『叱られないと 勉強しない』 の対偶は
『勉強すると 叱られる』 というのは誤りだそうで、正しい対偶は
『(今)勉強してるのは、(過去に)叱られた(から)』
だそうですが、納得いきません。

『叱られない』の反対は『叱られる』ですし、
『勉強しない』の反対は『勉強する』なので、命題の対偶を忠実に取
ると、『勉強すると 叱られる』が正しいと思いますし、
『勉強してるのは 叱られたから』というのは、対偶を正しくするた
めに、わざと時制を都合の良いように解釈しているように思えます。

どなたか、へそまがりのわたしが納得の行くような説明をしていただ
けないでしょうか?

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A 回答 (8件)

adagioさんの質問の意図は,


「論理学は本来,
『AならばB』といった文のAやBに
どんな内容が入ろうとも
共通に成り立つ性質を研究して,
推論を機械的に行なえるように
するのが目的であるはずなのに,
内容によって個別に対応する必要があるのは
おかしいのではないか?」
ということですよね.
その疑問はもっともだと思います.

しかし,
「『Aでない ならば Bでない』と,
その対偶の『A ならば B』とは真偽が一致する」
という定理が成り立つためには(他の定理もそうですが),
「AやBには『命題』が入る」
という当たり前の前提があるということを忘れてはなりません.

ここで命題とは,「真か偽かはっきり定まる文」のことと理解してください.
この例ではAは「叱られる」であり,Bは「勉強する」ですが,
これだけでは明らかにAやBは真偽の定まる文とは言えません.
少なくとも誰が叱られて誰が勉強するのか,という主語が必要ですし,
また「叱られる」と「勉強する」の時間関係はどうなっているのか,
あるいはそもそも時間関係があるのか,ということも明らかにする必要があります.
最低限上で述べたことだけでも考慮してこの文を命題らしく書き直すと,
「『太郎君が,前に勉強したときから現在までの間に少なくとも一度は叱られた』のでないならば,
 『太郎君がこの先勉強することがある』のではない」
となります.
つまり,せめてこれくらい文章の意味を厳密にしておかないと,
そもそも命題論理の定理が適用できないのです.
このとき文章が少々不自然になるのはやむを得ません.
上の対偶をとれば
「『太郎君がこの先勉強することがある』ならば
 『太郎君が,前に勉強したときから現在までの間に少なくとも一度は叱られた』」
となり,何の問題もありません.
しかし,上の命題は
「叱られないと勉強しない」という文章の
たくさん有る解釈の中の,
(おそらく最も現実に即した)
一つの解釈に過ぎません.
この文章を
「『太郎君がこの先少なくとも一度は叱られる』のでないならば,
 『太郎君が現在までに勉強をしたことがある』のではない」
と解釈することもできるわけで,
どちらの解釈が正しいか,ということは
論理学的には決められないはずです.
あとのほうの解釈で行けば,対偶の意味はまさしく
「勉強したら叱られる」になるわけです.

対偶をとるときになって初めて
個々の意味を考慮して都合をつけているとすれば,
それは確かにうさんくさいことだと思いますし,
あってはならないことです.
しかし,もとの文章が
「そもそも論理学で扱ってもらえる資格」
を持つようにするには,
個々の意味を考えた上で
それを厳密にしておかざるを得ない,
というわけです.

参考になれば幸いです.
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この回答へのお礼

わたしの質問の意図を的確に表現していただいてありがとうございます。

> つまり,せめてこれくらい文章の意味を厳密にしておかないと,
> そもそも命題論理の定理が適用できないのです.

教科書では、『命題が正しいならば対偶は正しい』としか書かれていませんが、
『叱られる』や『勉強しない』みたいに真偽のはっきり定まらないものは、そ
もそも論理学で論じるべきではないということでしょうか?それならば、命題
自身の適格性について(教科書は)もっと厳密な定義をすべきではないでしょ
うか?

