いつもお世話になっております
「と」の使い方について質問です。辞書では「二つの動作・作用がほとんど同時に、または継起的に起こる意を表す」と書いてありました
「挨拶を終えるといすに腰を下ろした」と「玄関を開けると子供が迎えに出てきた」ですこの文章の「と」を「たら」に置き換えたらニュアンスは変わりますか?私が考える「と」のニュアンスはその動作が起こるのは当然である。という感じです「ボタンを押すと切符が出る」のような文章です。私が間違っているのでしょうか。私が考える「と」のニュアンスでは意味が当てはまらない文章が多いです。どうか教えてくださいよろしくお願いします

A 回答 (5件)

個人的感覚でしかお答えできませんが。



「と」は、辞書に書いてあったように、
「二つの動作・作用がほとんど同時に、または継起的に起こる意を表す」
ですが、
単純に「同時的・継続的な時系列の動作・作用」と考えてよいと思います。

一方、「たら」の作用は、
「仮定」または「ある動作が完了後の継続を表す」だと思います。
後者の作用には、おっしゃるところの、
「>その動作が起こるのは当然である」
というニュアンスが多少あるのでしょう。
「当然」というよりは、
『因果関係、あるいは何らかの関連性』が濃厚である、といったところでしょうか。

1、
「挨拶を終えると椅子に腰を下ろした」は、
「挨拶を終えた」→「椅子に腰を下ろした」という単純な時系列の動作を描写しています。

それに対して、
「挨拶を終えたら椅子に腰を下ろした」は、
「挨拶を終える」と「椅子に腰を下ろした」の間になんらかの因果関係が示唆されているような気がします。
たとえば次のようなシチュエーションです。
『いつもは決して椅子に座らない彼であったが、退院直後でとても疲れていたのだろう。
あの時ばかりは、挨拶を終えたらいすに腰を下ろした』
それで、
「挨拶を終えた」→「とても疲れていたので」→「椅子に腰を下ろした」というニュアンスが込められている。

2、
「玄関を開けると子供が迎えに出てきた」は、
「玄関を開ける」→「殆んど同時に子供が迎えに出てきた」という単純な時系列的描写。

それに対して
「玄関を開けたら子供が迎えに出てきた」は、
「玄関を開ける」と「子供が迎えに出てきた」の間になんらかの関連性が示唆されているような気がします。
たとえば次のようなシチュエーションです。
『今日はクリスマスイブである。子供から何回もケーキを忘れないで買ってくるように催促の電話があった。
しかし、仕事の都合で帰るのが大幅に遅くなってしまった。忘れずにケーキを買って急いで家に帰った。玄関を開けたら子供が迎えに出てきた』
それで、
「玄関を開ける」→「私が帰るのを待ちかねていたのだろうと思う」→「殆んど同時に子供が迎えに出てきた」というニュアンスが意図されている。

3、
「ボタンを押すと切符が出る」は、
「そういう仕組みになっている」あるいは、
「いつもそうなる」というようなニュアンスになるでしょう。
この場合は、「>その動作が起こるのは当然である」というニュアンスを持っていると思います。
しかし、これは「と」の作用と言うよりは、
「出てきた」や「出た」ではなく、「出る」という現在形になっているためでしょう。


「ボタンを押すと切符が出てきた」は、単純な時系列的描写。

「ボタンを押したら切符が出てきた」は、典型的な因果関係の表現になると思います。
 

この回答への補足

「と」と「たら」は理解できたのですが、この例のように「お祭りと言ったら露店ですが」を「お祭りと言えば露店ですが」に置き換えることができると思いますが、ニュアンスの違いはあるのでしょうか?

