10秒目をつむったら…

物書き卵です。
でも小説が面白いと思えなくなってしまいました。
だからといってあきらめたわけでも方向性を見失ったわけでもない(と思う)のですが、ヒントにもなるしむしろ助けになると思いますので、率直な意見を頂けたらと願います。

正直、小説って面白い?
テレビ見てた方が面白くない?
漫画の方が工夫されてない?
アニメや映画の方が見応えない?
ゲームしてた方が共感しない?
音楽聞いたり絵を見たり、自分の趣味をしてた方が感性が育たない?
ネットしてた方が新しい発見がない?

エッセイや実録などのリアリティにかなわないと思わない?
教養本の方が為にならない?
結局読みたいから買ったのか買ったから読んでいるのか分からなくない?
「ああ、ページ数あとこんなけしかないなんて」でなく「まだこんなにあるのか」なんて思ってない?
読んだ後、思い返してドキドキ、なんて最近しなくない?
登場人物が紙の上の存在であることに絶望的なもどかしさ、なんて最近しなくない?
ページをめくるのがもどかしくて、とか手がわずかに震えて、とかつい表情だけでなく声がでちゃって、とか最近なくない?
説明文、機械的に流し読んでない?
想像力、かえって失ってない?

やばい、あらためて書いたら、ちょっとモチベーションが自傷状態。
ちなみに物語の意味は問うておりませぬ。あくまで「小説」です。

どかんと「小説ってなんであるのかね、だらだら妄想と専門分野の知ったかぶりじゃん」とけなして頂いて結構です。
「昔は好きだったけど、今はこういう所が嫌い」「こういう作品はいいけど、こういうのはどうかな」とかでもいいですが、できるだけ総合的な感想ください。
「そんなことないよ、小説大好きだよ、こんな風に感じていつも楽しんで感動してるよ!」という意見ももちろん頂きます。見習いたいです。

A 回答 (10件)

小説は娯楽のために読むには回りくどいし、教養のために読むというほどには書き手に教養がない(特に最近は)。

特に忙しい人には、読む理由も必要も無いと思います。

テレビや漫画やゲームが小説と比べて本当に面白いか、というのはまた別の話ですよね。個人的には、疲れたときにちょっと気分をほぐすには小説よりテレビが向いているだろうし、多少暇なときの娯楽としても漫画やゲームの方が優れているのではないかと思います。

一方で書籍と比べるなら、歴史小説を読むよりは学者が書いた歴史書の方が面白いということは実にしばしばあります。思弁的な小説よりも哲学書などを読む方が、考え抜かれた思索に触れることができて充実感を味わえるでしょう。美しいフレーズを探したいなら詩集に当たる方がよほど気が利いています。

問題は「単に小説がつまらない」というよりは、小説の立ち位置はどこにあるのかとか、どういう読者を想定しているのか、というのが現在は特に曖昧になっているということかもしれません。テレビや映画にアレルギーがあって漫画やゲームが苦手で活字好きで暇のある人向けの娯楽にすぎない?とすれば切ない存在ですね。

忙しい人にでも手にとってもらえて、読んだときに「良いことがあった」と思ってもらえるような小説が今後ありうるのかどうか。村上春樹の「1Q84」みたいなのは例外的にネームバリューで売れただけなので全然参考にはならないでしょうし。まあ、控えめに言って小説は隘路に入り込んでいると思います。

もっとも、こんな私も保坂和志と舞城王太郎だけは新刊を楽しみにしていたり。この二人は思考を言葉として表現する方法が卓抜だと思います。表現を鍛える、というのは小説が生き残るための一法かもしれません。いわゆるジャーナリストの書くものとか表現ゆるゆるですから。現代の生きた文章として、表現において的確で揺るぎないものを読みたいという欲望をかなえてくれるのは、やはり小説でなくては──というのが小説に寄せる期待ですが、どうでしょうか。
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございます。

