先ほど、自殺についての過去の記事をいくつか読みました。
その中で引っかかった点がありました。

既出であるかもしれない議題ですがどうか回答よろしくお願いします。ご意見が聞きたいです。

自殺をする人間=弱い という考えについて皆さんはどう思われますか。

私は弱いとは思いません、でも強いとも思いません。
私の考えがあった訳では無いのですが、自殺するのは弱いから~ のような意見を見ると、どうにも納得できず、憤りを感じます。

自殺を決心するほどの状況に追い込まれた人間に、そしてこの世を去った人間を「弱い」や「馬鹿」などと決めつけるのは間違っていると思います。でも「強い」「偉い」も違うのは明らかです。

私は何も決めつける事は無いと思います、つらい気持ち故に自ら命を絶った人間が、なぜ死後にまでそのように決め付けられなければいけないのでしょう。同じ人としてかけられる言葉は「今までよく頑張った」や「もう休んでいいんだよ」等では無いでしょうか、これは私の自己満足なのでしょうか。

原因としてはいじめ、社会での苦痛、人間関係、他いろいろあるかと思います。
どうか回答よろしくお願いします。

A 回答 (17件中1~10件)

>自殺をする人間=弱い



欧米文化の影響を受け、キリスト教思考も広まった近代社会においてはこの考え方を建前としておけば格好がつくと考える方が多いと思います。

しかし、日本人は本来「潔さ」の極みである自殺を好む傾向が強いので深層心理の中では必ずしも「弱い」とは感じてないのではないでしょうか。

赤穂浪士、白虎隊、武市半平太を代表とする幕末の志士達、神風特攻隊と日本人が好きな自殺話を挙げれば枚挙にいとまがないでしょう。
(特攻隊は好き嫌いがはっきり分かれると思いますが。)

それは昔の話だという声も有りそうなので卑近な例も挙げておきます。

「このラオウ、天に帰るに人の手は借りぬ。我が生涯に一片の悔い無し!」
大ヒットマンガ『北斗の拳』の副主人公というべきラオウの最期の台詞です。
台詞の通りこの直後ラオウは自らの手で命を絶ちます。
当時、この台詞に多くの男性が共感し憧れを持ったことはそれほど昔の話ではありません。

上記の例から「弱い」人間像が思い浮かぶ方は少ないでしょう。

ただ、ここのような相談サイトで自殺志願者に自殺を肯定、美化する回答は多くの方はできないし、するべきではないと考えます。

ネット上とはいえ目の前で命を絶とうとしている(そう思われる)方がいれば誰もがなんとか引き止めたくなるのではないでしょうか。
そこでよく使われるのが「自殺をする人間=弱い」の図式でしょう。
説得に力が入るあまり死者への尊厳といったものが欠けてしまうことも想像できますし、私がその場の回答者であれば私もやってしまう可能性は十分に想像できます。

私にはご質問者さんの憤りも、一つの命を救うことに懸命になるが故にやってしまう回答者の失敗も理解する事ができます。

まとまりがなく分かりにくい回答ですみません。

余談というか、ちょっと本題にも関わりますが私は「前向きな自殺」もあると考えています。
「空腹の人には食事が。眠そうな人にはベッドが。そして死にかけている人には死が必要なのです。」
以前読んだ詩集にあった一文。

勿論、誰かを不幸にする身勝手な自殺なら私も否定論者です。
ただ、哀しみを超える幸せを誰かに残せる自殺もあるのではないかと・・・。
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この回答へのお礼

北斗の拳ですか、私も読んでました。

まずはご回答ありがとうございます。

そして共感を得てくださった事にも感謝します。

実際他の回答者様のご意見も非常にわかるのですが、やはり納得出来ない自分がいます。

死者への尊厳ですか、それは確かにあるかもしれませんね。

幸せを与える自殺はもしかしたらあるかもしれません、いえ、むしろ現代にも溢れているとは思います、しかしそれを幸せと感じる人間は間違いであると思います。必ず悲しむ人間はいます。

ご回答者様の言う悲しみっを超えた幸せを与える自殺では無いですね、上記の自殺は。

私こそわかりにくい返事で申し訳ないです。

補足ですが私は自殺を肯定する意味で質問をしているわけではありませんのでご理解お願いします(回答者様もそのようなお気持ちで書き込んだわけでは無いとは思いますが^^;

とにかく回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/05/27 23:48

早く死ぬのは良い人間。

と相場が決まっています。

だからこそ、そのように言う人が多いのでは?
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自殺は、「逃げ」です。