> 最低限上で述べたことだけでも考慮してこの文を命題らしく書き直すと,
>「『太郎君が,前に勉強したときから現在までの間に少なくとも一度は叱られた』
> のでないならば,
>『太郎君がこの先勉強することがある』のではない」
> となります.

ここまで言わないといけないのですか、、うーん、ますますわかりにくい気が
します。

> しかし,もとの文章が
> 「そもそも論理学で扱ってもらえる資格」
> を持つようにするには,
> 個々の意味を考えた上で
> それを厳密にしておかざるを得ない,
> というわけです.

つまり、正しそうにみえても『どんな命題でも扱っていいわけではない』という
ことですね。なんかわかったような、かわされたような、まだスッキリしません
が・・・。ご丁寧な回答ありがとうございました。

お礼日時:2001/03/15 04:28

「AでないならばBでない」の対偶は「BならばA」。


 しかし、「叱られないと勉強しない。」のどこに「ならば」が入ってます?つまりこの文章のまんまで形式的に対偶を作ることはそもそも不可能です。
 普通の命題論理に乗せようとすると、文章の意味を保ったまま、ふたつの「命題」を「ならば」で繋いだ形式に言い換えなくちゃいけません。自然言語から命題論理への変換をやる必要があるわけです。(このような変換はたとえば「リンゴが2個あります。ひとつ食べたらのこりは幾つでしょう」を「2-1=」という式に変換し、答の1を「リンゴ1個」に逆変換する、そういう操作に相当します。)

●ではやってみましょう。
「叱られないと勉強しない。」は「叱られていないのに勉強している、ということはあり得ない。」という意味であり、(すなわち「叱られたって勉強しているとは限らない。」ということをも含んでいます)この点に留意すると、
「『叱られた』のではない、ならば、『勉強している』のではない。」
という形式に変換しても意味は変わっていないでしょう。
するとその対偶は
「『勉強している』、ならば、『叱られた』。」
である。再び普通の言葉に戻すと、
「勉強しているなら、叱られたに違いない。」

これをこんどは論理式でやってみましょう。"¬"は否定、"∧"は「かつ」、"∨"は「または」"→"は「ならば」の記号を使って、命題論理で表すと、
(特に、A→B は、(¬A)∨Bとも、¬(A∧¬B)とも等価です。)
S,Bをそれぞれ、S:『叱られた』、B:『勉強している』、という意味の命題とするとき
(¬S)→(¬B):『叱られた』のではない、ならば、『勉強している』のではない。すなわち
(¬(¬S))∨(¬B):(『叱られた』のではない)のではないか、または、『勉強している』のではない。すなわち
S∨(¬B):『叱られた』か、または、『勉強している』のではない。すなわち
(¬B)∨S:『勉強している』のではないか、または、『叱られた』。すなわち
B→S:『勉強している』ならば『叱られた』。

●さて、(他のスレッドの回答にも書いたんですが)論理は人の弁論や推論のうちのごく一部分を取り出して形式化したものに過ぎませんから、扱えることが限られています。自然言語に含まれているいろんな推論をうまく取り込んだ論理体系(様相論理(modal logic))の研究は、まだまだ発展途上です。特に、時間経過や因果関係を扱う「時間論理」という分野は一筋縄ではいかないことが知られており、まだ決定版はないようです。

 様相論理のうちで最も古典的かつ重要なのは、必然(□)と可能(◇)を区別する論理です。たとえば、□(¬A)は「Aでないことは必然である」という意味で、これは¬(◇A)つまり「Aであることは可能ではない」と等価です。¬◇(¬A)「Aでないことは可能ではない」は、□A「Aは必然だ」と等価です。この記号を使うと、普通の命題論理よりももうちょっと自然言語の雰囲気を表すことができます。
 そこで「『叱られた』のではない、ならば、『勉強している』のではない。」を様相論理で、わざと遠回りをしながら変形していってみましょう。

