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お話の展開如何で過激な表現が必要かもしれないと思い、こちらのカテゴリーからお聴きすることにいたしました。当方、結婚歴38年♂です。妻とは幸せな結婚生活を送っているつもりです。

私と妻は、団塊の世代生まれであり、童貞と処女で結婚することが当然の世相でした。夫は妻が処女であることを当然と思い、妻も夫が童貞であることを強く期待していました。
つまり、今考えたいのは、お互いに「結婚する前の異性とのお付き合い」です。結婚してからは、もちろん民法に守られますので、今回は質問対象外といたします。

私たちの時代には、女性が結婚相手とお付き合いする前に、他の男性と恋愛することは可笑しくなかったとは思いますが、その際「体の関係に発展し、その後その男性と別れ、別の男性と結婚したとき」、女性は非処女で結婚するわけです。このとき、新郎は非処女の女性を妻とするのですが、私が新郎の立場なら、この状態にはかなりの嫌悪感を抱き、到底非処女の女性を妻とするわけにいきません。
処女崇拝思想とか極めて古い発想、あるいは女性の自由を奪う怪しからん男とかの非難があるものと思います。しかし、生理的に「他の男に抱かれ、その男のモノが挿入されたところ」から、私の子供が出てくることを、絶対に受け付けることが出来ません。

同様に、妻も私が風俗などで別の女と性交したあと、同じ体で妻を抱くことは絶対に許さない、そんな事態になれば「即離婚」どころか刃傷沙汰を起こす、と申しております。

ところが、非処女や非童貞が、別の男性・別の女性と結婚することは、例えば第二次世界大戦終了時点などで、たくさんの例が挙げられています。所謂戦争未亡人が生き残った男と所帯を持つことは、当たり前にありました。
また、江戸時代に入る前の日本でも、政略結婚や別の男が通ってきて情を通じる、なんてことは日常茶飯事だったように思います。
最近の日本でも、非処女・非童貞の結婚など当たり前の風潮であり、そもそも「処女崇拝」など、前世紀の遺物としか考えられていません。

ここでお聴きしたいことは
(1)「処女崇拝・童貞崇拝」の考え方が、何故出てきたのか?それはどのくらい特殊な考え方なのか?
(2)戦国時代以前、終戦直後の非処女・非童貞の夫婦形成と、昨今の「簡単に体の関係となる風潮」との考え方の差は何か?
の二点なのです。
私も妻も、他の男と体を重ねた妻、他の女の秘所に密着した夫、夫々の体を「生理的に」受け付けない、と言うものです。

よろしくお考えをご教示ください。よろしければ、1週間程度オープンにしておきたいと思います。

A 回答 (7件)

(1)団塊の世代に性教育を施した親御さん達は昭和初期に教育を受けているから、軍国主義の影響を強く受けていると思われます。

国民が自由に恋愛することを良しとせず、統制経済の下貧しくてもお国のために子供をたくさん生んで育てることを求められた、そういう世代からの性教育です。
価値観も婚前交渉でテテ無し子など産むことはもってのほかだし、避妊技術もなかったでしょう。
であれば、団塊世代の意識の中にも花嫁は処女という刷り込みは強く残っていたはずです。
ただし、赤線という公認の娼婦街があったのだから時代的には花婿に童貞を求める風潮はなかったのではないですか?

(2)昨今のフリーセックスについては風潮というよりも僕(50歳)の個人的な意見ですが、人生80年時代の現代では夫婦の性の不一致を避けるためにもお試し期間として婚前交渉はあったほうが良いと考えます。ですから結婚要件に処女も童貞も不問です。それでも結婚後歳とともに性欲が一致しなくなった場合には内緒で浮気もしかたなしとも思います。エイズという究極の性病を意識して、付き合い始めには2人してHIV検査を受けるモラルの必要性も感じていますが…。なので結婚には必ずしも縛られなくとも誰とでも自由にはできない時代ですね。恋人であっても浮気であっても現代はセックスパートナーは固定化するのが望ましいです。
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この回答へのお礼

理路整然としたご回答、ありがとうございます。お礼が大変遅くなりまして、申し訳ありません。No.1 様に始まり真面目なご回答者様から適切な情報をご提供いただき、だんだんとまとまってきました。ありがとうございます。

