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1980年代から1990年代前半にかけて家庭用ゲーム機のトップシェアは、
ファミコンですが、ほんの数年でプレイステーションのその座を明け渡しました。さて、そうなってしまった要因はなんだと
思いますか?
私はグラフィックだと思うのですがあまり知識が無いもので…。
沢山の回答がいただきたいです。

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A 回答 (11件中1~10件)

 1995年当時のゲーム機はセガサターンとプレイステーションで3Dゲーム商戦が花盛りだった時代です。

3Dゲームでなければゲームではないと言わんばかりの3Dゲームの大量生産が始まり、ファミコンで動いていた2Dゲームのほとんどが3Dゲーム機上で動く3Dゲームに移植されて行きました。

 テレビ番組でも3Dゲームが大流行したのが、ファミコンからプレステに大きく流れが変わった原因でしょう。

 3Dゲームで無ければ、プレステがファミコンを駆逐するのは難しかっただろうと思います。ファミコンの弱点は遅い処理速度で2Dゲームを高速に動かす為に特殊化されたハードウェアにあったわけで、それがなければ単純に処理能力の高速化だけで3Dゲームに対応出来たはずですが、プレステのようにフルグラフィック性能(1677万色表示)が無いと3Dゲームは難しかったでしょう。

 ファミコンは少ないVRAM上に表示機能を集中させる方法で2D画面表示の高速化を実現したゲーム機ですが、プレステは全く反対に大量のVRAMとメインRAMを用意し、高速CPUを使用し、サブCPUでも分散処理するなど、力技で3Dゲームを動かしていたわけで、ゲーム機の設計思想が正反対な機械です。

 ファミコンからプレステにゲームソフト会社が大きく舵を切ったのも同じく、グラフィックに制限が多いだけではなく、メモリー容量にも制限が多かったファミコンに比べ、あらゆる面で余裕があるプレステにゲームの未来が期待出来たからに他なりません。
 
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みなさんが書かれているような事も大きな理由ですが、


こういう事も大きいかと思います。

事前にかなりの金額が必要だった。
開発機材に関しても必要でしたが、ソフトそのものの製造価格があって
それ掛ける何%*本数のお金が必要でした。
(今は知りませんが。)

という事も作る側にとっては大きいかと思います。
あとは、確か、おもちゃ問屋(FC)と電気店系(PS)では返品してもいいとか、どれだけ返品OKとかも関係してたかとも思います
そのへんはあやふやですが。
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全ては任天堂が半導体からディスクへの移行を拒否したのが真相です。



他の回答者様も書かれているとおり、読み込み速度の遅さを毛嫌いしていたことが主な理由ですが、それに加えて一度に読み込める量の少なさも問題でした。
例えばPSの場合、1回の読み込みでは2MBまでしか転送できませんでした。そのためドラクエ7ではイベントを2MB以内に収めるのに苦労されたそうです。
このこともあり、容量の割にコストが高いという弱点を承知でROMカセットにこだわっていました。これが、SECにトップをとられた理由です。

さすがに64がイマイチだったのでGCではディスクを採用しますが、DVDプレーヤー変わりとして使用できなかったなどから、PS2に大きく引き離される状態は変わらずでした。
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既にとても内容の濃い回答がたくさんありますが、私から見た点では、


・ソフトの数
・ソニーの販売戦略のうまさ
だと認識しています。


まずソフトの数について。
ナムコやスクウェア等の大手ゲームメーカーの参入のほか、
それ以外のゲームメーカーの参入もじつに多かったものです。
それはもう、プレイステーションの独壇場と言っていいほどに。

プレイステーションと同時期のニンテンドウ64や、セガサターン等に比べて、
技術面でもコスト面でも、プレステの方が容易だったらしいです。
中でもニンテンドウ64は、グラフィックは当時最高ではあったのですが、
その分高い技術が必要になり、ソフトもROMカセットであったゆえ、
コスト面など、総合的な負担も大きかったそうです。
製作が容易なのは、大手メーカーにとっても都合のいい事ではありますが、
開発ツールの提供など、ソニーからのサポートもとても強かったため、
中小企業も参入しやすかったそうです。
逆に任天堂の場合、本当に実力のあるメーカーだけが出せばいいという考えがあり、
その時メーカーに対して、厳しい対応を取っていたそうです。

