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こんにちは。私は歴史が好きなのですが、ある程度全体を見渡すと改めて古代ギリシャの凄さがわかります。
ギリシャ以前のメソポタミアの歴史等を辿ってみても、古代ギリシャだけがなぜ突出して偉人や哲人が現れ栄えるようになったのでしょうか?
同時にギリシャは世界最古の民主政治を行ったともききます。

歴史の中ではこんなこと当たり前の事実みたいになってますが、改めて考えれば・・・ゲーム的にいえばギリシャだけ(文化面で)チート過ぎると思うのです。
ヨーロッパでは中世に入って地球が丸い云々のとき、もうギリシャでは地球の円周を計算した人がいます。
世界史的に見て、ギリシャだけが他と比べて性格が違って見えます。
なぜこんなことになっているのか理由があるのでしょうか?

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A 回答 (9件)

 地歴教育の専門家としてはこんな回答になりますが、妥当性は疑ってください


(1)宗教規範による強い束縛がなかった
(2)余剰生産力が豊富で、非労働者階級(知識・芸術を生業とする階級)が多く発生しえた
(3)民主制社会によって、自由な発想・思考が保証された
(4)個人を束縛する社会体制が希薄で、アナーキー(ホッブス的)な社会だったから
(5)海上貿易の発展・文化の中心として多くの知識・学術が集約しえた

以下のような状況が大きいのではないでしょうか?

ギリシャの古代は自然科学の発展が目覚ましいわけですが、これはギリシャ哲学の発展があってこそでしょうが、学問を追求してゆける社会環境が整備されているからこそ・・・というのが結論でしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
>宗教規範 オリンポスとかギリシア神話は有名ですが、昔のギリシア人はそれらを宗教としてとらえるまでには至らなかったんでしょうか。
この宗教というのは、エジプトやメソポタミア地方の国々では昔から自然発生したかのように国の政治や文化と密接に関わっていたと思います。
つまり「ギリシャにだけ宗教の強い束縛がなかったのはなぜか?」と、同じ疑問を抱いてしまいました。民主制もギリシャが豊かだったから自然に発生した政治の仕組みでしょうか。

古代において哲学者といえばギリシャ以外にいないですよね。ギリシャの豊かな環境が哲学者の卵を育て、生まれ育った学者たちが弟子に教えるという良い循環も一因だと思うのですが、根本的な切っ掛けとなったものはギリシャの環境か、それとも哲学的思想を持ったギリシア人が集まってギリシャを作ったからなのか・・・。

みなさんの意見を参考にして、ギリシャは小島が多く集まった地形ですから、大規模な都市というよりは各地に小さなポリスを築く体制だったと思います。そういう小さな集団に囲まれた環境の中では王政よりも民主制は自然な流れかもしれないですね。

お礼日時:2009/06/22 23:00

#8です。


そこの文を読み返してみて、誤字や「てにをは」の不備が沢山あることに気付きました。今回は十分に推敲を施さなかったことをお詫び致します。
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#6です。



まず始めに、
>同じく歴史という枠の中で現代を見れば、安定した状態の中でまさしく過去に類を見ない科学の大発展をとげ続けています。社会に緊張というのは一つの事実であってもそれが全ての理由ではないと思います。

について述べてみます。文書の言葉の使い方のみならず、発想の仕方から見ても質問者さんは若い方であるとお見受け致しました。若い方は、そんな物すでにとっくに存在している物でも、若さ故にまだそれを認識することが出来ない物事がこの世の中には幾らでもあることすら気が付かないことが往々にして在ります。そして、成長に伴った体の内部のホルモンの変化や新しい経験や今まで知らなかった知識の増加などで、自分の内部や世界観がどんどん変化し、極端に言って例えば何も進歩していない社会でも、その若者に取っては社会が進歩しているように見えてしまう可能性があるのです。それは、丁度自動車の中から外を見ていると、景色は泊まっているのに、自分でなくて外の景色が動いて見えてしまうような物です。ところが、どの時代でも速い遅いは別として何らかの発展をしている物ですから、どの時代に生まれた若者も、その若者に取っては「現代」は大発展を遂げていると思い込む誤解をしてしまいます。もちろん時代の進展は、時代時代によって早くも遅くも変化する物ですが、それを実証的かつ公平に見て行くためには、特に若い方には、物の見方には上のような危険が潜んでいることを十分意識して、一歩下がって世界を見る習慣を付ける必要があります。

