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 生活と環境、どちらを重要視すればよいのでしょうか。生活に視点を向けると、環境に悪影響を与える。自然を守ろうとすれば生活の範囲を狭める。その基準はどこに定めればいいのでしょうか。ダム建設の中止をめぐる論議から、このようなことを思いました。  

A 回答 (5件)

人間のよりよい生活を守るための環境重視です。

これは両立できるというよりもむしろ同じ方向にベクトルが向かっているように私は思います。要は視野をどのように広く取るか、一部の人間の犠牲を無視することなく、いかに全体に矛盾なく良い地球環境を維持していくかということでしょう。そのためにもより多くのひとたちがこの問題に関心を寄せ、既得権益を見直してもらい、出来る限り必要最小限の犠牲をより広範囲のひとびとに引き受けてもらうことで一部にかかる犠牲を軽くしていくことが重要なのではないでしょうか。ダムの問題でもこれは応用できるのではないかと思います。基準はその中で柔軟に決めていくべきだと思います。
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生活に自然を取り入れる事が必要です。


観葉植物を増やしたり、家庭菜園をしたり、鉢植で勝手に育つ野菜も結構あります。狭い部屋で煙草吸いながら空気清浄機を使うような人間にならない事です。
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何処に住むにしても、まず働ける場所があるかが大切です。


いくら自然が多く環境に最適でも仕事がなければお金は稼げず、
生活が成り立ちません。
また、農家をやるという選択肢もあります。
生活か環境かという2者択一にすると生活が先にきます。
また、基準はある程度満足できる生活が出来ることです。
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まず生活です。

ただ、それは「今の」生活ではなく、環境を十分に意識した「生活」でなければなりません。渋滞する道をわざわざ車で出かけるのではなく、歩く、自転車で行く、公共交通の利用などの代替は可能なはずです。

実家では自宅から最寄り駅まで2km弱ありました。近所の方々はほとんど車で駅まで送り迎えでしたが、自転車で十分行ける距離です。むしろ渋滞を考える必要がないので自転車の方が速かったくらいです。そこまでして車に乗らなければならない「生活」なんでしょうか? また冷蔵庫のドアを開ける時間を短縮する、電気をこまめに消すなど、まだまだ生活の範囲を狭めることなく取り組めることが十分あると思います。

ダム建設中止については、すでに環境を計画域の一部分であれ破壊してしまった後なので、中止しても爪痕はかなり後まで残るでしょうね。破壊する前に中止になってくれてれば良かったのですが。ダム関連で考えれば、生活用水の節約もまだまだできるはずですね。(日本は世界的に見ても水に対する意識の低い「恵まれた」国です) ことわざでも「湯水のように使う」というのは日本では「沢山派手に使う」という意味ですが、他の国では恐らく「ケチケチ使う」という意味になるでしょう。「水に流して」なかったことにするというのも考えられません。
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まず生活です。



環境ありきで生活できなきゃ本末転倒でしょう?
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