LPの時代から、シベリウスが好きで、特に交響曲第1番は40数年来聴き続けています。CDになり、音符の数を減らし、極度に純化された第6番や第7番もすきですが、やはり若い頃から親しんできた第1番には生きていく喜びのようなものを感じて、大好きな曲です。
聴き始めた時に、マゼール/VPOの演奏を聴いたので、その印象が耳から離れず、オーディオ装置のグレードアップと合わせて、基準となる音源のように扱ってきました。演奏も、録音も素晴らしいものだったので、何とかしてこのLPからもっと感動的な演奏を引き出せないかと思って、40年が経ちました。もちろん、その間色々なLP、CDを購入してきました。交響曲第1番だけでも、40種類近くはあると思います。バルビローリ、カラヤン、バーンスタイン、ヤルヴィ、ヤンソンス、ラトル、オーマンディ、デーヴィス、ベルグルンド、オラモ、ブロムシュテット、渡辺暁男、ヴァンスカ、マゼール、ザンデルリング、アシュケナージ、セーゲルスタム等々。
マゼールは後にピッツバーグと再録しましたが、全くVPOとは比べ物にならない出来で、不満でした。60年代のマゼールは今と違って、音楽をする喜びを全身で表していたと思います。VPOもそれに応えて、いつもとは違った非常に、荒々しい音も発していました。そこが、若かった自分が共感したところで、年齢を重ねた自分にとっては、今聴くと、チョット辛いものがありますが、やはり、手元に残して置きたい1枚です。皆様のお気に入りの演奏を熱く語って下さい!

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A 回答 (2件)

 この曲に対して、テーマ提案者様程に熱くもなれませんし知識も有りません。


 この投稿にどの様な応答が見れるのか、様々多面的な意味で興味を持って注視して参りましたが、提案者様ご希望の展開にはなれない様ですね!?
 では、先ずは、余にも拙くお恥ずかしい私の第一番へのコメントを書かせて頂きます。
 世間的には多分、第2番が最も人気が有るのではないかと存じます。
 私はと申せば、1番・2番のどちらと優劣を付け難く存じます。強いて言えば、
   フィンランドを感じたければ、1番!
   ナショナリズムを感じたい時は、2番!
なのかな?と・・・・言葉にすると間が無くなり、言葉の意味だけに固定される帰来があるので、有る意味危険を感じます。
 しかし、私もいい加減なもので、フィンランドを単なるスカンディナヴィア三国としか意識が無かった頃、シベリウスの音楽にもフィヨルド(氷河が削った深い入り江)を感じていました。それが、森と湖のカレリア地方に切り替わると、音楽からもフィヨルドが消えていきました。凍て付く風土を感じる音楽として、グリーグとシベリウスは、同じ風土を連想する音楽として捉えていました。それが、全く異なった風景である事を知ると聴きながら思い浮かべる景色も違って来るのは不思議です。
 さて、クレルボとこの第1番(1899)が19世紀中に完成した交響曲で、2年後の第2番(1901)が20世紀になって完成しました。その事が作用しているとは思えませんが、何故か私は、この境に2年とは思えない隔たりを感じるのです。クレルボや一番には、素朴な牧歌性を。第2番以降には自然は有りつつも人為的な匂いを感じます。多分、私の個人的偏見かも知れません。が、交響詩『フィンランディア』に感じるのと共通するナショナリズムを第2番に強く感じる事に因る対比が、第1番に自然を愛でる感情を喚起させるのかも知れませんね。
 しかし、以降の作品には、シベリウスの心や体調の問題も有って、第7番を除いて、初期交響曲に感じた瑞々しいシベリウスを私は感じられなくなってしまいます。っと言っても第3番・第4番・第6番は所持しておりませんし、聴いた事は有っても印象が薄く、あまり知った風な口は聞けませんが・・・
 最後の第7番に対しては、其れまでの彼とは違いナショナリズムや風土から開放されつつある気配を感じます。作曲者が持つ固有の歴史や風土が薄まり、音楽そのものに純粋なスタンスで向かい合えている作品と感じます。が、終身安泰な生活を保証されたからか、その後の30余年の間、作曲が成され無かった事は残念に思います。何かで読んだ記憶では第8番を作曲したが、譜面を見せた相手からはあまり芳しくない評価だった事から、再度、作曲に挑戦を試みましたが、その時にはもはや気力も体力も失せていたとか・・・・
 演奏の感想や批評などとは、異質な記述に終始してしまいました。
 私の所持盤は全てレコードです。
1番&2番は、其々バルビローリ:ハレ管弦楽団。
5番+7番が、コリン・デイヴィス:ボストン交響楽団(製品前の試しプレス、ガリ版刷りレーベルで、正規盤ではないので音量がチョッと小さい様に感じます。アンプのボリューム角度にして15°程度の差)
 斯様な次第で、聴き比べをするだけのソフトを持っておりませんので、演奏比較での批評感想は申せません。が、バルビローリから受ける印象は、曲の中の風土の住人になりきった素朴な愛情を感じます。一方、デイヴィスには学究的な距離感の有る気品を感じます。其々の指揮者のもっと多くのシベリウスを聴けば、又、違った感想になるのかもしれません。
 私が、語れる独断と偏見での感想その他は、この程度が、精一杯です!