□((¬S)→(¬B)):(『叱られた』のではない、ならば、『勉強している』のではない)は必然である。すなわち
¬◇(¬((¬S)→(¬B))):((『叱られた』のではない、ならば、『勉強している』のではない)のではない)ことは可能ではない。すなわち
¬◇((¬S)∧B):(『叱られた』のではなく、かつ、『勉強している』)ということは可能ではない。言い換えれば「叱られたのではないのに勉強している、ということはあり得ない。」すなわち、
□¬((¬S)∧B):((『叱られた』のではなく、かつ、勉強している)ことはない)ことは必然である。すなわち
□(S∨(¬B)):(『叱られた』か、または、『勉強している』のではない)ことは必然である。すなわち
□((¬B)∨S):(『勉強している』のではないか、または、『叱られた』かである)ことは必然である。すなわち
□(B→S):(『勉強している』、ならば、『叱られた』)ことは必然である。
言い換えれば「勉強しているなら、叱られたに違いない。」

 これだと少しは雰囲気が出ていませんか?
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この回答へのお礼

stomachmanさん、いつもお世話になります。

> しかし、「叱られないと勉強しない。」のどこに「ならば」が入ってます?
> つまりこの文章のまんまで形式的に対偶を作ることはそもそも不可能です。

「叱られないと勉強しない。」は、「叱られない ならば 勉強しない。」と
同等である、ということまで否定してるわけではありません。

> この点に留意すると、
> 「『叱られた』のではない、ならば、『勉強している』のではない。」
> という形式に変換しても意味は変わっていないでしょう。

さりげなく書いておられますが、『叱られないと』ということばを「『叱られた』
のではない」というように過去形に変換していますよね?ポイントはここだと思い
ます。「叱られなかった なら 勉強していない」という命題なら、「勉強してい
るのは 叱られた(から)」という対偶を作ることに異論はありません。『叱られ
ない』という日本語が、現在形にも過去形にも取れるために、対偶が2通り作れる
ので矛盾が生じたと思うのですが、みなさまが書いておられるように、文意を正し
く理解して対偶を作れば、「勉強しているなら、叱られたに違いない。」という対
偶のほうが正解であるということは、理解できるのです。それなら、『叱られない
(Aでない)』を『叱られる(Aである)』と形式的に変換してはいけないという
ことなので、教科書の書き方に疑問を持ったということなのです。

おかげで、ずいぶんすっきりしてきました。わたしの理解不十分なところを、まだ
教えてあげようという方もいらっしゃるかと思いますが、これにて締めさせていた
だきます。ありがとうございました。

お礼日時:2001/03/16 02:25

こんにちはNakaさんのでいいと思います。


さて、A→Bの対偶は、Bの否定→Aの否定です。
しかし、AおよびBの時間的なものはそのままになります。質問と同じような
「お腹がすけばご飯を食べる」の場合
「ご飯を食べなければお腹がすかない」とやっちゃいますが、お腹がすくのと、ご飯を食べるのはお腹がすくのが先ですよね。
対偶を作るときもその時間差はそのままにしないといけないのです。
つまり、「お腹がすくときは、ご飯を食べる」として
対偶は「ご飯を食べないときは、お腹がすかないとき」
となります。Nakaの言っているとおり「理由」をあらわすのをつけないといけないと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。下のNAKAさんへのお礼のところに一緒に書かせて
いただきました。

お礼日時:2001/03/15 14:21

◆Naka◆


何人かの方もおっしゃっておられるように、「順序」、「因果」の問題ですね。
ここでやっかいなのは、「叱られないと、勉強しない」の「と」です。
仮に「叱られないは、勉強しない」という問題(こんな日本語ありませんが…)でしたら、対偶は「勉強するは叱られる」という(これもわけわかんない)になりますね。zabuzaburoさんのおっしゃるように、出題にも問題がありますが…

