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私は西洋哲学(主に分析哲学)や仏教哲学(インド・チベット中観思想、唯識思想、日本仏教思想、西田哲学)に興味を持っており、その両者を比較して研究することにも関心があります。
そこで次の2点について質問します。
1比較思想を行っている有名な学者さんはどのような方がいらっしゃるでしょうか?
2また比較思想の学科を置いている大学はどのようなところがあるでしょうか
何卒、ご回答よろしくお願いします。

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A 回答 (4件)

参考意見です。


 最初に注意しておきたいのは、安易に比較研究をしようとすると多くは薄っぺらな結果しか出てきません。これを行えるのは、実力のある学者か、天才だけです。
 とはいえ、普通の東洋思想の研究者は、西洋思想の中の自らの研究領域に似ている分野に関する知識は最低限もっています。現代は西洋人の研究者と交流することが多いので、東洋思想だけやって、西洋思想は知らないでは済まされない時代になっているからであり、なにより比較によってその思想が鮮明になるからです。
 例えば、唯識を学ぶのであればカント哲学のあたりは当然勉強していますし、道教を研究するならばキリスト教の知識は必須です(そして道教とキリスト教は驚くほど似ていることがわかる)。
 日本では何故か西洋思想研究が人気で、東洋思想研究は閑古鳥状態なので良質な学者が少なく、世間で売っている東洋思想に関する書物の大半は嘘つきだと思ってください。故に私は東洋思想を主軸にして研究を進めてゆくことを勧めます。
 
 比較思想研究を試みている人は多く、仏教学者では中村元、三枝充悳の名が挙がりますが、やはり井筒俊彦の著作は必読です。

 比較思想といったら京都学派の名が挙がりますが、問題も多いです。ハイデガーを禅の用語を使って訳してますが(『時と有』・・・。
 研究は基本的に原典の読み込みから出発しますので、文献学をしっかりと学べる大学が宜しいと思われます(以外に文献を読めない人が多く、特に仏教関係の読みはデタラメで、まともに読めている人はほんの一握りしかいません)。
 
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ネットで「東洋思想・西洋思想」と検索しただけでも


=====
東洋思想と西洋思想―比較思想序論 (1969年) [古書] (-)
三枝 充悳 (著)

西洋の哲学・東洋の思想
著者/訳者名 小坂国継/著
出版社名 講談社 (ISBN:978-4-06-214851-1)
発行年月 2008年07月

比較思想論 (岩波全書セレクション[I]) (単行本)
中村 元 (著)
=====
といった書物がでてきます。

また、最後に提示させていただいた書籍に関連して「比較思想学会」http://www.jacp.org/というのが発足しているようです。

>>>比較思想学会の「会長挨拶」より抜粋
 比較思想学会(学会の英文名:Japanese Association for Comparative Philosophy)は、1974(昭和49)年に、故中村元名誉会長(東京大学名誉教授、東方学院長、インド学・仏教学の世界的権威)を中心とする人たちによって成立しました。全国学会として、現在約1000名の会員を擁し、30余年の歴史と実績を積み重ねて来ています。

 比較思想とは、既成の学問分野に固定することなく、種々の方法を駆使して、とりわけ、東西比較を行うという、いわゆる学際的研究を目指しています。こうすることで、思想の相違性・類似性を理解し、自分自身の真の思想把握に至るとするものであります。

 本学会の歴代会長は、中村元名誉会長をはじめ、玉城康四郎(仏教学)、峰島旭雄(2期、西洋哲学、比較思想)、田丸徳善(宗教学)、小山宙丸(西洋哲学)、吉田宏晢(2期、仏教学、比較思想)の各先生が就任されています。
<<<

まずは、これらの書物を読むか、上記学会の出版物に目を通し、ご自身の興味のあるところを専門にされておられる方を探されるのがよろしいかと存じます。
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西洋の思想は左脳に在る人格「自我意識」による思想と言えます。

それに対して東洋の思想は右脳に在る人格「仏性」による思想と言えます。「仏性」は自我意識がない時に現れています。捉えどころが在りません、そのために「無」と言う表し方しか出来ません。

