自分はクリスマスも初詣もありな無宗教(多宗教?)です。
でも新興宗教がなんとなく嫌です。

この「なんとなく」が分かる方、あなたなりの「なんとなく」を教えてください。
自分の「なんとなく嫌」をきちんと説明できるようになりたいと思っています。

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A 回答 (7件)

 ただ単に、「不安」だからでは?どこかで新興宗教の悪い噂など聞いていたのかもしれません。

それらが自分にとって利益にならない存在と無意識に認識している状態だと思いますが。

 私は、信者達の行動を見ていると「嫌」になりますがね。理由もお金集め、不幸になると脅かす等々。それに神様でもない人間なのに「神様」だと言い張る教祖にうんざりです。
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この回答へのお礼

早々にありがとうございます。
確かに新興宗教の悪いうわさはよく聞きますし不安に思います。
kyo-moguさんが嫌と思われる理由も、「なんとなく嫌」の理由にあてはまるので大変参考になりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2009/05/26 14:19

昨日今日生まれた宗教では教祖が生きていたり、人間臭い部分が在ります。

だから生くさくって嫌悪感が生まれるのです。
仏教の各宗派もほとんどが設立時には新興宗教です。日蓮宗などは今で言えば左翼や右翼のようなもので、しょっちゅう霞ヶ関近くで街宣活動をしていたようなもの。
一向宗にいたってはまるでテロだと信長は思っていたでしょう。
でも、元ヤンキーが時代を経るとチョイワルおじさんや好々爺になってしまうように、宗教も時代を経ると丸くなってきます。
だから、時代を経た宗教は嫌悪感を抱かずに済むのです。
また、仕事でも立ち上げ当初は、ガンガンと尖って、頑張らなければなりませんが、軌道に乗り余裕が出ると商売抜きにしても人に尽くす余裕が出ます。宗教も同じようなものです。

芸能人でもデビューしたてはなんとなく板についていないし、空々しく感じますが、何年もするとスターのオーラが出て貫禄がつきます。
宗教も同じで、新興当時は説法も板についておらず、高級ベンツも空々しく見えてしまいますが、大本山の首座ともなれば貫禄が出てベンツに乗る姿も様になる

こんな感覚が新興宗教をなんとなく嫌う原因ではないかと思います。
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この回答へのお礼

自分の思ってる「新興」がどの時代からなのか調べてみました。
エ○○や創○○○は思ってたより古かったです。
あとどのくらいで丸くなるかしら…。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2009/05/27 20:10

全ての新興宗教を中身を知っている訳では無いので


ただのイメージですが、なんとなく嫌な所を・・・。

まずは、お金が無いと幸せになれないと言うところ。
(お布施ありきの所限定になりますが・・・)
宗教は心の在り方が基本なのに
お金って(^^; 思いっきり物質的ですよね。

ご本尊?を拝み、訳の分からない言葉(お経もそうですが)
を唱えてないと、幸せになれないというところ。
そんな時間があるなら、すぐ隣の人に手を差し伸べて
あげている方がよっぽどいいんじゃないの?
なんて思います。
家族の幸せの為に唱えるんだと言う人もいますが
家族の為にしなきゃいけない事を
実行しないで、ただ唱えるだけってどうよ
と思いますね・・・。

どんなに自分の幸せの為、人の幸せの為に祈ろうが
自分で何も実行しないと何も変わらないと思います。
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この回答へのお礼

「お金を出せば幸せになる」「唱えるだけで幸せになる」っていうのはちょっと嫌ですね。
それはそれでいいとしてもそれが教えの組織に属すのは嫌だと気がつきました。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2009/05/27 20:01

その何となく嫌な感じは、


不安・不確実な世界に対して宗教という当座の答えをあてがって
安息を獲得した人の思考停止、ないし逃避に対する嫌悪感でしょうか。
または、そういう人の弱みや社会の綻びに付け込もうとする
新興宗教とそれを信じる人との関係全体に対する軽蔑かもしれません。

一般的な生活上のクリスマスや正月、冠婚葬祭の儀礼に関しては
「みんなそろって思考停止」しているわけであり、また、
宗教行事というよりも“それをしないと何となく落ち着かない”という
時節的な民俗儀礼に近いものになっているので、不快に思わないのでしょう。

しかしたとえそれが新興宗教であっても支えが無くては生きていけない
人がいるのは事実ですし、その支え無しにはできなかった生産的・文化的な
生活を送ることができるようになるのなら、それはよくできたシステムだと
わたしは思います。
多少煙たくとも、社会的には新興宗教もある程度歓迎すべきだと思います。

高度な科学や富を積み重ねても、人の畏れや不安は取り除けません。
宗教になら簡単にできます。ここがポイントです。
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この回答へのお礼

宗教で不安がなくなるならばそれはありだと思っています。現に新興宗教でなければそれほど嫌悪感はありません。
軽蔑は…少しあると思います。
これだけたくさんの宗教があるのにまだ新興宗教ができるのも文化なのかもしれませんね。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2009/05/27 19:55

 私の場合,「なんとなく」ではないんですが・・・。

(^。^;)

なんとなくの部分を敢えてあげるとしたら

・歩いてる姿がなんだか不幸そう(笑)。

 細身でとっても神経質そうな女性と,背中を丸めてその女性の後をとぼとぼ付いていく学生服を着た男性二人。
その数メートル先にはある宗教の建物が。
信号待ちをしていた私は,その親子らしき二人を「絶対あの建物に入る!」と思いながら目で追っていました。
やっぱり入っていきました。
他にも,宗教活動で歩いている人ってなんとなくわかりませんか?
妙に独特の雰囲気を持っていますよね。
宗教って,信じていれば幸せになれるとか言っておきながら,宗教活動をしている人たちってどうも幸せそうに見えない。
勧誘が強引な宗教も多いですが,そんな人に勧誘されても説得力ないし何の魅力も感じない。
「あなたたちと一緒にはなりたくありません」って感じ。

