「みんな教えて! 選手権!!」開催のお知らせ

自然数の中から小さい方から順番にn個取り出した集合をAとし、
正の偶数の中から小さい方から同様に、同じ数だけ取り出した集合をBとします
(要は自然数と正の偶数の一対一対応です)

A={1,2,3,4,5, ...n}
B={2,4,6,8,10,...2n}
(AとBは同じ数)

ここで、あるnの時の"Aには存在しないBの要素(値)の数"を考えます
n=1の時、1個
n=2の時、1個
n=3の時、2個
個数だけ上げていくと、
1,1,2,2,3,3,4,4,5,5,.....と続きます

"Aには存在しないBの要素の数"は、nの数に対して単調増加しており、
全てのnにおいて、少なくとも1以上であるように見えます
また、nが無限大になった時でも、"Aには存在しないBの要素の数"は1以上あるようにしか思えません


nが無限の時、Aを自然数全体の集合、Bを正の偶数全体の集合と呼ぶとします。
nが無限の時でも、Aに含まれないBの要素が存在します。
言い換えれば、自然数(=A)ではない正の偶数が存在するということです。
(もしそうなら最大値の存在が示せそうな気がしますし、現時点で私はそれが正しいように思います)

この考えで、どこか間違いがあれば教えてください

A 回答 (19件中1~10件)

>いつのまにか「全射」としていましたが、正確には「一対一対応(全単射)」です



では、ずっといい間違えていたのですか!理解に苦しみます。明らかに異なる概念なのにどうしてそんなことがおきるのでしょうか。

>全射性: f(A) = B
この部分を説明してください。単射性のところと同じような形の主張に直してください。
また、「~は全単射であるとは」「~で、全射かつ単射なもの」というような、主語を伴った形で定義が書かれていたと思います。alfdesさんの今までの使い方と比べてみてください。

>「一般的には「全射」(全単射)によっては、集合の数は変化しない」

確かにそうですが、その理由を説明できますか?上の文は全て通常の意味で使われてるはずなので、通常の定義を用いて説明できるはずです。

この回答への補足

>ずっといい間違えていたのですか!理解に苦しみます。
>明らかに異なる概念なのにどうしてそんなことがおきるのでしょうか。
全射においても、全単射においても共通する性質が最大の論点なので、どちらでもかまわないからです。(なのであえて問題にするのを避けてました)

全射という単語を使ったのは、No10でsettheoryさんが初めて使ったものにあわせただけです(そこまでは私は一対一対応と呼んでいます)
settheoryさん> 可算の定義は通常、「自然数全体からの全射が存在する」です。

通常、可算の定義は一対一対応(全単射)だと思っていましたが、
私の疑問の主旨からすると、「可算の定義に使われているもの」であることが重要で
全射でも全単射でも大差ないです





共通の性質とは何かというと、それぞれの適用範囲を超える入力があった時に
その結果が保証されるかどうか、です。

例えば入力したものがそのまま出力されるような次のような関数を考えます
関数f: f(x)=y,(y=x)
例: f(1)=1
ここで、この関数の適用範囲が 0<x≦2とします

A=10というAがあったとき、
f(A)は何になるかというと、
f(A)は適用範囲を超えていて未定義なので、f(A)=2としようがf(A)=10としようが、f(A)=100としようが
エラーとしようが、存在しないとしようが関数の条件(0<x≦2においてy=x)を満たします

上記A=10の時のような、fの適用範囲外の値を考える時、
fの中身がどうなっているか、どういう定義が採用されているかは大して重要ではありません



私の疑問は、これと同様なことが自然数の全射でおこっているのではないか?
(もしくは、否定することがZFC内では不可能ではないか?)ということです
上記と同様の現象であれば、上記でfの中身が重要ではなかったように、
結果が保証されるかどうか?ということに関しては、全射の中身はそれほど重要ではありません


もちろん、全射の適用範囲が自然数の範囲なら、私の言うような解釈はできません
ただし、全射の適用範囲が可算無限の範囲なら、自然数が全射の適用範囲を超えている可能性があります
(そしてそれは、全射の適用範囲が自然数としたときと、可算の範囲では全く同じものに見えます)




お奨めしてもらったモデル論と強制法について少し調べてみたところ、
概要しか見ていないのですが、確かにこれはきわめて近そうです

強制法っぽくやると、次のようなことを目標にすればよさそうです
(可算範囲のZFCを満たす) かつ (自然数は可算) というモデル
(可算範囲のZFCを満たす) かつ (自然数は非可算(ある自然数は、可算範囲のZFCで表現できない)) というモデル
の少なくとも二つのモデルが存在するとき、
可算範囲のZFCによっては、自然数が可算であることを可算の範囲では証明できない




もう一つ見つけた用語として、議論領域及び量化範囲という単語で、これらは∀xの範囲を表す用語です。
この用語を使用して私の疑問を定義し直すと、

一般に量化範囲は、「変項のとりうる範囲」(=xの範囲)とされているが、
「そのモデル内の演算子が定義通りに作用する、演算子の範囲」(=∀の範囲)と解釈しても、
そのモデル内では全く同じ結果が得られるのでは?
という疑問になります。(その場合、xは範囲外をとりうるが、演算結果が未定義)


この疑問が妥当だとしても間違っていたとしても、
モデル論+述語論理あたりの何かを調べれば、わかるような気がしてきました



次にやるべき方向性が見えたので、この質問はこれで解決としたいと思います

補足日時:2009/09/09 00:02
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>NをNと全射すると、Nになる


NをNと全射すると、∞になる
全射の意味 :
X(Xと全射)=X (どんなXでも。全射の有効範囲は不明)

通常の意味の、全射の定義のとこでこのように書いていますが、よくわかりません。もっと正確に書いてください。「全射」の定義を正確に述べてください。(通常の定義を聞いています。alfdesさんが考えているものではないです。)

普通は、「~を~と全射する」「~と全射」という使い方、言い回しはしません。また、「全射の有効範囲」という概念も聞いたことがありません。このように書いてある本などがあったら教えてください。

この回答への補足

>「全射」の定義
うーん。
「一般的には「全射」によっては、集合の数は変化しない」
というだけのことなんですが。

いつのまにか「全射」としていましたが、正確には「一対一対応(全単射)」です
写像 f: A → B に対し、二つの条件
全射性: f(A) = B
単射性: 任意の A の元 a1, a2 について、a1 ≠ a2 ならば f(a1) ≠ f(a2)
が成り立つことでどうでしょうか。(ウィキペディアから引っ張っただけです)



私の解釈の方では、
「自然数によるZFCの時には、上記全単射の性質は、AがA≦M (M=可算無限)の時にしか有効ではない。(そうでない場合は未定義)」
という条件がつくだけです。

なぜならば、「自然数によるZFC」は、結果的にしろX≦Mを対象とした系だと私は考えたので。
自然数が間違いなく可算無限であると証明するためには、A>Mにおける全射の挙動が確定している必要があって、それはおそらく不完全性定理?かなにかによりできない・・様な気がしているのですが。





