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ルーズベルトは日本と戦争したかったので、ハルノートなどで日本を挑発して日本から開戦させたという話がありますよね。実際に当時の議会は戦争反対で、ヨーロッパでイギリス、フランスが痛めつけられていてもアメリカから開戦していません。

それなら日本がイギリス、オランダ、中国とだけ戦っていれば、アメリカから開戦できなかったのではないかという気がします。ルーズベルトがどんなに開戦したくても議会に反対されたらできないと思うので、状況を見ながら必要ならロビー活動などをしながらアメリカを敵にしないように注意していればよかったのではないかと思うのですが。

イギリス、オランダ、中国相手なら実際に日本は勝っていますから、シンガポールが落ちた所で有利な講和に持ち込めると思っているんですがどうなんでしょうか? それで蒋介石援助のルートを遮断してしまえば、中国との戦争も時間の問題となり、大東亜共栄圏ができて日本が盟主になれたと思うんですが。

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A 回答 (10件)

ちょっと前に、アメリカはフセイン・イラク(当時)に対し「お前は大量破壊兵器を持っている。

大人しく差し出せ。差し出さねば戦争だ」と迫りました。当時のフセイン大統領は「そんなもんは持っていない」と反論しますが「隠すとはふてえ野郎だ」といって、とうとう攻め込んでしまいました。米国民はこれを熱狂的に支持します。戦争に慎重な意見を述べた人たちは軒並み「反愛国者」のレッテルを貼られてしまいます。
で、結局のところ「大量破壊兵器ってなかったね」ってことがわかります。つまり、根も葉もない言いがかりをつけて戦争しちゃったわけです。
また、1964年にアメリカ軍の軍艦が北ベトナム(当時)の魚雷艇の攻撃を受けたと発表し反撃、これを口実にアメリカはベトナム戦争に本格介入、いわゆる北爆も開始しました。世にいうトンキン湾事件です。しかし後にこの事件はCIAによってねつ造された事件だということが発覚します。
他にもあります。1990年の湾岸危機の際、アメリカ議会でクウェートから脱出してきたという少女が涙ながらにイラク軍の蛮行を訴えました。彼女は自分の目の前で弟がイラク兵によって惨殺されたといったのです。当初イラクへの介入を嫌がっていたアメリカ国民はこれを見て激高、世論は一気に戦争支持へと傾きます。しかし、実はその少女は「在米クウェート大使」の娘で、湾岸危機発生当時はニューヨークに住んでいたのです。

アングロサクソンは本気になるとそういうことをやる人たちです。つまりアングロサクソンが本気で「戦争をする」となったらねつ造でもなんでもいかなる手段をとっても戦争に持ち込むんです。

太平洋戦争直前に、日本軍はインドシナ(今のベトナム北半分)に進駐します。当時の日本のインテリはみな(軍部も含めて)「ここがギリギリのライン」と思っていました。しかし、これに対してアメリカはくず鉄と石油の禁輸を打ち出します。ここで日本は衝撃を受けました。たぶん、何人かの人は「これはもうアメリカが本気で戦争に持ち込もうとしている」と感じたと思います。

対イギリス、オランダに限定して戦争を始めたとしても、いずれ数年でアメリカは介入したでしょう。おそらく口実はフィリピン沖でアメリカ海軍の艦船が日本軍によって攻撃を受けたとかそういうことになったと思います。
そうなれば、史実と違いフィリピンは米領ですし、グアムなども日本は占領していません。旧英領、オランダ領の占領と維持のために多くの艦船と部隊が必要ですから、フィリピンやグアムを占領するための艦隊と地上部隊は限定されたものになるでしょう。またフィリピンから出航した潜水艦部隊が史実のように通商破壊戦を行えば史実以上のハイペースで南方補給路線は干上がったと思われます。

当時のアメリカにとっての最大の敵はナチスドイツであり、日本は「それが終わった後に片付ければよい相手」でした。実際問題、対日戦では対独戦に勝利するまでは反撃をせずに戦線を維持するのが当初の方針でした。日本が最大版図としたあたりのラインまではアメリカとしても許容範囲内でしたし、あれ以上は日本の補給路では限界だったでしょう。アメリカはミッドウェーまでは落ちてもいいと思っていたんです。
ですが、陸軍ばかりに豊富に予算が回ることに対する海軍のやっかみと、陸軍の稀代の軍人政治家マッカーサーの政治活動で対日戦も反撃せざるを得なかったんです。1944年のフィリピン上陸までは太平洋戦線にいたアメリカの地上部隊は第一、第二海兵師団くらいでした。
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 <ルーズベルトは日本の行動に対して反応していますけど、あくまでも政治的な行動だと思います。

宣戦布告は議会の承認が必要だったと思いますが、ヨーロッパでイギリス、フランスがナチスドイツにぼこぼこにされているにもかかわらず参戦できなかったのに、アメリカにとってはヨーロッパより重要度が低いと思われるアジアでの参戦を議会が承認するという理由がわかりません。ルーズベルトがヨーロッパやアジアに介入したくても当時の議会はアメリカ伝統の孤立主義だったのではありませんか?>

 アメリカにとって、アジアよりもヨーロッパのほうが重要度が低いという判断は、どこから来るのでしょうか。

 第一次大戦前までに、列強は世界中の地域をその勢力圏に組み込もうとしました。
 アメリカのモンロー主義は、ヨーロッパの列強のしのぎ合いには加わらず、基本的には『どの国とも商売をして儲けます』ということです。(ヨーロッパの列強同士はつぶし合いをしてくださいということ。)

 それに対して、アメリカ大陸、特に中南米のスペイン・ポルトガルの植民地であった地域に対して、「アメリカが経済支配するから手を出すな」という主張であるわけです。

 アジアに対しては、列強がほとんど分割を済ませており、残っていたのが、中国・タイ(イギリス・フランスの緩衝地)・イラン(イギリスの勢力下)三国だけです。
 人口が巨大で、面積も広い中国は、唯一残った『お宝』で、どの列強も自分のものにしようとしていたのが、第一次世界大戦前の状況です。

 第一次世界大戦中、日本以外の列強は全てヨーロッパでの戦争に巻き込まれ、日本だけがヨーロッパ戦線にかかわることなく、ドイツの中国権益を奪い取ることができ、更に対華二十一カ条の要求を行いました。

 これが原因となって、第一次世界大戦後、九カ国条約がワシントンで締結されました。
 九カ国条約の要旨
・中国の門戸開放
・中国に対する諸外国の機会均等
・中国の主権尊重・領土保全

 諸外国の対等をうたった条約ですが、実質的に第一次世界大戦後、世界最大の経済大国・債権国となったアメリカは、中国市場で独り勝ちの様相を示し始め、中国に対する経済支配を進めていました。

 アメリカとの中国市場での経済競争に苦戦していた日本は、陸軍の現地指揮官の独断を追認し、日華事変を継続することで、軍事力でその状況を変えようとする形となりました。

 ですから、アメリカにとって中国は、ヨーロッパ以上に美味しい市場だったのです。(ヨーロッパ列強は戦争さえなければ、自国の経済は自国で賄えました。ですから、しっかりした競争相手がいるヨーロッパは、それほど儲かる市場ではなかったのです。)

 第一次世界大戦に参戦し、多くの若者を戦死させたアメリカには、強い『厭戦気分』がありました。

≪参考≫
 イギリス・フランスにも同様の厭戦気分があり、ナチスドイツの領土拡張を認め続けた揚句、結局戦争に突入しました。
 
1935年
  1月13日 ザール地方、ドイツ領に復帰
  5月16日 ドイツ再軍備宣言
 10月21日 ジュネーブ軍縮会議、国際連盟脱退

1936年
  3月 7日 ラインラント進駐。
1938年
3月13日 オーストリアを併合
  9月29日 チェコスロバキアのズデーテン地方を獲得
1939年
3月15日 チェコスロバキアのボヘミア・モラビアをベーメン・メーレン保護領として保護領とする(チェコ併合)。
3月22日 リトアニアのメーメルを併合。
8月23日 独ソ不可侵条約締結。
9月 1日 スロバキアと共同してポーランドに侵攻。イギリス・フランスがドイツに宣戦布告し第二次世界大戦勃発

 イギリス・フランスが、それぞれの領土拡張策に対して、具体的に手を打たなかったため、ドイツの領土拡張が繰り返され、戦争に突入しました。

 アメリカ・イギリス・フランスともに厭戦気分が強いのですが、イギリス・フランスが的確な手を打たず、ヒトラーの動きを増長させたのに反して、アメリカのルーズベルトは日本の動きに対しては、必ず何らかの手を打っています。

<想定>
1.真珠湾攻撃を行なわないまま、イギリスに宣戦布告をして、シンガポールを占領する。

 これに対して、ルーズベルトの選択は
A.日本と開戦決断
B.オランダ領インドネシア・イギリス領インドに進駐・艦隊派遣

 ルーズベルトは開戦が必要と判断するでしょうが、議会がそれでも認めなかった場合、Bの選択を必ず取るでしょう。日本がインドネシアの石油を手に入れれば、対日石油禁輸に意味がなくなってしまいますから。

 この時点で、アメリカは完全に臨戦態勢に入り、フィリピンの要塞化・兵力増強、海軍の奇襲攻撃対策も実行されるはずです。

 つまり、イギリスと開戦すればインドネシアの石油は手に入らないか、準備の整ったアメリカ陸海軍と真正面からインドネシアで戦うことになります。

 現実の展開としては、インドネシアの石油を手に入れるために、アメリカ海軍を壊滅させる目的で真珠湾奇襲攻撃が行われ、アメリカ海軍の主力戦艦を壊滅し、インドネシアの石油を手に入れました。

 どちらのストーリーのほうが、日本に有利と考えられるでしょうか。
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 対米戦争を仕掛けたのは日本側なので、日本側の方針を精査してみるといいと思います。

歴史研究に親しむためには、まず一次史料に親しむことからです。

 ナチスドイツによりフランスが降伏に追い込まれるという状況を受け、日本政府(大本営政府連絡会議)は「世界情勢の推移に伴ふ時局処理要綱」(1940.7.27)を決定します。ここでは「南方問題解決のため、好機を捕捉し武力を行使すること」「武力行使に当たりては戦争対手を極力英国のみに極限するに努む。但し此の場合に於ても対米開戦は之を避け得ざることあるへきを以て之か準備に遺憾無きを期す」とされており、この段階では質問者さんの言う「アメリカ抜きの開戦」に日本政府も希望を残しています。

