先日はありがとうございました。
また聖書の質問なのですが、イエス様の十字架を代わりに担いだシモンはその後使徒たちの仲間になったのでしょうか。何か伝えられれいる記述などあるのでしょうか。聖書のあの箇所を読むたびに思います。みなさまはどうお考えになりますか?

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A 回答 (4件)

福音書を読み比べて驚きました。


ヨハネ福音書だとキレネ人のシモンは登場すらしていません。

ルカ福音書 田舎から出てきた
マルコ福音書 アレクサンドロとルフォスとの父
マタイ福音書 シモンという名前のキレネ人

キレネはアフリカだそうです。
アレクサンドロとルフォスとの父。。。

とりあえず。

聖書に記述されてないことを考えることになります。。。
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この回答へのお礼

みなさま、ありがとうございました。
ご回答に優劣などつけることはできません。どうしてもポイントをつけなければいけないのでしょうか。人を裁くなとイエス様はおっしゃっています。感謝の意を込めて。
evangel4

お礼日時:2009/06/08 16:40

またまたはじめて聞く話だ。

神話ってのは際限なく膨らむもんだな。

  「兵士たちは」出て行くと、シモンという名前のキレネ人に出会ったので、
  イエスの十字架を「無理に担がせた」。マタイ27:32

  シモンというキレネ人が、田舎から出て来て「通りかかった」ので、
  「兵士たちは」イエスの十字架を「無理に担がせた」。 マルコ15:21

  「人々は」(中略)田舎から出て来たシモンというキレネ人を「捕まえて」、
  十字架を背負わせ、イエスの後ろから「運ばせた」。 ルカ23:26

って、明らかに兵士や野次馬が、嫌がるシモンに無理やり担がせとるじゃないか。
しかも、彼、いわゆる「おのぼりさん」。可愛そうに。

まあ、他人に必要のない善意は売りつけても、他人から義務や慣習を強制されることを毛嫌いする、
いわゆるボランティア=クリスチャンが横行する昨今なのかもしれないが。
神の恵みはしばしば強制的な苦痛としてしょわされるとか、なんかそういう古風で逆説的でクレオパトラみたいなの、
ないんだろうな~。平和だもんなあ。眼が輝いてるもんなあ。きらきら。ちょっと怖いけど。

シモンにしてみれば預かり知らない大迷惑なはず。何処の馬の骨とも知れない極悪人の科刑を肩代わりだろ?
それでも担がざるを得なかったのは、内気でナイーヴな田舎者という以外に、
刑の執行にそれなりの手順があったからだろう。磔刑はローマ式極刑。
汝、ローマにいなくてもローマ人に従へ。



では厳かに福音書を――

らい病人――あ、話の腰をさば折りするけど、今どきの聖書って「らい病」って使ってるの?
そのへんの今日的事情よく知らんけどさ――のシモンと同一人物 説だけど、あんまり賛成できない。
だってそのシモンはベタニヤの住人だろ?ベタニヤはマリヤやマルタの他にゾンビのラザロもいて、
おそらくはイエスの活動拠点&エルサレムへの前線基地となっていた村だけど、

マルコの福音書15:21にはわざわざ
「アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人」って書いてある。
彼の「田舎」って何処のことだ?出身地(あるいは住民登録地)のキレネか?
あるいは出身はキレネだが、住んでいたのはイスラエル国内の田舎ってことか?
そもそもこのひと何人だ?文字通りキレネ人(アフリカ人)か?
それとも、キレネ在住(キレネに住民登録している)ユダヤ人という意味なのか?
この人、ぶっちゃけ海外出生者ちゃうの?(あ、海外は日本人向けか)

仮に(想像力をたくましくして)外国人だったとしたら、
パウロならともかく、教祖イエスはそもそも外国人への癒しには慎重だったはず。
悪霊憑きのカナン人の女が助けてくれとせがんだとき、イエスはひとまずは断ってる。「外国人お断り。」マタイ15:24

キレネ在住のユダヤ人という意味だったとしたら、田舎者シモンは都に何をしに来ていたのか?
イエスが心配で見に来てもいいんだけど、なんせ折悪く過越祭だからね。
もし宗教上の巡礼とか、商売上の買い付けで上京したなら、用を済ませたら帰らなきゃ。
帰る先は、どこか?ベタニヤじゃないだろう。イスラエル国内か?それとも?