自身の苦痛から逃げているだけで、周りの悲しみや、苦痛を考えない非常識です。自分だけが苦しんでいるのではない。他にも、苦しくとも生きている人はたくさんいます。
私は、苦痛は神から、与えられた試練と思い、乗り越えてこそ、魂の成長につながると信じています。
死んだら、楽。生きているのは辛い。自殺を考えたこともありますが、生きているだけでいいといってくれるひともいます。死は、神に認められた人にくると考えます。生かされているのです。
ですから、「死刑」というのはどうか?とも思います。これから、裁判員制度も始まりますが、人を裁くと言うことは、私にはできません。死んで償いができるとは思いません。生きている苦しみのほうが、辛いと考えます。
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私はバカな人間だと思います、死後の嫌がらせがいやなら生きて勝負しろといいますよ、私も一度は考えましたでも死なないでよかったと思って

います
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大学生です。

一昨年に父が自殺しました。

僕は自殺する人はある意味では弱く、馬鹿なんだと思いますよ。父の場合は、多額の借財や家族関係が原因でしたが、統計的にも自殺者は男性が多いんです。男性はほとんどの場合、家族を持つと「家を守らねば」という強迫観念のようなものに追われます。それが何かのきっかけで失敗(リストラや借金)すると挫折感から自殺する、ということが指摘されています。
そのあとが問題ですよね。残された遺族はかなりの負担を強いられます。父親が自殺したことによって生活が崩壊した方もいます。自殺を大昔の切腹のように捉えれば潔いと思われるかも知れませんが、自殺によって遺族は守れないんですよ。やはり弱いんだと思います。

あえて馬鹿といったのは、ある裁判が頭の中にあるからです。質問者様は、生活に窮乏し、母親を殺した殺人犯の事件を覚えてますでしょうか?2年くらい前だったと思いますが、被告人は生活が窮乏し、母親の介護もままならなくなり、最後の財産で買った母親の好きなアンパンをふたりで分けて「あの世に行っても母ちゃんの息子でいたい…」と母親を殺し、自分も自殺しようとしました。でも、死に切れず、裁判にかけられました。

本当は、生活保護だって受けられるし、知恵があればお金の問題を乗り越える方法はいくらでもあったんだと思います。こういうケースは結構あります。中には140万円の借金が返せなくて自殺を選んだ人もいます。そんなのは簡裁で扱ってくれる訴額レベルですし、知恵がなかった=馬鹿だった結果なんだと思います。

もちろん、生活保護や法的救済方法を周知させようともせず、「自殺者3万人超え」みたいに数字の上げ下げばかりしてる行政も馬鹿だと思いますよ。

少なくとも自殺者遺族の立場から言わせて頂くと、自殺者が減ってくれることを願ってやみませんが、生きる知恵を身につけることも必要だと思いますね。
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自殺の後始末って大変ですよ。


鉄道の飛び込みなんか賠償金がものすごいと聞きます。
賃貸物件でやらかせば保障問題も出てきます。
負債があれば保証人だって大迷惑です。
交通死亡事故事故で億単位になることを考えれば遺族に対してそれに準ずる損失を与えたことになります。

当事者を貶めるのが正しいとは思いませんが弱いと表現することが貶めているとは思いません。
近しい人なら当事者を弱いと決めつけるというよりは思いとどまるだけの強さが欲しかったというのが本音でそこに思い留まらせるのに役に立てなかった思いが加われば弱いという表現を使ってしまう面はあると思います。それを責められますか?
当事者と関係の無い人でも自分に関係がある人が自殺することを考えれば同じように思い留まるだけの強さを望みますのでやってしまった人を弱いと表現することを止める気にはなれません。
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そうですね。

弱い気も、馬鹿な気もしますが。
現実に、私はしくじって生き延びているんだから、私よりも強くて、利口なのかも知れませんね、やり遂げた分。
なので、大した事は言えませんが、只一つこれは言えます。
卑怯なのは確かです。
卑怯という言葉が不適切だとしても、反則というか、ルール違反なのは確かです。
私も卑怯な振る舞いをしようとした点で謗られるのは仕方ありませんが、試合を途中で投げ出す人をほめる事は出来ません。
こんな回答で良かったでしょうか?

この回答への補足

補足です、申し訳ありません。

私は死後に「もう休んでいいんだよ」と言いたいと思ってしまうのです。

間違っても今死のうとしている人間に対して言いたいのではありません。

わかりにくい質問者でごめんなさい。

補足日時:2009/05/27 23:52
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この回答へのお礼

どのような回答であれば良いと言う物ではありません、皆様の意見が聞きたかったのです。

まずは回答ありがとうございます。

強いとは思いません、どうであると肯定する時点で間違っていると思うのです。でもそれでも言うなら、と思った時は私は質問の内容にあるような言葉をかけてあげたくて仕方ありません。

反則であるのは事実です、しかしそれが今ではある種常識となってしまっているのも事実です。

褒めるという意味では無いのですが、なんと言うのでしょう、哀れみを少しでも持ってほしいと思ってしまいます。

回答本当にありがとうございました。

お礼日時:2009/05/27 23:52

意見は自由な時代でも、簡単に一言で済ませられない事柄だと思います。


昔々、まだまだ若かった頃、試みた事があります。直前に救われ、未遂に終わりました…。
で、感じた事は、やはり勇気が要るということ。

あれから随分年月を経て、すっかり人間が枯れ(疲れ)果てました。
今、あの頃と同じ事を想像するだけでも、怖いです。
出来ません。多分きっと。
年齢(精神及び肉体)が若く、自分の身辺の事柄や所持物に未練を持たないような清らかな精神状態でこそ、何の迷いも無く自らの身を死へ連れ立つ事が出来るのだと、そう感じます。