そして良くも悪くも、ソフトの数では、次元が違うほど同時期のゲーム機をはるかに凌ぐ数になり、
ユーザー(顧客)も超大作や、ソフトのたくさんあるゲーム機を自然に選ぶようになり、
メーカーも多くの人が持っているゲーム機、そして製作が比較的容易であるプレステを
選んでいく結果となったのでしょう。


販売戦略についてですが、
やはり世界のソニーという印象も強かったほか、当時インパクトのある宣伝方法や、
斬新なアイデアのソフトも好評を博したのだと思います。
そのおかげで、子供だけでなく大人にも興味を向かせる事に成功しました。
CMでも自社ソフト以外にも、他のメーカーが出していたソフトのCMも
製作していたようですからね。


あともうひとつ、業界の流れにあまり関係のない事ではありますが、
プレステ本体自体も、故障や仕様変更が多かったため、
それによる買い替えによってゲーム機の販売台数は伸びたのではないかとも、個人的には思います。


その当時ゲーム雑誌を講読して分析した個人的な見解ですが、
消去法でも、ユーザー・メーカー共に、
ソフトの作れるゲーム機、ソフトのあるゲーム機を選んでいった結果ではないでしょうか。
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ファミコンとはFCとSFCを指していると思うのでその前提で書きます


まず当時の開発環境は高価でした。それに対しSCEは開発環境を格安で提供しサードの初期投資を抑えました。さらに流通改革とCDROMを使うことによりコストを抑え、コストダウンしやすい本体設計にしていました
さらに評価は高かったもののあまり売れなかったものを受け入れることでサード獲得を積極的に進めました
後は運ですね。当時主流の2D表現が弱かったのですが3Dブームが起きたことにより何とかなりました
FF7発表までセガのSSに押されていましたがFF7のN64とPS発表によってイメージ的には優位に立て、さらにスクウェアと任天堂のトラブルによりFF7がPSのみで発売されることになりました
急速に発展したネットによる口コミや電撃PlayStationなどのマイナーゲームの盛り上げも一因ではあるでしょう
最後にサードが大容量化を望んでいたというのもあるでしょう。FCやSFCの大作では大容量ROMを使用とよく書かれていました。それは製造コストに跳ね返るわけでソフトの値段が高騰していったわけです
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こんにちわ


色々難しいはなしですね。
基本的にはソフト+価格態じゃないかな?と思いますね。
以前は(PS2時代ですが)SCEはかなり力を入れてPS2を作ってましたが、現行、金になると思って非専門家が社内で出てきて今回PS3は失敗していますから。
任天堂も一時期上役が世間なめてた時期があったそうですから。

私の結論は、メーカーが驕ると挑戦者に負けてシェア交代になりますからね。やっぱりお客さんの事を考えないとダメという事です。
DSが売れているのは、操作しやすい、ソフトが安いも理由の一つと考えてます。 今の日本の不況と同じです。日本の会社は一部を除きもうダメって事だと思いますが。
最後は蛇足ですね。
この手の話は個人の認識や見解次第なので、あなたなりの答えを探して下さい。 いい答えが見つかると良いですね。頑張って下さい。
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カセットとCDの差でしょうね。


任天堂はCD-ROMをスーパーファミコンに導入する機会が2回ありました。1度目はソニーと共同して開発していた『プレイステーション』、2度目はフィリップスと開発していたCD-ROM装置。いづれも開発が中止になり、ソニー側のスーパーファミコンCD-ROM装置プレイステーションはプレイステーションとして開発される事になり、フィリップスのCD-ROM装置はCD-iとして開発されることになりました。CD-iに一応、マリオやゼルダが存在するのは契約があったからとか。

