プロが教えるわが家の防犯対策術!

〈注意:私は宗教や信仰を持つ人に対して偏見や嫌悪感を持っている訳ではありません。
ただ、純粋に何故なのかが知りたいだけです。よろしくお願いします。〉

質問1) 長男の嫁は墓守として嫁ぎ先の宗教に強制的に入らなくてはいけないのですか?

質問2) 供養云々色々と姑に言われますが、私自身が仏教的供養に意義を見出せないのに形式だけ関わる事に意味はあるのですか?

質問3) 輪廻転生、生まれ変わりなどと言いながらも(姑が)お盆には迎え火送り火、線香を焚いて手を合わせるなど、矛盾の多い行動に疑問を感じ、姑に質問しても「そうゆうものだから」などと納得のいく答えが無いのですが、「そうゆうもの」なのですか?

選択的無宗教の私にとって、主人の実家の宗教的なイベントは理解できない事が多いです。
疑問を質問しても「何言ってるのこいつ?」と言った雰囲気です。
けれども、私に長男の嫁として墓守や法事の事などを教え込もうとします。
ちなみに主人も無宗教です。

墓参り・法事・その他は生きてる人間、先立たれて残された人間の心の平穏を保つ為の物だと思っているので、本人の好きなように好きなだけすればいいと考えてます。
でもそれを押し付けるのは違うと思うんです。
信教の自由は長男の嫁にはないのですか?

A 回答 (14件中1~10件)

質問1、2,3の全てに繋がる内容



 日本は、個人で無く、家社会・村社会・信仰社会として見えない
精神環境で繋がって居ました(過去形)生まれた瞬間から地域の神社
(氏子・神社統轄ないメンバー)に自動的に加算され、お祝いのお宮
参りに行き(もちろん本人の意思なし)人生最後は、仏式(宗派あり)
で西方浄土に送られる訳ですね?比較的に定着型の民族の日本人ですから宗教・習慣・行事など定番化しているが為に選択・拒否・変更など
個人の意思を元に選んでいなかったのが実情です。

義母様は、家社会を続ける為に、まさに嫁(家に付く女→女+家=嫁)
の引き継ぎをされていると思います。質問者さまの悩みは、家社会と
個人社会の2重構造に有ります。選択されて一方の道また両方を
尊重するかは、現代日本の宗教意識・社会意識のズレの問題点ですね。

この場合は、家の家長の旦那様に決めて頂くのが全て円く収まる
と思います。個人的には両方の価値観を内包出来るハイブリッドな
家庭・社会が望ましいですが・・・

私も仕事柄 同じ墓でなく別々など色々問題に当たります。
参考までに・・・
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

専門的な話で嬉しいです。
疑問を持たずに習慣に従っていれば楽なのだろうけど、知りたいんです。

質問に答えてくれずに強要してくるだけの姑にうんざりしています。

お礼日時:2009/07/17 19:59

こんにちは。


クリスチャンです。夫と夫の家族はクリスチャンで、私の親は、その世代の多くの日本人がそうであるように、「家の宗教」としては仏教と神道のようです。

クリスチャンは、「神を愛すること」と「隣人(=他の人)を自分自身のように愛すること」この2点が最大の教えです。
聖書にもはっきりそう書いてあります。

教会やそれぞれの家庭によっても考え方が多少異なりますが、
配偶者や親戚が仏教なら、クリスチャンになってほしいとはもちろん望んでいるのですが、
それが叶わないままお亡くなりになった場合、葬式や法事などは、「相手の意思を尊重して
(=相手を不快にさせない=相手に対する思いやり)」仏式でも出る人が多いと思います。

実際、私も仏式のお葬式には出ますよ。
ただし、数珠は持っていきませんし、心の中では、「仏様」ではなく「神様」に対してお祈りをします。
心の中に信じるものがあれば、形式的な行事など、大したことではありませんから。