自殺を「逃げ」と言う方がいると思います。
今の私から言わせれば「死ぬ勇気が有るなら生きられる」とも思います。
死ぬ時の勇気ときたら、私においては覚悟が定まらなかったから?か解りませんが…よほど、だらだら生きる方がナンボか楽ですわ。
たとえ生き地獄であろうが、周囲に生きていて欲しいと願う人が存在する以上、その人には生き続ける義務が有ると思います。

経験上、自分の身を自分が積み重ねた全てを、可愛い自分自身を、自らの手で殺す事、抹殺する事は「相当な覚悟が要る事」です。
ですから、自殺を選んだ人を一方的に弱い者と決める事は私には出来ません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

短時間にこれほどの回答が来るとは思いませんでした、驚いています。

同じ考えの方、とは思いません。少なくとも私と貴方の考え方は違うと思うからです。

一方的に弱いと決めつける事は私にも出来ません、その点では同じであると思います。

しかし私よりも考えが深く、自分を未熟者であると知りました。

本当にご回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/05/27 23:36

>自殺するのは弱いから~ のような意見を見ると、どうにも納得できず、憤りを感じます


弱いという解釈ですが、人間は誰しも困難にぶつかります。
困難の種類はともかく、どうもならない位の困難に出会うことがあります。
それに対して、何らかの方法を見つけ出して立ち向かうか、諦めるか逃避して決別するか、だと思います。
後者の方法のひとつが自殺ですが、“諦め”“逃避”と受け止められるので「弱い人間」となるのではないでしょうか?
それともうひとつ、私の両親はガンで亡くなりました。
人生半ばで、まだやりたいことが沢山あったと思うのに、亡くなってしまいました。
必死に生きようともがいている人、かすかな望みに賭けて何とか延命しようと思っている人を尻目に、“さっさと自ら死んでしまう人”を見るにつけ、「何をやってるんだ?」と思ってしまいます。
そういう病と必死に闘っている人の辛さから考えたら、どれほどのものかと?
そう思うのです。
昔、私の高校の同級生も自殺で亡くなりました。
大学を7年留年した末の自殺でした。
恐らく、他の同級生はとっくに卒業して就職してやっているのに自分だけ留年してると・・・
そういう悲壮感からの自殺だということは容易に想像できます。
残念ながら彼には「頑張った」という言葉は見つかりません。
「いくじなし」・・・
それしかありません。
葬儀の日、お姉さんが泣き崩れていました。
家族を不幸にして一体何を頑張ったのだろうか?
大学を中退しようが、生きていればいつかは親に孫の顔を見せることができたかも知れません。
そういう家族のささやかなわがままも許さずに逝ってしまった。
ばか者ですね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

読ませていただきました、人生の先輩として考え方、経験ともに自分よりも遥かに上を行っている方だと思いました、このような質問自体馬鹿げているような気がしてなりません。

しかし引っ掛かりはやはりありました、「家族を不幸にして一体何を頑張ったのだろうか?」を読んだ時に「?」と感じてしまったのです。本当にごめんなさい。

残されたご家族のお気持ちもお察しします、何よりも残される人間は辛いものです。

しかしご家族が辛い思いをする前、生前の貴方の同級生は辛くなかったのでしょうか、笑いながら楽しみながら死んだのでしょうか。

少なくとも私はばか者とは思いません、馬鹿な人間が自殺を考えるのでしょうか、真面目で自分で抱え込んでしまう人間こそ自殺をしてしまう者なのでは無いでしょうか。

何も考えず生きているギャルや不良は馬鹿では無く、自ら命を絶つ真面目な人間は馬鹿なのでしょうか。

自分の世界観でお礼を書いてしまい申し訳無いです、しかし私はどうしようも無くそう思ってしまいます。

こんな質問者でごめんなさい。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/05/27 23:26

いや、馬鹿と言いますか、あさはかであることは間違いないと思います。


現実に耐えられないから自殺という手段を取るのでしょうが、死後の世界が今よりマシである保証はどこにもありません。

死んでからもっと辛い状況に身を置くことになる可能性は、十分過ぎるほどあるのに。

私でしたら、自殺を検討するのは死後の世界の状況が解明されてからにしますけど。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

違った視点からの回答で、とても参考になりました。

あさはかであるのは確かではあると思います、しかし実際に死を考える人間に自分を客観視する余裕は無いと思うのです。(客観視しすぎて死ぬ場合が多いのですが・・・

とにかく回答ありがとうございました、参考にします。

お礼日時:2009/05/27 23:06

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