 ところが、約1年後、独ソ戦の開始を受け、日本政府は「情勢ノ推移ニ伴フ帝国国策要綱」(1941.7.2)を御前会議で決定します。ここで初めて資源獲得を木j的とした南方進出のため、「対英米戦準備を整え」ること及び「対英米戦を辞せす」ということが決定されます。

情勢ノ推移ニ伴フ帝国国策要綱(抄)
帝国は其の自存自衛上南方要域に対する必要なる外交交渉を続行し其の他各般の施策を促進す之か為対英米戦準備を整え先つ「対仏印泰施策要綱」及「南方施策促進に関する件」に拠り仏印及泰に対する諸方策を完追し以て南方進出の体制を強化す帝国は本号目的達成の為対英米戦を辞せす
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%83%85%E5%8B%A2% …

 つまり、この段階で日本側は南方進出することが対米開戦につながるいう認識に変わっていたわけです。質問者さんの考える「イギリス、オランダ、中国とだけ戦っていれば、アメリカから開戦できなかったのではないか」というプランは考慮だにされていなかったということです。
 これをどちらが結果として正しかったかを、後世の私たちが判断するのは難しいですが、おそらくこれに関して言えば当時の判断の方が正しかったでしょう。つまり「アメリカにはこちらから仕掛けさえしなければ向こうから戦争を起こすことはない」というのは、実際のところなんの根拠もない希望的観測にすぎず、であれば現実的脅威である真珠湾の太平洋艦隊と在フィリピン米軍を撃破しなければ南進の側面を常に米軍の脅威に脅かされ続けるわけで、「すぐ隣に敵性勢力がいてもたぶん何もしないから安心して進め」などという理屈は、今の自衛隊には言えても、当時の感覚からすれば夢想外のことだったのではないでしょうか。

 また、「当時の議会は戦争反対で、ヨーロッパでイギリス、フランスが痛めつけられていてもアメリカから開戦していません」とありますが、実際には1941年4月以降、北大西洋海域で米海軍とUボートはなんどか交戦状態に陥っており、また、本国をドイツが占領したデンマーク領のアイスランドを米軍が占領したり、独戦艦ビスマルクの追跡に協力したりと、厳正な中立を維持するどころかナチスドイツとは事実上の戦争状態に陥っていました。日米交渉ではアメリカは三国同盟の有名無実化を主張してきますが、アメリカは戦争をするかしないかは別として反枢軸の立場では概ね国論は統一されており、このあたりからも当時の日本の指導部が「議会が反対するから開戦できまい」などという甘い判断ができなかったということです。

 太平洋戦争の開戦経緯に関して本格的に勉強されたいのであれば、以下の書籍がお勧めです。いずれも一次史料ですので、当時の日本政府指導部の考え方を貴方なりに読み解いて分析してみてください。残念ながらネットで披瀝される意見は資料の査読を経ない主観的意見が多いので、どれが正しいのかよくわからなくなることがあります。
○外務省編「日本外交年表竝主要文書」(原書房)
○角田順ほか編「太平洋戦争への道 別巻資料編」(朝日新聞社)
○参謀本部編「杉山メモ」(原書房)
○防衛庁防衛研修所戦史室・戦史叢書76「大本営陸軍部・大東亜戦争開戦経緯(5)」(朝雲新聞社)
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真珠湾攻撃をせずに南方資源地帯攻略に初期の行動を一本化するということですね。


それであっても他の回答者の方々のおっしゃる通りおそらく開戦は避けられなかったでありましょう。

ただし,史実と比べていくつか日本側に有利になる点は増えるかと思います。

つまりアメリカから宣戦布告させることが出来る。
真珠湾で世論が一本化したアメリカではなく
ある程度日本との戦争に対してアメリカ国内で温度差のある状態で開戦になりますから
「だまし討ちの卑怯なジャップをやっつけろ」
でまとまった史実のアメリカとの戦争よりもまだましな状態になるかも知れません。
うまくすれば確かに早期講和の目も出てくるかも知れません。

ただし講和に持ち込むと言っても「大東亜共栄圏」などは全く無理です。
資源地帯は帝国領土に,,なんてのんきなことを言っていれば
やはり物量の前にじり貧どか貧に陥っていくでしょう。

初期の戦闘で勝ち得たものをすべて引き換えにして
やっと泥沼の本土決戦あるいは原爆投下を回避することが出来るという所でしょう。
当時の指導者は戦闘で得たものを質草に平和を買うという決断は
絶対に不可能でしょうから、やはり行く所まで行かないとだめ。
短期決戦に失敗し長期化してしまい帝国敗北
という目がでるでしょうね。
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<参考>


 アメリカのエール大学歴史学教授であった「朝河貫一博士」は、日米間の摩擦を危険視して、日本が対米戦争しないように努力されたようです。

朝河貫一顕彰会
http://www20.big.jp/~asayale/event.htm

 アメリカは、日本の動きに対して的確に反応を示しています。
・1940年6月22日
  フランスが国土の大半をドイツに占領され、ビシー政府がドイツと休戦。
・1940年7月2日
  日本、フランス領インドシナ進駐を決定。
・1940年7月25日
  アメリカ、在米日本資産を凍結。
・1940年7月28日
  日本、フランス領インドシナへ進駐開始。
・1940年8月1日
  アメリカ、日本への石油輸出禁止
  当時、日本の産業のエネルギー源は石炭でした。石油は急激な速度の切り替えが必要な軍艦(当然、商戦の動力は石炭です。)や、航空機・自動車の燃料に使われ、その半分以上が軍用で、民間の消費は全石油消費の半分以下でした。

・1940年9月27日
  日独伊三国同盟成立
  この時点で、ドイツとイギリスは戦争中です。
  アメリカは、フランクリン・ルーズベルトが「アメリカは民主主義の兵器廠(工場)になる」と発表し、イギリスへの援助を公然と表明していました。この時点で、ドイツと同盟を組む以上、アメリカとの敵対関係は歴然としています。

・1940年10月
  米大統領選挙でフランクリン・ルーズベルトが三選。
  アメリカの大統領の任期は二期までです。三期目に入いっているのは既に戦時体制に突入しているからです。


 質問者さんの想定は
1.この状態で真珠湾攻撃を行なわないまま、イギリスに宣戦布告をして、イギリスの植民地を武力で手に入れるわけです。
2. 更に、ドイツに本国を占領されたオランダの植民地を占領しインドネシア産石油を手に入れて、アメリカの石油禁輸を無効化するわけです。

 戦争開始前、ヨーロッパの戦争によって空白化したヨーロッパ諸国のアジア植民地に、日本が何かのアクションを起こすたびに、常にリアクションを取ってきたアメリカが、更なる1・2に対して何らのリアクションも取らないということがあり得るでしょうか。
 
 また突如として、それまで日本の対外軍事進出のすべてに対して反対のリアクションを取ってきたアメリカが、突如として今までの全てを認めて講和するということがあり得るでしょうか。

 また、対米戦争がなくとも対中戦争だけで戦線が泥沼化しています。アフガニスタンやベトナムの例でもわかるとおり、現代のアメリカの軍事力を持てしても不可能なことが、当時の日本の軍事力で可能なはずがありません。
 また、アメリカの人口>>ベトナム・アフガニスタンなのです。
 日本の人口<<中国の人口である以上、無理です。

<当時の日本経済>
 真珠湾攻撃をする直前の、日本本土・満州・中国大陸にある兵力は約190万(支那事変後に急激に増え、満州事変前の4倍になっています。参考:現在の日本=人口12000万の陸上自衛隊約16万、中国=人口13億の人民解放軍陸上兵力170万{誤差は大きいかもしれません}程度。)は、とんでもない数字です。
 (陸軍兵力の急膨張で、士官学校出身の職業軍人は平時にはありえないような出世をどんどんしていったため、陸軍内部に日華事変の停止・撤退を望む声が盛り上がることはありませんでした。)
 対米、南方作戦のために、その後も更に兵員の数だけは増えていき、終戦時には、更に増え650万だったそうです。女性・子供・老人を除外した成年男子に対する軍人の割合を考えれば、国家経済が維持できるはずもありません。

 これだけの兵士を、生産を行わない「軍人」として動員したため、日本の戦前の各種工業生産力は1937年をピークに減少・横ばいを始めます。
 さらに、1938年には国家総動員法・1940年には食料の配給制が国内で始まります。

 1941年12月にアメリカとの戦いを始める以前に、中国との泥沼の戦争で、国力の大きな消耗が起き、顕著に国民生活を圧迫しているのです。

<中国との戦争の実態>
 明治維新以後、日本は国内統治システムを完全に作り上げ、富国強兵を徹底して「軍」を編成しました。
 それに対して軍閥戦争が終わったばかりの当時の中国には、同程度の戦闘力を持つ精鋭部隊は、蒋介石(日本に軍事留学し日本陸軍の将校だった経験があります。)の率いる部隊だけで、日本軍の10分の1以下の兵力しかありません。
 この虎の子の精鋭部隊を初戦で日本軍と全面衝突して戦わせても、壊滅してしまい、以後は全く抵抗ができなくなります。

 そこで、蒋介石の率いる中国側は、侵入した外国軍より弱体な軍備しかない場合の、大陸国の伝統的防衛戦術である主力温存策を取りました。
 具体的には、急造の二線級部隊で人数を膨らませ、日本軍よりも多数の兵力にし、精鋭部隊とともに日本軍と戦いますが、日本軍の攻勢で戦況が不利になると、徹底抗戦せずに戦力を温存して内陸部に撤退します。
 ナポレオンがロシアに負けた時と同様に、相手に軍需物資を消費させながら、敵軍主力を補給の届かない内陸部に引きずり込んでいく作戦です。

 中国は絶対に負けず、日本は勝てない戦術で、陸軍参謀本部の石原大佐(満州事変の首謀者の一人)などは、この戦術を中国が取るので戦いが泥沼化するとして、対中戦争を極力回避しようとしましたが、現地派遣軍は戦闘に勝っているので、撤退することなく内陸部にどんどん入り込んでしまいました。
 その結果、食糧など補給に苦慮した日本軍では、住民からの軍票による食料徴発で、太平洋の島のような飢えには苦しまなかったものの、捕虜や住民の生存を保証することはできませんでした。(住民の恨みを買ってしまうので、占領地の治安を確保できない。)