聖書に、
「異教徒に捧げられた肉であっても、差し出された肉は食べなさい。口に入るもの(=相手の習慣など)から汚れることはないが、
口から出るもの(=相手の習慣を憎む言葉など)があなたを汚すのです」
という言葉もあります。

しかし、教会や個人によって、その心のボーダーラインやとらえ方にも差があるのも事実で、
ただの建築物としてお寺を見学するクリスチャンもいるし、悪魔の創造物として近づかないクリスチャンもいます。

相手の宗教行事に参加することと、あなたがその宗教を信仰することは別物だと思います。
相手を思いやるために、相手を傷つけないために、形式的に参加すれば良いのではないでしょうか。
宗教的な話に賛同を求めるような話がでたら(たとえば、この子は、あのお爺さんの生まれ変わりなのよ、とか)、
ニコニコして聞きながら、適当に流しておけばいいでしょう。(いや違いますよ、本当はそんなのありませんよ)など、あからさまに否定して、相手を傷つける必要もないと思います。

ちなみに、クリスチャンの考え方としては、「死者は、死後の世界にまかせなさい」という考えで、
生きている者が、死んでしまったものを想ったり追いかけたりすることは良いことではないとされています。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>異教徒に捧げられた肉であっても、差し出された肉は食べなさい。口に入るもの(=相手の習慣など)から汚れることはないが、
口から出るもの(=相手の習慣を憎む言葉など)があなたを汚すのです」
良い言葉ですね。でも私は相手の習慣を蔑んでいる訳ではないんです。
それをやる事の意味を知りたい。形式を押し付けてくるのなら尚更に理論的に説明して欲しい。

ただそれだけの事も聞き入れられずに、『長男の嫁』だからと強要されることにうんざりしてます。

お礼日時:2009/07/17 19:43

そもそも多くの日本人には「宗教に入る」という思考がありません。


法事は仏教それが普通、他宗教に入ってる人はこだわりのある人、ないなら仏教でいいじゃん!
そんな感じです。
何故墓参りや法事をするかといえば宗教ではなく行事です。
行事なので「無宗教だから」と言っても理解されません。
何故ならほとんどの人がある意味無宗教で、無宗教≠宗教にかかわらないではないからです。
結婚式はキリスト式、葬式は仏教、初詣には神社に行き、クリスマスにハロウィン。
無宗教というよりは多宗教ですが特定の神や仏を信仰していないので「自分は無宗教だ」と思っているのです。
なので質問者さんのように宗教に関わりたくない人のことは理解できません。「だから何?私も無宗教だよ!」と思います。

本来法事などは仰る通り残された人のためのものですが、「じゃあ本人だけがすればいい」ではすみません。
法事・墓参りという行事は「故人のことをどれだけ思っているか」というパラメータでもあります。
法事をしないということは故人をないがしろにしているということなんです。
両親や祖父母をないがしろにする妻、旦那さんはどう思うでしょうか。
宗教宗教と考えないで行事につきあってあげようとは思えませんか?
お正月には初詣に行ってハロウィンにはお菓子を作り、クリスマスにはプレゼントをあげたりもらったりするのと同じです。
それとも無宗教なのでそういったことも一切しませんか?
それなら質問者さんは「無宗教」という宗教に入っていると思いますので、宗教問題は相容れないと思って離婚した方がいいですよ。

旦那さんが仏教、奥さんがクリスチャン、子どもは全員仏教、という家が親戚にありますが
旦那さんのお葬式は仏教形式でしたし、奥さんが葬儀に出ないということもありませんでしたよ。
お子さんは仏教でしたが、奥さんの葬儀はキリスト式でした。
改宗しろとは言いませんがイベントに付き合ってあげるくらいの譲歩はするものです。

質問1)改宗しろと迫られることは普通ありませんが、墓守は長男嫁の運命です。
質問2)「嫁が供養をしてくれる」ということで姑さんが安心します
質問3)「そういうもの」なんです。何しろイベントですから。
日本人の特徴ですね。信仰心があまり強くないので「親がやっていたから」程度のものです。
クリスマスパーティでイエス・キリストの誕生を祝っている人なんてほとんどいませんよね?