例えば、テレビが入って来たのは私が子供の時でしたが、ラジオだけだった時からテレビになった時の発展の度合いは、テレビからパソコンやインターネットになった時の時代の変化とは比べ物にならないくらい、人々の世界観を変えてしまいました。それでも私は、はじめから電気の在る生活をしておりましたが、私の母は田舎の山奥でランプの生活をしていたそうです。そんな生活では、昼と夜の生活が全く違ったものだったですから、電気の普及は、テレビの導入などと比べ物にならないくらいの大発展だったのです。そんな母が生まれた時にはまだ飛行機が存在せず、初めて汽車を見たのが13歳の時だったそうですが、その母は今から30年も前にアメリカを飛行機で何度の往復していました。また、江戸末期の黒船から明治初頭に架けて、何と、お侍さんがいなくなり、チョンマゲがなくなりました。その時代の若者は、自分達が大発展の中に生きていると思っていたことでしょう。中世では火を起こすのに大変な時間がかかったのですが、江戸時代の広範囲は「ほぐち」の発達で、30秒もかからずに火を起こせるようになっていました。綿の普及は江戸時代中期以降ですので、それまでは人々はほとんども場合麻の着物を着ていました。それどころか、綿が無いのですから、布団も在りませんでした。東北の奥地などでは、明治から大正にかけてまで、ワラ屑を入れた細長い気の箱の中に潜って寝ていたという記録が残っております。菜種も江戸時代に普及したので、それ以前の明かり取りは、生臭い魚油でした。菜種油が夜の生活を何れだけ変えたことでしょう。江戸時代のサツマイモの普及は、今まで水が足りなくて穀類が育たず、人が住めなかった島にまで住めるようにしてくれました。中世にはほとんどの空き地が田んぼになり、それまで豊富に在ったカヤが足りなくなって、茅葺き屋根を作るのが困難になりました。そこでカヤの変わりにワラで藁葺き屋根を作ることにしたのですが、ワラはカヤと比べて水で腐りやすい。そこで藁葺き屋根の水切りを良くして長持ちさせるために、屋根の傾斜が大きくなり、中世の田舎の景色が一変してしまいました。中世から江戸時代の食生活には触れませんが、そこでも生活を一変させるような発展が成されて来ました。もし質問者さんが、このうちのどの時代に生まれたとしても、貴方は、「現代は大発展を遂げている」と思うはずです。発展とは過去に達成した物の上に足されるものですから、発展の程度の絶対値で発展の大きさを測る物ではなく、発展の変化の大きさで測られる物です。この辺りの認識と、上でほんの数例を挙げて述べたような情報を十分咀嚼してから、果たして「現代は大発展をしているのか」と問い掛けない限り、貴方の主張は説得力の無い物となってしまいます。

>安定した都市の形成→産業の発展→機械化→民主主義→現代 

この流れ図も、私には説得力が在るようには思えません。質問者さんもご存知のように、ローマはアウグストゥスによって帝政になる前の300年間、それより遥かに民主的な共和制を取っていました。ナポレオンが皇帝になったのは、フランス革命による民主制が達成した後です。ヒットラーの独裁は、それ以前のワイマール憲法下の民主体制の後です。これらは、ほんの一例に過ぎませんが、これらの、民主制から独裁制への移行は、常に国民から望まれて移行したのです。日本の戦前の軍事政権の前には、大正デモクラシーが花開いておりました。現在でも、911同時テロ事件を契機にブッシュ元大統領が愛国法を制定し、国は裁判所の許可無く、国民のEメールを読むことができるようにしてしまい、テロリストと大統領が認定すれば、裁判を受けさせること無くその容疑者を無期限で牢屋に拘束できるようにしてしったり、拷問を合法したりして、アメリカ憲法の条項が次々と骨抜きにさておりますが、今度選ばれたオバマ大統領は、新たな法を議会に提出して、愛国法が増々強化されております。つい先日も、ブッシュ政権下では裁判所の命令があったら拷問の写真を公表しなければならなかったのですが、オバマのこの新しい法律で、政府はこのことに関して裁判所命令に従わなくても良いことにしてしまいました。現在のアメリカは1960年代から1980年代に架けての中産階級が主体の民主国家の黄金期がすでに終わり、レーガン大統領以降中産階級が没落して、貧富の差が増々開いており、大企業および大金融業指導形の国家に移行しており、着々と民主国家から乖離し始めております。質問さんに、戦前イタリアのムッソリーニに率いられたファシスト党の歴史を勉強してみることをお薦めします。表向きではムッソリーニの独裁が目くらましとなって、一見そのようには見えないのですが、ファシスト党の本質は、大企業および大金融業指導形の国家なのです。私はオバマ大統領にその流れを曲げることを期待しているのですが、上で述べたオバマ大統領の新法の制定や、過去の人類の歴史を見ていると、余り楽観もしていられません。

