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質問させていただきます。
心理的な問題なのか、よくわかりません。
昔から、自分に悪さをしてくる人間ほど優しく接し、
自分に良く接してくれる人間ほど辛く接してしまいます。
たとえば、自分の悪口をいう人間にエールを送ったり、
自分に優しくしてくれる人間に冷たく当ったりしてしまいます。
おかげで、人間関係でトラブルが起こったり、ストレスがたまったり
しています。反抗期なのか、とはいえもう20過ぎなのですが、
反抗期は通り越しているはずです。
私の性格上、「しかし」という逆説が国語の先生に好きだねと、
言われた経験上、何か意図的に逆説的なことをしてしまいたがる
症候群があるのかなと思いまして、質問いたしました。
今は、なるべくそれを避けているのですが、一向に止まりません。
矛盾した関係です。どうかよろしくお願いいたします。

A 回答 (5件)

それは、多分一番考えられるのは、自己嫌悪です。

「自分で自分が嫌いだ」

とても単純化した例えですが、例えば自分は巨人ファンだ。阪神は嫌いだ。
それで、阪神を応援する人がいる。
阪神を応援する人のことは、嫌でしょう。阪神を応援する人に、例えば売店で会ったら、
なんとなく辛く接するでしょう。冷たく接するでしょう。
又、その嫌いな阪神をやっつけてくれる人がいたら、エールを送りたくなりますよね。
貴方は自分で自分のファンじゃないんです。

どうして自己嫌悪に陥るのか、様々な理由、カタチがあります。
自己愛が弱すぎれば当然自己評価が低くなり、自己嫌悪に陥りますが、
自己愛が強すぎる場合も、空想的・理想的な「超凄い自分」と「現実の自分」
とのギャップにより、現実の自分に対して自己嫌悪を感じます。
他にも様々あるのですが、こういう「自己愛の問題」がもっと深刻になると、
"パーソナリティ障害" を発現したりするのです。

パーソナリティ障害という学問は、何も障害というところまでいかなくても、
人の性格を考える上で、とても有効な学問だと思いますよ。
但し、なかなか自分がどういうスタイルなのかは、分かりづらいことも多いです。
なかには一発で「これだ」と分かる場合もあるようですが。
私は自己愛性人格ですが、最初に専門書などを読んでから、それが分かるまで数年を要しました。

まぁ、自分に悪い人間に対しては、迎合してしまう。恐れてしまう。
そういう感じが強ければ、自己愛が弱い傾向にある境界性人格的であるとか…。
負けん気・プライドが高く、普段人には恥かしくて言えないような「空想的な超凄い自分」が心にいて、
時々空想に浸り快感を感じることがあるなら、自己愛が強い自己愛性人格であるとか…。
まぁそういうものも一概には言えません。他にも様々なタイプがあります。
"パーソナリティ障害がわかる本" 岡田 尊司 著 という本は比較的分かり易い良い本だと思いますよ。
こういう本を一度読んでみるのもいいかも知れません。
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この回答へのお礼

早速のご返事どうもありがとうございます。
「自己嫌悪」という言葉を聞いてはっと思いました。
中学時代にいじめを受けて以来、自分に悪い人間に対して迎合してしまうタイプでした。
「自己愛」を高めれば良いという考えも非常に納得できました。
もう少し自分にプライドを持てというように心がけます。
ゲームでもいつも勝つ気なしの姿勢でプレーしていました。
ある意味ネガティブとも取れます。
納得のゆく回答を下さり、ありがとうございました。

お礼日時:2009/06/14 18:18

私が教えていただいたのは、怖れ、でした。

何らかの原因から、‘とある本心’を封じ禁止してしまった過去がありその本心を認めることへの怖れから本心をごまかす癖がついて糸が絡みあっているというのはないでしょうか…違ってたらきにしないでください。まず自分の中だけでは自分にまで無理をせず本心に耳を傾け認識してあげることから私の場合スタートでした。質問者様は本来優しく自分一人で抱えこんでしまってるものがあるのではないかと心配です、ご自分を労ってあげてほしいなと思います。
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この回答へのお礼

ご回答いただきましてありがとうございます。
少し読んでいて怖いなと感じてしまいました。
というのも、’とある本心’が自分の中で意識的にあるからです。
心理的に分析すると、過去の事例を考えてもかなり一致しています。
自己負担的な人間なので、もう少し自分を楽にさせてあげたいです。
ご親切にどうもありがとうございました。

