No.1ベストアンサー
- 回答日時:
日本の場合、原爆が完成できたとして、その運搬手段がありません。
原爆の被害のみが声高に叫ばれますが、その結果が「ズボンよりも原爆を」と呼号した毛沢東とか、スターリンとか、インド、パキスタン、イラン、北朝鮮等の「核さえあれば」という、思い込みを招いたのです。
戦争は、あくまでトータルバランスです。
貧乏人は、金持ちには勝てないのと一緒です。
原爆があるから、あったなら何とかなる、なったのでは、ではなく、例えば中国・韓国のロビー活動のように、また、日露戦争の時日本がやったように、世界中に助けを求めるような、相手の足元をすくうような、我の力の満ち足りたときを敵の力の欠けたときをぶつけるような、「どんな手を使ってでも勝たなくてはならない」という、その意思と指導力こそが大切なのだと思います。
「ハルノート」なんて、当時の常識から言えば、宣戦布告に他なりません。
独立国が独立国に出せる内容ではありません。
日本が、戦後処理と同じく、それを真面目に正面から受けるので、逃げ場を失ったのです。
日本は、枢軸にこだわるのではなく、国際社会の繋がりを活用する必要があったと思います。
つまり、「戦略で既に負けていたのだから、戦術で補いがつくはずが無い」という事です。
No.8
- 回答日時:
日本はご存知の方も多いかと思いますが、兵器の研究・製造など全て陸海軍別個に行われていました。
蛇足かも知れませんが、この「陸海軍によるもう一つの戦争」をやめれば当時の日本軍は当時の5倍にあたる年間5万3000機の飛行機を生産できると言われました。(昭和18年7月 藤原銀次郎行政査察官の報告より)原爆に関しても同じで、その研究は陸海それぞれが独自に行っていました。信じられないような話ですが、同じ研究員がそれぞれの計画で別個の役割を演じていた、なんてこともしばしあったくらいです。
研究のあらましとしてはもちろんのことながら1938年にドイツで核分裂が発見されたことに始まります。日本では1941(昭16)年4月に陸軍が理化学研究所に研究を依頼、中心となった仁科芳雄博士の名を取って「二号研究」と名付けて原爆研究がはじめられます。一方の海軍は翌年の7月に仁科博士に加え長岡半太郎博士を招いて原爆と殺人光線(レーザー兵器のこと)の開発にむけた”物理懇談会”を発足させます。
間もなく海軍はその関心を殺人光線にシフト。原爆研究は陸軍にしぼられます。二号研究はまず大阪大学、住友金属尼崎工場に実験用のウラン分離筒をつくります。陸軍は早速、南方の占領地でウラン235鉱石を探しにかかります。が、鉱脈探しはことごとく失敗。そうこうしているうちに本土空襲がはじまり分離に成功しないうちに施設は破壊されてしまいました。
さてここで海軍が再び登場します。昭和19年に京都大学の荒勝文策博士を中心に原爆研究が開始されます。しかし時既に遅く、分離装置を完成させる前に終戦を迎えています。
この通り陸海軍がばらばらに進めた結果、人力も物資も整わず完成に関しては「もし」を唱えるのはかなり厳しいくらいです。アメリカは日本のこうした研究の進行を尻目に、陸海空共同で国家プロジェクトとして原爆開発を進めます。それには科学者たちをロスアラモスに全員移住させ、総費用20億ドルを確保したのです。
資金や技術の差、というよりは国家としての姿勢のようなところでもう結果は判っていたのではないでしょうか?第一原爆が出来たとしてそれを投下できる飛行機がなく、開発すらしていなかった(富嶽という重爆撃機の構想もあったようですが、企画倒れです)日本にははなから原爆使用の可能性は皆無に等しかったと言えます。
ただ米独の両国に関しては途中まで互角の進行状況であったので、ドイツが堅実な戦略をとっていれば「もし」があり得たかも知れません。そう言う意味では早い者勝ち、戦略の進め方で決まった面も少なからずあると思いますよ。