そうですね。小説って時間的にも気持ち的にも余裕がないと読みませんよね。せめてストレス社会の逃避手段として使って頂きたいけれども。
正直、電車の中で読むのもわからなくなった。よっぽど面白くて続きが気になって…ならともかく、買ったから通勤の間に、程度であれば教養本の方がくぎり良く読めていいと思う。電車で小説に集中して涙ぐんでいる人とか微笑んでいる人がいたら、何の本読んでるか気になりますけどね。いませんし。
揺れた車内で読むと乱視になりますよ、と教えてあげたい。風景を見てぼんやり妄想(あやしげな意味でない)もいいのに。

私は漫画を(略)なので、たとえば山岳漫画や料理漫画や特殊業務漫画を読むと、感覚の広がりと同時に、自分とは関係ない世界への「入口」を得た気持ちになります。小説も、歴史書とか哲学書とかの「入口」でいいんじゃないでしょうか。説明は学校でも教養本でもできるんだし、ネットの時代に適当な文を引用するのは、もうプロでなくてもできますからね。でも、人間ドラマはどんどんネタ切れになっていくから、新しく生み出していくのがプロかと? 一人称…これからは一人称かな…(一人称は長編きびしい)。


小説家をめざしつつも、ひょっとしたら小説家なんていらないのかな、と思ったりします。
「人間一冊は体験を元にした本を書ける」というように、一人一冊を一生かけて書いてまとめたのが本屋にならべば、それが一番いいのではと。
もちろん実話が必ず面白いわけではないし、フィクションの役割というのもあるのですが。
身近な人や友達と「交換小説」なんてコミュニケーションが生まれたら社会ももっと…。まぁ、ネットであることはありますが。

舞城王太郎さんのはファウストに載ったのを読んだことありますが…私はちょいと苦手かな。保坂和志さんは「書きあぐねている人への小説入門」を。。。参考になりました。

お礼日時:2009/08/09 16:28

正直言って馬鹿らしいというのが本音。


特に最近はこんなのまともな本?と思うような内容の物が人気らしいから尚の事嫌う(言っちゃいけないんだろうけど舌にピアスとか、グロい人殺しとか)。
そういうものばかり人気で何かの賞取ったりしているって話聞いただけで、本屋まで汚く見えちゃう。
だれかがグロいものを出して人気になれば誰もがそれを超えようとしてもっとグロくなって行く。その連鎖についていけないものにはもう限界超えた。
元々小説なんて作り話なんだから自分が読んでそこから何かを得る。そのための一つの方法に過ぎないんだから、気に入らないとか、役に立たなそうと思えば利用する価値がない。

古い人間だからもう少し吐き気を感じなくていいもの探す。そうすると当然小説は除外。という事で全然読まない。
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この回答へのお礼

はい。こういった否定的直球意見を待ってました!

いや、そういう本もあるけど…じゃなくて、そういう本が本になっちゃうのが問題なんですよね。出してもいいけど、直すとこは直そうよ!と。
かたい感じの本かと思いきや、暴力とか官能のシーンになると生き生き書かれてる。あ、これが書きたくて他のエピソードもだらだら左脳でやってるんだな、とか。書いている作者の気持ちがなんとなく分かってしまう。

グロい作品を出版社から頼まれてグロいのを書いているのかはわかりません。ただ、グロとエロは書きやすいんだと思います。特に活字はそれ自体がホラーというか「死」をはらんでいて、「死」に関わるものだったらすごく書きやすいし、「死」がわずかも紛れてない作品は書きにくい。
私は「死」を一切描いていない作品にこそ光明があるのではないかと思います。だからライトノベルをあなどれない。

一方で「死」を描くのが小説というジャンルだとも思います。でも、それをグロやエロでやるのは時代遅れだと思います。「死」が遠くなった現代で「死」や「生」を描くのに、横着しちゃいけませんよね。

お礼日時:2009/08/09 15:56

No.5です。

お礼ありがとうございます。


>誰かが「小説とゲームは似ている」と言ったのですが納得でした。

とりあえずミヒャエル・エンデがそう言ってたのを覚えてます。

彼は、テレビゲームがで出したファミコン時代くらいのときにゲームにぞっこんだったそうです。

確かに、私もそれくらいの時代のゲームだとおもしろく感じるんですよね。

でも、最近のやたらと映像に凝ったゲームがすっごい気持ちが冷めてしまうんです。
自分でプレイしてても、「させられてる」って感がすっごい強くって。
設定も懲りすぎてて、「もっとシンプルでいいから。あんまり説明してくれなくてもあとは自分で考えるから」って思ったりしてしまいます。


>小説家っていうのは、ひょっとして形にすることに重きを置きすぎてる?