従って西洋の思想は「自我意識」の主張を強く主張しています。東洋の思想は「無」から出発していますので主張するところが、はっきりとは書く事が出来ません。何故ならば「右脳」には言葉がないからです。言葉のない世界で書かれたものが「禅問答」と言うものです。

従って「禅」と言う世界は右脳が主導権をもって左脳の自我意識がそれに従っている世界の事です。ですから是は言葉では表せない世界です。「以心伝心」或いは「教外別伝」といって「教える事が出来ない教え」という言い方もできます。

お釈迦さまが人生の悩みを抱えて出家して、自我意識では解けない問題を、仏性と出会ってその悩みを解消した事にその源が在ります。自我意識は分別脳の別名です、分別は有限の別名です。有限は論理的に生きる事の限界を表しています。

今世界がその限界に来ている事がその思想として現れています。物事を論理的にだけ割り切ってゆく事には限界が在ります。これからは東洋の思想で世界が動き出すと思えます。世界の矛盾を、心の矛盾を左脳に在る自我意識の能力だけでは解消できないという事を、2,500年も前にお釈迦様は発見しています。
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西洋思想は、脳の思考ですから学校で習う事が出来ます。

しかし東洋思想は、脳の思考を否定してるので、学校では無理です。中国の老子は、脳の思考による人の知恵を否定し、無知をすすめています。仏教の釈迦は、脳を自我を否定し、人は無我になれば救われるといってます。だから脳の思考を休んで実践だけです。禅や日本の伝統文化など。
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Q東洋思想と西洋思想の違い

東洋思想と西洋思想の違いはなんだと思いますか。東洋思想はヨーガ、ヒンドゥー教、仏教、道教、儒教など
が根本だと思います。一方西洋思想はキリスト教、ユダヤ教が根本だと思っています。
東洋思想は仏教の空の思想に代表されるように
「一元論的」、「相対的」だと思います。
一方西洋哲学は一神教の思想に代表されるように
「二元論的」、「絶対的」といえるのではないかと
思います。
世界に二つ対照的な文化の流れがあるのはなぜでしょうか。それでは

Aベストアンサー

意外かも知れませんが、まず「腸の長さ」があると思います。


中東~欧米人の狩猟民族と、アジア系の農耕民族では腸の長さが違うんです。
さらに消化酵素にも差があります。

ちなみに肉食が主だと攻撃的、能動的、体臭がきつい、瞬発力にすぐれ持久力が無い・・・等の特徴があるんです。

もちろんアジア系も残忍なことをする人が沢山いますし、逆に、欧米人にも温厚な人がたくさんいると思いますが、やはり欧米人のほうが食文化的に感情的に走り、暴力に訴えることが多かったのだと思います。

そうすると、必然的に、それを抑圧しようとする動きも出て来ますので、「悪いことをすると警察に掴まるよ!」的な脅し、警告の意味もかねて、宗教的に「地獄に落ちるぞ」とか絶対的な神を置いたのではないかと思います。


つまり、絶対的な存在という【脅し効果】によって、人々の行動を抑制、統制しようという歴史、民族的な背景があったのではないかと推測します。




これに対して農耕民族は、穀物が生育するに適した、比較的温暖な気候の中で育っているということですから、肉食文化とは違う性質を持っているんだと思います。

欧米人とアジア人の、体格をみても一目瞭然ですよね。
あれはつまり食文化の違いです。


そんな風土、環境の中ですから、インドのヨガ(歴史5000年以上とも言われています)、中国の気功(3000年以上?)のような内省的なものが生まれたんだと思います。
だから、これらは欧米人から見たら「東洋の神秘」と言われるのではないでしょうか?
彼らには理解不可能な価値観だったのかも知れません。


そんな中で誕生したのが仏教なんだと思います。

「アレが在って、コレが在る」(縁起説)
例えば、「光」が在るから、「眼」が在るんです。
だって、光の届かない深海の生物には、眼が無いんです。

と、いうことは、この世のもの全てが相互依存的な条件で成り立っているということですから、おのおのに「本質」というものが無いということになります。
これが「空の思想」です。(「空」とは「欠けている」という意味です)