この回答への補足

宗教に関わりたくないのではなくて、意味や意義を知りたいだけです。
無宗教というのは広い意味で使われていて、
私の場合は信仰を持っていないだけで宗教系の儀式全般に関わりたくないと言うわけではありません。否定的でもありません。正確に言えば無神論者です。
しかし供養の気持ちも祖先を尊敬する気持ちも持ってます。

主人の実家の法要は「お布施と形式」です。故人を偲ぶ話ひとつなく飲んで食って終わり。
形式がそんなに大事なのなら、形式の意味・意義を自信を持って答えられるでしょう。
なのに何故答えてくれないのか。何故強要するだけなのか?

私には協調性もあります。説明してくれれば良いんです。簡単でしょう?
理論的に説明してくれれば良いものを、説明無く押し付けられる事にうんざりしてるんです。

補足日時:2009/07/17 19:28
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分家の長男です



妻の実家とは宗派が異なりますが、妻のルーツでもあるので帰省の際はキチンとお参りしています。
妻の祖先が続いていなければ妻とは出会えなかった訳ですから・・・

妻は私の父とは面識有りません(付き合う時既に他界していました)が「最近おじいさん(私の父)お墓行ってないから行こう!」と誘ってくれます

御自身のお子さんのルーツとして各々の祖先を尊敬できないのでしょうか?

この回答への補足

祖先を尊敬する云々ではなく、疑問に答えてもらいたいんです。

質問するだけで異端者、変人扱いされる事にうんざりなんです。

押し付けてくる形式に意味があるなら答えて欲しい。

その形式でないと供養出来ないのか教えて欲しい。

供養するべき祖先は輪廻転生で生まれ変わってそこにはいないのでは?
ならば残ってる人に話を聞いて尊敬の念を抱き、忘れないでいてあげる事は供養にならないのか?

主人の実家の『お布施と形式』で故人の思い出話のひとつも出ない法要に疑問だらけです。

補足日時:2009/07/17 18:57
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無宗教といわれますが、宗教的な行事の絡みはこれまでもあったのではないですか? 仏教に限りません、12月24日クリスマスイヴ・・・ケーキたべたことはありませんか? こどものころ、七五三で神社に連れて行ってもらった写真など実家にありませんか? 人は必ず信じる信じないにかかわらずそれなりに宗教行事にからんで生活しているものです。


結婚してご主人のお家がそのようにされてきた。これはある種のその家の伝統行事とお考えください。でも自分はどうしてもしたくない、それはそれでもいいですが、「押し付けだから従いません」という結果で一番困るのは誰でしょうか? おそらくはご主人でしょう。いわゆる「板ばさみ」というやつです。
考えを持つことは良いことです。しかし協調する姿勢も必要です。
まずはまわりとの協調を重んじていくべきであって、”いま”は一歩引いてこの件は受け入れるべきかと思います。義親が教え込もうとしているのはそのお家のやりかたです。同居別居にかかわらず長男長女というものはどうしてもそのやり方はマスターしておかねばならない面があるのです。これは「信教の自由」とは離して理解すべきです。
義親と話し合える日もいまは無理かも知れませんがやがてはやってきます。いつか変えられるようになったとき「自由」に変えればいいことではないでしょうか。

この回答への補足

どうしてもしたくない、ではなくて知りたいんです。
何故やるのか、どんな意味があるのか、説明無く強要される事にも従うべきですか?葬送や供養にはローカルルールが多く存在します。
だからそれを説明して欲しい。なぜ答えてくれないのか理解出来ない。
そして何故私に強要するのか、自分の息子には何故何も言わないのか。

