ベトナム戦争とは、インドシナ戦争後にベトナムの独立と南北統一を巡って行われた戦争とあったんですが、そのベトナム戦争の経緯と背景について教えてください。
よろしくお願いします。

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A 回答 (2件)

#1さんのお答えがある様に、背景や影響等を追うと第二次大戦後の世界を語る事になる気がします。


簡単なまとめとしては、フランス領ベトナムの独立戦争でフランス軍がホーチミン率いる共産党系ベトナム軍に敗れ、米国が共産主義圏のドミノ的拡大を恐れて同地に介入し、南ベトナム政権を擁立した。
その後南ベトナムにホーチミン政権の北ベトナムの支援を受けた民族解放戦線(米側俗称べトコン)が活動し、これを封じ込めようと米国軍自体が投入されていったが、民衆の支持を得られなかった南政権を支える事は出来ず、米国は建国以来初の「明確な敗北」を喫し、結果として南北ベトナムは共産主義政権により統一された。
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Q韓国のベトナム戦争における行為について

ベトナム戦争では、いろいろな残虐行為が行われたと聞きました。もともと戦争自体、残虐なものだとは思うのですが。

ネットで調べると、ベトナム戦争はアメリカとベトナムの戦争だと思っていたのですが、韓国もベトナム戦争に参加したことを知り、残虐行為を行ったと書いてありました。

ベトナム戦争で韓国は、かなりひどい残虐なことを行ったのでしょうか?

また、アメリカや対戦国だったベトナム側にもひどい残虐な行為はあったのでしょうか?

ベトナムは、残虐行為を行った国へ賠償などを求めているのでしょうか?

すみませんが、お教えくださいますよう、お願いいたします。

Aベストアンサー

戦勝国で賠償だの謝罪だのしてる国はない。
世界じゃ謝罪も賠償もしないのが当たり前なの。
それを求めてる韓国が馬鹿なの。

だいたい慰安婦がどうとか騒いでいるが、韓国はベトナム戦争時に自ら率先して慰安婦を送り込んでたんだぞ?

あいつらはテメエの腹満たすためなら自国民さえ切り売りする外道なんだよ。
だから世界から嫌われる。

Qベトナム戦争(第2次インドシナ戦争)で米軍が枯葉剤を散布した場所

 枯葉剤は、どこを狙って散布されたのでしょうか?ホーチミンルートでしょうか、クチトンネル(これは200~250kmにも及ぶようですが、どのように伸びているのでしょうか?)でしょうか、それともハノイ周辺でしょうか。

Aベストアンサー

 1962年から1071年にかけて行われた「ランチハンド作戦」は、主に南ベトナム領で行われていました。その目的についてはもうご存知だとは思いますが、もっとも大規模に行われた1969年にはカンボジア領に拠点を置くベトコン陣地までその攻撃の対象になりました。やはりベトコンの食料の補給ルートや避難所を駆逐する目的を考えれば、南ベトナム領内全域がその散布地域になったと考えていいと思います。
 ご質問の枯葉剤の散布地域は、北ベトナムから南ベトナムに浸透するためのホー・チ・ミンルート、つまり広い国道沿いや整備された道路沿いばかりではなく、山岳回廊地域をジグザグに走る山道やジャングルの間を縫うように走る小道のネットワーク、さらに海路の補給を遮断するためのメコンデルタのマングローブ湿地帯の湿原などだといえます。

 クチトンネルに関して言えば、まるで蟻の巣のようなその実態や詳細な配置図などは、米軍はもちろん、トンネルを構築したベトコンやNVA当事者たちも現在に至るまでその詳細は把握できない複雑なものでした。ということは、とりたててそこをピンポイントで狙ったということは考えにくく、やはり周辺施設や支援および補給ルートを広範に狙った作戦だといってよいかと思います。
 
 ことの是非やその後の国際的な批判や後遺症などの問題はこの際無視をして言わせてもらえれば、この作戦によって700万リットルの枯葉剤を含むエージェントイエロー・エージェントブルー・エージェントホワイトなどの除草剤は、南ベトナムのジャングルの20パーセント、国土のマングローブの森の36パーセントの計600万エーカーに散布されました。そのほとんどは現在でもまともに樹木は育たないほど荒廃し、さらには枯葉剤や他の除草剤による農地の死滅を嫌った農民が多数村や農地を捨てたことにより、結果的にベトコンへの支援体制や補給所が減少したことは数字にしっかりと表れていますので、ある意味効果的な作戦であったともいえます。