このように、表面的にはどのように見えようとも、一皮むいて見ると人類の歴史は貴方の流れ図のようには流れてこなかったというのが、現実なのです。人間社会は、老獪な女ギツネやタヌキ親父が一杯いて成り立っている大変複雑な社会です。その女ギツネやタヌキ親父達はドロドロとした野心ばかりではなく、世の中を良くして見たいという互いに矛盾した、大変複雑な心の葛藤を孕みながら与えられた人生を生きているのです。そして、だからこそ一筋縄では行かない奥行きや深みがあって、世の中を増々面白くしているのです。

そう言うような視点からも、世の中の発展に対する安定性と不安定性の役割を考えてみることをお薦め致します。
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この回答へのお礼

丁寧な回答ありがとうございます。
>安定した都市の形成→産業の発展→機械化→民主主義→現代 みたいな
みたいな、と末尾に書いたとおりチャート図にして考えたら面白いだろうという例を書いただけで、私自身もこれを信じているわけではありません。
私はまだ未熟者で自分の考えを磨くためにいろいろな方の意見を参考にしています。だからこそcyototuさんの回答が全ての真実だと信じるわけにはいきません。
ギリシアの発展は国が安定していたからだという他の回答者の意見も正しいと思いますし、不安定が原動力なら他にもギリシアみたいな国があって然るべきと思いますが他に思いつきません。私にはどうしてもギリシアだけが性格が違うように見えます。ありがとうございました。

お礼日時:2009/06/26 20:43

#6です。


そこに誤植がありました。

イリア・プリジン  => イリヤ・プリゴジン

と読んで下さい。
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近年の目覚ましい物理学の発展の一つに、非平衡熱力学での「散逸構造の理論」というのがあります。

それによると、ある物理系が外界から孤立せず活発なエネルギーや物質のやり取りをし、さらに安定した平衡状態から十分に離れていると、系はその状態に留まっていることができずに、今まで安定だったものが不安定になり、一寸した揺動で全く新しい安定状態に移って行き、そしてまたその新たな安定状態が再び不安定になってまた新たな安定状態に移って行きと、それを繰り返すことによって次々と複雑な構造へと自発的に進化して行くことが分かるようになりました。したがって、新しい構造を創り出すためには、その系には必然的に不安定な要因が必要だと言うことが分かるようになりました。この理論は物理系ばかりでなく、化学系、生物系、社会構造の進化など、多くの現象の理解に関して多大な成功を収めております。この理論の提唱者イリア・プリジンはその功績でノーベル賞を授賞しました。

実際、人類の歴史を振り返ってみると、思想的にも技術的にも、その社会に緊張感が在り、適度の不安定性を内部に孕んでいる社会程、その発展に目覚ましい効果を揚げてきました。例えば、中国における偉大な哲学者や思想家は、そのほとんどが今から2千5百年前の中国の戦国時代と呼ばれる封建時代に輩出しております。そして、秦の始皇帝による中国の統一によって、封建制度とは全く異なった支配制度である中央集権制度がその後に確立した安定期には、技術的にも思想的にも偉大な進歩はほとんど成されておりません。

トゥキディデスの『戦史』をお読みになられると判りますが、ギリシャでも肥沃な土地を持ったスパルタがギリシャの宗主国として安定していた時には、ほとんど目立った進歩はなかったのですが、ペルシャ戦争で陸軍国のスパルタの国力が消耗し、それまで土地の地味が悪くて経済的に遅れを取っていたアテネがペルシャ戦争の功績でスパルタに拮抗する海軍国として伸し上がって来た時に、その緊張感は最大限に達し、ついにペロポネス戦争に発展して行きました。そして、この不安定期がギリシャ文明の最盛期であり、ペルシャ戦争直後のアテネの台頭からペロポネス戦争でアテネが破れて実質的に消滅するまでの僅か50年間位で、ギリシャ文明の圧倒的な部分がアテネから輩出しております。

