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今の子供達は考える力が弱いと思います。
最近のニュースでも、高校3年生が同級生を殺害するという事件がありました。
凶器は前の日に購入したとか。
なぜ、すぐに殺してしまうのか。自分が偉いと、自分に合わない人は殺してもいいと、そういう考えしかもてないのでしょうか?

やはり、メンタル面が弱いのが原因なのでしょうか。ネットワークが普及してしまったゆえなのでしょうか。

対人能力、上下関係などができない人が社会にでると思うと・・・。

この国はどうなってしまうのでしょうか?

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A 回答 (8件)

脳を過剰に刺激してるのが原因です。

社会生活が情報過剰、言葉の氾濫、科学による道具の発達などで、過剰に脳を刺激しています。また娯楽も、脳を刺激するものが好まれます。昔の日本人は、脳を休ませる事を工夫しました。だから娯楽も、脳を休ませるのが好まれました。演劇や音楽、絵画、短歌や日常生活に、間を入れて、脳を休ませて、情緒を多くしました。情緒は心を癒し、人の心を育て、人を調和へ導きます。現代人は、脳に依存し、脳の思考で、何でも解決出来ると思っていますが、脳はストレスの発生源です。人の心を、育てる事は出来ません。なぜかというと脳は、不調和世界の代表だからです。だから脳の科学は、自然を破壊しました。また脳の自我は、対立と争いばかりです。他方情緒は、調和世界の大自然の心です。脳が思考してる時は、脳が人と自然の情緒との交流を、遮断するのでストレスになります。脳が休むと、人と自然の情緒が、交流するので心が癒されます。だから脳を休ませて、自然の情緒を多くする事が必要です。とくに今の子供は、情緒が不足しています。情緒を補給するには、脳を休める要領を、習得する事が必要です。幸い日本には、脳を休める方法が、たくさんあります。仏教では座禅があります。また日本の伝統文化は、脳を休めて、自然の情緒を、心の癒しを、目的にしています。雅楽、平曲、ごぜ唄、長唄端唄、小唄、義太夫節、浄瑠璃、民謡、演歌、浪曲、能、狂言、落語、歌舞伎、日舞、浮世絵、日本画、茶道、華道、短歌、俳句、源氏物語などがあります。 子育ては、知能よりも、情緒を教える事が必要です。人間関係や心の安定、人の生き方は、情緒が教えます。自然の情緒こそ、神の心であり、天地創造の宇宙の主役です。
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質問にあるような犯罪は、昔からありました。


現在40代や50代以上が少年だった頃の方が、少年による凶悪犯罪が多かったことも、
犯罪白書などをあたれば分かります。

しかし、50代あたりから見てのメンタル面の弱さというのは、あるかと思います。
その原因は、専ら経験不足、特に失敗から学ぶ経験の不足が原因かと思われます。

例えば、現在の日本の中等教育における授業のレベル(教員の教える能力の水準)は、世界最高水準です。
ただ、あまりにも優れた教材と展開で教えるため、生徒自身が考える(試行錯誤する)ということが阻害されています。
また、学校も保護者も、子どもに失敗をさせないよう先回りしてお膳立てするため、
失敗から学ぶという経験が圧倒的に不足してしまいます。

一方、社会は昔に比べ失敗を容認する余裕が無くなり、
むしろ自分が責任を取らなくて良いための、安易な犯人探しをする風潮が強くなりました。
社会人になってからも、失敗から学ぶ機会が減っているのです。

また、学校ではきちんと整理し、体系的に教えられてきた、その方法に慣れきってしまった若者にとって、
企業内教育はあまりにもお座なりなものです。
『経験主義』『現場主義』を誤って理解した者によってがOJTが行われます。
自分の狭い経験の特殊性を絶対視して教える人があまりにも多いのです。
本当は、個人の経験から特殊性をそぎ落として、普遍性のあるものを次代に伝えなくてはならないのですが、
教える側の知的水準が低いため、経験の抽象化能力が行われず、細切れになった個々のテクニックの伝授に終始する、
こういったOJTがあまりにも多い。

