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日本人が宗教嫌いになった理由はなんでしょうか。

人聞きかれれば自分は無神論者だというけれど、

葬式も初詣も神社への願掛けもしているわけで・・・・

A 回答 (12件中1~10件)

明治頃だったかな リリジョンを翻訳して宗教という造語を作ったのは。



で、日本の場合、土着宗教というか自然を崇めるものだったので、西洋のような概念は無かったんです。
自然と一体化しており風習に取り込んでいたので。

狂言とかありますが、あれは獣を真似た踊りですが、あれは神のふるまいを真似た踊り。
自然を模倣しているわけです。
再びつなぎ合わせるがリリジョンの意味なので、自然を模倣するってのは一時的に自然に帰還する行為なのかも。



で、日本が宗教 すなわち自然を模倣するのが嫌いになったわけではない。
人工的に作られた神を崇拝せよと人間に言われることが、嫌いなだけ。


キリスト教は政治家に利用されてでかくなりました。
市民を独裁者が自分の思い通りに操るために道具としてキリスト教は利用された。
各地の財宝とかを集めて帝国をでかくしていったので、まず宣教師を派遣して現地の情報を収集させ、弱体化したのち、軍隊を派遣して侵略してきた。

これはある時代の人に失言内容です。
難破した船の船員の失言(真実だが言ってはならないことをついうっかり言うこと)を聞き出した途端、日本はキリスト教が恐ろしい宗教だとわかり、それで日本から毒性の強いウイルスを排除するようになったわけです。


刀狩で宗教を無害化した後、毒性の弱いキリスト教は、後に入ってくるのを許した。


体には防衛機能があり、外からの侵入するものに対してチェック機能があるんですね。
かつて害をもたらしたことのあるウイルスだと体の免疫機能が反応して、発熱して殺そうとする。
ウイルスも頭いいので、無害であるかのように装って、門兵を騙して体の内部に侵入する奴もいる。
体は害があると思わないので侵入を許してしまうんです。
まんまと内部に侵入した偽装したウイルスは、そこから活動を始める。
内部から破壊しはじめるんです。


というわけで、かつて凶悪なウイルスにさんざんな目にあったので、日本人の遺伝子に記録として残り、危険視しやすくなったのではないかと。


で、毒性の低いものに対しては、無害化して日本のカルチャーにしています。
例えば、ハロウインはキリスト教が嫌いな魔女のお祭り。
怖い格好をして悪霊を退けるという意味で、あんな仮装をするわけですが、そんなの関係なくお祭りとして取り入れている。

クリスマスは恋人と高級ホテルにとまって、おいしいものを食べてセックス三昧をする日。

バレンタインは、チョコレート会社の商品販売促進として使われているので、チョコをあげる日。

本来とは違う形にすることで、日本の文化として取り入れている。

排除ではなく、無害化して、食って取り込んでいる。

日本の八百万の神々って海外からの輸入。
排除ではなく無害化して内部に取り込んでいる。

おもしろいですね。

「その神様、既にあります。こっちの神様 いやー わるいねー 既に日本は持っていますので、別段目新しいものでもなんでもない」って。

日本人は宗教と一体化しているが、灯台下暗しで自分が宗教をやっている、自分がやっている行為は宗教的なものっだって気づかないんです。

日本のカルチャーになっていて、それが宗教行為だってわからないんです。

No1さんがおっしゃる通り、無宗派が多いので無宗教な人が多いように感じるだけ。
無宗教だって人の行為をみたら、「これも それも あなたのやっていることは宗教行為です」と指摘することができます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