ローマ帝国はギリシャよりも確かに軍事的には強国でしたが、ギリシャのように内部に目立った不安定要因がなく、安定した国家であったために、ちょうど中国の戦国の封建時代以降の中央集権帝国と同じ様に、文化的には目覚ましい発展を生み出してはいません。

同じような歴史は西欧の近代国家の台頭にも現れております。西欧では、各豪族はドングリの背比べ状態で突出した権力が存在しなかったために、安定した中央集権国家を作ることができず、各豪族が西欧の各地に土地を封ずる寄り合い状態、すなわち封建制度にならざるをえないような状態でした。そのために、各豪族は一触即発の緊張感という不安定状態を内に孕んでおり、上で紹介した散逸構造の理論が予測するように、生き残りのための工夫を次々としざるを得ませんでした。その結果、技術的にも思想的にも多大な発展を遂げたのです。

明治維新後に日本が急激に発展して、第一次世界大戦直後の短い間にあっという間にはすでに国際連盟の理事国という強国に伸し上がれたのも、江戸時代は西欧以外の他の国のように安定した中央集権国家ではなく、幕府制度という西欧と同じような封建制度を採用していたお陰で、各藩の間に生き残りのための緊張感が保たれていたことが、重要な要因になっています。

最近の例では、アメリカとソビエトの間の緊張感で、自然科学も工学も大変な進歩を遂げたことことです。その後のソビエトの崩壊でアメリカは緊張感を失ってしまい、ここ10年程でアメリカの国際的指導能力は一気に失墜し始めたようです。ブッシュ以前のアメリカの国際的信用度と、ブッシュ以降の信用度では雲泥の差がありますね。

このように、過去に忽然と台頭して来た文化の大国は、ギリシャのみならず他の地域の例でも常にその裏に不安定性を孕む緊張感を内包して来たという経験則がありますが、これは上に紹介した散逸構造論の典型的な事例と考えることが出来ます。

人類の発明の偉大な物のほとんどが、農村ではなくて都会から出て来たという事実も、都会での人間関係の緊張感が農村のそれよりも遥かに高く、都会は農村よりも遥かに不安定であることにその原因があるのです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。すみませんが時間の都合上お礼をつける順番がバラバラになってます。

散逸構造というのは初めて聞きました。調べてみたところ科学の用語のようですが範囲が広いようですね。
社会に緊張感があるほど発展するというのは一つ事実だと思いますが、この説は万能でしょうか。
同じく歴史という枠の中で現代を見れば、安定した状態の中でまさしく過去に類を見ない科学の大発展をとげ続けています。社会に緊張というのは一つの事実であってもそれが全ての理由ではないと思います。
これからは安定した体制のもとで発展を維持する時代になるはずで、この仕組みは社会学や政治学で議論解明されるはずです。

古代ギリシアは安定した上で発展を維持するという現代社会の仕組みには至れなかったのですね。文化レベルの発展段階というのもまた非常に興味深く面白い問題ですね。
安定した都市の形成→産業の発展→機械化→民主主義→現代 みたいな。こう考えると古代ギリシャってどの段階まで到達した国だったんですかね。ペルシアとかの軍事的な帝国は初期の段階だと過程して、少なからずギリシャは文化面で一つ先の段階だったとどうしても考えてしまいます。

お礼日時:2009/06/24 01:10

古代ギリシアはマケドニアのアレクサンダー


大王の大活躍いこうは歴史の表舞台では
かすんだような感じは受けますが
古代ローマはトロイ戦争でギリシアにヤラレて
滅んだトロイの将軍アイネイアスが疎開し
イタリア半島に上陸し子孫を残した、その血を
受け継いでいると結構、本気で思っていたので
古代ローマはギリシア・マケドニアを征服して
属州にしたとき先祖のリベンジを果たしたような
感じがして大いに痛快絶頂で、でも
征服地とはいえ重要な地域と認めていて優遇もし
またギリシア世界文化を色々と模倣したという
ギリシアがローマに与えた影響は
計り知れないしギリシア人はローマ圏のマジョリティ
だった、ローマは東西分裂したが東半分はギリシアが
中枢の領域に近かったという。
世界史で東ローマ帝国が長く続いたというが
実質、あの国はギリシア同然で領土の殆どは
ギリシアと小アジアだった、いまのギリシア共和国と
トルコ共和国の全土にあたる地域で
ビザンチンを滅ぼしたオスマンもギリシアとトルコが
中枢領域に近かった。
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・当時は気候が比較的温暖で、食料生産も十分にあった


