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私はずっと、いかに労力を減らすかということに心をくだいてました。
ものごころついてからなので、筋金入りです。
夏休みの作文は、どうせもとの原作まで読む訳ないと高をくくって、
あとがきや寄稿をパクリ、ラジオ体操は幼稚園の妹にかわりに行かせる。
大きくなってからも、レポートやテストは先輩のものを拝借、
研究は教授に取り入るなど、自分で書いててあきれます。
そんなわけで私には、テストが終わっちゃえば全く覚えてない偽りの成績と、
なんとなくで取った意味ない資格が2、3あるだけです。

最近そんな私に昔からいいように使われてた妹が、
介護施設で一生懸命働くのをみて、自分が恥ずかしいと思うようになりました。
考えられないくらい安い給料で、不器用だからと怒られながらも、
毎日仕事がよくできるようにと努力しています。

一方私は、努力が何なのかもわかりません。
どうしたらそうやって努力できるようになるのかも、
努力したいと思うようなこともありません。
今、努力している方、教えてください。
努力できるのはなぜですか。

A 回答 (9件)

大学にまで進まれて、且つ資格もお持ちなのですから、これは必ず努力しているはずです。


それを努力と感じていないのは、自己評価が低いとも考えられます。

自己評価が低い人、自己愛が萎縮気味の人は、人と自分を比べがちです。
人と比べることの中にしか、自分を見出せない。今回も妹さんとの比較が発端ですよね。

だとしたらこれは、自己が希薄気味と言い換えることもできます。
どうしてこのような傾向が出たのか。そもそも「自分」とは何なのか?

幼児にとって自分とは「今自分がやりたいこと、好きなこと、好きなもの…」です。
それが自分自身とイコールなのです。

泥んこで遊んでみたい。この公園のこの場所に座るのが好き。この色のお菓子が好き…。
それがイコール「自分」です。

大人からみればつまらないことでも、大きな支障でもない限り、できるだけ自由にさせてあげる。
そして子供の気持ちを分かってあげようとする。「これが好きなんだよねー」と。
受け入れてあげる。褒めてあげる。見守る。もし危険に及んだら助ける。それが親です。

ですから貴方は、幼児期にあまり好きなことをさせて貰えなかったのかも知れません。
すると自分が希薄になり、自己評価が低くなってしまう。
人から見ればどう見えるかばかり気になって、人から良く見えればいいということばかりを
意識して行動してしまう。無理をして良い子を演じている。
加藤 諦三さんがよくご本に書かれていることです。
真の自分からあふれ出るような「やりたいこと」が見つからない。それは自分が希薄気味だから…
という訳です。

ですからこれからは、ご自分が本当は何が好きなのか、見つめていくことです。
探していくことです。或いは新たに築いていくことです。

そんな心持ちで居れば、やがて自分が濃厚になり、目的が見つかると思いますよ。

…以上一番数が多いと思われるカタチに当てはめて、勝手に想像させていただきました。
きっかけ作りにでもなれば、ということです。失礼ご容赦下さい。
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この回答へのお礼

ご丁寧な回答ありがとうございます。

言われるとおり、「こうやれば親が文句言わない。まるく収まる。」
ということを無意識に感じながら、何でもやっていたかもしれません。
余暇ですら「人に誘われたから」という理由で、ダイビングとか山登りとかヨガなど、
とくに楽しいとも思わず、なんとなくやってました。
これでは、自分というものがなくなるのも当然ですね。
ご指摘頂いた事を、よく考えてみようと思います。

お礼日時:2009/07/09 18:23

>努力できるのはなぜですか。


達成感が味わえるからです。困難に立ち向かい、乗り越えて達成したときの気持ちは何ともいえません。やった~という気持ちになりますね。
これは努力した者のみ与えられる特権です。まあ言い換えれば充実感も得られるということですね。そういう気持ちを得られるからこそまた次もやってやろうという気持ちになります。
簡単な例えですと、登山ですね。リフトとかケーブルカーなど乗り物に頼らず一歩一歩ゆっくりでもいいから着実に自分の足で登りつめていく。頂上へついて周囲を見て、やった~登ったんだ~という気持ち、達成感を得られる。これは登った人間でなければ得られません。
こういう気持ちになれるからこそ、また努力しようとするのではないでしょうか。
ただ、努力してもいい結果を出せるとは限りません。しかし、努力しなければ絶対に得られません。人にやってもらっても全然おもしろくないでしょう。
ぜひ自分で達成感を得られるよう努力してください。応援しています。
長くなりましたが、ご参考まで。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

達成感とか、やりきったという感覚が大事なんですね。
今までたんたんとした毎日で、とくに何か目標というものはなかったのですが、
小さなことから目標をたてて、達成するということをやってみようと思います。

お礼日時:2009/07/09 18:34

要領よく生きるのも、才能のひとつです。


努力の結果といってもいいでしょう。

>努力したいと思うようなこともありません。

でしたら、別に特に努力しなくても良いと思いますよ。
普通に生きていけるのであれば、それが「努力の結果」ですからね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

ずっとコツコツやる人をばかにしてました。
けどある日、「自分は何か一生懸命やり続けたことがあるだろうか。」
と気づいてしまい、むなしくなってしまいました。
生きていても、特におもしろくないですし。