お礼日時:2009/06/14 21:42

自分に悪口を言う人には


 「エールを送らないと関係が悪くなる」と思ってそうしてしまい

自分に優しくしてくれる人には
 「普段のそんな不満を分かって欲しいから辛く当たってしまう」のではないでしょうか

逆に考える事が悪い事を作用しているのであれば
「しかしのしかし」であれば、元通りになるのではないでしょうか。
(それがいいかどうかは別としておいて)

「しかし」にさらに「しかし」を入れることで
「しかしの否定が、肯定」に変わりますから。

それが戻れたのなら
「優しく接してくれる人とは普通どおりに良く接する事ができるようになってくる」と思われるので後は「悪口を言う人とどう仲良くしていくか」というところが解決できればよくなってくるかと思います。

あくまで1つの考えなのでご参考までに。
周囲関係がよくなっていくといいですね。
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この回答へのお礼

ご回答いただきましてありがとうございます。
その理論的な回答は図星というところまできています。
自分のいやな過去は封印したいので、思い返して分析することを
最近しなくなりました。ご回答どうもありがとうございました。

お礼日時:2009/06/14 18:40

天邪鬼(あまのじゃく)ですね。


性格だと思いますが、嫌われるでしょう。
相手の言葉に相槌を打つのも必要ですよ。
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この回答へのお礼

ご回答いただきまして誠にありがとうございます。
まさにそれです。天の邪鬼なのです。思い出しました。
相手に臨機応変に対応できるよう心がけます。ありがとうございました。

お礼日時:2009/06/14 18:36

それは損ですね。

良い人には誠心誠意を尽くし、悪者には徹底的にひどい目にあってもらわなければあなたは身の回りに敵ばかりをつくることになってしまいます。

「でも」とか「しかし」といった相手を否定する言葉は極端に言えば宣戦布告です。相手が考える最善の道をダウトするわけですから。
おそらくこんな回答をしていてはあなた自身は腹が立つだけかもしれませんね。

音楽なんかやっていると「でも」だの「しかし」だのという単語が9割を占めるエセ評論家とたくさん出会います。
私はそのたびにつくずく思うんです。「この人は3という数字を作るために1と2以外の解答がわからず、-1と4を足し算するという可能性すら見抜けない哀れなほど狭い世界を生きている悲しい人である」と。

-1と4という数字を見抜けるならばー9997と10003を足し算するという答えだって導けるわけです。自分ひとりの勝手な正義でこんなものがわかるはずがない。いろんな人のいろんな意見を素直に取り入れて考えて、自分の中で確かに受け止めなければ次の言葉は「でも」か「しかし」しか無いわけです。

私は以前「とりあえずという言葉を使うな」と上司に言われたことがあります。「みんな言ってるじゃねぇか。なんで俺だけ?」という反発の意識から始まり、とりあえずという言葉の意味を調べれば「取るものもとりあえず」つまりは、大急ぎで行うという意味です。

早くに目が覚めた。とりあえず食事をして仕事に向かおう。

これでは、早くに目が覚めて時間が余っているのに勝手にあわてるという意味になります。とても意味がわかりませんねぇ。
そこで、「まず」という言葉を使うことにしました。

この反逆的な性格を矯正するならば日常会話で治せばいいんです。
「でも」「しかし」「だって」などの相手の意見に反発する言葉を一切合財封印するのです。
あなたにとってどれほど間違った説であっても、まずは聞き入れどうしてその人がそういう結論に達したのかを追いかけるんです。

その足跡がたどれなければ本当に「それは違う!」というべきところで言えず、本当は自分が間違っているときに延々と反発し続けて最後には「あいつは空気読めねぇ」と後ろ指を差されるだけです。そして、周りは敵だらけになるわけです。
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この回答へのお礼

ご回答いただきまして誠にありがとうございます。
「とりあえず」という言葉はそういう意味だったのですね。
非常に勉強になりました。「まず」という言葉を使うよう心がけます。
また、私も自ら、学生時代に封印していた言葉があります。
それは学校の講義から培った言葉で、「だって」がその一つでした。
「しかし」も封印しないととも思いましたが、NOといえなくなるので、
そればかり使う傾向にありました。(ゲームの話ではありませんが)
これは最後の3行目に書いてあるとおり、相手の意見を聞き入れ、
どうしてその人がそういう結論に達したのかを追いかける。
これが重要だなと思いました。トレースして正しいならば正しい、
間違っているならそれなりの対応をとるよう心がけます。
非常に興味深い回答を下さり誠にありがとうございました。

お礼日時:2009/06/14 18:34

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