 さて、最後に一言!
 このカテゴリーには、多くのクラシックファーンが居られます。では、何故、皆さんからの投稿が無いのか。。。。
 私の独断と偏見からの思いと言う事で、失礼を記すかも知れません事を先にお詫びしておきます。
 『訊きたいと言いながら、実は、言いたいが、強烈に主張している質問文に感じました。』
 私は、ご返事の最初に、質問者様の事を「テーマ提案者様」と形容しました。つまり、このサイトの本来の趣旨である、「知らない事を教えて欲しい!」と言う、質問にはなっていなかったのです。
 皆さんの薀蓄を語って下さい!とお書きですが、誰よりも質問者様ご自身が、知識や造詣を延々と語られています。
 回答者にとって、これでは、質問者様の知識や造詣レベルを越えられず、批評や感想の内容で質問者様からの及第点を得られなかったら、ご返事でどの様な反撃或は批評を受けるかと、身構えてしまいます。言い換えれば、質問文の先に存在する方々の様々な心の立場よりも自分の欲求を最優先にされている。
 つまり、ご自分の知識や造詣を振りかざして居られる様にしか思えず、本当に人の話を訊きたい人なのだろうかと、訝しいのです。
 さすれば、気を使う面倒な質問は、パス、されます。
 だって、僅か一握りの方以外は、どんなに心の篭った回答をしても、回答者様からのお礼ポイントが付くのがせきのやまで、他に何のメリットも無いのです。この様な趣味のカテゴリなら尚更の事、楽しく回答出来ないのであれば、敢えて、緊張を強いたり歓びや満足を得てはくれそうも無い質問に、応えなければならない義務は無いのです・・・・
 これが、回答者様への補足やお礼の中で、回答記述に沿う形で、それとなくご自分の思いや感想を述べられるのでしたら、回答者の皆さんも楽しく書かれる事と思います。
 回答者が楽しく進んで回答してくれそうな質問の仕方があると思いますよ!そうで有ったなら♯.1 wbhunt様の様な、投稿はされなかったのではないかと存じます。

 長々と、失礼な物言いにて、ご気分を悪くされたと存じます。改めて、謹んでお詫び致します。
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この回答へのお礼

私の質問の仕方が悪かったのか、回答者さまの共感を得られず少々残念ではありますが、丁寧な回答有難うございました。これからは、気軽に多くの方が回答していただけるように、心掛けていくつもりです。

お礼日時:2009/05/25 10:26

で、


質問は何?

この回答への補足

失礼いたしました。自分はこの第1番が好きだ!或いはお薦めだ!というのがあれば、教えていただきたいのです。

補足日時:2009/05/24 19:34
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