そういう人もいるのかなぁ、と思いました。

私は小説でも、「あとは自分で考えろ」「他人の人生なんか作者が知るか」って感じで放りだすようなラストや設定の作品が好きでして。

私が好きな小説を友達に薦めると、「結局どういう話かよくわからなかった」「○○は結局どういう人だったの?」と言われてしまいます。

逆に、設定が作りこまれてるようなガチガチの小説って読んでて面白くないんですよね。
「赤ん坊じゃないんだからそんなに言わなくてもいいから!」と思ってしまう。読めば全部わかるなら、はじめから読まなくてもいいじゃないって思っちゃうんですよね。
小説は、途中で解体しちゃうほど崩れていくくらいでいいと思うんですけどねぇ。

ちなみにこどちゃとBASARAは私もすごく好きです。
何回も読みなおしてます。
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この回答へのお礼

ミヒャエル・エンデでしたっけ? って、ミヒャエル・エンデってファミコン時代に存命だったんだ!
ゲーム(特に昔の)に関しては私も妙なひいき感がありまして、こちらで質問を立ち上げましたので、よろしければご意見いただけるとありがたし。
ttp://oshiete1.goo.ne.jp/qa5193196.html

「作り込まれている設定」をガチガチに全部説明しているような作品が多いと思うんですよね。『指輪物語』の一巻目じゃないけど、読者にとって現実の社会も歴史も覚え切れてないのに、フィクションの世界をそんなに説明されても…という印象を受ける作品が多いです。現実舞台のものでもね。
私は漫画はよく読むので漫画の引用になってしまうのですが、『最終兵器彼女』って大事な「戦争」「兵器」設定の部分はほとんど物語に組み込まないで、ドラマをただ描いてましたよね。あのぐらいでいいような気がします。

でも、私は最初から一部を放り出すのはいいと思うのですが、最後に放り出すのはどうかなと。文章をどこで切るか、主人公たちのその後は、というのは千差万別でいいと思うのですが、作者の書きたかったことのけじめはつけてほしいです。

ご意見ありがとうございました!

お礼日時:2009/08/09 15:41

テレビや映画等はそれなりに個々の良さがあります。



一口に「映画」といっても
劇場で大きなスクリーンで見るより、DVDで気になるところまで
戻って見れるからそのほうがすき、という方もいると思います。
同じようにマンガやゲーム類も個々で利点・欠点もあると思います。

私は
小説・映画・マンガ・ドラマ・ネット・ゲーム の中では
小説が断然すきなのですが、
何故、小説が好きかと問われれば、自分のペースで進むことができ
自分のイメージを勝手につけることができるからだと思います。
もちろん、ほかにも「言葉」を知ることが出来たり
考え方の置換が出来たり、人間を豊かにすると思います。

ただ、最近の小説を読んで、「感動」「衝撃」「期待」等の感情(感想)が
でることは少ないです。
私自身の読解力の問題もあるかもしれませんが
失礼を承知で言えば、書き手のクオリティの問題かもしれません。
ただ、世の中にまだまだ自分が読んだことのないような本が
たくさん転がっているなかで、「つまらない」と匙を投げるより
「もしかしたら楽しい本に出会えるかもしれない」と過ごす方が
読書ライフは充実できる気がします。

すみません何を書きたいのか意味不明になってしまいましたが・・



>妄想と専門知識の知ったかぶり
極論を言えばそうかもしれませんが、それを楽しみにしている人が
いるということは事実です。
だから「本」というものがあり「読者」というものが存在しているのです。
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この回答へのお礼

ペースは大事ですよね。想像力って少し時間がかかりますから。だから文章から想像までどのぐらいの間隔で、どんな感触で届いているのかすごく気になります。最近私は小説読めてないので、特にわからなくなった…。
「行間を読む」とも良く言いますが、小説は文字が多すぎてじんわり感じながら読んでいる人がどのぐらいいるのかなー。小説の方も説明文つめこむようなのが多くって残念です。

有隣堂さんのキャッチコピーに「本は心の旅路」というのがあり、一冊読むと百人と出会ったような、生まれ変わるような感覚がたまらなかったのはティーンエイジャーのころ。すさんだからですか鈍ったからですか冷めたからでしょうか?