協調の姿勢もあります。質問に答える、これが条件です。
たったこれだけの事なのに、受け入れてもらえないなら信教の自由を主張しようと考えてます。

補足日時:2009/07/17 18:44
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出身地が、そんな感じでした。


住んでいる、というだけで「門徒」扱いになる地域。

住んでいれば、等しく門徒。大人も子どもも、みんな。
(門徒の管理は家毎で、その家族の大黒柱が代表の門徒家族、という形だったように記憶しています。)

もう私は家を出た身ですが、
祖父母の決まった年の法事には参加できるかどうか聞かれます。
法事以外のことはちょっと覚えていなくて・・・お盆は墓参りなど、
色々毎年やっていましたが、記憶曖昧で、ごめんなさい。

私は離れて住んでいて、盆に帰省するとも限らないので、
いくつかの墓参りのうち、実家から遠い場所の墓参りに関しては
もう何年もごめんなさいしています。
(近い墓に参るのは 毎 月命日に行きたい者が、
 遠い墓も含めて複数の墓に参るのは毎年盆に全員参加
 だったように記憶しています。
 幼い頃は本当に車に弱かったので、盆の墓参りは苦痛でした。)

法事などは地元にいる誰かが主催しなくてはいけません。
そういったイベント事の主催は、長男夫婦か
跡継ぎ夫婦(親と同居していた家族あるいは位牌や墓の管理をしている家族)
がするのが普通だったと思います。
法事の後には、お坊さんから面白いお話が説教と称してされたりしました。
「へー」と感心したり、楽しんだり。
年によって話は違いますが、大人になってからは、面白く聞くことが多いです。

線香を焚いて拝む、のは毎朝毎晩しているようです。

個人的には、線香を炊いて拝むのは、神様とご先祖様へのご挨拶と思っています。
「久しぶりに帰ってきました。土産置いときますんで、気だけでも召し上がってください。」
「おはようございます。」
「おやすみなさい。」
家族の中では、一番拝む時間が短いです。
一日の出来事を報告したり、何かお願い事をするときもあったでしょうか。

ずっとその地域で生まれ育っていれば、「そういうもの」です。
意味とかあまり考えない人が多いと思うので、
疑問を提示されても、答えに困ってしまうのではないでしょうか。

一つ一つのイベントごとに、どういう風に考え対応してきたか、
別の地域出身で同じ地域に住む、既に馴染んでいる(昔は悩んだであろう)人に聞ければ、
参考に出来るかもしれませんね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

私は質問するだけで異端者、変人扱いを受けてます。
両親も無宗教だったので余計に縁遠い物なので、疑問だらけですが説明無く強要される日々にうんざりしてます。

もっと幼い頃から「そうゆうもの」とのふれあいが多ければこんなに苦労しなかったでしょうね><

お礼日時:2009/07/17 18:42

結婚18年、一人っ子の妻です。



1)入らなくて大丈夫です。
2)少なくとも、お義母様には意味があるのだと思います。
3)「そういうもの」程度のものだと思います。

我が家は、数年前に義父が亡くなってから、義母がにわか仏教徒になってしまい、私としては面食らうばかりです。
総本山にまで行ってお参りしてきたそうです。
でも、義母にしても、お盆だとか法事だとか、色々と行事には熱心ですが、その宗派に入信しているわけではないと思います。
そもそも義母は若い時は無宗教で、義母にとっての義母(義父の母)が宗教的な習慣を持っていることに、違和感を感じていたそうです。
それが、義母の代になって、私という嫁が来て、孫が生まれて、義父が亡くなって・・・と情況が変わるにしたがって、宗教的な習慣に熱心になってきました。
見ていて不思議でした。
嫁、だったのが、いつの間にか『家』の主になってしまうと、『家』を守ろう、と言う意識が頭をもたげてくるようです。