この問題の場合、どうしても言葉の意味を無視して答えを出すわけにはいきません。
やっかいなのは、上で述べた「と」なんです。この「と」は根拠・理由を意味しますよね。つまり「叱られない→勉強しない」という意味になるんです。ですから対偶は当然「勉強する←叱られる」にならなければいけません。
これを言葉にすると、「勉強するのは、叱られるからだ」とあとの部分に「理由」を表す言葉をつける必要が出てくるんですね。

もう少し判りやすい例を挙げてみましょう。今度は「~から」を元に持ってきてみます。
「私が彼女を好きなのは、彼女が素直だからだ。」という命題を考えてみましょう。
これを「~のは、…からだ」の部分をそのまま残して、「彼女が素直じゃないのは、私が彼女を好きじゃないからだ。」とはできませんよね。因果関係がメッチャメチャになってます。 (^^;)
当然、「彼女が素直じゃなかったら、私は彼女を好きじゃない(好きになってないだろう)。」となりますよね。
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この回答へのお礼

NAKAさんご指摘のように、確かに『と』が曲者ですよね。

> この問題の場合、どうしても言葉の意味を無視して答えを出すわけにはいきません。

わたしが疑問に思っているのもまさにこのことです。


今までのみなさまのご意見では、次の3つが考えられるようです。

1)対偶の作り方は問題ないが、命題が正しくないから対偶が正しくない
2)命題の表現があいまいだから、対偶が正しくなっていない
3)命題は正しいけれど、対偶の表現方法に工夫がたらない

で、どうやら3)に落ち着きそうです。
対偶を作るときに、いちいち理由を述べる表現を用いないといけないというのなら
それでもいいのですが、それならば『AならばBである の対偶は Bでないなら
ばAでない』というような公式じみた表現をすべきではなく、対偶が正しくなるよ
うに理由を表わすことばを付加することも必要であるとしてくれればいいのにと思
ったわけです。
『命題が正しければ、対偶は必ず正しい。くやしかったら反例を作ってみよ』と言
った高校のときの数学教師の挑発的なことばが、未だに頭に残っていたもので。

お礼日時:2001/03/15 14:19

例にあげられている、「叱られないと 勉強しない」は対偶を取ることはできません。

これらは因果関係を示しているもので、時間による順序付けがされています。
つまり、「叱られないと 勉強しない」の対偶は、『(今)勉強してるのは、(過去に)叱られた(から)』 でもなく、もちろん、『勉強すると 叱られる』でもなく、そもそも対偶を取ることができないのです。
例えば、「風が吹けば桶屋が儲かる」はその論理的帰結として、「桶屋が儲からないと、風は吹かない」ということには成りません。いかがでしょうか?

ちなみに私は専門家ではないのであまり自信はありません。
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この回答へのお礼

対偶の真偽は別にして、対偶を取れないということはないと思うのですが・・。
「風が吹けば桶屋が儲かる」の対偶は『桶屋が儲からないのは風が吹かないから』で
いいのではないでしょうか?

お礼日時:2001/03/15 03:44

なんやよくわかりませんが、参考URLに同じような話がのってました。



参考URL:http://www4.airnet.ne.jp/rusie/logic/study.html
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この回答へのお礼

参考URLありがとうございました。
これによると、『しかし対偶命題の真理値は必ず一致します。ということは・・・・・
もとの命題「叱らないと勉強しない」が間違っているからなのです。』だそう
です。つまり、対偶の取り方は正しいけど命題が間違っているから対偶も正し
くないということだそうですが、そういうことなら納得できそうですが、しか
し『叱られないと 勉強しない』が間違っているといわれても、何かスッキリ
しません。

お礼日時:2001/03/15 03:39

『勉強すると 叱られる』の反対は「勉強しない(でいれば)と、叱られない」となってしまい、元の文章にはなりませんよね?