 また、民間人を駆り出して作った訓練の行き届かない中国の二戦級部隊は、銃の撃ち方などは習っているものの、戦術的部隊行動などは実戦の場では満足にできません。訓練の行き届いた精鋭部隊がさっさと撤退する後に、取り残されて大量に捕虜となり、日本軍のなけなしの食糧を食いつくすこととなります。
 そのうえ、少し前までは普通の民間人でしたから、敗走となると軍服を脱いで民間人となってしまうものも続出し(中国人同士の軍閥戦争の時はそれで何の問題もなかったのです。)、兵士・民間人・便衣兵の区別が極めてあいまいになってしまいました。 

日本側の苦悩
 侵攻した軍は、基本的には「占領地の治安維持・民間人保護」をしないと、占領地を確保したことになりません。
 しかし、日本軍の占領地は、汪兆銘が南京に立てた親日政権の支配地ということになりましたが、日本軍の「食糧徴発」などで食べる物のなくなった住民に支持されることがなく、確保できない占領地となっていきました。

→このように、泥沼に入り込んでから撤退するのでは、「日本の負け」となってしまいます。
 負けとなっても撤退するしか、傷を浅くする方法がありません。
 アフガニスタン・ベトナムでは、ソ連やアメリカが撤退を余儀なくされました。

戦争の結果
 精鋭の主力軍を失うことなく戦い続けた蒋介石は、その軍事力を背景に「国民党」のトップとして、戦争後の政府の代表者となりました。
 しかし、大した兵力を持たず装備も整っていなかったので日本軍の占領地で便衣兵としてゲリラ戦を行うしかなかった「共産党」との内戦が始まると、『装備の優秀な国民党軍は逃げて戦ってくれなかった。満足な武器がなくても共産党軍は戦ってくれた。』という民衆の気持ちが大きく働いて、国民党は国民の支持を失い、日中間の戦争のなかった台湾に逃げていかざるを得なくなりました。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

ルーズベルトは日本の行動に対して反応していますけど、あくまでも政治的な行動だと思います。宣戦布告は議会の承認が必要だったと思いますが、ヨーロッパでイギリス、フランスがナチスドイツにぼこぼこにされているにもかかわらず参戦できなかったのに、アメリカにとってはヨーロッパより重要度が低いと思われるアジアでの参戦を議会が承認するという理由がわかりません。ルーズベルトがヨーロッパやアジアに介入したくても当時の議会はアメリカ伝統の孤立主義だったのではありませんか?

お礼日時:2009/09/01 15:53

1930年代の世界恐慌の時に日本はそれほど影響を受けずに欧米に輸出を続けました


貿易摩擦があったのです
欧米は日本を封じるために経済封鎖を行いました
具体的には日本への資源の供給を絶つ政策を採ったのです
アメリカを叩かなければ日本は疲弊するのです
アメリカ始めた日本封じ込め政策だからアメリカが講和に応じることはありません
このたびのイラク戦争でもそうですが不況打開のもっとも効果的な方法は戦争だというのがアメリカの哲学です
軍需産業が送り込んだ副大統領、石油メジャーが送り込んだ国務長官
アメリカの意図は見え見えです

一部の戦闘結果は戦争の勝敗に影響しません
シンガポールを取ったくらいで連合国が講和に応じるわけがありません
なぜなら対日本戦では連合国のどこも日本からの脅威を受けていないのです
また日本の経済力は底が浅いので無条件降伏をしない限り敵は引き下がりません

この掲示板でたびたび出ることですが
あれがあったら、ああしていたら、これさえ起こらなかったら勝てたのに
妄想です
全体的な動きの中の一部が変わっても流れは変わりません
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時代の流れでした。


日本は明治維新で欧米を見習って強い国になりました。
そして欧米を見習って他国を従わせようとしました。アメリカは日露戦争あたりまでは日本を可愛いと思っていましたが、満州国を作ったり中国に攻め込んだりしたので神経をとがらせました。特にナチスドイツと同盟を結んだのは致命的でした。日本はアメリカの敵と見なされたのです。そしてハルノート・・・
ハルノートはまあアメリカの宣戦布告でした。日本は道を誤ったと思いますが、歴史の流れでしたので仕方がないです。多くの日本人及び近隣諸国の民の血が流れました。合掌。
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質問者様へ ハルノートを本当に読んだのですか? 


もう少し勉強しましょうね! ハルノートという言葉だけを、聴いて理解したように錯覚するのは危険ですよ! 当時米国が日本産業の弱点を調べ尽くして、米国との戦争に追い込むために、書かれたのがハルノートです。
歴史を点で理解しようとしてはいけません、小学生ではないのだから、せめて線としてみてください(最低限という意味で)。

もう一度、質問者様が、調べなおしてから、ご質問ください!
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この回答へのお礼

wikipediaで普通に要約を見ることができますが、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AB% …
原文でないとまずいですか?

重要な事は、日本がこれに応じないでイギリスと戦争を始めたとして、アメリカが本当に宣戦布告をするかどうかです。宣戦布告できないのなら、日本から真珠湾のようなことはやる必要はなかったのでは? ということです。

お礼日時:2009/08/31 23:30

前回のまったく同じ質問で


皆の「無理」という意見に
>考えが甘かったようです
と納得しているようですが
この上何を?

この回答への補足

その後いろいろ調べたら、ルーズベルトは議会の反対で開戦することができなかった、という情報を見つけましたので、蒸し返しました。

補足日時:2009/08/31 22:46
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もし、戦場で勝利しても、それだけの勢力を保持できるだけの兵力が


日本にはありませんでした。兵力分散は各個撃破の的になるだけ。

いい加減、無意味なifを考えるのはやめた方がいいのでは?
せめて、未来について考えましょう。過去は変えられませんから。
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この回答へのお礼

歴史のifを考える事は将来同じ間違いをしないために非常に重要な事だと思います。

お礼日時:2009/08/31 21:18

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Q日本がハルノートをを受け入れ戦争しなかったら?

歴史で”たら、れば”は持ち出す事は駄目なんですが、もし、太平洋戦争に突入しなかったら日本はどうなっていたでしょう? 戦争で余りにも多くの方がなくなりましたが、戦争しなかった方が日本の将来は明るくなる事が期待できたのでしょうか?

Aベストアンサー

戦争をしなかった、という選択肢は
無かったと思われます。
日本が例えハルノートを呑んでも、米国は
必ずや、日本を戦争に引きずり込んだと
思われます。
あのイラク戦争のようにです。
フセインは、米国相手に戦争などしても
勝てる道理がないことぐらい、百も承知していました。
それでも米国に無実の罪を着せられて戦争に
持ち込まれ、処刑されてしまいました。
米国とはああいう国なのです。

当時の米国は、1930年に続く大不況の真っ只中でした。
GDPは1/2に、株価は1/10に落ち、1200万の失業者が
街に溢れ、あちこちで暴動が発生していました。
ルーズベルトは、ニューデールなどの政策を打ちましたが効果は
さっぱりです。
それでどうしても戦争をやる必要があったのです。
戦争は最大の公共事業ですから。その証拠に戦後、米国
経済は見事な復活を遂げています。
その現れがハルノートです。

これは私の偏見ではありません。
米国歴史学の権威チャールズ・A・ビーアド元コロンビア大教授は
公文書を調べて、ルーズベルトが巧妙に日本を戦争に引きづり込んだ
過程を明らかにした本を出版しましたが、これは事実上の発禁処分
にされてしまいました。

31代米国大統領のフーバーが、ルーズベルトを、日本を無理矢理戦争に
引きづり込んだ狂気の男、と評した書見を残しています。
彼は、ルーズベルトは真珠湾を知っていた、とも書き残しています。


米西戦争では、 1898年 2/15 ハバナ湾で、
米国戦艦メイン号が謎の爆発沈没しています。
これで米兵266名が死亡し、スペインの仕業だ、
ということになり戦争が始まっています。

ベトナム戦争では有名なトンキン湾事件が発生しています。
1964年8月、北ベトナムのトンキン湾で北ベトナム軍の
哨戒艇がアメリカ海軍の駆逐艦に2発の魚雷を発射した
とされる事件です。
これをきっかけにアメリカは本格的にベトナム戦争に介入しましたが、
その後、ニューヨークタイムズが、米国のやらせであることを暴露し
真実が明らかにされました。

湾岸戦争 1990年 では
アメリカの駐イラク特命全権大使のエイプリル・グラスピーが
イラクのクエート攻撃に対して
「介入するつもりはない」と発言しており
これを信じたフセインがクエートを侵略しましたが、
米国軍等により撃退されています。
米国は約束の存在を否定していますが、当の大使は、それ以後、公式の場には
一切姿を見せなくなりました。

その他にも怪しいのはいくらでもあります。
以上が、日本が戦争を拒んでも、ダメだったろうと思われる理由です。

戦争をしなかった、という選択肢は
無かったと思われます。
日本が例えハルノートを呑んでも、米国は
必ずや、日本を戦争に引きずり込んだと
思われます。
あのイラク戦争のようにです。
フセインは、米国相手に戦争などしても
勝てる道理がないことぐらい、百も承知していました。
それでも米国に無実の罪を着せられて戦争に
持ち込まれ、処刑されてしまいました。
米国とはああいう国なのです。

当時の米国は、1930年に続く大不況の真っ只中でした。
GDPは1/2に、株価は1/10に落ち、1200万の...続きを読む

Qもし日本が太平洋戦争をしていなかったら・・

満州を放棄し、中国へ侵攻している全ての軍隊を引き上げて、
日米戦争を回避していたら、今頃(現代)の日本やその周辺国はどうなっていましたか?

例えば、
・今頃、韓国、北朝鮮、台湾やグアム、サイパン、パラオなどはパスポートのいらない日本国内旅行ですか?
・フィリピンはアメリカ領、インドネシアはオランダ領、インドやマレーシアはイギリス領、ベトナムはフランス領のままですか?
・今のような、日本は経済大国になっていないのでしょうか?

