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先日、街中でズボンを下げて歩いている男性を見かけた。
ビックリして、そのことを友人に話した。
「オイ、今時ズボンを降ろして履いている人を見かけたよ」

するとその友人は、「昔よりは減ったけど驚くほど珍しくはないよ」と怪訝そうに言い返した。
僕が反論する。
「だって、ズボンを降ろしてはくことが極一部の若者の間で流行ったのはもう15年ぐらい前だぜ。とっくに絶滅したと思ってたよ。大手町とか霞ヶ関でそんな人がいたら注目されちゃうよ」

すると彼は苦笑して言った。
「大手町とか霞ヶ関にはいないよ。15年前にもいなかったはずだ。君が通っていた大学にもいなかっただろうし、会社にだっていなかっただろ。でも今でもいる場所にはいるんだよ」

そういって、歌舞伎町や池袋に連れて行かれた。
なるほど彼の言うとおりだった。
それから某専門学校の前にも連れて行かれた。
驚いたことにこの学校の男子達は、大半がズボンを降ろして履いていて、女子は金髪や茶髪に髪を染めていた。

呆然としている僕に彼は言う。
「自分が住んでいる世界が常識だと思ったらダメだよ。地域や職業によって異なった文化があるんだ。秋葉原に行けばリュックサックを背負った人がいっぱいいるだろ?でも他の場所ではそんなにいないよね?それと同じだよ」

それでも僕は納得しないので、その理由を尋ねてみた。すると彼は「階級間格差だよ」と言って、そして正門でたむろしている専門学生の方をチラッと見た。「東大の学生が同じ事をやってたら変だろ?霞ヶ関の役人が同じ格好をしていたら変だろ?住んでる世界が違うから価値観や文化が違うのは仕方がない」

その場は納得したけど、やっぱり不思議だ。
本当に階級間格差だけが理由なのだろうか?

というわけでどなたか理由を教えてください。

A 回答 (10件)

違った方向から回答させていただきます。



ズボンを腰ではくことですが、機能性の向上もあるようです。
引っ越しのバイトの際に腰ばきの方がいたとのことでしたね。
ジーンズや他の通気性の悪い厚手の生地のズボンは蒸れます。仕事や運動などをすると、ズボン内の温度や湿度が上昇して体力をよけいに奪うそうです。
それで動きづらくない程度に腰ばきにするとある程度の通気性が確保されズボン内の温度や湿度が下がるそうです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
こういう回答を欲しかった。
実は僕と友人の間で意見の相違があって、上手く反論できないで困っていたのです。

友人の意見  「階級間格差の問題だ」
僕の意見   「それは違うと思うな」
友人  「それでは他に理由があるのか?言ってみろ」
僕   「・・・・・・」

お陰で助かりました。こういう意見を待っていたのです。

9番の人は2回も回答したけど、いずれも「階級間格差」を裏付ける回答だったので、ちょっと落ち込んでいました。

お礼日時:2009/08/20 05:31

「理由なんてない」ということを、じゅうぶん回答してるつもりだがね。

君が、自分に共感してくれる人の意見しか聞かない、というならしようがないが。

何でも自分の範疇で理解したい人なんだろな、君は。
自分の価値観の中では理解できない事柄があることを受容できるほど成熟してないっつーかね。

例えば、人を好きになったり嫌ったりすることに、理由があるのかい?
確かにもっともらしい理由を述べるヤツは沢山いるが、そんな理由なんてしょせん後付け。脳が勝手にこじつけてるだけさ。
好き嫌いはもっと原始的なもの。理屈以前の領域で決まってくるんだよ、少なくともまともな人にとってはね。
「理由なんてない、好きだから好き」という事の神秘性と尊さは、学問では否定できないだろ。

あるファッションを格好良いと思うか、ダサいと思うかも同じ。理屈以前の領域で良し悪しはもう決まっている。
そこに合理的な理由、合目的性なんてないね。君だってそういうものを根拠に服を選んではいないだろ。もし合理的理由があって着る服を選んでるとしたら、それはそれで凄いけどね。驚異的な頭でっかちだ。
少なくとも俺はそういう理由でプライベート用の服を選んだことはない。(仕事に使う服は用途に応じて合理的理由も考えて選ぶけどね)