補足日時:2009/05/31 15:14
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この回答へのお礼

「と」「たら」ははっきりした違いがありますね。すごく理解しやすい回答でした。回答ありがとうございます。^^

お礼日時:2009/06/02 14:03

#4です。



>「たら」は書き言葉では絶対用いられないのでしょうか?
:そんなことはないと思いますよ。
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#2です。



>「お祭りと言ったら露店ですが」を「お祭りと言えば露店ですが」に置き換えることができると思いますが、ニュアンスの違いはあるのでしょうか?
:個人的には、
前者は「明るい・快活」
後者は「落ち着き・冷静」
という印象を受けるような気がします。
前者は書き言葉としてはあまり使われないかもしれません。
 

この回答への補足

回答ありがとうございます。^^「たら」について調べたところどこかのサイトで「~たら」は話しことばのみで、書きことばでは用いられません。」と書いてありました。「たら」は書き言葉では絶対用いられないのでしょうか?見た覚えはあるのですが、どう思われますか?

補足日時:2009/05/31 19:35
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「挨拶を終えるといすに腰を下ろした」


「玄関を開けると子供が迎えに出てきた」
「ボタンを押すと切符が出る」

 どの文も2つの動作/状態が並記されています。両者のテンスや条件関係、仮定や既定を取り去って、動作/状態だけを並べると次のようになります。
 P:挨拶を終える Q:いすに腰を下ろす
 P:玄関を開ける Q:子供が迎えに出る
 P:ボタンを押す Q:切符が出る
 いずれも、Pが成立してから Qが成立し、Pが成立しないと Qは成立しませんから、条件文を構成しています。
 仮定条件文は、もしPが成立したならば Qが成立するだろう、と叙述します。
  もし「P:ボタンを押し」たならば きっと「Q:切符が出る」であろう。
 既定条件文は、Pが成立した結果 Qが成立した、と叙述します。
  「P:ボタンを押し」たので 「Q:切符が出」た。
 仮想条件文は、Pが成立しなかったので Qが成立しなかったが、もしPが成立していたならば Qが成立していただろう、と叙述します。
  もし「P:ボタンを押し」ていたならば 「Q:切符が出」ていたのに……
 古典文では次のようになります。
  仮定条件文 ボタン押さば 切符いでむ
  既定条件文 ボタン押せば 切符いでたり
  仮想条件文 ボタン押さましかば 切符いでまし
 「ボタン押さば 切符いでむ」を現代語に直訳すると「ボタンを押せば 切符がでるだろう」となります。古典では既定条件だったものが、現代では仮定条件にも使われるようになっています。
 別の基準で並べてみましょう。

 ボタン押さば切符いでむ      (ボタンを押せば切符が出るだろう)
 ボタン押したらば切符いでてむ   (ボタンを押したら切符が出ちゃうだろう)
 ボタン押したるならば切符いでなむ (ボタンを押したなら切符が出ちまうだろう)
 ボタン押せば切符いでたり     (ボタンを押すと切符が出た)
 ボタン押したれば切符いでけり   (ボタンを押したら切符が出ちゃった)
 ボタン押したるなれば切符いでにけり(ボタンを押したので切符が出ちまった)

 つまり現代語では、「押すと」だから既定、「押せば」「押したら」だから仮定、と語形によって一方的に決めるわけにはいかないようです。
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この回答へのお礼

例文凄く参考になりました。回答ありがとうございます。^^

お礼日時:2009/06/02 14:01

辞書の定義はうまく言ったものだと思います。


「挨拶を終えるといすに腰を下ろした」の「と」を「たら」にかえると、ニュアンスが変るというより、そういう文はあり得ないのではないでしょうか。
「挨拶が終わったのなら、さっさと座りなさい」という文ならありえるとは思いますけれども。
次の「玄関を開けると子供が迎えに出てきた」の場合は、「たら」の方が口語的になり、不自然ではないと思います。意味は変らないです。
「と」と「その動作が起こるのは当然である」というのは、いかがでしょうか。
「玄関を開けると子供が迎えに出てきた」が「当然」とはいえないのではないでしょうか (たまたま子供がいたのかもしれない)。
「玄関を開けると子供が迎えに出てきた」でなくて「玄関を開けると強盗がぬっと出てきた」に置き換えても文は成り立つわけですが、「強盗」が出てくるのが「当然」かどうか・・・
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。^^

お礼日時:2009/06/02 14:00

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