考えてみたら、戦前の日本のほうが領土的に広いので、戦争していなかったら今とどう違っていたんだろうと、ふと疑問に思いました。

Aベストアンサー

戦前の軍事書籍を読むと分かるのですが戦前の日米対立とは即ち「中国市場を巡る対立」でした。
もともと市場規模が小さく、資源も少ない日本を支配しても米国の得にならない事は明白であり、そんなことは当時から分かりきった話でした。
このため戦前から日本では「米国の圧力は中国市場を獲得するために目障りな日本を潰すためのもの」という認識だったのです。
そして戦前の日本では日清・日露の両戦争を始め多くの戦争と犠牲を通じて獲得した「満蒙の特殊権益」はいかなる理由があろうと手放してはならない、という意識が極めて強かったのです(戦後で言えば「憲法9条を絶対に守れ」と似たようなものです)。
この結果、中国大陸での武力行使は国民の強い支持を得る事となり、必然的に中国市場を巡る日本と米国との対立を深める事になってしまいました。
しかし逆に考えれば、大戦後に中国が共産化してしまえばもはや、中国における利権対立も無くなるわけで、日米の対立要因も失われるでしょう。
そうなると戦後の日本はかつての韓国やインドネシアのように軍部が強い影響を持ちつつも、開発独裁体制の元で経済成長を遂げ、その後の民主化の発展に伴い軍部の影響力も次第に減少していくものと考えた方がよいかも知れません。

戦前の軍事書籍を読むと分かるのですが戦前の日米対立とは即ち「中国市場を巡る対立」でした。
もともと市場規模が小さく、資源も少ない日本を支配しても米国の得にならない事は明白であり、そんなことは当時から分かりきった話でした。
このため戦前から日本では「米国の圧力は中国市場を獲得するために目障りな日本を潰すためのもの」という認識だったのです。
そして戦前の日本では日清・日露の両戦争を始め多くの戦争と犠牲を通じて獲得した「満蒙の特殊権益」はいかなる理由があろうと手放してはならない、と...続きを読む

Q太平洋戦争は政治力で回避できましたか?

先の戦争で亡くなった方は日本人で330万人と聞いております。なんと言う惨状でしょうか?今更なにも始まりませんが、避けられたのでしょうか? 回避はできたとしても理不尽な要求を呑んで日本人としてのプライドも無くなっていたのでしょうか?歴史に”もし”は禁句ですが、色々想像しています。

Aベストアンサー

どこまで歴史を振り返るのかで変わってくると思います。

NHKの番組やその取材班の日米開戦の本などでは「南仏印進駐」を戦争不可避の分岐点としています。
私もその考えに賛成です。

そもそも、日本の大陸進出が先鋭化しなければアメリカと戦争になる事は回避できたと考えます。

1932年の満州事変ではアメリカを含め国連が日本の行動に反対しましたが、決定的になるところまではいきませんでした。

1937年に日支事変が起きた時も、アメリカ政府はすぐには中国に味方しませんでした。
日支事変発生を受けての九カ国条約会議の開催で、中国側が日本への経済制裁を提案した時、アメリカは反対に回りました。
なぜなら、日支事変発生によって、日本も中国もアメリカから購入する戦略物資の量が増えたからです。
つまり、戦争する両者に物を売ってぼろ儲けする立場にアメリカはいたのです。
だからアメリカは一方的に中国に味方する事はありませんでした。

その状況が変化したのは、中国大陸で日本が中国を負かすため戦略爆撃を開始したからです。
当時、アメリカは中国に多大な投資を行っていました。
それが日本の空爆で被害を受けます。
アメリカは日本に中国での空爆を止めるよう何度も抗議しますが、日本は受け入れません。
怒ったアメリカは日本へ徐々に経済制裁を開始します。
始めは空爆を止めさせるための飛行機関連の輸出停止でした。
しかし、日本の空爆は止みません。
しかも、日本は空爆での民間被害の補償は行わない方針を打ち出します。
さらに、爆撃を強化すると通告し中国にいる外国人の安全も保障しない方針を打ち出します。
アメリカの苛立ちはつのり経済制裁を日本に段階的に行いますが、日本の行動は止まりません。
しかも大東亜共栄圏構想という日本の植民地拡大政策と判断される政策を打ち出してきました。
そこでアメリカは中国への支援に乗り出しました。

アメリカが中国への資金援助を開始したのは1938年12月という日支事変開始より1年5カ月も経った時点からでした。

その後も日本はアメリカを怒らせ続けます。
1940年9月にアメリカがイギリスと防衛協定を結んでドイツを潜在的敵と見なせば、その二週間後に日本はドイツとイタリアと日独伊三国同盟を結びます。
アメリカが敵と見なしている国と同盟を結ぶのですから喧嘩売ってるのと変わりません。
怒ったアメリカは鋼鉄の対日輸出を停止します。

最終的には南仏印に日本軍が進駐してアメリカを決定的に怒らせ、アメリカの対日石油禁輸となりました。
この南仏印進駐についてはアメリカは日本に対して警告までしています。
当時の日本の外相は南仏印進駐はアメリカとの戦争になるから止めた方がよいと主張しますが他の閣僚が甘い見通しで押し切ってしまいました。
そしてアメリカは石油を止め、日本は戦争の決断を。

アメリカによる段階的経済制裁の始まりの原因は日本の行動にあります。
アメリカの抗議を受け入れ日支事変での戦略爆撃を止めていたら。
また、日支事変の戦略爆撃においてアメリカに与えた損害について補償をすぐに行っていたら。
大東亜共栄圏構想という他国に日本の植民地拡大政策と捉えられる発表をしなかったら。
アメリカが中国を支援する事は無かったかもしれませんし、その後の日米開戦も避けられたかもしれません。
その後も
日独伊三国同盟を結ばなければ。
北仏印に進駐しなければ。
南仏印に進駐しなければ。
恐らくアメリカと戦争になる事は無かったでしょう。

アメリカのチャールズ・A・ビアードという歴史家の「ルーズベルトの責任」という本の中で、ハーバード大学のデートレフ教授がこの本の紹介文を寄せていますが、そこには
「日本がアジア大陸で膨張主義的な目的を追求した事からルーズベルト大統領は懸念を覚え、日本を押さえ込むために圧力をかけ始めた」と記しています。
この本を読めばルーズベルト大統領が表向きは不戦の姿勢を見せながらもハル・ノートという過度な要求を日本につき付け、日本を戦争へ追いやった事がわかりますが、その前に日本のアジアの膨張政策が問題であった事もわかります。

1941年8月1日、アメリカが日本に対し石油の全面禁輸を禁止を行いました。
その2日後、ニューヨークタイムズにギャラップのある世論調査の結果が載りました。
それは「アメリカは戦争の危険を犯してでも日本の膨張に歯止めをかけるべきか」というアンケートに対するものです。51%の人がYESと回答していました。
この時点でアメリカ国民も半数が日本のアジア進出に危機感を抱いていたのです。

そもそも当時のアメリカの好景気でした。

「ニューディール政策」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%AB%E6%94%BF%E7%AD%96

この上に貼ったウィキの「ニューディール政策」のところにあるアメリカのGDPのグラフと失業率のグラフを見ていただければわかりますが、戦争が開始される1941年12月よりも前の1940年以前において、既に世界恐慌前のGDPの水準に回復している事がわかりますし、戦争開始前に失業率が低下していっているのがわかります。
これはヨーロッパにおいて第二次世界大戦が始まったからであり、イギリス、フランス、カナダ等、連合国から大量の武器や物資の受注があったからです。
それだけではありません。イギリスはアメリカの軍需産業に投資を行い工場の拡大や設備の増強を求め、生産の拡大に動いています。
つまり戦争特需が発生していたのです。
自国が戦争を起こし戦争で経済を回復させるなどという必要はありません。
そもそも第二次世界大戦におけるアメリカの戦費は戦時国債です。つまり国の借金でしかありません。
それに一時的に景気が回復しても戦争が終われば軍需生産は萎みます。
その後は不況が来るだけです。実際、アメリカは戦後に戦後不況に陥っています。
上に貼った「ニューディール政策」のGDPや失業率のグラフにおいて、第二次世界大戦後に悪化を示しているのは戦後不況が起きたからです。
もし世界恐慌からの経済回復を目指して戦争を仕掛けさせる謀略を行うというのなら、そんな回りくどい事をしなくても1937年12月に発生した日本軍機によるアメリカ軍艦攻撃事件「パネー号事件」を利用していた筈です。
何せ、この時はアメリカ政府内から日本に宣戦布告するべきだという声が上がっていたのですから。

ともかく、日本がアメリカの敵視する独伊と日独伊三国同盟を結んだり、南仏印に進駐するなどの膨張政策を見せなければ、アメリカも日本に過度な要求を突き付け戦争に追い込んで来る事はなかったでしょう。

これらの事を考えれば、日本とアメリカの戦争を回避する可能性は南仏印進駐前までなら、その時、その時でありました。
日支事変での戦略爆撃の停止。
日支事変における戦略爆撃被害の補償。
大東亜共栄圏構想の公表を控える。
日独伊三国同盟の締結中止。
北仏印、南仏印進駐の停止。
そうした事が為されていたら、アメリカとは戦争にならず朝鮮も満州もそのまま日本の支配下で暫くは歴史も進んだのではないかと思います。

天皇陛下は日独伊三国同盟に反対していました。
また南仏印進駐にも反対で東条陸相に言いましたが受け入れられませんでした。
もっと天皇陛下の御意思を政府の閣僚が尊重していれば日本とアメリカの戦争は避けられたと思います。

どこまで歴史を振り返るのかで変わってくると思います。

NHKの番組やその取材班の日米開戦の本などでは「南仏印進駐」を戦争不可避の分岐点としています。
私もその考えに賛成です。

そもそも、日本の大陸進出が先鋭化しなければアメリカと戦争になる事は回避できたと考えます。

1932年の満州事変ではアメリカを含め国連が日本の行動に反対しましたが、決定的になるところまではいきませんでした。

1937年に日支事変が起きた時も、アメリカ政府はすぐには中国に味方しませんでした。
日支事変発生を受けての九...続きを読む

Qなぜ日本は植民地にされなかったのですか?

19世紀、他のアジア諸国は欧米列強の植民地にされたのに
なぜ日本は植民地にされなかったのですか?
日本の教育水準が高かったからですか?
それとも単に運がよかったからですか?