確かに人工物の神様には反射的に警戒しますね。
信仰宗教が煙たがれるのもそれなのかもしれませんね。

お礼日時:2009/09/23 18:47

情緒は、人を救いますが、論理思考文化の影響で、半減しています。

日本人は、本来は、情緒思考体質ですが、明治以降、とくに戦後は、西洋の論理思考文化に染まり、論理思考が常識となってしまってます。しかし日本人は、情緒思考体質なので、論理思考体質になる事はできません。今は、日本人が、情緒思考体質である事に気づき、情緒思考を復活する必要があります。情緒を理解するためには、伝統文化、和風文化を体験する事です。とくに学校教育に、伝統文化を必修科目にして、日本人が情緒文化に誇りを持つ事です。日本の情緒文化が、世界中の人々の心を癒して、平和にします。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

日本人は日本人に帰れということでしょうか。

お礼日時:2009/09/24 15:42

 日本人は無信仰型の人間です。

結婚は教会または神社、クリスマスはキリスト教、バレンタインもホワイトデーも欧米文化でキリスト教。そして葬式は仏教です。
 日本人は何教?総合的に宗教していますよ。しても、信仰はせず、ただ行事をするだけ。いわゆる表面信仰ですね。だから、無神教ではなく、都合がいい時だけ神頼みです。だから、外国人は日本に来た時の一番の謎になります。つまり、無神者ではないですし、だったらクリスマスを辞めなさい。いわゆる、無神者は弁解で一番悪いへ理屈です。へ理屈なら、私はいろんな宗教を体系的に体験している、ではないかと思います。私ならね。

 日本の宗教を考えます。飛鳥時代から国教として仏教があり、奈良時代、平安時代、鎌倉時代、室町時代、江戸時代と仏教勢力がありました。しかし、明治時代、廃仏で日本の国教を神道という神社にしたわけです。寺から神社へ。その神道とは、天皇家の起源と古事記や日本書紀と関係があるわけです。天皇の祖先を祭っている。そして、戦前の神道があったわけです。

 新宗教について。金光教、天理教、天照皇大神宮教などを指します。かってのオウム真理教(現.アレフ)は地下鉄サリン事件を起こしたが、元はヨガの新興宗教でした。そのオウム真理教が現在の宗教不審を起しました。

 創価学会は日本で一番有名で大きな団体です。創価学会は元々は日蓮宗(仏教)でしたが独立しました。そして、池田大作が大きな影響を与え、池田大作亡き後の創価学会の未来まで予言した書物があります。その池田氏が創価学会を大きくしたわけです。それが公明党の支持母体です。

 幸福の科学も新興宗教です。大川隆法がその代表です。それでも支持者が多いんですよ。いわゆる高学歴者やトップクラスの学歴の人間がね。だから、可笑しい団体ですよ。それは私の主観ですが。

 統一教会もありました。韓国のカルト教ですよ。

 「日本人の宗教嫌い」という命題は次の反論ができます。若者が新興宗教で教祖的な性格の人間に厳格な父親像を思わせ、入会するとかです。つまり、若者が宗教に侵されている時代です。ある意味病気です。若者は平和すぎたため、自分で考えられない。平和が若者の思考を襲ったのです。

 日本人で無神論者というのは中年が多いのですよ。何か集団だと安心できてしまう人が宗教をする。現在にはコミュニティが薄く、消えかかっている。そこで宗教というコミュニティで安心する人がいるからではないだろうか。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

日本は神様の数だけは世界一のようですね。

それゆえ絶対的なゴッドは認められないのかもしれません。

お礼日時:2009/09/24 15:41

 私が老獪な老人を 嫌い になったのではなく、「ゴキブリ認定」したのは、自分の財産や立場は守りながらも他者や若者に対しては潔さや他者への献身を強要し、あるいは薦め、奇麗事を言うからです。

しかも、自覚が無く、本能でしているように見受けられるから、たちが悪い。

 人に何か言うなら、まず先に自分がその行為 振る舞いで以って示せ と言うべきでしょう。


 「初詣」と称して 日本人のほとんどが、それぞれその場(神社)で、自分のことだけ願掛けをして帰途に着く。想像するだけでも浅ましさを通り越して おぞましく、禍々しいですね。

 神社はいつから個人的な欲望を念波として送るための機関となったのでしょうか?滑稽ですね。まさに「オレオレ念波教」ですね。


 ここでも よだれを垂らしたのっぺらぼう が 念波宗教を布教していますね、少なくとも私にはあの文章はほとんど理解できません、本当に意味をともなっているのでしょうか...