古来から、日本では夜這いの風習や初夜権(特に欧州で法制化されていたそうな)、或いは政略結婚など、別の男と性行為を行うという習慣が多くあったなかで、「富国強兵、統制経済」が「二夫に交えず」の思想を植えつけてきた、と言うお考えには大変納得できるものがあります。
しかし、そうなりますと「昭和の時代」だけでなく、どうも江戸時代以降終戦時代を過ぎた近代までが、処女の価値が高かったと言えそうですね。江戸時代や明治・大正の「家の存続、家系」を大切にする時代では当然のことかな?と思います。

「富国強兵、統制経済」と「フリーセックス」の関係については、もう少し考察してみます。

後段の「現代のフリーセックス」についてのご考察には完全に同意いたします。なるほど性病の観点からもセックスパートナーの固定化は非常にうなずけますね。ただ、依然として「男が複数の女を、セックスパートナーとして固定化する」ことには、大きな抵抗を感じますが・・・。

いずれにしてもありがとうございました。

お礼日時:2009/05/26 11:58

明治以後の近現代史的切口から私の考察を記すと次の通りです。



I-1)当時の新政府の上層部の面々は脱亜入欧(米)の視点から、工業化策を重視し、その際に"勤勉な労働力の要請が急務!"と、彼等には映った。

http://allabout.co.jp/career/politicsabc/closeup …
I-2)その状況下で明治天皇の本質が上掲URLの如く、側室(=合法的妾の実子)では格好が悪過ぎるので、現人神と位置付け、教育勅語とリンクさせる技を選択した。 尚、大正天皇も側室の子ですから、明治天皇は妾を囲っていた人物とも言えます。

II)さて、教育勅語を基盤にした教育体制下で、綺麗事だけで固め様とするなら、児童(&生徒、場合によっては学生も?)を"処女"&"童貞"状態にし続けるのが得策なのがより効果的なのは自明の理!! でしょう。
要は少年少女よ!!大志だけを抱け、性的興味を取去れ!? が私の読みに他なりません。

III)因みに、教育勅語の事実上の失効は日本の敗戦の翌年の1946年の模様だった故、団塊の世代の初期と重なる可能性がありそうな気がしましたけども・・・・

以上、非常に粗雑なカキコみなのは否めませんが、如何でしょうか!?

この回答への補足

皆様、ありがとうございました。

結局、本来「女は納得すれば、他の男に抱かれる」生物だと言うこと、「二股、浮気、裏切りはいけない」と言うアドバイスなど、今の若い方々には通じていないこと、「貞女は二夫にまみえず」と言う男が作った道徳は無くなった、と言うことなどを学習することができました。

ありがとうございました。これにてクローズとさせていただきます。今後ともよろしくお願いいたします。

なお、お礼の点数を差し上げなければならないのですが、どちらさまのご意見も素晴らしく、甲乙つけがたいご回答でした。ですので、とりあえずつけました点数は本当に「とりあえず」なので、皆様お気を悪くなさらないでいただきたいのです。

ありがとうございました。

補足日時:2009/06/02 17:41
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この回答へのお礼

>非常に粗雑なカキコみなのは否めませんが

そんなことはありません、本当にありがとうございました。お蔭様で自分の考えていたことが明確になりました。

明治天皇、大正天皇ともに側室のお子であったということは、当時いかに家系が大切であったかと言うことをうかがい知ることが出来、すばらしい情報でした。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/06/02 17:35

「貞女は二夫にまみえず」こういった教育を強く受けているのが団塊の世代だと思います。

(江戸時代にはただの建前の話でしたが)
団塊の方が生まれた後、法律で中絶が認められるようになり、また高性能な避妊具が出たためにセックスが気軽に出来るようになり、道徳というものが軽んじられてきたのだと思います。

団塊の方がというよりは、団塊の方を教育した親の世代、教師の世代が非常に道徳にうるさかったのだと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

「貞女は二夫にまみえず」
No.5 様のお礼の中に組みこまさせていただきました。短いご意見でしたが、大変よく理解できるご回答でした。

適切なご回答をいただき、ありがとうございました。

お礼日時:2009/06/02 17:15

(1)「処女崇拝・童貞崇拝」の考え方が、何故出てきたのか?それはどのくらい特殊な考え方なのか?