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この回答へのお礼

えっと、『勉強すると 叱られる』の反対ではなく、対偶は、『叱られないと 
勉強しない』で合ってると思いますが、、、。

お礼日時:2001/03/15 03:27

「叱られないと勉強しない」をもう少し正確に言い直すと


「叱られてからでないと勉強しない」または
「叱られるまでは勉強しない」ということになりますね。
これで、「今勉強しているのは、過去に叱られたから」というふうに、時制が一致すると思いますが・・・どうでしょう。
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この回答へのお礼

さっそくの回答ありがとうございます。ですが、わたしが言いたいのは
文章の意味を考えるのではなく、『叱られないと 勉強しない』という
『ことば』の対偶を『すなお』に取ったら『勉強すると 叱られる』で
いいのではないかと思うのです。
『叱られてからでないと勉強しない』という意味はわかりますが、
『Aでないなら Bでない』の対偶は『BならばAである』と機械的に
翻訳すると誤りとなるというのが理解できません。文章の意味を考えて
対偶を取らないといけないというところに、うさんくささを感じるので
すが、、、。

お礼日時:2001/03/14 21:47

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人工的に作ったという話も聞きましたし、
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ズバリ言って、微分積分したときの性質の良さというのに尽きます。
xの自然対数をln(x)と書くとき、
  (e^x)' = e^x
  (ln(x))' = 1/x
と、無駄な係数がつかないので、微分するにはとても便利です。

これが10^xやlog(x)だと
  (10^x)' = ln(10)*10^x = 2.30258509…*10^x
  (log(x))' = 1/(ln(10)*x) = 0.434294482…/x
と、一回微分しただけでなんだかよくわからない係数がついてゴチャゴチャします。
解析学では1階微分だけでなく2階微分、3階微分、n階微分とたくさん微分することもあるのでそのたびに無駄な係数がつくよりは、何階微分しても係数が1ですっきりしている自然対数をつかう方が便利なのです。
積分に関しても同様のことが言えます。10^xの原始関数は10^xではないですし、1/xの原始関数を常用対数をつかって表すと余計な係数がつくことになります。


微分することや積分することは、ある関数の増え方や減り方など関数の振る舞いを調べるのに重要な役割を持ちます。
それは例えば私たちの身の回りの物を数式で表したとき(ごく身近な例では自動車の速度と走行距離とか)、その数式がどのような性質を持つのか調べるために微積分が役立つのです。
それだけではなくフーリエ変換やラプラス変換などを使って、身の回りの物を制御するときにも(ごく身近な例ではエアコンを調節して部屋の温度を一定に保つだとか)、微積分の理論が役立っているのです。

このようにとても役立ってたくさん使われる微積分だからこそ、e^xやln(x)の微分しやすいとか積分しやすいとかいう性質が大事になってくるのです。


また、常用対数の底に10を使うのは我々が普段10進数を使っているからですよね。
さらに何故10進数を使うかと言うと、おそらく人間の両手の指が10本だったからでしょう。
ですから仮に両手で6本しか指がない宇宙人がいたとすると彼らは6進数を使い、常用対数の底も6かもしれません。
そういう意味では常用対数の底に「10」を使うと言うことは、純粋数学の立場からすると普遍性がないのです。

しかし微分しても変わらないような関数e^xのeを計算したとき、10本指の人間が計算しても6本指の宇宙人が計算してもその値は同じになります。
そう言う意味でeという定数は、純粋数学の立場からみて普遍性があるのでeという数字が特別だと言われるのです。

ズバリ言って、微分積分したときの性質の良さというのに尽きます。
xの自然対数をln(x)と書くとき、
  (e^x)' = e^x
  (ln(x))' = 1/x
と、無駄な係数がつかないので、微分するにはとても便利です。

これが10^xやlog(x)だと
  (10^x)' = ln(10)*10^x = 2.30258509…*10^x
  (log(x))' = 1/(ln(10)*x) = 0.434294482…/x
と、一回微分しただけでなんだかよくわからない係数がついてゴチャゴチャします。
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Q対偶命題 背理法 違い

背理法を使って証明するときと対偶命題を使って証明するときとの違いはなんですか?

