No.3
- 回答日時:
この頃のドイツ人は,
ヴァルター=ベンヤミンに限らず,観念論的ですね.
教育学のルドルフ=シュタイナー然りです.
だから形而上的と思えるだけで,
実際にそんなに形而上的ではないように思いますけど.
芸術が時代とは深く結び付いていて,
複製芸術と言うパラダイムを創出したところには大きな意義があるのでしょう.
No.2
- 回答日時:
形而上学なしで哲学が体をなすとはとても思えないstomachmanです。
表立ってはいなくても、要領よくものごとを整理し、説明できる体系の骨組みとして、哲学の蔭に必ず形而上学があるのではなかろうか。で、そいつが予測能力・予見力を発揮すれば、それは誠に結構なんじゃないでしょうか。
物理学にしたって、quarkや超弦が実際直接に観測できるわけじゃない、という意味で形而上学には違いないとおもうんですが、いかがでしょう。
No.1ベストアンサー
- 回答日時:
まず「形而上学」について軽く。
アリストテレスは前ソクラテス期の伝統に回帰して『自然について』(ta physika)を書いています。そしてその後、その自然を基礎付けている根拠・本質を論じる一群の著作を残しました。アンドロニコスという人物が、アリストテレスの著作を整理・編集するにあたって、それら一群の著作を『自然について』の「後に(meta)」置いたのです。で、meta-phyisika=形而上学。なんだかダジャレみたいな話です。
形而上学という学のスタイルはここに根があります。具体的に存在していて、目で見るなど感覚で捉えることのできる「自然・形あるもの」を超えて、その基礎付けをしている本質。そういう、感覚で直接捉えることができず「形を超えて」あるはずのものを探究するのが形而上学です。
そういうものですから、自然科学を代表とする実証主義(経験に基づき、追試・検証可能なもののみを真と認める)からは否定的に見られます。御指摘のように、現代思想の主要な流れも、近代という時代を撃つために、人を縛ってきた旧来の価値観やイデオロギーを解体するために、おおむね「形而上学」を批判しています。
例えばニーチェは、プラトンの言う「イデア」やキリスト教道徳の善を「虚無を覆うための仮構」として否定します。その限りで彼は「反・形而上学者」でした。が、そのニーチェも、ハイデガーに言わせれば「最後の形而上学者」となります。事物の存在に「力への意志」という「形を超えたもの」を認めていたからです。さらにそのハイデガーも、カルナップら論理実証主義の立場からは「擬似命題をもてあそぶ」形而上学者ということになります。「形而上学」って、なんだかとってもひどい悪口のようです。
ただ、人によっては形而上学に立脚の余地を認めることもあります。先にご紹介したレヴィナスや、その他にもサルトルなんかですと、「他者」を「我」と絶対的に切り離された存在と捉え、その不連続性を強調しますから、「形を超え、経験できないもの」を扱わざるをえなくなります。そうなると、多少なりとも形而上学性を帯びてきます。バリバリ現役のハーバーマスなんて人でさえ、コミュニケーション的行為を語る場面で、この「他者性」についてポロリと「形而上学」などと口走ることもあるくらいです。
それで、ベンヤミンです。
まず一つ、彼は必ずしも「哲学者」というわけではなくて、芸術論や文明論を遺した「批評家」です。必ずしも西洋哲学の伝統や折り目正しい論理に縛られていたわけではありません。体系的な思想を構築したわけでもない。むしろ鋭いセンスで何かをえぐり出す。そういうタイプの人です。ロラン・バルトみたいな。ですから、彼の思想を体系的に捉えて「形而上学」と性格付けすること自体、ちょっと無理っぽいのです。
おそらく、ベンヤミンの思想で、一番「ロマン主義的で形而上学的」と見えるのは「アウラ」でしょうか。「いかに近くとも、はるか遠くにあるものの一回限りの現象」として、美にそなわった絶対的な荘厳さのことでしたね。「今ここで」という一回性の中でのみ、感受できるもの。しかしそれは、映画など「複製可能な」作品形態が流布するにつれて失われてしまった…と。
たしかにこの概念は形而上学的に見えます。必ずしも主観の内部で自分が勝手に感じるものではなく、美的対象にそなわった性格と言えますし、しかも「一回きり」で反復不能。ということは「実証」不可能です。この点、形而上学的観念の性格を帯びます。
けれど、やはりこれは「芸術理論上の概念」です。「テレビで見るドラマに比べて、劇場で見るナマの演劇は…」といった対比を通じて浮かび上がってくる「一回きりの感動」を説明する概念です。ですから、これは上に書いたような「旧来の価値観やイデオロギー」には該当せず、むしろ逆に、芸術の近代的形態によって壊されてしまったものを救い出そうとする作業ですから、現代思想からも評価されるのも当然なのです。
その他にベンヤミンが評価される理由を挙げてみますと、まず「先見性」があると思います。シュルレアリスムやアヴァンギャルド芸術の可能性に、いち早く注目したのも彼の鋭い眼差しでしたし、「知識人の政治化」を論じているところは(『一方通行路』)、政治にコミットしていくサルトルやメルロ=ポンティ、フーコーのような知識人の姿を先取りしています。
また、遺稿となった『歴史の概念について』では、「歴史は常に勝者の視点でしか記述されない」と述べており、このあたり、レヴィナスを先取りしているとも言えそうです。
そういうことですから、「まとまった思想を遺した」ということよりも、その鋭い眼差しとセンスで、今なお現代思想に新鮮な刺激を与え続けているということが、現代思想の中で彼が評価されている理由でしょう。
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