 (ローマ時代になると 少し寒くなったようです)
・貿易もそれなりに活発になり、経済的に余裕があった
・生産活動には奴隷も使われ、支配者階級は時間的余裕があった
・エジプトやペルシャ地域では 王権が強くて、少数の支配者層に
 財力が集中したが、ギリシャ地域では 多数の支配者階級がいた

衣食足りて 学問をする余裕のある人が多かった という点でしょう
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天文学はメソポタミアで発達したと言われています。


バベルの塔が神の怒りに触れて雷で壊されたと言う神話の話です。

その他、神話の中のトロイア戦争
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AD% …

エーゲ海文明はオリエント文明の影響を
強く受けたと言われています。

古代エジプト文明、メソポタミア文明、鉄器を発明したヒッタイト文明をはじめ、紀元前1000年以上前の文明が周囲にあり、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83% …

これらとの交易がエーゲ海に文明をもたらしたと考えられます。

ギリシアでは、米を知っていましたが有用としませんでした。
小国家を形成し民主主義でしたが、絶対民主主義によって滅亡します。

アテネでは、
海戦で勝利した将軍は

「勝ったけど、でも、味方の兵も多く死んでますよね。」
「これは犯罪ではないでしょうか?」
「もっと良い戦法があったと思います。」
「私ならこう戦ったのに。」

2ちゃんねるです。
人の命を預かっていないのでゲーム感覚。
無責任この上無い集団です。

この発言が発端となり論議の結果牢屋に入れられます。

ただ人の逆の事を考え発言し、「私は頭が良い。」と威張る若人。
議会は「頭が良い。」と主張する場所に陥っていました。

国家の有能な人材は次々と追放されて行きました。
彼らに遂にソクラテスは発言を開始します。

自己が頭が良いと言いたい。ただそれだけの為に、
海軍が壊滅してしまったではないか!

後先考えないからこうなったのだ。
ぐうの音も出ないまで追求しました。

彼らは怒り、あらぬ罪をソクラテスに着せます。
番人も見て見ぬ振りをする言い、いくらでもと逃げられました。
弟子の前で喜んで毒を飲んだそうです。

ソクラテスは有能ですが、「気に入らねー。」が優先しました。

それはなぜか?

個人の主張より、国家が大切。
これは封建主義、国家主義です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/06/26 20:24

衣食住足りて礼節を知るとは古代中国の言葉ですが、


まさしくこれは学問が発達するのに最適な環境なのです。

古代ギリシャは都市国家(ポリス)であり、都市国家間で争いはありましたが、
各都市国家は協調し、比較的平和的であった時代です。
この自由な空気の中で民主主義が芽生えたことが学問の発達の土壌になります。
人々の生活に余裕があり、思索の時間も増え、それによって学問に理解を示す人も多く出る。

都市国家は平和さえ保障されれば学問が発達しやすい環境なのです。
古代ではシュメールがそうであったと考えられています。
中国でも都市国家の期間に漢字が成立し、気功や易学が体系化されています。

やがて古代国家が成立し、国家による領土獲得のための消耗戦が始まります。
こうなると学問が発達する土壌が奪われてしまいます。
全ては軍事に優先され、人々の生活も余裕がなくなり、体系的に学べる機会が激減します。
これでは天才が生まれても金持ちの子供でなければ幼少から家業を手伝わされますし、
才能のある師にでも恵まれなければ独学では限界があります。

古代ギリシャから1500年以上経って、生産力が向上してからやっと学問の発達が再開します。
中世のこの動きをルネサンスと命名したのは当時の人々ですが、
長い間学問が停滞していたのは彼らも分かっていたのです。

ifですが、この停滞期間がなければ聖徳太子の頃は電気が発見されていた可能性もあるわけです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。他の回答者の方も衣食足りて礼節を知る、ということを書かれていますね。
生活に余裕があり平和さえ保障されれば学問が発達する、と・・・。
ではギリシャは同時代の他国に比べて一歩先の文明の段階に到達していた国家と考えてもよいでしょうか?

メソポタミアは、例えばアッシリアですが、図書館をつくって己の知を誇ったアッシュールバニパルがいます。しかし彼らは軍事を優先したがために文化的にはギリシャに劣っている状態だった・・・?