――質問者にゴマをするつもりで、
その後のイスラエル国外に同じ名前の信者は出てきてないかな?

  仮説1 ローマ書16:13「主に結ばれている選ばれた者ルフォス、およびその母によろしく。
  彼女はわたしにとっても母なのです。 」のルフォスとシモンの子供ルフォスは同一人物説。

その後、あーだこーだあって一家総出で信者になったシモン一家は、あーだこーだあってローマに移住した。

そうそう、一家の大黒柱が回心して、妻や子供もってよくある話。
イエスの死亡年齢を30前後と仮定して、同程度の体力をもつ同年代の若者シモンははや初老もしくは死亡。
末の子供(ルフォス)はロマ書が書かれる頃は青~壮年期?ばっちりじゃないか。

ただ、「選ばれた」のは子供のルフォスではなく父親のシモンだし、ちょっと飛躍があるなあ。
そもそもアフリカならともかくどういう顛末でローマにいるんだか?

  仮説2 使徒11:20 「彼ら(エルサレムを脱出した人々)の中に
  キプロス島やキレネから来た者がいて(中略)福音を告げ知らせた。」のキレネ人説。

その後、あーだこーだあって、信者になってはみたものの、あーだこーだあって、
まあ、ステファノ殺害かなんかを機にアンティオキアへの都落ちを余儀なくされた。
のちヘレニズム的な国際感覚を生かし、パウロのブレーンとして、ギリシア・ローマ方面への布教に貢献した。

う~ん。田舎者の国際感覚っつーのも、いまいち現実味に欠けるか。

  仮説3 使徒13:1 「アンティオキアでは、(中略)ニゲルと呼ばれるシメオン、
  キレネ人のルキオ(中略)たちがいた。」のキレネ人=シメオン説。

聖書記者らしく、例のごとく、シメオン→シモンと、キレネ人ルキオの名前と出身地を混同?なんちゃって。

そして仮説4 「いや~、まいった、まいった。都じゃとんだとばっちり食っちまった~。都会ったら、おっとろしーところだぁ~」と、
土産話をもって、途中、エルサレム観光なんかもして、名物のカエサル饅頭なんかも買って、田舎に帰り、
その後平穏無事な田園生活で余生を送りましたとさ 説。

・・・などなどが考えられると思う。
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この回答へのお礼

みなさま、ありがとうございました。
ご回答に優劣などつけることはできません。どうしてもポイントをつけなければいけないのでしょうか。人を裁くなとイエス様はおっしゃっています。感謝の意を込めて。
evangel4

お礼日時:2009/06/08 16:40

確か、、、万能の神 なんでも かんでもできちゃう神だとほざく男が、すってんころりん ってしたところにたまたまシモンさんが通りがかって、 「あーーも 軟弱な男だなぁ。

。。 しょうがない そこの男、一緒にかついでやれ。 ちゃっちゃと処刑して帰りたいんだからもぉ」って思ったのかローマ兵に手伝えって言われて、嫌嫌ながらイエスとともに丸太を担いだんだったと思います。

当時の十字架刑において死刑囚は、横木をかつがされたのだそうです。
縦の木は既に処刑場に打ち立ててあり、短い横木だけ死刑囚は担がされていたのだそうです。
従って、木の両端をお互い肩に乗せて「えっさ ほいさ おさるのかごやだほいさっさ」とやれば、重量が半分になり楽チンなのです。

で、思い十字架じゃなくて 実は軽い横木をかつげなくて、手伝ってもらったってことです。
史実にすると 全然 感動的なものじゃないですよねぇ・・・
でも、実際は横木だったんだもん・・・十字架じゃなかったんだもん。


で、もう一度いいますが、これ 創作文学。
イエスってのは太陽のこと。
12月22-24日当たりに太陽が十字星とクロスしてたんです。
だから 太陽が十字架刑になるって物語ができたんです。
しかも これって紀元前何千年も前の神話の内容。
冬至あたりに太陽である神が十字架にかかるってストーリーは、イエス神話が作られるより何千年も前からあり、それがイエス作家によって再度復元されたんです。

12使徒、12星座のことです。
地球が動いていると知らない時代、太陽は12の星座とともに動いていると思われていたんです。
だから太陽は12星座と旅をした→イエスは12使徒と旅をした って物語になったんです。