>「全射の有効範囲」という概念も聞いたことがありません。このように書いてある本などがあったら..
一連のこれらの考えは、私が考え出したものなので、特に特定の何かを参考にしたものはありません
肯定でも否定でもいいので、この考えを扱ったものを探しているところです
(正直まだ分野すら絞れていません。おそらく基礎論のなにかだと思うのですが広すぎて・・)


ただ、単純に「全射の有効範囲」であれば、話は簡単で、
・全射が定義された公理系の中でのみ有効
・その系の中の数学的対象にのみ有効
・その系の外にあるもの(その系からは数学的対象とみなされないもの)に対しては無効(もしくは、「全射」としての効果が保証されない)

という公理系一般の性質によるものです。
全射に限らず全ての物はその系内でしか有効ではない(公理系内という範囲を持つ)というのは自明ですよね。


どちらかといえば問題は自然数のほうです。
自然数は複数の系をまたぐので、ある系から見て他の系で定義されたある任意の自然数は、系外の存在の可能性があります


系外の存在に対して系内のルールは必ずしも適用されません。
だから、「自然数」に対して全射が下記のような挙動を示したとしても
全射の公理から矛盾しているとは思えないのです(全射の適用範囲を超えているので)

(複数の系で使用可能な自然数) -変換-> (可算ZFC専用の自然数)

補足日時:2009/08/28 22:49
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>自然数、全射という単語に、全く違う意味を割り当てても


ZFC内の全事象で全く区別がつかないなら、それもZFCと呼べるのでは?ということです

まず、「区別ができない」とはどういう定義ですか? また、区別ができなかったら通常の解釈と同じ結論しかでてこないように思うのですが、なんのために別の意味を割り当てているのでしょうか?

あえて違う意味でやってるということなので、
(1)通常の自然数、全射の定義を説明 
(2)alfdesが考えている「自然数」、「全射」の定義を説明
(3)両者の違いを説明 
をお願いします。ここが明らかにならないと何も言えません。
目標を書いてくれましたが、ここに出てくる「自然数」、「偶数」などが違う意味で捉えているのかどうかわからないので、残念ながら私には目標がはっきりしません。

いくつか定義がわからないものがあったので、以下に挙げておきます。
これらの説明もお願いします

「自然数ではない偶数」

>同じ数の偶数と自然数の集合があるとき
二つの集合が「同じ数」であるとは?

「(ZFCによる)帰納法の限界」、「帰納法の限界を超える」

>せめて数学のどの分野かがわかれば、とっかかりがつかめるのですけど。
恐らくモデル論が比較的近いように思います。専門ではないのであまり詳しくないですが。

この回答への補足

>「区別ができない」とはどういう定義ですか? 
その系における、全公式、全論理値、及び値が表記を変えずに成立する、で通じますか?


例として自然数における足し算で考えてみます。
(A)(+B)=C となるとします

自然数においては、+という演算子は少なくとも次の2つの意味を持つと考えても支障が出ません
@1 Aを座標上の点として考えたとき、B分移動させる
@2 (A)(+B)は、A ≦ (A)(+B)となる

"自然数においては"@1も@2も正しいですが、
系を整数に拡張したとき、@1は正しいですが@2は必ずしも正しくありません


自然数の系および整数の系において+という演算子に注目したとき、
@2は、自然数においては真だが整数においては必ずしも真ではない となります
@2を整数において、一般的に使われる解釈で使いたければ、
@2' if(B<0){A > (A)(+B)}, if(B≧0){A ≦ (A)(+B)} というふうに、場合わけが必要になります

どうしても@2の性質を壊したくなければ、次のように絶対値として解釈すれば
自然数での挙動を壊さずに@2の性質を引き継げます
#1 Aを座標上の点として考えたとき、√(B^2)分移動させる
#2 (A)(+B)は、常にA ≦ (A)(+√(B^2))となる

このとき+という演算子に関して、@1&@2'を採用した公理系と、#1&#2の解釈を採用した公理系は
自然数においては区別がつかないはずです




>区別ができなかったら通常の解釈と同じ結論しかでてこない
はい。当然同じものなのでZFC内では同じ結論しか出ないはずです
違うのは、ZFCの系の外になります。

「自然数が可算無限であること」が、
ZFCにより規定される(定義により証明される)のか、
ZFCでは妥当な解釈だが違う解釈でもかまわないのか
が私にとっては重要です

例えば実数拡張した時、超越数を扱う時、無限桁の数を扱う時、
それら実数濃度の数を「自然数」と呼べるかどうかの違いです

ZFCにより規定されていることならそれに反したときはそれはZFCではないですが、
解釈の差で回避できるのなら、たとえ反してもZFCを満たすと考えています



自然数全体をN、可算無限を∞とおきます
(1)通常の自然数、全射の定義を説明 
N = ∞
N ≠ 実数濃度
NをNと全射すると、Nになる
NをNと全射すると、∞になる
全射の意味 :
X(Xと全射)=X (どんなXでも。全射の有効範囲は不明)

実数拡張の意味 = 集合の概念を実数濃度に拡張する


(2)alfdesが考えている「自然数」、「全射」の定義を説明
N ≠ ∞
N = 実数濃度
NをNと全射すると、Nにならない
NをNと全射すると、∞になる
全射の意味 :
X(Xと全射)=X (X <= ∞)
X(Xと全射)=∞ (X > ∞)

実数拡張の意味 = 全射の概念を実数濃度に拡張する



(3)両者の違いを説明 
ZFC内ではほぼ差がない(ように私には見える)のですが、
一点見つけたのが値の評価のタイミングのずれです

一般的には ∞ + 1 = ∞ ですが

私の解釈では
(∞ + 1) ≠ ∞ ,(∞ + 1) > ∞ となります

ただし (∞ + 1)(∞と全射) = ∞ なので、
(∞ + 1)(∞と全射) = (∞)(∞と全射) になります
(この現象を応用したのがタイトルの質問です)

全射を使ってしまうと同じ結果になってしまうので
全射を使わずに((∞ + 1) ≠ ∞)が偽であることを(ZFCにより)証明できるのなら
私が間違っていたことが簡単にわかるのですが。


>「自然数ではない偶数」
失礼しました。自然数集合に含まれない偶数集合の要素です。


>「(ZFCによる)帰納法の限界」、「帰納法の限界を超える」
元々ZFCでは区別がつかない(と私が考えている)ものの比較をしようとしているので、
ZFCにおけるXと、ZFC+αにおけるXの違いを比較しています

系でいうとZFC、ZFC+(N=∞)、ZFC+(N≠∞)、の3種類。
Xにあたるのは、自然数及び全射。もっと細かく言うと∀記号の有効範囲です


自然数や全射の有効範囲は帰納法の大きさに制約されています
では帰納法の大きさは何に制約されるかというと、それは公理系だと考えています
自然数と足し算の例では、整数に拡張することにより+記号の制約が明らかに変化しています