Aベストアンサー

日本は鎖国していたとはいえ、オランダを通じて最新の科学、軍事技術もわづかに取り入れていました。
アヘン戦争の時、中国側の大砲は1600年代のヨーロッパ製だったという…
江戸幕府も同じなのですが。
ところが長崎に高島しゅうはん、という人が役人でいて、脇荷貿易の権限もっていて新式大砲を研究していました。それは出島にくるオランダ船が礼砲を撃つと威力、性能が進化しているのをしっていて、です。
幕府も国防上、江戸へ呼んで演習。一日でその平地は「高島平」(たかしまだいら)になりました。今もそう呼ばれてます。伊豆代官江川が引き継いで、青銅砲でない鋼鉄砲をつくる高熱の製鉄炉(反射炉)をつくろうとしたり(大砲、兵学などはなんとかヨーロッパの技術においつこうというカンジ)、日本人は形式・格式でガチガチのバカな武士社会の中でも一部の有能な、志ある人たちに助けられてなんとか西洋とわたりあえる学術・軍事・文化・行政制度をもっていたのです。
(ほとんどの藩はド貧乏、借金まみれ。一部の外様大名とかだけです。意識あったのは)

ペリーが来航した時も(一年前くるっていったのに来ないと思って内緒にしちゃったバカな幕府上層部のせいで大慌てしたが)、一年後返事をもらいにくる、といったあと年明け10ヶ月にきた時には、無防備だった江戸湾に砲台島を築かせて防衛体制つくった(江川が指揮)
これが砲台場、今の「お台場」です。
これにはペリーも驚いた。
あと吉田松陰みたいに単身(2人だったけど)黒船に乗り込んで
「我アメリカに行かんと欲す」と叫びまくって返ってきた若者とか。
こんな人他のアジアの国にはいなかった。

日本は天文、数学、測量でもヨーロッパの文献研究したり、和算でも微分積分できたらしい。水準高かったンですよ。富豪商人は学問する人たちが多いとか、そういうこともあったらしいし、町民文化も小説、演劇、レベル高かったです。

アメリカと国土交渉する際もペリーが小笠原はアメリカ人住んでる、国際的に通じる文書で証明しない限りアメリカ国土だ、といった時、フランス語版・林子平著三国通覧図説をだして、出版年からも日本領土だと証明。
松平定信が迫害した林子平の著作が、大黒屋光太夫一行のうちロシア日本語学校教師にのこった一人とドイツ人言語学者の手で訳されて、小笠原諸島をまもったわけですね^^

ま、そんなこんなで、日本は他のアジアの国より運がよかった。
・一応、統一国家でまとまってた。いくつか勢力が争ってるとかじゃなかった
・文化水準がヨーロッパと同程度だった(これは不思議なものである)
・一部の蘭学者のおかげで、外国の情勢なども在る程度はつかんでいた?!ジョン万次郎がいたといなかったじゃ、また違ったろうなぁ
江川さんがいなかったら大変だったと思うよ
・穏健バランス派の阿部が老中(筆頭?)だったのもよかった。水野忠邦だったらボロボロだったんじゃないかなぁ
最後は大分大胆に物事運んだけど。
・武士階級、常時帯刀武装してる階級が行政してる、というのはなかなかすごいかも^^
・シーボルトが日本の文化レベルを紹介する書物を発表してくれていた
(ペリーもちゃんと読んでた)→日本は交渉するレベルの国だと思ってもらえた。おそらく礼砲をちゃんと返せる国なんてアジアで日本ぐらいだったでしょう。

兵力でいえば、この前NHKでもやってましたが薩摩とイギリスの争い、中国のイギリス艦隊きた時は薩摩ボロ負けですよ。海戦は特に。
最初、不平等条約だったのもしゃーない。
しかし、交渉のテーブルがある、というのは在る程度、相手を認めてのことだし、全面開戦しなかった、というのはお互いのメリット、リスクも含めて必然だったのかも。
まぁ頑張りましたね、当時の日本^^

日本は鎖国していたとはいえ、オランダを通じて最新の科学、軍事技術もわづかに取り入れていました。
アヘン戦争の時、中国側の大砲は1600年代のヨーロッパ製だったという…
江戸幕府も同じなのですが。
ところが長崎に高島しゅうはん、という人が役人でいて、脇荷貿易の権限もっていて新式大砲を研究していました。それは出島にくるオランダ船が礼砲を撃つと威力、性能が進化しているのをしっていて、です。
幕府も国防上、江戸へ呼んで演習。一日でその平地は「高島平」(たかしまだいら)になりました。...続きを読む

Q日本はなぜ、米英に戦争を仕掛けたのでしょうか?

昭和16(1941)年12月、日本はアメリカ、イギリス、オランダに戦争を仕掛けました。日本はイギリスとオランダとの戦闘には圧倒的に強かったけれどもアメリカにはやられました。そもそも日本は、なぜアメリカに戦争を仕掛けたのでしょうか。

当時、日本は鉱物資源が不足しており、殊に石油の需給は逼迫していました。そのため、オランダ領東インド(現、インドネシア)から石油を輸入したかったのですが、オランダ政府が対日供給に消極的でした。そのため政府と統帥部は、武力を行使して当地方を支配下に置く方針だったのです。

しかし、それならば、オランダにのみ戦争を仕掛ければ良いはずで、アメリカとイギリスにも同時に戦争を仕掛けた理由が分かりません。

Aベストアンサー

#7です。

>北朝鮮の軍艦が対馬海峡や津軽海峡を航行したら、マスコミと国民は大騒ぎになるでしょう。しかし、だからと言って、日本政府は北朝鮮に抗議できるでしょうか。まして日本の軍隊(自衛隊)が北朝鮮の軍艦の航行を妨害できるでしょうか。その軍艦を攻撃できるでしょうか。両海峡とも国際海峡なのです。日本に危害を加えない限りは、我々は北朝鮮の軍艦を見物するほかないのです。

>蘭印(オランダ領東インド)の資源を積んだ日本の商船がフィリピンやマレーの近海を航行する際には日本海軍の軍艦が護衛しますが、その場合も、フィリピンの米軍もマレーの英軍も手が出せません。公海だからです。日本の軍艦を見物するほかないのです。

現代の方が例えとして分かり易かったと判断した私が間違っていました。例えとして出した、現代の、国連や国連安保理がその機能を如何なく発揮し、国際公法も遵守され仮に違反した場合には国際司法裁判所で裁かれる「平和な」時代と当時とでは、時代背景も国際関係も全く異なるのです。例として不適切なものを提示してしまい、申し訳ありませんでした。

確かに、現代であれば、質問者様の様に「日本の軍艦を見物するほかない」という結論に至ることに対して異議を差し挟む余地は全くありません。しかし、当時、既に日独伊三国軍事同盟(枢軸国)vs.ABCD包囲網(連合国)という国際関係上の対立の構図は出来上がっていました。ただ、そうした中でも「日米諒解案」はデリケートな国際関係の間隙を抜ってできた産物と言えましょう。

それを機能不全にしたのが松岡や近衛達であることは昨日ご説明した通りですが、さらにそれを追い討ちにかけるように決定的にした動きドイツのソ連侵攻(1941年6月22日)とアメリカの対独参戦及び対ソ援助の開始で、これによってもうアメリカは日本に対して宥和策に出ないと「腹を括った」わけです。

昨日書き落としてしまったことがあります。細かいことですが、もう少しこの後の日米関係をみていく上で重要ですのでお付き合い下さい。

アメリカの対独参戦の後、7月25日、アメリカが在米日本資産の凍結令を公布。7月28日、日本軍が南部仏印に進駐。8月1日、アメリカは直ちに対抗措置として対日石油禁輸に出る。これはもう今のアメリカの北朝鮮に対する制裁措置どころの話ではありません。既に日本は軍隊を南部仏印に進駐させており、南部仏印で軍事衝突の可能性がある。フランスには当時ナチスの傀儡のペタン率いるヴィシー政権とは別に、ロンドンにド・ゴールの亡命政府があり、フランス国内ではナチスに対する地下でのレジスタンスに必死という時代で、連合国側は当然ヴィシー政権を認めていませんから、これは連合国側領土に対する進駐と同様と映るでしょう。

アメリカの対日石油禁輸とは、要するに資源のない日本にとって艦隊や商戦を動かせる燃料の補給を断つ意味がありますから、それでも強引に日本の商船と護衛の艦隊をオランダ領東インドに差し向ければ、今度はアメリカは自衛のためという口実で日本の商船と護衛の艦隊を沈めにかかるでしょう。公海を航行していようと何だろうと最早関係ないわけです。

なぜ自衛目的でアメリカは日本の商船と護衛の艦隊を沈めることが認められるのか――。その理由は、当時、既に遠く大西洋で、アメリカからはイギリスへの援助物資を満載した輸送船が多数就航していました。各船団には駆逐艦の護衛がついており、これをコンボイと呼んでいました。もし輸送船団がドイツ潜水艦に攻撃されれば、護衛の駆逐艦と潜水艦は戦闘状態に入り、それは米独戦争の開始ということになります。アメリカは、そうした戦闘を「自衛権の発動」とみなしていたのです。全く同じことが太平洋にも当てはまるからです。

#7です。

>北朝鮮の軍艦が対馬海峡や津軽海峡を航行したら、マスコミと国民は大騒ぎになるでしょう。しかし、だからと言って、日本政府は北朝鮮に抗議できるでしょうか。まして日本の軍隊(自衛隊)が北朝鮮の軍艦の航行を妨害できるでしょうか。その軍艦を攻撃できるでしょうか。両海峡とも国際海峡なのです。日本に危害を加えない限りは、我々は北朝鮮の軍艦を見物するほかないのです。

>蘭印(オランダ領東インド)の資源を積んだ日本の商船がフィリピンやマレーの近海を航行する際には日本海軍の軍艦が...続きを読む

Q日本は強かったの? 他国から歴史をみたら日本なんてなんてことない国だったの?