すいません・・・ でも、事実だからしょうがないでしょ?
あくまで映画や漫画の世界のことで、現実など関心が無いってのなら、、、まあ 創作文学イエス物語ってことで、、、
でも、現実を拒絶して妄想で人生を補完しても結局妄想は妄想でしかない。
何も無いものでは補完できませんよね? 
永遠に埋まらない心の隙間になっちゃいますけど。
その路線だと補完できないので、永遠に苦しむことになりますよ。
おせっかいだけど、目を覚ましましょうよ。
「夢の終わりは現実。」
(新世紀エヴァンゲリオンのレイの言葉)
自分の欲望を裏切って、本来の自分を取り戻してください。
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この回答へのお礼

みなさま、ありがとうございました。
ご回答に優劣などつけることはできません。どうしてもポイントをつけなければいけないのでしょうか。人を裁くなとイエス様はおっしゃっています。感謝の意を込めて。
evangel4

お礼日時:2009/06/08 16:41

こんにちは!



>イエス様の十字架を代わりに担いだシモンはその後使徒たちの仲間になったのでしょうか。

「一説」によると、

あのシモンは、

マルコ14章3節(マタイ26章の6節)のシモンと同一人物であり、

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
3)イエスがベタニヤで、らい病人シモンの家にいて、食卓についておられたとき、ひとりの女が、非常に高価で純粋なナルドの香油が入れてある石膏のつぼを持ってきて、それをこわし、香油をイエスの頭に注ぎかけた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

このシモンはイエスにらい病を治して貰った事があり、

マルコ1章40~42節

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
40)ひとりのらい病人が、イエスのところに願いにきて、ひざまずいて言った、「みこころでしたら、きよめていただけるのですが」。
41)イエスは深くあわれみ、手を伸ばして彼にさわり、「そうしてあげよう、きよくなれ」と言われた。
42)すると、らい病が直ちに去って、その人はきよくなった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

それを恩義に感じていた為にイエス一向を家に招いたりしていたと言われています。

十字架刑になった時も心配になって、見に来た所、イエスが十字架を背負うのに苦労していたので、変わりに担ぐことにしたのではないかと言われています。

ご参考までに

この回答への補足

こんにちは

ご回答ありがとうございました。おもしろいですね。「みこころでしたら」とイエス様にすがったあの男性がシモンでその恩を感じてあの場面に現れたわけですね。はじめてそういう読み方に接しました。
わたしはベタニヤの挿話はラザロと重ねて読んでいますので、ちょっと意外ですが、関連付けは面白いと思います。いろいろな方からお話をお聞きするのは楽しいですね。またよろしくお願いいたします。

補足日時:2009/05/27 20:27
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この回答へのお礼

みなさま、ありがとうございました。
ご回答に優劣などつけることはできません。どうしてもポイントをつけなければいけないのでしょうか。人を裁くなとイエス様はおっしゃっています。感謝の意を込めて。
evangel4

お礼日時:2009/06/08 16:42

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Aベストアンサー

 ラテン十字架は、6世紀位になると宗教芸術に登場しますので、それ以前から有ったのは間違いないかと…。
 (3世紀のキリスト教会の神父であったミヌキウス・フェリクスが、キリスト教徒たちがラテン十字架を崇拝することに憤慨[異教徒の真似などするなという事]したなんて話もある…。)

 八端十字架は、ロシア系の正教会のみで用いられる物(ギリシャ正教会では用いない)ですから、彼ら固有の十字架と言っていいのでは…。
 (ルーシーへの布教が記録に出てくるのは、9~10世紀ですから、八端十字架がロシア正教で用いられるのはそれ以降でしょうね…。)

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よろしくお願いします。

Aベストアンサー

取り合えず、カトリック的な一般論ですが、参考程度に。

イエス・キリストの十字架上の死と復活の意義ですが、これは通常、「原罪」と「最後の審判」とが関連付けられていると思います。

「原罪」とは、旧約聖書のアダムとエヴァがサタンにそそのかされ、絶対食べてはならないとする「知恵の実」を食べた事から「楽園を追放」されたエピソードからきています。
つまり、人類の祖先であるアダムとエヴァの犯した罪(原罪)が、子々孫々である我々人類に未だに受け継がれていると考えられました。
十字架上でイエスが死ぬときに、「父よ、彼らをお赦し下さい。自分が何をしているのか知らないのです」(ルカ23:34)との記述から、