・ありえない事を信じている愚かさ

 以前,友人と公園でお弁当を食べていたら,いきなり話し掛けられた。
宗教の勧誘だった。
「(ある宗教を)信じていたお陰で,大事故に遭って車は大破したのに体は無傷で,小樽から札幌まで歩いて帰ったのよ!」と真面目な顔で言われました。
私と友人は大爆笑。
「普通に元気でも,小樽から札幌まで歩く人なんていないから!!!どこかで電話借りればいい話じゃん!ってか,そもそも事故に遭うなよ!」
 他にも,『これを信じれば病気が治る』は宗教の常套句。
そういう,人の弱みに漬け込む所も,嫌な理由ですね。

 他にもお金の事とか宗教法人の解せない仕組みとかたぁ~くさんありますが,止まらなくなるのでこの辺にしておきます(笑)。
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この回答へのお礼

強引な勧誘や人の弱みにつけこむのも(病気とか家庭の悩みとか!!)本当に嫌ですね。
小樽~札幌の話はわたしも笑ってしまいました^^
どうもありがとうございました。

お礼日時:2009/05/26 14:54

釈迦の始めた仏教は、現世利益の否定と因果応報が元にあります。


良いことも悪いことも、自分がしでかしたことは自分に跳ね返えり、信仰がこの世に利益をもたらすことはないということです。
そのため正しい考えを持って正しい道を歩むことを教えており、至極当然とも言えます。

一方新興宗教の多くは、この宗教を信仰したらこの世はバラ色になるという現世利益を説いています。
またより幸福になるためには教祖(本部)に多額の金品を寄進するよう勧めます。
この二点だけとっても明らかに胡散臭い感じがします。
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この回答へのお礼

金品の寄付ももちろんそうですが「信仰したらこの世はバラ色」というのはかなり嫌なところです。
現世利益という言葉も知ることができ勉強になりました。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2009/05/26 14:32

神仏ではなく、新興宗教は、今現在生存中の個人を崇めるところがイヤですね。



どんなに立派な人であろうとも、それは神ではありえないはず。
それなのに、その人を神格化して崇めるわけですから、異常でしょう。

その辺がイヤです。

(あくまでも私の感じ方です、念のため)
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この回答へのお礼

わたしも人を神として崇めるのは「なんとなく嫌」の大きな理由になります。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2009/05/26 14:23

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Q非文明的な生活を送る宗教(組織?)の名前

非文明的な生活を送る宗教(組織?)の名前

「文明的なものをいっさい使わない人達がいる」「その人たちの目は死んでいるように思えた」「心に傷を負った人が行き着く場所」「退廃的?」「カナダ?」

ずっと昔に上記のような文章を見たような記憶があります(あるいは別の表現かもしれませんが、意味するニュアンスは似てると思います)。その宗教(もしかしたら、ただの組織かもしれません)の名前を知りたいのです。一応、WIKIPEDIAで宗教一覧から探したのですが(ざっとですが)、それらしい生活を送る宗教はありませんでした。Googleにて「宗教 非文明的 生活 名前」のようになんとなく頭にある言葉を並べても、まるで見当違いの情報がでてきてしまって、あとはどう調べればよいのかわかりません。そこで、質問させていただきました。

本当にうろ覚えなのですが、よろしくお願いします。宗教名がわかれば、あとは本部支部の所在地は恐らく自力で調べることができるかと思います。

そういった人たちとの会話は、きっと自分にとって良い経験になるのではないか、と思いました。

Aベストアンサー

「文明的なものをいっさい使わない」「宗教的」北米、という記述から、アーミッシュだと思いました。
Wikipediaのページを貼っておきます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5

文明的な機器を否定して自給自足の生活を送る素朴な宗派です。
教義を厳格に守るためか俗世とほとんど接触がなく、非常に禁欲的な印象を受けます。
宗教はキリスト教だと思います。

死んだような目、というのもすさまじい表現ですね(^^;

Q新興宗教のことで

30年ほど前、大阪にあったの新興宗教で「きよめのみち?」は今はどうなったのでしょうか。消息が知りたいのですが・・・。

Aベストアンサー

京都大原にある「清めの道」では?
詳細は判りません

Q宗教の本質

宗教の本質

哲学について考えるとき必ず付いてまわる宗教とは何か「宗教の本質」について考えた結果、以下の結論に至りました。

1.宗教の発生時期
  宗教は人類の誕生とともに自然発生的に生まれました。
  どのような原始社会においても宗教は発生しています。
  宗教の生まれていない地域、社会は皆無といってよい。

2.宗教の種類と数
  宗教は全世界に溢れています。
  その数は分類のしかたにより数千とも数万とも数百万ともいわれています。
  また宗教は人の数だけ存在するという人も多数います。

3.宗教を構成するもの
  宗教は神、天国、地獄の3つの概念により構成されます。
  この3つの概念を備えない宗教は存在しません。

4.宗教の宇宙観
  全ての宗教は有限宇宙観に支配されるものです。
  すなわち宇宙はある一時期をもって開始し、その広がりは有限であると。

5.宗教を動かすもの
  宗教は心地良いものです。
  修行と名のつく様々な宗教的所業も結局心地良さの追求です。
  酒を飲むと心地よくなるのと同様の現象です。
  もちろん酔いが醒めると辛いものが待ち受けておりますが、宗教も同様であることに説明の必要はありません。