任天堂がCDを嫌った理由としてはロード時間があったからです。当時のゲーム機(PS,SS以前のCDのゲーム機)を考えればユーザーからしてみればロード時間はストレスの溜まる要因になっており、松下電器の3DOはスゴいゲームがありましたが、ロード時間等の問題で人気がありませんでした。

N64時代に移るとカートリッジに執着し、コストが高い、容量が少ないと言った問題が浮上します。スーパーマリオ64で8Mだったらしいので、そのことを考えればCDの方がかなりマシに思えます。
CD三枚も使ったFF7は元々N64のタイトルだったらしいのですが、メディアの容量で任天堂とスクウェアの仲が悪くなってしまい、スクウェアからGCのFFCCまで任天堂ハードへの供給がありませんでした。

N64はコストが高い、容量が少ない、作りにくいなど、ゲームクリエーターからしてみればPSの方がマシと言う結果になったので、多くのサードパーティが離れていきました。
結果として任天堂はマリオやポケモンなどのファースト、セカンドパーティだけでハードを支える結果となり、この反省からGCを作る事になります。

GC時代になるとロード時間を気にしたのか、松下電器と一緒に8センチ光ディスクを開発しますが、容量不足の問題が生じてきます。作りやすさもアピールしましたが、既にDVDを引率する切欠となったPS2が存在していたので、サードパーティはPS2に注いでいた時期での登場となったので、N64の時よりかサードの目を引きましたが、結局、GCで作っても売れないと言う事でバイオハザード4やテイルズオブシンフォニアなどGCで販売していたソフトをPS2に事実上の劣化移植することになりました。(性能がPS2がGCよりも劣っていて、無理矢理移植したので、PS2の方が不利な表現方法(エフェクトなど)がありましたが、売り上げではPS2版の方が上回っています。)

この辺から任天堂の社長が今までの一族経営から外部からの人間を社長にすることで経営方針が大きく動く事となり、DSやWiiの誕生へと変わっていきます。


ゲーム機の売り上げは結局ソフト次第になります。●●●のゲームが遊びたかったらこのハードを買うしか無いとなりますし、ハードの移動が可能なサードパーティのタイトルをいかに多く集めるかも重要な部分です。
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私がPSを買ったのはファイナルファンタジー7が発売された時です。

それまでは買おうとは思ってませんでした。
キラーソフトが出たことも大きな理由の一つでしょう。
FF7以降ファミコン系の続編がPSで出ることがあたりまえになり、ますます任天堂離れが進んだのではないでしょうか。
当時エニックスのドラクエ7もPSになりましたし(エニックスは一番売れてるハードで出すと言ってましたね)
自分はソフトがやりたいからハードを買います。
おもしろいソフトがあればハードは売れる(マリオやゼルダもやりたいのでN64もGCも買いました。PS2はドラクエ8と一緒に買いました。)
逆にすごいハードを作ってもソフトがなければ売れない(PS3は買ってませんがFF13が出たら買うかもしれません)
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まずグラフィックの差ではないでしょうね。


プレステやセガサターンなどが32ビット機だったのに対し
N64はその名のとおり64ビット機だったわけで
性能面では明らかにN64の方が上でした。

一番大きかったのは「発売時期のズレ」でしょうね。

次のサイトに発売日一覧があるので分かりやすいのですが…

据え置きゲーム機発売日メモ(国内)
http://techside.net/news/2008/09/ts_5.html

プレステの対抗機である「N64」は、プレステ発売から約1年半後、
プレステ2の対抗機である「GC」も、プレステ2発売から約1年半後で
いずれもプレステ(2)が一通り普及した後で発売されています。

それに対してWiiは、プレステ3発売から約1ヶ月後ということで
ほとんど時期に差が無いわけです。

後から出す方が性能を高くできるわけですが
それはほとんど意味が無かったということになりますね。
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時代が完全に2Dから3Dに移行している時に大容量のCD-ROMを選んだSONYと、ROMカセットにこだわった任天堂の価値観の差でしょうね。


結果FF7とDQ7がPSから発売することが決まり、決定的な差が生まれました。
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