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最後に美禰子は、三四郎でも野々宮でもない男性と結婚をきめ、ヘリオトロープを染み込ませた白いハンケチを三四郎に嗅がせ、自分の袂に落とし「われは我がトガを知る。我が罪は常に我が前にあり」と三四郎に言いますよね。
ここでいう美禰子の「トガ」っていったい何を示してるんでしょうか?

三四郎を踏み台にして帝大の人と結婚したこと?
それとも三四郎をむやみに誘惑してしまったこと?
それともほかのことか…。

考えるヒントでも良いので答えてくれるとたいへん助かります。

A 回答 (2件)

 懐かしい。

自分もだし、民族としての過去が。
 美禰子って、どうなんでしょうね。
 私は、彼女の独り言だと存じます。
 特定の何かを指示している意志はないと存じます。
 三四郎や何かに言っているとも存じません。
 じゃなければ、話にならないと思います。
 後悔でしょう、人生の一般的な。それだけかな。
 そしてこれから結婚することを、先に、一つの間違いをまたしていくんんだと。
 あぁ人生だなって。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2009/07/22 19:00

> 三四郎を踏み台にして帝大の人と結婚したこと?


あれ、そうでしたっけ?

> 三四郎をむやみに誘惑してしまったこと?
あの程度のおつきあいに「誘惑」という表現は大袈裟な気がします。

『新約聖書』の福音書にある「迷える子羊」の話はご存じかと思います。

美禰子といえば、「ストレイ・シープ」と結び付いてしまいますね。
これは三四郎のことを当てこすったものと見ることもできそうに思います。
冒頭に上京する列車の中で知り合った女と同じ宿に泊まりますね。
あの時、女は三四郎のことを「意気地がない」と評したんじゃなかったですかね(正確には忘れましたけど)。
「ストレイ・シープ」も、三四郎に対する女の側からの評価ともいえる。

美禰子の口にする「とが」は「罪」という字を当ててなかったですか(これも思い出せないけど)。
「我は我が罪を知る、云々」の文句は『旧約聖書』「詩篇」の中のダビデの詩句じゃなかったですかねぇ(これもよく覚えていないけど)。
美禰子はやけに「聖書」に詳しいみたいです。

いかにも思わせぶりに「ストレイ・シープ」と口ずさむものの、それほど重い意味を込めてるんじゃなくて、軽い「当てこすり」だと私は解しています。

半面、この三四郎の置かれた立場そのものが、当時の開化後の日本という国のシンボルと見ることもできるかもしれない。
三四郎の故郷が古い日本のシンボル。
美禰子が西洋の文明のシンボルとみなせば、西洋を仰ぎ見て「迷走」する日本の姿を、漱石は愁いていたのかもしれません(「猫」にちらっと日露戦争の影が見られます)。
三四郎に仮託された日本そのものが「ストレイ・シープ」であった、と。

美禰子から金を借りて、それを彼女とのつながりとした三四郎。
美禰子は婚約したから、金はさっさと返しに行く。
しっかりと前途を見据えていない三四郎(回りに流されるままの青年)は、美禰子などの目から見れば、確かに「ストレイ・シープ(→ 未熟な青年)」と評したくなるかもしれませんね。
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この回答へのお礼

>あれ、そうでしたっけ?
私の勝手な表現なのでお気になさらず。
>あの程度のおつきあいに「誘惑」という表現は大袈裟な気がします。
あなたがそう感じるならそうなんでしょう。
実際本をよく読むと、美禰子の三四郎に対する誘惑ともとれる行動が見えてくると思います。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/07/22 18:59

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