6.宗教の目的
  宗教はもともとは人間社会の統治の道具として生まれました。
  これは古代エジプト王国などをみればよく分かることです。
  大勢の奴隷を効率よく統治管理するための道具として有効利用されたのです。
  この状況は根っこの部分においては現在でも全く変わっていないと言ってよいでしょう。
  国が宗教を擁護するのもこのためです。

7.宗教の未来
  統治の道具としての宗教の力は既に失われています。
  これは近代科学、近代文明が発達した結果としての自然の成り行きなのです。
  それと同時に宗教を支配した神、天国、地獄の3概念もそのイメージが次第に弱まってきました。
  つまり宗教の役目は失われつつあり、既に宗教の時代は終わったといってよいでしょう。

8.宗教の次にくるもの
  それは真理の探究であり、思想と哲学の時代です。

御意見ください
 

宗教の本質

哲学について考えるとき必ず付いてまわる宗教とは何か「宗教の本質」について考えた結果、以下の結論に至りました。

1.宗教の発生時期
  宗教は人類の誕生とともに自然発生的に生まれました。
  どのような原始社会においても宗教は発生しています。
  宗教の生まれていない地域、社会は皆無といってよい。

2.宗教の種類と数
  宗教は全世界に溢れています。
  その数は分類のしかたにより数千とも数万とも数百万ともいわれています。
  また宗教は人の数だけ存在するという人も多...続きを読む

Aベストアンサー

続けて失礼いたします。
>>私の提示したものに一々否定したり、不十分であると述べたりするばかりで何ひとつ自身の答えを示そうとはしません。
 認知科学のパスカル・ボイヤー氏は宗教をひとくくりにして説明してしまうことはよくやれられるがこれ間違いだと述べておられますが、私も同意見です。よく、「宗教は未知のモノに説明を与える」とか「宗教は安心を与える」「社会に秩序を与える」、または「妄想に過ぎない」と説明を加える方が居られます。しかし、それは「宗教」という言葉のあらわすものが持っている守備範囲を表すもので、どれもその核心を突いているわけではありません。
「未知の物に説明を与える」ということに関して言えば、宗教は説明以上に謎を呼びます。スーダンのザンデ人のあるお宅の屋根が崩れました。すると、ザンデ人たちはすぐに妖術師の仕業であると疑い、説明をつけ始めた。この時ザンデ人の宗教を研究していたエバンス・プリチャードは、屋根の所にはシロアリが食っているのだから屋根が落ちた原因は妖術師ではなくシロアリの仕業だと指摘します。しかし、ザンデ人はシロアリが原因であるや建物の老朽化などのことは百も承知であったが、シロアリに関心を寄せませんでした。彼らの関心事は「なぜ今その人が屋根の下にいる時に、屋根が落ちたか?」という理由でした。これが適切な「謎」であれば「宗教は未知の物に説明を与える」ということもいえるでしょうが、そうではありません。宗教自体が新たな謎を呼んでいるのです。一休禅師の歌の中にも「釈迦といういたずら者が世に出でて世の諸人を迷わせるかな」なんて歌を詠んでおられますが、このような点からも宗教はただ説明を与えるだけではないことが伺えます。
「宗教は安心を与える」というのは前述の通りそれだけではありませんし、「宗教は秩序を与える」というのも秩序を壊すのも宗教であったりします。また、「宗教は妄想である」というのも、私達は妄想と隣りあわせで生活しているわけで、「もし」や「シュミレーション」や「遠く離れた恋人の思い」であったり、その妄想から力を得ることもありますが、そういうことには言及されないことが多い。どの説明でも不十分なのです。
それを前提において考えますと、私としては一番それらしいかなと思っているのは、認知科学的な方面からの研究によれば宗教の本質は「人間の認知機能の表象」であると考えられています。分かりやすく言えば「人間は宗教的なものを感じるように出来ている」ということです。前々回の回答の中でも記したように、人間の行為者の過剰検出であったり、それを安定した形で定着させる機能だあったり、前回の中に記した推論機能であったり、数多くの人間の認知機能の表象として宗教と言うものがあるという説明です。
しかし、私はこの回答では宗教の本質というより「人間の本質」の問題であるように思います。では宗教の本質とは?「いろいろ」です。刹那的にみれば、一つの宗教から、多くの宗派が生まれたように見えます。ここから一つの宗教から多くの宗教が生まれたのだから「宗教の本質を答えることが出来る」と考えるのが自然なように見えます。しかし、文化人類学や進化心理学においては「多から少」、質問の中にも
>>その数は分類のしかたにより数千とも数万とも数百万ともいわれています。
>>また宗教は人の数だけ存在するという人も多数います。
とあるように、宗教は歴史的な多様化ではなく、数限りない宗教の絶え間ない自然淘汰による凝縮の結果と考えられています。私もこのように考えます。
 つまり、「人間の認知機能」という共通ですが、その対象が違うのです。砂漠における砂の認識と、湿原における砂の認識は違っているわけですから、同じ砂を信仰対象としたとしても、共通点はあってもその本質は違っています。だからこそ日本には宗教全般を表わす「宗教」という言葉が存在しなかったのはそのためです。日本の分類は「仏道」「神道」「儒学」「キリシタン」という括りまでです。なぜなら、それぞれの「本質」が違うことを意識せずとも知っていたからでしょう。つまり、宗教の本質は「いろいろ」ということです。

 しかし、この答えでは満足いかないでしょう?そうでしょう。書いている私が満足してません。説明としては不充分なのです。けれども、だからこそ学ぶのです。「宗教」について語られたものは、宗教学、神学はもとより、歴史学・文化人類学・認知科学・進化心理学等々多岐にわたります。今の時代、調べれば知ることが出来るのに、それをしないのは怠惰以外の何者でもないと私は学び続けています。
あなたのような熱い方とお話が出来て嬉しく思います。ありがとうございました。
 ただ、お答えにはなっていませんね。申し訳ありません。
合掌 南無阿弥陀仏

