1)武士の切腹はいつ頃からはじまったものでしょうか?
2)なぜ「はらをきること」が侍の不始末のおわびの形になったのでしょう?
3)武家の子女ははらをきらず、のどに短刀をつきたてますが、なぜはらはきらないのでしょう?
4)のどVSはら、ではまだはらのほうがやりやすいと思いますが、子女にイタイやりかたをさせるのは武士の美学に反するのではないでしょうか?
5)他の文化圏でも「はらきり」に類するものはあるでしょうか?西洋の騎士や中国の武将などはどのように「おわび」していたのでしょう?

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A 回答 (3件)

確か、切腹はそもそも責任を取るとか処罰じゃなくて、戦場で負け戦になって自分の首が取られそうな時、相手に首を取られて恥をさらすよりは自分で・・・ということじゃなかったかな?


武士は何より恥をさらすことを嫌いましたからね。ある意味勇者の証みたいなものでしょうか?

また、切腹の方法も介錯のつく他刀式とつかない自刀式があったそうです。

他刀式は、皆さんも述べているようにお腹を刺したら介錯が後ろから切りつける、自刀式は、お腹を横一文字もしくは数字の4の字に切り裂いて、刀を一度抜き、首筋に当てて引き頸動脈を切断するか、心臓に突き立てるということだったようです。

実際には気の弱い人は、お腹を刺しただけで失神したり、貧血で伸びちゃってお腹に刺した刀を抜けなかったりってのがけっこうあったようです。

また、戦場では、のどに小刀の切っ先を当てて、頭から落馬するという方法もあったらしいです。

あと、お腹と首では、意識を失うまでの時間は、間違えなく頸動脈を切断した方が早いので、どっちが痛いかは???ですね。

西洋では自分で死ぬという思想そのものがなかったみたいです。
相手に処刑されるまで生き延びるのが普通だったみたいです。
中国とかでもそのようですね。

三国志の関羽なんか、曹操の軍門に下っても戻ってきちゃいますしね。
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musutanfaさん、こんにちは。


武士のことを「もののふ」などといったりしますが、この「ふ」
とは内臓(腑)のことを指すのではないでしょうか。
「肝が太い」ということわざにもあるように、ここには武士の
魂が宿っていたと信じられていたのだと思います。
ある合戦の時、もはやこれまでと思ったある武将が、腹を割いて内臓を引き抜いた
というエピソードもあるほどです。
ですから切腹は武士の魂を捨てることだとおもわれていたのでしょう。
腹だけではとても長く苦痛を伴い見苦しいので、介錯人がいました。
そんなこともあって、やがて、切腹は形だけになって、早々と介錯人が
首を落としてしまうこともあったようです。
女子供も自害の練習はしていましたが、なかなかうまくはいかなかったようです。
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切腹の起源については参考URLを見てみて下さい。



切腹は武士の責任の取り方であったので「武士」ではない子女は腹切りは出来なかったのではないでしょうか。

4についてですが切腹ってそう簡単に死ねるものではないのでかなり長く苦痛を伴ったりするようです。
のどとどっちがと言えばのどの方が苦痛の時間は少ないでしょう。

参考URL:http://basara.to/mon.html
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