同様に、系が違うときに帰納法の範囲が同じである保証はないはずです

つまりZFCにおける「自然数」と、ペアノの公理による「自然数」は有効範囲が違うかもしれない
ということから「(ある系においての)帰納法の限界」という言葉を使っています



>二つの集合が「同じ数」であるとは?
「その二つの集合より間違いなく大きい有効範囲を持つ全射により全射が成立する」
もし全射の有効範囲より集合のほうが大きかったら、結果は未定義になるはずです

>モデル論が比較的近いように思います
ありがとうございます。ちょっと調べてみます

補足日時:2009/08/21 01:23
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>A(集合)にBしてC(集合)になるのを、AB=Cとしてあらわすことにします


すると、Bという記号は集合全体から集合全体への関数のようなものとして見れば良いということですね。ならば、もっと関数のような記号の方が良いと思います。

“AB=A"で、「Bが単位元と同等の性質を持つ」ということを表わしたのでしょうが、間違っています。
任意の集合Xに対し、Bを実行するとXになる、ということを書きたかったはずです。 ∀X(XB=X) がそれにあたります。こういうつもりでなかったとすると、単位元というものを理解してなかったと言わざるをえません。
一方、“AB=A"は、Aという集合についてしか言及していません。alfdesさんは最初はAは特定の集合としていたのに、このあたりから任意のものを表わす変数のようなものとして扱ってきて、その後はその二つを混同してるように思えます。

>B':= ((AB≠A) ∧ (AB=D) ∧ (D=C))
一般に、P(a)∧a=b というのはP(b)という命題と同値です。なので、上のは AB≠A ∧AB=C ということです。間にDを挟むのが理解できません。

>A=Cになるのは、Bが単位元としての性質を持つときのみ
そうではない例もつくれます。Cとは異なる集合Dをとってきます。
Bというのを次のように定めます。
XB=D (if X≠C) XB=C (if X=C) 
つまり、CではないものにはDを、Cの時に限りCが出て来るようにします。このBは明らかに単位元のような性質を持っていません。しかし、AB=Cが成立するとき、A=Cとなります。 



最初の質問から大分離れてきたように思えます。ここらで、目標を確認したいと思います。このままではいたずらにやりとりを繰り返してしまうと思います。(身近に集合論を勉強した人(友人や先生)がいるなら、そういう人と直接やりとりした方が早いでしょうが)

率直に言いますと、alfdesさんは通常の定義(特に写像に関するもの)を何か勘違いしたため、独自のものをやろうとしているのでは、と私は疑っています。その点が明らかになれば私としては十分です。適当に狙いを絞ってもらえないでしょうか?

この回答への補足

>>目標を確認したいと思います
そもそものタイトルの自然数と偶数の比較はどうういうものだったかというと

・順に並べた、同じ数の偶数と自然数の集合があるとき、
少なくとも有限集合であれば、必ずその自然数集合に存在しない偶数集合内の値が存在します
(というか、自然数ではない偶数が単調増加します)

その自然数集合が、可算無限集合であるとき、
同数であるはずの偶数集合には、自然数集合に含まれないものが存在するかどうか?というものです



もし自然数(可算数)ではない偶数を認めるのなら、可算無限と非可算無限は連続している(ある可算数に+1すると非可算になる)
のではないか?という新しい質問、

もし自然数(可算数)ではない偶数を認めないのなら(そしてそれが全射のせいなら)、
そもそも全射は同じ数であることを保証していないのでは?
((A)(全射)=Cのとき、A≠Cが真の可能性)という新しい質問を投げようと思っていました




自然数(可算数)ではない偶数の存在を認めるかどうか、というのがとりあえずの目標です
ただここまできた以上、(A)(全射)=Cのとき、A≠Cが常に偽になる根拠も知りたいです

せめて数学のどの分野かがわかれば、とっかかりがつかめるのですけど。



>>任意の集合Xに対し、Bを実行するとXになるということを書きたかったはずです。
違います
"ある特定の集合Xに対し、ある特定のBを実行すると(たまたま)Xになる"です
任意ではありません。ここでは定数のニュアンスのほうが近いです


>単位元というものを理解してなかった
確かに少しいいすぎました。
しかし、ある特定のA,ある特定のB,ある特定のC,のみに問題領域を絞り、
それ以外を考えないという状況下では、それほど間違ってはいないと思います。
(反例となるAやBやCに他の物を入れることをそもそも想定していないので、反例が存在しない)


たまたま選んだ(偽になってもおかしくはない)AB=Cが、たまたま真だったとき、
そのA,B,Cの範囲内でわかることを述べています

ある特定のA,ある特定のB,ある特定のCによる(AB=C)関連から求めたいのは、
(AB=C)によってA=Cが真であることがわかるかどうかだけです。

適当に選んだ (2)(*3)=(6)が真のとき、(2)=(6)が偽となること(反例)をもって、
AB=Cが真のとき、A=Cが真とは限らないというだけのことです。

((AB=C)が真のとき(A=C)が真とは限らないということ)は、疑問の余地なく真です



AB=Cが真ということだけがわかっていて、
A=Cを真であるといいたいならば、
(AB=C)→(A=C)は成り立たないので、

((AB=C) ∧ P)→(A=C)
となるPと、(Pが真)が必要です。((AB=C)であることを利用するならば。)

もしくは単に (P→(A=C))と(Pが真) でも可。その場合 、A→(B→A)を利用して、
(P→(A=C)) → ((AB=C) → (P →(A=C)))

さらにいえば、(A=C)が公理(もしくは議題における前提条件)であっても可

(ここでも、A,B,C,Pはある特定のA,B,C,P。)




ここで、Bの候補として次の2つをあげます
B1 : if(X≦C){X(B1)=X}, if(X>C){X(B1)=C}// 切捨て
B2 : if(X≦C){X(B2)=X}, if(X>C){X(B2)=X}// 要は単位元

(ここで初めて、X、Nを変項とします。B1,B2,A,B,Cは定数)

B1とB2は、(X≦C)の時には、全く区別がつきません


AB=Cが真、NB=N (N≦C) が真とするような
B=B1,C,N のみを使う体系を作り、
B=B2,C,N のみを使う体系を作った時

B1による系と、B2による系は全く同じになります。((N≦C)なので違いが証明できない)
全く同じということは、曖昧だということです


B1、B2を区別したければ、この場合、X>CとなるXに対してBを適用しなければ違いがわかりません
また、B1の系ではA=Cは真ですが、B2の系では必ずしも真ではありません




ここで、A,Cに(自然数全体)と、(可算無限集合)を当てはめます

もし(A=C)であれば、全射はB2でなければいけないです
つまり、(A=C)が真ならば、自然数と全射の時点で(実数拡張する前に)、
全射が可算無限集合より大きい、つまり帰納法の限界を超えていなければいけません


自然数が帰納法の限界を超えることはありえるとおもうのです。
なぜなら、自然数はZFC以外でも使われるため、(ZFCによる帰納法の限界 ≠ ZFC以外の系による帰納法の限界)であれば、
自然数はZFCによる帰納法の限界を超えるかもしれません

しかし、ZFCで定義される全射がZFCでの帰納法の限界を超えるのは自明とは思えないです



>alfdesさんは通常の定義(特に写像に関するもの)を何か勘違いしたため
勘違いしているわけではなくて、わざと違う意味の解釈をしているのです
自然数、全射という単語に、全く違う意味を割り当てても
ZFC内の全事象で全く区別がつかないなら、それもZFCと呼べるのでは?ということです

補足日時:2009/08/10 22:51
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どうも 横槍失礼いたします。


突然の質問ですがalfdesさんは学生さんでしょうか?