続けて失礼いたします。
>>私の提示したものに一々否定したり、不十分であると述べたりするばかりで何ひとつ自身の答えを示そうとはしません。
 認知科学のパスカル・ボイヤー氏は宗教をひとくくりにして説明してしまうことはよくやれられるがこれ間違いだと述べておられますが、私も同意見です。よく、「宗教は未知のモノに説明を与える」とか「宗教は安心を与える」「社会に秩序を与える」、または「妄想に過ぎない」と説明を加える方が居られます。しかし、それは「宗教」という言葉のあらわすものが持って...続きを読む

Q新興宗教からの脱会方法を教えてください。

ご存知の方いらっしゃったら教えてください。

先日、私の友達(男性)が、とある新興宗教に入信していると
話をしてきました。
8年程付き合っている彼女から勧誘をされて、5年前に入信したそうです。
友達は、全く信仰しておらず、むしろ不信感を持っているらしいのです。
その時は、別れたくないと言う気持ちから入信したそうなのですが、
もう彼女と別れようと思ってるので、その時にキレイに脱会したい
ということでした。

その宗教団体は、会費を払っていると信者とみなされるそうで、
入信してからずっと、彼女が会費やお布施を払い続けているそうなのです。
別れることによって、脱会することは可能な気もするのですが、
自分が勧誘した信者が脱会してしまうと、様々な会合に出席する権利を
失ってしまうという仕組みになっているらしく、勝手に会費を払い続けて
行く可能性もある。と、友達は心配しています。

また、彼女は家族で入信しているらしく、新興宗教と思っていないフシもあり、
未練から、「あなたが不幸にならないために」と、払ってしまうのでは
ないかということでした。

とりあえず、脱会届を出すつもりでいるようなのですが、
内容証明等で送ったほうが良いのでしょうか?
私も良い案が見つからず、こちらに相談させていただきました。

よろしくお願いします。

ご存知の方いらっしゃったら教えてください。

先日、私の友達(男性)が、とある新興宗教に入信していると
話をしてきました。
8年程付き合っている彼女から勧誘をされて、5年前に入信したそうです。
友達は、全く信仰しておらず、むしろ不信感を持っているらしいのです。
その時は、別れたくないと言う気持ちから入信したそうなのですが、
もう彼女と別れようと思ってるので、その時にキレイに脱会したい
ということでした。

その宗教団体は、会費を払っていると信者とみなされるそうで、
入信して...続きを読む

Aベストアンサー

 脱会することは、べつに、勤めていた会社を退職するとか、暴力団から足を洗うといった、大それたことではない。所属する地区の責任者に口頭で、

 「やめた」

と、伝えればよい。わざわざ手間暇かけて、文書にする必要もないのだ。しかし、気持ちのうえできっちりと決別したいときは、文書で、「脱会届け」を提出するのも一つの方法である。

 この場合、提出先の郵送先が、新興宗教の理事長でもよいし、会長等でもかまわない。

 「脱会届け」の文面は、これも決まりがないため、内容は自由である。一例では、

 「 脱会届け

 ○年○月○日付けをもって宗教法人・○○○○を脱会します。


  所属組織名

氏名(家族がいたら家族名も)

○年○月○日

宗教法人・○○○○

 ○○○○殿     」

 また、脱会届けを郵送するとき、同文に一言付け加える脱会者も多い。たとえば、

 「今後、私が了解しないかぎり、入会勧誘等を目的にした、信者方による自宅来訪を一切拒否します。貴殿も○○○○責任者の義務として、脱会者に余計な迷惑をかけないよう、地域周辺の信者方に指導徹底してください。」

 ところで、脱会する上で肝要なのは、あいまいな態度を取らないこと。口頭にしても文書にしても、べつに理由など説明することもない。ただ簡潔にきっぱりと、

 「やめた」

と、意志表示を鮮明にすることだ。

 脱会後、もし、信者方が来訪するようなことがあったら、

 「あなたたちは、個人の自由を拘束するつもりですか」

といった話をして玄関を閉めたらいい。人が勝手に信じている新興宗教の話など、実際、興味がなければ門前払いをすればいい。本人が価値を認めないものを、言葉巧みに押し付ける寝具やナベカマのセールスマンと変わりがないからだ。たちの悪い悪質な押し売りなら、一一〇番という方法もある。

 脱会することは、べつに、勤めていた会社を退職するとか、暴力団から足を洗うといった、大それたことではない。所属する地区の責任者に口頭で、

 「やめた」

と、伝えればよい。わざわざ手間暇かけて、文書にする必要もないのだ。しかし、気持ちのうえできっちりと決別したいときは、文書で、「脱会届け」を提出するのも一つの方法である。

 この場合、提出先の郵送先が、新興宗教の理事長でもよいし、会長等でもかまわない。

 「脱会届け」の文面は、これも決まりがないため、内容は自由である...続きを読む

Q宗教の種類は今後も増え続けるのか?

宗教は動物にはないものと思います。死人に対してお墓を作ったり花をお供えすることなどは、人間が進化した結果の宗教心です。その宗教心は国や地域でさまざまな既成宗教を生み出しました。ですがその反面科学や知識が進歩することにより、既成宗教の信憑性は低下しています。ですが自分で宗教を選ばない人達は先祖の宗教を引き継いでいる人が多数です。信教の自由ですから先祖の宗教から離れる人もいます。その人達は無宗教になるひともいますが、多数の人は理論的で科学的に近い宗教に惹かれるようです。その為、新興宗教が多数つくられてきています。私としては宗教の多くは必要のないものと思っています。この世にとって必要な宗教と必要でない宗教を分けることはできないでしょうか?ただ増え続ける宗教は馬鹿馬鹿しいだけです。できれば宗教は一つにまとめるべきだと思っています。誰にでも人間としての宗教心はあります。その意味をもう一度見直して、世界で一つだけの宗教をつくれないものでしょうか?