でも自分が気づかないところで、何か努力しているのかもしれませんね。
誰も楽に生きている訳ではないですし。

お礼日時:2009/07/09 18:30

地道な努力はしてこなかったけど、要領よく評価されるための努力はしてるんだね。


先輩のレポートを拝借・・・、教授に取り入る・・・、って、人間関係が築けてないと、出来ないよ。
エネルギーの向け方が、出力も方向も、他の人とは違うけど、それも努力かもよ。

何の根拠もなく聞こえるでしょうけど、貴方は、無から有を生む事が出来る才能を持って産まれて来られてます。
自分のひらめきを大切にして、やってみたい事、興味が持てることは、どんどん経験してみたらいいです。
そのうち、いつの間にか自分が努力してる事に気付く時が来ます。

大丈夫。信じてみて。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

確かに自分の労力を減らさないためのエネルギーは、
惜しみません。本末転倒ですが。
ちょっと方向がズレてましたね。

結局労力を減らすための努力ばっかりして、
何にもない人間になってしまった・・・。

遅まきながら、自分が何がしたいとか、何が好きとか、
何ができるのかちゃんと向き合おうと思います。
あたたかい励ましのお言葉、ありがとうございました。

お礼日時:2009/07/08 01:31

高尚な回答でなくて申し訳ないですが、



私の場合は、楽しいからです。
嫌なこと、面倒なこと、つまらないこと、そういう過程を通らなければならないとしてもやりたい楽しいこと。手に入れたいもの。
技術とか、達成感とか、満足感とかいうものも含めた、諸々に対する欲望があるからです。
No3.さんの仰る通り、欲望を努力の源泉としています。

私としてはむしろ、努力するくらいなら要らない ものばかりに囲まれている人生の方が想像しにくいです。
私の性格ですと、そのような環境では、人生そのものを、苦労するくらいなら要らない、と思ってしまいそうなので……
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

楽しいなんて、素晴らしいと思います。
逆に私はこれまで楽しいとか、手に入れたいとかそんなに
強く感じたことが滅多にありません。

やんなきゃいけないから、無難にこなすってことばっかりで。

むしろ、がんばって何かをやろうという発想自体がなく。

人生を含めて、色んなことに執着心が薄すぎるようです・・・。

お礼日時:2009/07/08 01:20

あなたの質問を見て、”食わず嫌い”と似ていると思いました。


子供のころ何かのきっかけで嫌った食べ物を、大人になっても
”自分は嫌いだから”という想念に金縛りにあって食べない。
あなたは子供の時から”最小の努力で結果を得る”ことに得難い
価値観を見て、それに向かって邁進し、あなたの判断では今まで
それなりの成果があったのでしょう。多分、あなたは賢くて器用
だからそうしてこれた。しかし”器用貧乏”という言葉があります。
あなたは努力出来ない人ではなく、努力してみなかっただけ。
”器用貧乏”で甘んじたくなければ、食わず嫌いを止めましょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

最近親からも、「あんたは器用貧乏、結局なんもないのよ。」
とよく言われます。
学生のうちは、それはそれでよかったんですけどね。。。
やりかたはどうであれ、成績がでれば結果オーライですし。

社会はそんなに甘くないですよね。
おっしゃるとおり努力の食わず嫌いで、
大きなツケをはらうことになりそうです。。。

お礼日時:2009/07/08 01:07

>研究は教授に取り入るなど、自分で書いててあきれます。


>自分が恥ずかしいと思うようになりました。
 とありますが、何故そう思われたのでしょうね。
>努力できるのはなぜですか。
 その答えは、今の世の中(裕福な家庭に育った一部分の方々は除く)努力なくして自身の欲望が達成出来ないからでしょう。
人生、生きていて何の欲望も無いのであれば努力をする必要性も無いでしょうからね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
グズだななんて思っていた妹が、無私無欲に働いてるのをみて、
何だか損得ばっかり考えてる自分がいやらしく感じたんです。

強烈な欲望は、、、あんまり感じたことがありません。
とにかくある程度、無難にこなせればいいやと思っていたんで。

色々自分を見つめなおそうと思います。

お礼日時:2009/07/08 00:59

実は、今の厳しい社会で、努力をしないである程度の役職や肩書きを手に入れることは出来ません。

一般的に、会社でも管理職になるまでは、要領だけでも生きていけます。しかし、管理職になったとたんに、今までのつけが回ってきます。それこそ、リストラの対象です。そのときに残っているのは、妹さんのように“地道に努力”して来た人だけです。努力と苦労が、人生の心の財産として残っているからです。例えば、貴方に子供が居たとして、今の貴方と同じことを子供が言った時に、どう答えますか?「人生は努力しないで要領良くやればいい」と答えますか?妹さんの生き様を参考にして下さい。貴方の答えはそこにありますよ。申し訳ないけど、努力なしで一生を終われるほど人生は甘くないですよ。心配しなくてもこれから、苦難は山ほどやってきますよ。実は、私も最初は、貴方と同じでしたが、幸か不幸か、社会に出ていきなり、辛酸を舐めさせられて、目が覚めました。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

自分の子供に自分を置き換えて考えてみる、

やってみます。

お礼日時:2009/07/07 21:51

目標がある人は実現のために努力します。

目標のない人は現状に満足しなにもやりません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

目標・・・、

やったほうがいいことを、なんとかやりすごすばかりでは、
目標なんてないですよね。

お礼日時:2009/07/07 20:50

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