 とにかく、ここで賛同者を募っている 老人が語れるのはせいぜい おれおれ念波教でしょう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2009/09/23 21:05

他人を従わせるという利害関係こそ


大事な(最悪の場合経済学・教育学を専攻しています)唯物論者であって、なおかつ
はgX
でbX


くさい

いぼ
爺さんが、しゅうきょうのなんたらを語るから、おおくのひとは、きもくてにげだしてしまうのではないでしょうか?

もっと若くてかっこいい人が、宗教を語れば徐々に変わると思います。

蛇足ですが、
ネット上での宗教活動は、この方たちにとっておおいに利点があります。

(失業対策・老人の自己実現という側面もあるので必然的といえばそうのなですが…)
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

若造が宗教を語ったら私ならデコピンですね。

お礼日時:2009/09/23 19:05

>日本人が宗教嫌いになった理由はなんでしょうか。



嫌いなのかどうか、よく分かりませんが、大宗教が生まれた厳しい砂漠と盗賊の跋扈する世界に比べ、日本という国のマイルドな風土が元来一神教を、強い権威を持った神を必要としなかったのではないかと思います。
確かに地震とか火山とか台風とかいった脅威はありますが、自然はほどよく温暖で、雨と日光とに恵まれ作物のみのりがよく、外敵が頻繁に襲ってきて皆殺しにあうといった人的な脅威もなくて、それなりに暮らして来れたので、さほどの緊迫した状況での最後の神頼みといったようなことは必要なかったのだと思います。
日本ではやおよろずの神々は皆優しく、厳しい現実に対応して厳しい要求を突きつけてくる絶対神との対峙、あるいは平伏という状況はなかったので、ともかく(庶民のレベルでは)神には片手間に手を合わせておくだけで生活が成り立ってきたということです。
要するに嫌いということでなく、何事であれ心底から真剣に、真面目に考えるという機会が(有難いことに、としておきますが、えーかげんというかあいまいにするという癖が身に付いたということでもあるでしょうが)なかったのだと思います。近代の欧米由来の神否定という科学的精神の普及と日本人の同様の傾向は単なる偶然の一致なのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

という事は宗教(一神教)嫌いは今に始まったことではないという事になりますね。

お礼日時:2009/09/23 19:03

日本人社会には、情緒というかたちで、神が充満しています。

だから特定の神を、信仰する必要はありません。逆に、特定の神を信仰すると、情緒が減少します。世界中で日本人だけが、思考行動パターンの基準が、情緒です。情緒は、人を癒し、人を育て、社会を調和に導きます。外国はアメリカでも、中国でも、論理思考で、自己表現、自己主張です。論理は、情緒を排除するので、両立できません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

この国では自殺者が年間3万人を超えています。
情緒では救えないのでしょうか。

お礼日時:2009/09/23 19:00

 お役に立てればと思い、筆をとらせていただきました。



 まず、宗教の定義を以下にさせていただきます。
宗教:一般に、人間の力や自然の力を超えた存在(超越的存在)を中心とする観念であり、また、その観念体系にもとづく教義、儀礼、施設、組織などをそなえた社会集団のこと(wiki [宗教] からです)
 
 少し話がそれてしまいますが、お付き合いくださいませ。
 伊藤博文は、ヨーロッパでは議会制度も含む政治体制を支える国民統合の基礎に宗教(キリスト教)があることを知り、また宗教が存在しないところで、実質的な憲法の作成は無理であることを当時のプロイセンの憲法学者からも悟らされます。そこで、 欧米の憲法を形だけ日本に取り入れても、キリスト教の背景が薄い日本では「仏作って魂入れず」に成りかねない状況が生まれかねません。それを強く危惧した伊藤博文は、キリスト教に代わる役割を皇室に求めたのです。(wiki 天皇制 の 大日本帝国憲法をご参照ください)