理工系の大学生さんなら数学の基礎授業みたいなのあると思うんで授業終わった後とかについでに質問するといいと思いますよ!
(高校生であれば頭よさげな数学の先生にきくのがGood!)

(一応僕は数学専攻しているはしくれ者ですが正直alfdesさんのいっている意味がさっぱりわかりませんでしたよ!!)
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>A':= (A=C) ∧ ((A=C)→C))


B':= (Bに副作用がある→C)

Cは集合なので、それ単体で→(ならば)の後ろにくることは形式的におかしいです。→の前後にくるものは、命題(論理式)だけです。
それに、一般にP∧(P→Q)という命題はQに等しいです。そうすると、A’は“C”という命題と同値です。一体、何を考えようとしたのでしょうか。

B’も意味がわかりません。「Bに副作用がある」とはどういう意味ですか。

この部分がわからないので、これに関する他のことについては、何ともいえません。

やはり、私にはalfdesさんがどういう公理系でやっているのかさっぱりわかりません。今までのやりとりから、ZFCに少し手を加えたところでやってると判断しました。しかし、なぜ濃度の議論を、ペアノの公理だけのところでするのか理解できません。写像の概念がないところで濃度の議論などできるはずもないと思います。
折角、いろいろ定義してくださりましたが、alfdesさんが考えている公理系がわからなければ、判断のしようがありません。なので公理を教えてください。適度に論理式を使って記述して、それについての説明をお願いします。ZFCのものは省略しても構いません。念の為、ペアノの公理についても説明してください。私が想定してるものと異なるものなのかもしれません。

この回答への補足

>Cは集合なので、それ単体で→(ならば)の後ろにくることは形式的におかしいです
すみません。うっかり間違えました
今回は大丈夫だと思うのですけど。


A(集合)にBしてC(集合)になるのを、AB=Cとしてあらわすことにします
最初の仮定により、(AB=C)は真

(AB=C)が真であるためのAとBの関係は、
AかBが単位元と同等の性質を持つ場合と、持たない場合があります


Bは集合ではないので、B≠C (ここから、Aが単位元のパターンを削除)


AB=CでA=Cを導きたいならば、Bが単位元の性質を持つことを示す必要があります
Bが単位元であることを表す(AB=A)が真なら、
(AB=C)が真であり、((AB=A) ∧ (AB=C))→(A=C)としてあらわせます
A':= (AB=A)

しかし、Bが単位元でなくても、(AB=C)が成立する可能性があります
B':= ((AB≠A) ∧ (AB=D) ∧ (D=C))

(AB=C)→((AB=A) ∨ ((AB≠A) ∧ (AB=D) ∧ (D=C)))→(A' ∨ B')

(論理式にはあまり自信がないです..)


具体的に有限な整数論で適当な値を当てはめてみます(Bを(演算子+値)と解釈します)
-A'が真のとき
例えば A=(6), B=(*1), C=6のとき、
(6)(*1)=6
同様に、
(6)(/1)=6
(6)(+0)=6
(6)(-0)=6

-B'が真のときも同様に、
(2)(*3)=6
(12)(/2)=6
(5)(+1)=6
(10)(-4)=6

(AB=C)が真で、Cが6のとき、
Aが6になるとは限りません
A=Cになるのは、Bが単位元としての性質を持つときのみ、
つまりA'が真のときのみです


>B’も意味がわかりません。「Bに副作用がある」とはどういう意味ですか
AをCに変える効果です。
C=6とした程度の縛りなら、上記のとおりBは無限にあります

A,B,Cの条件によっては、A'が恒偽だったりB'が恒偽だったりすると思いますが
(AB=C)が(A' ∨ B')とならないものはないと思うのですが・・
(BではなくAが単位元と同じ性質を持つパターンはありますが)


この性質は、おそらくZFCではないと思うのですが、正確には何の系かよくわかりません
結局のところ、Aを変化させるかさせないかの
どちらかだといってるだけなので、たいしたことではない・・はずです


上記性質を使うと、

集合Aと、集合ではないBがあり、
AB=可算無限集合になるとき、
A'か、B'かどちらかは判断できません。

Aが自然数全体のとき、
(自然数全体)B=可算無限集合
とおけますが、Bが未定義の状態では、自然数全体=可算無限集合とは限らない
のでA'か、B'かどちらかは判断できません。


A'か、B'か判断可能だとすれば、それはBの意味によるものといえます


ここまではごくごく普通の理屈のはずなのですが・・。どうでしょうか。




ここで、B=全射とする前に、
(自然数全体)B=可算無限集合 で、(以降AB=C)
A'、B'を成立させるBを考えます

A'が真のとき、
AB=Aが真、AB=Cが真、CB=Cが真 です
(このときのBを、(B1)とする)

B'が真のとき、
AB=Aは偽、AB=Cが真、CB=Cが真です
(このときのBを、(B2)とする)

(B1)を使ってZFCが成立するのは自明として、
(B2)の解釈によるZFCを否定できないなら、
AB=Cが真からは、Bが(B1)か(B2)かはわからない(曖昧?同値関係?)になります


ここから、
(B1)とは無関係に、(B2)が存在しないことを証明できない限り、
A'が真とはいえないのではないかと思うのですが、どうでしょうか。

補足日時:2009/07/31 00:49
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>ZFCに"自然数は非可算数である"という前提を加えても、矛盾しないのではないかということです



"自然数は非可算数である"という公理をZFCに加えた体系でやっているということですか。しかし、私にはこの公理が読み取れません。

まず、「非可算数」の定義がわかりません。ZFCのもとでの非可算集合ということでしょうか。そしてここでの「自然数」はなんでしょうか。この公理が加わってないので、alfdesさんが言うところの「非可算な自然数」はこの段階ではないはずです。ZFCのもとでの自然数、「非可算数」をZFCのもとでの非可算集合と解釈すると、意味がないものになります。(矛盾した公理系をつくっただけになります。)

ZFCに何かしらの公理を加えたものが無矛盾かどうかということですが、次のようなことをする必要があると思います。
(1)加えた公理がZFCから導けるかどうか
考えたものが実はZFCから証明できるものかどうかを、試してるみる必要があるでしょう。(前提としなくても導けるものかもしれないということです。)

(2)その新しい公理系を満たすモデルを強制法などを使って構成する。
恐らくこれが標準的なやり方でしょう。加える公理がZFCから独立であることも示したければ、ZFCに新しい公理の否定を加えた公理系のモデルもつくれば良いでしょう。

