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何を見ても最強と書かれているモンゴル軍。独特の騎馬兵運用、猪突猛進にみえて無理な戦いを避ける理知性、攻城兵器なども次々と敵から取り込んでいった柔軟性、などなど、強さを示す情報はネットでやまほど見かけます。

そこで問いです。

当時(あるいはちょっと時代が進んでもいいので)の他の軍隊が、このモンゴル軍を打ち破るにはいったいどうすればいいのでしょう?

総合力をつける前のモンゴル軍を倒す方法、総合力をつけた後のモンゴル軍を倒す方法、兵科、戦術、戦略、どんな規模の対策でも思いつくまま教えてほしいです。

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A 回答 (9件)

ANo.5です



オスプレイ社の『モンゴル軍』をご覧になったでしょうか?
モンゴル軍の攻城戦についての記述がありますので一度ご覧になった方がいいですね

かいつまんで要約すると
モンゴルはかなり初期から攻城兵器に関心を持ち中国やムスリムの技師に設計させ大量に使用しました
モンゴルのカタパルトは西欧式の機械仕掛でなく多数の人員(大型の物で250人)で引っ張り投擲する物で
中には75㌔の岩を投擲出来る物もあったそうです

またバリスタ(弩砲)は大型金属矢弾だけでなく、火炎弾や毒ガスを出す毒煙弾も射出出来たそうです

ニシャプール攻略戦時には防備側の重カタパルト500機、重シャヴェリン3000機に対し
モンゴル軍はカタパルト3700機、バリスタ3000機を投入したと書かれています

詳しくは上記の本を見てください
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この回答へのお礼

何度もありがとうございました。
御礼が大変遅くなってしまったことをお詫びします。
皆さんのおかげで大変勉強になりました。

その後、いろいろと本を読んだり、エイジオブエンパイヤだのシヴィライゼーションだのとゲームやったりして(ディフォルメされているんでしょうが)イメージはよく分かってきました。

皆さまの知識のご提供、感謝しております!!ありがとうございました!

お礼日時:2009/10/23 21:56

モンゴル帝国の拡大中の初期時代に滅ぼされた


諸国の多くは、モンゴルとの最初のコンタクトで
かなりモンゴルに侮辱的な態度と行動をした
ものが多く、報復として(あくまでモンゴルからみた)
攻撃された場合が多いです、もっともロシアの
ように最初、いきなり属国になれと言って来て
拒否したので焦土になるくらいヤラれた例もありますが
戦闘になるまえの初期交渉で有能な外交をすれば
モンゴルに滅ぼされずに済む可能性は皆無では
ありませんでした、周知の通り西洋も
ポーランドとハンガリーにモンゴルが攻めて
ポーランド王ヘンリク2世は戦死
ハンガリー王べーラ4世は戦いに敗れるも亡命
(この双王、敗者ですが前者は祖国を救おうと勝てない
と知っていたのに敢て死地へ行き後者はモンゴル撤退後
モンゴル攻撃で国民が半分に減った祖国の復興に余生を
奉げ、両国の歴史的英雄として見られています)
この二国の大敗北で恐慌状態になった西欧で
次にオーストリアあたりがヤバいと思われたなか
西欧諸国は対モンゴル十字軍をする動きもあったが
大勢は西欧諸国が連座してモンゴルと積極的に講和交渉
大幅譲歩してでもモンゴルと平和的な関係改善に努めて
モンゴル帝国母体で後継問題が出たためモンゴル西欧
方面軍団は東へ撤収していった幸運もあって
西欧は征服されるのを回避できました。
徹底抗戦して負けるのは勝負は時の運もあるから
仕方ないが
それで国土が目茶目茶リスクが大きいよりは
強敵と戦わないように持っていくのは後のリスクを
考えれば西洋の場合は助かったのでしょう
日本は、最初のモンゴルの使節を処刑したので
攻められたらしく日本の鎌倉幕府は国際感覚が
無かったしモンゴルもヤクザの鉄砲玉のような
使節を送ったらしいですが、このファースト
コンタクトが穏便に成されていたら
元寇は無かったでしょう。
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この回答へのお礼

ものすごくお礼が遅くなりましてすみません。
ありがとうございました!大変勉強になりました。

お礼日時:2009/10/23 21:54

モンゴルの騎兵の強さは、弓騎馬の集団戦法せしょうか?


 文化的に弓の射程はながく、(1)相手が目視できないような距離から長距離用の矢を射掛ける(2)接近して短距離用の矢で射掛ける。と、長短両方の弓を用意したそうです。
 なので、日本が戦うとしたら、水際で戦うか、山間部まで引き込んで戦うのがよさげ。後は、モンゴル軍は(モンゴル軍に限らず、当時の軍隊全般は)、戦闘による死者より、行軍中の餓死者のほうが多いとのことなので、焦土作戦も効果がありそう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

やはり機動力と射程の利点を奪うのが良いのでしょうか。
焦土作戦の方は、モンゴル軍は戦争に備えて優れた携帯食を常備していたといいますし、機動力にも優れているわけですから、長期にわたって移動を防げることができる場所など、使えるケースが限られるかも知れませんね。