Aベストアンサー

そちらの質問は、“本来哲学が忘れたり、諦めたりしてはならないはずの問題”というふうに、 私はなのですが、 本気で思っています。

ごめんなさい。馬鹿にされてしまうかもしれないですが、その本気さの出どころを正直に書きます。 そのあたりの自己紹介を先に書きます。

わたしは、肉体労働者でほとんど本とか読んでいません。 アカデミックな哲学の世界の歴史とかを知らない人間なのです。
しかし、子供の頃 差別といじめから体を壊し何度も死の床をはいずった体験からか、物事を考えるのにいちいち徹底してその本質まで考える癖はついていました。

だからといってこの人生について解ることは、徹底して考えるほどに自分の未熟さ、青二才ぶり、甘さ、どうしようもなさ、小ささ、木の葉のような状態でしかなかったのですが、  自分の中では、これが60歳になってみて(50歳ごろ全体的にまとまったのですが) 物事は総合的にかんがえると(人生のことがらすべてをなのです。このOKウェブのカテゴリが無限にあるわけではないことから、60歳の思索者のそのへんを想像していただけると幸いです。)人間の能力はけして何もかも出来る可能性なんて持ってはいないけれど、 A地点からB地点までの一歩一歩の旅ならば必ず答えが見えてくるそういう確かな「可能性の大地」という世界、 つまり深く本質的にそして広く総合的に考えれば必ず 次への見とおしならば開けるはずで その頂点であるべき思索開拓の道が本来哲学であるはず、→ すなわち、この相対的は世の中にて、諦めていいような問題は存在しない。 哲学がそこにある限り、常に前進への道はあるはず。 という考えにいたっているというわけなのです。

宗教の問題に限らず、憎しみの連鎖の問題、生物の弱さの問題、医学の進歩の問題、経済の問題、外交のあり方の問題、大きくて不可能に思えてしまう問題も、 けして諦めてはならない。 哲学が諦めたらもちろんすべては絶望しかないのでしょうが、そんなことはありえない。という考えだということです。 

今では、論理以上に「諦めない心」のほうが大事と思えるほどになっています。

ジョンレノンでしたか「宗教の無い世界を夢見てごらん、国境の無い世界を夢見てごらん♪」といった歌詞(くわしくは知らないのですが)の「夢」を音楽と詩で語っていますよね。

夢は 音楽哲学にしろ、言葉や詩の哲学にしろ そこから生まれたさらに進化した音楽や詩や文学にしろ、 裏のその哲学がどこまで煮詰められているかによって 実現へと近づいてゆくという理論もなりたちます。

私が33,4歳のころだったでしょうか、友達が泣きながらそのニュースを知らせてくれた事を憶えています。彼がピストルで撃たれて殺されていなかったら、どのような哲学をわたしたちに語ってくれたのか、生きていたなら彼の60歳の頃のお話を聞いてみたくなります。

へんな自己紹介ですが、ここまでをここでの自己紹介とさせていただいます。

紙数の都合で 回答自体はANO15まで筆を伸ばします。(一応最初の回答という形ですが)

***
 paradox8様の質問文に直接対応した回答は次のANO15(から)となりますが、 まだ紙数がありそうなので、付け加えます。

私は上記のような「哲学人」なのですが、 最近、このサイト内にて、アカデミックな哲学の世界で“哲学の世界”自体が 膨大に分裂していてそのその思索における総合性を失ってるとかつかみがたくなってるとか聞いていますし、

また哲学の歴史自体が、何か個とか個性というあたりでもしかしたら へんな曲がり方をしてきてしまったらしいことも聞いています。  個とい概念はとても大事な人間性についての思索なのですが、絶対個という概念を 文字通り「絶対」に通じ合えないのだからそれが故にお互いを尊重しあうことが大事なのだとかいうふうな簡単な考えでまとまってしまっているらしいことも聞いています。

 アカデミックな哲学が こんな地点から抜け出せないでいるというのが事実であるなら ちょっと信じられない世界です。

学者の卓上の論理というのは もしかしたら、生きる必死さ、真剣さに欠けているのかもしれませんね。 それだから この宗教の問題にも哲学が答えられなくなっているということなのかもしれません。 ここにそのような推理が働いてしまう者です。

でも、本来 人間の哲学の可能性を哲学すれば、深く広く総合的、本質的、厳密に考えれば そんなはずないと思う者の 私はもちろんその一人です。

私自身は、諦めません。  つづけます。

そちらの質問は、“本来哲学が忘れたり、諦めたりしてはならないはずの問題”というふうに、 私はなのですが、 本気で思っています。

ごめんなさい。馬鹿にされてしまうかもしれないですが、その本気さの出どころを正直に書きます。 そのあたりの自己紹介を先に書きます。

わたしは、肉体労働者でほとんど本とか読んでいません。 アカデミックな哲学の世界の歴史とかを知らない人間なのです。
しかし、子供の頃 差別といじめから体を壊し何度も死の床をはいずった体験からか、物事を考えるのにいちいち...続きを読む

Q浄土宗は新興宗教の枠にはいりますか?

浄土宗は新興宗教の枠に入るのでしょうか?