いずれにしても、新しい公理を正確に書くことが必要です。強制法を使うなら、論理式に書けなければ話にならないでしょう。

>ZFCに必要なのは可算無限だけであり、自然数は必要ないかと
自然数を使わないとなると、ωを定義するのも相当困難だと思いますが。へたをするとωをつくることもできないかもしれません。有限であることを言うのもどうするのでしょうか。そのような状況でどうやって「可算無限」を定義するのでしょうか。「自然数」は必要ないと言いながら、なぜ「自然数」に関する公理を加えようとしてるのでしょうか。最初の「自然数」と後の「自然数」は違うものになってるのでしょうか。もしそうなら、区別できるように適切な名前をつけてください。

>集合A(X個 Xは不定値) があり、
これに処理B(Bは未定義処理)を実行すると、集合C(10個)になるとします

ここでのBは無定義述語記号ということですね。いくつか疑問があります。(「実行」や「処理」も無定義用語ですね)
(1)任意の集合に対してBを「実行」できるのか
(2)Bを「実行」するとCになるとあるが、どの集合に対してもCがでてくるのか、それともCに限らず何らかの「10個」の集合になるのか
(3)「10個」の集合とはどのように定義されているのか。自然数なしでどのように定義しているのですか
(4)「副作用」はどのような時に生じるのか。常におきるのか、それともいつ生じるかわからないのか
(5)(副作用 = Aを10個に変化させる)とありますが、どのような「10個」の集合に変えるのですか。常に同じものに変えるのですか、それともその時々で変わるのですか。また、変わった集合に対してBは常に「実行」できるのか
(6)集合XにBを「実行」して、「副作用」がおきたと仮定します。
このとき、「副作用」によってXが変化したものX’という「10個」の集合に、Bを「実行」して得られるものが、XにBを「実行」し、「副作用」がおきたときに得られるものになってるのですか。それとも全然別のものですか。

結局のところ、Bという記号は、Bを「実行」できる集合については、なにかしらの「10個」の集合になる、「実行」できない集合もあるかもしれない、ということでしょうか。

これをもとにして、「一対一対応」という無定義述語記号は、「一対一対応」を「実行」できる集合については、なにかしらの「可算無限」集合を与える、「実行」できない集合もあるかもしれない、そういう記号として導入するということでしょうか。

ここに出てくる「可算無限」はどういう定義でしょうか。ZFCのものでしょうか。「一対一対応」という記号はこの段階ではまだできてないので、これを使って定義することもできないはずです。(“無定義述語記号”といっても、何かしらのルールをもった記号として定めているはずなので、それの定義に同じものが出てはまずいと思います。)

>集合A(不明)と一対一対応(<=可算無限)したものが集合C(可算無限)のとき、
Aが可算無限である保証はないように見えます

ここでも「可算無限」をどういう意味で使ってるのかわかりませんが。ZFCのものと解釈すると、仰るように保証はないでしょう。そのように定義したのですから。alfdesさんの定義した「一対一対応」は通常のものとは全く異なります。最早、写像にもなっていないです。なので別の名前にした方が良いでしょう。通常の一対一対応という概念は、alfdesさんが考えている記号など使わずに定義されていますし、写像に対する概念で、alfdesさんが考えているような制限もありません。また、写像を考えるときは、その定義域は明確になっています。

>集合A
f:A'→B
の時、全射が保証するのはあくまでもA'とBの関係であり、
AをA’に適用可能かどうかは保証されているようには見えません

A’というのは一体なんですか。「Aの可算値全体」とかですか。だとしても、「可算値」というのが何なのか不明瞭です。ここで言う「全射」もなんでしょうか。無定義述語記号の「一対一対応」のことか、それに類似するものですか。しかし、alfdesさんの定義では、それらは写像ではないはずなので、上のような形ではないはずです。通常のものと混同しているのではないでしょうか。

>fが可算に制限されていて、A=非可算、A'=可算、B=可算のとき、暗黙的に
f:A⊃A'→B になってるのではないかということです

通常は、写像が可算などという制限はありません。ですから、alfdesさんが心配してるようなことは起きませんし、考える必要もないです。そのような暗黙のルールも聞いたことがありませし、あるとも思えません。定義域が「可算」なものだけ考えると言っておきながら、定義域が「非可算」なものも無理やり考えるというのがよくわかりません。何の為に制限をしたのでしょうか。

違った概念を考えているはずなのに、どうして通常のものと同じ名前で議論するのでしょうか。なぜ違う名前をつけないのでしょうか。同じままでは、通常のものなのか、alfdesさん独自のものなのかを常に考えなければなりません。どちらで解釈すればいいのかわからないことが多すぎます。

この回答への補足

>>集合AにBして集合Cになる話
ある特定のAに対し、特定のBをしたら、特定のCになります
A,Bが完全に同じなら常にCですが、そうでない場合は全て不明です

(1)-(6)
答えは全て不明です。できるかもしれないし、できないかもしれない
((3)は・・自然数のつもりでしたが、10個という未定義の言葉でいいです)

ここからわかるのは、前節#1~#4だけです
#3であると主張したいなら、#3であることを主張した人に#2や#4でないことの証明責任がつきます

Aと副作用の条件をまとめて、A',B'でおきかえます
A':= (A==C) ∧ ((A==C)→C))
B':= (Bに副作用がある→C)

AにBしてCになる場合、
(A' ∨ B') → C です

Cだからといって、当然 C → A'は成り立ちません
C → A'を示したいなら、B'=偽を示さなければいけません


AにBしてCになる、という構文に無限公理をあてはめます
(自然数全体)Aに(全射)Bして(可算無限集合)C になる時
この構文だけでは自然数全体が可算無限集合とはいえません(C → A'になってしまっています)


また、自然数全体が可算無限かどうかは、ペアノの公理からは不明です
(可算無限は無限公理、つまり全射を伴うことが条件であり、ペアノの公理単体では不明)

さらに自然数全体が可算無限集合であることを使った公式
(可算無限集合ではダメで、自然数全体でなければいけないもの)も見当たりません


>通常は、写像が可算などという制限はありません。考える必要もないです
はい。通常(A'が真の時)かつZFCを使うだけならそうです。
しかしA'が正しいのであれば、B'が偽であることの証明が必要ではないでしょうか


>違った概念を考えているはずなのに、どうして通常のものと同じ名前で議論するのでしょうか
そうですね。ちょっと整理してみます


可算全射、非可算全射、ペアノ自然数、全てのペアノ自然数、
可算自然数、可算自然数集合、非可算自然数、非可算自然数集合、自然数の可算自然数集合、を定義します

-----------------------
可算全射 ・・ ∀の記号が可算に制限されたもの(∀xのとき、xが可算でなくても可算に切り捨てられる。可算以下なら通常と同じ)
非可算全射 ・・ ∀の記号に制限がないもの