君が床に寝転がることやズボンを引きずるのが嫌なのは勝手だし、そこに理屈は必要ない。あれこれ理由を書いてるけど、それは後付けであって、もっと本能的に嫌いだったはずだ。それはそれでいいじゃん。本能が、直観が受け入れない。それは立派な理由だよ。
でも一方で世の中にはそういうファッションが嫌じゃない人もいる。そいつらをそのまま受容できないのなら、それは君が狭量というだけだろ。
「自分の価値体系では理解できないものがある」というのは、至極当たり前のこと。それを「自分に理解できないものは存在を許容し難い」というのは普通じゃないね。

君の書いてることを読むと、自分が何でも理解できるとでも思っている錯覚と、自分に理解出来ないものを見下してる感じが凄く厭味なわけよ。
理解できないものに対する敬意と畏怖があってこその探究心だ。君にはそれがない。

あとさ、理屈が大好きな君にとって「理屈なんてない」という壁を超えるには、体験するしかないだろ?
だから自分でそういう格好してみたらどう?っていってるわけよ。
ズボン引きずりながら街をぶらついて、電車で寝転がってみなよ。連中とツルんでまったりしてくればいい。それが嫌だっていうなら、理解しようとか思わないこと。
自分で体験する気もないことについて、手っ取り早く頭だけで理解しようなんてのは、ただの傲慢だと思うぞ。学問的探究心なんて大層なことを言うなら、お手軽さを求めずにまずはフィールドワークからだ。
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この回答へのお礼

>例えば、人を好きになったり嫌ったりすることに、理由があるのかい?

普通は理由があるでしょうね。例えば好きになる理由として
・優しくされた
・困っているときに助けてくれた
・仕事ができる
・スポーツができる
・顔がよい
・趣味や嗜好が似ている

理由なく好きになったり嫌いになったりするなど、まともな人にはありえないでしょう。
だからこそ他人に好かれる人と好かれない人がいるわけです。

それから別に理解しようとは思っていませんよ。
いわゆる知的好奇心ですね。

>体験するしかないだろ?

お金になりそうにないし、自分自身を向上させる機会にもならないことを僕はやりません。

答えがわからないのなら無理に答えなくても良いです。
書く方は暇だから良いかもしれないし、他人に相手にして貰って嬉しいかもしれないけど、読む方は忙しいので無駄な時間を使いたくないのです。

お礼日時:2009/06/14 17:34

#2です。



書き方が悪かったせいで、意見の食い違いがあるようなどで
追記します。

私が回答した例は、経済的にも学力的にも
恵まれた環境にある大学生限定の話です。

決して、ズボンを下ろしてはく人たちが、
あなたが見た場所だけに存在するのではないということを伝えたかったのです。
>どのような理由により、そのような格好をしているか?
>彼らに共通する何らかの社会的経済的文化的な背景があるのだろうか?

なので、私の見た限定的な環境(それなりに学力がある大学生)で言うなら、理由:ファッションです。
あなたの見た人たちのことはわかりません。

強いて言うなら、家庭内に文化的環境があるかないか?
日本と言う国は、諸外国に比べ文化的教養が
金銭的に不自由していない一般家庭でも少ないからでしょうか?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。確かにファッションだということは間違いありませんが、そのファッションを選んだ理由を知りたいわけです。

アイビーというファッションをご存じだと思います。
このアイビーというファッションが日本でも流行ったのは、「当時の強くて魅力的なアメリカという風潮」と「アメリカの東部有名大学を起源」と背景があったからでしょう。
ヒッピーというファッションが流行ったのも、「ベトナム戦争の泥沼化」という背景があったからでしょう。

そういう背景を知りたいのです。念のために書いてありますが、流行の起こりはアメリカの若者が「短パン」をずり降ろして履いたことを勘違いの猿まねをして「長ズボン」でも行ったことが背景だと思われますが、同時期に流行したルーズソックスがすっかりと廃れたにもかかわらず、極一部の地域や階級限定とはいえ、「ズボンずり下ろしファッション」が現在でも残っている背景は何かと尋ねているのです。

お礼日時:2009/06/14 17:43

>嫌々、それは違うでしょう。


>学校を卒業して社会人になっても、髪を金髪にしている人もいるし、
>ズボンを降ろして履いている人たちも歌舞伎町とか池袋あたりには
>沢山いましたよ。
>年齢的風体的に学生には見えない人も大勢発見しました。

まだまだ、人生経験と人間観察が足りないようです。(苦笑)
私が言いたいのは、人はその置かれた立場にあった服装をするということ。
質問者の方の知人と違うのは、それが階級によるものではないということです。