お礼日時:2009/07/02 01:50

http://www.amazon.co.jp/封建制の文明史観-PHP新書-今谷-明/dp/4569704700

ちょうどこんな本が出ています。以下引用
「蒙古軍の侵略をはね返した日本、西欧、エジプトの三地域では、いずれも封建制が確立していた。中国やペルシアなど、官僚制が行き渡っていた領域、あるいは東欧のように建国ほどなく封建制も緒についていない地域は、たやすく蒙古軍に踏み破られたのだ。」

官僚制の国は、トップを凹ませると勝てるが、個々の戦士が一所懸命な封建制度には蒙古軍は勝てなかった。という論考です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

なるほど、封建制と官僚制。支配体制の違いを2分して論じているわけですね。日本はその後政権が衰退していったように思えますがその他の地域はどうだったのでしょうか。

どちらの体制にしても運用次第ではないのか、という気が現時点ではしているため、ご紹介いただいた本を読んでみたいと思います。ありがとうございました。

お礼日時:2009/07/02 01:44

ベトナムの陳朝が勝った時は


戦闘部隊は通過させ徹底的に兵站部隊を狙い撃滅し敵軍が来る前、村落に糧食を残さず撤退
敵が飢餓状態になった時に攻撃をしかけました
これは陳朝に常備軍が僅かで多くは訓練未到の農民兵を召集していたため合理的な戦術でした
また白藤江の戦いでは干潮時に川底に杭を打ち敵の大型船を引き込み
干潮となり杭に引っ掛かった大型船に対し杭に引っ掛からない小型の船で包囲各個撃破
元軍司令官ウマルはじめ多くの兵を捕虜にしました

マムルークの勝利したアインジャールートの戦いは
モンゴルに対し圧倒的優勢な兵力差で戦い勝ちました

あまり知られていませんが、1241年のバツの東欧遠征でバツが分割した三軍の内一軍が
オーストリアのノイシュタット城を攻め
皇帝フリードリヒ2世の子エンツォ率いる神聖ローマ帝国・シチリア王国連合軍の後詰軍が来援
戦いの詳細はわからないですが、モンゴル軍は敗れています
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

実例を多く挙げていただき大変勉強になります。

兵站を衝かれるとどんな軍隊も人間で構成されている以上、敗北から逃れられませんね。また潮を利用した戦術も見事です。

また、新たな疑問なのですが、質問自体にモンゴルは戦いの中で敵の攻城兵器も取り入れ運用していったと自分で書いていたのですが、他国と比べてモンゴルの攻城能力というのは高かったのでしょうか?野戦は強いイメージがありますが、、、

お礼日時:2009/06/30 01:37

歴史的にはヨーロッパで火縄銃が作られるようになると、モンゴル兵を撃退できるようになりました。

黄禍論は消滅し、ヨーロッパ文明の華が開き始めます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

なるほど新兵器火縄銃、納得です。
モンゴル側がそれまでの兵器のようにこれを運用できなかったのは製造技術がなかったということでしょうか。それともモンゴル国家自体が衰退しもはや兵器はおろか軍隊自体の運用がまともにできなかった?いずれにせよ欧州にとっては幸いでした。

お礼日時:2009/06/30 01:30

少なくとも、日本軍がこれを撃破するのは


国家体制と社会経済的に不可能です。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E8%BB%BD

戦いとは、武士(由緒正しい人間)が行う物です。
もちろん、被害を蒙るのは、御家人と家臣軍団です。(幕府)

これでは国家の秩序は必ず崩壊してしまいす。
(戦いに勝って負ける)

少ない石高や領地で「策で勝つ」
のは戦国時代まで待たねばなりませんでした。
(負けて勝つ)

これはまた士農工商となり、奇兵隊、万民徴兵制まで続きます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
確かにその後、幕府は衰退していった、と学校でさんざん教えられましたね。しかし負けて勝つという視点は勉強になりました。

逆にモンゴル側がなんらかの強力な騎馬民族集団などから攻められる立場であり、相手を撤退せしめた場合、幕府と同じように衰退したでしょうか?、、、、と質問しながら、相手を追い払ったらただそれまで通り生活するだけかも知れない、と想像しました。負けたら滅びるか、あるいは逃げる土地があれば民族集団としては生き延びていきそうですね。ユーラシア東の騎馬民族が西に西に移動したことで欧州に圧迫がかかったことを思い出しました。(的外れなことを言っていたら申し訳ありません)

お礼日時:2009/06/30 01:12

チンギス・ハンが当時の世界を征服しようとした時に、モンゴル軍に有効な抵抗を出来る国家はありませんでした。



日本はモンゴル=元に征服されることを逃れましたが、海を隔てていて元軍が実力を発揮できる状態に程遠かったことが主因ですから、これは特例と言えるでしょう。

当時のどの国も失敗したことを可能にする方法というのはなかなか難しいのですが、

1) 戦国時代の日本の足軽が用いたような、長さ数メートルもある槍でモンゴル騎兵の接近を妨げる。

2) 堀と土塁の野戦築城を行い、長槍足軽は塹壕に半身を隠すようにする。長槍足軽には、元の騎兵の矢を防げるだけの甲冑(上半身だけで可)を着せてモンゴル騎兵の矢の被害を減らす。