この条件下では、失敗経験が少ない(でも知的水寿運や情報力は昔よりも遙かに拡大している)若者が、
失敗するかも知れない、少なくともリスクが目に見えることを避けようとするのは、極めて自然な現象です。
一見して主体性が無いように見えますが、教える側が主体性を失わせているのです。
言うなれば、ブレーキを踏んだままアクセルをふかしているのです。
空荷ならともかく、負荷をかければタイヤが空回りするだけなのは当然ですね。

結果として、上下関係だけは守られます。ただし、仕事の場面においてのみですが。
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 事件の被害者は大変だな、と思いますが、こういう問題って昔からあるんで、現代特有の問題として報道をするマスコミは割り引いてみたほうがいいのでは、と考えたりもします。



 大きな図書館で明治時代の新聞などを閲覧すると、この種の殺人事件が結構多いのに驚かされます。当時の新聞の取材範囲は、新聞社のある町近隣とか、同じ県内でしかないので、全国での発生数は今よりも多いのかもしれません。
 で、当時の新聞も、「江戸時代のよき文化を棄てたことによる現代の病魔だ」という報じ方をするのですが(昔からそうだという事は、今後もこの報道姿勢は変わらないでしょう)、江戸時代に青少年が健やかに育っていたかというと、必ずしもそうでもなく、今と同じように社会に適応できない青少年がいて、現代のフリースクールよろしく矯正塾があり、行き過ぎた指導で当局に摘発される、というような話もあったようです。

http://homepage3.nifty.com/motokiyama/nagai4/nag …

 ただし、一点だけ質問者さんの質問タイトルに同調して問題提起をするなら、現代社会が「知識」や「知恵」を尊重しない社会になってきているのではないかという点は私も気になっています。
 賢くなるというのが、昔は金銭的な利益とは別に、その人や地域社会を豊かにするものである、という考え方が一昔前まではあって、勉学に励む人というのは尊敬されていたと思うのですが、今は、賢くなるのは個人的、金銭的な利益ですよね。別の言い方をすると、他人が勉学に励んだ結果優秀になったということが、昔は「その人が社会貢献をする事で還元される事もあるからいい事だ」、という感じだったのに、今は「その人が富を独占するからけしから」ん、というような考え方になってきていると思います(もっとも、昔だって同級生が好成績を取っているのをねたんで・・・というのはありますが)。
 勉強する事で、皆に尊敬されるのではなく、妬まれるのであるのなら、自分は勉強しない、という形で中高生の学力向上を阻害しますし、真面目なひとなら、何のために勉強するんだ、と悩んでしまい、様々なあやまちの原因になるような気がします。
 というわけで、もう少し、われわれの学問観を改める必要があると思ったりしたのですが、いかがでしょうか。
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報道が多すぎですね。


昔と今での、犯罪数に対する報道数の割合が増えてる気がします。
それも、ショーアップが過剰かと。
善ならともかく、悪までも、楽しめる報道にしちゃってますよね。
影響を受けやすい人はそれを見て、事件が頻発してるように感じ、よくあること、そんなに珍しいことではない、数ある選択肢の一つ、と考えてしまうのかと。
そして、普通の行動は事件にもニュースにもならないから、報道されなく、世の中の大半を占める「普通の出来事」を知らずに成長しちゃうのかな(想像ですけど)

自我の確立や、苦労を経験する前の子供のうちから、それら報道を見るのはアレですね。
平行して、リアルな体験を通して「普通の出来事」を経験したほうがいいですね。

そして、
経験が少ないながらも、頭の回転は早い気がします。
大人から見て短絡的に見える行動も、考えていないのでなく、考えているんだけど、世界が狭すぎるように見えます。
経験不足ですね。
本人、親、環境、全部の複合体の責任だと思います。
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貴方が子どもの頃、周りの子どもは本当に考える力が弱い。

と思っていましたか?
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親が子供を甘やかしてる結果でしょうね。


まず教師の威厳を取り返すことが大事だと思います。
モンスターペアレントや素行の悪い生徒には、警察や自衛隊でも使って力でねじ伏せるべきでしょう。
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同級生の殺人は昔からあります。

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どんどん、精神障害者が増えていくと思います、サイコパスもね


世の中の仕組みを変えない限り駄目ですが、今の政治家を見ていると
それも駄目でしょうね、この国はどんどん物騒になって行くでしょうね
残念ながらね
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