>(1) 罪の赦し、

しかし、イエスが十字架上でそのまま死んだ事が

>罪の裁き

となります。
つまり、イエスは「彼ら=群衆」の身代わりとして罪の裁きを受けられた。
これが、(1)の意味ですね。

次に、(2)罪の克服は、イエスが身代わりとなって十字架上で死んだ事で、「原罪」が赦されたとする教義ですね。
ただ、これには賛否両論があるようですが。

(3)は、「最後の審判」の時、罪の許された者は、(肉体をまとって)復活し天国へと上げられるという教義を、イエスが復活して(肉体をもって天国に行った事を)見せたことで、神によるデモンストレーションと考えられています。

>また、「十字架の意義」とは別項目の「復活の意味」という項目のところでに「イエスの死は完全な死であり、仮死状態からの復活ではない。イエスは『永遠の滅びの死』を死なれた」と書いてあるのですが、「『永遠の死』を死なれた」とは上の(3)にある「永遠の死から解放された」ということと同義なのでしょうか?

そう考えて、良いかと思います。
「永遠の国」あるいは「神の国」というのはが、神が人間に約束した地であり、それは「あの世」でもあります。
赦されないほどの罪を犯した者は、永遠に地獄で苦しめられ、軽い罪なら煉獄で清められてから「最後の審判」の時に復活する者と地獄に堕ちる者が振り分けられる。
天国にいる者は、そのまま肉体を持って復活します。
そして、「肉体をまとったまま、神の国で永遠の命を得」ます。
おおよそ、こんな感じかと思います。

※当然、宗派や神学者等によって解釈はかわりますが。

取り合えず、カトリック的な一般論ですが、参考程度に。

イエス・キリストの十字架上の死と復活の意義ですが、これは通常、「原罪」と「最後の審判」とが関連付けられていると思います。

「原罪」とは、旧約聖書のアダムとエヴァがサタンにそそのかされ、絶対食べてはならないとする「知恵の実」を食べた事から「楽園を追放」されたエピソードからきています。
つまり、人類の祖先であるアダムとエヴァの犯した罪(原罪)が、子々孫々である我々人類に未だに受け継がれていると考えられました。
十字架上...続きを読む

Q十字架はなぜ赤い?

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何故赤なのでしょうか?
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それとも宗派の違いで色が違うのでしょうか?
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Aベストアンサー

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そのため、十字架に血は付き物で、赤い十字架(のネオン)が多いのだと思います。

尚、カトリックの場合は、リアルなキリスト像が十字架に付いていることが多く、赤い十字架はプロテスタントに多いように思います。

Qなぜイエスは12人の使徒に対してサマリア人の町へ行くなといったの?

そのあと自分で行ってますよね。
どうしてですか。

Aベストアンサー

これは初めてイエスなしで使徒が伝道をするときの注意事項の一つです。
サマリアなど異邦人には「まだ」するな、ということです。ほかに、服装、準備するもの、心得などいろいろ注意事項を言っています。
実際、イエスといっしょなら使徒達は異邦人の地への伝道には行っています。自分たちだけではまだだということです。
イエスによっての派遣ということは、イエスの権威の代理人であり、能力、権利を得ますが責任も伴います。まだ、彼らはイエスの責任や自己犠牲などまだ理解していないことがたくさんあったので、より困難なサマリア、異邦人の地はまだ時期尚早なわけです。使徒達だけの本格的サマリア伝道はイエス昇天後です。
メシア復活を伝道しますが、それは当然メシア(イエス)が復活したあとです。イエスのこの指示のときは、「神の国が近づいた」というのを知らせる伝道です。異なっています。そういうことも踏まえたうえでサマリア伝道は、当時は時期尚早という判断をされたわけです。

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Aベストアンサー

キリストは「私に従いたい者は自分の十字架を背負ってついてくるがよい」と弟子たちに言ったそうです。
そして今、十字架を首からさげる者は多いが、背負う者は少ないそうです(皮肉な意見でスイマセン)