江戸時代、遊郭の女郎は年季が明ければ引く手数多だったと聞いています。
理由は男女比で女性が少なかった事。当時の女郎は知識階級であったこと(遊郭内で作法や学問を習った)事があります。
実は現代の遊女のイメージは地方の飯炊き女や遊郭に入れない遊女のイメージなのです。

私は専門化ではないので断言は出来ませんが、
日本で処女崇拝的な思想が広がったのは明治以降だと考えています。
明治以降の教育で日本蔑視、西洋崇拝が叫ばれ、日本の風習がことごとく蔑まされました。キリスト教的思想が持ち込まれて処女崇拝が定着したと思います。
それまでの貞淑という思想は処女崇拝とは異なり、二君にまみえずという教えです。
とは言うものの、この「君」は個人であったり「家」であたりしますから、明治以降も民間では未亡人が兄弟に嫁ぐという風習が残ったのでしょう。特に戦時中は家系が断絶する危険も高かったので、この風習が勢いづいたと思います。

明治以降、とくにアメリカの影響を受けてきていますが、この思想の根本はピューリタン思想であり、福音派の思想です。日本人はかなり誤解していますが、諸外国は「非宗教」ではなく「絶対宗教」の方が多いのです。ブッシュ親子が福音派支持政権だという事を知らないのは日本人位のものです。
この二派の絶対的処女崇拝思想が日本の社会に大きな影響を与え、宗教知ろうという理解がない日本では女性民権運動などとも絡んで、世界的常識として道徳教育に受け入れられたのです。

日本人は江戸時代から風呂に入り、インフルエンザ騒動でも外人から奇異な目で見られるほど清潔好きな国民性ですから、処女崇拝が浸透したのでしょう。

(2)戦国時代以前、終戦直後の非処女・非童貞の夫婦形成と、昨今の「簡単に体の関係となる風潮」との考え方の差は何か?
世界の少数民族では処女性より確実に子供を産める男女が尊ばれます。某民族ではまず、子供の居る婿の親類の男性に嫁ぎ、出産してから本来の婿に嫁ぐという風習まであります。
レディーファーストも男尊女卑も実は民族の維持が大きな要因だとも言われています。戦後の夫婦関係もまた前述の如く、子孫の維持が目的です。

しかし近年の青少年の男女の関係は、それらとは全く異なります。
そのには民族の維持も何もありません。セックスのためのセックス。快楽の為の快楽なのです。
但し、これは堕落ではなく、危険回避の動物的本能の苦肉の策です。
ちょうど弱った桜の木が花を満開にするのと同じく、動物として、種族として社会として脆弱になった日本人の防御反応としての乱交状態なのです。
この行動は動物界でもしばしば見られ、絶滅近くまで来たり、種族全体に大きなストレスを受けると乱交状態になる現象が見られます。
すなわち、この乱交状態を正す方法は法律の厳罰化や道徳教育ではなく、社会的・環境的に安心できる社会を作ることだけなのです。

人類は霊長類と言われています。
人はこれを地球上の生物の頂点と解釈していますが、私は謝りだと考えています。
霊長類は、全ての動物の習性を併せ持つものの意味です。
つまり、そこには鶴の様に一夫一婦制を尊ぶ者も居れば、一夫多妻、或いは一妻多夫の人も乱交状態の人も居るということです。
大切なのはお互いに上下ではなく平面上に存在し、必要以上に侵食しないことです。

ちなみにニューハーフの台頭も別に増えたのではありません。中には流行に乗ったミーハー属も多く居ます(知人の同性愛者の主張)
この大きな原因の一つは人類の染色体異常です。いまや染色体の現象は人類存亡の危機的深刻さです。
もう一つは某遺伝子学者の便に因れば「男は女の奇形」ということです。
彼いわく。X染色体の奇形で一本足りないのがY染色体だそうです。事の真偽は別にして、全ての男性には女性的要素があるそうで、それを知ってか知らずか、人類の歴史的彫像においての中性的存在は全て女性的です(仏像もそうです)
もう一つは社会的環境です。
周囲を見て見ましょう。水商売を除いても、女性の働き場所にかに多いことか。私の周囲の女性は「生理さえなければまた女性に生まれたい」との事です。
これらの事からニューハーフが台頭していると、私は考えています。
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この回答へのお礼

色々とご考察いただきありがとうございます。お礼が大変遅くなり申し訳けありません。実はしばらく考えておりました。「私の質問の本質は何か?」です。
多くの皆様からご回答・ご指摘を賜り、自分の本当に聴きたかったことが見えてきました。