余談ですが、仁科博士らの研究は戦後GHQによって徹底的に廃棄あるいは破壊されました。そのことで戦後日本の物理は長らく立ち直れず、結果として理論物理の研究者はほとんどがアメリカに流出してしまいました。そうしてアメリカへ行った科学者が今日、ノーベル賞をとっているのですから因果なものです。成功しなかったばかりか、後遺症まで残した原爆研究は完全に失敗でした。
No.7
- 回答日時:
>アメリカよりも資金等が不足して
アメリカがマンハッタン計画に使った費用は当時のお金で20億ドル(103億円)
だったそうです。
戦艦大和なら70隻作れる計算
航空機付き空母なら88隻作れる計算
巡洋艦なら400隻作れる計算
零戦が6万機作れる計算
日本の国力では(最低でも)2年間は全兵器の製造をやめて原爆にまい進しないと…
No.6
- 回答日時:
原爆の製造は当時のアメリカの工業力があったからこそできたわけで、当時の日本では濃縮ウランを必要量製造することは無理でした。
また、仮に作れても運搬が無理でした。当時の日本にB29レベルの爆撃機はありませんでした。一式陸攻に原爆を積んだのでは離陸もできないと思います。No.5
- 回答日時:
>アメリカよりも資金等が不足して実現できなかったみたいなことを耳にしました。
「マルニ計画」の事ですね。
終戦末期、日本で唯一ウラン235鉱山であった福島県石川町(当時は山村に過ぎない)をB29が爆撃しています。
地元に住人は「何故B29が低空で山を標的に爆撃したのか?」理解に苦しんだようです。
また、当時の友好国ドイツからもUボートで日本にウランを輸送中でした。
(このUボート234号は、連合軍に洋上降伏。艦内から日本陸軍宛て酸化ウラン560Kgが見つかっています)
陸軍航空技術研究所と仁科研究所が、共同で原爆を研究していたようですね。
(マルニのニは、仁科の仁(ニ)です)
上記は、93年7月27日産経新聞に載っています。
>日本がもしも先に原爆を作る事ができていたら中国やアメリカに落としていたかもしれないし
原爆実験を行っていませんが、アメリカによる広島・長崎での原爆人体実験よりも早く、日本陸軍もサイパンB29基地への原爆投下を計画していた様です。
当時の陸軍将校(安○中将)は、「この爆弾一個で、400機のB29を破壊できる」と述べていたようです。(子孫の談話)
杉山元帥と東條首相は、昭和天皇に「新爆弾で、ハワイ攻撃」を奏上しています。
>結局早い者勝ちだったのかな?
言葉を選ばなければ、早い者勝ちでした。
当時の日本では、制空権・制海権を失っていますから、実現不可能な作戦でした。
No.4
- 回答日時:
早いもの勝ちといえばそうでしょうね。
ただ、核物質の不足、基礎技術の不足、物資の不足、研究者の不足と完成できるのがおかしい状況でしたから、
あえて予算を割く気もなかったんじゃないかと思います。
運搬手段ならトラックや潜水艦に積んで特攻すりゃいいだけです。
その前に破壊されるのが関の山でしょうが。
もっとも当時は運搬手段は考えていなかったようですが。
No.3
- 回答日時:
テレビドラマを見ましたか
日本の軍部が日本の物理学者を無能と批難したときの物理学者の反応を
原爆など小学生でも作れる、30kgのウランを持ってこい目の前で作ってやる
おわかりでしょう作れないのではなく物がないのです
また原爆があっても勝つことは出来なかったでしょう
どうやって運びますか
実験すればたちまちたたきつぶされたでしょう
後で使える物は温存する
軍事産業はたたきつぶすが道路や鉄道は壊さない
こんなことが出来る相手に勝てるわけがありません
No.2
- 回答日時:
私は詳しくは知りませんが、日本が原爆を完成させるのは無理だと思います。
日本は原爆を完成させるというよりは、研究するという状態であったようです。
理論では原爆の制作の可能性がありましたが、現実には技術的には不可能であったようです。
軍部も分かっていたようで、技術的に難しく、間に合わないから研究くらいの予算しかあたえなかったようです。
アメリカが力を入れて、完成させたくらいですので、国力の低い日本には開発は非常に困難だったようです。
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