クリスチャンが十字架を飾ったり、身に付けるのはキリストが(本来罪人が処刑される道具としての)十字架で処刑された事によって自分を含む全人類の罪の身代わりになってくれた、という信仰を忘れないためです。しかもキリストは復活してますので、質問者さんのように目にしたくない、訳ではないのですね。

ちなみに、江戸末期から明治初期に海外に視察に行った人の教会の感想:西洋の寺は死刑場のようだ、磔(はりつけ)台を正面に飾っておる(!)
もう一つ補足:キリストが十字架で殺された罪状はローマ帝国に対する反逆罪としてです。(当時のユダヤ人社会での死刑は石打刑といって石を投げて殺すものでした。だからキリストがそっちの刑で死んでいたら今頃世界中の教会は石を屋根に飾っていたかもしれません)
さらにもう一つ補足:#5さんの回答にもありましたが古代社会において+マークは呪術的なシンボルマークとして使われていました。世界の中心を意味する物としての意味です。

キリストは「私に従いたい者は自分の十字架を背負ってついてくるがよい」と弟子たちに言ったそうです。
そして今、十字架を首からさげる者は多いが、背負う者は少ないそうです(皮肉な意見でスイマセン)

クリスチャンが十字架を飾ったり、身に付けるのはキリストが(本来罪人が処刑される道具としての)十字架で処刑された事によって自分を含む全人類の罪の身代わりになってくれた、という信仰を忘れないためです。しかもキリストは復活してますので、質問者さんのように目にしたくない、訳ではないのですね...続きを読む

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Aベストアンサー

参考まで
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難しいことは分からないのですが僕が理解できそうなところでは、例えば、新約聖書マタイによる福音書5章(参考URL)に書いてあるイエスが言ったことに関して考えてみても、神様の期待にかなう「清い人」にはなれなさそうです。さらに、新約聖書ローマ人への手紙3章10-18節やそこで参照されている旧約聖書の箇所に書いてあることを読むと、完全に清い人はいないのではないかと思います。

> それとも、キリストは自分が十字架にかけられることを前提に…

旧約聖書を読むと、イエスが生まれる前の時代を生きた人たちも、いつか神様がどうにかしてくれるという神様の約束に望みをおいていたように僕にはみえます。新約聖書ヘブライ人への手紙11章には、旧約聖書の時代を生きた人たちの信仰が書かれているのですが、この箇所や他の箇所に書いてあることを見ると、イエスが神様の約束した人だったと聖書には書いてあるのだと僕は考えます。

イエス自身はその神様の計画を知っていたことが、例えば、ヨハネによる福音書12章1-8節や16章25-28節他から伺われるのですが、さらに17章などにあるように、自らの意思で、他の人たちのために、神様の当初の計画に従ったことがわかり、そこがすごいところのように思います。

日本では実際にそれを読んでいる人は少ないかもしれませんが、世界中の多くの人に影響を与えた聖書を(全部読むと長いのですが、少しづつであっても)自分で実際に読んで考えてみることは有用ではないかと考えています。

参考URL:http://www.kidok.info/BIBLE/cgi/biblevlist.php?VR=6&FR=H

> 清い人でも天国に行けないのでしょうか?

難しいことは分からないのですが僕が理解できそうなところでは、例えば、新約聖書マタイによる福音書5章(参考URL)に書いてあるイエスが言ったことに関して考えてみても、神様の期待にかなう「清い人」にはなれなさそうです。さらに、新約聖書ローマ人への手紙3章10-18節やそこで参照されている旧約聖書の箇所に書いてあることを読むと、完全に清い人はいないのではないかと思います。

> それとも、キリストは自分が十字架にかけられることを前提に…

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Qイエス・キリストが三日目によみがえるということが、明確に旧約聖書に預言

イエス・キリストが三日目によみがえるということが、明確に旧約聖書に預言されているところはありますか?
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Aベストアンサー

新約聖書共観福音書の中で一番古いとされるマルコによる福音書8章の31節に、
イエス、死と復活を予告するという個所があります。聖書には大抵引照がついていて、
旧約に予言されているならばその個所が引照についていますが、

それが無いのでイエスご自身の言葉だと思います。聖書に出てくる数字は、
例えば40日間の試練も長さを表しているだけで、正確な日数ではないと、
教えられたと思います。3日もイエスがそのように予告されたのですから、
それで良いと思います。
マタイ16章21~28 ルカ9章22~27


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