ところで、質問者様のお家は旧家ですか?
わたしの夫の実家は旧家というか、格式を重んじる傾向がある家なので、法事だとか、そういうことにはうるさいです。
でも、私たちの代になったら、私たちの考えで進めるつもりです。

質問者様も、ご主人様とは意見が合っていらっしゃるのなら、お二人の代になったら、お二人のお好きなようにしたらいいと思いますよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

旧家というか、「昔はこの辺りの土地は全部うちのだった。」が自慢ですが分家で、世間体を異常に気にしています。

今結婚10年です。あと8年たったらもう少し穏やかに姑を見れるかもしれないですね(笑)

お礼日時:2009/07/17 18:34

信仰ではなく家族のイベントです。

年中行事です。
なのでそんなに堅苦しく考えなくてもいいと思いますが。

父母、祖父母、祖祖父母・・・・
その方たちがいなければ、貴方たちもいなかったのです。
過去から、そして未来へ、命を繋いでいくことに対して尊敬や感謝の気持ちを持つことは宗教と関係なく当然ですよね?
それだけでいいのではないでしょうか?

その気持ちを形として表す方法、手っ取り早い話が宗教的な儀式となっているのだけだと思います。
それに、普通の寺院では、どこかの新興宗教のように『入る』という縛りや意識は無いと思いますよ(笑)

同順位の人たち(兄弟)の中で年長者(長男)が責任を引き継ぐのも自然な形ですよね?(中には事情で長男以外の人が継いでいるところもたくさんあります)

それぞれの家庭(家系)ごとに、イベントのやり方があると思いますが、それに逆らって『私は無宗教だからできません』は通らないですよね?
だって、自分たちだけの問題ではないのですから。ほかの兄弟や親戚だって絡んでくるんですから。文字通り『イベント』なんですから。
クリスチャンでもないのに教会で結婚式を挙げるのと同レベルですよ(笑)
ただ先祖供養のイベントは毎年だし、おまけに年に何度もありますから、それが面倒くさいと思う気持ちもあるのでしょうが^^;

『自由』と言うのは、最大限に他を尊重して認めることにより、初めて成り立つものです。
他を無視して自分の考えだけで『本人の好きなように好きなだけすればいい』と言うのは自由ではなく『自分勝手』なのです。
長男夫婦はイベントの主催者の権利と義務がもれなくついてきたと思って仕切っていくか、もし自身の考えを貫きたいと思うのであれば、ご主人とよく話し合い、次男以下に譲ると宣言することでしょうね。

この回答への補足

回答ありがとうございます。

数年前に他界した主人の祖母の葬式に祖父は多額のお布施をする事で、生前、糖尿病と痴呆を患っていた自分の妻を嫁に押し付けていた罪悪感から逃げました。
「俺はあいつ(祖父の妻)の葬式と法事にこんなにお布施した」が自慢です。

葬式の時、故人の話を誰もしてませんでした。この集まりはいったい何だろうと疑問に思った最初の出来事です。

三回忌の時も、祖母の話は一切無し。故人を偲ぶ集まりではなく寺に金を払い酒を飲むだけ・・・。
その日は別の家との法要が重なっていたのですが、住職はよりお布施をしたそちらの家の酒席に入り浸り。
祖父は悔しがってました。「あっちの方が多く出したんだな」と。
そして祖母の話は出ませんでした。

より多くお金を出して酒を飲む事が供養?お布施と形式さえやっておけば先祖供養になるのか?疑問だらけです。
私が考える、酒でも飲んでる時にふと故人の思い出話に花を咲かせて、笑ったり、忘れないでいてあげる事は供養じゃないのか?