 実際、伊藤自身もこれを認め、以下の演説をしています。
伊藤博文の憲法演説 (http://www.mirai-city.org/伊藤博文の憲法演説/ から)
・抑欧洲に於ては憲法政治の萌芽せる事千余年、独り人民の此制度に習熟せるのみならず、又た宗教なる者ありて之が機軸を為し、深く人心に浸潤して人心之に帰一せり。然るに我国に在ては宗教なる者其力微弱にして、一も国家の機軸たるべきものなし。
・佛教は一たび隆盛の勢いを張り上下の人心を繋ぎたるも、今日に至ては已に衰替に傾きたり。神道は祖宗の遺訓に基き之を祖述すとは雖、宗教として人心を帰向せしむるの力に乏し。我国に在て機軸とすべきは独り皇室にあるのみ。
 つまり、「元来日本には、”人心を帰向せしむるの力を持った” [宗教]はなかった」 と解せられます。
 
 では、現在、”人心を帰向せしむるの力を持った”ものは存在するのかという問いが出てくるかと考えられます。
 愚見ではございますが、”科学”という一種の [宗教]がその任についたと考えております。

 お役に立てれば幸いでございます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

科学では病人を救う事ができても人の心は救えないでしょうね。
現代人は神道では物足りないのかしら。

お礼日時:2009/09/23 18:57

そもそも日本の神道には教義が無い、世界にまれな宗教といわれております。


之が紛争を伴わない宗教であり、全てを受け入れる日本人の思考の土台です。
無神論ではなく、全てを受け入れているから無神論では無く、全てが神でありまたまた神ではない、ですから他の宗教も許せるのです。

例えば、エレサレムに仏教寺院を作れば戦争になるでしょう。しかし 日本では例えば有名な神社の前にキリストの教会を作っても、誰も怒らない。
それは神道に教義など存在しないからだ! 人間を超えた存在の神に対して、なぜ人間が教義をなるものを語れるのか?  疑問でしょう。

この日本型宗教 神道は世界平和に関して(反宗教的戦争)言えば、非常に優れた物といえますね。 之は世界に誇れる文化の一つです。
過去に日本で宗教戦争になったのは仏教です、にほんの国教は仏教ではないです、神道です。之が無神論者と言いながら、神と同居できる(支配ではなく)要素です。ですからあなたも無神論者ではありません、あなたと神が一体なのであり、何も心配する事が無いから、神を意識しない。

非核とか(米国の核のかさの下だから)、戦争放棄(現実問題ありえない アメリカの脅威があるから戦争放棄などのなど幻想を掲げるが)の程度の低い物とは、違いますね。
すばらしい 文化と思います。 一つの意見です。 ですから日本人は誰とでも(他の宗教の人とも)親しくなれます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

神道がすっかり体になじんでしまったのですね。

お礼日時:2009/09/23 18:51

日本人が宗教アレルギーになったのは、戦前・戦中の


神国日本、天皇の現人神、国家神道でしょう。
軍部による天皇の戦略的利用でしたが、それによって
戦争の泥沼に国民を引きずり込んだのですから。
戦後、宗教に懐疑的になったのは、その要因が強いと思います。

>葬式も初詣も神社への願掛けもしているわけで・・・・

一般庶民はそうでしょうが、それは単なる儀式としてだけで、
宗教心からではないでしょう。
識者はけっこうぶれていません。
仏教なら、婚儀も葬儀も仏教。
無神論なら葬式も完全無神論。散灰なども増えています。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

太平洋戦争は色々な意味で日本人を変えたのですね。

お礼日時:2009/09/23 18:48

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