3) 野戦築城と長槍足軽の背後に、強力な弓兵を置く。
可能であれば、高地からモンゴル騎兵を狙い撃ちできるように櫓や武者走りを設ける。弓矢は高いところから打ち下ろすと威力が倍増します。

堀・土塁と長槍足軽でモンゴル騎兵の足を止めた所を、高所から弓兵が狙い撃ちするという戦術です。モンゴル騎兵に後方に回られてはどうにもなりませんので、築城には工夫を要します。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
やはり機動力・矢を封じることが肝要なのですね。

逆に、こちらが築いた砦に対して、モンゴル軍はどのぐらい攻める選択肢を持っているでしょうか? 砦を破壊、または炎上させてしまうような兵器を持っているとすればそういったものも繰り出されそうです。
また、伝染病を蔓延させるため死体を投擲してきたという話もよんだことがあります。
(だからこそ工夫が必要とお書きいただいているのだと思いますが)

お礼日時:2009/06/30 00:37

奴らは馬がなければ何も出来ない連中です


馬が越えることが出来ない防塁を築く
馬が走れない泥濘地を作る
塹壕を掘る

二回目の日本侵攻で上陸を躊躇ったのは日本が防塁を築いて対峙していたからだと思います
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
敵の長所を殺す準備が重要だということですね!

お礼日時:2009/06/29 23:58

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Q遊牧騎馬民族の軍隊を打ち破る戦術を教えて下さい

スキタイや匈奴、モンゴル帝国などの遊牧騎馬民族の軍隊(騎馬軍団)は突撃力と機動力に優れていたため、近代兵器(鉄砲、大砲等)が発明されるまでは世界最強であったと聞きました。これについて質問します。

1.遊牧騎馬民族の軍隊は具体的にどのような武装(弓、槍、剣、鎧、兜、盾など)だったのでしょうか。また、彼らの戦法はどのようなものだったのでしょうか(私のイメージだと、全員が騎乗した騎馬部隊で、全速力で疾走しながら敵に弓を放って走り去っていくというものですが、これで正しいでしょうか)。

2.遊牧騎馬民族の攻撃に対し、定住農耕民族は多くの場合どのような戦法をとって戦ったのでしょうか(スキタイに対するアケメネス朝ペルシャ、匈奴に対する秦・漢帝国、フンに対する東西ローマ帝国、エフタルに対するササン朝ペルシャ、突厥に対する唐帝国)。

3.万里の長城やハドリアヌス長城のような構築物は騎馬民族に対しどの程度有効だったのでしょうか。有効でなかったとすると、全員が騎馬である彼らは具体的にどのようにして高さ数メートルもある長城を乗り越えたのでしょうか。

4.現代から振り返って考えると、遊牧騎馬民族の攻撃に対してはどのような戦法をとれば最も有効だったと考えられるのでしょうか。

5.仮定の話ですが、もしも古代ギリシャのファランクスまたは古代ローマの密集重装歩兵の軍隊と騎馬民族の軍隊がぶつかっていたら、どちらが優勢だったと考えられるでしょうか。

どうぞよろしくお願いします。

スキタイや匈奴、モンゴル帝国などの遊牧騎馬民族の軍隊(騎馬軍団)は突撃力と機動力に優れていたため、近代兵器(鉄砲、大砲等)が発明されるまでは世界最強であったと聞きました。これについて質問します。

1.遊牧騎馬民族の軍隊は具体的にどのような武装(弓、槍、剣、鎧、兜、盾など)だったのでしょうか。また、彼らの戦法はどのようなものだったのでしょうか(私のイメージだと、全員が騎乗した騎馬部隊で、全速力で疾走しながら敵に弓を放って走り去っていくというものですが、これで正しいでしょう...続きを読む

Aベストアンサー

>1.遊牧騎馬民族の軍隊は具体的にどのような武装(弓、槍、剣、鎧、兜、盾など)だったのでしょうか。
騎馬民族により、主とする武器は異なります。
スキタイの場合は、槍騎兵が中心であり、騎馬の突撃力で相手の陣を突き崩す戦法を中心としました。
これは、ゲルマン人の騎兵も同じです。
一方モンゴル軍では、短弓を主要武器とした騎馬弓兵が中心で、敵の周囲から矢を射掛ける戦法が中心でした。

>2.遊牧騎馬民族の攻撃に対し、定住農耕民族は多くの場合どのような戦法をとって戦ったのでしょうか
これはいろいろ。
突撃してくる騎馬槍兵に対しては、途中に障害物をおいて騎兵の機動力を奪ったり、側面に伏兵をおいて攻撃したり、重装歩兵の全面に誘導して重装歩兵で粉砕したりしました。
モンゴル軍のような相手には、兵を前進させすばないようにしたり、広範囲に展開し、確固撃破されないようにしました。
障害物の多い所に誘導し、相手の機動力を奪うのも効果的でした。

>3.万里の長城やハドリアヌス長城のような構築物は騎馬民族に対しどの程度有効だったのでしょうか。
かなり有効で、モンゴル軍の場合、簡単に長城の突破はできず、西夏を滅ぼして西から迂回して中国を攻めています。