Aベストアンサー

新興宗教は、一般に江戸時代末期以降に成立したものを指します。
鎌倉時代に成立した浄土宗は、コテコテの既成仏教です。仮に浄土宗を新興宗教とするならば、曹洞宗も日蓮宗もみな新興宗教に該当し、世の中は新興宗教だらけになってしまいます。

Q総合格闘技団体みたいな、総合宗教団体を作りたい。

最近、宗教の事を身近に感じます。
少し無理が有るかもしれないですが、すべての宗教をまとめる宗教団体を作りたい。
総合格闘技みたいな。
宗教法人、宗教研究会とか、宗教法人、総合宗教団体オールとか、宗教法人、宗教オリンピックとか、宗教法人、宗教交流会とか、宗教法人、宗教すべてオッケーの輪とか、宗教の宗派や、派閥は、あっても良いけど、宗教は宗教だから、みんな一つの輪だから、思想も色々あるが、とりあえず一つの輪になって、宗教活動したい。
それで、思想の違いから意見の対立があるから、
宗教オリンピックを開いて、宗教論争の戦いをやる。宗教の専門家に審判をお願いする。
もちろん、これが元で宗教戦争になったら困るので、言い争っても、テロとか、やらないように、論者に頼んで、また信者にも頼んで、合法的な活動にする。
それで、相手を批判したり、自分が批判されたりして、自他共に、良い所、悪い所を認めあい、自分の宗派や派閥を、良い物にして行く。

これは、どうでしょうか?面白いんではないでしょうか?

柔道的な発想です。
嘉納治五郎も、その昔、柔術が無くなって行くから、柔術を総合し、人道を加えて、柔道を作りました。

それなら、宗教から、宗道べの時代が、やって来てないですかね?

少々無理があるかもしれないですが、回答を、よろしく、お願いします。

最近、宗教の事を身近に感じます。
少し無理が有るかもしれないですが、すべての宗教をまとめる宗教団体を作りたい。
総合格闘技みたいな。
宗教法人、宗教研究会とか、宗教法人、総合宗教団体オールとか、宗教法人、宗教オリンピックとか、宗教法人、宗教交流会とか、宗教法人、宗教すべてオッケーの輪とか、宗教の宗派や、派閥は、あっても良いけど、宗教は宗教だから、みんな一つの輪だから、思想も色々あるが、とりあえず一つの輪になって、宗教活動したい。
それで、思想の違いから意見の対立があるから...続きを読む

Aベストアンサー

たぶんこんなことを考えられるのは 『あなたが日本人」だからでしょう。
日本の宗教は「神様喧嘩せず」が信念にあるので、どんな宗派だって好きにさせてます。
例え金儲けの宗教でも。 だから宗教衝突も起きませんし 殺し合いもありません。

海の向こうでは「唯一神信仰」だから 俺以外はみんな邪教者なんで
邪教者は殺したっていいんです。徳が積まれますから、喜んで赤ん坊を石で引いたり
女を犯して 生きたまま男の首を切り取り歓喜の声をあげます。 あちらの人にとっては
この行為はすっごい美徳ですから。うらやましいですね。

こんなやつらを相手取るんですから、銃でも大砲でも絶対に敵わない上、眉一つ動かすだけで周りの仲間が苦しんで苦しんで絶命するような力を持った代表者が仲に立って
力でねじ伏せて手を握らせなきゃ無理でしょう。

温厚ってのは「同じ宗派の人間のみ」の付き合いなんで 異教徒に温厚になれるわけはありません
だって自分の宗教以外を認めるのは冒涜なのですから

Q新興宗教の勧誘を受けているのですが、、、

多分新興宗教だと思うのですが、従妹たちが勧誘されています。
彼女たちの母方の叔父さんがその宗教に入っているらしいです。
私は、彼女たちから見ると父方の親戚に当たります。
先日亡くなった彼女たちの母親も入っていたらしいです。

先日、その母親が亡くなってすぐに、叔父さんたちがやってきて水を飲ませたようです。
そのせいかどうか分かりませんが私たちが行ったときには遺体に不自然な黄疸のような症状がでていました。
その後も宗教の人たちが何人か来て拝んだりしています。
お葬式にもやくざの様な怖そうな男性が4,5人来ました。
私たちもお葬式に行って、打ち合わせなどに一緒にいたのですが、
その宗教の一番上の人(?)からの弔電はずっと叔父さんたちが隠し持っていて
読み上げる時だけ司会者に渡すと棺の中に入れて焼いてしまいました。
いろいろもっと他にもおかしいなと思うことがあったのですが
私たちには全て隠したがっているようなすごい違和感がありました。

従妹たちは父親も5年前に亡くしていて、22歳の女の子を頭に子供3人で暮らしていくことになってしまいました。

インターネットで調べるとどうやら「念佛宗」という宗教のようで離れて住んでいる私たちは非常に不安です。

今のところ、従妹たち3人はどういう宗教か分かっていて勧誘に乗るつもりもないとのことですが、
相手はプロだし、大人だし、男だし、、、
今後、どんなことが起こるのか不安でたまりません。

どんな手口で勧誘してくるのでしょうか?
断った時に何か嫌がらせのようなことをされないかも心配です。
どうしたらいいでしょうか。。。
アドバイスをよろしくお願いします。

多分新興宗教だと思うのですが、従妹たちが勧誘されています。
彼女たちの母方の叔父さんがその宗教に入っているらしいです。
私は、彼女たちから見ると父方の親戚に当たります。
先日亡くなった彼女たちの母親も入っていたらしいです。

先日、その母親が亡くなってすぐに、叔父さんたちがやってきて水を飲ませたようです。
そのせいかどうか分かりませんが私たちが行ったときには遺体に不自然な黄疸のような症状がでていました。
その後も宗教の人たちが何人か来て拝んだりしています。
お葬式にもやく...続きを読む

