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自分への戒めとしてこの言葉を思い出したときに、
一歩下がった視点で物事を見つめられるから好きなのですが
座右の銘として使う言葉ではないですか?
あまり座右の銘としている人を聞かないので不安になりました。

よろしくお願いします。

A 回答 (6件)

座右の銘が「木を見て森を見ず」だと「私は細部は気にするけど、全体には興味無い人だから」と言っているように感じてしまうのですが、自分への戒め、ですから実際はそうじゃないんですよね?


座右の銘にするなら「木も見て、森も見る」にする方が良いと思います。

そもそも「木を見て森を見ず 木を見て森を見ず」がセットになっている言葉です。全体も細部も、片方だけじゃ良くないよ、と。
有名な言葉ですから「木も見て、森も見る」は定型文じゃないですけれど、人には通じると思います。
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この回答へのお礼

なるほど。ありがとうございます。

お礼日時:2009/08/13 12:10

「木を見て森を見ず」を「座右の銘」として、人に伝えるのには、皆様が仰るとおり、やはり違和感を感じます。


が戒めとしては、良い言葉なので、ご自身の中での大切な言葉と位置づけて人生の伴侶とされるのは良いことだと思います。

これは、実は私もそうだからです。
座右の銘とは言えないけれど、「肝心なときには必ずこれ!」という言葉が私にはあります。
「温故知新」・・・これは私の伴侶となっている大切な言葉で、それを感じるときは驚きと感動が波として押し寄せてきます。
常日頃、「座右の銘」ではないよなあ?と自答し続けましたが、今は伴侶と位置づけています。(私の場合)人前では「座右の銘」は「温故知新です。」とは、言いませんが、座右の銘のように「常に自分と共にある大切な言葉」です。
 参考になれば幸いです。自分と共にある言葉は大切にされると良いと思います。
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この回答へのお礼

私も温故知新は好きです。
ありがとうございます。

お礼日時:2009/08/13 12:12

「木も森も見よ」のように書きなおすのはどうでしょうか。

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この回答へのお礼

いいですね
ありがとうございます。

お礼日時:2009/08/13 12:11

目の前の、小さな部分にとらわれて、全体が見えていないという状態をいう言葉なので、それを「座右の銘」といわれると、ちょっと「えっ?」と思ってしまうだろうなぁ、とは思います。

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この回答へのお礼

確かにそうですね。ありがとうございます。

お礼日時:2009/08/13 12:11

 大抵の場合、目標・理想とするものを座右の銘に掲げるので、違和感を感じてしまうのでしょう。


『木を見て森を見ず』が座右の銘と言われると、「身近のことしか考えないことを信条にしている。」と思うでしょうね。(^_^;)
できれば「大きな視点で~。」というようなものにした方が無難です。
例えば、荀子の言葉とされている『着眼大局 着手小局』などいかがでしょうか??
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この回答へのお礼

いい言葉ですね。
ありがとうございます。

お礼日時:2009/08/13 12:11

今はあまり良い意味で使われる言葉ではないですからね。


座右の銘と位置付けるには若干の抵抗を感じます。
おっしゃる通り、戒めと言う方がしっくりきます。

そう言う意味で座右の銘とするなら
「一を聞いて十を知る」
なのかなぁ。
ちょっと弱いですね。
勉強不足ですいません。
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この回答へのお礼

確かによい意味には捉えられえないですよね。
ありがとうございます。

お礼日時:2009/08/13 12:10

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