第一次、第二次世界大戦の時代
私は今まで、日本はアメリカに負けたけど、日本は戦争に強かった。と思っていました。零戦とか戦艦大和とか聞くし、神風特攻隊を出撃させたのは、作戦には疑問を持ちますが、とにかく日本は強かったんだと思っていました。でも、実際そうなんでしょうか?戦争に関して知識は豊富ではないですが、昔のVTRなどをみていると、簡単に言うと、ずるい方法をとったりしていたようにいわれてました。(約束破り?)
私は日本で日本の歴史を勉強するので日本は負けたけど、すごかった、強かった、というような感じを受けるものが多いですが、ほかの国から歴史を見たら、日本なんてなんてことなかった かのような存在だったのでしょうか?教えてください

Aベストアンサー

ご質問が「第一次、第二次世界大戦の時代、日本は強かったの」
ですが、
「アメリカには勝てないが、かなり強かった」といえます。

第二次大戦の時期の列強陸海軍ランキングを仮に作成してみます。

陸軍
1) アメリカ
2) ドイツ
3) ソ連
<この間、かなりの差>
4) 日本 4) フランス 4) イギリス
7) イタリア
(他はランキング対象外)

海軍
1) アメリカ
2) 日本
3) イギリス
<この間、かなりの差>
4) イタリア 4)フランス
6) ドイツ
(他はランキング対象外)

<陸軍について>
日本陸軍は弱かった、人命無視のムチャクチャな作戦をやって自滅して行った…という悪いイメージがありますが、仔細に見るとそうでもありません。

A) 支那事変は、蒋介石率いる国民政府が、上海周辺にドイツ軍事顧問団の指導で建設した第一次大戦型の塹壕陣地(第一次大戦の常識では『突破不可能』。ゼークトラインと呼ばれた)を建設した上で、上海に駐屯していた海軍の上海特別陸戦隊を襲撃し、救援にやってくる日本陸軍を、上海周辺の塹壕陣地に誘致して殲滅する、という計画で始まりました。

蓋を開けてみますと、上海特別陸戦隊は意外なほど頑強に戦って陸軍の援軍が来るまで持ちこたえ、杭州湾に上陸した日本陸軍3個師団は、国民政府が頼みにしていたゼークトラインを「浸透戦術」を巧妙に用いることで少ない損害で突破し、国民党軍を包囲殲滅しながら国民政府の首都である南京へ進撃しました。

これは蒋介石にとって全く予想外のことで、国民政府軍は総崩れとなりました。日本陸軍は、上記のランキングでは「ランキング対象外」の国民政府軍より「遥かに強かった」と言えます。

ウィキペディア 第二次上海事変
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E4%B8%8A%E6%B5%B7%E4%BA%8B%E5%A4%89

B) ポツダム宣言受諾の「後」に、ソ連軍が北方から千島と南樺太に侵攻しました。
千島列島の北端である占守島、日本領であった南樺太には、比較的装備が良く、兵員も充実した守備隊が残っていました。
8月15日以降のソ連軍の攻撃に対し、占守島と南樺太の陸軍部隊は善戦し、
「占守島においては、上陸したソ連軍をもう少しで海岸に追い詰めて全滅させるところまで戦う」
「樺太においては、ソ連軍の南下を食い止め、南樺太の日本人が北海道へ逃げる時間をかなり稼ぐ」
という戦いぶりを見せています。

<海軍について>
日本海軍については、アメリカに次いで世界第二位の戦力を持っていたのは異論がない所で、戦前においては、東太平洋は「日本の海」でした。

「空母機動部隊」はアメリカと日本だけが編成して運用できたものですし、18インチ砲搭載の戦艦を建造できたのは日本だけです。第二次大戦終結までに完成させた大型空母の隻数で言えば、アメリカが圧倒的に多いわけですが、次に多いのは日本です。第三位のイギリスにかなり差をつけているはずです。

無限の物量と高度な技術を持つアメリカと戦っては、昭和19年のサイパン沖海戦で日本空母機動部隊が壊滅し、レイテ沖海戦で航空機の援護のない「レイテ湾への特攻」を命じられた水上部隊がろくな戦果を挙げられずに甚大な被害を受け、「沖縄への大和特攻」(坊の岬沖海戦)で終わったわけですが、アメリカ海軍相手にここまで戦える海軍は日本海軍だけだった、というのは紛れもない事実でしょう。

ご質問が「第一次、第二次世界大戦の時代、日本は強かったの」
ですが、
「アメリカには勝てないが、かなり強かった」といえます。

第二次大戦の時期の列強陸海軍ランキングを仮に作成してみます。

陸軍
1) アメリカ
2) ドイツ
3) ソ連
<この間、かなりの差>
4) 日本 4) フランス 4) イギリス
7) イタリア
(他はランキング対象外)

海軍
1) アメリカ
2) 日本
3) イギリス
<この間、かなりの差>
4) イタリア 4)フランス
6) ドイツ
(他はランキング対象外)

<陸軍について>
日本陸...続きを読む

Qもし昭和日本軍が諸外国の要求を呑み中国を放棄していたら?

22歳の学生です。時期が時期なのでいろいろ考え、みなさまの考えを聞いてみたくなりました。

太平洋戦争はもともと勝つ見込みの低い戦争であったとはよく言われます。
ただ諸外国からのアジア大陸からの撤兵の要請および、
その拒否によっておこった資源の禁輸から開戦やむなしであったともよく言われます。
また資源が残り少ない以上無駄な待機は無駄に血を流し続けるも同然で
戦端をひらくならば早い方が良かったともよく言われると思います。
実際アメリカ軍との戦闘にくわえて、資源をもとめて東南アジアを探検するという
二重の戦いは確かにどう見ても心許なく、
また帝国海軍および近衛首相も米英開戦には基本反対であったようです。

そもそも中国における満州事変およびそれによる日本の国際連盟脱退あたりから
太平洋戦争勃発の「臭い」をかぎとることができますが、
もし日本が素直に国際連盟の勧告に従い中国利権を破棄していたら、
日本はどうなっていたと思いますか。
中国利権を手放すことは日本にとって必死(必ず死に至る)だったのでしょうか?

すでにざっと調べた限り以下のような意見が多く見受けられます。
1、日本はアメリカの植民地になっていたのではないか
2、日本が戦わなかったらアジアの白人支配は終わらなかった
3、日本が赤化した

2はなんとなくわかりますが、1,3はありえないような気もしています、が
もちろん自分は確固たる考えはいまだ持てずまたいろんな人の意見が聞いてみたいと思っています。
みなさまの考える if をお聞かせください。
よろしくお願いいたします。

願わくばその考えに行き着いた思考のプロセスを詳細に
教えていただけると助かります。

22歳の学生です。時期が時期なのでいろいろ考え、みなさまの考えを聞いてみたくなりました。

太平洋戦争はもともと勝つ見込みの低い戦争であったとはよく言われます。
ただ諸外国からのアジア大陸からの撤兵の要請および、
その拒否によっておこった資源の禁輸から開戦やむなしであったともよく言われます。
また資源が残り少ない以上無駄な待機は無駄に血を流し続けるも同然で
戦端をひらくならば早い方が良かったともよく言われると思います。
実際アメリカ軍との戦闘にくわえて、資源をもとめて東南...続きを読む

Aベストアンサー

個人的には、現在の日本ほど豊かになれたかどうかは分かりませんが、決して悪い方向には進まなかったと思います。

「民衆に不満が溜まった時は、外交(戦争)でガス抜きをさせる」ことは治世の常套手段です。第一次世界大戦終了の反動で襲ってきた不景気、世界恐慌というダブルパンチで経済が停滞し、国民の不満が溜まったところで、当時の政治家が国内での調整を怠り、全て軍拡で対応しました。雇用問題は軍隊の増強で解決し、中国に進出して国民の目を反らすとともに、中国を植民地化して日本製品にとっての新たな市場を確保することで、経済を立て直そうとしました。

当時の世界情勢もあるので、この方針が全くの間違いというつもりもありません。ただ、本来国内で解決すべき問題を全て国外に押しつけてしまい、肥大した軍隊と、完全に戦争に目が行ってしまった国民を政治がコントロール不可能になったしまったところに悲劇があったと思います。つまり、アメリカ始め諸外国の外圧で仕方なしに始めた戦争というよりは、自国の問題を政治家が責任回避し続けたために、対米戦争まで行きついてしまったというのが真相だと考えます。

>もし日本が素直に国際連盟の勧告に従い中国利権を破棄していたら、
日本はどうなっていたと思いますか。

という質問ですが、もちろん時の政府は国民から反発を喰らい、政権を失っていたでしょう。さらに、加速する不景気と用済みになった軍人の処遇を巡って国内はかなり混乱したに違いありません。

それでも、数年の混乱を乗り切れば、ヨーロッパの第二次世界大戦の特需により日本経済は持ち直し、ドイツの敗勢が濃くなった後は、むしろソ連への牽制のために英米の支持を取りつけながらシベリアへの出兵もあったでしょう。こうなれば、満州についても、英米にとってはソ連の脅威からの防波堤の意味で、むしろ日本の権益を積極的に認めていた可能性が高いのではないでしょうか。

日本が撤退することで再発する中国国内の内戦も、ひょっとしたら国民党を助ける名目で英米の支持のもと堂々と再出兵していたかもしれません。

実際の歴史では、日本が経済大国化した後は、アメリカが冷戦を乗り切るために西側にイギリス、東側に日本という前線基地を確保して、共産主義を抑え込もうとしました。

日本が中国から仮に撤退していたとしても、この流れだったと思います。日米はむしろ共産主義の浸透を防ぐという旗印のもとに接近し、超大国アメリカの支援を受けながら東アジアの地域覇権国としてそれなりに恵まれた歴史を迎えることになっていたような気がします。

ただし、これによって日本社会の変革は、GHQの改革ほど進まなかったでしょうし、中国共産党が史実通り中国を支配すれば、日中そして日ソの対立は史実の比ではないので、国防費がうんとかさむ「軍国・日本」のままだったかもしれませんが。

個人的には、現在の日本ほど豊かになれたかどうかは分かりませんが、決して悪い方向には進まなかったと思います。

「民衆に不満が溜まった時は、外交(戦争)でガス抜きをさせる」ことは治世の常套手段です。第一次世界大戦終了の反動で襲ってきた不景気、世界恐慌というダブルパンチで経済が停滞し、国民の不満が溜まったところで、当時の政治家が国内での調整を怠り、全て軍拡で対応しました。雇用問題は軍隊の増強で解決し、中国に進出して国民の目を反らすとともに、中国を植民地化して日本製品にとっての...続きを読む

Q70年前の日本は、なぜ戦争を決断したのでしょうか?

お世話になります。

戦争は、外交手段の一つの方法でしかも最後の方法です。それでも、70年前に日本は世界大戦を決断しました。

(この世界大戦に至る序章として中国東北部の植民地化があったと考えます。この植民地化は、日本の勝手な解釈で「欧米列強のマネであることが権利」で錯覚していた様子です。この意味では、日本を含め中国を占領した国家は中国に謝罪は必要です。)

その延長で、連合国との全面戦争は開始されましたが、

●技術的
●生産力
●資源力
●人員力

から見ても、圧倒的に不利であったはずです。合理的に考えれば、国力の差は戦力に比例するはずですよね。

でも、70年前の日本は、なぜ戦争を決断したのでしょうか?その時の日本は、戦争をしなければならない 進退窮まる理由 があったのでしょうか?でも、敗戦は必定です。

Aベストアンサー

マクロ経済の観点から考察する対米開戦はまさに無謀の一言、一例を挙げれば一般会計と臨時軍事費に占める直接軍事費の割合が脅威の75.7%、これは対米開戦直前の数字ですが、当時の日本は日中戦争以来まさに食うや食わずで戦争を継続していた事がこの点に於いて明らか。
冷戦構造下のソビエト連邦が、アメリカとの軍拡競争で経済が破綻した際の同比率が50%強ですから、戦争突入以前の直接軍事費が70%を超える事の異常さが御理解頂けるかと思います。

更にはGDP比換算で1(日本):20(アメリカ)、質問者様が仰る通り近代戦は国家としての総力戦でありまさに大人と子供の喧嘩、そう形容するしかない戦争でした。

>70年前の日本は、なぜ戦争を決断したのでしょうか?

