初めて自分の家と他人の家が違う、と意識した時

>日本はなぜアメリカと戦争したのでしょう。
>はめられ説、侵略説その他いろいろの説があるようですが、大勢の方々のご見解をお聞かせください。

A 回答 (18件中11~18件)

アメリカとしては極東(中国)での利権が欲しい。

ヨーロッパ諸国のアジア進出にアメリカは一歩も二歩も遅れを取っていましたからね。しかし、進出するためには日本が邪魔になる。そこでアメリカは考えました。日本から石油を絞り出して挑発すれば戦争になる。それを叩けば極東に進出できる、と。

日本としては戦争はしたくありません。勝てませんから。かの山本五十六は「初め半年や1年の間は随分暴れてご覧に入れる。然しながら、2年3年となれば全く確信は持てぬ。」と言ったそうです。しかし、日本が譲歩に譲歩を重ねてもアメリカは一歩も引きません(アメリカの意図を考慮すれば、当然と言えば当然ですが...)。ついに日本は資源を求めて開戦してしまったのです。

マスコミが煽りに煽り政界が政府の尻を叩いていた訳で、結局日本は誰が政治をやったとしても開戦は避けれなかったと思います。ある一方の視点から見れば日本の防衛戦争であり、天然資源を求めての戦争です。また別の視点から見れば侵略戦争であったり、アジアの植民地独立を成し遂げた戦争です。視点によっていろんな見方が出来ます。

この回答への補足

 これは質問者によるお礼の補足で、No.9ご回答者へのお礼の続きでもあります。
 私は前記のとおり考えますので、「誰が政治をやったとしてもアメリカとの開戦は避けられなかった」とはとても思えません。石原莞爾中将は昭和16年の初めに、「平和を乱した東条(英機大将)と梅津(美治郎大将)を捕らえて銃殺刑に処すべし」と京都帝国大学で京都府知事などを前に講演し、東条の逆鱗に触れ陸軍を追われた由です。石原莞爾が陸軍の実権を掌握していたら、日中戦争は起きないか、起きても和平していたと思います。そうすればハルノートはなかったか、あっても緩やかな内容だったでしょう。マスコミが煽った事実はあったでしょうが、政治結社東方会総裁中野正剛(元・朝日新聞記者)は、東条内閣を公然と批判し、憲兵隊に連行され厳しく取り調べを受け、憲兵2名が自宅に住み込むに及び割腹自殺しました。当時は特高・憲兵が監視していて、到底公然と政府や軍部を批判できない状況にあったようです。それでも、昭和17年10月に大阪の主婦が「こんな戦争は早く止めて下さい。うちは貧乏だから国債は買えません。国債を買わないと隣組の組長からよそへ行けと言われ、配給のものも分けてもらえません。日本は負けてもいいから早く戦争をやめてください。」との手紙を東条首相に宛てに出しています(特高が押収したものが残っています)。その他にも、天皇批判の手紙など多数の反戦資料が大阪の図書館で展示されました。
 米英などの挑発もあったでしょうが、挑発に乗らない賢さが必要ではなかったのでしょうか。
 日清・日露戦争も、楽勝ではなかったと思います。日清戦争後の三国干渉に対し、無謀に反発していたら日本はロシアにつぶされ、ロシアの一部にされていたかも知れません。ここでじっと耐え、その後の日露戦争では戦力を消耗し尽くしたことを隠して賠償金なしの講和を結んだ薩長の賢明さを、岩手県人は学ばず、日本を滅ぼしたと私は思います。
 私は別の質問として、「戦争による利益はあったのか」を問いました。「帝国主義が消滅し民主主義の平和な国になった」との考えもあるでしょうが、そのために310万人もの人々が犠牲となり、莫大な経済的損失を被る必要があったのでしょうか。戦争の結果(特に原爆、大空襲などを受けての敗戦)を知っていたら、誰も戦争を始めなかったでしょう。ということは、アメリカとの開戦は大きな誤りであり、戦争による利益などなかったということです。
 必要なことは、いかにして戦争を回避するか、ということではないでしょうか。
 余談ですが、関西人はお笑い(文化)と商売(ビジネス)に力を入れるものの、戦争はしません(大阪の歩兵第八連体は弱いことで有名でした)。 したがって関西からは軍人も政治家も出ません。堺の商人あがりの小西行長は秀吉をだまして一旦は朝鮮との講和を結ばせました。日露戦争のころ、堺の与謝野晶子が「君死にたもうことなかれ」と、反戦歌を詠んだことはよく知られています。岩手県人もこのように怜悧で優雅であったならば、あの戦争はなかったのでは、と愚考しています。

補足日時:2009/08/16 02:31
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございました。十分参考になりました。