麻生総理が、いい例です。
麻生さんは若い頃、アメリカのスタンフォードに留学しました。
まだ、今のように留学が一般的でない時代。
スタンフォードで学ぶ日本人も数少なく、また当時はアメリカの若者の間でヒッピー文化がはやっていました。

それからしばらくしてから、祖父の吉田茂が訪米した際、若き麻生太郎がどんな服装で出迎えたか。
はい、よれよれのTシャツに、ジーパン姿だったそうです。当時のヒッピーそのまんま。
その服装と、柄の悪いアメリカ英語に危機感を感じたのか、祖父はただちに孫の留学先をアメリカからイギリスに切り替えたそうです。(笑)

では、麻生太郎は、階層が低くなったのでしょうか。
違います。彼は資産家の息子であり、由緒正しい政治家の血筋のままでした。
変わったのは、環境だけです。

その他、実家の仕事でアフリカのシエラレオネで鉱山開発をした際も、現地の部族長と顔なじみになったそうですから、壁を感じさせるパリッとしたスーツではなく、中東やアフリカの現場で働く多くの日本人と同じようにおそらく作業着姿だったと思われます。


歌舞伎町や池袋で、金髪でうろうろしている人も遊びできているか、もしくはその業界で働いている人と思われます。
一流のホストの乗客は、たいてい同じ業界の女性です。
濃い化粧の女性を相手にするのに、頭を七三分けにしてビジネススーツで接待するホストは、まずいません。

しかし、そういう彼らも、別の仕事につけば別の服装に変わるでしょう。
まあ、金髪とかパーマは幾つになってもやめない人はやめないので、それはその人の個性と割り切るしかないでしょうね。
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この回答へのお礼

麻生太郎さんの話はわかりました。
ただし僕が質問しているのは、今時ズボンを下げて履く人の理由です。
だから麻生太郎さんの話をしたように、実例を挙げて、今時ズボンを降ろして履く人の理由付けをお願いします。

僕が10年以上前に友達から聞いた話では、アメリカの西海岸(東海岸だったかもしれない)の若者達が「短パン」をずり降ろしてはいたことが起源だったそうです。ただし現地の人たちは「あれは短パンだからずり降ろして履くのだよ。普通のズボンをずり降ろして履いたら裾が切れるし、汚れるだろ。日本人は馬鹿だな」と笑っていたそうです。(アメリカ留学から帰ってきた友人の話でした。
つまりアメリカかぶれの猿まねですね。

でもそれが今でも同じ格好をしているのは何故なのか?
例えばルーズソックスはとっくに廃れてしまったのに、不思議だなということです。

お礼日時:2009/06/13 23:15

そんなに、深く悩むことかな?


私は単純に、「朱に染まれば赤くなる」だけのことだと思います。

たしかに、生まれた家や通ってる学校によって、ファッションに違いはあるでしょう。
しかし、一部の意思堅固な人間を除き、人は環境に染まりやすいもの。
周囲の服装に、自然と自分が合わせただけかと。

それを証拠に、若い頃はズボンをずらして履いていたような若者も、学校を卒業して社会人になれば、ズボンをきちんとはくようになります。
それは、環境が変わって、ある程度身なりをきちんと整えないと、会社をクビになってしまうからです。

やがて、若い頃の習慣を忘れ、スーツなり作業着なりをきちんと着こなして生活するようになるでしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
>私は単純に、「朱に染まれば赤くなる」だけのことだと思います。

やっぱり貴方も僕の友人と同じ「階級間格差説」を指示するのでしょうか?

>それを証拠に、若い頃はズボンをずらして履いていたような若者も、学校を卒業して社会人になれば、ズボンをきちんとはくようになります。

嫌々、それは違うでしょう。
学校を卒業して社会人になっても、髪を金髪にしている人もいるし、ズボンを降ろして履いている人たちも歌舞伎町とか池袋あたりには沢山いましたよ。年齢的風体的に学生には見えない人も大勢発見しました。

お礼日時:2009/06/13 20:19

どんなファッションでも自由だと思うけど、トイレでおしっこをするときはどうするんだろ? トイレにもよるけど他人のおしっこでぬれてるトイレもあるよね。

モップ代わりにトイレを清掃しているボランティアとも考えることが出来るね。うむ、そう考えたら支持したくなってきた。
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この回答へのお礼

