日本の1960年代と1970年代、それぞれの特徴を教えてください。
簡単でもかまいませんので、よろしくお願いします。

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A 回答 (3件)

2つの年代を分かつエポックメイキングな事は、1964年の東京オリンピックと1973年のオイルショックでしょう。


戦後復興を確信させたオリンピックの開催を挟み、日本は「奇跡」と言われる経済成長を実現し、家庭には次々に新しい家電が増えて行き、学校ではプールなどの新たな施設が、一般では新幹線や空港・道路等が作られて行き、「今日より明日が良くなる」と皆が信じた時期でした。
政治的には、世界中の先進国で主に米国のベトナム戦争反対から出発した学生運動が激化し、日本でも日米安保条約の改定を前に学生運動が空前の盛り上がりを見せた時期でもありました。
単純に言えば、「全てに積極的な発展途上」と言う事と、「真面目に日本・自分の人生」を考える事ができ、それを恥ずかしげも無く公言出来た時期と言う事ができます。
1973年に発生したオイルショックはその楽観主義に鉄槌を加え、人々は緊急避難的に自己保身に走りました。
最近話題になった「内定取り消し」は当時始めて大量発生しましたし、初任給6万円が翌年には10万円を越えるといった狂騒インフレにより、多くの人々は「これまで得てきた」成果を守る方向で考え出しました。
一種のファッションでもあった学生運動の熱は一気に冷め、他の国で在った様に再燃する事は二度とありませんでした。
一旦落ち込んだ経済を立て直すため、国を論じていた人達は「食うための所属企業」を栄えさせる為に、一種の悲壮感・使命感を混在させた企業戦士として仕事に没頭し、結果的にはオイルショックに最も早く順応した強みを生かし、再度長い右肩上がりの経済成長を復活させました。
生活的には「家を買う」と言うのが一つの大きな目標となり、新たな家電は買い換え需要はあっても「夢」とは成りえないまで、個人の所得は大きくなっていました。
言葉にすれば、「夢を語る程初ではなく、現実的小さな目標を追う」時代で、経済発展に伴い新しい文化が発信され始めた時代でもありました。
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まず電気製品が違う。


60年代は洗濯機、冷蔵庫、テレビが三種の神器。洗濯機以前は金ダライに木製の洗濯板に粉石けんでゴシゴシだ。洗濯機も初めは脱水層のない物で、手回しのローラー式絞り機がついておった。
冷蔵庫も今の物とは違って随分小型で、1ドアの物。冷蔵庫以前はアイスボックスといって氷を中に入れて冷やすものだった。ゆえに昔は氷屋がいて、ノコギリで氷を切り自転車付きの大八車に乗せ、氷の上にムシロを被せて注文配達しておった。(60年中頃までは、こういう光景はよく見られた。)

テレビも最初は白黒テレビで真空管式の小型の物。チャンネルもガチャガチャと回すヤツでリモコンも無し。それでも大事なものだから、上から別珍のような緞帳を垂らして、ブラウン管を保護していた。馬鹿にしてはいけない。当時の貨幣価値としては、テレビは随分な高額商品であった。思えば現在はテレビも随分と安くなってはいる。

プラスチック製品が普及しだしたのも60年代に入ってからである。
それまではオモチャも木製、竹製、紙製、ブリキ製品が主流であった。
プラモデルなども子供たちの人気商品となる。人形もセルロイド製やビニール製が主流となる。
70年代でもこの傾向は残るが、オモチャは操作系のものが増える。ラジコン製品、レーシングカー、人形なども工夫を凝らしたもの。(正確にいえば、60年後半からである。)

バスも60年代は、前部が出っ張ったボンネットバスが主流で、鉄道もまだ蒸気機関車が走っていた。70年代に入るとこれらは急速に姿を消し、今ある形状のバス、蒸気機関車に代わってディーゼルカーや電車が主流になる。(正確には60年後半からである。)

70年代に入ると三種の神器は、カラーテレビ、クーラー、車、いわゆる3Cにとって代わる。
しかし当初は、カラーテレビも相変わらずのチャンネルガチャガチャでリモコンなし、クーラーもエアコンと違って暖房や除湿は無しで冷房のみ、洗濯機は脱水層付きの物が主流、冷蔵庫も2ドア式の物が主流となる。
車も1600cc以下の小型車が主流だった。(トヨタカローラ、ニッサンサニー、三菱ギャラン、マツダファミリアなど。)

60年代の代表的イベントは、東京オリンピック。重量挙げの三宅選手やバレーボールの東洋の魔女たちは、特に注目を集める。マラソンのアベベ、悲運の円谷幸吉。スポーツ根性がまだまだ神聖視されていた時期だ。マンガやテレビでもスポ根ものや青春ものが人気を集める。
70年代の代表的なイベントは70年の大阪万国博覧会、通称大阪万博。
「人類の進歩と調和」がテーマとなるも、あまりの入場行列の長さから、「人類の辛抱と長蛇」と揶揄される。(アメリカ館と日本館が多かったが、その他はそうでもなかった。)
特に月の石を陳列したアメリカ館は何重にも行列をなし、待ち時間が4~5時間だったか、炎天下のさなか、冗談はよし子さんよとばかり筆者はとうとう入れなかった。
帰りの電車の中で年配者はクタクタになって床のうえにへたり込み、筆者は当時まだ中学生だったが、満員電車のなかで手が若い女の尻に触れてしまい、もの凄い剣幕でくってかかられた事もあったが、女もそうとう疲れて苛立っていたものと思われる。
とんだイベントもあったものよ。

総括して言えば、60年代はまだ人力に頼るところが多かったため、人は能動的であったが、70年代に入ると急速に便利化が進んだため、人は受動的になったといえよう。
どうも60年後半と70年初めあたりが重なるが、60年代と70年代に境があるというよりも、昭和40年あたりを境界線にした方が正確かもしれない。
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