ペアノ自然数 ・・ ペアノの定理から求められるもの
全てのペアノ自然数

全てのペアノ自然数と可算全射したものを、可算自然数集合とします
可算全射の特性上、全てのペアノ自然数⊇可算自然数集合までは自明とします

全てのペアノ自然数と可算自然数集合の差集合を非可算自然数集合とします

可算自然数集合のうち、ペアノ自然数とペアノ自然数を可算全射したものを、自然数の可算自然数集合とします
自然数の可算自然数集合の元を、小さいものから順に並べたものを可算自然数とします
非可算自然数集合の元を、非可算自然数とします
----------------------------


@1 全てのペアノ自然数=可算自然数集合であるとき、(=A'が真)
非可算自然数は存在しないので関連を全て削除すると、可算全射だろうと非可算全射だろうと無関係に一般のZFCになります


@2 全射が可算自然数集合に制限されていた時、(=B'が真)

それでも全てのペアノ自然数=可算自然数集合であるときは@1です。

そうでない時、
全てのペアノ自然数 = 可算自然数集合 ∪ 非可算自然数集合
全射が可算自然数集合に制限されている場合、実質全射は可算自然数集合として表現できます
全射 = 可算自然数集合

結果、全てのペアノ自然数と全射の関係は、
(可算自然数集合 ∪ 非可算自然数集合) ∩ (可算自然数集合) = 可算自然数集合



このとき、可算自然数をZFCの自然数とよびます(ここは私の拡張。一般にはペアノ自然数/可算自然数が曖昧。)
また、可算自然数集合をZFCの可算無限集合とよびます(無限の定義どおり)

@1でも@2でも、ZFCの自然数と、ZFCの可算無限集合は同じものになります
実際集合の本を数冊ざっとみただけだと、
@1でも@2でもどちらの解釈でも成立するように見えてしまいます

補足日時:2009/07/23 02:16
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 本当に別の体系だったということですか・・


何かしらの公理系のもとでやってるはずですので、alfdesさんが考えているところの公理を全て列挙してください。言葉では誤解が生じる可能性が高いので、可能な限り論理式で書いてください。そしてひとつひとつの公理について説明をお願いしまいます。
これが共有できないと、私にはalfdesさんの主張に対して何も言うことはできません。(トランプなどのゲームで、そのルールを知らなければまともにプレイすることができないとの同じ理屈です)また、alfdesさんが、自分の主張を他の人にわかってもらいたいと思っているなら、自分がつくった(考えている)体系のルール(公理)をきちんと説明する義務があると思います。

 ZFCに少し手を加えたようなものなら、私でも判断できる可能性がありますが、全然違う公理系でしたら私の守備範囲を完全に逸脱しているので、その時はあまり助言はできないと思います。

>私が疑っているのは、自然数及び自然数全体が本当に可算なのか?ということです

 非常に危険なことを言っています。この文での「可算」がZFCのもとで定義されたもの(即ち、自然数全体ωからの全射が存在する)であれば、alfdesさんが混乱していると判断せざるを得ません。なぜならZFCのもとで、自然数、ωが可算であることは容易に証明できまし、ωの濃度のことを可算無限という、という風に定義したと捉えることもできます。

 一方で、今までのやりとりから、alfdesさんは「可算」の定義をZFCのもとで定義されたものとしているはずです。以下はそう判断したところの文です。
>>可算の定義は通常、「自然数全体からの全射が存在する」です。
はい。その全射後の物は可算ですね
>>alfdes さんの考える「可算/非可算」の定義はどうなるのですか?
文面は全く同じです
空集合φから構成する「自然数の集合」
{φ, {φ}, {φ, {φ}}, ... }
をωとして、ωと一対一に対応する集合を「可算集合」とします
(このような自然数の構成は、通常はZFCのもとで為されたものと考えます。)

 上の2つのことから、私はalfdesさんが何かしらの混乱をしていると思います。

 これとは別に、alfdesさんが混乱していないとして、「私が疑っているのは、自然数及び自然数全体が本当に可算なのか?ということです」が何か意味のあることを言ってるものとして解釈してみます。
この文の「可算」がZFCのもとで定義されたもの(私が考えているもの)とは異なる概念なら、意味があると思います。(あるいは、「自然数」、「自然数全体」が、私が考えているものとは異なる概念の時)
この場合、次のことをすべきと思います。
(1)異なる概念なので区別できるよう、別の名前をつける
同じままでは誤解が生じてしまいます。

(2)どういう定義かを明確に記述する
定義がわからなければ議論のしようがありません。論理式で書くほうが誤解が生じにくいので、論理式をある程度使った方が良いと思います。

(「自然数」の方が異なる場合、両方とも異なる場合も同様です。)

同じ言葉でも、私とalfdesさんが考えていること(定義)が違う可能性
があります。なので、これからは、私が考えているもの(定義)に関するところでは原則的に、「」をつけないで書きます。逆にalfdesさんが考えているものと思われるものについては「」をつけます。

>定義(自然数と一対一対応したものが可算(=可付番無限集合))
前後の文から、これはZFCのもとでの可算の定義について述べていると私は判断しました。しかし、この定義をまともに読むと、間違ったことを書いてるようにしか思えません。
まず、“一対一対応”という言葉は、通常、単射になってることを表します。(f:A → B が単射とは、任意のAの二つの元a,a'に対し、f(a)=f(a') ならば a=a' という意味で使ってます)ですが、たまに全単射の意味で使うこともあります。同じように、“可算”も、“有限か可算無限”のことを表したり、“可算無限”のみを表したりすることもあります。(人によって使い方が異なることがあるということです。)

1“一対一対応”を単射と解釈したとき
集合Xに自然数nからの単射がある、とします。このことからわかるのはXの濃度がn以上ということだけです。無限集合になるかどうかなどわかりません。

2“一対一対応”を全単射と解釈したとき
集合Xに自然数nからの全単射がある、とします。このときはXは有限集合です。無限集合にはなりません。

一番おかしいのは、“自然数全体(ω)”と書くべきところを、“自然数”と書いてしまっている点です。自然数とωは明らかに異なる概念のものです。これを混同して書いてしまうのは通常ありえないです。区別がついてないと思われても不思議ではないと思います。
他の人とは異なる体系であろうとなかろうと、自分の考えていることを正確に記述するということは非常に大事なことです。


>自然数、自然数全体という単語を、可付番、可付番無限集合と差し替えます

通常、可付番集合と可算集合は同じ意味です。「可付番と可付番無限集合を使ったZFCには」という文から、alfdesさんの「可付番」というのはZFCのもとで定義されたもの、つまり私が考えているものと同じと判断できます。そうすると、上の行為は定義するときにつける“名前”として“可付番”というのを採用したというだけの話です。平たく言うと言い方を変えただけです。それでは何もでてこないと思います。