そうなんですよね。トイレにかかわらず、路上には泥や誇りや他人が吐いた唾など汚い物がいっぱい落ちているのに、なぜ服が汚れることを彼らが気にしないのか不思議ですね。
これは電車の床や道路に座ったり寝そべっている人にも同じことが言えます。
僕なら絶対に嫌です。
「電車の床の上に寝そべれ」と言われたら、「嫌だ」と答えます。

このような違いがどのようにして生まれるかに興味があります。

煙草を吸わない人と煙草を吸う人(お金を使って不健康になり体臭が臭くなる人)の違いは何か?
シンナーを吸う人とシンナーを吸わない人(お金を使って不健康になり歯が溶ける人)の違いは何か?
ズボンを下げないで履く人とズボンを下げて履く人(お金を使って服を汚す人)の違いは何か?

僕はお金を無駄遣いしたくないので、煙草もシンナーもやらないし、ズボンを下げてはいたりしません。

お礼日時:2009/06/13 20:16

理由?個人の好みってだけだろうね。


別に納得する必要もないし、誰かに納得してもらう必要もない。他人に迷惑を掛けていないならば、誰が何をしようが、どんな格好をしようが、その人の勝手だよ。

逆に「今時ズボンをキチンと上げて履いてる人がいるよ」と驚かれたら、なんて答える?
「カッチリした服をキチッと着てるなんて信じられないね。サラリーマンじゃあるまいし」と言われても、納得しないだろ?

それとも「みんなキチンと上げて履いてるから、俺は普通だ」「世間ではだいたい普通の人たちはみんなこういう格好をしてる」と答えるのかな?
だとしたら、それは君の価値観ではなくて世間の多数派の考えに盲従してるだけってことなるね。
世間の目は気にしてても、そこに「自分」はない。

「いや、世間の多数派に同調してるわけじゃない。自分自身の価値観としてああいう格好に納得できないんだ」というなら、結局お互い様だよね。
「自分の価値観でズボン下げてんだよ」という人と、言ってることの本質は同じだもんな。

多数派の価値観で生きることを否定するわけではないが、多数派が正義というわけでもないだろ。数が多いってだけだ。
多数派だから少数派よりも正義だというのは、一言でいって傲慢だね。
日本人は多数派だからアイヌ民族より正義なのか?
ないなぁ。それはない。

まして、単なるプライベート時のファッションだぜ。そんなもの、着たい服を着るだけのことだよ。
さすがに「全裸にコート」じゃあ単なる変態だが、わいせつ物陳列にならない程度なら、自分の好きな服を着ればいい。

どんな服を着ていようと、どんなしゃべり方をしようと、バカはバカだし賢いヤツは賢いし、慈悲深いヤツは慈悲深い。器のデカいヤツもいれば小物やザコもいる。人間のクズもいれば、常識と節度にあふれたマトモなヤツもいる。
服装で人間をカテゴライズするのは無理だと思うね。実際色んな連中と付き合えばしみじみ感じるよ。

あと、ためしに自分もそういう格好してみると面白いぜ。「自分的にはあり得ないファッション、あり得ない髪型」で街に出て見るのもおススメ。
自分の心の中にも、ファッションひとつで変化する部分と、全く変わらない部分があるのが実感できたりして、アイデンティティについてちょっと思いを馳せちゃうかもよ。
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この回答へのお礼

>他人に迷惑を掛けていないならば、誰が何をしようが、どんな格好をしようが、その人の勝手だよ。

それは当然だが、それではこのサイトの存在意義が低下してしまいます。

>多数派だから少数派よりも正義だというのは、一言でいって傲慢だね。

それはそうだけど、一体誰が「多数派が正義だ」と言っているのでしょうか?もし貴方のお友達が言っているのなら直接注意してあげてください。

>単なるプライベート時のファッションだぜ。そんなもの、着たい服を着るだけのことだよ。

学問的な探求や好奇心を全て否定することは止めた方がよいです。

>「カッチリした服をキチッと着てるなんて信じられないね。サラリーマンじゃあるまいし」と言われても、納得しないだろ?