>4.現代から振り返って考えると、遊牧騎馬民族の攻撃に対してはどのような戦法をとれば最も有効だったと考えられるのでしょうか。
騎馬兵の機動力を奪うことが持つとも有効です。
要塞を造ったり、障害物を作る。さらに森を造れば、騎馬兵を完全に封ずることができます。

>5.古代ギリシャのファランクスまたは古代ローマの密集重装歩兵の軍隊と騎馬民族の軍隊がぶつかっていたら、どちらが優勢だったと考えられるでしょうか。
ケースバイケースです。
騎馬兵が、方陣の正面から襲い掛かった場合、ほぼ騎馬兵は負けますが、方陣の側面に回り込めば、方陣は簡単に崩壊してしまいます。
方陣の正面は、無敵の強さを発揮しますが、側面や背面を襲われた場合、1/10の兵でも簡単に崩壊させることができます。

騎兵対歩兵の戦いで、百年戦争の場合の事例です。
・クリーシーの戦い
丘の上のイギリス軍をフランス軍騎兵が攻撃
丘の上から弓でイギリス軍が攻撃、馬が射られて騎士が落馬続出
・アーザンクールの戦い
騎士の突撃を避けるため、イギリス軍陣地の前方に尖ったクイを立てて、そこで立ち止まるフランス軍騎士に矢の雨を降らせることにより、フランス軍壊滅
いずれも、フランス側の兵力は、イギリス側の3倍と5倍ありました。

>1.遊牧騎馬民族の軍隊は具体的にどのような武装(弓、槍、剣、鎧、兜、盾など)だったのでしょうか。
騎馬民族により、主とする武器は異なります。
スキタイの場合は、槍騎兵が中心であり、騎馬の突撃力で相手の陣を突き崩す戦法を中心としました。
これは、ゲルマン人の騎兵も同じです。
一方モンゴル軍では、短弓を主要武器とした騎馬弓兵が中心で、敵の周囲から矢を射掛ける戦法が中心でした。

>2.遊牧騎馬民族の攻撃に対し、定住農耕民族は多くの場合どのような戦法をとって戦ったのでしょうか
...続きを読む

Q世界の弓の威力について

歴史上の戦闘でもっとも威力があって射程距離が長かった弓はどこの国の何時代の弓ですか?それと比べて日本の弓の優劣はどのようですか?またそういったことを扱ってる本とかURLをご存知の方がいらしたら教えて下さい。

Aベストアンサー

当方弓道をやっておりますので、知る範囲でお答えします。
威力と射程は矢により変化(一般的に矢重に比例する威力と、矢重に反比例する射程はトレードオフの関係)するので、弓自体の性能についてお話しします。

 一般論になりますが、弓は当然ながら”強い弓”をより引き尺をとって使えば威力・射程とも上がります。
しかし引き絞った時に強いからといって弓にパワーがあるというわけではありません。
 正確には、「引き絞っていく途中の加重の積分値」が弓のエネルギーになります。
(平たく言えば、弓の引き尺に対しての加重をプロットしたグラフの、その曲線の下の部分の面積)
 木製・合板の弓や単純な湾曲の弓ではこの引き尺と加重がほぼ比例します。(和弓もだいたい比例します)
 しかし、強靭な材料を使い、湾曲を複雑にすれば、この曲線を上に膨らますことができるので、前者の弓と引き絞ったときに同じ加重でも(つまり、同じ筋力の射手でも)、より威力のある矢を飛ばせます。
 
この後者の条件に当てはまるのが、騎馬民族系の大きく湾曲した弓で、トルコ弓などとも呼ばれます。
(ちなみにコンパウンドボウという現代の弓は非常に高効率、正確なことで知られていますが、この弓をヒントに作られました。)

 そのため形状で言えば単純湾曲弓より、上記のような特徴を持つ湾曲弓のほうが高性能でしょう。実際、トルコ弓の最大飛距離は実用の矢で400m、遠矢用で約600mだそうです。
材質は、木だけのものは、折れるのを防ぐため引き尺が取れず(ロングボウは折らずに引き尺をとるために長いのです)しなりが少ないため不利で、木竹をあわせた合板弓(和弓はこれ)や、さらにはより強靭な角・腱・革を使ったもののほうが高性能でしょう。

結論として、ご質問のものは時代はわかりませんが、騎馬遊牧民族系の弓だと思います。

和弓では、長い距離を飛ばす競技で最高400mという記録がありますが、これは専用の軽い矢を使った記録なので、征矢では最大でも200m位だと思います。
因みに和弓は、番える位置が中心より下寄りになっているため矢は先端をやや上げて飛行し、遠くに飛びやすくなっています。

有効射程となると一口で言うのは難しいですが、
~2,30m だいたい急所を狙える
~40m だいたい人を狙える
~7,80m だいたい騎馬を狙える
くらいだと思います。
威力ですが、フライパンぐらいなら結構簡単に射抜けますし、
http://www.tamagawa.ac.jp/sisetu/kyouken/kamakura/kyuba.html
かつて明珍の鉄兜を串刺しに射抜いた人もいます。