「男の恋は別名保存、女の恋は上書き保存」と言うことから、「女は、今の瞬間に信頼できる男なら、抱かれることが出来る」ことがわかりました。そして、ある統計(必ずしも学術的とは言えない興味本位の統計)から「より素敵な異性にめぐり合ったとき、男の90%は今カノに拘り、女の80%は新しい異性に乗り換える」と言うことから、「女は納得できれば別の男に抱かれる」ということも分かりました。

このことから、女は男が考えるほど処女性に拘っているわけではない、処女性とは男が「自分の子孫であることを担保するために」作り出した制度である、と言うことを知ることとなりました。そして、この制度が道徳と呼ばれ、男が後顧の憂いなく家の外で働くための制度(富国強兵)であることもご指摘いただきました。
そう考えると、最近の「性の乱れ」は、元に戻ったのであり、さらにそこに「婚姻年齢の高齢化による未婚男女の機会増加」や「避妊技術の高度化」などが加わり、よりいっそうの性の乱れの加速化が出現した、と考えられるのですね。

要するに「二股、浮気、裏切りはいけない」と言うアドバイスは、最近の若い人たちには通じていないのだと言うことを認識しました。道徳なんてもう存在しないようです。

皆様、ありがとうございました。なんだかむなしい・悔しい結論でしたが、納得は出来ました。ありがとうございました。

ただ、昨今報道されている「××教育大学生による集団レイプ事件」だけは、ダメですね。そんな人間が卒業すれば「先生」と呼ばれる人間になるなんて、信じられません。

お礼日時:2009/06/02 17:12

既婚中年男性です。



>(1)「処女崇拝・童貞崇拝」の考え方が、何故出てきたのか?それはどのくらい特殊な考え方なのか?

「処女崇拝」については、すでに明快な回答がなされているとおり、確率的に考えれば、「処女」でない女性より、処女である女性と結婚した方が、男性が他の男の子どもをわが子と信じ込んで愛情を注ぐという悲喜劇を避けられるからではないでしょうか。
同じ理由で、男性よりも女性の方に厳しい貞操観念を強いてきたとも言えますよね。
もっとも、夫の不審を買っては自分たち親子が損するだけですから、非処女で結婚した現代女性にしても、結婚後の貞操観念については男性よりも大切にしているのではないでしょうか。
ちなみに、「奥様」という呼称は、身分高い家において、妻を奥座敷に一種の《軟禁》状態にして置いていたということがその由来であるはずです。

一方、男性の「童貞崇拝」が女性からさほど声高に唱えられなかったのは、女性にとって、夫が「童貞」であることのメリットについて、具体的には何も思い付かなかったからでしょうね。
むしろ、羞恥心や不安に打ち震えながら新婚初夜を迎える女性側が、女性の扱い方もろくに勉強してこなかった男性を、はたして「この人も純潔なんだ!」と喜んで歓迎したとは考えにくいような気がします。

(2)戦国時代以前、終戦直後の非処女・非童貞の夫婦形成と、昨今の「簡単に体の関係となる風潮」との考え方の差は何か?

昔の結婚というのは、男女の個人の意思によるというよりも、良くも悪くも、親兄弟・親戚縁者の利害意識(当事者への愛情をも含む)と密接に絡んだ、その意味ではすぐれて社会的な意義を持つものとして認識されていたと考えられますよね。
具体的には、家(財産)の継承、職業の世襲、老いた両親の介護等々といった、時代・社会の要請を反映する形で結婚が意義づけられていたのではないでしょうか。

さらには、当事者である若い男女にしても、仮に好きな相手がいようとも、自分は人生経験も乏しく、人間的にも未熟であるが故に、自分に理想的な伴侶を選ぶ能力があるとは信じていませんでしたから、親や上司の紹介した相手と結婚することにさほど違和感も覚えなかったのではないでしょうか。

それよりも、恋愛し、セックスし、自分たちの意思をきちんと確認し合って結婚したはずの現代人の方が、昔の世代よりも簡単に離婚したがるという事実に照らして、本当に恋愛結婚が理想的な結婚形態なのかどうかをきちんと検討してみる必要があるのかもしれませんね。
なお、避妊技術の格段の進歩、普及がなければ、現代の若者たちをかくも簡単に婚前セックスへと駆り立てることもなかったかと思います。