昔読むたび泣いた児童用「ああ無情」も、原作は挫折してしました。
でも悲しいことに、漫画ではあるんだなー、十回読んでも泣いてしまう、電車の中で思い返す度に瞼が潤んでしまう作品が。2作品だけではありますが(BASARAとこどちゃ)。他芸術作品でそういうのに出会ってしまうと、興奮するやら打ちのめされるやら…。
小説でもあるのか…? 十回読んでも泣ける作品が…。

>「もしかしたら楽しい本に出会えるかもしれない」と過ごす方が…。
「もしかしたら」ではなく、「また」であってほしい…。

お礼日時:2009/08/05 23:57

一体どんなテレビ番組が小説より面白いのですか??


いや私もテレビは見ますし、つまらない小説もあると思いますけれど、全体的に言って「本よりテレビのほうが面白い」とは思いません。

フィクションだからこそ語れること、共感しやすいことがあると思うんですけどね。
作者の生きた時代や文化や生い立ちや性別や、そうしたものを越えて読者が共感したり感情移入できるのも、ブンガクの良いところだと思います。
と言うとユング派の読み方みたいですけど。
神話とか、物語とか。
物語とか文学という言い方が嫌なら、小説と読み替えていただいて結構です。
同じことです。ドストエフスキーは小説でしょ。

http://www.amazon.co.jp/%E3%81%93%E3%81%93%E3%82 …

http://www.amazon.co.jp/%E6%9D%91%E4%B8%8A%E6%98 …


>結局読みたいから買ったのか買ったから読んでいるのか分からなくない?

それは疲れ過ぎているんじゃないかしら。
本を捨てて外に出たほうがいいかも。旅行でもなさったら。金かかるか。
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この回答へのお礼

人間の行動には「能動」と「受動」とあって、テレビを中心とした芸術は大体「受動」になります。でも本を読むっていうのは割と「能動」に近い「受動」なので、たいていの娯楽の方が楽で面白いと思います(面白いの定義を浅くしますとね)。
あ、すると本を書くっていうのは、「受動」に近い「能動」なのかもしれません。力入りすぎると書けないものなので。いや、これは全ての芸術がそうかな。

できれば、小説批判なご意見を伺いたいのですが…。
周りには本を読まない人が沢山いるのですが、ネットをしている人はだいたい読んでるのかな。しかも大好きで毎日ペースで読んでいる人が結構多い?

河合隼雄さんの本のご紹介、ありがとうございます。
「物語とは」といった題材の本は探しててもなかなか無かったので、『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』はちょうど良さそうです。

お礼日時:2009/08/05 23:35

書き手になろうとは全く思いませんが、読み手として。



そんなに読書量は多い方じゃないです。月10冊くらいですね。
ラノベも純文学も読みますが、ラノベは最近のものはほとんど読みません。

>正直、小説って面白い?

自分が面白いと思う小説しか最後まで読まないので、面白いと感じてますよ。

>テレビ見てた方が面白くない?

それはない。
テレビってみてると薄っぺらくてイライラします。
とくにドラマが嫌ですね…。

>漫画の方が工夫されてない?

それは作品によるんじゃないでしょうか。
マンガだからできる工夫と小説だからできる工夫って全くの別物だと思います。

>アニメや映画の方が見応えない?

うーん、私、映画がすごく苦手です。

とくにファンタジーものとか「わざわざ努力して映像化してもこの程度にしかならないんだから、文字で読んだほうがいいなぁ」ってよく思います。
とくに最近のやたらとこだわった映像のものが陳腐に思えてなりません。


>ゲームしてた方が共感しない?

ゲームってストーリーの作りがいまいち甘くないですか?

>音楽聞いたり絵を見たり、自分の趣味をしてた方が感性が育たない?

それはひとそれぞれじゃないでしょうか。
読書よりも、音楽や絵からのほうが得るものが多い人はもちろんいると思います。
それはその人の感性とハードのマッチクングの問題ではないかと。

>ネットしてた方が新しい発見がない?