書籍ですが、確か歴史群像シリーズの『北条時宗』で蒙古弓と和弓の比較をしていたと思います。
あとは検索で見つけましたが
http://www.coatl-head.com/arc.html
の『武器の歴史(Weapons)』(マール社)が詳しそうです。
キャッシュでしか見られませんが
http://72.14.203.104/search?q=cache:gEp-EUHAqMkJ:
www.if-n.ne.jp/member2/netdh/Item/mktext.pl
%3Fcorpus%3D0%26id%3DOTAwNjU
も詳しいです。

当方弓道をやっておりますので、知る範囲でお答えします。
威力と射程は矢により変化(一般的に矢重に比例する威力と、矢重に反比例する射程はトレードオフの関係)するので、弓自体の性能についてお話しします。

 一般論になりますが、弓は当然ながら”強い弓”をより引き尺をとって使えば威力・射程とも上がります。
しかし引き絞った時に強いからといって弓にパワーがあるというわけではありません。
 正確には、「引き絞っていく途中の加重の積分値」が弓のエネルギーになります。
(平たく言えば、弓...続きを読む

Q武田騎馬隊は存在しなかった???

「武田騎馬隊」は有名です。
武田騎馬隊というと、私は黒沢明の映画「影武者」のラストシーンで登場する武田騎馬隊を想像します。

しかし、最近、武田騎馬隊は存在しなかったという説をよく聞きます。
武田騎馬隊どころか、戦国時代には純粋な騎馬隊は存在しなかったと言われています。

調べてみたところ

1、武田軍は騎馬隊の内訳は山県昌景300騎、馬場信春500騎など、主だった武将の騎兵数を合わせても約4000騎、出来うる限り多く見積もっても約6000騎であり、武田軍1万3千人のうち半分ないし2/3は歩兵であると思われる。
従って、中国において元を建国したモンゴル軍や、一の谷の鵯越や屋島の疾駆奇襲でしられる源義経のように、騎兵のみで部隊を構成したという事実はない。
また、武田軍には騎兵の最大の特徴である「機動力」を生かした作戦が見受けられない。
つまり、武田騎馬隊は実質的には騎兵・歩兵混成部隊であると言える。

2、イエズズ会のルイス=フロイスがヨーロッパに書いた『日本覚書』によると、
「われらにおいては、馬(上)で戦う。日本人は戦わねばならぬときには馬から下りる。 われらの馬は非常に美しい。日本のはそれよりずっと劣っている。」 とあります。

3、『甲陽軍鑑』によると
「武田家の大将や役人は、一備え(千名ほど)の中に、7人か8人が馬に乗り、 残りはみな、馬を後に曳かせ、槍をとって攻撃した。(巻6品14)」 とあります。

やはり武田騎馬隊は存在しなかったのでしょうか???

「武田騎馬隊」は有名です。
武田騎馬隊というと、私は黒沢明の映画「影武者」のラストシーンで登場する武田騎馬隊を想像します。

しかし、最近、武田騎馬隊は存在しなかったという説をよく聞きます。
武田騎馬隊どころか、戦国時代には純粋な騎馬隊は存在しなかったと言われています。

調べてみたところ

1、武田軍は騎馬隊の内訳は山県昌景300騎、馬場信春500騎など、主だった武将の騎兵数を合わせても約4000騎、出来うる限り多く見積もっても約6000騎であり、武田軍1万3千人のうち半分ないし2/3は...続きを読む

Aベストアンサー

いつの時代でも馬を常備するのはかなり大変な負担です。
それにモンゴルや近代騎兵部隊のイメージから想像しがちですが、そのような騎馬隊は戦国時代存在しなかったと見るのが妥当だとおもいます。
馬は高価で相当な身分でないと常備できないし、部隊編成上その数も限られていました。

ただ武田家では乗馬歩兵として機動力を利用するシステムは存在していたのではないかと思います。
上杉氏との戦いで敵の侵攻を狼煙により伝達し動員令を待たずに直ちに北に向かい集結するシステムなどは当時の軍編成に時間がかかった事を思えば画期的だったと思います。

モンゴル兵の場合は、各人数頭の乗り換え馬を従え、馬糧の豊富な草原を移動するし、生まれたときから乗馬に鍛錬していたのと、馬上戦が得意でしたから高速で移動し攻撃できましたが都市や城塞を攻撃する場合は歩兵として戦いました。  また征服した土地の住民を歩兵として使用したのです。

騎兵の主任務は敵の側背を急襲、包囲するか敵陣を乱すものでそれにより勝利を誘引する事で、主戦力は歩兵にあります。
日本の戦国時代このような用兵は見あたりません。

日本馬は体格も貧弱で積載重量も少ないので機動戦には不向きでした。
騎兵突撃の衝撃力を期待出来ず、馬の防具も考えていませんでしたから、敵が長槍で防御陣を作れば乗馬突撃は自殺行為でした。
有名な伊達の騎馬鉄砲隊も敵前で停止、銃撃すると後退するもので突撃はしなかったのです。

いつの時代でも馬を常備するのはかなり大変な負担です。
それにモンゴルや近代騎兵部隊のイメージから想像しがちですが、そのような騎馬隊は戦国時代存在しなかったと見るのが妥当だとおもいます。
馬は高価で相当な身分でないと常備できないし、部隊編成上その数も限られていました。