 以上、何かのご参考になれれば幸いです。
 

 1962年から1071年にかけて行われた「ランチハンド作戦」は、主に南ベトナム領で行われていました。その目的についてはもうご存知だとは思いますが、もっとも大規模に行われた1969年にはカンボジア領に拠点を置くベトコン陣地までその攻撃の対象になりました。やはりベトコンの食料の補給ルートや避難所を駆逐する目的を考えれば、南ベトナム領内全域がその散布地域になったと考えていいと思います。
 ご質問の枯葉剤の散布地域は、北ベトナムから南ベトナムに浸透するためのホー・チ・ミンルート...続きを読む

Qベトナム戦争について

ベトナム戦争とは、インドシナ戦争後にベトナムの独立と南北統一を巡って行われた戦争とあったんですが、そのベトナム戦争の経緯と背景について教えてください。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

#1さんのお答えがある様に、背景や影響等を追うと第二次大戦後の世界を語る事になる気がします。
簡単なまとめとしては、フランス領ベトナムの独立戦争でフランス軍がホーチミン率いる共産党系ベトナム軍に敗れ、米国が共産主義圏のドミノ的拡大を恐れて同地に介入し、南ベトナム政権を擁立した。
その後南ベトナムにホーチミン政権の北ベトナムの支援を受けた民族解放戦線(米側俗称べトコン)が活動し、これを封じ込めようと米国軍自体が投入されていったが、民衆の支持を得られなかった南政権を支える事は出来ず、米国は建国以来初の「明確な敗北」を喫し、結果として南北ベトナムは共産主義政権により統一された。

Qインドシナ紛争・ベトナム戦争・カンボジア紛争

これらの一連の歴史的な流れってどういうものですか?

Aベストアンサー

これらの紛争の共通は第二次世界大戦後の「冷戦構造」からくる「共産主義陣営」対「自由主義陣営」がぶつかったイデオロギー対立の代理戦争の側面が
あります、
「インドシナ戦争」は植民地の独立戦争ではあるのですが、この頃ホーチミンは共産主義政府を中国のバックに作っていました、
「ベトナム戦争」は南北ベトナムの共産主義対自由主義の戦いですが中国ソ連対米国のイデオロギー対立でした「カンボジア内戦」は共産主義のクメールルージュと自由陣営の対立ですが、裏に中国、米国が暗躍していました
これらの紛争の根底には戦後の冷戦構造の進み具合
による「歴史の流れ」があったのです

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E6%AC%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E3%82%B7%E3%83%8A%E6%88%A6%E4%BA%89

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0%E6%88%A6%E4%BA%89

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%9C%E3%82%B8%E3%82%A2%E5%86%85%E6%88%A6

これらの紛争の共通は第二次世界大戦後の「冷戦構造」からくる「共産主義陣営」対「自由主義陣営」がぶつかったイデオロギー対立の代理戦争の側面が
あります、
「インドシナ戦争」は植民地の独立戦争ではあるのですが、この頃ホーチミンは共産主義政府を中国のバックに作っていました、
「ベトナム戦争」は南北ベトナムの共産主義対自由主義の戦いですが中国ソ連対米国のイデオロギー対立でした「カンボジア内戦」は共産主義のクメールルージュと自由陣営の対立ですが、裏に中国、米国が暗躍していました
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Qベトナム戦争は特殊だったか?

ベトナム戦争では
PTSDと呼ばれる患者が多数出るなど
したわけですが、
その意味でベトナム戦争は特殊な戦争だったのでしょうか?
それとも通常はどのような戦争でもそのような患者は出るものなのでしょうか?

Aベストアンサー

全ての戦争においてそのような患者が多くでることは当然だと思います。自分の家を焼かれ、親兄弟を殺され、自分も重大な怪我を負うことによってその人の心の中には一生消えないトラウマとして残り、その体験を思い出したり、当時の写真を見たり、人から聞かされたりした場合にPTSDのDの部分(disorder=心の病気)が出て来ることがあります。
私の父は太平洋戦争で最前線に行ってきて、散々むごたらしい場面に遭遇し、自分も死の危険に常に晒されてきたので、今でも戦争映画や戦争ドキュメンタリー番組を見るのを嫌がります。それらを見ることによって自分の嫌な体験をフラッシュバックさせるのを避けているのだと思います。
特にベトナム戦争とPTSDが関係付けられて語られるのは、ベトナム戦争が比較的最近に起こった大規模な戦争であり、多くの戦死者や戦傷者、一般人の犠牲者が出たことと、PTSDという概念が主にアメリカにおいてベトナム戦争の帰還者の体験によって研究されたものであるからです。

Qアフガン侵攻が行われたころの1979年、ウイグル自治区の独立組織が独立

アフガン侵攻が行われたころの1979年、ウイグル自治区の独立組織が独立を宣言しソ連軍の支援、介入を求めたらソ連はどう動いていたでしょうか?