それはないですね。
ネットの情報ってほんとあてになりませんし。

>エッセイや実録などのリアリティにかなわないと思わない?

小説にリアリティを求めてないので。
リアリティを求めるときはエッセイとか実録を読みます。

>教養本の方が為にならない?

小説と教養本では求めるものが違うので。
というか、「ためになるから」って理由では小説を読みません。

>結局読みたいから買ったのか買ったから読んでいるのか分からなくない?

基本的に本は買いません。

一回図書館で借りて読んでから、「おもしろいからほしいな」と思った本だけ買うようにしてます。

>想像力、かえって失ってない?

うーん、私は「想像力」は本からよりも実体験で養うようにしてるので…。
なので、読書量を減らして人と話す時間をとるようにしています。
以前はもっと読んでたんですけどね。

本をたくさん読む人からは、確かにある種の「想像力のなさ」を感じることがおおいです。
空想は得意でも、現実での他の人の気持ちを想像したりするのって、本をよく読む人は苦手なことが多いと思います。
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この回答へのお礼

ゲームが共感なんたらというのは、ストーリーがどうのこうのではなく、ただ自分が操作しているから無条件で入り込めるのが羨ましい、ということです。
誰かが「小説とゲームは似ている」と言ったのですが納得でした。なんか似てるんです。うまく言葉にできないんですが。特に一人称の小説を書こうとする時に思います。
私はホラー映画とかホラー小説とかちっとも恐くないのですが、ホラーゲームはすごく恐い。小説もどんなジャンルでも、文字という世界自体にホラーの要素があるので、ホラーゲームのプレイヤー感がなぜ小説で出せないのか、すごくもどかしいです。

想像力とか共感っていうのは、本だけから得るものではないんですよね。
社会で実体験することと、一人で考え悔やんだりまとめたり(これが「物語にする」とも言う)、形にしてみること。
この形にする事が芸術だと思うので、私としては皆に読むだけではなく書くということをして欲しいなと思うのですが。まぁ別に小説でなくてもいいことです。
小説家っていうのは、ひょっとして形にすることに重きを置きすぎてる?

お礼日時:2009/08/05 23:23

大好きだよ、の方ですね。



読書歴は自分で本を買って読み始めた高校時代を起点として40年ほど(小学・中学時代も本好きでしたけれど)。ここ十年くらいは多い年で年間500冊くらい、少ない年で年間300冊くらいは読んでます。小説に限らずエッセイ実録詩歌教養書など活字本全てのトータルですが、メインは小説で、ラノベも純文も読みます。勿論完読本のみを数えていますよ。

>正直、小説って面白い?
 面白い!ですよ。

>テレビ見てた方が面白くない? 
 全然面白くない。殆ど見なくなりました。TVは私に関してはDVD再生専用機のようなもの。アンテナはいらないんじゃないかとしばし思う事あり。

>漫画の方が工夫されてない?  
 漫画でも小説でも工夫の有るものと無いものがあるから、どちらが上とは思いません。

>アニメや映画の方が見応えない?
 視覚に訴える「見応え」的描写だけが小説を読む楽しみのポイントじゃないでしょう。
  
>ゲームしてた方が共感しない?
 やりませんので。ノー・コメント。

>音楽聞いたり絵を見たり、自分の趣味をしてた方が感性が育たない?
 音楽・絵の感性と読書は対立・相反するものではなくて相互に補完し合うもの。音楽を聴いたり絵を見たりして育てた感性があってこそ面白く読める小説も多いですよ。むしろそういう感性ゼロではさほど楽しめない小説も結構多いんじゃないかしらん。また読書が育てる音楽や絵の感性というものもありますからね。例えば聖書の知識の有る無しで宗教画を見る目は変わってきますでしょう? ゲルマン英雄伝説や北欧エッダを知ると知らぬでワーグナーの音楽の聞こえ方も変わってきますよ。

>ネットしてた方が新しい発見がない?
 ネットでの「発見」は所詮細切れの知識や情報。その知識や情報を体系化し自らのものとするにはやはり読書。

>エッセイや実録などのリアリティにかなわないと思わない?
 (個人的には作家のエッセイは半分フィクションだと思っていますけど。)小説とはそもそもがフィクションでありましょう。フィクションをあたかも実在しているように生き生きと構築する描写力という作家の芸を楽しむという読み方をしております。実話にリアリティはあって当たり前。