また、相互依存的な条件で生じているんですから、
逆説的に相互依存的な条件で滅しもするんです。
生まれるという性質を持つものは、同時に死ぬという性質も持っているんです。(諸行無常)


本当の仏教は宗教では無いんです。
論理的、合理的な真理・真実を述べているだけです。

アジア人がこういう論理的、合理的な知識を受容できるだけの気候風土に恵まれていたのかも知れません。


まるで憶測と偏見に満ちた回答ですが、遠からずだと思います^^

意外かも知れませんが、まず「腸の長さ」があると思います。


中東~欧米人の狩猟民族と、アジア系の農耕民族では腸の長さが違うんです。
さらに消化酵素にも差があります。

ちなみに肉食が主だと攻撃的、能動的、体臭がきつい、瞬発力にすぐれ持久力が無い・・・等の特徴があるんです。

もちろんアジア系も残忍なことをする人が沢山いますし、逆に、欧米人にも温厚な人がたくさんいると思いますが、やはり欧米人のほうが食文化的に感情的に走り、暴力に訴えることが多かったのだと思います。

そう...続きを読む

Q西洋哲学と東洋哲学の基本的な違い

哲学の目的は思考の論理的明晰化である。
哲学は学説ではなく、活動である。
哲学の仕事の本質は解明することにある。
哲学の成果は「哲学的命題」ではない。諸命題の明確化である。
思考は、そのままではいわば不透明でぼやけている。哲学はそれを明晰にし、限界を
はっきりさせねばならない。
( ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン、『論理哲学論考』)

wikiの記事からの引用です。

この哲学についての定義は、西洋哲学についてのものであって、東洋哲学については、
必ずしも当てはまらないのではないかと思います。

ハーバード大学では近年、東洋哲学の講義に大変な人気があると聞きます。時代の必然
的な流れであるといえるでしょうか。

さて、西洋哲学と東洋哲学の最も基本的な違いというものはどういう点にあるのでしょ
うか?

Aベストアンサー

米国在住です。

東洋といっても、日本しか知りませんので、大きなことは言えないのですが、一般人の行動規範は、理論ではなく、”ご近所に迷惑ではないか”あるいは、”ほかの人と同じように行動できているか”で、であるように見られます。これは、楽ちんです。

西洋、といっても、アメリカについて言うならば、とっさの行動をとった時、それが、理論に裏付けられているかどうか、必ず、見直す習慣があります。”だって、仕方なかったんだもん”というのは、三歳児までです。それ以上の年齢になると、必ず、”これこれこういう理由がありました”という説明ができるように行動しています。これが、哲学なり理論武装なりが必要になる理由であると、理解しています。

アメリカは、中国に似たところがあって、実利優先ですね。特に、トランプ大統領が当選してからは、アメリカ人は、本音を漏らすことを、怖がらなくなりました。これが、ヨーロッパに行くと、人権だの人命尊重だの、自由だの博愛だのの基本理念が、あれだけ、テロの攻撃を受けても、まだ、生きているようです。立派なものだと思います。それが、文化国家、というものなんでしょう。

東洋哲学、と言えば、インドですが、肝心のインド人の皆さんは、自分たちの生み出した哲学を、忘れておられるように見えます。現在、高度成長の最中ですから、哲学は必要ないんでしょう。本音と建て前、言っていることと、やっていることの大きさの違いに、しばしば、あっけにとられます。

現在、アメリカではやっているのは、瞑想をして、自分の心に耳を澄まし、そこから自分の置かれている環境をもう一度見直す、というものです。東洋哲学と言えるのでしょうか。疑問であります。

米国在住です。

東洋といっても、日本しか知りませんので、大きなことは言えないのですが、一般人の行動規範は、理論ではなく、”ご近所に迷惑ではないか”あるいは、”ほかの人と同じように行動できているか”で、であるように見られます。これは、楽ちんです。

西洋、といっても、アメリカについて言うならば、とっさの行動をとった時、それが、理論に裏付けられているかどうか、必ず、見直す習慣があります。”だって、仕方なかったんだもん”というのは、三歳児までです。それ以上の年齢になると、必ず、”これこれ...続きを読む


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