お礼日時:2009/08/15 11:11

明治憲法で天皇による独裁が許されいて、神である天皇に直属する軍部が摂政関白のごとき権力をもってしまったからです。

彼らは、アメリカに勝てると妄想していました。
現代の日本も、世襲党や宗教党が権力をもっていて危ないです。裏で、引退した政治家や、宗教の教祖が、摂政関白のごとき実権を握ってしまっています。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 ありがとうございました。興味深いご回答でした。

お礼日時:2009/08/15 11:14

私の見方は変わっていますが「遅れてきた帝国主義」です。


もし鎖国を行わなければ、シベリアやオーストラリアが日本領になることもありえました。
あとは約1名を除いて、前の方の仰ってた通りだと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 なるほど、変わってはいますが新たな視点でしょうか。ありがとうございました。

お礼日時:2009/08/15 11:16

まず中国に侵略戦争(ただし日本は戦争ではなく事変としていた)


していたので、当時石油やら鉄鋼の主要依存先のアメリカが
経済制裁すると脅してきた。
(アメリカの思惑には平和維持だけではなく、
中国利権を自分も得たいというのもあったので
日本の侵略にブレーキをかける意図かと。)

ただし、軍の一部を中心に真に受け、交戦派のなかに
もしアメリカと戦わないなら反乱を起こしてでも戦争すると
いう勢力が無視できないほど大きくなってしまった。(特に陸軍に)
アメリカとの交戦は無謀との考えるグループも
反乱されてアメリカと戦っても勝てるわけない、
どの道、戦争するなら少しでも勝算のあるうちにと
情報操作で勝算をでっち上げ、短期決着作戦を挑んだというのが
私の歴史認識です。

真に勝手ながら、ご覧の方々には異論反論はあろうかと思いますが、
お見逃しをお願い申し上げます。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 踏み込んだ見解ですね。十分参考になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2009/08/15 11:18

日本は1923年に帝国国防方針を改定してアメリカを仮想敵国の第一位としました



そして 1941年11月5日、御前会議で対英米蘭戦争が決定され、6日に南方作戦部隊の戦闘序列が下令され
シンガポール攻略を重視する陸軍はマレーに重点を向け、
アメリカ主力艦隊の迎撃を重視する海軍はフィリピンに重点を向けた
当時 フィリピンは アメリカの植民地です

つまり 真珠湾攻撃より前から 戦争状態であったワケで
騙まし討ちだとする アメリカの主張はシナリオでしかないのです

どうして アメリカを仮想敵国の第一位としたのか
それは 植民地の取り合いなんですね 資源にない日本は植民地が欲しかったということ
アジアの極東における植民地の取り合いが 戦争になったのです
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 このご回答もまた斬新で、とても参考になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2009/08/15 11:19

一番大きな原因は、アメリカが、日本が中国大陸でよろしくやっているのが妬ましかったということです。


日本とすれば、満州は、対露対ソ戦略上、必要不可欠な土地で、更に朝鮮半島と共に、膨大な国家予算をつぎ込んで都市、各種インフラ、工業施設等を整備した土地です。
それで無くとも、蒋介石、スターリン等々、強欲な連中がちょっかいを掛けてきていたので、困っていたところだったのです。
そこにアメリカが「その、うまい話を独り占めするな」と言いがかりをつけて、更に嫌がらせを始めたので、ついつい檄高してしまったというわけです。
テキヤが暴力団に難癖をつけられてショバを奪われたようなものです。
相手は新興勢力で、規模も大きく手段を選ばないギャングなのに、伝統がどうの、しのぎがどうのと、思い切った手が打てずジリ貧になって負けを認めるしかなくなったところなんて、三流劇画のような筋書きですが、実際そのとおりです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 ありがとうございました。たいへん面白いご回答で、参考になりました。

お礼日時:2009/08/15 11:21

あくまで私見ですが・・・


当時は世界不況でした。
欧米主要国はブロック経済を敷き
自国と植民地の間で取引を固める
保護貿易主義が進んでいました。
植民地化に遅れた日本は、貿易も自由にままならず
ジリ貧となっていたのです。
これを打開するために、満州国や朝鮮併合など
軍事力を行使して一気に植民地政策を進めたところ
アメリカの利害関係に触れてしまったというところでしょうか。
正当化するつもりは全くありませんが
にっちもさっちも行かなくなり、国内不満も高まって
まともな軍人なら勝つとは思えない無謀な戦争に、
進まざるを得なかったのではないでしょうか。
したがって、戦後は保護貿易の回避がいつもサミットで話し合われている
のは世界平和を保つ目的もあると考えます。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 ありがとうございました。とてもわかりやすいご回答で、たいへん参考になりました。

お礼日時:2009/08/15 11:23

諸説ありますが、先日、NHKスペシャルでやっていた「日本の海軍の予算獲得のため。

すぐにやめるつもりだった」というのが説得力ありました。今も世の中、予算獲得のために、変なことがたくさん行われています。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 ありがとうございました。でも始めた戦争をすぐやめるのも難しいことですね。恋愛と同じで相手があることなので。

お礼日時:2009/08/15 11:26

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!