補足 なお、アフガン侵攻がまだ行われていない頃とさせて頂きます。

Aベストアンサー

1979年に米中国交が樹立されたので、ウイグルに介入すると
ソ連は米中2大国を敵に回す危険が非常に高くなります。
ので、ソ連が軍を動かすことはないでしょう。

これが10年前の1969年で中国が外向的に孤立していた頃なら
ダマンスキー島紛争のように、ウイグル介入も有り得たでしょう。

Qベトナム戦争の原因

今、歴史でベトナム戦争の事を調べています。
それで思ったのですが、ベトナム戦争勃発の一番の原因って何ですか?
無知でごめんなさい(汗)
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

ベトナム戦争とは幾つかの戦争の集まりと理解するのが正解で勃発の一番の原因といえばベトナムの植民地からの独立戦争といえましょう。
最初フランスの植民地であったベトナムに日本が進駐占領しました。 しかし日本の敗北でフランスは植民地の復活を図りました。
これに対しベトナムは独立を宣言し戦争が始まったのです。
ベトナムの指導者のホーチミンは共産主義的でしたがこれが後のアメリカの介入の原因となったのです。

この独立戦争はベトナムがわの勝利で終わりフランスはベトナムから撤退しました。
この空白時代に北にはベトナム人民主義共和国、南にベトナム共和国が生まれました。
それぞれソ連、アメリカが背後にあって援助しました。
南ベトナムを支配したゴ・ジンジェム政権は国民を統括するのに失敗し、南ベトナム解放戦線が発足しました。

これを弾圧しようと始まったのが、ベトナム戦争です。 アメリカが共産主義政権がベトナムに出来るのを防ぐ為積極的にゴ・ジェンジェム政権を援助し、軍事顧問団という名目で兵力を投入して居る内に戦局が不利になり、本格的に兵力を増強してテコいれしました。

この為一時的にアメリカ側が優勢になりましたが、これを見て北ベトナムが介入したのです。 その背後にソ連がいたのです。 これからは米ソの代理戦争の様相が濃いのです。
双方近代兵器を投入し泥沼戦争となりました。

最初、植民地からの独立戦争であったものが国土の分断、その統一戦争となり、しかも代理戦争と変化していったのがベトナム戦争です。

ベトナム戦争とは幾つかの戦争の集まりと理解するのが正解で勃発の一番の原因といえばベトナムの植民地からの独立戦争といえましょう。
最初フランスの植民地であったベトナムに日本が進駐占領しました。 しかし日本の敗北でフランスは植民地の復活を図りました。
これに対しベトナムは独立を宣言し戦争が始まったのです。
ベトナムの指導者のホーチミンは共産主義的でしたがこれが後のアメリカの介入の原因となったのです。

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Qベトナム戦争でソ連は「軍隊」をベトナムへ派遣しましたか?

ベトナム戦争でソ連は「軍隊」をベトナムへ派遣しましたか?

Aベストアンサー

武器支援の他に、北ベトナムに戦闘部隊は派遣していませんが、軍事顧問団を派遣しています。

Qベトナム戦争における米・ソ・中の対立と中国の態度

ベトナム戦争さなか、中国は核実験と文化大革命を断交しました。
それによって国際的孤立状態となった中国でしたがベトナム戦争期においてアメリカのニクソンやキッシンジャーの宥和政策によって米中関係が緩和していきました。
同じ社会主義陣営でもソ連との間にも大きな亀裂があったことから、
中国側がこれに応じたのは米ソ両国を敵に回すことを嫌ったからという見方は概ね正しいでしょうか?

また、ベトナム戦争って先にどちらから攻撃し始めたのでしょうか?

