近鉄の鮮魚列車や京成の行商専用車に乗っている行商人の方はどこに売りに行っているのですか?

カテゴリー違いかも知れませんが、教えて下さい。

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A 回答 (5件)

近鉄の鮮魚列車についてだけお答えします。



売り先は、鶴橋の高架下の市場と、日本橋(にっぽんばし)の黒門市場がほとんどです。ただ、大和八木駅など途中停車駅で降りたり乗り換えたりする人もいます。そういう人は昔からの売り先が残っているのです。いずれにせよ鮮魚店や料理屋さんなどプロ向けがほとんどですね。

私が子供のころ(1980年代)は、行商人から仕入れた鮮魚店が、軽トラックやリヤカーなどで住宅街に売りに来ることはありましたが、鮮魚列車の行商人が一般人に直接販売している光景は、私は見たことはありません。

しかし、行商人が我が家の近所を歩いている光景は何度も目にしたことがあるので、たまたま昔から知っている人に対してだけ、本来の売り先である鮮魚店に行くついでに、わざわざ売りに来てくれていたことはあったかもしれません。

いずれにせよ、大阪以外の売り先は、私の昔話です。そういえば、昔は行商人をよく見かけたものです。伊勢から魚屋さんが、松阪から肉屋さんが、近所の農家から野菜が、傘の修繕屋さん、豆腐屋さん…。懐かしいですね。

最近は、昔ながらの鮮魚店は少なくなり、郊外型の大型ショッピングセンターのテナントや、スーパーマーケットの鮮魚コーナーに鞍替えすることが多くなりました。こうした大型店は流通経路が異なりますので、鮮魚列車の行商人から仕入れることはほとんどないはずです。時代の流れで仕方ないことかもしれませんが、ちょっぴり寂しさもあります。

鮮魚列車は、伊勢の魚屋さんたちの組合が近鉄に依頼して定時運転してもらっている貸切列車ですので、一般客は本来乗車できません。しかし、昔は駅員さんも行商人たちもおおらかで、私は中学・高校時代、大阪への通学によく利用していました。私にとっては、とても懐かしく、大切な思い出です。(ちなみに、No.3様の参考URL(2)の質問者は、実は私です。)
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この回答へのお礼

やはりプロ向けですか…。

大阪や京都の人(一般の)が、伊勢の魚を直接買えるなら素晴らしい電車だなと思ったのですが、さすがに需要も少ないですよね。

>No.3様の参考URL(2)の質問
すでに拝見させて頂いておりました。
経験者の方のご意見は大変ありがたいです。
ネット情報はどこも同じようなことしか書いてないので。

ありがとうございました!

お礼日時:2009/06/01 18:14

 昔は、家の近所(東京23区の南のほう)にも来ていました。

家々を
回って、野菜やお餅など売っていたものです。その人は我孫子~成田間
の成田線沿線に家があるといっていました。
 今でも、早朝、成田線の我孫子(または上野)行きの電車には、行商
の人たちが乗っています。
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この回答へのお礼

成田線にも乗ってるんですね。
(あまり電車に詳しくないのですが、JRですよね?)

ありがとうございました!

お礼日時:2009/06/01 18:21

京成で行商に来るおばんちゃん達ですが、町屋駅(荒川区)のガード下で「店を広げていた」のを目撃した事があります。

やはり荷物が荷物だけに、京成からさらに別の路線へ乗り換えて‥という人は少なく、その行先は都内の京成沿線(葛飾区、足立区、荒川区付近)が中心でしょう。色々な所で書かれていますが、かつては「行商列車」を仕立てていたものの、トラック輸送の発達や行商人の高齢化(後継者不足)で利用者が減少し、今では上り1本(芝山千代田7:46発→京成上野9:45着の普通列車?)の最後尾1両を「行商専用車」にしているのみです。

鮮魚列車とは違って「商品」は野菜や果物が主体ですから、お得意さん(いつも買ってくれる個人宅)を回るなど、個人相手の行商が多いと思います。もちろん、「お得意さん」が多ければ、京成沿線から外れた地域へ出向くかもしれませんが(そう言えば、京成沿線から外れた我が家にも1ヶ月に1回くらい行商のおばちゃんが来るけど、京成沿線の人ではないらしい)。

ところで、No.1さんの指摘通り、「近鉄 鮮魚列車」→「検索」や「京成 行商列車」→「検索」でたくさんの記事がヒットするし、ヤフーの質問サイト「知恵袋」等で、過去に似たような質問がいくつか出ています。

参考までに‥
(1)近鉄の公式サイト。(これは「鮮魚列車の車両史」みたいですが)
(2)「教えて!goo」に出ていた、近鉄鮮魚列車のダイヤに関する質問と回答。
(3)「満開佐倉文庫」の京成行商列車関連の記事。文中で「成田市史」や「鉄道ピクトリアル」など、参考文献も紹介されています。

(1)http://www.kintetsu.jp/kouhou/Train/B36.html
(2)http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3215054.html
(3)http://www.mankai-sakura.com/gyousyou.htm
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この回答へのお礼

町屋駅ですね!