>教養本の方が為にならない?
 小説を読むのは「為」という実利を求めてすることではないと。勿論教養本も読みますけれど。例えばイギリス・ミステリが好きならば、日頃から折に触れて英国の政治・経済・宗教・生活・歴史などの知識を仕入れておく、という風に。やはり背景となっているその国やその時代の政治・経済・宗教・生活・歴史などを知っている方が小説もずっと面白く読めますから。

>結局読みたいから買ったのか買ったから読んでいるのか分からなくない?
 購入本でも読む気が失せれば読みません。本だけではなくつまらなければ途中でも映画館出ちゃいますよ。

>「ああ、ページ数あとこんなけしかないなんて」でなく「まだこんなにあるのか」なんて思ってない?
 そういう本は途中で読むのを止めてしまいますから。

>読んだ後、思い返してドキドキ、なんて最近しなくない?
 しょっちゅうドキドキしてますよ。

>登場人物が紙の上の存在であることに絶望的なもどかしさ、なんて最近しなくない?
 うーん。紙の上だけの存在であるからホッとする、ような登場人物の方がむしろ好みなので。

>ページをめくるのがもどかしくて、とか手がわずかに震えて、とかつい表情だけでなく声がでちゃって、とか最近なくない?
  もどかしくて、はあるけれど手が震えるとか声が出るとかは無いですねえ。でもそんなの単なる癖の問題。感動の量を測る物差しは人それぞれ、千差万別。

>説明文、機械的に流し読んでない?
 機械的に流し読んでしまうような本は途中で読むのを止めてしまいます。

>想像力、かえって失ってない?
 想像力を喚起できないような本は読みません。

年間500冊読んでも読みたい本が全部読めるわけではありません。詰らないと思った本はさっさと読むのを止める主義。そうでもしないと面白い本を読む時間が無くなってしまいますから。

書きたいとはまるで思わないんです。小説一冊書いている暇があればその時間で100冊は(あるいはもっともっと)読めるような気がするので。とすればもうこれしかないでしょ。生涯純粋読者断固貫徹決意。
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この回答へのお礼

私はあまのじゃくで、「良い」と言われるものの欠点を探したり、「悪い」と言われるものの長所を見つけたりする習性があります。
なので、なるべく小説の悪い所を教えて頂いた方が燃えます。
マゾなんで、あしからず。

年間500冊!
はぁ~、その中で、最後までドキドキ読むふける作品の割合はどのぐらいなのか知りたいです。
本屋の本って半分ぐらいは売れずに出版社に返品されて燃えるゴミになってるんですよね…。すごく悲しい。たくさん平積みにされている作品ほど、来週は大量に破棄されているかもしれない。

お礼日時:2009/08/05 23:09

煮詰まってますねー。


あんまり考えても仕方ないような。

小説が好きじゃない人はやはり、他人の作り上げた妄想ってのを言う人がいますが
そういう人は映画もアニメも漫画も駄目ですよね。

結構小説としては苦難の時代だと思います。
アニメ、ネット、漫画。
お笑い番組を見ていてもきちんと筋があって起承転結や
オチを予測させて、その通りうまく落として笑いとカタルシスを与えてくれる
そんな芸人や、巧みな筋立てで予想外の展開で笑わせてくれる芸人
そんな人たちが減って
脊髄反射で、その場の滑稽さを笑うようなおのが増えています。
そういった物に慣れていれば、じっくり読み込んで楽しむということは
難しいかもしれません。
しかも世の中の市場がふくれあがり、どのジャンルも好みに対してかなり細分化しています。
漫画一つとっても絵がいやだとか、萌え系がいいとか、BLが~とか
ジャンルだけで好き嫌いが決定してしまったり
好きなジャンルだけ読んでいても十分楽しめる時代ですし
それぞれに特有な表現や擬音があったりして、馴染んでいないとそれが苦手に感じたりします。
言葉から何かを想像しながら読むべき小説において
共通の言葉や知識といった土台がなければ、文章で人を喜ばせたり
同じ世界を共有するのが難しくなってしまうというのもあります。
また、同時代の作品については大量に存在しますから
珠玉のものと出会うのはやはり困難があると思います。

