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この間友達と飲んでいる時にこのような議題が上がりました。

「何で古文、漢文を勉強する必要があるんだ?」

私は既に社会人になってますので古文漢文を勉強する機会はもう無いでしょうが
学生時に古文漢文を勉強する必要性が分かりません。

数学、物理、化学等の理系科目は開発力の強い日本には必須な学問でしょう。
仕事と直結している人も多いと思います。
現代文、英語は言うまでもないでしょう。

歴史や地理の勉強は国民の意思の統一や、どこの国がどういう道を歩んできたか
仕事に直結する部分は少ないかもしれませんが、どういう国を支持している政党が
危ないか等、やはり必要な学問であることは分かります。


では古文、漢文はどうか?

「学生時に古文、漢文を勉強する機会を与えないと考古学者が減るんじゃないか?」
という意見が第一に上がりました。まぁ確かにその通りでしょう
「しかしその理屈なら、学生の時に恐竜の勉強はしなかったよな。恐竜の勉強していればもっと古生物学者?が増えたはずだ。だけどやらないのはそんなのは全国民が知る必要のない学問だからだ。
興味があれば大学とかで個人が選択して取ればよいのであって、古文も恐竜もわざわざ全国民が勉強する必要はないんじゃないか」
と回答が来ました

「昔の書物が読めなくなるんじゃないか?」
という意見もありましたが
「昔の書物が読みたければプロが翻訳した本を読めばいいだろう。原文が読める必要はあるのか?」
と、なかなか必要性が思い浮かびません

「古文読むことによって感受性が豊かになるんじゃ?」
「お前古文勉強してた時、感受性豊かになったか?」
「いや、古文勉強してる時は嫌で嫌で仕方なかった」
「俺も嫌いだったな古文は」
友達は理系が多い為、古文には嫌な思い出が多かったようです
学生時に周りで古文好きな人はあんまりいなかったなぁという印象があります(今は違うんですかね?)

「古文が無くなったら古文の先生が困るんじゃね?」
「そんなことの為に古文勉強してるのかよw」

結局必要性は出てきませんでした。

古文を勉強してマイナスになることはないでしょう。
ただプラス面が思いつきません。
学生の限られた時間の中で全国民が古文を勉強する必要はあるんでしょうか
(受験の為だとかそういう回答ではなく根本的な必要性についてお願いします)

A 回答 (10件)

 いろいろ書きましたが、現代の古典の授業にも問題があります。

あまりにもやさしすぎ、入試ですら推薦入学が半分以上で、専門学校化していますから、ましてや「教養」などほっとかれるのでしょう。

 もともと、「勉強」は、洋の東西を問わず「古典」でした。古代ギリシアや中国などはともかく。技術の未熟さと経済的な理由ゆえ、「新しいことを開発する」より「今分かっている知の体系を受け継ぐ」ことを優先しました。それはつまり、「これだけのことが分かっている」を学ぶことであり、「こうやって考えられてきた」を知ることでもありました。当然、昔の言葉で書かれていますが、気にしません。これも洋の東西を問わず、「文字」は「記録するための記号」として発明されたので、言文一致体ですらありません。表音文字の国ですら、です。だから、「今」書く文章も「昔」の文章です。そうやって薬学も数学も哲学も文学も音楽も勉強しました。
 ところが現在、古典の授業のテキストと言えば、日記(もっとも日本の女流日記は晩年の回想録だが)だの昔話だの俳諧だの、「今分かっている知の体系」とは程遠いです。実際、数学も音楽も現代語の方が分かりやすいし。そういう分野の勉強を古典でしていたら、人生何回あっても足りませんし、とても頭のいい人にだけしか分からないという、昔に逆戻りです。
 というわけで、「今までの知の体系」は、細々と「言葉遣いのバリエーション」と、「自分の国の文化や感性のなりたち」などという、「興味のない人にはどうでもいい分野」に限定されているのが現状です。
 もっとも、古典に限らずちゃんとやった人(教養のある人)とやってない人では、「話が通じるか通じないか」で大いに差がありますが、これも「目に見えた利益に繫がらない」ことです。
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日本にかぎらず,古典は教養の1つの核です。

