一人の人
一人の日本人の人

この表現はおかしいでしょうか?

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A 回答 (3件)

回答ではありません。


 文法研究の鍛錬のためのゲームに、一般的には正しくない・おかしな・誤りの表現を出題して、それが正しい表現であると説明するゲームがあります。

出題:「我輩は猫である。」
 説明:猫を語り手にした小説の冒頭の文。

出題:僕はウナギだ。
 説明:「あなた、昼食は何を食べるの?」「わたし、カレーライスを食べます。」「あなたは?」「僕はウナギだ」

出題:「一人の日本人の人」
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>「日本人の人」のような表現は、時たま耳にしますが、誤りです。



もちろんこれを書き言葉としたら、誤りです。しかし、話し言葉は基準が違うので、この表現は正しいどころか、「一人の日本人の人」の方が、こちらで言いたい感情を相手に伝えるためには「一人の日本人」よりも優れた表現である場合もあり得ます。

話し言葉は、聞いているうちからどんどん消えて行ってしまいますから、話している方も、相手が分かってくれているかどうかが不安になります。そこで、話し言葉には、書き言葉にはない繰り返しや、「ねさよ」など、「それでさぁ」とか、「だからね」とかの、余計な物を付けます。確かに書き言葉から見ると助長で醜いとも見えてしまいますが、この方法なしで人間は会話をすることが出来ません。以下に書き言葉と、話し言葉の違いの具体的な例を紹介しておきます。

書き言葉の例;
「山道を登りながら、こう考えた。知に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」


話し言葉の例:
「えーと、山道を登りながら、こう考えたんだよね。そう、山道を登りながらね。知に働けば角が立つだろう。情に棹させば流されるしね。それに意地をねー、意地を通すと窮屈なんだなんてね。まーとにかく、人の世は住みにくいよねー。」

このように話し言葉では、くどいような繰り返しがありますが、こう言わないと相手に通じない可能性があるのです。

時々テレビドラマで、このことがテンで分かっていない脚本家がいるのにお目にかかります。あるドラマで俳優が「何々だった。かにかにだった。これこれだった。」と、「、、、だった」の繰り返しで、まるで不自然に話していました。その脚本家は、人間は決してそんな話し方をしないことに気付いていないようで、学校で教わった文法通りに話させていました。この脚本家は、きっと学校の国語の成績は良かったかもしれませんね。
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こんばんは。



○ 一人の人
× 一人の日本人の人
○ 一人の日本人

です。

「一人の」というのは、その後ろにあるものの数を数えているのですから、
「一人の人」という表現は正しいです。
「三匹の子豚」と同じことです。

「日本人の人」のような表現は、時たま耳にしますが、誤りです。


ご参考になりましたら。
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