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 殷・周・秦・漢・三国(魏・呉・蜀)・晋・・・・・・と、中華民国に至るまで
中国の歴代王朝名が一文字なのはどうしてなんでしょう?古代の朝鮮半島
の国々では新羅とか、高句麗とか複数文字の国名が多いのに。中華思想?
なんかと関係あるんですかね?誰か知っている人がいたら教えてください。
よろしくお願いします。

教えて!goo グレード

A 回答 (11件中1~10件)

正解です。

中華思想と関係してます。それと柵封体制ですね。
中国の王朝名はもともとその王朝が起こった地名を元に決まります。原則としてですから例外もありますが、戦国七雄の一国であった秦がそのまま統一政権の国号になったり、漢中という地方に封じられた劉邦が起こした国を漢としたり。ちなみに三国のうちの蜀は、巴蜀地方にあったからですが、自らは後漢王朝の後継と言う意味で漢と名乗ったので蜀漢などと呼ばれます。
さて、朝鮮半島を始めとする異民族は中華である漢民族からすると取るに足らないものとされました。
したがって当初は匈奴とか鮮卑とか日本のことを倭であるとか小さいとか虫とか奴隷を表すような良くない文字をあてるのが普通でした。一方、中国から名づけられるまでもなくそれぞれの民族名や国名を持ってるものも当然居たでしょう。高句麗や突厥などはそれらに「当て字」したものと言われています。匈奴や倭なんかも実はそうかもしれません。
朝鮮の場合はちょっと事情が異なります。これは朝鮮王朝を立てた李氏が、中国の属国である事を認め、いくつかの候補の中から、宗主国である中国に選んでもらった国名だからです。その時は一字の国名は中華王朝のものだから遠慮して2字にしたとはっきり記録が残っています。

ですからそれより以前から一字の国名>二字以上の国名という概念は少なくとも中華圏においてはあったものと思われます。
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漢字に対する感覚が日本人と異なるからでしょうね。


漢字とは、1つの文字であり、かつ1つの単語だからです。
例えば英語では「Blue」、仮名は「あお」と同格である単語が「青」という漢字で、漢字は文字でありながら単語として自己完結しています。
日本語では熟語として複数の漢字を組み合わせて「青空」などのように1つの単語にすることが一般的なので、各漢字が単語として自己完結しているという意識があまりありませんが、中国語では1つの漢字が1つの単語です。
例えば世界をみても、国の政治体制を表す「Kingdom」や「Republic」などを除くと、固有名詞は基本的に一つの単語ではないでしょうか。「France」や「Germany」などで、2つの単語が使われているのは「South Africa」とかなど多くはありません。
したがって、国号を1つの文字で表していると考えるのでなく、1つの単語で表していると考えれば、ごく普通のことだと思います。
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中国は人の姓も一文字が圧倒的に多数です。

地域や国名も1文字が当然だったのでしょう。
なお、中国王朝名は、王朝が興った地域から取られいる場合が多いですが、元・明・清などは、思想的な所から取られています。
前漢・後漢などのように前○・後○などというものがありますが、これは単に史家が歴史書を作成するとき区別するのに分かりやすいように付けたもので王朝自らはは単に「漢」のように1字の国名を名乗っていました。
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ずいぶん、古い質問ですが。



歴代王朝が「一文字」にしたのではなく、ひとつの地域名、ひとつの部族名、ひとつの都市国家名を、一文字で表現したのです。一文字で十分だったんですね数ないから。

河 といえば、元々は黄河のこと。
江 といえば、元々は揚子江の事。

だんだん 川の数が増えてきたので、逆に黄河とか長江とか揚子江とかにしちゃった。

日本も 越 と 一文字で地名を表していたが、分割して 越前 越中 越後 とか、肥前 肥後 みたいに、もともとは 一文字でしたね地名。

秦までは、上記の地名・部族名なんですが、その後は「あやかり」というか「そういうもんだ」ということで、一文字にしたんでないでしょうか?

周辺国に関しては、ほかでも指摘のように、周辺国の発音を漢字で表現すると二文字以上になっちゃうって事でしょう。

逆に、一文字で表現できた日本は 倭 ですし、ミャンマーも 緬 一文字ですね。
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基本的には、#4、#5の方の回答で終了でしょう。

ただ、地名と言っても、それぞれの王朝が発足した、と後代の史官がみなした地名です。例えば、漢の劉邦の場合、漢中というところで即位したので、漢を国名としています。各有力氏族の場合も、それぞれの発祥の地を、あるいは、封ぜられた領地を氏名としている場合があります。三晋の場合も、多分そうだと思いますので、地名起源と考えても良いのではないでしょうか。
なお、中国内の2字国名に「中山」国があります。これは例外でしょうかね。周辺民族でも、(異説はありますが)倭は一字国名ですね。遼もそうです。新羅、百済などは音から来た純粋の2字国名(亜米利加などと同じ)だけれど、匈奴というのは、おそらく「キョウ」という国名に対して、卑字を当てそれに奴隷の奴を付け加えたものでしょうから、中華思想ですね。その史書を書いた人物の主観なり、それに影響を与える思想なりがかなり影響している気もします。
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No.4です。


No.5へのコメントです。

 フォローをありがとうございました。そして、大変失礼しました。m(. .)m
 最初の…晋が分割されたときの韓、魏、趙を失念しておりました。そのあとに何度も登場する韓、魏、趙は、最初の韓、魏、趙の土地になんらかの形でゆかりのある王朝ですよね。王朝がその土地から起こったとか、王朝に成り上がる前、仕えていた前王朝に封じられた国だったとか。
 呉越については、私の勘違いだと思います。銭氏呉越が呉と何度も戦争をして、最後には宋に吸収されますので、銭氏呉越というのは、本来越という国名で、呉を併呑して後世呉越と呼ばれるようになったのだと思っていましたが…改めてざっと調べてみるとそのような資料はないので、私が勝手にそう思いこんでいただけだったようです(汗)
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No.3です。


