場合は、修理代とか請求できるのでしょうか?

修理代は請求できます。しかし・・・
今現在の状況は、質問者さんの構築物が、わずかながら(塀の厚みの半分)隣地を侵害してる状態です。

なので逆に隣から塀をそちらの敷地内に建て直してください。と言われる可能性があります。

>(代金を折半しているなら、お互いのもの(?)と考えれるのですが・・。)

そのとおりです。境界線上に双方で負担して建てた塀は、共有物になり維持管理費用なども折半していくことになります。

境界線上の隣地双方の土地にまたがる境界塀の設置に要する費用は、原則として双方の折半負担(民法225条、226条)とされています。

母はこの法律の事を言われてるのかも知れませんね。

しかしこの法律は双方の合意、又は司法の判決が必要になります。

つまり質問者さん側が先に勝手に塀を作って、引越してきた人に半分費用を持て、は強引な話です。

つまりお隣は、塀は必要ない、あるいは、塀を作るなら自分にも好みがありその塀では気に入らない、というような事が考えられるからです。

むろん引...続きを読む

Q伝統宗教と新興宗教と外来宗教

宗教に抵抗のある人でも、除夜の鐘の音を聞くのも不愉快、初詣にもいかん、お盆もやらんという人は少ないと思います。
多くの人にとって伝統宗教は「宗教」のカテゴリに入っていないのではないかと感じられます。
特異な存在である宗教として意識されるのは新興宗教と、外来の宗教であるキリスト教やイスラム教ではないでしょうか?
伝統宗教とそれ以外は意識の上で何が異なるのでしょうか?
またいかなる伝統宗教も開祖の時代は新興宗教であったはずですし、逆にいえば今現在の新興宗教も何百年も先まで残っていれば
伝統宗教として扱われるようになるでしょう。
また今は日本の土着宗教のようになっている仏教も本来は外国の宗教でした。
新興宗教や外来宗教はいつなにをもって伝統宗教に転ずるのでしょうか?

Aベストアンサー

マイナーがメジャーになるきっかけは、やはり支配者の決定じゃないでしょうか。


古来 人間はモノを創造していた。製作していた。


今のように大型量販店で、できあいのモノを買うのではなく、自ら作っていた。


各地で特産ができて、自分たちには無いものを、自分達独特のものと交換していた。
無いなら作ればいい から 作らずに品物を手に入れる方法として物々交換をしていたわけです。


そういうわけで、創造から今では人間の特性は消費に進化したわけです。


従って今では、創造をするモノになるより、創造されたものを大量消費するモノの方が圧倒的多数。
創造する人はマイナー。


キリスト教を例にとると、人々はいい宗教だからと 自らの自己決定で選んだわけではない。


学校には制服があるじゃないですか。
学校に自ら作った服を着ていかず、既製服を着ていきますよね。
それと同じように、時の支配者が創造したというか、ミックスした宗教を、被支配者階級に「これを着なさい これ以外は学校では着てはいけません」というように、「これを信仰しなさい。これ以外の信仰はしてはいけません」となったわけです。


どうして支配者は、キリスト教を選んだのかというと、被支配者の頭を上げさせないため。
押さえつけて支配者に服従させるため。

という側面と、集団を一つの宗教だけ信仰させることで、統一し纏め上げることが容易になるから。
散らばっている羊より、固まっている羊の方が、扱が容易ですよね。


ぜんまい仕掛けのおもちゃみたいなもの。
創造者、支配者、そして設計者でもあるその者の思い通りに、宗教を使えばできてしまう。

それに気づいたローマ皇帝たちは、だからキリスト教を使用して、領土を拡大することに成功したわけです。



従って、どの宗教が集団のメジャーとなるかは、支配者が利用価値があるとして使用するかどうか次第。


考えてみてください。
「あれは敵だ」と戦争を支持する者の息子は、決して戦場にに行くことはありません。
人々は国のため、神の正義のため という言葉によい知れ、奮起させられるが、決して支配者の息子が戦場の前線で国のため、神のためと戦うことはありません。
つまりその宗教の価値があるとしているのは、それがすごい物だから信仰すべきだとしているのではなく、自分の世界を拡大するために利用価値が大いにあるとしたから。
だから利用価値があるから支配者は利用することとなった。
利用しても成功しなければ、利用しないまでです。



神の正体とは、人間であり民を支配している者。
その者が利用価値があると選択した宗教が、メジャーになるわけです。


人々はその者が創造した商品を大量消費することに楽しみを感じる。
大量消費からブランドとして、価値を付加するわけです。

ブランドの誕生は、支配者が使用するようになってから、ブランドとして名が通り、高い値で取引される。

手作りで、職人が作るわけだが、人々の関心は、それを消費することであって、メーカーのように創造・製作することを楽しみたいからではない。
信仰とは消費と同義語。



仏教だって支配者が選択したからだし、神道だって支配者の都合で各地に伝わっていったわけですし。

人々は被支配者が決めた服を着て(消費して)喜んでいるだけ。



物を作っていた時代から、交換になり、消費がはじまり、大量消費になり、創造に興味はもたず、今はブランドに興味を持つようになったという人間の進化の過程を、宗教に置き換えて考えてみました。

人間の特性を知れば、解ける問題ですね。
そして人間の特性を知った人は、利用し勢力を拡大していった。
気づき利用したことで、自分が中心となる王国を築けた。

マイナーがメジャーになるきっかけは、やはり支配者の決定じゃないでしょうか。


古来 人間はモノを創造していた。製作していた。


今のように大型量販店で、できあいのモノを買うのではなく、自ら作っていた。


各地で特産ができて、自分たちには無いものを、自分達独特のものと交換していた。
無いなら作ればいい から 作らずに品物を手に入れる方法として物々交換をしていたわけです。


そういうわけで、創造から今では人間の特性は消費に進化したわけです。


従って今では、創造を...続きを読む

Q公図の敷地と建築確認上の敷地

公図の敷地は一つでそこに建物を複数戸建てることは可能ですか?
(この場合のそれぞれ建物の所有者は同じと言う前提で)

建物は一敷地、一建物と決まっていますよね。

しかし、敷地境界線を決め敷地を確定し、その敷地で建築基準法を
満たせば複数戸建築可能だと言う事を聞いたことがあります。
(簡単に言えば適当に敷地を分割してそれぞれに建物を建てる)

つまり、土地家屋調査士などに分筆を依頼せずとも、建築確認申請上
敷地を確定していれば良いというのです。

確かに公図の土地にいくつかまたいで敷地を決定している場合もあり
その場合、あえて合筆などしませんよね。

この逆で、公図の敷地を便宜上区切って、建築基準法上の敷地を
決定する事は可能なのでしょうか?

そうすると地名地番は複数の住戸で重複する事になり、不都合などは
生じないのでしょうか?

申し訳ないのですが、詳しい方にご回答お願いします。参考図書や
参考になるサイトなども教えてもらえればうれしいです。

Aベストアンサー

>公図の敷地を便宜上区切って、建築基準法上の敷地を決定する事は可能なのでしょうか?

可能です。
但し、例えば建築敷地を二分割した場合には、それぞれの土地建物を個別に見た場合に、それぞれ接道要件や建蔽率・容積率、その他関係法令に適合している必要があります。

登記上、土地の地番及び建物の所在地番は同一ですが、家屋番号には枝番が付きますので建物は別物として登記されます。

いずれにせよ、公図上で任意に線を引いただけで認められる事柄ではなく、測量や測量図が求められるケースもありますので、実際の運用には建築専門家及び所轄行政と相談しながら進めてください。


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