Aベストアンサー

「念仏宗」聞いたことなかったですが、いろんなところで問題になってるみたい。(参考URL入れときます)
なんだかあやしいところみたいですね。
公式HPみると、すごくまともそうなんですが。。。

身内がいなくなってしまった寂しさに加え、お葬式後の様々な儀式(法事とかお墓とか)、役所や銀行の手続きのようなことでわからないこと、悩むことが多いと思います。
また、まだ子供といってもいいような姉妹三人が残されたこと、これからどうしていったらいいんだろうなどと不安も感じていると思います。
だから私は、こまめに会ったり電話をしたりしていろんな相談にのったり、話をきいてあげるのがいいと思います。

事務的なことと宗教儀式はあなたのお父さん(彼女たちにとっては伯父さんですね)が「年長の身内」ということで仕切っても問題ないと思います。
特に法事などは宗教の方が口をだしやすいイベントなので、その宗教の様式でやられてしまうと、あとあとの修正がききにくいと思います。
「最初から最後までうちは天台宗(例えば)だから!菩提寺は~だから!」と言い切って、それ以外ではやらないという姿勢を見せた方がいいと思います。
とはいえ、若い子はそんなことよくわかりません。
そこであなたのご両親がしっかりアドバイスして、精神的にも支えてあげることが有効だと思います。

宗教モドキは、『~だから悪いことがおこった』と勧誘します。
ただでさえ心が弱っている時に、「家の北西角の木をおはらいしないとお母さんが成仏できない」とか「両親が早死にしたのは3代前のおじいさんが家を建てた時に蛇を殺したからだ。その蛇の念があなたたち三姉妹にもついているから、一緒に集会にいってお経をあげて払ってもらわなくては」とか言われたら、ついふらっとそうかも・・・と思ってしまうものなんです。
そう説得するのが親しい身内ならなおさらです。

私の友達でおばさんが新興宗教信者の子がいました。
友達自身はその宗教とそれを信じているおばさんに批判的でした。
(身内が亡くなった時のお葬式や法事でもトラブルや選挙の時にしつこいとかで迷惑していたので)
ところが、いろいろあって精神的にも肉体的にも参ってた時に勧誘されて、今では熱烈な信者です。
最初は私や共通の友達もしつこく勧誘していたので、みんなでいろいろ説得したのですが無駄でした。 
それ以来話もかみ合わなくなったのもあって、彼女とは距離を置いているのですが、選挙の前だけは今でもメールがきます。
彼女が「キモイ」といっていた行為を彼女自身がしているんです。
学生時代を一緒に過ごした仲間だったので、彼女の変わり様が信じられませんでした。
今でも当時の仲間が集まると彼女が困ってた時にもっともっと私たちにできることがあったかもしれないね、という話になったりします。

ぜひ、従姉妹さんたちの精神的な支えになってあげてください。
もし、あなたが従姉妹さんたちと年が近いなら、あなたのご両親に支えになってもらって、あなたはご両親と従姉妹さんをつなぐパイプ役になってあげてください。

参考URL:http://nenbutsu.web.fc2.com/

「念仏宗」聞いたことなかったですが、いろんなところで問題になってるみたい。(参考URL入れときます)
なんだかあやしいところみたいですね。
公式HPみると、すごくまともそうなんですが。。。

身内がいなくなってしまった寂しさに加え、お葬式後の様々な儀式(法事とかお墓とか)、役所や銀行の手続きのようなことでわからないこと、悩むことが多いと思います。
また、まだ子供といってもいいような姉妹三人が残されたこと、これからどうしていったらいいんだろうなどと不安も感じていると思います。
だ...続きを読む

Q伝統宗教と新興宗教と外来宗教

宗教に抵抗のある人でも、除夜の鐘の音を聞くのも不愉快、初詣にもいかん、お盆もやらんという人は少ないと思います。
多くの人にとって伝統宗教は「宗教」のカテゴリに入っていないのではないかと感じられます。
特異な存在である宗教として意識されるのは新興宗教と、外来の宗教であるキリスト教やイスラム教ではないでしょうか?
伝統宗教とそれ以外は意識の上で何が異なるのでしょうか?
またいかなる伝統宗教も開祖の時代は新興宗教であったはずですし、逆にいえば今現在の新興宗教も何百年も先まで残っていれば
伝統宗教として扱われるようになるでしょう。
また今は日本の土着宗教のようになっている仏教も本来は外国の宗教でした。
新興宗教や外来宗教はいつなにをもって伝統宗教に転ずるのでしょうか?

Aベストアンサー

マイナーがメジャーになるきっかけは、やはり支配者の決定じゃないでしょうか。


古来 人間はモノを創造していた。製作していた。


今のように大型量販店で、できあいのモノを買うのではなく、自ら作っていた。


各地で特産ができて、自分たちには無いものを、自分達独特のものと交換していた。
無いなら作ればいい から 作らずに品物を手に入れる方法として物々交換をしていたわけです。


そういうわけで、創造から今では人間の特性は消費に進化したわけです。


従って今では、創造をするモノになるより、創造されたものを大量消費するモノの方が圧倒的多数。
創造する人はマイナー。


キリスト教を例にとると、人々はいい宗教だからと 自らの自己決定で選んだわけではない。


学校には制服があるじゃないですか。
学校に自ら作った服を着ていかず、既製服を着ていきますよね。
それと同じように、時の支配者が創造したというか、ミックスした宗教を、被支配者階級に「これを着なさい これ以外は学校では着てはいけません」というように、「これを信仰しなさい。これ以外の信仰はしてはいけません」となったわけです。