>自然数と一対一対応、どちらが可算個なのかは、
定義からは判断できなかったのですが、どこで規定されているのでしょうか

「自然数」、「一対一対応」、「可算」をZFCのものと考えると、上の文は全く意味がわかりません。そもそも自然数とωをここでも間違えているのもありますが。何度も言ってますが、可算であるとは、ωからの全射が存在することです。ここでの「一対一対応」は前後の文から定義域がωのものと思われます。なのでωもこの一対一対応の写像も可算です。前の文で、「自然数が可算無限のとき」、「一対一対応の定義域が可算無限のとき」と場合分けしてますが、どちらも成立するので分ける意味がないです。分ける意味があるのは、「可算」の定義がZFCと違うときでしょう。





>f:A → B
の時の、Aが可算に制限されたものです
このfに対して、非可算(実数)濃度のRをAに当てはめます

「このf」と言った以上、fの定義域は最初に与えたAのはずです。その定義域を勝手に別の集合(R)に変えるというのは意味不明な行為です。“f:A → B”というのは一般的な写像を表す形にはなってません。AからBへの写像しか表していません。このことから、alfdesさんは一般的に「制限された写像」というのを記述できなかったと私は思います。言いたくはないですが、「定義域が可算な写像」ということが恐らくalfdesさんが考えていることだと思います。勘違いをしたまま議論を進めているとしか思えないので、ここから先の議論を修正する必要があると思います。

>・集合の要素に順番をつけることができる
・順番に対応をとる
・できる限り(fの定義域分)対応をとる

このようなことが本当に言えるのですか(3番目の主張が若干不明瞭ですが)。alfdesさんが想定している公理系から上のようなことが証明できたのですか。(公の場に出しても問題ないような証明をしたかどうかということです)

>この時のRを自然数と呼んでもZFCは壊していないと思うのですが、どうでしょうか

まず、言うまでもないでしょうが、ここでも自然数とωを混同しています。そして、「ZFCを壊す」とはという概念でしょうか。どうも矛盾がでることを心配しているようですが。
alfdesさんはZFCでつくられた自然数とωを使っているはずなので、この時点でZFCの無矛盾性を仮定していることになります。なので、なにか矛盾が出て場合は、alfdesさんが考えている公理系が矛盾しているということになると思います。

この回答への補足

>「自然数」、「一対一対応」、「可算」をZFCのものと考えると、
え・・とそうではなく。
ZFCに"自然数は非可算数である"という前提を加えても、矛盾しないのではないかということです
文面が同じ、可算は(ほぼ?)おなじですが、自然数(=非可算)と一対一対応(可算に制限付き)は別物です
ZFCに必要なのは可算無限だけであり、自然数は必要ないかと


全射と書くと混乱するので、まずは未定義用語として捉えます
集合A(X個 Xは不定値) があり、
これに処理B(Bは未定義処理)を実行すると、集合C(10個)になるとします

この時、A,Bには次の4パターンの関係が存在します
#1, 偽 Aが10個ではない かつ Bに副作用無し
#2, 真 Aが10個ではない かつ Bに副作用あり
#3, 真 Aが10個 かつ Bに副作用無し
#4, 真 Aが10個 かつ Bに副作用あり
(副作用 = Aを10個に変化させる)

真になりえるパターンは3パターンあり、またこの条件下ではこれ以上絞り込めません
Cが10個であることは前提から自明ですが、Aが10個かどうかはわかりません

AにBした結果Cになる場合、構文上は#2,#3,#4のどれかです



Bが一対一対応とします
上記により、未定義のままなら#3であるとは示せないので、
#3であるなら、一対一対応が副作用を伴わないことを証明できなければいけません

・・しかし、少なくとも現実世界では副作用を伴います。
また、有限の世界でもBは副作用を伴います

この例が先にあげた"私の数えることのできる飴"です
私の残りの寿命で数えることが可能な数が10の時、袋の中の飴が20でも
「私に数えることのできる飴」は10です。

集合A(20個 !=10) を 数えるB(<=10)と、集合C(10個)になります

数える≒一対一対応 自体に制約がある場合、
数えることは、元々の集合Aを減らす副作用を持ちます



集合A(20)と一対一対応B(<=10)したものが集合C(10)になります
同様に、
集合A(不明)と一対一対応(<=可算無限)したものが集合C(可算無限)のとき、
Aが可算無限である保証はないように見えます

これが起こっていない理由はどこにあるのでしょうか



集合A
f:A'→B
の時、全射が保証するのはあくまでもA'とBの関係であり、
AをA’に適用可能かどうかは保証されているようには見えません

fが可算に制限されていて、A=非可算、A'=可算、B=可算のとき、暗黙的に
f:A⊃A'→B になってるのではないかということです

補足日時:2009/07/14 22:55
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私は通常の集合論公理ZFCをもとにしていますが、alfdesさんは違う体系で数学をやってるように思えます。



>自然数と一対一対応したもの
alfdesさんの一対一対応がよくわかりません。自然数全体を定義域とする単射ということでしょうか? それとも自然数nを定義域とする単射ということでしょうか?

>全(単)射が、可算にしか対応しない時  一対一対応が、「可算のものしか対象に取れない」
自然数全体を定義域とする写像fで、どの自然数nについて、f(n)が可算集合になっている時を考えるということですか。それともそういう写像のみを考えるということでしょうか。

私は、「自然数全体からの全射が存在する」集合のことを可算集合としています。ここでいう「全射」も、それのとる値については集合であればなんでも良いです。(通常の集合論における写像ということです。)

f(n)が非可算集合になったからといって、fが何かの非可算集合への全射であるかどうかなどわかるはずもないと思います。

>全射をした結果が自然数全体になるとは限りません
自然数全体への全射でどうしてそのようなことがあるのですか。
私は、「f:A → B がBへの全射とは、任意のBの元bに対し、あるAの元aがあってf(a)=b」という意味で全射を使っています。
つまり私が使ってる全射は、alfdesさんの言うところの「可算なもの」とか「非可算なもの」とか、写像の値についてそういった区別をしません。この定義ではalfdesさんのような結論にはなりません。
それとも、ある制限がついた写像のみを考えていて、そのようなものに対して新たに別の「全射」という概念を導入しているのですか。
例えば、Bの任意の要素について、「可算なもの」ならば、ある自然数nがあってf(n)がそれに等しい 
といったようなことでしょか。

>自然数と一対一対応したものが可算であるならば、
(自然数の値域が可算) or (一対一対応できるものの値域が可算) ではないですか?

alfdesさんの「一対一対応」がわからないので、私にはなんとも言えません。しかし、alfdesさんが正しいと思っているのであれば、それを自分で証明しようとすべきです。他の人と異なる体系でやっていることを自覚しているなら尚更です。仮定と定義が共有できれば他の人もその証明があってるかどうか判定できると思います。


>可算とは「自然数全体から可算個(全ての可算値)だけ取り出されたもの」です。

よくわかりませんが、自然数全体からの写像に何らかの制限を加えたところで、alfdesさん独自の「可算」という概念を定義しようとしている、考えているということですか。上の文で「」の中の“可算”と外のものが同じだとすると意味が全くわかりません。定義にも何にもならないのではないでしょうか。また、別の概念を導入しようしているなら、区別できるように名前をつけるべきです。