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難しくなってきましたね。
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Qドモルガンの法則、対偶、三段論法

ド・モルガンの法則
対偶
三段論法

を日本語で分かりやすく教えてください

なぜ

Aが好きな人はBとCが好きである

BかCが好きでない人はAが好きでない

となるのか教えてください

Aベストアンサー

 具体的な例としては、

命題>Aが好きな人はBとCが好きである
>↓
対偶>BかCが好きでない人はAが好きでない

というものですね。

 一つずつやってみましょう。

 まず、対偶だけを考えるため、命題を単純化してみます。少しはっきりさせても見ます。

命題:Aが好きな人は、必ずBが好きな人である。

 この命題が正しいとします。

 もし、ある人がAが好きだが、Bが好きでないとします。すると、その人については「Aが好きな人で、Bが好きでない」例だということになります。すると、上の命題は正しくないという証明になります。

 これを反例といって、一つでも見つかれば、「必ず~である」という命題を否定する証明になります(「一部は~である」ですと否定の証明をしたことにはなりません)。

 もう少し考えてみると、「Bが好きな人」の一部が「Aが好きな人」ということが分かります。全部でもいいですけど、「Aが好きな人」全員を集めたとき、「Bが好きな人」以外の人、つまり「Bが好きでない人」がいてはなりません。

 もしいたら、「Aが好きな人で、Bが好きでない人」がいることになってしまいます。それでは、命題を正しいとしたことに反します。

 すると、「Bが好きな人」を全員除いて考えると「Bが好きでない人」だけになり、すると「Bが好きな人」の一部であった「Aが好きな人」もいなくなって、「Aが好きでない人」だけになります。ですので、

対偶:Bが好きでない人は、必ずAが好きでない人である。

が正しいとなります。

 なお、命題が「AならばBである」だと、対偶は、「Bでないなら、Aでない」です。上では、対偶:「Bが好きな人でないなら、必ずAが好きな人でない。」を、お示しの文に近づけるようにしてみました。

命題:Aが好きな人は、必ずBが好きである。

 逆に、この命題が正しくないとします。つまり、「Aが好きな人で、Bが好きでない人が(少なくとも一人)いる。」ということになります。たった一人でもいいので、そういう人がいるということですね。一人もいなければ命題が正しいことになりますから。

 じゃあ、「Bが好きでない人」が、必ず「Aが好きでない」のかどうかですね。これは、たった一人でも「Aが好きで、Bが好きでない人」(=「Bが好きでなくて、Aが好きな人」)がいることに反します。つまり、そういう人が、

対偶:Bが好きでない人は、必ずAが好きでない。

に対する反例であることになります。「Bが好きでない人」全員を集めたら、その中に少なくとも一人は「Aが好き」なわけですから。

 そういうわけですので、

命題:Aが好きな人は、必ずBが好きである。
対偶:Bが好きでない人は、必ずAが好きでない。

の二つは真偽(正しい・間違い)が必ず同じになります。命題が正しいときには、必ず対偶も正しく、命題が間違いのときには、必ず対偶も間違いになります(対偶から出発しても同様なので省略します)。

>Aが好きな人はBとCが好きである

命題:Aが好きな人は、必ずBとCの両方が好きな人である。

 こう書き換えておきますね。上記から増えたのが、「Bが好きである」から「BとCの両方が好きである」ということですね。

 すると、「『BとCの両方が好きである』のではない人」が、どういう人なのかということですね。

「Bが好きでなくてCが好きな人」は当てはまります。「Bが好きでCが好きでない人」は当てはまります。さらに、「Bが好きでなくてCも好きでない人」も当てはまります。

 それが、「BかCが好きでない人」です。普通の日本語では、「BかCか、どちらかだけ好きでない人」という意味で言うことも多いですが、論理学ですと、どちらも好きでない人も含めます。