国の基盤が整っていたからこそソクラテスが現れたのか、
逆にソクラテスのような天才が一人現れて他の者が追随したのかが疑問だったんですが、ギリシャが戦争一本の国だったら哲学者たちも出現せずに終わったこともありえたでしょうか。

お礼日時:2009/06/22 22:43

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Qギリシアとローマの関係について

高校レベルの世界史もよく把握していないのですが…
古代ギリシアとローマの関係がよくわからないのです。

・ギリシアとローマは戦争していたこともあり、別個の支配体制ですよね?
・それなのに同じ12神を信奉していますし、使用するアルファベットも似ています
・ローマは土木工事等の実学には長けていたが、ギリシアのような哲学や数学は発達しなかったと聞きます。文化面でもだいぶ隔たりがあるように見えます。

結局この2つはどんな関係で、お互いにどんな相手だと見ていたのでしょうか?

Aベストアンサー

 古代ギリシアは都市国家の集まりです。何度か、都市国家連合としての統一国家になろうとしましたが成功しませんでした。その理由は、おそらくは文明・文化の発達でしょう。自立と自由があって、初めて文明・文化が発達します。そして、それを手放してまで、国力だけのために統一国家となることは受け入れにくいのです。

 古代ローマは、文明・文化の発達が遅かったので、早くから統一国家、しかも都市国家連合という緩い結びつきの国ではなく、全域を中央政権が支配する領土国家にまりました。そして、文明・文化は近隣で発展していたギリシア(とりわけ学問先進国のアテネ)に学んだわけです。

 ギリシアの文明に学び、しかも全域が統一されているローマの国力は急速に伸びて行きました。やがて、国力としては劣り、しかも統一できていないギリシアの都市国家を次々と従わせ、ローマの地方都市として、やがてギリシア全域をローマの領土に組み入れることとなります。

 しかし、ローマはギリシアの文明・文化を超えるような独自なことはできませんでした。巨大な建築はできたけど、基本はギリシアのものです。それだけ、ギリシアの文明・文化は発達していたわけです。宗教も、ローマ独自のものはあったのでしょうが、ギリシアの神々と同じものだとしてしまいました。

 キリスト教が広まり、公認されるようになると、ようやくキリスト教由来を加えて、ローマ独自文明・文化が発達し始めました。ローマ帝国が東西に分裂し、西ローマ帝国が滅びても、東ローマ帝国は長く保ち、首都コンスタンティノープルではヨーロッパ有数の文明・文化先進地域であり続けました。

 そういう例は、古代中国にもありました。殷や周は都市国家連合です。一番国力があり、他の都市国家のリーダーととして取りまとめていたのが、殷や周という大きい都市国家でした。その地域を中原(ちゅうげん)と呼んでいて、そこでは早くから文明・文化が発達しました。

 その周の力が衰えていく一方、地方では楚といった文明・文化は遅れていて、中原の都市国家に学んだ国が、早くから領土的にも統一した国家として台頭して行きました。

 周が衰えて、他の国家が力を得て行った春秋時代は、中原ではまだ都市国家連合がひとまとまりとなった国家が多く、非常に多数の小国が乱立していました。小国とはいえ、文明・文化が発達しているので、その周辺地域の領土的に統一された国家から尊敬を受けていました。

 しかし、続く戦国時代となると、ほとんど国家が領土的に統一された国家となります。都市国家は単なる都市となりました。それでも、小国となっても周とその近辺の小国は、秦が中国全土を領土的に統一するまで、長く尊敬を受け続けていました。

 古代ギリシアは都市国家の集まりです。何度か、都市国家連合としての統一国家になろうとしましたが成功しませんでした。その理由は、おそらくは文明・文化の発達でしょう。自立と自由があって、初めて文明・文化が発達します。そして、それを手放してまで、国力だけのために統一国家となることは受け入れにくいのです。

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Q古代ギリシャに哲学者が多いのはどうしてですか?

古代ギリシャに哲学者が多いのはどうしてですか?

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19世紀~20世紀にかけて活躍した原子物理学者のラザフォード、オッペンハイマー、数学者のリンデマン。

彼らはケンブリッジ大学の同級生。
所属していた科は、なんと哲学科。

今の物理、化学、天文学、地学、数学、論理学、生物学、医学、などは、昔は全部哲学と言う範疇で1くくりされていた。

昔どころか、20世紀初めまではそうだった。

そこから、物理が独立し、化学が独立し、数学が独立し、・・・と、次々に独立して行った。

古代ギリシャ時代には、自然科学系は全てまとめて哲学だった。

それが理由。


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