でも、小説、私は大好きです。

私の好きな作家、井上靖さんの言葉です。
宮本輝さんに語った言葉ですが

「宮本さん、小説って何でしょうね。
決して、学問でもない。宗教でもない。
小説は、あそびですね。贅沢な心の遊びですね」

贅沢な心の遊びですから、心に余裕がなくなってしまったり
考えすぎてバイアスがかかってしまうと
確かに楽しめなくなってしまうと思います。

読むことが苦痛ならしばらく離れてみるのも良いと思います。
優れた漫画家さんは映画や小説にも精通していたりしますし
これを機に小説を離れて舞台や漫画、映画などほかの創作をメインにふれて
小説に戻ってみればまた、新しい魅力や手法の発見もあると思います。
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この回答へのお礼

テレビは「反射で笑わす」つまり脳に届く前に笑わす形になってきてると聞き、最初私はそれは恐いと思ったのですが、いつも全部がそうという訳ではないし、テレビの役目としてそれも一つなのではないかと思っちゃったりなんかして最近は。
人は知っている人と目が合うと、突然でも遠くでも勝手に顔が笑ってしまう生き物、と聞きました。いや、一緒にするべきではないかもしれませんが、考えないで笑う事が悪いわけではないかな、と。

あと漫画は絵である程度選ぶ段階で、中身も多少は自分に合ったものを選べてしまうのは確かですね。ライトノベルなんて、イラストで売れるかどうか決まるとか(悲惨だ)。
それでいうと、小説は数ページ読み進めないと自分に合うかどうかわからないのかもしれません。どんな芸術も良い悪いではなく、その人に合うかどうかですから。文体に個性があれば、そこで判断ができやすいのかもしれませんが…あとは、オビのキャッチコピー?

井上靖さんの言葉、恐れ入ります。
そう、小説は活字の遊びであっていいと思います。
知り合いの子供は幼稚園児なのに、すごくキラキラした言葉を日記に書いてました。それが小説におもちゃ箱のように詰め込まれた作品(無論童話みたいな文という訳ではない)を読んでみたい、書きたいな、と思います。

お礼日時:2009/08/05 22:59

だいぶお困りのようですね。



フィリップ・キンドレッド・ディックがどこかで(消滅したサンリオ文庫版か何かだったか)で書いていましたね。

世の中の作品の90%はゴミだ

と。さらに開高健も

よいものは少ない

とエッセイで述べています。

そう、確かに「面白いもの」は少ない。探し出さないと見い出せない。何やら先哲の語る人生の奥儀めいて妖しく発光する文言です。

当方はかれこれ30年以上も純文学系といわれる文芸誌を毎月数冊読む習慣を持っています。村上龍や村上春樹のデビュー作やらその年の各賞の受賞作やらを、他人の評価を見る前に読んでいます。そのおかげで書き下ろし単行本までは手がまわらず、初めのころは気にしていたものの、いつのころからか気にならなくなりました。

その理由は、どの作品もおしなべて「面白くない」と感じだしたからです。それでも何か光る一文に出会えるかとの思いがあって、醜女の深情けよろしくせっせと貴重なお金をつぎ込んでおります。

そういうわたしがご質問の文を拝見して申し上げることは

(1)面白くないのならやめたら?

あるいは

(2)面白いものがあると信じて読み続けたら?

です。この二つの文は実は等価なのですよ。

私の好きな青臭いことばがあって

文学はそれなしでは生きられない人間にとっては全てである

というものがあります。どうしようもなく魅かれるから、飽きもせずしかし我ながら呆れること多く、どこの馬の骨が書いたか分からない、所詮は出版社の営業のための、毒にも薬にもならない単なる資源の無駄と言い得る「作品」や「作品もどき」を読むのです。

これは好悪というレベルを超えています。

質問者さんが書き連ねていらっしゃる多くの「?」が、それがあるから「小説」がつまらないと思うのなら(1)を選択し、小説などという暗い趣味から離脱し後の貴重な人生をもっと有意義な時間となるような過ごし方をなさればいい、と思います。