僕が12年くらい前にグッドウイルで引っ越しのアルバイトを1ヶ月くらいやっていたときは、派遣先の運送会社の運転手(サラリーマン)でもズボンを降ろしてはいている人たちはいました。今回僕が発見した人の中にもサラリーマンがいたかもしれません。少なくとも彼らがサラリーマンではないと断言することは出来ないと思います。

回答がないのなら、無理に書く必要はないと思います。
読む方も書く方もお互い無駄な時間を過ごす必要はありません。

お礼日時:2009/06/13 20:08

ファッションは自由ですよ。


若い男が日常和服で街を歩いてもよいのです。
あなたの頭は衣服を統一すべしと頑迷にかたまっているようですが、
それは大勢で同じことをすると安心で楽しいという
動物レベルの判断です。
早く猿から人間に進化してくださいね。
ファッションは人間のものですから。
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この回答へのお礼

何か僕が不適切な質問をしましたか?
ファッションは自由だから質問をしてはいけないのでしょうか?

質問例1
「古事記や日本書紀の挿絵や平安時代の貴族や武士を描いた物語の挿絵では男性はズボンを履いているのに、江戸時代の人は何故着物を着ているのでしょうか?」
質問例2
「水平が着ているセーラー服は何故、襟が大きいのでしょうか?またセーラー服を女子学生の制服に採用された経緯を教えてください}

そういった質問をしたら動物並みと言われるのですか?

>若い男が日常和服で街を歩いてもよいのです。

それは当然でしょう。

お礼日時:2009/06/13 23:08

そこそこの学力のある大学生でも、


ズボンを下げて歩いている男性がいます。
グループというべきでしょうか?

面白いことに去年度より今年度の方が
多く見かけます。

あなたのお友達がいう階級格差がどういう意味か
わかりませんが、普通に対応できる人も多く、
来年にはあなたの横で仕事をしているかも知れません。
リクルートスーツの時はきちんと着こなしています。
本人たちに確認をとったわけではないので確実な答えではありませんが
私は単にファッションの一つとして見ています。

少し前にエロカッコいいと女の子が、
大人の目から見ると好ましくない格好をしていたのと同じでしょう。
金髪もそう、レッドやピンクやブルーもそう。
茶髪に至っては大人の女性でも
カラーリングしていない人は少数派ですよ。
でも、派手目の色も就職活動時には落ち着いた色に
みんな変えています。

今しかできない(就職したら無理ですよね)
期間限定の行動で、仲間内の記号のようなものでしょうか?
大人になる前の通過儀礼?

私も何回見ても不自然だと思いますが、
個人の好みとしか言いようがないでしょう。
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この回答へのお礼

12年くらい前の話です。お金に困ったので、グッドウィルに登録して、土日に何度か引っ越しの仕事をしたことがあります。
そのときに、ズボンを降ろした人たちと仕事をしました。それは同じグッドウイルの人だったり、派遣先の運送会社(恐らく運送会社勤務のサラリーマン)だったりしました。
その人の大多数は、普通にちゃんと仕事をしていましたよ。また言動も極普通でした。

というわけで、
>今しかできない(就職したら無理ですよね)

というのは間違いだと思います。
今回僕が歌舞伎町や池袋で発見したズボンを降ろしている男性の中には、年齢的に見て社会人だろうと推測されている人も大勢いましたし、また作業服を着て休憩中の人もいました。おそらく道路工事か建設業で働いている人だと推測されます。

というわけで、質問内容は、「いまどきズボンを降ろして履いている人たちが普通に仕事を出来るかどうか?」ではなくて、どのような理由により、そのような格好をしているか?彼らに共通する何らかの社会的経済的文化的な背景があるのだろうか?」という質問なのです。

お礼日時:2009/06/13 20:00

階級間格差ではないなぁ。



というか、例える言葉が違う気がしますね。

言うなら
『分相応』
ってことばかな。


彼の言いたいこともわかるし、ほぼ同じ見解ですが。


さて、ズボンずらしが流行ったのは
15年も前ではありませんよ。
せいぜい10年位前でしょ。

最近でもやってる高校生とか見掛けますけど
流行って頃と変わらず格好悪いですね。
いー加減になくなってほしいもんです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
もしかしたら10年くらい前が最盛期だったのかもしれません。
流行廃りは世の常ですが、あれは不思議ですね。
それまでは、どうやって足を長く見せるかが普通でしたから。
ズボンを降ろしてはくと、足が短く見えるし、裾が汚れてしまう。
第一歩きにくいし、もし喧嘩になったら足を高く上げることもできない。いざというというときどうするのだろうと考えていました。

ただ分相応という言葉で片付けるのではなくて、文化的・社会的・心理的な背景を答えて欲しかったです。

お礼日時:2009/06/13 05:28

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