No.4を受けて、補足します。

> 韓、魏、趙なども王朝が起こった地名です。
韓、魏、趙が興ったのは、春秋時代と戦国時代の間です。
もともと、この3国があった場所は、「晋」という国がありました。
晋国の有力な家臣である韓氏、魏氏、趙氏が国を3分割してしまいます。
こうして、「韓」「魏」「趙」の3国が興ったのです。
これを「三国分晋」といいます。
このような経緯から、韓、魏、趙を併せて「三晋」という呼び方もされます。
ということで、この3国は地名から名づけられた国名ではないのです。

> 西周、東周…などは、後世の歴史家や研究者 (中略) 便宜上そう読んでいるだけで
私も同じことを書いているのですが、説明の仕方が悪かったでしょうか?
> ほとんどが後の時代に同名の王朝と区別するために (中略) 文字を付け加えています

> 呉越というのは、呉という王朝と越という2つの王朝をまとめていう呼び方
おそらく春秋時代の「呉」と「越」のことを言っているのではないかと思います。
この時代に「呉越」と言うと、No.4にあるように、
この2王朝をまとめた呼び方になります。
(「呉越同舟」という有名な言葉がありますね)
しかし、私が言っている「呉越」という国は、「唐」と「宋」の間にある
いわゆる「五代十国時代」に「銭氏」が興した「呉越」という国のことです。
> 五代の「呉越」
と書いていたのですが、中国史に詳しくない方だと
わかりにくい説明だったかもしれません。
反省しつつ、補足しておきます。

念のため検索サイトで、「三国分晋」「三晋」と
「呉越」「銭氏」で検索をかけて確認してみてください。
(個人サイトかもしれないURLを書くと消されてしまうので)

あと軍旗云々は、映画「始皇帝暗殺」等で出てきた旗のイメージが強くて、
「あの旗の文字が2文字だったらサマにならないんだろうな」と
思って書いた戯言ですので、あまり気にしないで下さい。

あまり質問の回答になっていませんね。
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 えっと…No.3の方のコメントに対するコメントですが、中国の歴代王朝の名前は周以来基本的に地名です(例外は清と元ぐらい…征服王朝だから)。

韓、魏、趙なども王朝が起こった地名です。
 また、2文字の王朝名はありません。西周、東周…などは、後世の歴史家や研究者が、同じ名前の王朝(実に多い)や、制度が大きく変わった前後を区別するために便宜上そう読んでいるだけで、西周と東周は同じ王朝ですし、北魏、北斉も王朝名はそれぞれ魏、斉です。呉越というのは、呉という王朝と越という2つの王朝をまとめていう呼び方で、呉越という名前の王朝があるわけではありません。
 もっとも、古代の中国では、中原(あるいは中国)というのは黄河流域だったので、呉や越、蜀などのあった南方は未開の野蛮な地(南蛮)という認識だったようです。
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あまりよくは知らないですが、


王朝名は地方名(秦、呉、越など)
または王朝を建てた人の姓(韓、魏、趙など)が
もとになっているようです。

後の時代になると、昔王朝があった辺りから興った王朝が、
その名前をつけたり(三国時代の魏など)、
昔あった王朝の王(皇帝)と同じ姓の人が王朝を興したときは、
その王朝の後継という意味から同じ王朝名を名乗ったりしています(劉氏の漢など)。

王朝名が1文字なのは、こういった地名や人名が1文字だったからではないでしょうか?

さもなくば、軍旗に描かれる文字が1文字だったら目立つからとか?(想像)

一応2文字の王朝を列挙しておきます。
西周、東周、東晋、西晋、前漢、後漢、北魏、北斉、北周、後梁、後唐、後漢、北漢、後晋、後蜀、呉越、南唐、南漢、後周、北宋、西夏、南宋
ほとんどが後の時代に同名の王朝と区別するために、
「前」「後」「東」「西」「南」「北」の
文字を付け加えていますが、五代の「呉越」のように、
1文字の王朝名しかないということはありません。
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 単純に中国語かどうかということだと思います。

中国語は基本的に

1音節=1単語=1文字

 です。1音節1単語1文字の原則だけではあらゆる状況を表現しきれないために、最近は数音節(つまり数文字)の単語もありますが、それも、多くは複合した単語です。日本語で言えば、「丸木橋」という単語…もとを正せば、丸い木の橋ですから、厳密に見れば3つの単語とも見えます。中国語で複数文字の単語というのは、このようにもとをただせばやっぱり1文字1単語1音節なのです。

 ただし、これはあくまで「中国語」。外来語は1音節1単語1文字の原則が当てはまりませんので、1単語を複数の文字(音節)で表現することになります。
 結果として、中国語圏の国名や王朝名は1文字(1音節)、周辺民族の外国語による国名は複数文字(複数音節)になりやすくなります。

 周辺民族の国名が1文字だと「なまいきだ」という中華思想はあったかもしれませんが、それが根拠ではなく、あくまでそれは結果的にそう感じるようになったということで、もともとの根拠は中国語という言語の特徴でしょう。

 余談ですが、厳密に言うと周の前の王朝は殷ではなく商ですね。殷というのは商の後期の都の名前です。商の前は…まだ遺跡は発掘されていませんので学術的な根拠は乏しいですが…夏です。
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