>また、可算同士は全射になります
どこからどこへの全射なのか不明瞭です。2つの「可算」なものがあるとき、一方からもう一方への全射が互いにあるということでしょうか。有限集合がalfdesさんの「可算」にあてはまるなら、この主張はおかしいのではないですか(1元集合と2元集合では、片方からしか全射はない)それとも「全射」の定義が異なるのでしょうか

>一対一対応が、「非可算のものも対象として取れる」とした時、つまり非可算に対応した全射

「非可算のものも対象として取れる」の意味も不明瞭ですので、どうしてこのような結論になるのかわかりません。どういう定義なのでしょうか。

最初に言ったように、私は集合論を主にやってるので、ある程度集合論的な記法、表現でないとalfdesさんの主張を読み取ることが困難です。(私の守備範囲を逸脱してきているせいもあります。)
なので、alfdesさんが自分の主張を集合論的な記述で書き直すのが面倒な場合は無理に回答なさらずとも構いません。

この回答への補足

>違う体系で数学をやってるように思えます。
はい。
ただし、基本的にZFCの考え方を否定するつもりはなく、
ZFCを壊すような問題があれば私の考えの方にミスがあります


私が疑っているのは、自然数及び自然数全体が本当に可算なのか?ということです
なので自然数を基礎(可算)としたZFCは今ひとつ信じられないのですが、
可算であることが定義から自明な、可付番と可付番無限集合を使ったZFCには、何の疑問もないです


定義(自然数と一対一対応したものが可算(=可付番無限集合))を除き、
自然数、自然数全体という単語を、可付番、可付番無限集合と差し替えます

私が調べた限りでは、これ(可付番/可付番無限)によって構成されたZFCは
矛盾が見つけられませんでした。
(可付番ではダメで、自然数でなければいけない事例が定義以外見つけられませんでした)

このことから、ZFCと自然数が真に関わっているのは定義部分のみであると考えています


ここで定義を見直します
自然数と一対一対応したものが可算(可付番無限集合)

この定義文からは、二つの解釈が有効です
可算に制約された原因が、自然数か、一対一対応か、どちらなのかが焦点です

自然数が可算無限個しかない時。
これはsettheoryさんのおっしゃるとおり、全射には可算無限個以上という制限しかつきません

一対一対応の定義域が可算個無限のとき。
このときは逆に、自然数には可算無限個以上という制限しかつきません


自然数と一対一対応、どちらが可算個なのかは、
定義からは判断できなかったのですが、どこで規定されているのでしょうか。



>ある制限がついた写像のみを考えていて、
そうです。写像の使用条件が可算に制限されたものを考えています
f:A → B
の時の、Aが可算に制限されたものです

このfに対して、非可算(実数)濃度のRをAに当てはめます

通常であれば「Aが可算に制限されている以上できない」で終了ですが、
"一対一対応"では、できるような工夫がされています。
・集合の要素に順番をつけることができる
・順番に対応をとる
・できる限り(fの定義域分)対応をとる
これら条件をまとめると、要は単にRから可算値のみからなる部分集合R'を生成し、
R'をfに渡しているのと同義です

f:R' → B
fの定義域の範囲内、つまりR'とBに全射が成り立つが、
RとR'は別のものになります

この時のRを自然数と呼んでもZFCは壊していないと思うのですが、どうでしょうか

補足日時:2009/07/11 00:32
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#8です。


「無限大に飛ばす」というのが私には不明瞭です。そして何を「無限大に飛ばして」、何と何とを比較しているのでしょうか。

「偶数が自然数が~」という下りがよくわかりません。何が主語なのかもわかりませんし、何をもって「同じ数」、「違う数」と言ってるのでしょうか。「非可算な自然数」、「可算でない偶数」も意味がわかりません。

>A,B,Cはどれも同程度に正しく
「同程度正しい」の定義はなんでしょうか。B,Cが成立するのは、(取り出すことができる数)が100のときに限ります。(取り出すことができる数)のとりうる範囲が100以上の自然数全体であれば、ほとんどがAになってしまうのでは。

>自然数と一対一対応したものが可算だからといって、
>自然数が非可算ではないとするのは論理の飛躍ではないかと思うのです

可算の定義は通常、「自然数全体からの全射が存在する」です。(可算無限と有限を合わせて可算というのが普通)
非可算はこれの否定、即ち自然数全体からの全射が存在しないことです。自然数全体からそれへの恒等写像は全単射なので、自然数全体は可算です。これのどこに論理の飛躍があるのでしょうか。
排中律を認めているなら「非可算でない」と「可算」は同じです。

順序数や基数の勉強をある程度した方が良いように思えます。無限についての感覚を養えると思います。

この回答への補足

>可算の定義は通常、「自然数全体からの全射が存在する」です。
はい。その全射後の物は可算ですね

>非可算はこれの否定、即ち自然数全体からの全射が存在しないことです。
はい。ここも認めます

>自然数全体からそれへの恒等写像は全単射なので、
はい。ここもそのとおり

>自然数全体は可算です。
ここが疑問です

全(単)射が、可算にしか対応しない時、
全射をした結果が自然数全体になるとは限りません



注目しているのは、自然数の数ではなく、
一対一対応の値域です


自然数と一対一対応したものが可算であるならば、
(自然数の値域が可算) or (一対一対応できるものの値域が可算) ではないですか?

ひとつ前に出した飴の例では、次のように場合わけして答えなければ正解ではないですよね
(取り出すことができる数)が100の時、袋の中の飴は100個以上、or
(取り出すことができる数)が100より多い時は、袋の中の飴は100個

同様に、自然数と一対一対応したものが可算であるならば、自然数全体の数は
自然数全体が可算の時可算。or
((一対一対応できるものが可算) かつ 自然数全体が可算) の時可算or
((一対一対応できるものが可算) かつ 自然数全体が非可算)の時非可算
と、場合わけがいるはずですが、
自然数全体が可算に決め付けるのが論理の飛躍に見えます


一対一対応が、「可算のものしか対象に取れない」とした時、
単に差し替えた次の文が矛盾しているようにはみえません

可算とは「自然数全体から可算個(全ての可算値)だけ取り出されたもの」です。
非可算はこれの否定、即ち可算個(全ての可算値)だけ取り出されたものではないことです。
自然数全体からそれへの恒等写像は可算個(全ての可算値)だけ取り出すことなので、
自然数全体は可算であるとは限りません。
なぜなら、自然数が非可算かもしれないからです
また、可算同士は全射になります


一対一対応が、「非可算のものも対象として取れる」とした時、つまり非可算に対応した全射は、
実質的に任意の非可算のものが2つあるときに区別が付いてしまう、
もしくは順番に並べることができるという拡張を加えるということですよね

・・とすると、自然数と実数が全射してしまわないですか?


自然数と一対一対応させるといった時、その一対一対応は可算のものしか対象にとれないというのは、妥当な解釈だと思うのですが。

補足日時:2009/07/07 00:52
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