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唯識思想では深層心を第八阿頼耶識としています。
その阿頼耶識の働きとして(1)「種子生現行」(2)「現行薫種子」(3)「種子生種子」の阿頼耶識縁起なるものを説いていますが、(3)「種子生種子」とはどのようなものなのでしょうか?
(1)(2)は分かるのですが(3)だけわかりません。

知っている方がもしいたら宜しくお願いします。

A 回答 (3件)

>その阿頼耶識の働きとして(1)「種子生現行」(2)「現行薫種子」(3)「種子生種子」の阿頼耶識縁起なるものを説いていますが、(3)「種子生種子」とはどのようなものなのでしょうか?



「種子生現行」が「原因が結果を生む」の意、「現行薫種子」が「結果が次の現行(結果)の原因となる」の意だとすれば、「種子生種子」とは、文脈からして「古い原因が新たな原因を生む」という意になるのではないでしょうか。

しかも、その根本性格に関して、『唯識三十頌』では「恆転如暴流」(第四頌)とありますから、No.1さんのおっしゃるような「8識は記録意識」というような生やさしいものとしてではなく、むしろ「種子即現行」・「現行即種子」とでも言うべく、目眩くような、ダイナミックな相で阿頼耶識を捉えていると思われます。
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追伸01


理解可能かどうかわかりませんがもう少し詳しい回答まで
過去の業〔種子〕が潜在意識を通じて現在の五感(感じ方や行動)に現れ、また新たな五感を通じての経験が潜在意識を通じて新たな業(種子)になる。という意味が「種子生現行」、「現行薫種子」ですね。
「種子生種子」は、潜在意識や五感を介して業が業を生むという意味であれば理解しやすいですが、直接的に種子(単数または複数)が新たな種子を生むという意味であれば、簡単な説明では意味をなしませんね。
例えば、種子間という言葉を認めれば複数の種子〔業〕を意味しており、「種子生種子」は、複数の種子〔業〕が新たな種子〔業〕を創造するという意味になりますね。
種子が単数であれば単数の種子が変化したり、新たな種子を創造して複数になるということを意味しますね。
表面意識での経験を介さずに新たな種子「業」が創造される可能性があるという意味になりますが、そのようなことはありえないと思いますね。
おそらく、複数の種子(業)が存在する可能性を肯定するために持ってきた論理が「種子生種子」のように思えますね。
実際に、阿頼耶識には複数の種子(業)が存在する故に、その統合意識としての弟9識が必要になるのですね。どの種子が活性化するかだけの問題だと思いますが、統合意識がない8識論では無理やり新しい種子を作る必要に迫られるということでしょうね。
簡単に言えば、複数の私が同時に存在しているが、その中で現状の五感に現れている私が主体的な私であるということですね。例えば、コンピュータで言えば、CPUが弟9意識で、メモリ(阿頼耶識)内の複数の私から1人の私を選んで表面に出しているということなんですね。五感の私は1人であるが心の私(種子または業)は複数存在してますということです。
まあ、結論としては「種子生種子」は説明に無理があるので意味をなさないということですね。
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9識論では8識は記録意識ですから、9識の作用で8識内の記録の書き換えも考えられますね。


8識論では記録意識(阿頼耶識)内にその作用があるといいたいのでしょうね。
それが「種子生種子」の意味でしょう。
8識論では説明に多少の無理がありますね。
仏教では天台宗系の9識論(8識=阿頼耶識=蔵識、9識=阿摩羅識=仏性)での説明のほうがわかりやすいですね。
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