ありがとうございました。

お礼日時:2009/06/01 18:04

近鉄の場合、基本的に行き先は黒門市場の魚屋らしいです。

市内や
奈良県内を行商するヒトも人もいるようですが、基本的には殆んど
市場か特定の(大量に魚を扱う)お店行きで、個人相手の行商は
少ないらしいです。

行商人の年齢が高くなったり、魚くさい荷物を持ち歩くのに障害が
出たりして、個人相手の行商は車になっているらしいですね。近鉄
の鮮魚列車が残っているのは、黒門の存在が大きいらしいですよ。
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この回答へのお礼

個人相手ではないのですね。
駅前などで売っているのを想像していたんですが。

夕方に復路便が出ているらしいですが、市場に売った後、
その人たちはその時間まで何をしているんですかね…。
普通の電車に乗って帰るのかな…。

黒門市場、調べてみます!
ありがとうございました!!

お礼日時:2009/05/26 11:38

ネットで検索して下さい。

結構ヒットしますよ。
ここでスレを立てる事が出来るのですから、その程度の事は簡単でしょう。

この回答への補足

下記、失礼しました。
「#1」⇒「#2」です。

補足日時:2009/05/26 11:46
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この回答へのお礼

検索はすでにしましたが、有益な情報が出てこなかったので
こちらで質問しました。
#1の方のような回答を期待していたのですが、
質問の書き方が良くなかったのかも知れませんね。

もしご存知の方がいれば、どんなところでどんな方が
何を売っているのかを教えていただきたかったのです。
どこかのネット情報のコピペではなく、口コミや実際に見た方の
話が聞きたかったのです。

ご忠告ありがとうございます。

お礼日時:2009/05/26 11:44

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Q昔は、なぜ、行商が盛んだったのですか?

江戸時代は、行商が盛んだったようですね。野菜・魚・豆腐や饂飩蕎麦などを行商人から買うことが多かったようですね。
ひと昔までは、行商が残っていましたが、現在は少なくなりましたね。今は、店舗で買うのが、主流です。
昔は、なぜ、行商が盛んだったのですか?

Aベストアンサー

行商が盛んだった、と言っても、売る種類によります。たとえば酒・調味料・米・味噌などは商店を構えて売っているほうが多かったといえます。

これらの商品はそもそも嵩張るために、配送に手間と人数がかかること、製造場所でもそれなりの量を出荷すること、など行商には向きませんでした。

また行商というのは、「都市」があって初めて成り立つものでもあります。行商で売っているものは、小魚やひもの・葉物野菜や漬物・草履などの消耗品であり、これらは農家が現金を賄うために余った時間に作成し、近隣の都市部に販売に行ったものだからです。自家栽培できない都市部があるから行商は成り立ち、大量生産で思い酒などと住み分けていたといえます。

また、行商人が販売するものは足の速い食料品などが多かったといえます。現在では市場や問屋を通すことが多い魚なども江戸時代までは行商人のほうが多かったでしょう。それもせいぜい山手線区域ないぐらいで、巣鴨より先や新宿よりも先ぐらいになると干物が中心になっていきます。新鮮な魚を運んで売り切れないと、損が出ること、鮮魚を担いで10キロ以上も歩くと魚が傷んでしまうからです。
鮮魚は江戸前の町人しか生で食べることができないものであり、行商というか天秤棒を担いだ魚屋が売りに来て、売り切ったら終わり、の商売であったといえます。

このようなすみわけは、戦前のように大量のトラック輸送や生鮮品の輸送が難しかった時代までは有意義な方法であったといえます。

行商については、関東大震災以降、東京に千葉の野菜が大量に供給されるようになりました。いわゆる行商列車の登場です。
大震災で道路がつぶれ、商店なども壊滅的になったため早い時期から千葉の行商人が野菜などを持って都内を回るようになります。商店が復活しても上記のように住み分けて行商は続いたのでしょう。太平洋戦争後も1982年まで京成線の行商専用列車が走っていました。朝早い時間に行李を背負ったおばあちゃんしか乗っていない、ある意味不思議な列車でした。実際に見たことがあります(歳がばれますな)その後は2013年まで1車両だけ行商人専用車がありましたが、それも現在では廃止されました。

大量輸送時代になったこと、生鮮食料も保存が可能になったこと、そして行商人が高齢になったことなどがその理由です。

行商が盛んだった、と言っても、売る種類によります。たとえば酒・調味料・米・味噌などは商店を構えて売っているほうが多かったといえます。

これらの商品はそもそも嵩張るために、配送に手間と人数がかかること、製造場所でもそれなりの量を出荷すること、など行商には向きませんでした。

また行商というのは、「都市」があって初めて成り立つものでもあります。行商で売っているものは、小魚やひもの・葉物野菜や漬物・草履などの消耗品であり、これらは農家が現金を賄うために余った時間に作成し、近隣...続きを読む


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