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ベルリン世界陸上を毎夜見ています。

気になったのが、1980年代後半に出された世界記録が結構あること。
大体が東欧の選手の記録のようです。

織田祐二がちらっとそのことに触れたあと、「あの時代は色々ありましたからね」みたいなことを言っていました。

それってその当時はドーピングが普通に行われていたってことですか?
だから20年たった今も破られない記録が出せたということ?
織田さんの一言ですごく気になってきました。

ご存知の方がいれば教えてください。

A 回答 (3件)

当時の東側諸国の実情については、他の回答者様が説明されていますので、歴史については割愛いたしますが、ドーピングは今日に至っても無くなっておらず、むしろ、因り巧妙に成って来ています。



また、現在の検査に反応しない禁止薬物も数多く出回っており、記録を出した選手がどこまで事実無根なのか?疑問が残るところです。



>だから20年たった今も破られない記録が出せたということ?

ドーピングをしているからと言って驚異的な記録が出せると言う訳でなく、幾つかの条件が重なった時に、ドーピング選手本人も驚く様な、二度と破られそうも無い記録が出てしまうのです。

現在は参考記録としてしか認められませんが、高地で行われる競技会も、+αで記録が出る条件の1つに上げられます。

因みに個人的見解として、女子800m、1983にクラトフヴィロヴァが出した1.53.28、女子400m、1985年にマリタ、コッホが出した47秒60、女子100m、1988年にフローレンス、ジョイナーが出した10秒49は、ドーピングをしても、後10年は破る事が不可能な驚異的な記録だと思います。

ご参考までに...
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この回答へのお礼

ドーピングってなくならないんでしょうかね。
検査をすり抜けているとすれば、今年のベルリンで出たいくつもの記録(世界新じゃないとしても)も疑ってしまいます。

フローレンス・ジョイナーもドーピングしてたのかも・・と思うとショック。

ありがとうございました。

お礼日時:2009/08/21 21:09

ちなみに80年代の記録は殆ど破られてますよ。

当時国家規模で小国だった東ドイツが陸上の個人種目で活躍したのは国家ぐるみのドーピングだというのは当事者たる選手やマネジャーの証言で事実です。

多くの東ドイツ出身の選手は一線を退いた後にドーピングの後遺症に悩まされていました。勿論当事者の選手は与えられた薬品がドーピングになるとは知らなかったでしょう。しかしドイツ統一後に言論の自由が与えられて与えられた薬品がどのように使われたかを告発しています。こんなことが旧共産圏では平気で行われていたのです。

スポーツによって国家の威厳を世界的にアピールしたいというのは旧東ドイツが一番意識してたと思います。ソウルオリンピックまでは、人口わずか1500万人程の国がメダル獲得数争いでアメリカやソ連と並んで常に上位にいました。旧西ドイツと比べても異常な数でメダリストを輩出していたのです。当時もドーピングが疑われていましたが、現在のように厳格ではありませんでした。

歴史は流れてドイツ統一後に旧西ドイツ主導の下にスポーツ組織も統一されて、旧東ドイツ勢が圧倒的な強さを発揮できなくなった事実を見ればドーピングに頼ってたのは一目瞭然ですね。ただ選手は積極的にドーピングをしたわけではなく組織の上層部が栄養剤云々として選手に提供していたのです。旧東ドイツはそんな社会だったのですよ。
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この回答へのお礼

そんなにメダルとっていたんですね。
バルセロナ五輪以降の記憶しかないので、そう聞くと意外なような、納得のような。

ありがとうございました。

お礼日時:2009/08/21 21:05

ベルリンの壁が崩壊する以前、まだ東ドイツがあった頃、国家を挙げて記録を造る、つまりドーピング等を国家ぐるみで容認していたみたいです。

しかし当時の選手は、ドーピングと知らず、栄養の薬だから…と飲まされていたみたいです。近年になって、その事が暴露されましたが、あの当時の選手達は現在、歩けない等の薬の副作用が出て、苦しんでいるみたいです。
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この回答へのお礼

やっぱりドーピングだったんですね。
ありがとうございます。
それにしても・・歩けないほどとは・・・
びっくりです。

お礼日時:2009/08/21 21:00

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