ただ武田家では乗馬歩兵として機動力を利用するシステムは存在していたのではないかと思います。
上杉氏との戦いで敵の侵攻を狼煙により伝達し動員令を待たずに直ちに北に向かい集結するシステムなどは当時の軍編成に時間...続きを読む

Q昔の人は、散髪や爪切りはどうしていたのでしょうか。

日本と外国で、それぞれ答えて頂ければありがたいです。

文化的な道具がないと、散髪も爪切りも大変だったと思います。

現在の鋏のような器具があったのでしょうか。それとも、石とか竹などの他の道具をつかっていたのでしょうか。

教えてください。

Aベストアンサー

こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。

>>昔の人は、散髪や爪切りはどうしていたのでしょうか。

Wikipedia(NO2の方のサイト)にもあるように、
外国では、
紀元前1000年ごろの古代ギリシアのものとされるはさみが発見されており、古代から使われていたと考えられている。
と、ありますね。

日本では、
6世紀に中国を通して伝わったと考えられており、この時代の古墳からの出土例もある。量産されるようになったのは江戸時代からといわれる。
と、あります。

散髪について、
「はさみ」も昔は「量産」されておらず、大変「貴重品」でした。そこで、江戸時代頃までは、女性は、極端に言うと一生髪を切りませんでした。お市の方の肖像画のように、髪をたらしていました。
しかし、江戸時代頃からは、「はさみ」も量産されるようになり、女性も多少は「はさみ」で髪形を整えました。

また、男性は、月代(さかやき)を剃るのには、武士は「毛抜き」や「短刀」などで整えました。庶民はもっぱら「毛抜き」でした。「毛抜き」はちょっと痛そう・・・でしたが、我慢したのでしょうね。
なお、「かみそり」で月代を整えたのは、一説には織田信長が最初とも言われています。

そうした時代以前は「露頭(ろとう)」と呼ばれる「石器?」も使われたようです。
「路頭に迷う」とは漢字が違いますので、お間違えのないように・・・。

「かみそり」は神聖な物という考え方があり、お坊さんでは、かなり早くから使用していたようです。
ただし、現代の「かみそり」もそうですが、最初の切れ味は良いのですが、だんだんと切れ味の悪くなり、「研ぐ」という技術もありましたが、鍛冶屋などは、そんな小さな物は相手にしなかったため、無理やり「こそげる」ようにして剃髪していました。「痛そう」・・・。

また、仏門に入る時にも髪を切ったり、剃ったりしますが、この儀式はお坊さんが行いましたので、「かみそり」を使用しました。

爪切りについて、
「はさみ」も使用されましたが、江戸時代中期までは「はさみ」は高級品であったため、武士やその家族は主に「短刀」で切りました。
庶民は小型の「ノミ」で切っていました。
今でも中国で露天商に「爪切り」の商売がありますが、やはり、「ノミ」でこそげるやり方をしている、とも聞きました。

ことわざに、
「夜に爪を切ると親の死に目に会えない」
と言いますが、
あれは「夜の、行灯(あんどん)などの明かりしかない暗い中で小刀で爪を削っていると、思わぬ怪我をして(細菌が入り)、親より先に死んでしまうので、親の死に目には会えない」と言われたようです。

大正時代頃からは「ニッパ」が登場したようです。
http://www.suwada.co.jp/aboutus/tsumekiri-history.html

現代のような「折りたたみ式」は、昭和の発明品です。

こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。

>>昔の人は、散髪や爪切りはどうしていたのでしょうか。

Wikipedia(NO2の方のサイト)にもあるように、
外国では、
紀元前1000年ごろの古代ギリシアのものとされるはさみが発見されており、古代から使われていたと考えられている。
と、ありますね。

日本では、
6世紀に中国を通して伝わったと考えられており、この時代の古墳からの出土例もある。量産されるようになったのは江戸時代からといわれる。
と、あります。

散髪について、
「はさ...続きを読む

Q貴族や騎士・兵士は何人ぐらいが妥当でしょうか?

貴族や騎士・兵士は一国あたり何人ぐらいが妥当でしょうか?

異世界ファンタジーの世界設定をしているのですが、行き詰っています。
一国あたりの貴族の人数、またはそれに伴った領地の数がよくわからないからです。
モデルとなる時代は14~15世紀ごろです。銃やプレートメイルが普及し始めたぐらいで、船は帆船が主流という設定です。
色々調べてはみたのですが、例えば公爵が何人で伯爵が何人などの具体的な数を探しあてられなかったので、知識人の力をお貸しいただけたらと考えた次第です。
下記の条件で、本当におおまかな数(“少なくとも○人は居て、○人以上だと多い”程度)で良いので妥当な数をお考え頂けないでしょうか。
ちなみに騎士はほぼ騎兵で、歩兵は傭兵を雇うのが一般的ということでお願いします。
■A国
絶対王政
国土面積:約2100万平方キロメートル(現在のロシアと中国の間くらいです)
人口:約5000万人
爵位:公爵、辺境伯、伯爵、子爵、男爵、準男爵、士爵
10以上の国を併呑し、統一して誕生した大国。
貴族は文官と武官に別れ、文官は領地を持たず武官は領地を持っている。
士爵は領地を持たず、武勲をうちたてた騎士に贈られる一代限りの爵位。
軍は国の軍(王の常備軍?)のみ。ただ、全員が王都にいるわけではなく、王族を守る近衛兵と、王都を守る兵、国境を守っている兵(全て騎士)に別れる。王都と国境以外の街は、領主が雇った警備兵(庶民)が常駐する。稀に警備兵から騎士に取り立てられる者がいる。戦時中のみ傭兵を雇う。
海洋貿易が盛んで、海軍がある。海軍は貿易航路と海岸沿いを守っている。
同程度の規模の敵国と国境(山と川)を接していて、現在は冷戦中。