私が何を伝えたいかおわかりでしょうか。

お分かりになれば多くの「?」は自ずとフェードアウトしていくでしょう。

※ところでふと思ったのですが、物書き卵さんの書いているまたは書こうとしているジャンルは、あの文章で漫画を書く「ライトノベルス」ではないですよね。もしそうであるなら今まで書いてきたことは忘れてください。アドバイスにはなりませんから。

回答になっていないことは重々承知で根本のあたりに触れてみました。

不尽
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この回答へのお礼

実をいいますと、小説を読むことに関してはひどく「重傷」なのです…。
買ってじっくり読むより、立ち読みで集中して把握、よほど面白ければ買う、という効率主義へ行き、ここで結局小説より教養本の方に手が伸びるようになる(第一段階)。小説も序章で面白いと思ったけど想像内の期待が高まる一方で、実際は中だるみ(第二段階)。理想の展開・文章ばかり追い求め、自分の小説も「こんなんじゃダメ」「もっと良くなるはず」と直しばかりで進まず(第三段階)。参考になる小説を求めてさまようも、理想がそうそう転がっているはずもなく、一行読んで「違ーう!」と本を閉じずにはいられなくなる(末期)。

だから今は、「読まずに書いている」という状態なのです(小説以外は読みます)。ま、理想と現実の腕がついて行かないことには人の作品をけなす権利もありませんが、権利なくてもけなします。

閑話休題。(←使いなれない言葉を使ってみた)

私も好きな言葉があって「本を読まなければ豚になる。本を読むだけでは犬になる」。それが第一段階につながっちゃったわけですが、やっぱり本は読んで考えてこそ。読む人それぞれの鏡であって欲しいと思います。
つまらない作品は多いことでしょう。文字の一つ一つが読者のお金と時間、労力から視力までも奪っているというのに。
しかし、私はつまらない、だけではない毒が、いや麻酔が、副作用が小説にあるような気がするのです。物語も描き方も、場合によって間違いの感覚を与えてしまうのですから(テレビドラマが先に蔓延してしまっている)。小説にしかできないことがあるはずなのに、小説が小説の使命から逃げているような…。や、大仰に言い過ぎました。そう、所詮は暗い趣味。知的ブランドみたいな顔でのさばるな!

※「ライトノベルズ」(あ、「ズ」つけるんですか?)ではないですが、あれはあれで読む分には嫌いではないです。今の作品は知らないけど、十代の時は結構読んでました。ハードカバーで二、三千円取って中身が軽いよりは、いろいろ軽くて読みやすい方がましです。

ご丁重にありがとうございました。

お礼日時:2009/08/04 02:53

私は、推理小説しか読みませんが…



物語の登場人物が、現実世界にいる誰に当てはまるかな、と考えたりします。見た目はこの人だけど中身は別な人、そんな場合もありますね。
あとは、文面から察せられる情景や建物の構造、服の形や色とか、食べ物とか、「現実ではこんなんかな」と想像しながら読みますよ。想像力はかえって増すと考えます。想像する、という表現は合わないかもしれないです。最近は頭に自然と浮かんでくる、という感じです。
それだけ書き方が上手いのでしょうね(プロですしね)。
あとは言葉の使い方とか、難しい漢字とか、こういう使い方するんだな、と勉強になります。

私は、小説、いいものだと思いますよ。自分で書きたいくらい。
回答になってますかね。。
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この回答へのお礼

>現実世界にいる誰に当てはまるかな、と考えたりします。

マジで!?
いや、そういう事もあったか…。
私は自分で輪郭作り上げちゃう方です。
情景が浮かぶ時もあるんですが、次の文(主に難しい説明文)でぷちんと切れちゃうんです。もちろん散文は詩ではないです、情景だけやってられせん。
私の読み方が歪みすぎているのだろうか。小説から感情が感じられない…。

>私は、小説、いいものだと思いますよ。自分で書きたいくらい。
あ、それはいいですよね。
私はみんなにもっと小説を書いて欲しいです。
書いたこと無い人にはぜひ書いてもらいたいです。

お礼日時:2009/08/04 02:00

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