以上述べた前提はいかに当時の軍部主導下にあっても、大国アメリカとの戦争を想定した場合当然客観的判断材料として顧みられたはずであるが、では何故当時の大日本帝国首脳が対米開戦を決意したのか、その原因はそれこそ無数にあると思われますが、私なりの結論としては以下の2点。

1.本来日本の意図は対中権益の確保、本命である日中戦争を継続する為の石油・粗鋼の多くをアメリカに頼っており、その供給をストップされ且つ日本の対米資産凍結、更にはイギリス・オランダがそれに同調して所謂ABCD包囲網が構築された事で追い詰められていた事。

2.日露戦争の悪しき前例、即ち交戦期間2年程度を互角の戦いに持ち込み、ナチスドイツの欧州での勝利を希望的観測で織り込み、総力戦・消耗戦になる以前に仲介国を待つという戦略が可能であると甘く判断していた事。

但しドイツがソ連との不毛な戦争に突入した事で日本の思惑は大きく外れ、しかもアメリカの戦時経済が本格的に稼働しはじめた為、太平洋戦争開戦1年を過ぎた頃から国力相応の差が出始め、皆様御承知の通りの結果に終わってしまいましたが。

マクロ経済の観点から考察する対米開戦はまさに無謀の一言、一例を挙げれば一般会計と臨時軍事費に占める直接軍事費の割合が脅威の75.7%、これは対米開戦直前の数字ですが、当時の日本は日中戦争以来まさに食うや食わずで戦争を継続していた事がこの点に於いて明らか。
冷戦構造下のソビエト連邦が、アメリカとの軍拡競争で経済が破綻した際の同比率が50%強ですから、戦争突入以前の直接軍事費が70%を超える事の異常さが御理解頂けるかと思います。

更にはGDP比換算で1(日本):20(アメリカ)...続きを読む

Q日本が太平洋戦争で犯した最大の失策

みなさん、日本が太平洋戦争で犯した最大の失策はなんだったと思いますか?

また、アメリカとの国力差をみると負けるのは当然としても、もう少し善戦できなかったのかと考えてしまいます。



どうすれば、より善戦できたか。
また、善戦できなかった最大の理由はどこか、を教えてください。

Aベストアンサー

負けは当然ではありません。
ただ単に大本営の作戦指導にミスがあっただけの事です。
勝ち目はありました。

最大の失策はアメリカ1番の弱点を攻めきれなかった事です。
今も昔もこれからもアメリカの1番の弱点は人種問題です。
当時は現在よりもさらに人種問題は深刻でした。
その人種問題を謀略を用いて攻めきれなかった事。これが日本軍最大の失敗です。

当時の米国では黒人等の有色人種の権利は法的にも低いもので平然と差別が行われていました。
黒人等の有色人種はそれに不満をつのらせていました。
太平洋戦争が始まった時も黒人達は、対外戦争での勝利と、国内での人権向上の権利を得る戦いに勝つ、二つの勝利を目指す「2つのV」というスローガンを掲げていたぐらいです。
政府としては国内を平穏にしておくためと、不足する労働力を得る必要性から黒人への権利拡大に動きます。
その結果、それまで白人しか働けなかった職場に黒人が配置されたり、黒人がそれまで就けなかった地位に就くようになりました。
しかし、これに反発したのが白人労働者で「黒人と一緒に働くくらいならヒットラーやヒロヒトが勝ったほうがましだ!」とストライキや暴動を起こしています。軍需工場によっては白人労働者の9割が職場を放棄したり、2万人の労働者が職場放棄した造船所もありました。
1942年8月のライフには緊迫する軍需産業都市デトロイト(軍需物資の3割以上を生産していた都市)について「デトロイトでは人種対立が激化し、ヒットラーと戦う前に互いに憎しみをつのらせている。モラルの低下は国内でも最悪の状況で、デトロイトはヒットラーを粉砕する前にアメリカを吹き飛ばしてしまう危険がある」という記事を載せています。
実際、翌年にはデトロイトでは大規模な黒人対白人の人種暴動が発生し34人が死亡し1000人が負傷し、軍が動員され暴動が鎮圧されています。
こうした暴動はデトロイトだけでなく全米各地で発生しており47都市で100を超える人種暴動が発生しており、軍需生産にもかなりの影響を与えています。メキシコ系住民と白人との間にも暴動は発生しています。
人種対立は軍需産業における労働者だけではありません。
アメリカ軍内部でも発生しています。白人兵による黒人兵への差別、暴力は多く、それが暴動にまで発生した事件もありました。ルイジアナで起きた黒人兵の暴動では28人の黒人兵が射殺され3000人が逮捕されています。3000人といえば丸々1個連隊に相当する人数です。それが戦争に行く前に内部対立で失われているのです。
だから当時の黒人兵が回想で「我々が戦うべき相手はドイツ兵なのかアメリカの白人兵なのか」というような事を証言しています。
日本は白人と黒人、メキシコ系などの有色人種の対立を加熱させ利用するべきでした。
アメリカの国力は日本の10倍です。しかし、その巨大な工業力も人がいなければ動きません。
工作員を多数確保し白人側には黒人の社会進出の不満を煽り、黒人などの有色人種には白人支配の不満を爆発させるようにして、白人側、有色人種の側、双方から煽り対立を激化させアメリカ国内を紛争状態にし、その工業力を発揮させないようにするのです。有色人種が武器を持ち立ち上がり内乱状態にもっていければ最高です。
日本はスペイン人を利用して戦時中にアメリカ国内にスパイ組織を確保していますが、このように第三国を利用して工作員を多数確保するのもありでしょう。できれば戦前から工作員を確保しておくべきです。
日露戦争の時に明石元二郎大佐がロシア国内の反政府勢力を援助してロシア軍の大部隊を国内に釘付けにさせる事に成功していますが、そのような成果を狙えれば、なお良いでしょう。もしアメリカ最大の石油生産地帯である南部で大きな反乱が起こり、石油の流通に滞りがでればさらに良いでしょう。
日本も戦前からアメリカの弱点の一つとして黒人社会と接触していますが、その工作は規模が小さすぎ大きな力とはなっていないように見えます。これは完全な日本軍の手落ちでしょう。
なお、前述したデトロイトの暴動は日本人工作員によって発生したらしいという話しもありますが、確実な証拠に乏しく詳しい事は判明していません。

アメリカの国力は大きいですが、それが軍需産業としてフル活動するには時間がかかります。だから1942年10月には太平洋で無傷の大型空母は0隻になるという状況も発生しています。エセックス空母の1番艦が実戦に出て来たのは1943年からですし、アメリカ軍の戦力が大きく増強されるのは1943年以降です。
それまでの間にアメリカ国内で人種対立を激化させ内乱状態にまで持っていければ、アメリカは国内問題を先に解決しなければならず、日本に有利な態勢で講和という事もありえるかもしれません。
要は敵の内部を撹乱するのは兵法の常道でもあるにも関わらず、それを怠った大本営の作戦ミスです。

後はミッドウェー作戦での空母戦力の分散でしょう。
アリューシャン作戦を行い空母を分散させました。連合艦隊内部にもアリューシャン作戦は中止し、その空母を南雲機動部隊に合流させるべきだの意見がありましたが、採用されませんでした。
戦後、ニミッツ元帥もこの兵力分散を批判し、兵力を集中していれば日本が勝利していた可能性がある事を指摘しています。
ミッドウェー海戦では日本の暗号が解読されていた事を敗因に挙げる人もいますが、暗号を解読していたにもかかわらず空母ホーネットの爆撃隊は日本の空母を発見できず、20隻近いアメリカ潜水艦も空母を第1目標にするよう命令されていながら1隻も戦果を上げれなかった事からわかるように、必ずしも絶対的な要因ではありません。
もし、日本がミッドウェー作戦で空母を集中投入していれば勝利していた可能性はかなりあるかと思います。
そして、ミッドウェー海戦で勝利していれば、その後の展望も大きく違ってくるかと思います。

さらに日本潜水艦隊による通商破壊戦を全力で行う事でしょう。
アメリカは開戦時、Uボートの活躍で石油不足に陥っていますし、イギリスもUボートの活躍で海上交通路を攻撃され危機的状況にありました。これに日本の潜水艦による通商破壊戦の戦果が加われば、両国は一層苦しめられた筈です。
しかし、日本は潜水艦を全力で通商破壊戦に投入する事はしませんでした。潜水艦部隊から通商破壊戦実施の要望が出されてはいましたが採用されませんでした。

つまり・・・
(1)アメリカ本土での人種対立を激化させ国力を発揮させなくする。
(2)ミッドウェー作戦では空母を集中投入する。
(3)潜水艦による通商破壊作戦を全力で行う。
この三点だけでも成功すれば戦局は大きく動くでしょうし、日本の勝利の可能性もあるかと思います。

細かい事を言えば、まだまだありますが、多くの皆さんが言うように、日本の勝利が不可能だとは、少なくとも私は思っていません。善戦どころか勝利する可能性もあったのに、日本の軍部の作戦ミスで敗北したと私は判断しています。

負けは当然ではありません。
ただ単に大本営の作戦指導にミスがあっただけの事です。
勝ち目はありました。

最大の失策はアメリカ1番の弱点を攻めきれなかった事です。
今も昔もこれからもアメリカの1番の弱点は人種問題です。
当時は現在よりもさらに人種問題は深刻でした。
その人種問題を謀略を用いて攻めきれなかった事。これが日本軍最大の失敗です。

当時の米国では黒人等の有色人種の権利は法的にも低いもので平然と差別が行われていました。
黒人等の有色人種はそれに不満をつのらせていました。
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Qもしハルノートを受諾し、大日本帝国が続いていたら?