■B国
絶対王政
国土面積:約100万平方キロメートル(現在のエジプトくらい)
人口:約255万人
爵位:公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵、士爵、名誉士爵
軍事的に強い国ではない。隣国の二国(東西の国)と三国軍事同盟を結んでいる。
あまり裕福ではなく、極端に貧乏でもない。海が無い。
士爵は領地を持たず、武勲をうちたてた騎士に贈られる爵位。世襲制。名誉士爵は伯爵以上の位を持つ者が、何かしら国に貢献した者に与えられる一代限りの位。免税と、街に入る際の優先権が与えられる。
軍の形は海軍が無いこと以外はA国と同じ。
同盟のため東西の守りは薄く、南の国境を重点的に固めている。北は砂漠で、国が無い。

以上です。
そもそも上記の条件の時点で無理があるという場合は、そちらもご指摘いただけたらと思います。


それとタイトル外のことなのですが、上記の設定で色々考えた結果、全世界の人口が二億人ちょっと程度になってしまいました。
ちょっと人口が少なすぎるかなと思うのですが、いかがでしょうか……。もしわかるなら、合わせて答えていただけると嬉しいです。

貴族や騎士・兵士は一国あたり何人ぐらいが妥当でしょうか?

異世界ファンタジーの世界設定をしているのですが、行き詰っています。
一国あたりの貴族の人数、またはそれに伴った領地の数がよくわからないからです。
モデルとなる時代は14~15世紀ごろです。銃やプレートメイルが普及し始めたぐらいで、船は帆船が主流という設定です。
色々調べてはみたのですが、例えば公爵が何人で伯爵が何人などの具体的な数を探しあてられなかったので、知識人の力をお貸しいただけたらと考えた次第です。
下記の条件...続きを読む

Aベストアンサー

●回答・・・14~15世紀の頃ではなくて申し訳ないのですが・・・

○1700年頃(17世紀)のイギリスにおける貴族(公爵~男爵)の数は約180家で、準貴族にあたる准男爵が約800家、騎士爵が約600家。
そして、この頃のイギリスの人口は約900万人で軍隊の規模は約7万人でした。
ちなみに現在のイギリスにおける貴族は公爵が31家、侯爵が36家、伯爵が197家、男爵が495家となっています。
なお現在のイギリスの人口は約6000万人です。

○1700年頃の他の国の人口と軍隊の規模は、
フランス・・・人口約1900万人。軍隊は約35万人。
ロシア・・・・人口約1700万人。軍隊は約22万人。
プロイセン・人口約200万人。 軍隊は約3万9千人。
スペイン・・・人口約600万人。 軍隊は約3万人。

○なおヨーロッパの人口は1600年(16世紀)でも約1億人程度だったそうです。
ちなみにその頃のヨーロッパの人口の約四分の一は、ハプスブルク家の領地に住んでいたと推定されています。

○軍隊における兵士の数は、当然、その国のおかれた周辺の状況にもよってくるでしょう。
戦争状態にあったり、敵対国家が隣接していれば大きな軍が必要になりますし、周辺全てが友好国ならば、軍の大きさも抑え目になる場合もあるでしょう。
前述した1700年頃の人口と軍隊規模からは、人口の約0.5%~約2%程度が兵士であった事がわかります。
ただし、これも絶対というわけではなく色々なケースがあります。
特に傭兵を雇う場合、資金があればかなりの軍を維持できます。
16世紀、「北方の獅子」と呼ばれたスウェーデンのグスタフ2世王は、ドイツに進攻し軍事的成功をおさめ、15万人の軍隊を率いています。
しかし、そもそもこの頃のスウェーデンの人口は約100万人程度しかなく、15万人もの兵士のうちスウェーデン人はその約2割の3万人程度でしかなく、他は現地のドイツ人やイギリス人などの傭兵だったそうです。
ただ、傭兵を雇えばお金がかかります。
グスタフ2世王は現地ドイツの味方の貴族や都市から寄付金を募り、味方でないところの都市や、貴族からは、攻めない略奪しないと約束して、安全保障費を払わせ、軍を維持する資金を得ていたそうです。
ただし、傭兵を雇用し資金繰りに苦しみ失敗した例もあり、それがハプスブルク家です。
前述した16世紀におけるハプスブルク家の領地の人口は約2500万人ですが、この頃、ハプスブルク家の軍は、傭兵を主体に30万人を超えました。戦争も多く戦費も嵩みます。その結果、国の財政は殆ど破綻しています。