>私も妻も、他の男と体を重ねた妻、他の女の秘所に密着した夫、夫々の体を「生理的に」受け付けない、と言うものです。

失礼ながら、こういうお考えは「生理的」というよりも、むしろご自身が受けられた躾や教育等の環境条件によって後天的に形成された信条だと考えた方がより妥当なような気がします。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。お礼が大変遅くなり申し訳ありません。お答えが論理的で、感心しております。

婚姻生活や子孫を残すなかでの「処女崇拝」については、まさにお示しの通りのことだと思います。ありがとうございます。それに、現代のフリーセックス事情についても、大変納得の出来るご説明だと思います。

そこで、当初の私の疑問である「恋愛時代、結婚を意識しない年代でのフリーセックス風潮」が、江戸時代の武家社会、明治・大正・昭和・団塊の世代だけ、純潔主義に負けたのか、について考察してみたいと思います。

>失礼ながら、こういうお考えは「生理的」というよりも、むしろご自身が受けられた躾や教育等の環境条件によって後天的に形成された信条だと考えた方がより妥当なような気がします。

私としましては、お褒めいただいたように感じます。ありがとうございます。まさに後天的かも知れません。私は小学生のころから「酒、女、たばこ、ギャンブル、ペテン師、無宗教は、人間としての恥」と教えられた人間で、今でも「誠実」を人生訓として生きております(この恥6項目は、ある種の方にはご理解いただける項目です)。もちろんここで言う「女」とは、「興味本位の性交渉を慎む」と言う意味です。ただ、たばこは7年前まで喫っておりましたので、余り誠実とは言えませんが・・。「酒」は6杯まで許される、と言う教えです(守れてません)。

いずれにしても、ありがとうございました。

お礼日時:2009/05/26 12:40

これ、本気で追求するにはかなり腰を据えなきゃいけないテーマでしょうね。


「日本は意外と古来からセックスにオープンだった、
西洋の方がむしろ保守的だった」という見解もあるくらいですから。
あくまで私個人の思い込み、という前提でお聞き頂ければ幸いです。
なお、童貞崇拝は聞いたことがないので考察から除外しておきます。

(1)「処女崇拝・童貞崇拝」
ニュアンスは違いますが「一夫一婦制を維持する」→「一夫一婦制を
前提としている社会の秩序を維持する」という理念と処女崇拝とが
なじみやすかったのではないでしょうか。一夫多妻制社会の場合は、
男尊女卑と処女崇拝もなじみやすいと考えれば一夫多妻制で
処女が尊ばれる社会も説明がつくかと思います。
では処女崇拝の出所はどこか?これは分かりませんが、時代としては
世界三大宗教の成立かそれ以前までさかのぼると思います。
修道女や聖職者が異性から隔絶されていたことがヒントになるかもしれません。
参考までに中国の古いジョークをご紹介します。

「老師、なぜ処女は敬われるのに童貞は軽蔑されるのですか?」
「簡単なことだ。攻め込まれたことのない城と攻め込んだことのない兵では
どちらが頼もしいか」

(2)性をめぐる風潮の違い
とりあえず日本に話を限ります。
夜這いの風習や未婚の処女を結婚前に村の長老が開通させる風習が
古くよりあることを考えれば、日本の場合処女崇拝はむしろ
人工的に作られたものではないかと思います。戦前・戦中や
それ以前の時代にも艶笑ジョークが少なからず見られますので
(「日本の戦時下ジョーク集」早坂隆・中公新書ラクレ、
「世界のジョーク・警句集」自由国民社)、むしろ
非処女・非童貞の結婚の方が日本では古来よりポピュラーで、
処女崇拝は儒教、あるいは富国強兵政策や帝国制(一夫一婦制を厳守した方が
都合がよい)あたりの影響によるかなり後天的なものの気がします。
終戦後が特にセックスに開放的に映る原因には
ヒッピー・ムーヴメントやウーマン・リブの影響、
肉体の早熟化もあるでしょう。つまり、戦国時代以前や終戦直後と
現代ではセックス観に大きな違いはないのではないかと考えられます。
というより私の見解としてはこのようになります。


あまりきっちり考察したわけではないので、論理の展開が怪しいところや
矛盾点などもあるかもしれませんが、あくまで個人の思い込みということで
ご容赦頂ければ幸いです。何かの参考になるでしょうか?
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この回答へのお礼