どうして支配者は、キリスト教を選んだのかというと、被支配者の頭を上げさせないため。
押さえつけて支配者に服従させるため。

という側面と、集団を一つの宗教だけ信仰させることで、統一し纏め上げることが容易になるから。
散らばっている羊より、固まっている羊の方が、扱が容易ですよね。


ぜんまい仕掛けのおもちゃみたいなもの。
創造者、支配者、そして設計者でもあるその者の思い通りに、宗教を使えばできてしまう。

それに気づいたローマ皇帝たちは、だからキリスト教を使用して、領土を拡大することに成功したわけです。



従って、どの宗教が集団のメジャーとなるかは、支配者が利用価値があるとして使用するかどうか次第。


考えてみてください。
「あれは敵だ」と戦争を支持する者の息子は、決して戦場にに行くことはありません。
人々は国のため、神の正義のため という言葉によい知れ、奮起させられるが、決して支配者の息子が戦場の前線で国のため、神のためと戦うことはありません。
つまりその宗教の価値があるとしているのは、それがすごい物だから信仰すべきだとしているのではなく、自分の世界を拡大するために利用価値が大いにあるとしたから。
だから利用価値があるから支配者は利用することとなった。
利用しても成功しなければ、利用しないまでです。



神の正体とは、人間であり民を支配している者。
その者が利用価値があると選択した宗教が、メジャーになるわけです。


人々はその者が創造した商品を大量消費することに楽しみを感じる。
大量消費からブランドとして、価値を付加するわけです。

ブランドの誕生は、支配者が使用するようになってから、ブランドとして名が通り、高い値で取引される。

手作りで、職人が作るわけだが、人々の関心は、それを消費することであって、メーカーのように創造・製作することを楽しみたいからではない。
信仰とは消費と同義語。



仏教だって支配者が選択したからだし、神道だって支配者の都合で各地に伝わっていったわけですし。

人々は被支配者が決めた服を着て(消費して)喜んでいるだけ。



物を作っていた時代から、交換になり、消費がはじまり、大量消費になり、創造に興味はもたず、今はブランドに興味を持つようになったという人間の進化の過程を、宗教に置き換えて考えてみました。

人間の特性を知れば、解ける問題ですね。
そして人間の特性を知った人は、利用し勢力を拡大していった。
気づき利用したことで、自分が中心となる王国を築けた。

マイナーがメジャーになるきっかけは、やはり支配者の決定じゃないでしょうか。


古来 人間はモノを創造していた。製作していた。


今のように大型量販店で、できあいのモノを買うのではなく、自ら作っていた。


各地で特産ができて、自分たちには無いものを、自分達独特のものと交換していた。
無いなら作ればいい から 作らずに品物を手に入れる方法として物々交換をしていたわけです。


そういうわけで、創造から今では人間の特性は消費に進化したわけです。


従って今では、創造を...続きを読む

Q姉が新興宗教の資料を請求していました。

姉が新興宗教の資料を請求していました。

ああいうものって1回個人情報をにぎられると怖いですよね。
住所と電話番号、個人の名前はばれていると思います。

どうしたら良いでしょうか?
個人の信仰の自由はありますが、偏見かもしれないんですけど私は絶対にそういうものには賛成できません。
姉自身は興味本位だとは思うのですが、個人情報の大切さを分かっていないと思います。

一緒に住んでいるので今後が不安です。
アドバイスお願いします。

Aベストアンサー

確かに個人情報は大切なので気をつけないといけない問題ですが
その宗教関係者に個人情報が解ったとして
実際問題どういう危険があるのでしょうか?
現段階でその宗教団体に悪い噂でもあるのですか?

ネットなどでその宗教団体がそれらの情報を集めて悪さをしている
などの情報があるのであればあなたの心配も解りますが
電話・住所・名前程度の個人情報なら、会員になった薬局などや
近所のよく行っているカラオケボックスでも解ってる問題です。

まぁ心配する事は悪い事ではありませんし
個人情報をあまり漏洩させない事も自己防衛の一つですが
それと宗教団体を無理やり結びつけて悪く言うのは
あなたの妄想の範囲での決め付けなので
姉にそういう言い方をしても説得できる内容にはなりません。

まずは、宗教や信教は個人の自由なので
姉を説得したいのであれば、その宗教団体をネットなどでよく調べ
良くない噂や評価があるのであれば、その事を元に姉を説得してください。
そして、あなたの心配している個人情報の漏洩に対しても
単純に怖いというだけで心配するのではなく
どの様な情報が漏れればどの様な問題が考えられるのか?
というのを熟知して対処なり警戒・忠告をするようにした方が良いかもしれません。

何でもむやみに怖がるのではなく
今はネットという便利な物があるのですから
まずはいろいろ調べて危険度を熟知してから
それらに対応した防御策をとるようにしてください。

今のあなたの言い分では、単なる宗教批判になってますし
それも根拠のない批判になってしまっているので
あなた自信がそう思うのは自由ですが
他人の意思を変えるにはちょっと説得力に欠けると思います。

私も無宗教に近いですし、宗教団体には全く興味が無いので
質問者の気持ちも解るには解りますが
姉の事を考えて・・というのであれば
まずはその宗教団体を良く調べ、悪い噂や危険性を掴んでから
姉に伝えた方が良いと思いました。

確かに個人情報は大切なので気をつけないといけない問題ですが
その宗教関係者に個人情報が解ったとして
実際問題どういう危険があるのでしょうか?
現段階でその宗教団体に悪い噂でもあるのですか?

ネットなどでその宗教団体がそれらの情報を集めて悪さをしている
などの情報があるのであればあなたの心配も解りますが
電話・住所・名前程度の個人情報なら、会員になった薬局などや
近所のよく行っているカラオケボックスでも解ってる問題です。

まぁ心配する事は悪い事ではありませんし
個人情報...続きを読む


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