そんな家のイベント参加を強要するなら最低限の意味、意義を答えてもらいたい。自分勝手なのでしょうか。私にはこの程度の自由も無いのでしょうか。

補足日時:2009/07/17 18:25
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これは古代ローマ人の宗教感で説明するとわかりやすいと思います。


古代ローマ人は多神教で、個人個人が何を信じようと自由、何でもありです。
しかしながら、国教としてオリンピア12神がいて戦勝祈願となどの儀式への参加を求められる、日本でいうと家を建てるときに、神道を信じていなくても、神職をよんで一同お祓いをしてもらう、これに参加しないと何となく仲間外れになり、事故でも起こると不心得者に天罰が下ったんだと陰口をたたかれる。
家でも同じで、信仰しているわけではないが儀式には参加する、従って一つ一つの謂れを説明されても意味がないし、矛盾は出てきます。
こういったことを任侠の世界では「義理」というそうですけど、将に浮世の義理で、家族のメンバーとして形だけ参加すればよいのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

わかりやすい説明ありがとうございます。
矛盾だらけで意味が無いなら、何故そう言ってくれないんでしょうか・・・
「世間や親戚の目が気になるから形式だけでも参加して欲しい」と言われれば、「なるほど」と思えるのに。
質問には答えずに強要されるだけだとついつい気持ちも硬くなりがちです><

お礼日時:2009/07/17 17:44

質問1)


入信する必要はありません。

死後、旦那と同じ墓に入りたくないなら、自分で墓地を買い、好きな墓石・墓標を建て「この墓に入れてくれ」と遺言すれば良いです。

ただ、これをやると「亡くなった○○のおばあちゃん、同じ墓に入らないんだって。かなりな変人だわよね」って噂され、残された子供、孫が肩身の狭い思いをします。

自分用の墓地、墓石、墓標を買うのが勿体無いなら、何もせずに黙っていれば、死後、勝手に同じ墓に入れられるだけです。

日本はそんなに宗教にうるさい訳じゃないので、宗教が違っても同じ墓に入る事が出来ます。同じ墓に入りたいからと、その家が信じる宗教に入信する必要はありません。

質問2)
多少なりとも形式に拘っておくようにしないと、自分が死んだ時に「残した子供達に遺骨を放置」されちゃいます。子は親を見習いますからね。

いくら遺言を残しても、自分専用の墓地と墓石を用意したとしても「お母さんは宗教に無関心だったから、ほっといても良いよ」って事になっちゃいますよ。

質問3)
「そうゆうもの」です。
日本の仏教は廃仏毀釈や宗派間の抗争、権力者による特定宗派の排斥など「歴史に振り回されて、教義や行事がグチャグチャ」になってて、矛盾だらけです。

宗派によっては「ご愁傷さまでした、と言うのは禁句」だったりしますが、そんなの気にする人は滅多に居ません。

葬式も、葬儀社に任せっきりで「この宗派の葬式では、ほんとはやっちゃ駄目な事」も平気でやっちゃいます。

>信教の自由は長男の嫁にはないのですか?

ありますよ。

姑が言う事、やる事は「宗教的な事じゃなく、炊事洗濯と同様の、単なる日常の行為」と捉え、内心で「けっ!馬鹿が」とでも思って、炊事洗濯をするつもりで、言う通りに従っておけば良いのです。

そして「自分の思いどおりにする」のは、姑が亡くなった後にすれば良いのです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

すみません、墓に入りたくないんです。私が死んだら、葬式もしなくていいし、墓もいらないし、戒名ももちろんいらないし、海に散骨してくれるよう妹に頼んであるので・・・静かに自然に還りたいです。
私が死ぬまでに後40年はあると思うのでそれまでにはもっと葬送の自由も進んでいるだろうし。そんなに変人扱いされないかも?

>日本の仏教は廃仏毀釈や宗派間の抗争、権力者による特定宗派の排斥など「歴史に振り回されて、教義や行事がグチャグチャ」になってて、矛盾だらけです。
だから調べても曖昧で分からない事だらけなんですね。

>内心で「けっ!馬鹿が」とでも思って、炊事洗濯をするつもりで
私も頑固なのでこれがなかなか難しいです(笑)

お礼日時:2009/07/17 17:34

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