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 理系の側から追加。


 私の父は戦争中に学童疎開していました。戦後、みんなシラミがわいて体中かゆくて夜も眠れなかったらしいです。ある日、復員してきた大学生が、転がっていた不発弾をドライバーで信管をはずして、解体して黄色い物体をナイフでちょっと切り取り、風呂に放り込み、「これで痒いのは治るよ」と言いました。硫黄です。着ている服も放り込みました。もちろんその晩からみんなのかゆみは治まりました。さて、理系の学生は兵役免除でした。実際、その人は「文科」つまり当時の言葉で「文学部」だったのです。教養と言うのはこういうことを言います。
 「古文など必要ない」。今のあなたの「暮らし」ではそうでしょう。しかし人生で何が必要になるか、若いうちは分かりません。「必要」なものだけが「有用」ではありません。
 「お、君、そんなことが出来るのか」という出会いが、人生を大きく変えることもあります。会議の席上で、「どんな分野でも、経験者ほどありがたいものはない」などと言った人がいました。600年以上前に『徒然草』に書かれています。恥ずかしいですよ。「これは良いアイデアだ」と思って言ったのが何百年も何千年も前に言われているせりふだったら。本当に教養のある人に、「こいつとは話ができない」と思われたら。
 社会人としての経験をひとつ追加すると、

 理系の実用学問一本で生きてきた人の「説明」は、「わかりにくい」。こっちが「分からない」と言うと、「何で分からないの?」みたいな口調になる。早い話が「視野の狭い人」。文系の場合はまだ、いろいろな「言い回し」を出すので、なんとか「理解」にたどり着けることが多い。
 
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この回答へのお礼

人生で何が必要なるか分からない。どんな分野でも勉強しておけば役に立つことがあるかもしれない。

なら何故学生時代に恐竜の勉強を必須科目としないのでしょうか?
(私は恐竜が好きなわけではありません、分かりやすく例えとしてあげてるだけです)

お礼日時:2009/08/06 15:11

古文を勉強する必要について書きます。


たまたま「古文」から何のインスピレーションも受けなかった仲間が集まったんですね・・・w

現代の我々の世界は突然発生した物ではありません。
長い歴史の中で人々が積み上げてきた物です。
そのために全ての学問は長い時間をかけて現代の考え方に到達するまでの発想やその過程を教えるのです。
最新のことだけ教えるのならあんなに時間は要りませんよねw

今回は「古文」ですが、文系の方から見れば「なぜ数学を」という話になるのではないでしょうか?
スポーツ選手にならないからと言って体育はしませんか?
また必要不必要は誰が決めるのでしょうか?

学生には開けた未来があります。
各人がどんな可能性を秘めてるかなんて誰にも分かりません。
だから各人の潜在能力を引き出すために様々な学問があり、多様な可能性を引き出すために機会を提供しているのです。

ただし日本の教育が暗記や詰め込むことしか考えていないことは問題ですが、これは別の話です。

居酒屋の与太話にマジレスしちゃいました・・・
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この回答へのお礼

文字の歴史(古文)の勉強はするのに、何故生物の歴史(古生物)の勉強はしないのでしょうか
興味を引き出す為には全ての学問の基礎を全国民に教えなければならないのでしょうか?

英語や数学、国語(現代文)は多くの職業で必要としているのは事実であり将来必要となる可能性の高い学問は必須で教え、
極めて限定的な職業(考古学者、古生物学者)に必要な学問は選択でよいのではないでしょうか?

職業でなく、興味として古文を読むという人もいるかと思いますが、
それは良いと思います。その為に古文を勉強することは見識を深めるということでも有意義なことでしょう。
でもその為に興味を持ってない人にも必須で勉強させるのはいかがなものかと思います。

お礼日時:2009/08/06 15:48

教養とは、役に立つとかたたないとかの次元ではないものだからです。


〉理系科目は開発のために必要
開発に携わらない人には不要です。
英語にしても、まるで読めない、話せない日本人が大多数ですが、別に困っているようには思えません。

最近は高校就学率が上がってきたので、高卒と言っても或いは大学生と言っても「高学力ではない高学歴」が増えてきました。分数の出来ない大学生が話題になったのはちょっと前ですが、いまでは入学前に宿題をさせています。推薦入試で入学する生徒が増え、まる半年間、勉強らしいことをしていないために目に見えて学力が低いそうです。大学の第二外国語すらもなくなってきてるそうですから、どれだけ金集めのために学校のレベルを落とせば気が済むのか、高校や大学を専門学校化すれば気が済むのか、と思います。

「中学を出ていたら、これくらいはできる。」
「高校を出ていたら、これくらいは分かる」
「この英語ちょっと訳してくれ」「えー僕理系ですよ」「いいからいいから、高校出てるんだろ。これくらい読めるだろ」(「英語」を「計算」「歴史」「体育」に変えても同じ)
 なお、仏文学者の堀内大学は、初めはフランス語の成績が劣等生でした(せいせき表が残っています)。人間、機会がなかったら花開かない才能というのもあるものです。