「『BとCの両方が好きである』のではない人」は、「BかCが好きでない人」となるわけです。

 これを少し抽象的にすると、「『BかつCである』のではない」、「BまたはCでない」(「BかCでない」でも可)になります。

 そこで、上でご説明しました「Bが好きでない人」を「BかCが好きでない人」に置き換えると、お示しの、

命題>Aが好きな人はBとCが好きである
>↓
対偶>BかCが好きでない人はAが好きでない

が出てきます。

P.S.

 お示しの文章には、「AならばBである。BならばCである。よって、AならばCである」といった三段論法の具体的な例がないので、とりあえず省略します。

 もし、三段論法で分かりにくいと思われたものを示して頂ければ、何かお手伝いできるかもしれません。

 とりあえず、具体的で分かりやすい例をいくつか試して、それらが飲みこめたところで、それをどういう場合にでも通用するような抽象的な説明の理解に進まれると、回り道のようでいて、実は近道になるかと思います。

 具体的な例としては、

命題>Aが好きな人はBとCが好きである
>↓
対偶>BかCが好きでない人はAが好きでない

というものですね。

 一つずつやってみましょう。

 まず、対偶だけを考えるため、命題を単純化してみます。少しはっきりさせても見ます。

命題:Aが好きな人は、必ずBが好きな人である。

 この命題が正しいとします。

 もし、ある人がAが好きだが、Bが好きでないとします。すると、その人については「Aが好きな人で、Bが好きでない」例だということになります。すると、上の命題は...続きを読む

Q例えば1500、360、280という数字があってこれらを 「2.8:1.2:1.2」という比にするた

例えば1500、360、280という数字があってこれらを
「2.8:1.2:1.2」という比にするためには
どのように計算すればよいですか?
教えてください、お願いしますm(*_ _)m

Aベストアンサー

その数字だったら、
まず10で割る。全部10で割れることは一目瞭然。
次に、全部偶数だから2で割る。これも一目瞭然。
すると、3つの数字のうち一番小さい物は14になる。
14は2×7。
では、75を2で割れるか→×、なので、2は共通の約数では無い。
18を7で割れるか→×、なので、7も共通の約数では無い。
従って、これ以上共通の約数は無い、となり、75:18:14、が確定します。

整数比で無い場合、例えば、360を基準→1として、その何倍か、というような数値を見たい場合は、
3つとも基準となる360で割ってしまえば良い。
1500÷360=4.1666....
360÷360=1
280÷360=0.7777....
すると、360に対してどのくらいの大きさか、ということが判りやすくなるかもしれません。

あるいは、他で1.2という数字が出ていて、360のところを1.2にして、それに対してどうか、なんてことを見たい場合は、
360÷360×1.2=1.2
1500÷360×1.2=1500×1.2÷360=5
280÷360×1.2=280×1.2÷360=9.3333......
なんてふうにします。
例えばインテルのパソコン用CPUの一昨年の最上位製品の性能を1とすると、今年の最上位製品の性能は1.2だ。
それに対して今年の最上位で無い物はそれぞれどのくらいの性能か。
なんて時に使えそうです。

その数字だったら、
まず10で割る。全部10で割れることは一目瞭然。
次に、全部偶数だから2で割る。これも一目瞭然。
すると、3つの数字のうち一番小さい物は14になる。
14は2×7。
では、75を2で割れるか→×、なので、2は共通の約数では無い。
18を7で割れるか→×、なので、7も共通の約数では無い。
従って、これ以上共通の約数は無い、となり、75:18:14、が確定します。

整数比で無い場合、例えば、360を基準→1として、その何倍か、というような数値を見たい場合は、
3つとも基準と...続きを読む


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