アッハッハッハッ、ありがとう・・アッハッハッハッ・・ございます。アッハッハッハッ・・素晴らしい!アッハッハッハッ。失礼しました。ご回答ありがとうございます。

>「老師、なぜ処女は敬われるのに童貞は軽蔑されるのですか?」
>「簡単なことだ。攻め込まれたことのない城と攻め込んだことのない兵ではどちらが頼もしいか」

アッハッハッハッ、メッチャ良く理解出来ました。アッハッハッハッ。
そーですよね。私は「攻め込まれたことのない城」を望んでいたのですね。

でも、「攻め込んだことのない兵」は、昔から軽蔑されていたようですね。まぁ家内の意思を尊重してきたことを、良しとしましょう。(笑)

>夜這いの風習や未婚の処女を結婚前に村の長老が開通させる風習が
>古くよりあることを考えれば、日本の場合処女崇拝はむしろ
>人工的に作られたものではないかと思います

これも非常に良く理解できます。
ただ、終戦直後の適齢期の男女と、私たち団塊の世代の男女、近年の性に解放的な男女、の間には何か大きな相違点があるように思うのです。終戦直後の適齢期の男女が性に開放的、と言うより、民族の人口を増やすための社会的なレバレッジとして理解できます。
しかし、私たち団塊の世代の処女崇拝がどこから出てきたのか、がイマイチ理解できません。

それから、「一夫一婦制の議論」についても、先般のこのサイトでのご議論を拝見しております。

ご紹介いただいた書籍を読んでみます。ありがとうございました。

お礼日時:2009/05/25 13:27

(1) 子どもは母親から出て来るので、母親の子であることは自明ですが、父親は不明です。

血液型鑑定やDNA鑑定がない時代、処女をもらって家の奥に「奥様」「家内」として軟禁して出産させます。そうすれば、夫はわが子と血縁であると信じられるので、家督や財産を安心して譲れます。女性が子を産む道具であった頃は、男尊女卑も当然だったので、処女を求めるのが普通です。財産または道具としての娘ですから、当然ながら処女である方が価値があります。全然、特殊じゃないでしょ。

童貞崇拝は、聞いたことがありません。奥様のこだわりか、ご夫婦が潔癖か、私が無知なのでしょう。

(2)儒教思想が入って来た江戸時代以前は、もっと大らかだったと勝手に思ってます。戦国武将の妻たちは政略でころころ夫を変えてるし、北条政子は夫婦別姓です(関係ないか)。江戸時代の農民階層にも若集小屋などあったと言われていますので、処女童貞の結婚は幻かも。終戦直後の夫婦は知りません。

昨今の風潮は、第一に、高齢化した婚姻年齢まで処女童貞が消えていること。「15で姉やが嫁に行く」なら処女が多かったでしょう。第二に、体格が良くなったコトに加え、このサイトなどで性情報が氾濫した結果、成熟が加速されて置いてけぼりを恐れてのこと。処女童貞が減れば、その価値は上がる一方、こだわるとパートナーを得られないのでこだわらない。

あまり深く考えず、思いつきで回答しました。
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この回答へのお礼

早速明快なご回答を頂戴し、ありがとうございます。
>あまり深く考えず、思いつきで回答しました。
イヤイヤ、冷静なお考えだと感服いたします。

(1)>家督や財産を安心して譲れます。女性が子を産む道具
某大臣がこの発言で槍玉に挙げられていましたが、やっぱり私も同じように考えていたフシがありますね。妻を「家督や財産を安心して譲るための、私専用の子を産む道具」と言うご指摘には、妙に納得できます。(注:私には譲らなければならない、多額の財産などありませんが)
ただ、気持の上では「私専用の性欲処理道具」と言う(全女性から大変なお叱りを受けそうですが)表現のほうが、ピッタリくるのです。もちろん「自分の子供は、世界で一番可愛い」と思っている親バカですが、「他の男が愛撫し、その男のモノが挿入されたところを、自分が愛撫し自分のモノを挿入する」ことに、耐え難い生理的な嫌悪感を感じます。

(2)結婚年齢の高齢化と、成熟の加速化
こちらも大変納得の出来るご意見です。ありがとうございます。ご意見に従えば、終戦直後の戦争未亡人が生き残った男性と夫婦になる、と言う現象が特殊なんであり、戦国時代以前と現在が同じような思想背景であったのかな?と思われますね。

ご指摘の通り、妻はムチャクチャ焼き餅焼きです。(笑)

いずれにしても、ありがとうございました。

お礼日時:2009/05/25 11:09

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