Aベストアンサー

キッシンジャー訪中のあたりは詳しい背景などを全然知らないので指揮者にお任せします。

で、ベトナム戦争の方ですが、もともとはフランスからの独立戦争です。
ところが独立勢力が共産系だったためにアメリカが介入してきた、というのが歴史の流れのようです。

「ベトナム戦争」の発端ということであれば、北ベトナム側の手出しとアメリカの陰謀とが半分ずつ折り混ざっている感じですね

まずはWikipediaでもみてください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E3%82%B7%E3%83%8A%E6%88%A6%E4%BA%89

Qアメリカ独立戦争の頃の戦争の仕方

こんにちは
こちら↓の質問でも少しふれられていますが、
http://okwave.jp/qa210477.html
独立戦争を描いた、映画『パトリオット』で出てくる戦闘シーンを見て、
大変奇妙な戦い方に見えました。
鉄砲を持って横列にならんだ両軍が向かい合って、交互に一斉射撃をする
というものです。
当時の鉄砲は大変命中率が低かったのと、装填に大変時間がかかった。
ということを聞いたことがありますが、
なるべく兵力を失わないためにも、射程距離に入ったら、すぐ撃つのが自然じゃないでしょうか?
それをかわりばんこに一斉射撃をするというのは、運動会みたいで(笑)
そういう古風な、戦争のルールみたいなものがあったんでしょうか?

Aベストアンサー

時代はまずアメリカ独立戦争ですが、
ここに登場するイギリス軍の戦術は
すでに少し古いものです。
フリードリヒ大王の時代の
横隊戦術全盛期の頃のものを踏襲していて
映画でいえば「バリーリンドン」と同じ。
実際、イギリスの植民地軍は
かなりがドイツ人傭兵で構成されていて
ワシントン将軍が起死回生の大勝利を収めた
デラウェア渡河作戦は映画化されてますが
あの戦いも相手はヘッセン兵(現ドイツ)です。
アメリカの義勇兵は散兵戦術やゲリラ戦
(といってもゲリラ戦が定義されるのはナポレオン戦争ですが)を
展開して、柔軟性のないイギリス軍の横隊戦術を盛んに
悩ませました。
イギリス軍はこの戦争の反省から
ナポレオン戦争の頃には歩兵戦術を変革させ、
散兵を活用したり、横隊隊列を薄く長くして
火力集中を強めたりします。
クリミア戦争で謳われた”thin red line”は
集大成であり、かつ隊形戦術の最後の活躍でもありました。

フリードリヒ時代の横隊戦術は
一挙手一投足まで士官号令のもとに行うもので
ユニット(部隊)を一つのマシーンとして活用するものでした。
それに対して個々の人間の自主性を活用するのが
アメリカ大陸軍や、革命フランス軍などの
新しい戦術の波です。
アメリカ独立戦争はその変革期にあたるために
戦術としては古く非効率なものが用いられたので
実際問題としてイギリスは勝てなかったわけです。

あと射程(ちなみに射程距離という言い方は日本語の間違いです、
射程に距離の意味があり二重表現になります)
に入ったら撃つというのは、
軍事的・科学的な常識からいって大間違いです。
射程内でも、遠ければ遠いほど命中率は落ちるわけで
連射が聞かない以上、できるだけ引きつけて発砲するのは
当然の行為です。

弾薬も無限にあるわけではなく、有効射程は100メートルくらいあっても
実際には30メートル以内でないと確実には倒せません。
逆に、早めに撃ち出すと、弾は当たらず、
無駄な射撃と装填している間に
敵には容易に接近されて、
至近距離から敵の一斉射撃を受けることになります。

だから歩兵教則でどの軍隊でも十分な距離まで
接近しないと発砲してはならないと決められていました。
これを破って恐怖心から遠めで発砲を開始するのは
軍人としてもど素人で、この時代なら臆病者と評価されます。
敵の白目が見えるまで接近しないと撃つなというのが
ベテランの有名な教えです。

一斉射撃が交互に行われた、というのは
単なる映画の撮影と表現の都合でしょう。
実際には別に交互である必要もなく、同時に発砲することもよくあります。
しかしさっきいったようにできるだけ近くで
一斉射撃をしたほうが効果的なので
チキンレースみたいなところがって
我慢して我慢して接近してズドンとやるわけで
しかし近づきすぎて敵が先にズドンとやると
こっちは兵隊が死んで射手が減るわけでそうなると
まずいので、ギリギリのラインで駆け引きしながら
どっちが撃つか、先か後か、勝敗をわけるポイントになるわけです。

時代はまずアメリカ独立戦争ですが、
ここに登場するイギリス軍の戦術は
すでに少し古いものです。
フリードリヒ大王の時代の
横隊戦術全盛期の頃のものを踏襲していて
映画でいえば「バリーリンドン」と同じ。
実際、イギリスの植民地軍は
かなりがドイツ人傭兵で構成されていて
ワシントン将軍が起死回生の大勝利を収めた
デラウェア渡河作戦は映画化されてますが
あの戦いも相手はヘッセン兵(現ドイツ)です。
アメリカの義勇兵は散兵戦術やゲリラ戦
(といってもゲリラ戦が定義されるのはナポレ...続きを読む


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