今日の夜9:00~NHK真珠湾スペシャルを見ましたが・・・

ハルノート原案では、日本軍全面撤退と引き換えに20億ドルの対日借款が盛り込まれていた。
それが国務省内で練り直され、対日強硬派の言い分が通り、借款の項目は削られた・・云々


なかなか興味深い番組でしたね。


でも

当時の日本政府・軍部の主流派から見て、ハルノートは受け入れられない。それどころか対英米戦は既定路線・・・・かな。


さて、今回、あくまで IF ですが

日米戦争を回避でき、大日本帝国も明治憲法もそっくりそのままで今日この21世紀のIT社会に至ったらどうなったことでしょう?

若者が茶髪でスマホに熱中し前を見ずに道歩き、少女がローライズでパンツ半分見せながら道歩いて、それでも大日本帝国存続中だとしたら。

いったいどんな日本社会になっていることでしょうね?

テクノロジーは今の現実そのままの社会で、国体は大日本帝国。

つまり往時(1941時点で)、あと数年を待たずして、台頭する巨大な軍事大国ソ連、蒋介石を追い出し中国の覇権を握った中国共産党。米国はこれらと対峙するために、日本を利用せざるを得なくなるのです。良い悪いはこのさい別として。

尚、連合国による対独・対伊 の戦争はあり、歴史通り連合国の勝利に終わったとします。日本だけがそのまま。


今どんな日本社会になってますか?あくまで IF です。

今日の夜9:00~NHK真珠湾スペシャルを見ましたが・・・

ハルノート原案では、日本軍全面撤退と引き換えに20億ドルの対日借款が盛り込まれていた。
それが国務省内で練り直され、対日強硬派の言い分が通り、借款の項目は削られた・・云々


なかなか興味深い番組でしたね。


でも

当時の日本政府・軍部の主流派から見て、ハルノートは受け入れられない。それどころか対英米戦は既定路線・・・・かな。


さて、今回、あくまで IF ですが

日米戦争を回避でき、大日本帝国も明治憲法もそっくりそのまま...続きを読む

Aベストアンサー

afv2012さんの回答に対する意見です。

>>そして、軍事以外でも20世紀の主要な産業において、エネルギーや資源の問題は深刻です。
>> けっきょく、何らかの形で海外から資源やエネルギーを得るすべがなければ、資源の乏しい日本は衰退せざる得ません。

>>もし、こうして資源もなく、確固とした産業を持たないままでは…

日本が資源を海外に頼らざるを得ない状況はメタンハイドレートや核融合発電を実用化してみせない限りどこに転んでも変わりませんよ。戦争を回避した仮想の大日本帝国でも、実際の戦後日本でも。

勿論、戦中の相手であったアメリカと比べては凄く物足りなかったような気がしますが、戦前日本の産業基盤がそんなに貧弱な訳じゃありませんでしたよ。

もしかして此れが「確固とした産業を持たない」とされている戦前日本の姿(?)でしょうか。
これは戦中の敵国であった日本を出来るだけ嘲笑する為に日本を今の朝鮮、中共みたいにポンコツしか作れない産業未開国のように酷く描写している連合国側のプロパガンダアニメです。

第二次世界大戦中のポパイのアニメ(反大日本帝国)
jp.youtube.com/watch?v=NzRgvt_0Trg

Tokyo Jokyo
jp.youtube.com/watch?v=QGbQjyrHjF8

しかし実際はどうだったんですか。
ご存知の通り戦中には歴史上最大の戦艦である大和級戦艦を、しかも3隻も建造したのですよ。(大和、武蔵、信濃。ただし、信濃は途中で空母改装)

それ以前に有色人種が白人国家の技術力に頼らずに独自設計で独自に建造した世界最初の近代艦船の「薩摩」もあったし、戦後連合軍側は鹵獲した旧日本軍の航空機に適用された技術力を高く評価しました。

(軍事兵器しか評価しなかったような気がしますが、そもそも軍事技術というものはその国の工業技術力の尺度を表すのですからね。)

既に戦前からそれなりの技術力と工業力を持っていた日本を 確固とした産業を持たないと評価するには無理があると思います。

>>… 国内での国民の不平不満はかなりの高さで暴動や革命思想へと容易に誘導される不安定な不穏な状態が続くでしょう。

>>ちょうど南米の共産主義国家が歩んだ道筋に似た感じになるのではないかと想像されますが、日本はアメリカから遠いので、より共産主義国家の影響力が高くなる可能性は強く、共産主義革命が成功してしまう可能性もありえます。

戦争を回避した帝国より、寧ろ実際の戦後のドサクサの中の暫くの間に未だ自衛隊も編成出来ずになんの軍事力も無かった時、そして60~70年代の高度成長期に団塊世代の青年(今はジジババですけどね…)どもが火炎瓶と石投げたり竹槍振るったりする暴力的な共産主義闘争を繰り広げた時代のほうがもっと共産主義革命が成功しやすかった環境だと思いませんか。
スパイを丸腰に容認してしまってた実際の戦後の方がもっとやばかったんじゃないですかね。

そして南米の国家は、土着文明を破壊して占領してきたスペイン、ポルトガルの植民地だった地域が独立したばかり、国家としての基盤が非常に軟弱な地域でした。
当然、この隙が共産主義勢力を安易に許してしまう結果となり、これが直ぐに南米社会主義政権の誕生に直結したのです。

それに対して日本は王家が途中で断絶するなどインディオ民族としてのアイデンティティを相当失ってしまった南米地域とは違い、長い時皇室を断切なく継続的に維持しながら昔から地道にソフト、ハード的なものを積み上げる等、長い時にかけて大和民族とその国家としての基盤とアイデンティティを確立することが出来ました。

国家としての基盤とアイデンティティの丈夫さがガン並みに違うのに、南米と同じく呆気なく共産化する、というのは無いじゃないんですか。

物理的にソ連からの距離は日本が南米より近いからソ連からの風当たりそのものは南米へのより遥かに強いかもしれません。
しかし、民族としてのアイデンティティと国家としての基盤が既に確立した日本がそんなに共産主義の波に安易に巻き込まれるはずがないんでしょう。

更に「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙なきや」中華秩序からの離脱を告げるこの文章が書かれた以来、日本は決して中華勢力の侵入を許した事が無かったんです。依然として中国からの文物は受け続けながらですね。
中華大陸とシルクロードを全て制覇して更には東ヨーロッパにまで飲み込もうとしたモンゴル帝国の侵略も食い止めたんじゃないんですか。

大陸からの侵略にずっと立ち向かってた歴史、経験があるから日本が又大陸勢力であるソ連の侵略を簡単に許す訳にはいかないと思います。

(実際にはハルノートを日本が拒否したのも、ある意味ではそれまで大陸からの侵略に屈服してなかった伝統の続きでないのか、と私はそう思っています。ただ、その時は日本としては始めての海洋勢力からの脅威で、その始めての海洋勢力との全面衝突には負けて今に至る…んじゃないんですかね。)

>> この惨状の日本をソ連が黙ってみているとは思えず、何らかの形で冷戦時代初期に良くあったように、武装革命を影で援助し、武器を供給したりされる可能性は高いと思えます。

しかし実際の戦後日本でもないのに、此れをただ見ているわけでもないですね。日本の方もソ連のやり方を黙ってみているだけじゃ居られませんよ。

こんな共産主義勢力が余計な真似をしないようにした法律がありました。「治安維持法」。
勿論、この法律が真っ当な国民まで些細な理由で無闇に捕まってしまうなど、立憲主義に違背し国民の権利を一部侵害した負の側面もありましたが、
共産主義勢力、無政府主義勢力等の国家の治安に害悪を及ぼす諸勢力が帝国内外部からの混乱を煽るのを食い止める事には相当に役が立ちました。

そもそも帝国がずっと存続していたならこの治安維持法を国民の権利を侵害しない、ながらももっと有効に国家の安全を脅かす勢力を食い止めれる方向へ何回も改正されてる筈でしたね。

(もしかして、実際今の日本に一番必要なのはこの治安維持法かも知れません。ただ、前述のように立憲主義に違背されるように要素は改正する必要はあるんですけど…)

今更やっと日本版NSCだね、特定秘密保護法だ、スパイ防止法だ、と急いで対内外諜報対策が用意されてるのが救いなんだけど、とにかく戦後日本が敵性国家のスパイを丸腰で許して来たたのはご存知の通りですね。
しかし、戦後GHQによって旧帝国の各機関が解体される前は日本にも一応諜報機関が存在して、その能力はかなり優秀だったと要られます。

もしソ連が密かに武器を配るなど日本内部から革命を煽ろうとしても、それが日本側の諜報機関によって食い止められるのは間違いないでしょう。



…取り敢えずハルノートを受け入れるのはとにかくアメリカをはじめとする連合国側の下に入るというのだから、この点では史実の敗戦後の日本がアメリカの同盟国になったのとあんまり差が無いと思います。
大陸共産勢力の中蘇からの脅威に対応するために日米が連合するのは…

多分、こうなったら南米のようになるのではなく、他ならぬ実際の今の日本と似ている情勢になったんじゃないのかと思います。
はい、今の「第二次安倍政権の日本」みたいにですよ。
今年2013年度の安倍政権は憲法9条を解釈改憲して集団的自衛権を容認しようとしたり、日本版NSC,秘密保護法などの安保対策を用意する等、アメリカとの連帯を強めて中共からの脅威を含む様々な安全保障的なリスクに対応しようとしていましたね。

ハルノートを受け入れた大日本帝国はデブ将軍が率いる独裁国家北鮮でも、社会主義革命が成功してしまった南米のようにでもなるわけは無いです。
多分今の安倍率いる自民党政権が目指す国家の姿に似ているではないかと思います。(安倍晋三が敢えて始めてからハルノートを受け入れて戦争を回避した帝国を想像してあんな政策を推進するわけではないですけどね。)

ただ、旧帝国なら朝日、毎日新聞はあるけど9条も日教組も共産党もないから一部偏向報道するマスコミは処分して立憲主義、国民の権利を侵害し得る憲法、法律の「穴」を適切に改正してアメリカとの関係を改善しただけで良いでしょう。

又の長文、駄文申し訳ございません。

afv2012さんの回答に対する意見です。

>>そして、軍事以外でも20世紀の主要な産業において、エネルギーや資源の問題は深刻です。
>> けっきょく、何らかの形で海外から資源やエネルギーを得るすべがなければ、資源の乏しい日本は衰退せざる得ません。

>>もし、こうして資源もなく、確固とした産業を持たないままでは…

日本が資源を海外に頼らざるを得ない状況はメタンハイドレートや核融合発電を実用化してみせない限りどこに転んでも変わりませんよ。戦争を回避した仮想の大日本帝国でも、実際の戦後日本で...続きを読む


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