■そういうわけで、知恵を絞り、歴史に学び、工夫すれば、かなりの軍を作品内で動員する事が可能になるかと思います。
良い作品ができますようお祈りいたしております。

●回答・・・14~15世紀の頃ではなくて申し訳ないのですが・・・

○1700年頃(17世紀)のイギリスにおける貴族(公爵~男爵)の数は約180家で、準貴族にあたる准男爵が約800家、騎士爵が約600家。
そして、この頃のイギリスの人口は約900万人で軍隊の規模は約7万人でした。
ちなみに現在のイギリスにおける貴族は公爵が31家、侯爵が36家、伯爵が197家、男爵が495家となっています。
なお現在のイギリスの人口は約6000万人です。

○1700年頃の他の国の人口と軍隊の規模は、
フランス・・・人口約1900万人。軍隊...続きを読む

QモーゼルC96のような拳銃は何故廃れたの?

 1896年にドイツで開発されたモーゼルC96(後のモデルM712も含む)はトリガーの前にマガジンを持つ独特のスタイルを持つ拳銃として有名です。この銃は100万丁以上生産され世界中で使われたヒット作であるとされています。
 しかし世界の自動拳銃を見るとグリップにマガジンを挿入するタイプのものばかりで、C96のようなタイプの拳銃は他に殆どありません。何か欠点があるのでしょうか?

Aベストアンサー

 一般に、当時は先端でもやがてそれを超える物ができて旧式となるものですが、兵器はとくにその傾向が著しい分野です。

 モーゼル軍用拳銃は、試作、改良型完成したのが1895年ということですからまさに自動拳銃(オートマチック)の先駆け的存在で、これが1950年代ぐらいまで現用拳銃として世界各地で使用されていたこと自体、小銃と並んで信頼性の高い拳銃であったといえます。(1910年代には9ミリパラベラム弾タイプもあり。グリップに9の番号が彫られている)

 1890年代というと、騎兵戦(騎兵銃や槍で戦う)とか白兵戦(銃剣で格闘)という戦闘形態であり、槍や弓矢なども使われていました。そういう時代背景で誕生したのがモーゼル軍用拳銃で、

 戦闘状況に応じて単発、連射がつまみ一つで切り替えられる。弾切れを考慮して20連発カートリッジが装着できる、ショルダーストックを装着して馬上から射撃できる、格闘のときには銃身を持ってグリップで叩くというほか、なにより長銃身と重量が安定した命中率を保証したことが当時のニーズに合っていたわけです。

 しかし、開発当時から携帯性や重量といういうのが欠点と指摘されており、ドイツ(プロシア)陸軍は、すでにリボルバー式の拳銃を採用しており、制式としたのはトルコ陸軍でした。このようにモーゼル拳銃は『軍事後進国』とでもいいましょうか例えば中華民国陸軍などを中心に汎用されたことが特徴です。

 やがて戦闘形態が変わっていくにともない、また新型拳銃が開発されると消え去る運命になることは兵器の宿命であります。

 
 銃の薀蓄(うんちく)本でもあるライアルの『深夜プラス1』(76年)の主人公は、モーゼル拳銃の愛用者ですが、仲間のガンマンとの会話を引用しておきます。

>どんな銃だと、聞きかけたので「一九三二年型のモーゼルだ」と教えた。彼にしてはひじょうな驚きの表情なのであろう。表情が凍りついた。「あのでかいやつ? レバーを切り換えると全自動になる、あれか?」「そうだよ」彼はわずかに片方の眉をあげ、片方をさげた。私の正体が読めたらしい。私自身の銃に関する信念の一端を見せてしまったようだ。とんでない信念ではある。「トレイラーに乗せてひっぱっていくのか?」~ わたしはニャッと笑った。俗に「箒の柄」といわれたその旧式のモーゼル銃、特に全自動切り替え装置をつけた一九三二年型にまずい点は多々ある。目方は三ポンドもあって全長一フィートもある。握りの部分が不安定で、全自動で発射すると怒った猫のように手の中で跳ね廻る。しかし、長所もあるのだ。認める、認めないのは当人の勝手である。

 読んでいくと、ラストにモーゼル軍用拳銃の真価が出てくるのですが、この頃は既にマニアの拳銃となっていたんですね。

 資料:高橋昇「モーゼル軍用拳銃」 『GUN』1977年6月号所収 
   
    ギャビン・ライアル『深夜プラス1』 ハヤカワ・ミステリ文庫 1982年
 
 

 一般に、当時は先端でもやがてそれを超える物ができて旧式となるものですが、兵器はとくにその傾向が著しい分野です。

 モーゼル軍用拳銃は、試作、改良型完成したのが1895年ということですからまさに自動拳銃(オートマチック)の先駆け的存在で、これが1950年代ぐらいまで現用拳銃として世界各地で使用されていたこと自体、小銃と並んで信頼性の高い拳銃であったといえます。(1910年代には9ミリパラベラム弾タイプもあり。グリップに9の番号が彫られている)

 1890年代というと、騎兵戦...続きを読む


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