モーニング娘の初期の頃、楽屋で娘たちに勉強を教えていたADは、京大と東大卒だったらしいです(新聞で読みました)。早稲田でも慶応でもないのは、文型でも数学が分かり、理系でも古文が分かるという「教養」において優れているからです。

また、今でも古文と漢文は使います。スピーチや挨拶や新聞の見出しや重々しく伝えたいときや、かっこよい表現にしたいとき。
「応答せよ」「連勝ならず」「知られざる世界」「美しき思い出」「着信アリ」「過ぎ去りし日々の夢」・・・
いろいろな表現を使えると言うことは、簡単な言葉しか使えない人よりも、細やかなコミュニケーションを図れるというのは、社会人としての経験から、確かなことです。

「漢文がないので青年奮起せず」という川柳があります。」
「燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや」などと言った言葉を胸に秘めて、昔の青年は奮起したのでしょう。

スポーツをしないから体育の授業は不要だ、というのと同じです。
教養とは、そんな功利主義とは別次元のものです。
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古文漢文は現代の日本語にも通じているものがあります。


「さらば与えられん」「念ずれば通ず」など今でも見かける言葉は多いですが、ある程度古典文法を理解していないと容易に間違った解釈をしてしまう言葉って多いですよね。
やはり、勉強は必要だなぁと感じます。

高校出てから、二次方程式を一つもといたことがないという人はよくいますが、そういう人にとっては古文のほうが肥やしになっているんじゃないでしょうか。
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> 興味があれば大学とかで個人が選択して取ればよいのであって


その前段でやって見なきゃ興味さえ湧かないでしょう。
中学とか高校でやって見て興味が出るから、大学で選択できるのだと思いますけど。
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恐竜など古生物を研究するための基礎は高校までに学ぶ生物学や化学、地学です。


対して、歴史学や考古学、国文学などを研究するための基礎が古文漢文です。引き合いに出すレベルが違うと思います。

古文・漢文が読めないと歴史の研究ができません。
歴史学・考古学・宗教学などを学ぶならや大学では古文書学(こもんじょがく)といって古文書そのものの読み方を学ばねばなりませんが、その時点で古文・漢文と言う基礎が無ければ何もできません。

また、文学としての古文・漢文についても
>お前古文勉強してた時、感受性豊かになったか?
ならないひとも多いと思います。私自身も文学として楽しむことは到底できませんでした。というか今も無理です。
が、中学の古文で初めて源氏物語を読んでとりこになりました、なんていう女性は案外多いものです。
自分たちの経験や感性だけを尺度にして価値を測ってはいけません。
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古文は、昨日書かれた文章をず~っとさかのぼっていく、昔の人間のダイレクトな思考を読み取るための勉強です。


文字って小学生のとき習った漢字が、大人になると変化したりするんですよ。それもここ数十年でも。
最近ですと「そういう」が「そうゆう」に急激に変化しています。

その延長線がたった4世代、ひいおじいさんが使ってた150年前の常用文書だった漢文です。
専門家が解読して翻訳する文章ではない、レ点などルールも今日までしっかり残っている昨日の文書を読む日常能力。
学が學でも読めるようになっておかないと、昨日の記録が読み返せなくなり、歴史以前に、繋がっている文化のすべてが野球のスコアすら断絶します。
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目先の利に繋がらなくとも、ここは日本だという事を考えると、やはり教育の過程に含めるのは歴史同様に必然なのではないかと思います。


教養としてもハイクラスのものなので、日本社会をハイクラスに生きたい人は皆身につけたいと思う教養です。
また、今後新たな文献が見つかった際に、その翻訳してくれるプロがいないと困りますよね。
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この回答へのお礼

ハイクラスなものであるのは分かります。しかしハイクラスな学問を日本人全員が勉強する必要はあるんでしょうか。
最近はゆとり教育のせいなのか日本の理系能力が世界ランク的に落ちてると聞いたことがあります。
ハイクラスに生きる為には理系をもっと重視した方が有効なのではないでしょうか

新たな文献についても仮に古文を必修でなくし選択科目としても古文を勉強する人はいるでしょう。その中に興味を持った人は考古学者になると思います。必須でなくなったら翻訳する人は0になる ということはないでしょう

お礼日時:2009/08/06 11:50

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